北海道で教師をされている フセインさんという素敵なエジプト人の友人がいる。
地元新聞やニュースにもたびたび登場し、エジプトと日本の親善にご尽力されている。
特に教育現場やボーイスカウト集会で、エジプトと日本の子ども達との交流に力を注いでいられる。
2012年12月
エジプト名門サッカーチーム AL AHLY(アル・アハリ)は、アフリカ王者として輝き
FIFAワールドカップジャパンに出場するため来日していた頃、そのフセインさんから連絡が入った。
フセインさんはチームの通訳として各地を随行しているとのことだった。
その内容は「アル・アハリの試合に、名古屋のサッカー少年を招待したい。」との驚きの申し出だった!
一緒に来日中のサポーターが招待してくれるとのこと。
なんと、ラッキーな!!!
そして、アル・アハリは準決勝に駒を進めていた。
脳裏に浮かんだのは、従兄弟が教師を務める名古屋(元名古屋学院)中学校のサッカーチーム。
高価なチケットなので恐縮しながらも、サポーターの方々が滞在する名古屋のホテルまで、受け取りに向かった。
用意して頂いたチケットは42人分!!大変なご負担をお掛けした。
アル・アハリチームからも費用が出ていると話して頂いた。
レアなユニホームをプレゼントして下さったサポーター代表の方は、にこにこ微笑んで
「イメージカラー赤を着用して、力いっぱいエールを送って下さい。」とのこと。
「もちろんです!」とお答えした。
そして偶然にも 名古屋中学の体育ジャージは 赤!
サッカー少年達は、赤の集団となり服も頬も赤に染め、一丸となって応援したことだろう。
私はこっぴどい風邪を引いていて、喉から手の出ている従兄弟に涙を呑んでチケットを譲り、自宅で力いっぱい応援した。
残念ながら、アハリの快進撃は準決勝で潰えたが、
この出来事は、エジプトサッカーチームのいまさらながらの強さと、
日本の子ども達への惜しみない援助、そしていかに日本を大切な友人と思って頂いているかを再確認した。
ますますファンになった私は、後日エジプトへ行った時、
カルフールにあるアル・アハリのファンショップへ出かけて、グッズをいっぱい購入した。
今も私の宝物、いろいろなシーンで着用している。
2011年東日本大震災の時には、犠牲者、被災者に心を寄せ、試合前に黙祷を行ってくれた。
「私たちの心は 日本と共にあります」の言葉と共に。
そしてアル・アハリにも、悲しい歴史がある。
2012年2月1日 エジプト北東部ポートサイド・サッカー場で
74人もの死者、1000人以上の負傷者をだすという大惨事が起こった。
アル・アハリが 地元チーム アル・マスリと闘っている時にそれは起こった。
世にいうポートサイド事件だった。
エジプト革命1年後に起きた事件で、軍の陰謀説などの噂が流れ、
2日夜から3日にかけて大規模な反軍制デモが行われた。しかし真相は藪の中である。
詳細は→http://blog.goo.ne.jp/akemenesu1953/e/98cf0223ea99c0adba133c1e17d54a8b
北海道の生徒達と犠牲者に黙とうをささげたフセインさん。
この悲惨な事件は、ファンにもエジプト国民にも私達にも、暗い影を落とした。
今回ワールドカップでのアル・アハリの活躍は、これら犠牲者に捧げられたものだったのかもしれない。
そしてその勇姿は、日本の少年達の心に強く刻まれたに違いない。
お声を掛けて頂いたフセインさんに深く感謝。
そして、がんばれ!!アル・アハリ!これからもファンであり続けるから。
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