「切りかけのオベリスク」を諦めて、サウサンにのってもらった相談とは、
留学先の住居のことだった。
当初、アラビア語教室の先生のカイロのお宅をお借りする予定だったが、
奥様が重篤なご病気にかかられ、それどころではなくなったのだ。
そこで、人となりに大変好感を持った日本語ガイドのサウサンに相談してみた。
彼女はカイロ大法学部出身であるにもかかわらず、離婚を経験してからガイドに転身。
女手ひとつで、立派に三人の子どもを育てている素晴らしいスーパーウーマンだ。
「私の隣の棟のマンションに、離婚した夫の部屋が空いてるよ。一度見てみる?」と言ってくれた。
行動的な彼女は、その場で元夫(今でも仲良しのようだ)に電話。
ペラペラ早口のアラビア語で会話して「はいっ!!」と私に携帯を渡した。
「大丈夫!彼は日本語ペラペラね。」
すると「はじめまして、アフマドといいます。」と、低い素敵な声。
どう考えても日本人ではないかと思われる程、流暢な日本語だったので一安心。
アフマド氏は、現在カイロ大の教授をされているのだが、
日本語学科第一期生だった若き頃、サウサンと二年間日本に留学経験があるとのことだった。
その留学先の小さな町で結婚、この町で第一子のカリーム君が誕生した。
そこで、その町の名を聞いてみた。
すると、アフマド氏の口からついて出た町の名は 「名古屋の中村区の大門というところです。」
「えっ!!」私はエジプト人であるアフマド氏が口にした町の名が信じられなかった。
なんと!それは私が生まれて育った町、懐かしい故郷の町の名だったのである。
ホームスティをしていたという薬屋さんは、もちろん近所の店。
(サウサンからの手紙を持ってホームスティ先の薬屋さんを訪れ、ご夫妻にお渡ししたら大変感激して下さった)
さらにアフマド氏は、私の実家だったテーラーの場所と店の様子まで、鮮明に覚えていてくれた。
(カイロ) (昔は中村遊郭で賑わった大門の表通り)
娘がこよなく愛する アナザースカイ エジプト。
サウサンとアフマド氏が、第二の故郷だといってくれた大門の町。
はるか遠く隔たったエジプトと日本の小さな町が、意外なところで繋がった。
(カイロの映画館) (大門・味噌煮込みうどん山本屋)
こんなにも広い地球上で、この二つが結びついた偶然の不思議。
あまりの驚きと感動で、私は部屋を見るまでもなく、もう心を決めていた。
本当に!ウソのような本当の話です。
「そういう偶然が人生に大きな影響をあたえるときがあるのですね。」
と言っていただいたように、偶然のお陰と無意識の選択で人生の道が開ける時があるような気がします。
だから、人生は面白いとも言えますね。
何という素敵なで出会いとつながりでしょう。
驚きました。
でもそういう偶然が人生に大きな影響を与えるときがあるのですね。