朱の徒然

変形性股関節症の76歳

みたままつり・・・福岡縣護国神社

2019年08月17日 | 日記

 今年の夏は、お祭りも花火も見てないので、夜祭りに出かけようと GIと二人で電車で出かけました。

      

 九大が去って、新しい街に生まれ変わってからは、初めての中央区六本松・・・・。

 それも、「福岡縣護国神社」はBAは初めて・・・。地元出身のGIにとっても、「みたままつり」というのは、初めて聞くとか・・・。

 「福岡縣護国神社」。明治維新から、大東亜戦争までの13万柱の英霊が祀られているという神社。ここで、「蚤の市」が開かれているとのことなので、夕方に出かけました。

 

 

  護国神社は豊かな森の中にありました。                                           ぼんぼりは、地区ごとに分かれていたような・・・。

 参道の真夏の夜のマーケットは、店も人もいっぱいで、お盆の夕刻を楽しみましたよ!

 屋台料理も国際色豊かで、GIは久しぶりのターキー(七面鳥)と大喜び!BAには初めての味。GIはかって米軍基地の側に暮らしていたので、ターキーは懐かしの味とか・・・。へー、そっか・・・貪り食ってたね!

    蚤の市の指輪。すぐに壊れてアーアー、でも安いし仕方ないね。

 隣にいた7か月の赤ちゃん抱けて、ウーン、幸せ♡。

 

 まだまだ、暮れない青空。  そこで 隣の六本松へ、バス移動。「蔦屋書店」へ来ることは、一種の憧れでしたよ。でも、隣に裁判所まで移動して来てて、びっくり。誰でも、知ってることだったの?少し遠いと思ったから行かなかったけど、突き当りの、趣もない平凡なビジネス建築でした。もったいないねー、国費使ってなんだから、もっとゴージャスで雰囲気の良い重厚な建物にしたらよかったのに・・・。誰でもが、インパクトのある建物見たさに、裁判なんぞの用はないけど、心の固い場所に気楽に遊び気分で、ご訪問って面白かったのにさ・・・。

駅みたいね 木々に蔦屋の余裕感じるね。

 イタリア料理の軽いディナーで、空が暗くなるのを待ちました。   護国神社に戻ると、奉納演芸が賑やかに行われていて、献灯ぼんぼり、提灯が6000個。幻想的な雰囲気が醸し出される初めての「みたままつり」の夜でした。

   帰りに見た月は、雲間を出たり入ったり 忙しそうでしたね。魂も盆過ぎですものね・・・。母さん・・幸せ暮らししてるよ。

 

 

官邸の私物化に、違和感を感じた婚約会見。それも、できちゃった婚ならひっそりしたら?がっかり婚だよ!

 

           

     

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同世代に生きて・・・・。

2019年08月13日 | 日記

 GIとBAは、終戦後(敗戦後)2年経った1947年(昭和22年)に生まれました。

 今までの来し方を考えた時、勿論一番恩恵を受けたのはGIからですが、やっぱり同世代の方々からは、マスメディアを通じて様々な影響を受けてきたと思います。何だか ブログに書きたくなりました。

 1970年に「戦争を知らない子供たち」という、1946年生まれの北山修・作詞、1946年まれ杉田二郎・作曲のフォークソングは、 同世代の我らにとって、自覚を促す衝撃的な曲でした。  ベトナム戦争ゆえか 戦争は、今よりも もっと身近で緊迫してましたね。

 あの頃から50年経って、久しぶりにEテレの「日曜美術館」に出演されている精神科医になられた きたやまおさむ氏の 今のお姿を拝見して、びっくり! いつの間にか、中性的な風貌に変わられてましたね・・・・。男 72歳。ふーん、そっか穏やかに生きてこられたのだろうねって感じ・・・。

 

 そして、1946年生まれのフォークソングの神様・吉田拓郎「結婚しようよ」(1972年発売)に触発され、アメリカのフォークソング「七つの水仙」(ブラザース・フォー)のレコードで、GIからプロポーズを受けて、BAとGIは、1973年 ともに26歳で結婚しました!

    BAの子育て中は、今思い出すと、何だか世の中のことはピンとこず、ただただ家事に夢中の忙しい日々だったような・・・。

      

 先日、久しぶりで「週刊ポスト」を買いました。  そこに、1947年生まれ、バブル男・許永中氏が載っていたから・・・・。

GIは、週刊誌を読みません。でも、BAが読むのを嫌がりはしないね。

 今、日韓は摩擦中ですが、かっては、こんなものじゃなかった・・・・。「近くて遠い国」として、日本人は、韓国に関心を持たず、長い歴史の中での韓国への罪の重さも感じていなかったのでは?  恨 といわれて、ただうっとうしかったのでは?

 それが1995年映画「三たびの海峡」で、日韓がコロッと変わった?  こんな画期的な 素晴らしい映画はないと思います。この映画に資金援助をしたのが、許永中氏。  ありがとう、貴方が日本を変えたんだよ。  今じゃーフィクサーって呼ばれて、嬉しいのかな?

 バブル後の日本経済をズッタズッタにして、笑うほど白日の下にさらした罪は、庶民BAから言えば、意図的じゃなく ただ時代に乗っちゃったんだよね! だけど、彼のお金があればこその「三たびの海峡」です!   週刊誌によると、司馬遼太郎、帚木蓬生を読まれているそうですが、自叙伝を出すのは、10年早いよ。  それよりも、韓国で大学とコラボして、なんか新薬開発してるって? 娑婆っ気の抜けない方だね、写真で拝見したら、30年前よりも、アクのない紳士に見えましたが・・・。まだ、隠居はされないんだね。

この映画のパンフレットは、私の宝物。

          

 その映画「三たびの海峡」の原作を書かれたのが、1947年生まれの帚木蓬生氏。映画を見て感動して、彼冠の読書会を作って、もう20年を超えました。趣味・読書として、仲間と小さな歩みを重ねることの面白さ・・・。 帚木氏が同世代だからこそ、書かれる作品に 唸ってしまう視野の広さ・・・。読ませてくれて、ありがとうって気持ち・・・。でも、紙媒体登場時の私服、最近、派手変ですよ。どんな心境の変化でしょうかね・・・。

 また同世代で刺激を受けた、最近の注目は、出口治明氏1948年生まれ。大学学長で保険会社の創業者。今では、世界史から日本史までの執筆、そして人生相談の回答まで・・・。ものすごい幅広い活躍ですね! 時代に無知では、偉くなれないんだね。

 

 時代を作った同世代の方々の人生を、マスコミを通して知って刺激を受けてきましたが、残念なことに1948年生まれイラストレーター橋本治氏(70歳で病死)、1947年生まれ「噂の真相」発行人岡留安則氏(71歳での病死)、そして1948年生まれ政治家鳩山邦夫氏(67歳で病死)が亡くなった今、彼らの強烈な個性を埋める同世代の人物は、もう現れないのでしょうね。  さびしい・・・・。時代が移り去った・・・。 でも、BAは、いつまでも覚えていますよ!

 

 ブログを書くときは、嫁と娘を意識します。40代に入ったお二人さん! 今までの人生で影響を受けた同世代の有名人いた?これからの70歳までの30年の間に、時代はどう変わるのでしょうかね?  あなたたちの堅実で幸福な人生を祈ってるわ。

   まあ、どんな時も同世代夫婦で、喧嘩しながら仲良くすることが、自分の人生を明るくするよ! 

 同世代って考えて、生きてると、思わぬ収穫や喜びがあるかも? これが自由に生きるってことなんだねって思うよ。

      マレーシアの絵柄と薔薇が意外と合うね。

 

老夫婦二人っきりのお盆。GIの、初農園の収穫に、ご先祖様もビックリ? ぼた餅は、お下げして食べました。

 

 

 

 

 

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映画「家族にサルーテ!」イタリア映画・107分

2019年08月09日 | 日記

 映画「家族にサルーテ(乾杯)!」  笑って、泣いて、歌って、愛してVIVA!人生!

     (美しい島から届いた、大人のためのイタリアン・コメディ)。と書かれてましたので、ミュージカルっぽくて、楽しいんだろうなと思って、もう終了間際の映画を観に、久しぶりの街へ、電車に乗って、出かけました。 

 まず、新天町の「画廊」へ。   アレ、天神中央の新天町商店街は、昔っからの店のいくつかが たった1か月のご無沙汰の間に消え、商店街の様子が変わってる感じ・・・。あっつ、こんなにも回転すしの店が立ち並び、ここは回転寿司新天町って感じ?  幸い、画廊は1つ消えただけで残ってました。また、かばん屋も3軒とも健在・・・。馴染みの店があると安心しますね。  不安に駆られながら、行きつけの喫茶店へ。ホッとして心なごみますね。

 

 そして、いつもの映画館へ。8月から、100円値上げされていて1200円でした。ドンマイどんまい。

        

 映画の感想?  一言でいうと、下品な映画でした!

 イタリアでは、150万人が観た大ヒット作だそうですが、最初から最後まで 下品でした。

 イタリアの金婚式は、教会で行われるとのことで、どんなことするのだろう?と興味がわきましたが・・・・・。また、親戚一同の19名の食事会の「サルーテ!サルーテ!」も、金婚式が気の毒なほど、品がなかった・・・・。

 なにしろ、大人全員の表情が、興奮した様子で 欲望丸出しで 気持ち悪かった。誰も知性的な人がいない親族なのね・・・ってとこかな?それとも、性的なのは国民性でしょうか?   16歳の少年少女まで・・・・もうがっかり。 でも、内容は、あっさり?音楽も馴染みのような?軽くて、認知症も 深刻にならなかったのかな?

 集まってくれて、家族の力と絆に乾杯! みんなに感謝!ホント、ホント。  でも、下品!

 5年後の我らの金婚式の参考にはならなかったけど、BAの 金婚式案は 浮かんだよ!

 場所は、グアム。女三人は、ドレスアップして、男は、自遊服で・・。アタシ、ウエディングドレス着ようかな?ピアノの音色は要るぞ!若いの頑張って弾いてね!5年後なら、孫の誰かがヒップホップ踊れるんじゃなーい?  なんて、夢想したよ。

 

 映画の帰りは、落雷で電車は、間引き運転のため、たくさんの乗客で、すし詰め状態。ようやく電車に乗ったら、ゲリラ豪雨で徐行。前の電車が徐行してるので、運転停止が続いて、最寄り駅に降り立ったら、豪雨と雷の大荒れ。ずぶ濡れでした。

 家に着いたら、GIが(なぜ電話しないの?迎えに行こうと待ってたのにー)。ホント、優しいね。これで、料理とマッサージができたら完璧・夫のGIだけどね!   へへ、バカヤロ・妻BAは、雨に打たれるのも、子供還りで楽しいんだよ! 優等生には、分かんないかも?  でも、気持ちは ありがとうね、これからは、雷の時は、電話して迎えに来てもらうね。

GIが海外勤務時の、空港土産のゴディバ。

ドラマチックで珍しいので、大事にとっていたけど、 もう缶は さびてた。年月は、早く過ぎるのね。

「姫窯」の猪。穏やかで優しそうな女性でしたよ。夫婦猪と一緒に。

  小さなギャラリーだけど、新天町にあるって大事だよ!

     陶器よりも,磁器って、白なので夏らしい涼しげな器になるね。素敵な花器がありましたよ。

           BAには、干支でもある猪が、手軽な買い物でした。

 

 

 

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大腸内視鏡検査

2019年08月06日 | 日記

 腹が痛い、腹が痛い。父は、直腸がんで亡くなったと姉が言ってたしね・・・。思い切って、大腸がん検査を受けることにしました。

 私は、薬嫌いの検査好き?年に3回は、検査を受けています。

 まず、①無料の「被爆二世健康診断」。② ほぼ無料の「市の検診」そして、③近くの内科医院での「年に1度ぐらいの血糖値・自分勝手受診」をしています。

 清潔で週刊誌のたくさん置いてある内科病院では、(先生、お久しぶりです。 主人がいつもお世話になってます。と、2か月に1回、高血圧の薬と検査に通っている夫の話をします)で、先生の足元が わらじ履きなのを確認します。(薬?いえ、いりません。また来ます) と言って帰ります。 何だか、主治医と言っちゃうのは、患者としておこがましい気がしますが・・・。   

 また、市の検診は、そろそろ止め時かな?とも思っています。胃カメラでグルっと逆さまに体を回転するのもねー、70代では、なかなか大変だよ。胸のレントゲンも、子宮がんもねー、もう毎年でなくっても いい年齢ですよね・・・。そろそろ、検診の自己判断を下す時ですね。

 特に最近は、血液検査で、色々ながんの有無が分かるそうですので・・・・。

 でも、腹は痛い、何故?昔っから痛かったけど,この頃は、頻繁すぎでは?  そりゃ、検査でしょ?(先生、紹介をお願いいたします)。

 で、大病院で「大腸内視鏡検査」となりました。(大腸内視鏡検査は、80歳以上ではしないほうが良いそうですよ)

 大腸検査は、前日から始まります。それは、便の排泄をして腸内を空にする準備を始めるため・・・。

 まず、朝。パンと水。(ヨーグルトは、消化が悪いので×とは、びっくり)

    

 昼食と夕食を、病院の売店で購入(1100円)を確認してからの検査署名でした。本気度を確認の意味もあるのでは? グリコの製品で、昼食は、おかゆと大根とジャガイモの鶏そぼろ煮。夕食は、おかゆと煮込みハンバーグ。期待してなかったせいかとても美味しかったです。

 そして、寝る前に下剤を飲みました。ピコスルファートナトリウム液。

 まあ、深夜の腹痛の酷いこと!   10回ぐらい(アイタターアイタタ)と、ベットとトイレの往復。途中で、隣のGIに悪いから廊下で寝ようか・・と思ったくらいの頻繁な下痢でした。

 翌朝は、シャワーを浴びて、気持ちも すっきりして出かけました。 

 万が一の心の用意はもう出来ていました。

 股関節の手術の経験上、入院の場合の病衣の下に着るTシャツを幾枚か買い揃え、電話してきてくれた読書会の古参T様には、検査を伝えていました。万が一、次回の会合に出席出来ない場合もありますものね。(私の責任ある場所と言えば、読書会ぐらいです)。    子や孫とは、思いっきり遊んだし、もう心残りは、ない。   大腸がんになっても、死ぬわけではないけど、様々な承諾書を読むと、不安は増しましたね。ペースメーカーや人工骨置換手術の人は知らせるようにとも書かれていましたが・・・(股関節は、関係なかったみたい)。

  

 病院では、まず、腸管洗浄液(モビプレップ)を1000ml、水を1000mlを 2時間かけて飲みました。同じ検査患者数は、10人ぐらい・・。隣の75歳の女性とおしゃべりしながら、ゆっくりと便意を待ちました。 4~5回で便が淡い黄色になったところで、順番に7つある個室へ次ぎ次ぎとー。

 上は、病衣、下はお尻の穴の開いた紙ズボンで、ベットに横たわりました。  まず、腸管の緊張をほぐす注射をしました。

 内視鏡検査は、なにしろ、痛くて 腹かき回されてる感じで すごかった!

 肛門から内視鏡を差し込むのだけど、なかなか入らず、ええ年こいて 初心で スイマセンという気分。

 ベテラン風の看護師の方のリードで、時々手を握ってくださったりして(力入れずリラックスして)(ハースーって言ったら楽だから、ゆっくりよ)とか、(苦しくっても、もうそこまで来てるからね)とか、また若いと思われる先生も(アッツ、ごめんなさいね)とか・・・。仰向いたときは、表情確認のためか お二人で(大丈夫ですか?目を開けてごらんなさい)と言われ、心配そうでした。多分、具合が悪くなる方もいるのだろうと思います。内視鏡が伸びる間は、おなかが抑えられるような痛み、押される、お腹が張る・・ずーと不快さは続きましたが、お二人の(もう半分来てますよ)とか(少し当たったね、ごめんなさい)といった優しい気づかいや(おならしてもいいですよ。お腹が張るとおならが出ますのね)といった言葉には、笑いが出そうだけど、おならどころじゃない痛さなんですが・・・といった心境でした。

 看護師と医者の絶妙な思いやり掛け合いに、患者が就いてゆく三位一体で成し遂げた大腸内視鏡検査でした。

 終わってから、看護師の方が(貴方には麻酔は要りませんよ。もっと痛がる人が、多いですよ)と言って、一度お尻を拭いてくださった後で、自分でパンツ穿くときにお尻を拭くための温かい紙おしぼりを下さいました。 ああー、有難く ここでも感動しました。

 勿論、先生も その前にお声がけしてくださってから退出されましたが、システムとしても患者にとっては、思いやりのある事ですよね。  有難うございました。(ハッハハ、看護師と医者のベテランと新人風の組み合わせ、私にとってラッキーでした)。

 

 ラストの、担当医師からの宣告! たくさんの画像を見せながらの 無事、どこもなんともないです。

 (でも、腹痛いっす)。(ほかの検査をしてみますか?)とも聞かれましたが、(やっぱ少し休みます)と答えると、(主治医には、僕から報告書郵送しましょうかね)と言ってくださいました。

 朝から、6時間の「大腸内視鏡検査」が無事終了しました。

 病院で「それでも、日本人は(戦争)を選んだ」加藤陽子(新潮文庫)を、読んでしまおうと思っていましたが、すっぱりと止めました。もうそんな気分じゃない! 生きるんじゃー!面白くって楽しいことだけで この世を生きるんだあ!

 運転免許返納。わが町、何の特典もなし。高齢者講習通知、5100円。ビリビリ破った!

 お隣から、高給食パンを頂いた。GIのジャムつけてパクパク食べました。

    いつも雑草が はみだして ごめんなさいね。GIは、雑草には目がいかないようです。

   暑すぎて花のない季節。外からポトスとブドウを持ってきて、目の保養。 

 

 

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保護者としての夏休み・9日間

2019年08月01日 | 日記

 さあ、初めての6人の孫のうち、東からの③11歳と⑤7歳とGI&BAと4人で過ごす 夏の9日間の始まりです。

                        

 まず、GIの心は、借り農園へと・・・。5日間、西で過ごす間に、住まいの南は、雨が続いていたようなので、どうなっている?

 

       

         孫たち 初の畑満喫?  カエルもお手伝い?

 

 翌日は、故郷へ墓参り。そして、4姉を誘って「島原シーサイドホテル」への1泊2日の旅へ。

 

 海沿いを行く長旅を想像していたら、山越え道ができていて 案外と近かった「島原城」へ。

 ここで 名物の「かんざらし」を、食べたね。お城の後ろは、平和記念像を作った北村西望の作品だらけで、ちょっと風変わり?

 「島原シーサイドホテル」のラムネ温泉が、妹の私からの姉へのお勧め一番でここを選んだのですが、昔っから品良い姉様は、(そんなー、お風呂は1回で良いよ)と、私が、ホテルに着いたら即入る楽しみの 日帰り兼用のラムネ温泉は笑いながら 却下。  でも、夕飯後の屋上露天風呂には、一緒に入りましたね。

 何やってんのかな?

 勿論、朝風呂なんかも姉様は、お入りにはなりませんよ。こちとら、元手は取らなくちゃあと、朝6時からの風呂に、ああー、いい気持ちー、   姉妹でも価値観の相違は、大きいんだねー。  GIと子供二人、BAと姉様の二部屋でしたが、BAは西から帰って直ぐの旅疲れが出てたのか、おしゃべりしながらも寝入ってしまって、ごめんなさい。姉妹だから許される失礼さだよね! ゴメン。

 のんびり一晩過ごし、朝食は、洋食でした。前夜の和食ご馳走よりもレベルが高いと思ったのは、ウエディングホールだったから?

 

 次の日は プール。

 

    GI様、何歳までこんなことできるかな?体力勝負だね。

 今年は、BAも少しプールに入って、子供たちの泳ぎを側で見ながら、さすが習ってるだけのことはあって、二人ともきれいなフォームで泳ぐのに拍手! 子供を褒めるって大事ね。ぐんぐん泳ぐ泳ぐー。

 GIと子供たちが泳いでいる間に、またBAは、温泉へ。4姉ちゃん あきれた?  ここでランチして、姉さまとは さようなら。

       子供たちに、たくさんのお菓子と飲み物 毎夏ありがとうございます。

  (家に帰ってからも、BAは、お風呂に入ったので一日3回の入浴ってことです。風呂大好き!)

 

 

 5日目は、スーパーのゲームセンターへ。東にも西にも子供だけでも楽しめる気楽なゲーセンてないのねー。南には、少しスーパーの規模が大きければゲーセンは、当たり前。コイン落としなんかは、大人がまるでパチンコのごとくやってますよ。その間にBAは、食品の買い物。

 

 6日目は、朝から 逆上がりと前回りの練習を近くの公園で。MAMAに動画を送って 安心させましたが、勉強は、こちらも熱心になれないし、子供達は、勉強から 隙あればゲームって気持ちが強いし・・・。当たり前だよね、勉強より好きなことして遊びたいよね・・・。

 この日は、GIとBAの思い出作りに、川への散歩と また畑へも。きっと彼らの気持ちは、色々と年寄りにつきあってあげたって気分では?

 

 

 7日目は、お天気だけど少々寒い・・・・。でも、子供達にとって、川とジョイフルのかき氷は、GI&BAの家で過ごす夏の定番となっています。(出かけよう。アレー、雨がジャージャーと強く降りだした)でもとりあえずと、川についてみると、昨夏と同じようにたくさんの家族連れ。嬉しいね。雨もすぐに止んだしね。山も川も、きれい!(股関節の手術をしなければ、こんな田舎の場所を探し当てれなかったと思うと、人生の出来事にマイナスなんてないっ!と思いますね)

                   

 もう一つ、ここでBAが嬉しかったのは、もうすぐ2歳の幼子と、7か月の赤ちゃんをおんぶして一人で来ていたママに声をかけて、赤ちやんを抱っこさせてもらったこと。もう我が家の孫は、GIにお任せでBAは川では手荷物の番だけだしね。( へっへ 赤ちゃんを抱っこする善行なんて、最高だね! ボランティアすることは、自分の喜び心の達成ってホントだね。赤ちゃん大好き,可愛いかったわ。)

 8日目は、BAの切なる願いが通じたのか、高校受験で大変な夏休みなのに、前の家の中3のお姉さんが、遊びに来てくれました。そりゃあ兄弟だけよりも、「太鼓の達人」だって、3人のほうが面白いものね。孫たちの内心の喜びがよーく分かったよ。

     午後は、最後のゲームとお土産買いに・・・。 

 

赤黒の宝石落としで、ママへのプレゼントだね。 BAには、4個だけで、ママには100個かい?

 

 9日目、前の家のお姉さんに、少し遊んでもらってから 最後の「博多ラーメン・ランチ」で、さようなら。

 

                 新発売のチャーハン 美味しかったね。

    忙しいのに遊んでくれて、こちらがアルバイト代出さなきゃいけないのに、お土産までありがとう!

 

 のんびりマイペースの11歳に比べて、はしっこい7歳には驚かされることが多くて・・!BAは疲れました。もしかしたら、この兄弟は、我ら4姉と5女のBAの昔の姿に似てる?  そういえば、4姉も小5も抜群のスタイルで口数少な目、BAも小2のように幼い時チビで自己主張するしゃべりだったわ・・。でも、大人をからかったりは、してなかったよ。プンプン。

                小さな「コナン」事件もあったね。  

 

 

 

 

 これ名前なんだったっけ、案外とかっこよいんだよ!作るの好きね、11歳。

  「グレートほねほねアシュラ」でした。8種類を組み合わせるのを、熱心にやってたね。

      まあ、二人とも、それぞれの人生、頑張れ!  大きくなれよ!

 保護者としてのGI&BAが意見の食い違いで、ちょっと不穏な空気を漂わせたりして、ごめんね。船頭は、一人じゃないとね。

 考えてみると、かっての子育ては、GIは仕事で忙しくてBAが一人で担ってました。難しいね、主張する家庭教育は・・・。

 

  へとへとに疲れましたが、71歳のGI&BAで出来るすべての行事をやった孫育ての 零和初年の夏の日々でした。

 ティラちゃん、BAの手作りで、バックも持ってるのね。

     ハイビスカスも、何年も咲くんだね。まさしく、真夏の一日花!メダカを見るハズキルーペを庭に置いてます。

 

 

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