朱の徒然

変形性股関節症の76歳

秋を探しに 一泊二日の旅

2016年10月30日 | 日記

 もう秋のはずなのに、ちっとも 秋めかない。

 そこでGIと二人で、唐津の秋を探す旅に出ました。

 やっぱ、唐津は すごい!        山や海が、複雑で 深くて 人が どこにでも 住んでいる。

 まず、目指したのは、宣伝力抜群の 呼子の「イカ刺し定食」で、新鮮イカの踊り食いの昼食。 長い長い曲がりくねった山道を通り抜けて着いた港は、思ったよりもずっと小さな港でしたが、人も食事処も多かった。それも、若いカップルの観光客が平日なのに多かったね。

 

 それから「名護屋城」へ。  すごいすごい! 秀吉の夢の跡が、ここまで大きく、きちんと残されているなんて・・・。

   

            

 420年前、唐津市鎮西町の高台17万㎡に、九州の大名たちに命じて わずか5か月で築城の「肥前名護屋城」。城の周りを囲んで160以上もの諸大名の陣屋が出来、20万人もの巨大な城下町へ。 それが秀吉の62歳の死で、たった7年での 廃城。

 朝鮮出兵の拠点として生まれた都市が、秀吉の死で パッと消え去るなんて・・。これは、幻?

 

 二度と作られないように 石垣の四隅は崩したという大名たちの怨念?

 その城の絵図面もなく、描かれた屏風絵のみで知ることができる天守台付きの大きな城・・。隣に、立派な建物の「名護屋城博物館」がありました。日本と朝鮮半島の友好がテーマの博物館だそうで、韓国語でも書かれ 韓国の方々も来られていましたね。

 朝鮮半島から伝わったという唐津焼や有田焼。連れてこられた陶工の方々の事を思うと、申し訳ない気がしますね。

 

 この頃、大麻草誘引で、脳が 身勝手な主張の犯罪を正当化する事件が起きましたが、桃山文化の奇抜な秀吉の陣羽織や、勝男山への強引な築城跡を見ると、殿、ご乱心だったのかな?と思わずには おられません。誰も止めに入れず、この城も引き継がず、一気に、  元の山麓に帰っている不思議さ・・・。「文禄・慶長の役」って何だったんだろう? 一人の関白に、これほどの事を許した時代があったとは・・。

 

 今、CGをふんだんに使って、ここまで、考えさせ、整備されている施設で、無料とは!   やっぱ、唐津は、スゴイ!

  宿泊は、「いろは島」へ。 翌早朝は、海の声を聴きながら散策。朝風呂で、お日様にご対面。

                    

   帰り道の「平木場ダム」を歩く気温は、23度。

 

 

                ようやく 秋めいてきましたかね でした。

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