朱の徒然

変形性股関節症の76歳

島原半島バス旅・・・・鉄旅オブザイヤー賞

2018年11月12日 | 日記

  2016年に「鉄旅オブザイヤー賞・準優勝」に輝いたバス旅ということで、各地から19台ものバス集結の旅でした。

 まず、幸せの黄色い列車の「島原鉄道」。私の中では、ここは ♪島原の子守歌♪ と、宮崎康平でしょ?でした。

     高すぎて、見上げても赤ちゃん見えず。

 あれ、♪五木の子守歌♪のように、古い民謡だと思っていたら、宮崎康平の作詞作曲だそうで、山梨の ♪縁故節♪ や、宗像近辺の ♪七夕の唄♪の盗作疑惑が・・・。1957年に島倉千代子で、大ヒット。私も「なしのきそだちって何?」と思いながら、大声で歌ってましたよ。

 ただし、我が孫達への子守歌って、何も歌わなかったような・・・。♪ねんね― 良い子だ ねんねーしなー♪位でしたね。何しろ、おんぶ帯でおんぶするのが大好きで、孫達は、おんぶするとすぐ眠ってましたね・・・。道行く人から、おんぶ帯が珍しいと よく声かけられてました。6人の孫、全員をおんぶしたという自負、自慢です!  赤ちゃんを おんぶするのは、幼い時からの夢だったんですよ。今だって、おんぶしたいわ!おんぶは、郷愁です。

 宮崎康平と言えば、盲目の島鉄の重役で昭和42年「まぼろしの邪馬台国」を書いた人。邪馬台国は、島原だった・・・。そりゃ若い時は、脚本家を目指していたって人だから、島原の発展を色々と願い考えてらしたんでしょうね・・・。なんか、火野葦平に似てるかなって思っていたら、同じ同人誌仲間ですって・・。(昭和55年の死去)ベストセラー作家ですよね。

 2日間だけの幸せの王国開催。島原、頑張ってますよ!

 

 次に、1792年、26年前に、15000人もの犠牲者が出た雲仙普賢岳の噴火後の火砕流で生まれた「平成新山」。 正面に くっきりと見渡せる場所に「ジオパーク」がありました。(2009年に日本初の世界ジオ(地球)パークに認定)。「がまだすドーム(雲仙岳災害記念館)」という立派な建物がありましたが、入館料1000円とか・・そりゃ大金出してまで、誰も噴火の解説なんか観らんよ。

 平成新山1483mの高きに、ただただビックリでいいよ。火口から湧き出した溶岩が冷えて固まった山が、こんなになるなんて・・。美しい有明の海までも すぐだよ。津波地震も怖いね・・・。それが まだ、活火山で 煙が見えてましたよ!

              

 隣の、これまた立派な「島原復興アリーナ」の、前には、大きな坂本龍馬風のサッカー選手が、adidas靴はいて・・。

          次の溶岩を止めようという心意気かな?

 平成にできた一番新しい山「平成新山」。ここを、もっと強調したらいいのにね。だって、平成が終わるから もう平成の新山は、出来ないんだよ。 もしも、今の時代に宮崎康平がいたら、もっと島原を新山と島鉄で有効に売り込めたのにね。

 最後の「仁田峠」の紅葉を楽しみにしてましたが、残念 もう過ぎてました。 でも峠は、一方通行なのが安全でいいですね。

 そうそう、島原行くなら、明治41年創業の「島原駅」へ どうぞ!

 

 

 島原駅から島原城を望む!なんで、電線で景観をズタズタにしたの?わざと?

   鯉駅長の さっちゃん。可愛いよ!両となりには、助役の金魚ちゃん2匹。駅長帽子も被れるよ!

            ジオ・マルシェと和太鼓で迎えて下さって、有り難うございました。

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