「母さん、ボヘミアン・ラプソディ観た? えー、まだ観てないの? 私達夫婦で観に行って、ラスト・ライヴなんて、感動感動よ!」
ン、絶対観ようと思いながら、なかなか一人になれず、忙しくしてる間に、娘夫婦に先越されるとは・・・。クヤシイ。
幸い、今日GIは、町内ゴルフ。夜は宴会で夕飯いらず。早速、映画「ボヘミアン・ラプソディ」へ、電車で出かけました。
平日午後からの開演で観客数8割の入り。135分間。多分、私一人では?70代は・・・。思ったよりみんな年齢層若かったね。
イギリスのロックグループ『クイーン』の、ボーカルのフレディ・マーキュリの伝記でしたが、私は、てっきりフレディーは、私よりも10歳ぐらい年下と思ってました。つまり、ロック好きの私に、曲の馴染みのあんまりない同世代のグループでした。
フレディは、タンザニア出身のペルシャ系のインド人(東アフリカ、ジンバブェ生まれのインド系移民の子)だそうですが、パキスタン人と言われてたね。ここらが、日本人には分からないね。1946年生まれ。8歳からインドの寄宿学校へ。1965年家族でイギリスへ移住。迫害とか、島国日本人には、よくわからない様々な感情のある人生だったんでしょうね。
でも、映画「ボヘミアンラプソディー」は、娘の言う通り、夢中で観た! 伝記ミュージカルとしては、TOP! ライブ最高!
最初に、フレディを見た瞬間!大好きな甲斐バンドの甲斐よしひろさんに似てる!と思いました。甲斐さんの方がイケメンですが、あの時代が風貌によく表れてましたね。 娘夫婦よ!甲斐バンド聞いてよ! 婿殿、次のカラオケは、甲斐バンドで頼むよ。BAが踊るから・・。
(甲斐さんは、ちょっとコケティッシュな桃尻娘と結婚されましたね)
フレディは、自分でバイセクシャルと自覚しながらも、メアリーの愛は欲しかったのね・・・。二人の心は、通じていたのにね・・。肉体関係って、そんなに重要なんだろうか? と 考えさせられました。 心と体って・・・。
後半 スパっと短髪にして、ゲイを強調することで、心を楽にしたかったのだろうか?(あの時代 噂として、短髪で清潔感に満ちて男らしい男ほどホモだから 女は気をつけろって言われてたものね)
それが ようやく、世間で 男同士の愛が偏見少なく認められだした時に、エイズが広がったんだったよね・・・。そんな時、クイーンのボーカル・フレディが、1991年エイズで45歳での早過ぎる死去って、全世界を怖がらせましたものね。
映画の中は音楽に満ち満ちていて、フレディー自身の歌声で、28曲もあり、ラストの1985年の「ライヴ・エイド」の21分は、主演のラミ・マレック(37歳)は、完全再現の凄味で、フレディそのものでしたね。 ワクワクする素晴らしさだった!
にしても、フレディの家には、壁にも日本画だし、室内着は、派手な女長じゅばん風だったし、日本て言葉も何度も出てたし・・・40年前は、日本て世界の中でも有力国だったんだね・・・。今じゃ、外国人労働者て言われてもオタオタ、プーチンに北方領土7%返還と高飛車に言われてもへーへー、韓国に今更70年以上前の補償金を又くれと言われて、清算したやろと言えないなんて、なんて弱い国になったものだね。
フレディは、移民コンプレックスをバネにして、孤独を武器に 永遠のキングに なったんだね。
そうそう、劇中のラジオの唄の歌詞 良かったね。 ♪ラジオ元気かーい?たしかに君の時代があったよね♪って歌ってたね。泣けた。
イケメン好きのBAですが、ドラム担当のロジャー。イギリスの俳優で27歳のベン・ハーディー。魅力的で可愛かったね。
(日本では、ボヘミアンと言えば、葛城ユキですが、あの歌の歌詞は飛鳥涼、作曲は井上大輔ですってね)
ボヘミアンは、自由奔放な生活をしてる人。ラプソディは、自由な楽曲ですって・・。ああー、音楽を堪能した豊かな半日でした。
冬を迎えるための花、シクラメン。