朱の徒然

変形性股関節症の76歳

三たびの海峡 と 海街Diary

2015年06月30日 | 日記

 1995年、大阪に住んでいる時「三たびの海峡」を観ました。監督は神山征二郎 原作は帚木蓬生。

 20年前、日本はバブルに踊り狂っていました。お金が、不動産が、人が、えーほんとに こんなでいいの?

と大人は思いながら、地に足がつく時期を待っているような状態でした。私も大阪で、頑張って、そろそろ潮時。大都会を引き上げて、家族の今後の生活の拠点を定める時期にありました。

 そんな時に「近くて遠い国」として、知らんふりしてきた韓国との合作映画が初めて作られたと評判でした。

 玄界灘が舞台で、南野陽子の恋人役が韓国の俳優で、三国連太郎が後半を演じると・・・。

 朝の梅田の東映映画館は、人はまばら。私は、ボタ山も石炭も見たことがありませんでした。(幼いころ、黒いダイヤと言ってるので、かけらでもよいから欲しいと思ったくらい無知でした)

 でも、そんな私でも、何となく日本人の加害の歴史は知っていましたが、こんな形で、自然に創氏改名、強制連行等の全てを教えられたことは、初めてでした。映画の中で流れるチャンウンスクとチョウオクスンの歌声は哀愁に満ちていて、胸が塞がる思いでした。   韓国の「恨みは深し」が日本人には辛いけど、よくわかる映画でした。

        「あなたは、海ではなく、   海の向こうを見ていたんですね・・・。」

 気楽に入った映画館で、玄界灘が「恨の海峡」と知りました。そして、この映画が在日系の企業の後援と在日同胞青年商工人会議所の募金7億円で出来ていることを・・。だから、原作も、当然韓国の方と思っていました。それが、私と同世代の日本人と知って、本当に嬉しく頭が下がりました。だれもが忘れたいけど、忘れてはいけない日本人の冒した罪の重さを真正面からとらえられていました。

  新しい時代の幕開けを感じました。

 この映画を観て、ヒューマニズムに溢れた「帚木蓬生」の本を一緒に誰かと読みたいと思い、読書会を立ち上げたわけです。まさか、作者が福岡在住の方とは・・。そんなに高名な方とは・・。私の勝手に読書会です。 

  それが、 今や読書会は、私の生きる支え!  16年という本 との歳月は、私のライフワークとなっています。

 で、このたび、20年ぶりに「三たびの海峡」が上映されると聞いて、先日、雨の中、出かけました。

 ホールは満席で、団塊の世代以上の男性が多かったと思います。   アジアに韓国に日本が目を向けてから、まだ20年しか経っていないのですね。親しみや近しさはやっぱり芸術から始まるのですね。

 最初の第1歩は「三たびの海峡」からで、 次がヨン様でしょうか?

 でもなーんだか今は、また遠くなった? 領土以外の全てに譲りましょうよ。敗戦国ですもの。

 「三たびの海峡」をプロデュースした(許 永中)を知っている人は、かなりの 経済通でしょう?

  20年経って、フィルムも、もう擦り切れてる感じでしたが、今こそ、この映画で若者に侵略の過去を教えて!

 

  昨日は、  「海街Diary」という東宝映画を観ました。4姉妹の物語ですが、食事やくつろぐ風景が多かったのですが 胡坐をかいての食事や片膝立ててとか ありえない。私は5人姉妹ですが、きちんと正座の姿勢が日常でした。今でも日本人は普段でも正座でしょ?周りの若い人も胡坐や立膝しませんよ。やーだわ。カンヌに恥ずかしい!

 まあ、一週間に2回も映画を観て、ショッピングして、喫茶店で週刊誌むさぼり読んで  元気な67歳の夏です。

   

 シンガポールのおみやげは、日傘よ。マレーシアは、なんか可愛い 街と田舎の共存した国。

 

一番好きなのは、我が家の風呂。窓の向こうには、3か所目のゴーヤが。

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