赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』

すでに生起して戻ることのできない変化、重大な影響力をもつ変化でありながら一般には認識されていない変化について分析します。

戦後思想の転轍点 コラム(415)

2022-05-09 13:51:12 | 政治見解



コラム(415):戦後思想の転轍点

「ウクライナを非ナチ化する」と主張してロシアはウクライナへの侵略を開始しましたが、一方のウクライナはロシアを「ナチス・ドイツが欧州にもたらした悪の再現だ」と非難しています。双方がナチス・ドイツを批判する形ですが、これをドイツ国民はどう感じているのでしょうか。


ドイツ人のナチス観

日本人だったら、ことあるごとに「日本は軍国主義」と言われれば気分が悪くなると思いますが、ドイツ人はナチス呼ばわりされても自分とは無関係と割り切っているようです。なぜなら、一般に、ドイツ人の殆どが「ヒトラーとナチスが起こした戦争と犯罪」という言い方をしているからです。

要は、①ドイツ人はヒトラーにだまされナチスに扇動されていた。②虐殺という戦争犯罪はヒトラーとナチスの罪であり、その他のドイツ人は知り得なかった。③戦後補償の義務は新生ドイツとドイツ人が負うが、戦争犯罪の責任はヒトラーとナチスにある、という論法のようです。

したがって、「第二次世界大戦におけるドイツ軍の加害行為を謝罪すべきだ」と考えるドイツ人は、一般市民や政治家はもちろんリベラル派の知識人のなかにもほとんどいないといいます。割り切り方がすごいですね。


戦後日本の戦争解釈

翻って、同じ敗戦国である日本はどうかと言えば、「国際的包囲網のなかで戦争に踏み切らざるをえなかった」と主張する人よりも、「戦後50周年の終戦記念日にあたって 【※1】(いわゆる村山談話)」の「植民地支配」、「侵略戦争」として認識している、あるいは認識させられている人の方が実際はかなり多いと思います。口で言うことは避けているだけです。

【※1】リベラル左派の手による談話には「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」とある。のちの2006年、社民党の福島みずほ氏が、この談話を安倍内閣は踏襲するか否かを質問主意書で問いただしている。

「日本の侵略戦争」という考え方は、東京裁判(極東国際軍事裁判)で勝者が敗者を裁くために用いられたもので、日本の戦争目的である大東亜戦争という呼称もアメリカの呼称である太平洋戦争に変えられました。仮に、勝者と敗者が入れ替わっていたならそのような評価にならないことは誰にでもわかることです。

ただ、当時のソ連の工作員として日本転覆をはかる日本共産党、日本社会党などにとって「日本の侵略戦争」と言う言葉は、戦前の日本を全否定する最高の論理であり、あらゆる機会や教育の場で繰り返し強調されてきました。

いまでも高齢者になればなるほど一定の反体制左翼が存在するのは、「日本は悪い国だ」と教え込まれていた時代の名残りです。それゆえ、今日の国際情勢下にあっても、反体制左翼に学んだ高齢者世代ほど「改憲」という言葉を聞くだけで条件反射的に身構えてしまいがちです。改憲=戦争と連想するように刷り込まれています。

しかも、彼らは反米主義者なのですが、アメリカが押し付けた憲法はありがたく守るべき対象のようで、この矛盾はどう解決しているのか実に不思議です。多分、そのことについては知らぬ存ぜぬで通しているようです。


右派にとっての戦前と戦後

一方で、これら反体制左翼に反発する人も一定数存在します。このような人を仮に右派と呼ぶと、右派には二通りの考え方が存在します。

その一つが、戦後の左翼を全否定するあまり戦前の日本に拠り所を見出しいつのまにか戦前の論理で議論を進める集団で、もう一つが、現状の日本を冷静に見て良いところだけを選別しこれを発展させていこうとする集団です。これらをよく観察してみると前者に高齢者が多くいるように見受けられます。

とくに、前者の特徴はGHQの占領政策批判をベースに戦前の日本を強く肯定します。先日、「GHQが禁じた明治日本の姿」という謳い文句の本を、郵送費のみ負担ということで手に入れましたが、その関係で、関連メールがたくさん寄せられるようになりました。

メールの内容は、若いころから右派の組織運動をしていた私にとっては知っていることとはいえ、妙に違和感がありました。GHQと戦後左翼を否定するあまり、あまりにも戦前を肯定化しすぎているのです。戦前を知ることは歴史を知ることの一環として必要ですが、行き過ぎた肯定は、偏狭なナショナリズムを煽りそうな雰囲気でした。おそらく、何事にも束縛されない考え方の若い世代には、受け入れられないと感じました。


戦争後の風景がかわる

さて、話をウクライナ問題から改めて考えてみますと、いまウクライナで起きていることは地理的に遠い国の戦争でありながら、精神的、思想的に強い影響を与える近い戦争になっていると思います。それは、日本が外国から侵略を受けた場合、日本人が戦後の精神的、思想的呪縛から解き放たれて、ウクライナの人びとのように立ち上がることができるのかが問われているからです。

おそらく反体制左翼の人は真っ先に逃げ出すでしょう。事実そういっている人は多い。右派もどうなるかわかりません。とくに戦前を積極的に肯定する人ほど信頼できないことは長年の経験から理解しています。酒を飲んでは悲憤慷慨するだけの人があまりにも多かったからです。

なお、戦争と言う行為は、物質的なものすべてを破壊するだけでなく、従来の考え方や価値観までもご破算にしてしまいます。ちなみにロシア軍のやっていることはウクライナの文化破壊だけでなく、戦時国際法などの決まり事さえ破壊していることからも明らかになると思います。

この事実を客観的に見れば、戦争がこれまでの様々なルールを破壊していく過程で、戦争後は従来の価値観とは全く違う世界観が訪れることになると思います。

この意味するところ、戦後80年近くが経つわが日本でも、戦後の呪縛された思想や価値観が音を立てて崩れることを意味します。いま、その転轍点の上に、私たちは差し掛かっているといえます




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