ちくわブログ

ちくわの夜明け

老いと死をみる

2011-07-23 03:34:31 | Weblog
4月のはじめ、母方のばあちゃんが亡くなりました。



その頃、公私共に少し忙しく、震災の後で原発が問題化し、日本はこれからどうなるんだろう・・・と誰もが考えている頃でした。

自分もその日、やることがありつつもテレビをつければぽぽぽぽーんのCMやら原発やらで、日常とは少し違う日常の連続に疲れていた頃でした。

作業を終えるとすっかり朝になり、寝ようとしたところ・・・母からの電話。こんな時間に、ということは、と思ってたらやっぱりな展開。

「もしもし。どした?」
「ばあちゃん、危篤だって。私は今から飛行機で向かうから。何かあったらまた電話するね」

ああーーー という感じ。
何はともあれ後の事も考えて寝なければ、と無理やり寝る。しかし寝れるはずもない。心臓がドキドキしてました。
自分でも寝たのか寝てないのか分からないまま、気付くと昼前。
実家の熊本に到着したであろう母に電話すると、まさに、ちょうど息をひきとったところでした。

母は泣きながら
「今、ばあちゃんが亡くなったの。まだ聞こえるかもしれないから、電話耳にあてるから、なんか喋ってあげて」

冷静に考えれば聞こえるわけない。死んでるのだから。
聞こえるわけないのだろうが、それでも死後の世界というものがあればなにかしら届くものかも知れない、と思い、こっちも錯乱状態でなぜか口から出てきたのは
「ばあちゃん、ばあちゃん、おつかれさま」
という言葉。
言っているうちに涙がドバドバ出てきて、声にならない状態に。

電話を切り、少したってから「おつかれさま」ってなんなんだよ・・・と思い、急いで熊本行きの準備をしました。


2日後に撮影の予定が入っていたので、渋谷の事務所に向かう。
実はスーツというもの、かなり昔のしか持っていなかったので、行きがてらついでに新調。
事務所に着き、社長に詫びてディレクションを交代してもらう。
「とんでもない、こういう時のチームですから。早く帰ってあげて下さい」

チームとか、あまり意識したことなかったけど、本当にありがたく思いました。

そのまま羽田空港へ。
最終の便で鹿児島空港へ飛ぶ。到着したのは21時前でしたが、熊本へのバスはもう終わっていました。
こうなると付近で泊まるか、タクシーで行くしか無いわけですが、せっかく急いで文字通り飛んできたのに、泊まるとかバカらしい、と思いタクシーで向かうことに。

母の実家に着いた頃には、メーターは15,000円をまわっていました・・・。あの光景は忘れがたい。


おじさんとおばさんに挨拶し、ばあちゃんの遺体と対面する。
涙は一滴も出なく、不思議と何も感じませんでした。



翌日。
庭でおばさんがお通夜と葬式の準備に、煮物とご飯を炊いていました。




おいしそうだね、と隣で見ていると、おこげを使ってオニギリを握ってくれました。


軒先から見える一本の木に、みごとな桜が咲いていました。
この頃、本州ではもうすぐで満開だ、というところでした。


飼い犬のゴマは何かを察しているのか、いつものようにうるさくはしゃいだりせず、散歩以外ではおとなしくしていました。


その日の夕方、お通夜のためにお葬式場に行き、しばらく会っていなかった親戚や、いとこなんかと再会。
前に会った時は小学生だった従姪(いとこの子供)は一気に女子高生となっており、なんだか不思議な気持ちになりました。

夜は遅くまで飲み、ばあちゃんの遺体の前でめったに会えないいとこと、孫同士の語らいをしました。



翌日。
お葬式と火葬。

参加してみて思ったのですが、お葬式とお通夜って、やることがあまり変わらないのですね。

火葬場にマイクロバスで移動し、火葬。
帰り、母はフラフラになるくらい泣き崩れて、それを支えるのにずっと横で抱いていました。
母は4人兄妹の末っ子で、孫である自分から見ても、ばあちゃんに一番なついている子供だったように思います。



翌日。
せっかく熊本まで来たので、いくつかの墓参りに行きました。
その後、母と父とで人吉城跡へ。
桜が綺麗に咲き誇り、たいへんよい眺めでしたが、震災の影響か、花見客はまばらでした。
城跡自体にあまり人がおらず、シーンとしていました。
上まで登ると人吉の町が一望でき、母は若い頃の思い出話を始めました。
「結婚する前はあの辺のお花屋で働いてたの」
とか。




次の日、朝一で東京に戻りました。
飛行機の中で一人になった時、自分はいい孫ではなかったなあ、と、ふと思いました。
わたしがある程度成長し、ばあちゃんがその分老いてくると、その差だけお互いどう接していいかわからなくなってくる。
電話をしても言葉につまり、お互いすぐ切ってしまう。

前読んだ何かの本で「死にゆく人間と向き合う時こそ、その人間の価値が問われる」といったことが書いてあり、まさしく自分はダメダメだなあ・・・と。


飛行機の窓から外を眺めたら、眼下に雲と九州の大地が広がっていました。
天国というものがあって、それがほんとに上に上昇する過程を経るとしたら、こんな景色もばあちゃんは見たのだろうか、とバカなことを考えていました。

コメント
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