妙義山と連合赤軍の関係についてや、一度目の訪問記は 連合赤軍を巡る 【3】 迦葉ベース・妙義ベース を参照。
メル斗さんと共に、前回果たせなかった「妙義山ベース」発見のため、二人で再び妙義山へ。
国民宿舎前に車を停め、カメラ二台抱えて出発。
前回は時間の都合などで行けなかったが、今回はもっと深くまで入ろう、と。ある本についていたおおまかな地図と、web上の資料を手に、だいたいの位置をつかむ。
しかし見つからず、どんどん登ってしまう。軽い日帰り登山になってしまった。かなり急勾配な場所も登った。わたしは1回こけた。
しばらく進み「あきらかに行き過ぎでは」ということになり引き返す。帰りながらも再びじっくり見ていく。
しばらく戻ると「何かあやしい」と横道(道じゃないけど)に入っていったメル斗さんが「あった!!」。
行くとそこには間違いなく当時のままの「妙義山の洞窟ベース」があった。
これに間違いない、資料とも合致している、と二人で喜ぶ。見つけたのはわたしではないけど・・・
中は真っ暗で、入るのは怖い。勇気がいる。ヒンヤリとしていて、天井からポタポタと水がしたたった。
広さは十畳ほど?高さは中腰で、たまに背中がすれるほど。先住の何かがいるのでは、と怖かったが、小さな羽虫以外は何もおらず。
ただ、あまりに真っ暗すぎてカメラに映らない。ここに来て二人して「なんで懐中電灯を持ってこなかったのか・・・」と悔やむ。
仕方なく、自分のiPhoneとメル斗さんの携帯の電灯機能を使い、ビデオカメラはゲインとシャッタースピードでギリギリまで明るくしてなんとか撮影する。悔しい。
中から見上げた様子。
ずっといるとジメジメヒヤヒヤしてくる。これは本当に一時しのぎのアジトにしかならないな、と思った。
中、外観と一通り撮影。
最後にここで亡くなった山田孝さんへ、手を合わせる。
12時過ぎに入山したのに、出たのは16時前だった。やはり場所が確定していないとなかなかきつい。
次いで、山田孝さんの埋葬場所(亡くなった山田さんを、メンバーが埋めた場所)を探しに。
某書をたよりに山の中の道路をうろうろするが、見つからず。撤去されていなければそこに「群馬赤軍No.7」との標識棒が立っている。
途中、迷い込んだ山中の家で、おじいさんに聞く。すると「ああ、山田孝ちゃんな」と言っていた。“ちゃん”と呼ぶ、そのおじいちゃんにとっては、それだけ若い命が亡くなったという認識なのだろう。
結局、すぐ近くまで来ていると思われるので、そこで花と線香、タバコを供え手を合わせる。
この日、山田さんの最後の言葉「総括しろだって! ちくしょう!」という無念の声が、ずっと頭にこびりついていた。
メル斗さんと共に、前回果たせなかった「妙義山ベース」発見のため、二人で再び妙義山へ。
国民宿舎前に車を停め、カメラ二台抱えて出発。
前回は時間の都合などで行けなかったが、今回はもっと深くまで入ろう、と。ある本についていたおおまかな地図と、web上の資料を手に、だいたいの位置をつかむ。
しかし見つからず、どんどん登ってしまう。軽い日帰り登山になってしまった。かなり急勾配な場所も登った。わたしは1回こけた。
しばらく進み「あきらかに行き過ぎでは」ということになり引き返す。帰りながらも再びじっくり見ていく。
しばらく戻ると「何かあやしい」と横道(道じゃないけど)に入っていったメル斗さんが「あった!!」。
行くとそこには間違いなく当時のままの「妙義山の洞窟ベース」があった。
これに間違いない、資料とも合致している、と二人で喜ぶ。見つけたのはわたしではないけど・・・
中は真っ暗で、入るのは怖い。勇気がいる。ヒンヤリとしていて、天井からポタポタと水がしたたった。
広さは十畳ほど?高さは中腰で、たまに背中がすれるほど。先住の何かがいるのでは、と怖かったが、小さな羽虫以外は何もおらず。
ただ、あまりに真っ暗すぎてカメラに映らない。ここに来て二人して「なんで懐中電灯を持ってこなかったのか・・・」と悔やむ。
仕方なく、自分のiPhoneとメル斗さんの携帯の電灯機能を使い、ビデオカメラはゲインとシャッタースピードでギリギリまで明るくしてなんとか撮影する。悔しい。
中から見上げた様子。
ずっといるとジメジメヒヤヒヤしてくる。これは本当に一時しのぎのアジトにしかならないな、と思った。
中、外観と一通り撮影。
最後にここで亡くなった山田孝さんへ、手を合わせる。
12時過ぎに入山したのに、出たのは16時前だった。やはり場所が確定していないとなかなかきつい。
次いで、山田孝さんの埋葬場所(亡くなった山田さんを、メンバーが埋めた場所)を探しに。
某書をたよりに山の中の道路をうろうろするが、見つからず。撤去されていなければそこに「群馬赤軍No.7」との標識棒が立っている。
途中、迷い込んだ山中の家で、おじいさんに聞く。すると「ああ、山田孝ちゃんな」と言っていた。“ちゃん”と呼ぶ、そのおじいちゃんにとっては、それだけ若い命が亡くなったという認識なのだろう。
結局、すぐ近くまで来ていると思われるので、そこで花と線香、タバコを供え手を合わせる。
この日、山田さんの最後の言葉「総括しろだって! ちくしょう!」という無念の声が、ずっと頭にこびりついていた。