よろずよもやまよろずたび

地元の写真と日々の雑感、写真日記です.
最近は陶芸三昧の日々ですが・・・

いやはや・・・古九谷論争

2012-10-17 | 陶芸

一連の古九谷絡みの本を読んでみて、古九谷論争というのは、どうやら骨董商の代理論争なのかもしれません。

で、伊万里の骨董品が 「古九谷だよ~」 といえば沢山売れて儲かる、それを扱う骨董商のロビー活動が勝利した・・・といった感じです。

「儲かれば何でもあり」 の世界なんでしょうか。

それは、なにも伊万里に限ったことではないようで、古九谷を扱った大聖寺の骨董商についても大っぴらに出来ないような逸話を残しているそうで、結局のところ伊万里も古九谷も、そうした商魂に翻弄されてメチャクチャな歴史を作り上げられてしまったといった気がします。

対して、それぞれの地でコツコツと作り続ける陶工たちにすれば、伊万里でも論争自体「ばかばかしくて話しにならない」という人が多いそうです。

しかし、その結果として古九谷が伊万里焼古九谷様式になってしまっては、九谷焼のブランドにケチがついたようなもので、当地の不利益は計り知れないものがあるように思います。

もし、有田で焼かれていたとしても、たとえば、『 トヨタのヴィッツはダイハツで生産しているので、「ダイハツトヨタ様式ヴィッツ」というのが正しい 』 だから直しなさいと行政指導されるようなものです。

そんなことにならないのは、産地が何処であろうがトヨタはトヨタで、九谷焼は九谷焼であるはずなのです。

ところで、古九谷伝世品の多くが石川県に伝えられている理由として、伊万里焼説を推す人の中には 『加賀藩が有田に様式を指示して焼かせた』 との主張があるそうです。 それこそブランド名は 『古九谷=九谷焼 』 でなければならないはずなのです。

それなのに「伊万里焼古九谷様式」 とは、モノ作りを大切にする日本文化を侮辱するような所業・・・なんて大げさか。

とにかく、産地それぞれに作り手としての誇りがあるわけで、それを捏造による証拠固めで傷つけられていることに、「古九谷論争の最期」の著者は怒り心頭に発しギャワズベラなのです。 

でもって、それに同調している自分であります。


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