(今日の写真は、マンサク科マンサク属の落葉小高木「マルバマンサク(円葉満作)」の実である。北海道の西南部から本州東北北部の日本海側及び鳥取県までに分布している。基本種のマンサクは関東以西に分布し、葉の上半部は丸くなく三角形である。
この実はまだ若い。今月の22日に、ミズナラ林の踏み跡道脇の比較的日当たりのいい場所で撮影した。やがて、葉が落ちて雪が降り出す頃には、この緑色の果実は堅くなり、薄い黄色から褐色へと変わる。そしてそのまま、冬を過ごして早いものは2月にも「花」を咲かせる。
一昨年、弥生登山口近くで、1月4日に「開きそうな」蕾を見た時は驚いた。降雪が少なくて、例年ならば積雪の下に埋もれて「陽光」など浴びることもない株の数枝が、年末年始の異常な暖かさに「耐えかねて」蕾を開こうとしたものだろう。
「マルバマンサク」はこの「実」を枝につけたままで「花」を咲かせる。これが、「マンサク」の学名、「Hamamelis japonica…」のハマメリスになっている。ギリシャ語のhama「ともに」とmelon「リンゴ、果樹の実」の2語からなっていて、「花と果実が同時についていること」によるのである。それにしても、ギリシャ語のmelon「メロン?」がリンゴとは奇妙な気分になる。
岩木山ではまだ、見かけたことはないが、「マンサクの葉枯れ被害」が全国的に広がっているそうである。
それは、新緑の中で、最初は樹冠の一部の葉の葉柄部分が茶色く枯れ出して、数日間で壊死が広がり、1~2週間で木全体が「茶色い立ち木」になってしまうというものだ。 さらに年追うほどに異変は葉の壊死や立ち枯れだけではなく、虫瘤(虫えい・むしこぶ)が、大量に出るようになっているという。だが、これは、マンサクにつく、一般的な「マンサクメイガフシ」のものとは違っているそうだ。
この「マンサクの葉枯れ被害」は1998年に愛知県で初めて発見され、02年時点で、新潟、山形、福島県などの日本海側や東北地方などでも、被害が出ているのだそうだ。しかも、山に自生する「マンサク」だけでなく、園芸品種にまで、被害が出ているというのである。だが、その原因はいまだに「不明」であるという。ただ、「フィロスティクタ属の菌」が病原菌ではないかとの疑いはあるが、再現実験ではまだ、確証が持てない段階だとも言われている。
「マルバマンサク」は、雪国の里山にあって、低木の中の優先種であり、人々の暮らしと共にあった樹木である。材や樹皮が強靱なので、「ワカン」の材料や炭俵を縛るのに用いられた。飛騨地方では「ネソ」と呼んで、今でも合掌造りの軸組みで柱を縛る材料に使ったりしている。また、一方では「燃料」として「柴」として刈りとって使っていたのだ。だから、1年を通して一番の伐り倒される木はこの「マルバマンサク」の木であったのである。
しかし、昭和30年代の燃料革命による化石燃料の使用で、炭、薪、柴、杉葉などの需要を激減させ、里山の樹木は見捨てられ、「里山」は人によって「放置」されてしまったのである。このような人間によるいい意味における「攪乱」が現在の里山にはないのだ。
「攪乱」を受けない里山、手入れをして貰えない里山は、現在は「暗い藪の山」となっている。そのような手入れのされない中で、薪炭材として利用されていたミズナラは老齢化し、それらが「カシノナガキクイムシ」に次々に倒されている。
そして、身近な燃料や生活道具として伐採を繰り返されて来たマルバマンサクも、はびこり過ぎて、暗く風通しの悪い森を造り、その中で喘いでいる。
岩木山の山麓中高部は、この津軽地方に残された唯一と言っていいほどの「里山」である。幸い、まだ、「マルバマンサク」の「葉枯れ被害」も見られないし、「ミズナラ」の「カシノナガキクイムシによる立ち枯れ」も散見されていない。
しかし、山麓集落の人たちによって、「手入れ」がされているようには見えない。このままだと、いつ岩木山の「マルバマンサク」や「ミズナラ」が立ち枯れになってしまうか分からない。私はそれを恐れている。)
◇◇System Diskとして使っていた「SSD」が壊れた(2)◇◇
コンピュータの自作マニアの間に「人身御供」という言葉がある。これは、「新しい機器や部品」を使い、それが理由も分からないまま「壊れて」しまうことを指している。
つまり、自分で購入した「新しく開発された機器や部品」を、知らないまま「メーカー」の実験・検証台にされるということである。「メーカー」は、その有償の対価を、ちゃっかりと無償の対価として、そしらぬ顔で改善を加えて「まっとうな機器や部品」にしていくことを指しているのだ。「初めて使う人」からすると、これはまさに、自分を生け贄として差し出しているようなものである。
だが、これはよくあることで、発売最初の「新品」にはそのような「リスク」はつき物であると考えた方がよさそうである。
だが、価格が60.000円近くになると、そう言って「諦めること」は出来ない。そこで、販売店に問い合わせたら、何と驚き、「弊社は販売だけを扱っており、修理等の業務はしていない。販売代理店に直接問い合わせてほしい」というのである。物品を買うときは修理という業務と連動している「販売店」からにするべきであることを初めて体験したのである。
そこで、「販売代理店」に問い合わせたら、今度は「販売店からの修理依頼書がなければ対応出来ない」という答えである。手間のかかることであるが、何とか対応して貰い、修理なり、同種で別な製品との交換なりをして貰わなければいけないので、もう一度「販売店」に「修理依頼書」の発行を依頼した。だが、やはり、それは「出来ない」ということであった。今度は、そのことを「販売代理店」に告げる。
そのようなやりとりが続いたところで、「販売代理店」から「販売店」に「修理依頼書」の請求があったらしく、「販売店」から「当該製品」を送って欲しいとの連絡がようやくあったのである。(明日に続く)
この実はまだ若い。今月の22日に、ミズナラ林の踏み跡道脇の比較的日当たりのいい場所で撮影した。やがて、葉が落ちて雪が降り出す頃には、この緑色の果実は堅くなり、薄い黄色から褐色へと変わる。そしてそのまま、冬を過ごして早いものは2月にも「花」を咲かせる。
一昨年、弥生登山口近くで、1月4日に「開きそうな」蕾を見た時は驚いた。降雪が少なくて、例年ならば積雪の下に埋もれて「陽光」など浴びることもない株の数枝が、年末年始の異常な暖かさに「耐えかねて」蕾を開こうとしたものだろう。
「マルバマンサク」はこの「実」を枝につけたままで「花」を咲かせる。これが、「マンサク」の学名、「Hamamelis japonica…」のハマメリスになっている。ギリシャ語のhama「ともに」とmelon「リンゴ、果樹の実」の2語からなっていて、「花と果実が同時についていること」によるのである。それにしても、ギリシャ語のmelon「メロン?」がリンゴとは奇妙な気分になる。
岩木山ではまだ、見かけたことはないが、「マンサクの葉枯れ被害」が全国的に広がっているそうである。
それは、新緑の中で、最初は樹冠の一部の葉の葉柄部分が茶色く枯れ出して、数日間で壊死が広がり、1~2週間で木全体が「茶色い立ち木」になってしまうというものだ。 さらに年追うほどに異変は葉の壊死や立ち枯れだけではなく、虫瘤(虫えい・むしこぶ)が、大量に出るようになっているという。だが、これは、マンサクにつく、一般的な「マンサクメイガフシ」のものとは違っているそうだ。
この「マンサクの葉枯れ被害」は1998年に愛知県で初めて発見され、02年時点で、新潟、山形、福島県などの日本海側や東北地方などでも、被害が出ているのだそうだ。しかも、山に自生する「マンサク」だけでなく、園芸品種にまで、被害が出ているというのである。だが、その原因はいまだに「不明」であるという。ただ、「フィロスティクタ属の菌」が病原菌ではないかとの疑いはあるが、再現実験ではまだ、確証が持てない段階だとも言われている。
「マルバマンサク」は、雪国の里山にあって、低木の中の優先種であり、人々の暮らしと共にあった樹木である。材や樹皮が強靱なので、「ワカン」の材料や炭俵を縛るのに用いられた。飛騨地方では「ネソ」と呼んで、今でも合掌造りの軸組みで柱を縛る材料に使ったりしている。また、一方では「燃料」として「柴」として刈りとって使っていたのだ。だから、1年を通して一番の伐り倒される木はこの「マルバマンサク」の木であったのである。
しかし、昭和30年代の燃料革命による化石燃料の使用で、炭、薪、柴、杉葉などの需要を激減させ、里山の樹木は見捨てられ、「里山」は人によって「放置」されてしまったのである。このような人間によるいい意味における「攪乱」が現在の里山にはないのだ。
「攪乱」を受けない里山、手入れをして貰えない里山は、現在は「暗い藪の山」となっている。そのような手入れのされない中で、薪炭材として利用されていたミズナラは老齢化し、それらが「カシノナガキクイムシ」に次々に倒されている。
そして、身近な燃料や生活道具として伐採を繰り返されて来たマルバマンサクも、はびこり過ぎて、暗く風通しの悪い森を造り、その中で喘いでいる。
岩木山の山麓中高部は、この津軽地方に残された唯一と言っていいほどの「里山」である。幸い、まだ、「マルバマンサク」の「葉枯れ被害」も見られないし、「ミズナラ」の「カシノナガキクイムシによる立ち枯れ」も散見されていない。
しかし、山麓集落の人たちによって、「手入れ」がされているようには見えない。このままだと、いつ岩木山の「マルバマンサク」や「ミズナラ」が立ち枯れになってしまうか分からない。私はそれを恐れている。)
◇◇System Diskとして使っていた「SSD」が壊れた(2)◇◇
コンピュータの自作マニアの間に「人身御供」という言葉がある。これは、「新しい機器や部品」を使い、それが理由も分からないまま「壊れて」しまうことを指している。
つまり、自分で購入した「新しく開発された機器や部品」を、知らないまま「メーカー」の実験・検証台にされるということである。「メーカー」は、その有償の対価を、ちゃっかりと無償の対価として、そしらぬ顔で改善を加えて「まっとうな機器や部品」にしていくことを指しているのだ。「初めて使う人」からすると、これはまさに、自分を生け贄として差し出しているようなものである。
だが、これはよくあることで、発売最初の「新品」にはそのような「リスク」はつき物であると考えた方がよさそうである。
だが、価格が60.000円近くになると、そう言って「諦めること」は出来ない。そこで、販売店に問い合わせたら、何と驚き、「弊社は販売だけを扱っており、修理等の業務はしていない。販売代理店に直接問い合わせてほしい」というのである。物品を買うときは修理という業務と連動している「販売店」からにするべきであることを初めて体験したのである。
そこで、「販売代理店」に問い合わせたら、今度は「販売店からの修理依頼書がなければ対応出来ない」という答えである。手間のかかることであるが、何とか対応して貰い、修理なり、同種で別な製品との交換なりをして貰わなければいけないので、もう一度「販売店」に「修理依頼書」の発行を依頼した。だが、やはり、それは「出来ない」ということであった。今度は、そのことを「販売代理店」に告げる。
そのようなやりとりが続いたところで、「販売代理店」から「販売店」に「修理依頼書」の請求があったらしく、「販売店」から「当該製品」を送って欲しいとの連絡がようやくあったのである。(明日に続く)