(今日の写真は、スイカズラ科ガマズミ属の落葉小高木「カンボク(肝木)」である。
北海道、本州、四国、九州に分布して、やや湿った陽当たりのいい林縁などに生え、高さが5~7mほどになる落葉性の小高木である。
花は5月から 6月にかけて咲くが、花の時期には、ノリウツギ、ケナシヤブデマリ、ガマズミ、イワガラミ、ツルアジサイなど似ている花が多いので、区別するのが難しいが、葉に注目すると、3つに深く裂けていることで容易に区別することが出来る。ムシカリも花の様子は似ているが、これは開花期が早春であることから間違うことはない。
花序は直径10cmほどで、花序の中心部には小さな花の両性花が、周辺には5裂の装飾花が咲く。装飾花に囲まれた多数つける。また、9月頃から、「今日の写真」のように8㎜ほどの「緑」の果実をつけて、次第に「赤い液果」へと「変身」していく。
この「変身振り」はすばらしいものだ。真っ赤な実になるのだが、ふつうの「赤さ」ではない。果実が赤く透き通っているのである。典型的な漿果(液果)で、みずみずしさを湛え、いかにも、ジューシーで美味しそうに見えるのである。
だが、厳冬期の登山で山麓を移動する時に、「ナナカマドやガマズミ」の果実が半ばなくなっているのに、この「カンボク」の「漿果」はみずみずしさを保ったまま、「手つかず」で残っているのである。
「ナナカマドやガマズミ」の果実は、熟した後はあまり日を置かずに落下するか、「野鳥」の餌になるのだが、「カンボク」の果実は熟して、葉が落ちた後もそのまま、美しい「漿果」で残るのである。
それでは、「野鳥」たちも「カンボク」の果実を食べないのだろうか。私は、岩木山で「野鳥」たちが啄んでいるところを見た経験はないのだが、福島県会津地方では「カンボク」のことを「鳥も食わないこと」から「トリクワズ」とも呼ぶそうだから、雪が積もった山でも、「野鳥」たちに食われることなく残っているわけなのである。だから、雪が降り積もった山にもよく映え、とても目立つのだ。
いくら遅くまで「残っている」といっても、春の雪消えの頃には、すっかりなくなっているのが不思議である。いつだったか、冬山登山の下山途中、のどの渇きから、この「カンボク」の実を2、3個摘んで口の中に入れたことがある。だが、何とも言えない妙な味である。美味しいとはとても言えない。まずいのである。
やはり、雪消えが始まる頃、「果実」や「木の実」を餌にする「野鳥」たちにとっては、このまずい実も餌となるのだろう。それに、木々が葉をつける前は「餌」の虫が一番少ない時季でもあるからなおさらであろう。
「カンボク」は観賞用に庭木にされたり、盆栽にして楽しむ人もいるそうだ。花も大きく見応えがあるし、果実もその熟し方で色が変わっていくことが重宝がられるのかも知れない。また、材に香気があり、削って楊枝を作ったり、枝葉が止血剤、果実は目薬りなどに利用するそうである。
名前の由来は分かっていないのだが、「人体にいい肝要な木」ということからであるらしい。)
◇◇ 毎日新聞2010年8月15日付電子版 「余録:『65年後』の昔と今」に思う(17) ◇◇
(承前)…この稿を今書きながらも、また怒りと悲しみの涙が私を襲っている。
…卜キさんは「中国人に襲われたが、それは私たちがしたことをやり返されただけだと思う」。また、「戦争は人を残酷にするだけのものだ。」と言う。…
…「『満蒙開拓団』は満州人や蒙古人がそこに居住し、耕していた土地に一方的に入植したのである。彼らは、現地に来るまで『すでに住んで耕作している土地』であるとは聞かされていなかったであろう。
まさに、『大日本帝国軍』が『得意』とした『現地調達という名の略奪行為』である。まさに、メキシコの農民を襲う『野盗』と同じである。時には殆ど価値のない『軍票』で買い取るという姿勢は見せても、それは『ていのいい』略奪であった。
武器を持ち、集団で威嚇して『物をねだる』。拒否したり反抗すると『反逆者』とか『スパイ』という名の下に撃ち殺す。これでは、誰もが表向きでは反抗も拒否もせずに、ねだった物を『提供』する。
満州人や蒙古人にとって、有り余る『食糧』の中から、ほんの一部を『提供した』訳ではない。それは『自分たちが食べる分』であり、『提供』すると何も残らないという状況であったのだ。これは何も『食糧』だけではない。生活物資すべてに及んだ。
その上、彼らの『命』をつなぐ『唯一の耕作地』まで、略奪されたのである。彼らは、完璧に『生活の術』を奪われたのである。
『大日本帝国軍』は『天皇の軍隊』である。端的に言うと、軍のこの行為は『天皇がさせている』ということにもなろう。『大東亜共栄圏』とか『列強からの解放』のための戦いと表向きには言うが、その実は現地における現地人からの『略奪』戦であった。
何しろ、これが『大日本帝国軍』なのである。食糧や武器・弾薬の補給はない。前線に立っても後方からの『支援』はない。本国を出た時に支給された物だけ、つまり『着た切り雀』の状態で『前線』にほっぽり出されるのである。後は『おまえたち自身で何とかしろ』である。
『軍』の力とは『総合力』であろう。『前線』で戦う兵士たちが健康で、気力が充実していなければ『総合力』に欠ける。そのためには、十分な食糧と医薬品、衣類などの補給が欠かせない。食糧や医薬品だけでは戦えない。十分な武器と弾薬の常態的な補給が行われて、はじめて『総合力』が発揮される。
『大日本帝国軍』には、この『総合力』が最初からなかった。それは、『兵士』を生身の人間ととらえていないことにあった。(明日に続く)
北海道、本州、四国、九州に分布して、やや湿った陽当たりのいい林縁などに生え、高さが5~7mほどになる落葉性の小高木である。
花は5月から 6月にかけて咲くが、花の時期には、ノリウツギ、ケナシヤブデマリ、ガマズミ、イワガラミ、ツルアジサイなど似ている花が多いので、区別するのが難しいが、葉に注目すると、3つに深く裂けていることで容易に区別することが出来る。ムシカリも花の様子は似ているが、これは開花期が早春であることから間違うことはない。
花序は直径10cmほどで、花序の中心部には小さな花の両性花が、周辺には5裂の装飾花が咲く。装飾花に囲まれた多数つける。また、9月頃から、「今日の写真」のように8㎜ほどの「緑」の果実をつけて、次第に「赤い液果」へと「変身」していく。
この「変身振り」はすばらしいものだ。真っ赤な実になるのだが、ふつうの「赤さ」ではない。果実が赤く透き通っているのである。典型的な漿果(液果)で、みずみずしさを湛え、いかにも、ジューシーで美味しそうに見えるのである。
だが、厳冬期の登山で山麓を移動する時に、「ナナカマドやガマズミ」の果実が半ばなくなっているのに、この「カンボク」の「漿果」はみずみずしさを保ったまま、「手つかず」で残っているのである。
「ナナカマドやガマズミ」の果実は、熟した後はあまり日を置かずに落下するか、「野鳥」の餌になるのだが、「カンボク」の果実は熟して、葉が落ちた後もそのまま、美しい「漿果」で残るのである。
それでは、「野鳥」たちも「カンボク」の果実を食べないのだろうか。私は、岩木山で「野鳥」たちが啄んでいるところを見た経験はないのだが、福島県会津地方では「カンボク」のことを「鳥も食わないこと」から「トリクワズ」とも呼ぶそうだから、雪が積もった山でも、「野鳥」たちに食われることなく残っているわけなのである。だから、雪が降り積もった山にもよく映え、とても目立つのだ。
いくら遅くまで「残っている」といっても、春の雪消えの頃には、すっかりなくなっているのが不思議である。いつだったか、冬山登山の下山途中、のどの渇きから、この「カンボク」の実を2、3個摘んで口の中に入れたことがある。だが、何とも言えない妙な味である。美味しいとはとても言えない。まずいのである。
やはり、雪消えが始まる頃、「果実」や「木の実」を餌にする「野鳥」たちにとっては、このまずい実も餌となるのだろう。それに、木々が葉をつける前は「餌」の虫が一番少ない時季でもあるからなおさらであろう。
「カンボク」は観賞用に庭木にされたり、盆栽にして楽しむ人もいるそうだ。花も大きく見応えがあるし、果実もその熟し方で色が変わっていくことが重宝がられるのかも知れない。また、材に香気があり、削って楊枝を作ったり、枝葉が止血剤、果実は目薬りなどに利用するそうである。
名前の由来は分かっていないのだが、「人体にいい肝要な木」ということからであるらしい。)
◇◇ 毎日新聞2010年8月15日付電子版 「余録:『65年後』の昔と今」に思う(17) ◇◇
(承前)…この稿を今書きながらも、また怒りと悲しみの涙が私を襲っている。
…卜キさんは「中国人に襲われたが、それは私たちがしたことをやり返されただけだと思う」。また、「戦争は人を残酷にするだけのものだ。」と言う。…
…「『満蒙開拓団』は満州人や蒙古人がそこに居住し、耕していた土地に一方的に入植したのである。彼らは、現地に来るまで『すでに住んで耕作している土地』であるとは聞かされていなかったであろう。
まさに、『大日本帝国軍』が『得意』とした『現地調達という名の略奪行為』である。まさに、メキシコの農民を襲う『野盗』と同じである。時には殆ど価値のない『軍票』で買い取るという姿勢は見せても、それは『ていのいい』略奪であった。
武器を持ち、集団で威嚇して『物をねだる』。拒否したり反抗すると『反逆者』とか『スパイ』という名の下に撃ち殺す。これでは、誰もが表向きでは反抗も拒否もせずに、ねだった物を『提供』する。
満州人や蒙古人にとって、有り余る『食糧』の中から、ほんの一部を『提供した』訳ではない。それは『自分たちが食べる分』であり、『提供』すると何も残らないという状況であったのだ。これは何も『食糧』だけではない。生活物資すべてに及んだ。
その上、彼らの『命』をつなぐ『唯一の耕作地』まで、略奪されたのである。彼らは、完璧に『生活の術』を奪われたのである。
『大日本帝国軍』は『天皇の軍隊』である。端的に言うと、軍のこの行為は『天皇がさせている』ということにもなろう。『大東亜共栄圏』とか『列強からの解放』のための戦いと表向きには言うが、その実は現地における現地人からの『略奪』戦であった。
何しろ、これが『大日本帝国軍』なのである。食糧や武器・弾薬の補給はない。前線に立っても後方からの『支援』はない。本国を出た時に支給された物だけ、つまり『着た切り雀』の状態で『前線』にほっぽり出されるのである。後は『おまえたち自身で何とかしろ』である。
『軍』の力とは『総合力』であろう。『前線』で戦う兵士たちが健康で、気力が充実していなければ『総合力』に欠ける。そのためには、十分な食糧と医薬品、衣類などの補給が欠かせない。食糧や医薬品だけでは戦えない。十分な武器と弾薬の常態的な補給が行われて、はじめて『総合力』が発揮される。
『大日本帝国軍』には、この『総合力』が最初からなかった。それは、『兵士』を生身の人間ととらえていないことにあった。(明日に続く)