岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

今日の写真は「アキカラマツ」 / 「植木や花をとらないで下さい」という立て札

2010-09-18 05:22:03 | Weblog
 (今日の写真は、キンポウゲ科カラマツソウ属の多年草「アキカラマツ(秋落葉松)」である。この仲間には、比較的似ているものとして、「カラマツソウ」、「ミヤマカラマツ」、「モミジカラマツ」、「センニンソウ」、「ボタンヅル」などがある。
 「アキカラマツ」は北海道から九州まで分布している。原野や河川の堤防、草地などに生育する。岩木山では山麓の日当たりのいい原野に多く、標高も200mから600mまでとその生育範囲は相当広い。
 葉は2~4回3出複葉であり、小葉は円形から楕円形であるが、その色彩は「粉青白色」という珍しい色調を見せてくれる。
 茎は高さ70cmから150cmになり、上部でよく分枝する。8月から9月にかけて、その分枝した茎の先から大きな円錐花序を出し、淡黄白色の小さな花を多数つける。
 花は径が8mmほどで、花弁のように見えるのは萼である。萼は花びら状で3個から4個あり、長さは約4mmで早く落ちる。花弁がないので、多数の長い雄しべがよく目立つのである。
 名前の由来は、この雄しべの様子にある。長い雄しべが「カラマツ(マツ科カラマツ属)」の葉に似ていることと、秋に咲くことによって「アキカラマツ」と呼ばれるようになったのだ。 
 「キンポウゲ科」の植物には光沢のある萼片を持つものが多いという印象がある。しかし、「アキカラマツ」は結構地味である。それでも、「葯」が黄色いので、花序は遠くからでもよく目立つので、草原の中でも発見は容易だ。
 だが、「アキカラマツ」は毒草である。毒部位は全草、葉、根だと言われている。かつては、その苦味の強さから「センブリ」の代用にもされていたそうだ。だが、多量に用いると中毒症状を起こすそうである。「毒」は調合次第で「薬」にもなるのである。
 長野県高遠町では古くから健胃薬として用いられていて「高遠草(たかとうそう)」という名前で呼ばれている。
 別名は他に、牛嫌草(うしいやぐさ)、煙鍋草(えんかそう)であり、その毒成分は「タカトニン」や「マグノフロニン」で、神経麻痺や血圧降下という症状を起こすそうだ。
 葉っぱを1枚取って囓ってみたが、やはり、苦かった。)

◇◇「植木や花をとらないで下さい」という立て札 ◇◇

「植木や花をとらないで下さい」という立て札を見た。それは、ある建物の道路沿いに面した庭の前に掲げてあった。
 その立て札は、明らかにその筋の職人が造って描いたものではなかった。20cmに50cmほどの普通の板である。表面にはもちろん鉋はかけらてはいない。そして、書かれているのは「墨字」である。
 鉋のかけられていない、表面がざらざらした板に、筆で文字を書くということは、簡単ではない。だが、書かれた「植木や花をとらないで下さい」という一文はすごく丁寧であり、かつ明瞭で、よく目立つのである。
 それを見て、一瞬「書き手」の思いがにじみ出ているなあと、私は思ったものである。
 また、目立つ理由は、その立て札の存在に対する「違和感」である。ふつう、「庭」にこのようなものはない。このようなものを立てるからには、よほどのっぴきならない、止むにやまれぬ事情があるのだろうとも思ったのだ。
 次いで、「植木や花を…」と限定したところに、引っかかりを感じたのだ。それは、ここに生えている「木や草、植物をとらないで下さい」と何故、表記しなかったのかということであった。
 その傍を自転車で「上述」のような思いで通り過ぎて、家に帰ってから、その「植木や花をとらないで下さい」と書かれた小さい立て札のことがすごく気になり出したのだ。
 とにかく、一般家庭の「庭」、少し大きめの一般に解放している「花園」や「植物園」などでは、このような「とらないで下さい」という立て札を見ることは先ずない。自治体などが管理している街中の「小公園」や「空き地を利用した花壇」などでは、偶に見ることはある。それでも「植木や花」と限定したものは非常に少ない。

 とにかく、私は、その「建物の道路沿いに面した庭の前」をかなりの頻度で通る。そして、通るたびに、その庭の花や樹木に目を注いで、「ああ、サツキが咲き出したなあ」とか呟いていたのである。このような私にとっては、先ず、この「立て札」は異物であり、庭には相応しくない「違和感」溢れるものに見えたのだ。言い方を変えると「庭には不要なもの、邪魔なもの」でしかなかったのである。
 その「違和感」に溢れ、異物でしかない「立て札」を、造って立てた人も、私のような思いを持ったであろうとすると、「それでも立てざるを得なかった」よほどの事情があるはずである。
 ここで言う「とる」は「盗る」である。つまり、「盗っていくな、堀盗っていくな、折り盗っていくな、切り盗っていくな」ということなのだ。
 「立て札」を立てざるを得なかった、止むにやまれぬ事情とは、この「庭」が通行人やあるいは「盗掘」を目的にした人による「花泥棒」や「植木泥棒」の被害に遭っていたということなのである。
 確かに、数年前には見事なシャクナゲが生えていた。そこで咲き出したことを確認して、「岩木山」のシャクナゲもそろそろ咲くだろうと、見通しをつけて出かけたものである。だが、それは、年を追うごとに、見るたびに少なくなっていた。枯れているという気配もないが「木」そのものが少なくなっていた。そして、昨年は、とうとう1本も見かけなくなったのである。
 その建物は大きな事務所であり、夜間は無人となる。それをいいことに「花泥棒」や「植木泥棒」はせっせと花を盗り、植木を掘り盗り、自分の「庭」や「山野草店」に運んだのだろう。
 私は、これまでに、日中、事務職員が、植栽したり、植え替えたりして庭の手入れをしているのを数回見ている。植木や花を大事にして「庭」を管理して、育てているのだ。
 そのことを知っていながら、その植栽されたものを「略奪」していくとは、何という愚かしいことだろう。そして、この「庭」から「庭の構成要素」をなくして、挙げ句の果てには庭にそぐわない植木や花をとらないで下さいを掲げさせたのである。
 人の庭から「花」を掠め盗る人に、花を愛する資格はない。それは、泥棒でしかない。山野草や高山植物の盗掘も同じだ。
 「植木や花をとらないで下さい」という立て札には、まだ人の良心を信じたいという願望が滲んでいる。有り難くもあり、切ない思いに溢れている。