岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

今日の写真は「大鳴沢源頭部近くにある「ダケカンバ」の疎林 / 果実探しの山行(6)

2010-09-11 05:40:24 | Weblog
 (今日の写真は、赤倉登山道の大鳴沢源頭部を渡って直ぐのところにある「ダケカンバ」の疎林である。疎林というよりは、葉をつけているこの時季は「ダケカンバ」の密林といった方がいいかも知れない。
 「ダケカンバ」は北海道、本州(中部地方以北)、四国に分布している。北海道では低地にも自生しているという。本来ならば「カバノキ科カバノキ属の落葉高木」であるが、今日の写真からもわかるように、この場所のものは「高木」ではない。ちょうど標高からいうと、「亜高山帯」にあたるので、この場所は、一見「ダケカンバ」の純林のように見えるが、「全く」の純林ではない。ミヤマハンノキなども混在している。
 見てわかるように、幹の直径も10cmから15cmほどで20cmを越えるものは殆どない。樹高も高いものでも5mはないだろう。写真左斜め下で、やや直上しているものの中間部で私の身長程度だから、そこから考えると、この樹高は3m少しだろうと思われる。
 百沢登山道の標高900m辺りで見られる「ダケカンバ」に比べるとその大きさといい、太さといい、幹や枝の斜上している風姿などとは全くの異質であり、「同じ」ものだとは思えないのである。だが、これは確実に「ダケカンバ」なのだ。
 注目すべきは、幹の形態であろう。すべての幹は湾曲し、捻れている。真っ直ぐに「天」を窺っていないのだ。
 林や森の木々は、その梢を樹頂でそろえるという特性を持っている。梢の高さが皆同じになるのである。だが、ここの「ダケカンバ」林はその特性を示していない。
 幹が直上しない。あるものは半ば腹ばい、あるものは湾曲し、特に地面に近い「幹」部分はすべてが大鳴沢に向かって「下る」ように曲がっているのだ。
 これは積雪による堆積圧と積雪が下方に移動する「力」によって成長年ごとに曲げられた結果である。それに比べると梢近くの枝は、その逆方向に曲がっているものが多い。これは、大鳴沢を駆け上がって吹き付ける季節風によって「撓められた」結果なのだ。
 長い長い艱難辛苦の季節を、跳ね返すのではなく、それに従うことで、自分の生命と成長を保持してきた歴史がここにはあるのだ。
 この林の中を通るたびに、私は全身に「じ~ん」という戦慄を覚える。私にはない「強靱」さをこの林から受けるからだ。そして、心の中で手を合わせながら、通り抜けるのである。
 雪消えの始まった頃、まだ「ダケカンバ」は葉をつけていない。天蓋のない虚ろな林という印象は免れないが、林床は「春の生気」に溢れている。とくに、白い小さな花が林床を埋めるのだ。
 その代表は、何といっても「ヒメイチゲ」である。所々では「マルバスミレ」も見られる。なお、沢よりの林縁では「クロウスゴ」や「マルバウスゴ」がちょうど開花期になっていてかわいらしい花をつけているのである。)  

◇◇ 果実探しの山行(6)◇◇

(承前)…「果実探しの山行」の観察記録はYさんのものを昨日まで2回に渡って掲載したので、終わってもいいのだが、実は「私の転倒」のことについて書くことにする。
 何故ならば、私が「岩木山で怪我をする」というと、それはいつも「赤倉登山道」でのことであるからだ。
 実は今朝も「キーボードを打つのもままならないほど右腰、右腹部、右側胸部に疼痛があり、時には激痛が走っている」のである。
 これは、7月18日に「赤倉登山道」の刈り払いをした時に右腹部と右側胸部の「靱帯」を痛めた後遺症である。つまり、完全に治癒していないのに、同じ「靱帯」部にまたまた過酷で過激な負荷をかけてしまったのだ。
 7月18日に「赤倉登山道」の刈り払いをした時の負傷状況は…
「右手に鉈を持ち、それを右上段から斜めに振り下ろして、『根曲がり竹』を刈ろうとした時に、支え足にしていた左足が、踏みつけていた『竹』を滑り台にして、下方に滑ったのである。私は股裂き状態になったが、振り下ろした鉈を止めることが出来ずにその行動を終えたのである。その瞬間『右腹部と右側胸部』に鋭い痛みを覚えた」…ということである。岩木山パトロール隊や自然保護課員もいることなので、痛みは続いていたが、歩いたり登ったりすることは出来たので、痛みを堪えて知らないふりをして、作業を続けてはいた。
 そして、8月30日である。石仏33番近くで、道の岩角に足を取られて「前のめり」という最悪な格好で転倒したのだ。首からカメラを提げていた。今思うと、このカメラで私はバランスを崩したのである。転んだ私の胸の部分には別の岩角があった。この岩角にカメラがぶつかり、私の右胸はこのカメラにぶつかった。
 瞬間、激痛が胸に走った。ちょうどシャツのポケットの部分である。肋骨が折れたかも知れないと思った。受講者と同行している。私が「歩行不能に陥る」とこれは大事だと、痛みでなかなか起き上がれない中で考えた。起き上がった私は「痛みのある付近」の肋骨を探った。折れてはいない。
 ポケットには「カメラ」のレンズキャップが入っていた。それが、なんともはや、レンズをガードするのではなく、私の「肋骨」ガードしてくれたのである。その事実が判明したら、激痛が少し和らいだのである。
 だが、その痛みに隠れて、「前のめり転倒」は治癒しかかっていた「7月18日の負傷」を、元に戻していたのだった。その翌日から、その部分での「ジリジリ、ズキズキ」という痛みが復活したのだった。
 そして、この「痛み」を本物にするような「身体の極端な動き」をせざるを得ないハプニングを自分でしでかしてしまったのである。
 9月7日、自転車で青樹町まで行った。自転車に乗る分には「痛み」がないのだ。坂道を降りて道の間違いに気づいて、坂の下端で方向転換した瞬間、ハンドルが内側に巻き込まれ、上半身が左側に投げだれたのである。そのままだと左頭部からアスファルト路面に激突するので、両手でそれを遮ろうとしたのである。
 幸い怪我をすることはなかったが、その体制が「靱帯」をまた伸ばすことに、なってしまったのである。その晩から、今現在も「パソコンに向かってキーボード」を打つこともままならないほどの「痛み」に苛ませられているのだ。
 
 赤倉登山道ではいいことがない。数年前は「右足の靱帯」を負傷した。道の滑りに足を取られ、転びそうになったのを、防ごうとした動きが原因だった。これは、何とか自力で登山口までは降りたが、そこから「自動車」で病院に直行した。歩けないからである。今回は「歩ける」ので、「自己治癒」に任せ「痛み」に耐えている。 

[毎日新聞2010年8月15日付電子版 「余録:『65年後』の昔と今」に思う(25)]本日休載します。