岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

インターネット NTT Bフレッツがダウンか?

2007-05-16 06:57:56 | Weblog
 ブログを書き始めて、初めてインターネットがダウンした。昨日の18時ごろから本日未明ごろまでのようだ。
 以前、このホームページのサーバーもダウンしたことがあるが、それだとこのホームページだけが閲覧不能になるだけで、あとのページは閲覧可能なので、「まあいいか」程度に思って回復を待つのだが…。
 とは言うものの『「毎日」ブログをしたためること』を密かに決意している者としては、ダウンによって掲載不能という事態は非常に「困る」のである。
 
 話しを『ダウン』に戻そう。
昨日、夕食を終えて自室に戻ってきて、インターネットで「毎日新聞」を読もうとしたら、つけっぱなしの「Mac Pro」の様子がおかしい。「毎日新聞」のページにアクセスができない。本会のページも左側しか見えず、カウンターも見えない。すべてのページが開かないのである。
「Mac Pro」診断機能で調べてみると、Bフレッツ光端末機、「Lan」、コンピュータ、コンピュータの設定まではすべて正常なのである。
 このアクセス不能はプロバイダーの「何らか」が原因だろうと思いながらも、別な機器でも確認を試みた。
 まずは、「Vista 64bit版」をインストールしてあるCPUがAMDFX60の自作機で試してみた。予期したとおりアクセス不能。だが、Bフレッツ光端末機、「Lan」、コンピュータ、コンピュータの設定までは、「Mac Pro」と同じようにすべて正常なのである。
 ものはついでと、あと2台の自作機、「Windows XP Proの64bit版」(CPUはIntelのX6800 )と「Windows XP Proの32 bit版」(CPUはAMD Athlon4800 )でも確認してみた。結果は同じである。
 ところで、このようなインターネットに関わる「トラブル」の診断機能は、「Mac OS.X」と「 Vista」では互角で、非常によくできているように思われた。かといって「Windows XP Pro」が劣っているわけではない。ユーザーがどこまで、何を知り確認したいのかによって評価は分かれるところだろう。
 
 焦ってもしようがないので1時間ほど待ってから再びアクセスしてみたが、やはり「不能」である。
 ここに至って私は「便利」なはずのインターネットの「不便さと不自由」さを再確認にしたのである。
 「プロバイダー」はこのトラブルの原因をすでに確認して、修復作業に入っているはずである。一方、私のようにアクセス出来ずに「イライラ」している者は沢山いる。

 ところが、そのトラブルの「原因・理由」と「修復と回復時間などの情報」などがインターネットで送信・受信出来ないのだ。つまり、情報を知り得る手段が全くない状況に追い込まれているのである。
 もし、国家がインターネットプロバイダーを強権で統制したら、インターネットに依存している国民には簡単に「情報操作」や「情報統制」が行えるし、つんぼさじきに置くことが可能になるだろう、とふと思った。
 そうしたら、すごく不安になってきた。何とかして、この「アクセス不能」は何故なのかを追求したくなった。つんぼさじきに置かれていることが耐えられなくなったのである。

 残された唯一の手段は「電話」である。プロバイダーのカスタマーサポートに電話をする。つながったものの「混み合っております」という音声案内が延々と流れ、待ちきれずこちらから切断。
 その後1時間ほどしてから、また電話をしたら「受付時間の9時を過ぎましたので出来ません」という音声案内という始末である。
 「頼みの綱である電話」からも見放されてしまった。こうなれば電話もまた、不便で不自由なものだ。
 便利の象徴である携帯「電話」や「インターネット」では、多くの他者が介在することで多くの個人がその「自由さと便利さ」に与(あずか)っている。だが、この便利さはいつでも「他者」によって剥奪されるものである。今回のトラブルはその好例であろう。
 私たちは「剥奪されないという安心」を「料金を納めること」で「買っている」に過ぎないのである。
 それにしても、この事態に対するプロバイダーの無対応には呆れる。原因や回復の情報など「送信・受信」出来ないのだから、連絡のしようがないと言っていいのなら、事業者としての責任は一体どうなるのだろう。これで企業として成り立っていくとしたら、「利用者」抜きで営利に走る「企業倫理なし」の企業であるだろう。
 多くの人が電話でアクセスしただろう。
「受付時間が過ぎました」と言えるのは正常な業務範囲内でのことである。アクセス出来ないとは、まさに「異常事態が発生していること」であり、問い合わせはそのことに集中しているはずである。当然、そのことをプロバイダーも承知している。
 インターネットにアクセス出来ないとなれば、残されたアクセス方法は電話しかないのである。
 だからこそ、「アクセス不能」に関する「異常の原因と理由、また回復状況」を電話で問い合わせてくる者全員に電話で答えなければいけないのである。携帯電話を売ることやインターネットの加入者・利用者を増やすことにだけ血道を挙げないで、それが出来るような方途を真剣に考えなければいけない時期に来ているはずだ。
「時間切れです」などと言ってはおれないだろう。
 注:文中の「プロバイダー」はNTT東日本Bフレッツと読みかえて構わない。

 (お詫び:自然観察会の報告は次回とします。) 

人目に触れることが少ない堰堤(えんてい)・ダムにはムダなものもある (3)

2007-05-15 05:42:51 | Weblog
人目に触れることが少ない堰堤(えんてい)・ダムにはムダなものもある (3)

(承前)
 ぶなの落ち葉を靴ぞこに感じながら登山道を降りて行く。左右の宿坊からは話し声や笑い声が聞こえ、時折り人影も見える。その日も、ここの社や宿坊には多くの人が入っていた。
 人の声が遠ざかるにつれて「駐車場」の車に関わる疑問のひとつがようやく解けた。静かなぶな林、葉を落とした木々の中を、午後の乾いた風が素通りして行く。それに誘われて頭の中が、少しすっきりしてきた。

 疑問を自分なりに解いてみよう。高い法面を持ったあの道路は、上流に堰堤を、さらに造るためのものだろう。
 途中にあるあのぶな林を伐採したら、それを運び出したり、その後に植林をする時の資材の運搬にも利用されるのだ。けっして「参道」なのではない。そして、いつかは沢に崩落するだろう。
 道路を造る時に切り崩された土石や堰堤の底面的基礎部分から掘り起こされた土石は、そのまま沢に投棄されたか、放置されたに違いない。
 それは堰堤の機能部分、つまり命と言える場所の土石の堆積量の多さが証明しているではないか。堰堤は埋まりかけている。 
 近い将来、あの道路のように、堆積した土石や砂は確実に堰堤を越えるだろう。「堆積した土石や砂は確実に堰堤を越えるのだ」という確実性が堰堤の多さの意味になっていることは疑いようがない。
 これだといつまでも、「堰堤」と「道路」の工事は続くはずだ。
 若し、土石流が発生したら、必ず、この道路もその土石流の一部となって流れ下るはずだ。「駐車場」とされているところは平らに、均されて、浅い。その上、凹凸がないので表面面積が狭いのである。
 これらの条件は、いずれも「流れやすさ、滑りやすさ」に結びつく。あそこも流れ出したら止まらないだろう。素人の私であっても、この程度は類推可能なのだ。

 土木工事の専門家に、これらの理屈が解らないことはない。当然のべき、自明の理、だからこそ、堰堤はどんどん増えるのである。
 既に、赤倉沢の大堰堤は現在12基を数えるのである。赤倉沢の源頭は馬蹄形の爆裂火口で深さは100m以上ある。よって、沢の源頭から赤倉神社付近までの平均斜度は小さく、流れは緩やかである。しかも中流部は広い「川原」を形成していて、「ナナカマド」などの大木が茂っている。どう考えても、このような「地形や場所」に、なぜにこれほどの数の堰堤が必要なのか。その理由は一切明かされないままである。
 まさに、「民は知らしむべからず」という国と国民の関係そのままであろう。

 そのうちに、堰堤敷設の理由として…
「赤倉神社やその他の社に御参りに来ているみなさん、みなさんが利用している駐車場を土石流から守るために、上流にまたまた堰堤を造ることにしました。」などと言いかねない。
 ある土木工事関係者が「土木工事は不滅です。」と言ったそうだ。
 それは、ある土地に穴をあける、穴をあけるとそれに見合う土砂が出る、出た土砂を捨てるための穴をまた掘る、まるで連鎖のように「仕事」は続くということだ。時として、穴はたった二つのこともあるそうだ。つまり、掘った穴から出たもので、もうひとつの穴を埋める。今度はその穴を掘り起こして前の穴に捨てるというのだ。なるほど不滅である。
 堰堤工事にも、この不滅の影がちらちらする。工事という仕事を作るための工事と言えなくもない。
 そして、これら土木工事の大半は、公共事業という名目で国費・公費で処理される。すなわち税金が使われているのだ。
 使われることにはとやかく言わない。しかし、その事業に正当性がなかったり、使い方に無駄があったりでは許しておくわけにはいかない。

 「駐車場」から、社や宿坊のあるところまで、すでに道はついてしまっている。ここまではみんな車で来る。最近は、堰堤工事用の道路を利用して一番上流にある堰堤の直ぐ下まで自動車で辿ることが出来る。便利なことや楽なことはいいことだ、とだれもが思う。
 敬虔な信仰心も、岩木山全体から、そして真の意味での参道から外れて狭いご神体域にその対象を限定した時、そこまでの道のりは単純化され空白化されてしまう。
 聖地巡礼は意味を失い、さらには修験・修行的色彩は形骸と化してしまうのである。
 そして、いつの日か、赤倉沢全域に今ある堰堤の残骸を足場にして巨大な堰堤群が林立しているかも知れない。
 
 最近は「自然観察会」やそれまがいの行事が多くなったように思える。花を愛でることもいいだろう。虫や野鳥の事に関心を持つことも大切である。
 だが、それに終わらずに時には、人間の都合だけで自然が大がかりに「破壊」されている「堰堤」のある場所や堰堤敷設工事の現場を「観察」することも必要である。
 とにかく、巨大堰堤でもなかなか人目につきにくい所にあるのが常だから、観察会等の主催者は「表面的な観察」にとどめることなく、「現場」まで足を運ぶことをいとわないような計画を立てることが大事である。
                      (この稿は今日で終わりとする。)

人目に触れることが少ない堰堤(えんてい)・ダムにはムダなものもある(2)

2007-05-14 04:48:21 | Weblog
 昨日の自然観察会は、雨の降る中で行われたが無事終わった。その報告はこの「堰堤」に関するシリーズが終了したら掲載する。
 
 なぜ、「堰堤」なのかというと、人の安全や潅漑用水利用のために「堰堤」は存在するというが、それらには「必要最低限」でないものや「意味をなさない」ものがあるということである。
 さらに、それらはすべて「あるがままの自然」を大きく広く破壊した上に「敷設」されている。私はこの赤倉沢や平沢、湯ノ沢の堰堤工事現場に通って、その建設現場をこの目で見て写真に撮っている。そこに見えるものは「自然破壊」のなにものでもなかった。
 山岳自然の破壊を「人目につかない」場所で大きくしているものが、この「堰堤」敷設なのである。

 人目に触れることが少ない堰堤(えんてい)・ダムにはムダなものもある(2)

(承前)
 次に道路は、対岸に行き着く直前で右に大きく曲がっていた。当然堰堤にぶつかって道はそこで切れるものだろうと思った。しかし、何と、道路は堰堤をじかに、つまり堰堤を土台にして、その上を乗り越えて通っていたのだ。
 道路は砕石を主にした土石である。「土石をせきとめるための堤防」が堰堤の機能ならば、これはもはや機能喪失である。道路という「土石流」が堰堤を越えていたのだ。
 しばらく、左岸尾根の脚に沿って下る。道路の法面は低く、傍らの堆積物とほとんど同じである。さらに直進したり、ジグザグに進んだりしながら、何本かの堰堤を土台にして、その上を乗り越えている道を通り過ぎた。
 鎖が横に張ってある。なにか掲示物のようなものがぶら下げられていた。跨いで前に出て見たら、「関係者以外立入禁止」とある。
 そこもまた、堰堤を土台にして乗り越えている道であり、高さを少しも感じさせない堰堤の真下であった。そして、左岸尾根の脚がすぐそばに迫っていた。
 右に視線を移す。右岸尾根に向かってほぼ長方形にそこは開けていた。20mぐらい下方には、人が簡単に登れるほどに背の低い堰堤があった。
 つまり、堰堤の突起物である縁の上限に、このうえなく近づくぐらいに土石が埋まっているのだ。
 あまりにも違いすぎる。同じ岩木山の沢筋には多く堰堤がある。後長根沢や石切沢、それに蔵助沢にある堰堤は底部から頂部までは高く、深いのだ。しかし、ここに見える堰堤は、道路の一部になったり、駐車場であったり低くて浅いのだ。これだと、まさに堰堤機能の放棄である。
 その堰堤のそばには、ナンバ-プレ-トを外された自動車が放置されている。そこの部分だけ堰堤が見えない。開けているところは、上の堰堤と下の堰堤に挟まれたところで明らかに機器を使って水平に均されていた。
 視線を遠くに運ぶと自動車が数十台駐まっているのが見える。おびただしい数だ。
 何ということだ。この場所は、言ってみれば「土石をせきとめる」堰堤の心臓部ではないか。そこが駐車場として使われているのだ。

 いろいろな機能を引き出して使うのが「合理的」であるならば、それでいいだろう。しかし、主たる機能を無視し、形骸化して目の前の役割に与すのは、本末転倒ではないか。 山麓には「工事用車両入口」という表示のある道路もあった。工事は継続中なのだろう。今日は祝日のうえに土曜日だから工事をしている気配はない。だからその関係の車両はいないはずだ。それなのにこの数の車だ。何のために来たのだろう。
 これまで「参道」で誰一人として「人」に会ってはいなかった。
 自問自答は続く。また歩き始める。自動車を運転している者には一本道としか見えないだろうが、私には二股になっている所が目についた。車道は左岸尾根へと登っていた。もう一方は古いもので、車道ほどの広さはあったが、解りにくく不明瞭な道だった。
 気分的には、もう人工物に対する疑問から辟易していたので、草木の茂る古い方を選んだ。するとまた堰堤(赤倉沢最下流にある堰堤・これが造営されてから新しいものが造られるまで約10年の間隔があった。その後1年に一基の割合で造られていく。)が現れた。それは上流のものよりはやや古いものだった。
 そして、やはり、新しい車道からは見えないこの「古い道」も、造られた「土石流」となって、堰堤を土台として乗り越えて下方に続いていた。
 私はその道を下るのをやめた。とにかく無性に、人が足で歩くことで保ち続けてきた登山道に出たかった。
 右岸尾根に出よう。ここまで下ったのだから尾根に取り付けば登山道はすぐだ。すっかり低くなっている堰堤に沿って、薮をかき分け右手に進む。
 進むにつれて前方の尾根にひとつ、ふたつと建物が見えてきた。登山道沿いにある祠や宿坊である。堰堤を左に見ながら尾根への斜面を登った。そこは「湧水」のすぐそばだった。赤倉登山道を通るたびに、ここで水を補給している場所だ。
 背後でなにやら人声が騒然としていた。振り返って見る。まっすぐ後ろに、かなりの人がうごめいていた。そこはあの「駐車場」につながっていたのだ。

 私はその年の夏に、「湧水」のそばで信者らしい女人とした会話を思い出していた。
「自動車であればそこまで来れるんだ。」
「へ~、そうですか。」
「ずいぶん、便利になったよ。今は信徒たちでも、ほとんど下から登って来なくなった。みんな自動車だ。その他に、毎日何十人も大きなポリタンク持って、ここに水汲みに来るんだよ。自動車で来れなかった時は、誰も来ないで、静かだったのに。」

(明日に続く。)


人目に触れることが少ない堰堤(えんてい)・ダムにはムダなものもある(1)

2007-05-13 05:56:32 | Weblog
 今日は雨降りだが、「岩木山自然観察会・後ろ長根沢ぞい」は予定どおり実施する。昨晩も「明日」はどうなるのかという電話をもらったが、実施すると答えておいた。ただ、「カミナリ」が発生するようであれば早めに中止して解散する。

 昨日のブログで「堰堤」について触れたので、今朝は「赤倉沢の堰堤」の「異様」さについて少し詳細に紹介したい。
 
 赤倉沢の堰堤(ダム)…その異様さ(見た目の異様にとどまらず、ここまで必要なのかという異様さ)
 
 季節は秋であった。下流部の川原にも乾いた秋の日ざしがあった。そして、その中に巨大な白い構築物が微動だにせず寝そべっているのを発見した。
 それは、一定の高さと幅を持ちながら、長くて人工的な角張ったもので、広々とした川原を、寸分の隙間も造らずに、こちら岸の足もとから対岸の足もとまでを直線的に横断していた。
 遠目には単調な造りをしているが、高さはないもののやたらに大きい。それはコンクリ-トで「造営」された堰堤であった。
 堰堤を沢に作りながら、どうしてその上部に崩れ落ちるおそれのある道路を敷設しなければならないのだろう。堰堤を作ったから安心しているのであろうか。
 であれば、この論理はとめどがない。「堰堤があるから崩れても大丈夫である。だから堰堤を上流にどんどんと構築していく。」という勝手な論理。
 これで堰堤と道路のコンビネ-ション的な建設・敷設が可能になるのだ。これで建設業者の仕事はダブルで増えるし、仕事はいつまでもなくなることがない。
 ごみ、立派な道路、そして空間的な人工美と幾何学模様あふれる堰堤。なんと、念入りに、しめ繩内の世界との隔絶を助長してくれることか。
 これだと、かなり鈍感な者でも深山幽谷の雰囲気に耽ってはいられなくなる。

 コンクリ-ト製の構築物として我々の目に触れるものは、一般的にビルなど、人間がそこで居住し、生活をしたり生産に携わっているところである。そしてこれらが圧倒的に多い。
 目に触れないものもないわけではない。海底や地中の人が造った大半の構築物、トンネルや地下豪、核シェルタ-や核のごみを入れて置く容器などだが、これらは目に触れないことをいいことに最近増えているらしい。堰堤もこの類に入るかも知れない。
 目には触れるが、居住と関わりのないコンクリ-ト製の建造物や構築物は、海岸・河岸の岸壁、護岸用の堤防やテトラポット、灌漑用水や洪水防止のためのダム(堰堤)などでその数は少ないはずだ。少なければ見慣れていない。見慣れていなければ異様に映る。
 特に、山の沢に「治水・治山」の目的で造られる堰堤は、その場所に、少なくともその山に行かなければ見えないのが常だ。だから見る機会が少なくなる。よって見慣れないものとしての度合いは高まる。
 つまり、それら堰堤は、一般的なコンクリ-ト製の建造物よりも異様に見えるのだ。さらに、この場所を含み、しかも延長線の上流には修験道信仰に支えられた「ご神体域」が存在する。
 その人知を寄せつけない造山活動の終焉と新しい始まりとしての地質的な景観を持つ場所柄が、いわば丸抱えの自然そのものであることに比べると、ここではそのあまりの人工的な非均衡によって異様さは増す一方なのである。

 異様さ続く。これまで、赤倉登山道を通るたび、キレットやその他の眺望可能なところから、赤倉沢を覗くつど、下流に沢を横断している白くて巨大な堰堤を確認していた。 
 そして、その数が年を追うごとに多くなっていることにも気付いていた。多いのだ。素人目には、遠目であっても、まるで沢を埋めつくすような多さに見えていた。 今、間近に見て、異様にも多くの巨大な堰堤が沢を埋めつくすための手助けをしているのではないかという感じをいっそう強くした。
 異様な景色はまだ続くが、今まで述べた異様さとはちょっと違う。それは堰堤というものの機能を考えた時に生ずるものだ。

「堰堤」とは、河川、渓谷の水流、あるいは土砂をせきとめるための堤防、ダムである。と私は、理解していた。
 だから当然、その目で見る。もう一度、ほぼ直線的に下る道路を見た。ぶな林となって斜めに沢に落ち込んでいる尾根の脚を、水平と垂直に切り取ってそこに造られている。
 それでは、その切り取られた三角形部分の土石はどう処理したのか。高いところにある道路から見た限りでは、その答は出せなかった。
 道路は左に曲がる、すなわち沢へ降りて行った。そして、堰堤と平行して対岸へつながっている。おかしいことに、その道路は堰堤と同じ高さであった。堰堤は本当に大きい。この巨大な構築物が物理的に、まず自重を、そして流れ来る土石を、支えくい止めるためには、そうとうの底面的基礎部分を必要とするはずである。
 それでは底面的基礎部分をはめ込んだところから出た土石はどう処理したのか。堰堤が地表に突き出している部分と、傍らを走る法面の極端に低い道路の高さが同じだということに何か因果関係はないのか。
 ( 明日に続く。)

事務局の仕事は見えているのか…

2007-05-12 08:19:35 | Weblog
 しなければいけないことは重なるものだ。自分でするべきことは事前に分かっているから、計画を立てて、たとえばAをしたらBをして、あるいはAとBを併行させながら、時間がとれるとCをやるという具合に「事を進めて」処理をしていく。
 ところが、他人からは私の「しなければいけないスケジュール」は見えないし、解らない。

「損害保険に加入した」と一言で処理される事項も詳しく書くと次のようになる。
10日までは電話で「自然観察会」参加希望者の受付をしていた。昨日は受付が終わったので、氏名・住所・年齢・性別・電話番号記載の「参加者名簿」を作成し、プリントアウトした。
 それに基づいて「損害保険加入」申請書を作成し、プリントして損害保険会社にFaxした。これで「損害保険加入」が出来たわけではない。
 保険会社では私が送った資料に基づいて正式な書類を作成する。それから、私のところに、正式な書類を持参して私の署名・捺印を求めてから保険料を請求する。
 そして、保険料を支払い、契約事項などについて二言、三言を交わして終了となる。
 
 この「損害保険加入」事務と併行して、9日の下見に基づいて、第40回自然観察会参加者が当日参考にするためのA4版カラー印刷資料(パンフレット)の作成に入っていた。
 項目だけを挙げて見よう…
★岩木山を考える会主催2007年度第40回自然観察会
★目的:北西に広がる農地を育む後長根沢沿いに開析谷地形と早春を訪ねる
★コース地図★日程★写真2枚「雪崩あと(デブリという)とマンサクの花」★持ち 物・装備★注意事項★観察の視点★観察地域コースの解説★確実に観察できる樹木や草花、野鳥のリスト…などで構成されている。      
 現場に則した案内を心がけるとこのパンフレット作成には、大変気を使うもので、とても疲れる。
 実際プリントするとなると「レイアウト」も考えなければいけない。これら、「気を使い・考えなければいけない」ことなどは他人には見えない。
 そして、このパンフレットも参加希望者数よりも若干多めに印刷も終えた。さらに、参加費と会年会費の領収書も作った。この領収書作りも「印字・プリント・裁断・領収印捺印・氏名記入」というプロセスが必要であり、「領収書作り」という一言では片付くものではない。
 加えて、私的な事ではあるが14日のNHK弘前文化センター講座の準備を数日前からしている。
 私は「明日」のことを「今日」しない主義である。つまり、遅くても前々日にはすべて終えていることを心がけている。「自然観察会」は「準備の面」からすれば「今日」でも出来るということである。
 さらに、大事なことがあった。本会の会報41号の発行である。遅くても今月の中旬には発行したいと考えて、掲載するべき資料を集めながら、そのための「原稿書き」も続けている。
 このような「ほぼ一人事務局の私の仕事」は他人からは見えない。ただ、会報記事や会報の活動日誌を読んでもらえると、この時期「事務局」は毎年何をしているかは想像がつくのではないだろうか。想像出来る人は事務局の仕事が見えている人であろう。しかし、見えている人は非常に少ないようだ。

 現実、今週も会員やその他からいろいろな問い合わせや依頼があった。
一例を挙げるとまずは、NHK弘前文化センターからの講座「津軽富士・岩木山」用の写真提供依頼である。要求に応えるために写真を探して、プリントして持参したが多くの仕事を併行している身にとっては「流れ」に竿さされる思いが強い。もう一人、この講座「津軽富士・岩木山」の担当者がいてこのような処理に当たってくれていたら、私の仕事はスムーズに流れるだろう。
 ある会員からは「調査山行の同行」依頼と調査報告である。これは本当は大変ありがたいことである。彼は実際に数日前にも「扇ノ金目山」経由で山頂まで行かないかと同行の誘いをしてくれたのであったが、その日は「自然観察会の下見」に予定していたので断った。
 観察会が近ければ「下見」をするということが、彼の頭の中にはなかったのだろうかと思いながら、そのことを告げると「そういえばそうですね。」と言いながらも、「何時いつはどうですか。何日頃どうです。」とたたみかけて来る。
 今週(13~17日)が、「今月中旬」を完成の目処としている会報の作成時期であるということはまったく彼の頭にはないようだ。
 彼からは「ゴミ捨て現場」発見の報告もあった。木々の緑が濃くなって、その現場が見えずらくなる前に私に見てもらいたいというのである。これも大切なことではある。ただ、現場確認を第三者的な客観性で強固にしたいというのであれば、何も第三者は「私」でなくてもいい、他の人でもいいのではないだろうか。
 本会の中に、そのような班なり、グループを結成し、調査をして写真を撮り、それらが事務局に報告事項や報告物として提供される。そして、それを事務局がまとめて資料にしていく。必要な場合は行政などに報告することもあろう。
 これが本来の事務局としての仕事の有りようではないかと、常々思うのだがどうだろう。
 そのような形なり、システムのないことが「事務局」ひいては「私」に有形、無形すべてのことが集中する結果になっているのであろう。あえて言えば本会の持つ「システム上の欠陥」である。この欠陥を「訂正・修復・補完・補填」しないかぎり、仕事の一極集中はいつまでも続くだろう。
 総会の議案にも、別な表現ながら「このシステム上の欠陥」を是正していくような案を提出したが、今年度の総会でも「提案」に終わり、議論は皆無だった。
 

第40回「岩木山自然観察会」観察場所の下見

2007-05-11 06:07:45 | Weblog
 自然観察会の受付は終わった。これまでの観察会では一番参加者が少なくなった。「すばらしいエリアなのに…」と思うと何だか残念だ。

 9日に第40回「岩木山自然観察会」観察場所の下見をしてきた。
 国民宿舎の前を通り、「宮様道路」と通称されている道を東に進む。後長根沢にかかる橋を少し行ったところで、自動車はストップだ。まだ、林道沿いに小低木が繁茂していない時季だから、そのまま自動車でかなり奥まで入ることは可能である。
 そこから、沢の左岸に沿って「緩やかな」登り道を進むことになる。だが、入り口では「沢」を確認することは出来ない。そこは沢本流から東に300m以上は離れている。しかもなだらかに「平原」状に広がっているのである。
 これがこの後長根沢の特徴なのだ。急峻な谷頭(断崖絶壁)にはじまる開析谷…これら「おおまぶ」や「倉窓」は晴れていると林道の途切れた林縁から、所々で眺めることが出来る。9日もよく見えていた。
 それに続く広い河原、低くて広い尾根が開いた扇のように区画されている。
 
 岩木山の上部東面は、広大な雪の吹き溜まり地帯で遅くまで積雪がある。吹き溜まりによる積雪と雪崩で集められた多雪が雪解け水となって、この沢に流れ込むのである。昔から多くの農家はこれを恵みの水として利用してきた。
 林道と書いたが、それは林道であり、一方で堰堤敷設(えんていふせつ)に使用された工事道路でもある。だから、林道の終着地点まで数本の工事道路が斜めに沢に入り込んでいて、その下には大きな「堰堤」が寝そべっている。
 この沢の堰堤は、土石流をくい止めるということよりも農業灌水を保持するためという面が濃厚である。だから高さがあり、水抜き抗がある。土石の堆積はほぼないし、灌水用としての役割を十分果たしているように見える。実用的な必要に迫られたものとしての堰堤とはこのようなものをいうのだろう。
 ところが、…赤倉沢のものは、「造営することが目的だけ」のものに見えてしようがない。つまり、業者に「仕事」を与えるための工事ということである。
 何しろ、上部に堰堤を造る時に、そこから出た土石を下部の堰堤前部に投棄して、人工的に堆積物を「造って」しまうのだ。
 これだと、いくら堰堤を敷設しても、堰堤としての役割を果たさないから、次から次へとどんどん造ることになる。これまで、歴史的にも「土石流災害」が発生したことのない赤倉沢では、堰堤は、このような工事手法で1年に一基のペースで12基も造られてしまった。しかも、工事を受注したのは10数年間継続して同じ業者であった。
 ちなみに、赤倉沢の堰堤工事の発注と管轄は林野庁であり、この農業用堰堤の発注と管轄は青森県である。どちらが「無駄金」を使っているかは明らかである。

 林道の両側沿いに、延々と里ではすでに影を潜めたカタクリが咲き乱れ、沢に下る両尾根斜面には自生のオオヤマザクラが咲き乱れ、今や満開であった。その背後と上部のブナの新緑とあいまって、濃淡の桃色花の何という鮮やかさと艶やかさだろうか。

 足許からは、えもいわれない芳香が漂う。それはかなりの距離があっても五月の微風に乗って漂うのだ。背丈が低く、しかも小さく目立たない花、それらはその存在をまずは「香り」で教えてくれる。
 一つはスミレサイシン、一つはアオイスミレである。これらは、道の法面(のりめん)など、日当たりのいいところに生える。しかも、法面から雪が消えると直ぐに咲きだす。だから、道に雪があっても、その直ぐ近くで咲いている。
 残雪期に濃霧で道を失っても、この「芳香」を辿ると道を探すことが可能なのである。この香りはまさに「ヴァイオレット」の何ものでもない。春は香りをも運んで来てくれるすばらしい季節である。
ツノハシバミの雄花は地味だが濃紅の雌花は小さいが、それ故に印象は強烈である。

 一つ一つの花について書いていったらきりがないので、実際出会ったものだけを次に書き記そう。
・ナガハシスミレ(テングスミレ)・タチツボスミレ・オオタチツボスミレ・キジムシロ・エンレイソウ・カタクリ・キクザキイチリンソウ・ウスバサイシン・フユワラビ
・キブシ・オオヤマザクラ・ツノハシバミ・オオバクロモジ・ウワミズザクラ・ヤドリギ・バッコヤナギ・ハンノキ・タムシバ・マルバマンサク・アブラチャン・オオカメノキ
 ほかにも沢山あったが思い出せないのでこれくらいにしておこう。

 野鳥にも沢山出会ったし、鳴き声を聴いた。まずは、ヤブサメである。林道沿いは藪が濃い。その縁ではウグイス、コルリだ。林の木々にはヒガラ、ヤマガラ、コガラ、シジュウカラ、キビタキなどがさえずっていた…。
 
 ところで、またまた天気の話しで恐縮だが13日はどうだろう。参考までに調べてみたら、「曇り時々雨、降水確率は70%、気温は19℃」であるという。今度は参考にしながら自分で「予想して」ことに望むつもりだ。

小さな小さな花、キュウリグサ(胡瓜草)とハナイバナ(葉内花)その2

2007-05-10 05:09:47 | Weblog
 岩木山を考える会主催「岩木山自然観察会・後長根沢ぞい」への参加申し込みは本日の21時ごろで締め切りとなる。それ以降は受け付けない。
 定員は30名。今朝の時点ではまだ、定員に達していない。参加希望の方は本日21時までに0172-35-6819本会事務局・三浦あてに「氏名」「年齢」「住所」「電話番号」を述べて申し込んでほしい。

 昨日、この観察場所の下見を本会幹事のTさんとしてきた。その報告は明日このブログに書くが、今朝も少しだけ…
「林道の両側沿いに、延々とカタクリが咲き乱れ、野生のオオヤマザクラがカエデやミズナラの木々の中で、今や満開。濃淡の桃色花が鮮やか。」だった。


 小さな小さな花、キュウリグサ(胡瓜草)とハナイバナ(葉内花)その2
(承前)
 
 それでは一体このキュウリグサに似ている花は何なのだろう。「そうだ、あれしかない。非常に似ている花、花だけ見ては小さいので違いがはっきりしない。あれだ。」
 私はキュウリグサの特徴・特性を項目的に暗唱しながら…
「葉を揉むとキュウリの匂いがしない。」「花穂が渦を巻いていない。」「花の先端がくるりと巻いていない。」「花の形はキュウリグサそっくりだが中心が黄色くない。」「さそり状花序にはならず茎の上部の方まで葉がついている。」「葉の脇に小さな花がつく感じである。」と…その花の様子をキュウリグサと比較してみたのである。

 やはり、それはもはや疑いもなく、ハナイバナ(葉内花)であった。
それにしても、ハナイバナとは妙な名前である。カタカナ表記だけではまったくその意味が分からない。漢字書きにしても定かでない。
 ところが、実物を実際に見てみると、その意味がかなり明らかになるから面白い。
 名前は、「葉の脇に小さな花がつく感じ」に見え、茎の上部の葉と葉の間に花をつけることに由来して、「葉内花(ハナイバナ)」というのだ。

 雑草と一般的に呼ばれている「草花」の中には可憐な姿で咲くものが多い。このハナイバナもそうである。しかし、畑や道端に咲いているのだが普通の速さで歩いていても、気がつかないで通り過ぎてしまうほど小さく目立たない花なのだ。
 散歩のついでに、土や草の匂いのする場所で、しゃがみ込んで草花を見てほしいものだ。足元には沢山の雑草の「花」が咲いているのである。
 桜もすばらしい。散りゆく桜にも風情があろう。しかし、気づかずに通り過ぎてしまいそうな小宇宙的な雑草の世界もまさに生気にあふれ、色彩に充ち満ちている。
 この花、ハナイバナはまさに小宇宙としての天空に煌めく、星々に等しい。
 薄紫の小さな花は、蕊(しべ)の部分が円形に白みがかっていて、それが艶やかさを打ち消して、質素な高貴さを漂わせている。
 このハナイバナの風情は、仰々しく咲き誇る「ソメイヨシノ」とは異質の春の美であるように思えるのだ。

 ハナイバナはムラサキ科ハナイバナ属の一年草(または越年草)で、日本全土の畑や道端などにごく普通に生える雑草である。
 茎は細く上向きの伏毛があり10~15cmになる。やや地面に伏したように斜めに伸びるが、次第に立ち上がって伸びる茎が増えてくる。
 葉は長楕円形又は楕円形で長さ2~3cm、幅1~2cmあり、表面にしわがある。
葉の形は、決まった形があるわけではなく、縁は波打つことが多い。葉や茎、萼片などにやや長めの毛が多く生えているが、これが白くて茎にはりついたように上向きについている。
 枝の上部の葉の脇に淡い青紫色の花をつける。花冠は直径は2~3mm程度のごく小さい花で花冠の先は五つにさけている。萼は5枚である。花期は4~11月ととても長い。

 昨年の11月末に田んぼのあぜ道に咲いていたのを確認しているが、春先など、早めに咲いた個体にできた種が、芽を出して夏や秋には花をつけ、全体として花期が長くなっているのだろう。小さくて可憐な花だが気をつけて見ると、花期が長いので必ず発見できる花だと思う。
 雪が消えて、暖かくなってから伸びはじめた目の前の根生葉は、秋遅くは褐色を帯びているのに、とても明るくて瑞々しい彩りで「葉内の花」を支えているように見えた。

小さな小さな花、キュウリグサ(胡瓜草)とハナイバナ(葉内花)

2007-05-09 06:55:03 | Weblog
 はじめに、「弘前公園入場有料化」問題について「有料化の議論と弘前公園の自然」という題で東奥日報「明鏡欄」に私の投稿記事が掲載されたことを報告しよう。7日付けの夕刊である。この問題に関する投稿掲載は3回目となった。
 このブログを読まれている方はそちらも読んでいただきたい。なお、4回目の投稿は昨日、メールで送付した。

 小さな小さな花、キュウリグサ(胡瓜草)とハナイバナ(葉内花)

 桜祭りの終わりの日である。花見に出かけた。…とは言っても弘前公園ではない。公園の桜はすでに満開を過ぎ、夜来の雨に打たれてただただ散りいそぐだけのことだろう。散り惜しむかのように「散る」山桜ならば、その風情を古代の都びとのように味わう気分にもなるだろうが、気ぜわしい「ソメイヨシノ」さんでは落ち着かないだけである。
 かなりの曲解だが…「花より団子」とはよく言ったものだ。まさにそんな気分であった。

 私は公園の桜より4、5日毎年遅れて咲きだす桜を知っている。それは、弘前の北東の端っこ、加藤川が平川に流れ込む辺りに咲く3本のソメイヨシノである。一体誰が植えたのか。樹齢は60~70年くらいだろう。昔の加藤川の堤防と思しき土手のような土塁状の上に植えられている。堤防敷設の記念樹かも知れない。この桜には「隠れファン」がいるらしく、毎年数名の「鑑賞者」と出会うのだ。不思議なことに彼らはすべて単独である。

 その土手の東側はリンゴ園である。その緩やかな斜面に腰を下ろして、お弁当を広げる。土手の上部には落種から生えたのだろうか、黄色のナタネの花が彩りを添えてくれる。
 背後には桜の幹と枝と花、私は桜と菜種の花が描かれた屏風を背にしている。それらの間から見える土手の上の遙か彼方に岩木山が浮かんで見える。
 目の前にはいろいろな花が咲いている。ヒメオドリコソウ、タネツケバナ、ヒラオオバコ、シソ科のカキドオシ、ゴマノハグサ科のトキワハゼ、ムラサキゴケなど、いわゆる雑草と呼ばれる草々の花が咲き競っているのだ。
 その中でキラッと小さな小さなブルーが光った。最近視力が落ちているのに、よく見えたものだ。発見だ、キュウリグサだとすれば今年最初のお目見えである。
 とにかく小さな花で直径が2mmしかない。私の庭にも咲いている花だが、今春はまだ確認していない。

 キュウリグサはムラサキ科キュウリグサ属の二年(越年)草(多年草とする説もある)で秋に芽生え、ロゼット状に葉を広げて冬を越すものだ。つまり、雑草である。 日本全国の少し湿った野原や道端や畑などに生育している。茎の上部の葉は、長楕円形で長さ1~3cm、幅6~15mmで細毛がある。茎は下部で分岐し、茎の上部の花序(かじょ)はゼンマイ状(「サソリ形花序」と呼ばれてサソリの尾のようにくるりと巻かれている)に巻き込んでおり、外側のつぼみからだんだんと咲いていき、春が進むにつれ、花が開くにつれ、花序は次第次第にほどけてまっすぐに伸びていく。
 春に10~20cmの花茎をだし、長さ3~9mmの柄を持つ、径2mmの淡青紫色の小さくて可憐な花を上向きに咲かせはじめ、次第に立ち上がって背丈が高くなる。
 花期は4~6月で高さ25cmほどになることもある。花は一斉に咲き揃うということはない。一つ咲いては一つ落ちて…といった風情で、寂しさを感じさせるが、キュウリグサは時間を掛けて、少しずつ確実に子孫を残していくのである。
 とにかく、小さな花なので普通に見ていては「見え」ない。それに会えたのだから嬉しい。麦作の伝来にともなって帰化した「有史前帰化植物」の一つだといわれている。この小さな花が古代の帰化植物かと思うと、その健気さに胸が熱くなる思いだ。 
 若い茎や葉は食用として利用されるというがまだ食べたことはない。胡瓜の香りがするから酢膾(すなます)にして食べると美味しいかも知れない。

 キュウリグサという和名は「葉を揉むとキュウリのような臭いがする」ことに由来するというので、葉を1枚採って「揉んで」みたが、「キュウリ」の香りがまったくしない。いくらそれを鼻に近づけてみてもしないのである。
 「えっ、これは何だ。ひょっとしてあれかな。」私はかなり慌てた。よくよく花を見る、全体の姿を今一度観察すると、それは非常に似ているがキュウリグサではなかったのだ。
(明日に続く)

後長根沢とそこの花々と動物たち

2007-05-08 07:20:43 | Weblog
 後長根沢とそこの花々と動物たち

 今朝は、13日に実施する「岩木山自然観察会・後長根沢ぞい」の花や動物について解説をしよう。
 本会では毎年、春と秋、それに3月の雪上自然観察会を岩木山で開いている。02年の春は「二子沼」と西岩木山林道沿いで実施したが、その時の参加者は100名を越えた。観察会の成功・不成功は参加者数の「多」「少」で決めることではないという反省から、最近は募集人数に制限を加えている。それは「自然」に対する影響を最少するということを大切にするという考えからだ。

 管理人の葛西さんに本ホームページの扉に、この「案内」を載せてくれるようにとかなり前に「原稿」を送ってあるのだが、何しろこの時季、水田農家にとっては「田植え」の準備期間、猫の手も借りたいほどの忙しさだ。ホームページの更新まで手が回らないのである。そのことを「理解」して、数日前のブログでも案内をしたのである。
 葛西さんが私に「ブログ」開設を勧めた理由は実はここにあったようだ。私の「ブログ」で済む記事は、「ブログ」で済ませる。管理人の手を煩わせることはない。
 …とは思うのだが、本会を代表する行事「自然観察会」を私の「私的」なブログに掲載することは心情的に憚られるのである。 

 13日には「弘前の北西に開がる農地を育み続けている岩木山東麓の後長根沢に早春を訪ねよう」というタイトルで実施する。
 
 後長根沢は岩木山の南東面に位置し、標高200mから580mにかけて緩やかな斜面が約3㎞に渡って続き、広い川原をなしている。
 しかし、標高750mから1300mにかけては斜度が40度を越え、所々が断崖絶壁となっている。
 最も高い断崖絶壁部分を、地元の人たちは「おおまぶ」とか「後長根の倉窓」と呼んでいる。この断崖部分からの開析谷が後長根沢である。
 「まぶ」というのは剥き出しの岩が直立している場所を意味し、「倉」という呼称は急峻な崖を意味している。
 
 岩木山の大沢左岸から大黒沢右岸にかけての東面は、広大な雪の吹き溜まり地帯で遅くまで積雪がある。また、この沢は雪崩の頻発地帯で、毎年大きな雪崩が発生している。
 吹き溜まりによる積雪と雪崩で集められた多雪が雪解け水となって、この沢に流れ込むのである。昔から多くの農家はこれを恵みの水として利用してきたのだ。

 先ず沢左岸沿い林檎園のわきを進む。時折、沢の最奥の壁が見えたりするが、ミズナラ林と杉林の中を行く。
 リスやカモシカに会えるかも知れない。私は何回かこの沢と尾根筋でクマとも会っている。
 次はその時の出会いを文章にしたものである。
『 陽はすでに高く、左肩口から照りつけていた。残雪の脇にフキノトウが勢いよく伸びている。これは冬眠あけの熊を待つ花、ご馳走フキノトウだ。そして、その先端だけがきれいに摘み取られていた。
 熊が喰い散らしたフキノトウ。冬眠から醒めた熊は先ずフキノトウを漁るのである。きわめて新しい今し方の採餌痕だ。近くにいるはずだ。
 熊との不用意な出会いを避けるために、熊よけの笛を吹いた。右手に急斜面のブナ林が見えてきた。
 ブナの幹は白く眩しかったが、黒いものが林内の雪の上を横切って行くのが見えた。ゆっくりと歩く熊だ。時々、立ち止まってはこっちを見ている。距離は約30m。嬉しく妙に懐かしく、古い友達に会ったような気持ちだ。
 去年、一昨年と害獣駆除の名目で熊は殺されていた。ああ、この狭い岩木山でも元気で生きていたのだ。夢見心地の中にいた。』

 この時の感動は家に帰ってからも消えなかった。そして、出来た短歌が次の二首である。
 ◯ブナ林の白く眩しき雪の上冬眠あけの熊去り往きぬ   
 ◯去年(こぞ)今年害獣という名尽きえたり命雄々しく熊の往くなり

「去年」の歌は「尽きえたり」を「耳にせず」とすべきかで少し迷った。
人間の都合により一方的に「害獣」として殺され、駆除される熊への思いと目の前を行く元気な熊への愛おしい気持ちを表したつもりだがどうだろう。
 観察には「事実と自分の思想との融合」も必要であろう。

 約1時間ぐらいで川原に出る。川原特有のバッコヤナギの可愛い綿帽子はすでに開花し、綿のような種子を飛ばしているかも知れない。運がよければ川原に遊ぶ野ウサギに出会えるだろう。
 黄色いマンサクの花にも会える。残雪の脇ではフキノトウが採れるだろう。

その他に出会えると思われる花名を挙げておこう。
草の花 ◯ナガハシスミレ ◯オオバキスミレ ◯スミレサイシン ◯タチツボスミレ ◯クルマバソウ ◯キジムシロ ◯ミズバショウ ◯チゴユリ ◯マイヅルソウ ◯ユキザサ ◯エンレイソウ ◯ヒトリシズカ ◯カタクリ ◯ニリンソウ ◯キクザキイチリンソウ ◯キバナイカリソウ ◯エゾエンゴサク ◯ウスバサイシン ◯オクエゾサイシン ◯エゾノリュウキンカ

木の花 ◯キブシ ◯オオヤマザクラ ◯カスミザクラ ◯ツノハシバミ ◯オオバクロモジ◯ミズキ ◯ウワミズザクラ ◯ヤドリギ ◯ユズリハ ◯ヒメアオキ ◯バッコヤナギ ◯ハンノキ ◯タムシバ ◯マルバマンサク ◯アブラチャン ◯オオカメノキ ◯タラノキ

「天気予報」や「気象情報」は参考にするもの

2007-05-07 06:52:57 | Weblog
 (承前)
「天気予報」や「気象情報」は参考にするものであって、当てにするものではない。
 翌日の30日は朝から雪である。しかし気圧は少しずつ上昇している。
お昼の気象情報で面白いことに気づいた。寒気が低気圧と一緒に移動したのだ。しかも、日本の上空には今日、明日中寒気は入り込んで来ないのだ。等圧線は太平洋側では南北に走っているが、日本海側は北から西へと開いている。
「これはいいぞ。明日31日は午前中半ばから午後にかけては晴れるぞ。」と踏んだ。ところが、テレビ、ラジオで言う情報には「晴れ」の一言一句もなかった。
 年末年始登山というものの、その大半が年末登山だった。私も一家の主人たる以上お正月ぐらいは家にいなければなるまいとの思いが、年末年始登山の山行日を決めさせていた。年末は明日1日しかないのだ。明日、登山決行だ。「自分の天気予報」を信じる。これで何か自分の一歩を踏み出した気分になるから楽しい。
 何でもそうだが、山もまた然り、自分で「さいころ」を投げないかぎりは進めない。やっと惨めな自分から解放された。
 「決行する!」という言葉は、期待あり、不安あり、戦(おのの)きあり、まさに自分が自分を生きていることを実感させる。

 31日の朝。弘前では雪は降っていなかった。曇天である。自宅からタクシーで来て、スカイライン入り口の直線道路に沿って、6時過ぎに出発した。
 相変わらずの曇り空ではあるがここも雪は降っていない。
 7時近くになってようやく明るさが出てきた。圧雪の上に15cmほど昨晩降った雪がのっている。スキーのシールが効いて、軽快に高度と距離を稼いでいく。
 8時40分、スカイラインターミナルを出発。三つ目のリフト鉄塔のところで、スキーを外し輪かんに換えた。雪が固くてシ-ルが効かない。このガラガラ状のアイスバーンを滑降するのは危険だ。しかも単独行だ。
 視界は30mから40mだ。少しずつ雲が下方から薄くなってきている。時々登ってきたトレースやさらに下の山麓風景が目に入る。
 リフト終点に着く。15分の休みを取る。行動を始めてからほとんど口にものを入れていない。とにかく腹にいっぱい詰めることにする。

 頭上の雲間から青い空がのぞく。晴れの予兆か。視界が利き始める。ザックのサイドポケットに差し込んでいた「送り」(帰りの標識として使う赤い布付きの細竹)を握り絞めて出発だ。一歩一歩動くごとに視界がはっきりしてきた。
 これはいい調子だ。自分の予報に自信を持つが、単独行だ、慎重に行こう。
 薄い雲が西から東に流れる中、山頂はぼんやりとだがその姿を見せている。これはもう「晴れ」といえる状態だ。「送り」は必要ないかと思いながらも結局、山頂まで十本を立てた。雲は時々湧くものの、ホワイトアウトにはならなかった。        
 10時10分、山頂に到着。神社奥宮に、大学合格祈願奉書を納めなければいけない。今年大学入試センターテストを受ける生徒たちは十分な手応えを見せてくれていた。テストを前に今、彼等は苦しい。私も苦しい思いをしてここまで登ってきた。
 「神頼み」、これは許されることだろう。今日の登山には、大切な生徒たちの「合格祈願」を真摯にとり行なうことにも意味があったのだ。 
 東南に向く奥宮前面は吹き溜りにすっかり取り込まれ、大きく太い雪庇になっていた。東側から奥宮の「鏡」を目掛けて、ピッケルで穴を開けにかかった。30分も頑張ったがソフトボールに画鋲を刺したようなもので駄目だった。
 今度は横からだ。右側に回ってピッケルを刺し込むと、簡単にすうと入っていく。中が空洞なのだ。10数分後、奥宮の庇(ひさし)が見えた。腹ばいになって潜り込み、奉書を鏡があるとおぼしいところに置いた。這い出して、その前に立ち恭(うやうや)しく、「生徒たちの希望をかなえて下さい。」と言って合掌した。        
 風が弱く、晴れに近い薄曇り。いい天気になった大晦日の岩木山山頂。天気がいいとあらぬ余裕まで生まれるものらしい。頂上をあとにしたのは11時5分であった。送りの赤布を回収しながらの下降は結構時間がかかるし疲れるものだ。最後の10本目を回収して、リフト終点へと登りを急ぐ。
 送りの竹をまとめザックにつけながら山頂を見る。もはや完全に晴れだ。濃い青に純白の頂き。涙が出そうになる。
 スキーのデポ地点まで急ごう。12時35分のバスには乗りたい。デポ地点に11時45分に着く。輪かんを外し、すべてをパッキングし、スキーに履き換える。そして、ほぼ正午に下降を始めた。
 雪質上々、雪上車が圧雪したゲレンデは変化はないが速い。だから単純に楽で爽快だ。15分後、私はスカイライン入り口にいた。尻上りによくなった天気と同じように、私の心も晴ればれである。自分の下した予報が、見事に当たったのだからなおさら気持ちがいい。帰宅時間は午後1時10分。弘前は全くの快晴、気温も上昇して7℃、いい天気だ。
 一昨日の惨めな思いはきれいに消えていた。

 このような体験をしていたにも拘わらず、この5~6日に関しては「気象庁が発表した情報」を信じてしまい、それに従って山行を中止したのである。
 5日は完璧に晴れだった。6日は午後遅くから雨が降り出したが、登山口に15時に帰着するように行動すれば雨にあたることもなく「登山」は可能だったのだ。
 Jさんには何だか申し訳ないことをしてしまった気分だし、自力作善ならず、判断を他人任せにした自分がすごく恥ずかしく、惨めな気持ちでいっぱいである。

天気予報は信じる人の自己責任であります…か

2007-05-06 08:01:08 | Weblog
天気予報は信じる人の自己責任であります…か

 実は一ヶ月も前から、Jさんとこの5日か6日の一日を使い、岩木山登山に行こうと約束していた。条件はただ一つ、「お天気がいいこと」であった。
 そのために、ぎりぎり前日の4日まで「5日または6日、天候の様子を見て」行くか行かないかを決めることにしていた。
 ところで、4日の朝の5時の天気予報によると、5日は曇り一時雨で降水確率60%、特に昼から70%以上、6日は曇りで降水確率40%であるという。ちなみに、7日はまた雨で降水確率60%だそうだ。
 私は低気圧の移動を根拠にした私独自の「天気予報」から「6日は可能」かなとも考えたが、4日の朝の予報を無視することは出来なかった。
 なぜならば、Jさんのメールには「5、6日、山は雨にあたる公算が強いようです。中止でしょうか。」とあるし、何よりも春の山は「お天気」でなければ楽しくないし、雨降り後の残雪帯は、積雪に亀裂が生じて、全層雪崩の発生が多く危険であったからである。岩木山ではこれまで、多くの全層雪崩が発生している。その時期は4月中旬から5月上旬に集中している。

 そういう訳で、5日か6日の岩木山登山は中止となった。Jさんは「雨降り」の場合は奥さんから、一緒に「ミニ旅行を」と申し込まれて、雨降りでも「登山」にでかけるのだろうかと苦慮していたようだから…これでいいのである。

 ところが、私の気持ちはおさまらない。昨日は曇りのち晴れであった。雨の予報は「かすり」もしない。降水確率70%がきいてあきれる。そして、今朝は青空がのぞいている。私は腹が立っている。このように「当たらない天気情報」を出す気象庁に対してではない。その「あたらない情報」を信じて登山中止を決めた自分自身に対してである。
 このような「腹立たしい思い」は何も今回だけではない。信じた私がバカなので、情報を出す気象庁は常に「正しい」のである。                            
 ある年の年末登山を12月29日にしようと考えていた。ところで、28日の夜、
『明日は低気圧の接近により、天気は大荒れ、南東の風が強く、雨か雪、ところによっては雷雨となるでしょう。』と天気予報が言う。
 私は29日の登山を止めた。それは「雷雨となるでしょう。」の一言による。冬の雷は怖い。何回も至近距離に落雷するような現場で身動きできない状態に追い込まれたことがあったからである。
 何年か前の冬である。ヘッドランプを頼りの単独行だった。それまでの雪が霰(あられ)に変わった。その途端、目の前に青白い雷光の柱が大音響とともに立った。私は跳ね飛ばされ、身を雪の中に平らにし俯した。それしか出来なかった。 
 怖いのは山だけではない。龍飛から小泊までを踏破した時、それまでの山間ルートから海岸線のルートに移って間もない時である。西からの風で雪は地面と水平に飛んでいた。彼方に黒い竜巻状の積乱雲が立ち昇ぼった。暗い、まるで宵だ。バラバラとヤッケのフードを霰が叩く。ピカッ、ドドーン。前方の空中に稲光りが走る。私は腹ばいになっていた。
 このような時のかみなり様はどこに落ちるかは解らない。知っているのはご本尊のかみなり様だけである。はっきり言って避ける手だてはない。あるとすれば、それは「当たらない」という強運だけだ。
 やはり「当らない」気象情報とは思っても、思いもよらない仕方で発生するかみなり様ゆえに、本当に「当たった」ら怖い。直雷を受けたら即死、誘導雷でも大火傷(おおやけど)かも知れない。

 だが、珍しいことに予報は「明日は低気圧の接近」のところだけがあたった。しかし、時間的にはまったく外れたのだ。
 明日という日は24時間ある。そのうちの途中の1時間があたっても、あるいは23時間目の終わりごろから予報通りになったとしても、当たりはあたりなのだ。
 津軽では、高血圧からくる脳血管の損傷を「あたった」というが、強くあたろうが、軽くいこうが「あたった」というあれに等しい。
 その日はまさに後者のパターンだった。普通、私たちの感覚だと、明日という時は行動時間の日中をさすのだが、気象庁の言う「明日」は0時から24時までを指すものらしい。
 29日の朝6時、トイレの小窓から東の空を見る。星の瞬きが白みがかった暁にある。自室に戻り、西側の内窓を開ける。岩木山がその三分の一に雲を戴き、麓から山際をくっきりと見せている。7時、雲は若干あるものの晴れと言うにふさわしい。  8時、もはや快晴である。風はほとんどない。気圧は1026ヘストパスカル。気温3℃。昼近くで7℃まで上昇した。そして、このすばらしい天気は午後3時ごろまで続いた。ああ、なんとあほくさい。登っていたら、日本晴れの中で山行が出来たのに…。私はとても惨めな気持ちになった。他力本願の結末を見たような気分だ。
 私なりの予想だと、29日は少なくとも「午前中は晴れ」。午前中としたが、これは希望的な予想要因を厳しく排除したためであって、本音を言うと午後3時頃までは晴れだと思っていた。そしてその通りになった。
 「カミナリ」はいったいどこだ。気象情報を信じねばならなかった自分と信じた自分にものすごく腹が立った。
 自室にいて外を眺めては「なんだこの天気は!」と怒鳴り、天気予報の代わりに私が雷を落とす始末である。まったく様にならないお笑いぐさだ。そしてようやく、予報の顔を立てるかのように、夜半近くに「低気圧が接近」し通過したが、雷光、雷鳴の一かけらも確認されなかった。
 
 天気予報は信じる人の自己責任であって、当たる当たらないの責任は気象庁や気象予報士の責任ではないのだろう。

食べて美味しい、眺めて楽しいユキザサ(雪笹)

2007-05-05 09:48:46 | Weblog
 食べて美味しい、眺めて楽しいユキザサ(雪笹)

 先日と昨日、友人のKTさんから旬の山菜を戴いた。その中に「ユキザサ」もあった。私は積極的に山菜採りをすることはない。しかし、この「ユキザサ」だけは採ることがある。
 先月末に久渡寺山に出かけた。書くまでもないが、登山道を少し登った雑木林の林縁や開放地、日当たりのいい斜面ではキクザキイチリンソウなどのスプリングエフェメラルズ(春のはかない命たち)は、全身を太陽に突き出して、曝して咲いていた。
 この時季は下草が出ていない。歩きやすいので登山道を逸れて林内を登ることにした。ミズナラなどの葉はまだ出ていない。林の中は明るい。「春のはかない命」たちはこの樹木が葉を出す直前の明るい林下でしか花を着けない。
 葉が出ると早々と花を散らし、子孫を残して長い長い来年の早春までの休眠生活に入り、他の植物にその場所を譲る。これらはフクジュソウなどキンボウケ科の仲間たちである。
 中には、キュウリグサのように咲いては種を落とし、年中繰り返して花をつけるものもあるが、これとてきわめて「小さい」草本で花はわずかに2mmといういでたちからすれば奥ゆかしいともいえるが、このように植物は実に奥ゆかしい。まさに、「時所位」を完璧に知り尽くしている。これほど出しゃばらないことを弁(わきま)えた生き物はいない。
 人はこの地上に発生してから、ずっと「植物」に助けられながら生きてきた。しかし、これらの植物の持つ「時所位」を弁えるという奥ゆかしさとは縁のない生活をしてきている。植物に比べると人は強欲である。長生きしたい・他人よりいいものがほしい・おいしいものが食べたい・あれがほしい・これがほしいと飽くことを知らず、自分の「時所位」以上のことを求め、満足することがない。
 
 ところで、他人(ひと)様は「三浦さんはしょっちゅう山に行っているようですが、何を採るんですか。」と訊くことがある。
 この質問を受けることは結構多く、そのたびに、心中は穏やかではなくなる。
「山は人に恵みを与えてくれるけれども、山の植物も動物も人のためになろうなどと考えて生きているわけではない。そのことを厳密に捉えると人は、自然物を何の断りもなく略奪しているのだ。私は山菜を採る目的で山に入ることはない。私にとって山とは登るための場所であり、自然と同化して癒される場所である。そのような優しい場所で略奪行為をすることは出来ないのではないか。」
 …などと心中で反論しながらも口では…
「何も採りません。登って帰ってきます。」
「えっ、勿体ないでしょう。せっかく山に行くんですから何か採ってくればいいじゃないですか。」
「せこい。転んでもただでは起きない、というやつだ。」と思いながらも「…。」(無言)で応える。
もっとひどい言いぐさはこれだ。「冬山に登ったって何も採るものがないでしょう。馬鹿らしく無駄ですよ。」まさに極めつけだろう。価値観は多様で広いものだと諦めの境地である。

 キクザキイチリンソウがまばらになってきた林下である。白い根元を見せてすくっと立っている緑の小さな塔、中には少し葉を広げて緑の花芽を出しているものもある。「ユキザサ」だ。小さな花芽、つぼみである、が風に微かに揺れる。
 急がない山登りだ。大体を数えてみた。少なければ採らない。何と、200本以上はあるではないか。よし、30本程度は戴こう。
 私は丹念に一本二本と数えながら全部で35本採取した。
 夕食にその30本を茹であげてお浸しとして、鰹の削り節とお醤油で食べた。甘いのである。とろりとした優しい甘さが何とも言えないほどに美味しいのである。今年の初物だ。思わずそのおいしさに微笑んだ。「初物」を食する時は笑えというが、その所為では決してない。
 残りの5本は蕾が大きくなっており、咲きかかっていたものだ。これは最初から食するつもりはなかった。小さな花器にいけて「ユキザサの花」を楽しむためのものであった。

 岩木山には、このユキザサ(雪笹)の他にオオバユキザサ(大葉雪笹)とミドリユキザサ(緑雪笹…花色が緑色をしているもの)がある。

 ユキザサは「名と実を躰で表す真の白花」であると感じたユキザサとの出会いは…

 『何人かが私の前を登っているようだ。歩き始めや平坦なところでは会話が絶えない。途絶えるのは勾配がきつさを増した時か危険な場所である。総じて疲れている時は人語は控えめになるようだ。こんな時だけ人は自然と同化するらしい。
 自然とは静かなものである。草木は語らず、動物は寡黙(かもく)。鳥は歌うが場所と時をわきまえている。人語にはそれらが欠けているように思う。
 ことに、人間が集団をなした時に、なかなかわきまえ方ができないこと、つまり自然と本質的に同化できない資質があるような気がする。
 一人の時には会話の騒然さと煩(わずら)わしさがない。足許の草や花、木の実、昆虫やその死骸などを眼に止めてはものを思う。
 風を感じては雲に想いを馳(は)せ、したたり落ちる汗に体の鼓動を感じ、それを大地に伝え、山の鼓動を知る。
「白い花との出会いが多いなあ。」との思いがその日にはあった。花の名称に詮索が及ぶのもそんな時だ。
 ユキザサは目にしただけで名前の由来が解ってしまう素朴な花だ。
清楚の一語に尽きる。「花を雪に、葉を笹に見立てた花名」であることは誰にでも解る。
 花の名称で一番解りやすく忘れないものは、その名と色彩や形象・形状が直接対照されているものであろう。』

 春に、花は細雪に紛う純白で人を楽しませ、秋には透き通った赤いしょう果が山道の可愛らしい案内人として変身する。ありがたいことである。



ミズバショウ沼のすばらしさと今後の課題

2007-05-04 05:56:13 | Weblog
 ミズバショウ沼のすばらしさと今後の課題

 ミズバショウ沼のすばらしさは、他に…

1.植生が豊かであり、早春から秋まで花の観察ができること。
2.草本・木本の花が多様に見られること。
3.水性昆虫から草原、林間に住む昆虫まで他種多様であること。(ゴマシジミとワレモコウ、トンボと林、ゲンジボタルと林。ホタルと水、餌のカワニナ。)
4.ブルーギル、コクチバス、ブラックバスなどの外来魚は確認されていないこと。
5.岩木山麓から絶滅したセンフリ(千振)が張られた芝地には回復していること。(絶滅危惧種のオキナグサの回復も夢ではない。)

…なども挙げられる。

 一方で、ミズバショウ沼でこれまでに開催された主な観察会や講習会は、本会主催の自然観察会や日本自然保護協会自然観察指導員養成講習会など、おおよそ20回である。
  単なる「観光地」として使い捨てにされる場所ではないのである。

 ミズバショウ沼公園の今後の課題としては…

1.上流部を整備して沼の水源を確保すること。
2.隣接する畑地からの影響を最少にする工夫と方策をとること。
3.公園のお金をかけない整備と管理。地区住民とボランテア団体(個人)との連携。樹木名票等。
4.来園する人たちへの無理のない案内と自然公園内でのマナー向上教育。
5.岩木山の案内と教育施設である岩木山トレイルセンターとの連動的な活用法。
6.沼の北西から北東にかけて在来樹種を植栽して林をもう少し広げる。    
7.ランやオキナグサの回復を図る。
8.ミズバショウ沼農村公園に見られる特定外来生物・要注意外来生物(環境省制定)の取り扱い(調査と駆除)を早急に決定し実施に移る。

…などが挙げられるだろう。
 
 次に「岩木山を考える会」が調査・確認した「外来生物法に指定されているもの」を掲載する。

■特定外来生物■
・魚類のオオクチバス・コクチバス・ブルーギルは今のところ確認されていない。釣 り人5人からの口頭調査による。
・爬虫類のカメツキガメも確認されていない。
・甲殻類のアメリカザリガニはいるという。
・植物
 オオキンケイギク・オオハンゴンソウ

■要注意外来生物■
・植物
 セイタカアワダチソウ・キショウブ・ハルジオン・ヒメジョオン・キクイモ・オランダガラシ・メマツヨイグサ・コマツヨイグサ・ヘラオオバコ・アメリカオニアザミ・ブタナ・オオオナモミ・アメリカセンダングサ・ハリエンジュ(ニセアカシヤ)・オオアワガエリなどだ。
 おお、何と多いことか。
 
 本当の「美しい国、日本」とは…
 
 外来生物(植物)の侵攻は、まさに目を覆いたくなるほどの様相である。都市部の路傍や空き地にはじまり、高山まで、彼らの生命力は旺盛で、侵攻力は留まることを知らない。
 在来種(ずっと昔から日本に生えている植物)は、その住み場所をどんどん追いやられて、生息域を狭めているし、数も激減している。
 岩木山の山麓ではほぼ、在来種の「エゾタンポポ」は見られなくなってしまった。外来種の「西洋タンポポ」に駆逐されたのである。今や「エゾタンポポ」は山麓から山腹部に追いやられている。しかも、数が少ない。ある登山道ではわずかに「二株」しか確認されなかったのである。まさに、在来種「エゾタンポポ」は「風前の灯火」なのだ。
「外来植物」という分厚い図鑑がすでに数冊も発行されているほどなのである。私ですら2冊持っているくらいだ。
 早秋の植物から秋遅くまで、日本のいたるところで見られる。在来種は今や、日本の植物界にあっては「弱者」であり、「非正社員」であり、「ワーキングプア」なのである。

 ところが、政府や政治家たちは、「国を守る気概」とか「外国の脅威」といって、「外来勢力の侵攻」を防がねばならないという理屈で、憲法を変えて、軍備を増強しようという動きには活発になっているが、日本の「植物界」が「外国産」に侵略されてもまったく気にならないらしい。「外来種から在来種を守れ!」とはだれも言わない。
 日本民族の純粋性を主張する国粋的な右翼や日本の伝統的な良さを残して「美しい」国にしようとする保守本流の自民党や首相、「格差是正」を口にする民主党も、日本のこれまでどおりの植物界(在来種)を外来種の手から「守る」ことを真剣に考えてはいない。
 「日本在来の植物」すら外来種の侵攻・侵略から守れないものたちが、人々の生活や安全を守れるはずがないだろう。そういう者たちが「美しい国・日本」を主張しても白々しいだけである。「格差是正」と言っても、植物界の格差の広がりは気づくことさえないものたちに日本の舵取りを任せるわけにはいかない。


※自然観察会参加者を募集しています。※
●詳しくは5月2日のブログを見て下さい。●
◆歩く距離は大体3kmです。◆
■お弁当を持参して下さい。■
▲本会のスタッフが分野別(植物は草本・木本/昆虫/野鳥など)に解説をします。▲

ザゼンソウの不思議・ミズバショウ沼自然(植物)観察の視点

2007-05-03 06:02:50 | Weblog
ザゼンソウの不思議・ミズバショウ沼自然(植物)観察の視点

 ザゼンソウは、原始的なサトイモ科植物で、湿地に生えることや、早春の開花植物で花の後に葉が伸び出すことなど、ミズバショウと類似点も多い。
 その一方で、違う点も多くみられる。例えば、ザゼンソウは、花に悪臭があり、その匂いに誘われてハエがやって来ることや、自家不和合(同じ個体の花の花粉では、受粉してもタネができない)などが異なる。

 だが、もっとも興味深い違いは、昨日も少し触れたが「発熱するか・しないか」である。植物が発熱するの?と不思議に思う人も多いだろう。
 いくつかの植物では花が咲く時に熱を発することがある。
花が発熱する現象は、ハスやサトイモ科植物で知られており、とくにザゼンソウが有名である。この植物は早春の寒さの中で、花は15~35℃(平均して20℃)の温度を保っている。
 
 さて、サトイモ科植物は、どうやってそんな高い熱を発生さているのだろうか。

 それは、花のひとつひとつの細胞の中にある「ミトコンドリア」と呼ばれる「エネルギー発生器官」の働きを活発にさせることで、高い熱を作り出しているのである。この時、細胞の酸素消費が大きくなり、呼吸が活発になるのだそうだ。

 それでは何のために熱を出すのだろうか。
 これには次の三つの理由が考えられている。

1.虫を誘う匂いを、強く放つため
 花の匂いは、その虫を誘うためのものである。その匂いを広めるためには、花が温かいと都合がよい。
2.あたたかさで、虫を誘うため
 虫の体温はとても気温の影響を受ける。寒くなると虫は動けなくなるので、温かい花は虫にとってとても魅力的である。
3.寒い気候の中で自分(の花)を守るため

 座禅草は岩木山では生息地が少ない上に、生息数も少なくなってしまった。山麓の沢沿いの湿地が畑や造成地になってしまったからである。

 ところで、このミズバショウ沼公園で植物分野の野外観察をする場合、どのような見方ができるのだろうか。次にまとめてみた。
 この「見方・視点」にそって観察すると2時間以上は必要になるはずである。

? 広い範囲で眺めて、自分が今いるところと観察地との見え方の違いをとらえよう。
? そこの自然のおよその状態(植生=そこに生えている植物をひとまとめにして見たもの)を把握しよう。
「森林か草原か、広葉樹林か針葉樹林か、草丈の高い草原か低い草原か、沼地か湿原か」という見方は草木の名前が解らない時でも、場所の自然を記録する上で役に立つものである。
? 沼が湧き水なのか沢からの流入なのか、水源をとらえ流出口も確認し上流下流の地形、住宅地などとの関わりもとらえよう。
? 沼周囲の木道をゆっくり歩いて岸辺の植物に注意し、「見て聴いて嗅いで触ってなめて」みよう。
 その中で…
a 歩道の沼側と陸地側に違いがあるだろうか。
b 水面や水際に植物は生えているだろうか。
c 樹木の背丈と間隔と広がり、葉のちがいはどうだろう。実や種子はついているか。
d 木道下の湿地の草や花を見てみよう。葉の大きさや形のちがい、花の色はどんなもので何が多いだろうか。
e 実はついているか。色はどうだろう。種はあるだろうか。
f 春からの花の名残をさがしてみよう。
g これから咲き出すつぼみのものはあるだろうか。
h 樹木の花にも目をやろう。
i 枝の張り具合や傾き、幹の模様や付着・寄生物に注意しよう。
j 優占樹木や特徴づける樹木はどんな「木」だろうか。
…などに目をこらそう。

? 沼が何のために利用されてきたのか、その痕跡を植生からさぐろうう。
? どんな人工物に出会うだろう。自然の中の人工物に注意して適否さぐろう。観察地内の人工物と景観、植物との関わりを考えよう。
? 沼周辺の植生と盛土芝生部分の植生の違いに注目しよう。芝生の上は裸足になって歩いてみよう。そのほかに形や色の違いから他から移植されたものだと思えるものはないだろうか。
? 沼の盛土側の植物と木道奥の植物の目に見える違いを発見しよう。
? 昆虫や動物・鳥との関わりから植物を見てみよう。
? どこにでも生えているもの、咲いているものに目をこらそう。

以上の視点での観察が出来るので「自然観察会開催地」として十二分に、その条件を整えているといえるだろう。

 皆さんにお聞きします。次のことについて情報のある方は本会事務局、三浦(?0172-35-6819)お知らせ下さい。

 先日の調査で「沼の岸辺の水面」に弱り切って「横向き」状態になり、浮かんでいる「ワカサギ」に似た小魚を2匹発見しました。
 これは「ワカサギ」で間違いないでしょうか。「ワカサギ」はもともと沼に生息していたものでしょうか。

「第40回岩木山自然観察会」の案内

2007-05-02 10:40:59 | Weblog
   自然観察会開催のお知らせ
 申し込み期間は今日から10日までです。30名限定です。申し込み人数が30名を越えたら申し込み受付は打ち切ります。よろしくお願いいたします。

岩木山を考える会主催
   「第40回岩木山自然観察会」の案内


※実施日  : 5月13日(日)

※場 所  : 岩木山東麓・後長根沢沿い

※主 題  :

(1)スプリングエフェメラルズを見て森の仕組みを知る

(2)樹木と林床

(3)春の野鳥

※日 程  : (当日の天気によって変更もある)

→9:00 集合(場所・百沢駐車場「岩木山神社前を岳方向に100mの左側」)
 いったんここに集合してから更に車で移動する。

→13:30 閉会・解散 

※参加費  :500円(保険代・写真代を含む)

※申込・問い合せ先  :
・申込期間 5月10日まで

※電話で事務局・弘前市田町4-12-7三浦章男あてに     ※  0172-35-6819 ※