岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

人目に触れることが少ない堰堤(えんてい)・ダムにはムダなものもある(2)

2007-05-14 04:48:21 | Weblog
 昨日の自然観察会は、雨の降る中で行われたが無事終わった。その報告はこの「堰堤」に関するシリーズが終了したら掲載する。
 
 なぜ、「堰堤」なのかというと、人の安全や潅漑用水利用のために「堰堤」は存在するというが、それらには「必要最低限」でないものや「意味をなさない」ものがあるということである。
 さらに、それらはすべて「あるがままの自然」を大きく広く破壊した上に「敷設」されている。私はこの赤倉沢や平沢、湯ノ沢の堰堤工事現場に通って、その建設現場をこの目で見て写真に撮っている。そこに見えるものは「自然破壊」のなにものでもなかった。
 山岳自然の破壊を「人目につかない」場所で大きくしているものが、この「堰堤」敷設なのである。

 人目に触れることが少ない堰堤(えんてい)・ダムにはムダなものもある(2)

(承前)
 次に道路は、対岸に行き着く直前で右に大きく曲がっていた。当然堰堤にぶつかって道はそこで切れるものだろうと思った。しかし、何と、道路は堰堤をじかに、つまり堰堤を土台にして、その上を乗り越えて通っていたのだ。
 道路は砕石を主にした土石である。「土石をせきとめるための堤防」が堰堤の機能ならば、これはもはや機能喪失である。道路という「土石流」が堰堤を越えていたのだ。
 しばらく、左岸尾根の脚に沿って下る。道路の法面は低く、傍らの堆積物とほとんど同じである。さらに直進したり、ジグザグに進んだりしながら、何本かの堰堤を土台にして、その上を乗り越えている道を通り過ぎた。
 鎖が横に張ってある。なにか掲示物のようなものがぶら下げられていた。跨いで前に出て見たら、「関係者以外立入禁止」とある。
 そこもまた、堰堤を土台にして乗り越えている道であり、高さを少しも感じさせない堰堤の真下であった。そして、左岸尾根の脚がすぐそばに迫っていた。
 右に視線を移す。右岸尾根に向かってほぼ長方形にそこは開けていた。20mぐらい下方には、人が簡単に登れるほどに背の低い堰堤があった。
 つまり、堰堤の突起物である縁の上限に、このうえなく近づくぐらいに土石が埋まっているのだ。
 あまりにも違いすぎる。同じ岩木山の沢筋には多く堰堤がある。後長根沢や石切沢、それに蔵助沢にある堰堤は底部から頂部までは高く、深いのだ。しかし、ここに見える堰堤は、道路の一部になったり、駐車場であったり低くて浅いのだ。これだと、まさに堰堤機能の放棄である。
 その堰堤のそばには、ナンバ-プレ-トを外された自動車が放置されている。そこの部分だけ堰堤が見えない。開けているところは、上の堰堤と下の堰堤に挟まれたところで明らかに機器を使って水平に均されていた。
 視線を遠くに運ぶと自動車が数十台駐まっているのが見える。おびただしい数だ。
 何ということだ。この場所は、言ってみれば「土石をせきとめる」堰堤の心臓部ではないか。そこが駐車場として使われているのだ。

 いろいろな機能を引き出して使うのが「合理的」であるならば、それでいいだろう。しかし、主たる機能を無視し、形骸化して目の前の役割に与すのは、本末転倒ではないか。 山麓には「工事用車両入口」という表示のある道路もあった。工事は継続中なのだろう。今日は祝日のうえに土曜日だから工事をしている気配はない。だからその関係の車両はいないはずだ。それなのにこの数の車だ。何のために来たのだろう。
 これまで「参道」で誰一人として「人」に会ってはいなかった。
 自問自答は続く。また歩き始める。自動車を運転している者には一本道としか見えないだろうが、私には二股になっている所が目についた。車道は左岸尾根へと登っていた。もう一方は古いもので、車道ほどの広さはあったが、解りにくく不明瞭な道だった。
 気分的には、もう人工物に対する疑問から辟易していたので、草木の茂る古い方を選んだ。するとまた堰堤(赤倉沢最下流にある堰堤・これが造営されてから新しいものが造られるまで約10年の間隔があった。その後1年に一基の割合で造られていく。)が現れた。それは上流のものよりはやや古いものだった。
 そして、やはり、新しい車道からは見えないこの「古い道」も、造られた「土石流」となって、堰堤を土台として乗り越えて下方に続いていた。
 私はその道を下るのをやめた。とにかく無性に、人が足で歩くことで保ち続けてきた登山道に出たかった。
 右岸尾根に出よう。ここまで下ったのだから尾根に取り付けば登山道はすぐだ。すっかり低くなっている堰堤に沿って、薮をかき分け右手に進む。
 進むにつれて前方の尾根にひとつ、ふたつと建物が見えてきた。登山道沿いにある祠や宿坊である。堰堤を左に見ながら尾根への斜面を登った。そこは「湧水」のすぐそばだった。赤倉登山道を通るたびに、ここで水を補給している場所だ。
 背後でなにやら人声が騒然としていた。振り返って見る。まっすぐ後ろに、かなりの人がうごめいていた。そこはあの「駐車場」につながっていたのだ。

 私はその年の夏に、「湧水」のそばで信者らしい女人とした会話を思い出していた。
「自動車であればそこまで来れるんだ。」
「へ~、そうですか。」
「ずいぶん、便利になったよ。今は信徒たちでも、ほとんど下から登って来なくなった。みんな自動車だ。その他に、毎日何十人も大きなポリタンク持って、ここに水汲みに来るんだよ。自動車で来れなかった時は、誰も来ないで、静かだったのに。」

(明日に続く。)