岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

自然観察が始まった、エゾアオイスミレとの出会い!

2007-05-19 06:20:28 | Weblog
 自然観察が始まった、エゾアオイスミレとの出会い!

 林道の入り口付近に駐車をして、後長根沢の小さな支流沿いに進んだ。
まだ葉はまったく出ていない空疎で寂しいニシアカシヤの林である。その林下は緑なす原で、きめ細かくツクシが背丈をそろえて生え、オオウバユリの若葉がサイケデリックな模様と光沢ある色彩でその原っぱに点在していた。そして、降りしきる雨は、静かにその緑とツクシの淡い肌色に吸い込まれていた。

 「これは何々です。」という一方通行的な解説で終わる「観察会」(?)もあるようだが、それではおかしい。
自然観察会の目的の一つに「自然で観察されるものと人との関わり合いを知る、そしてそこから覗い知ることで自然を再確認する。」ということがあるように思えるのだ。
 その意味から、飢饉植物としての「オオウバユリ」について考えてもらった。名前からも解るように、これはユリ科の植物なので「根」が食べられる。つい最近まで食べていたものだが、それは飢饉の時の代用食としての名残であろう。
 同じユリ科のエンレイソウ(エンレイソウ属)が小群をなして、沢沿いに生え、その周りにはエゾエンゴサクが咲いている。この辺りは雪消え間もない場所なのである。
 エンレイソウはユリ科でなくエンレイソウ科とするべきだとする学者もいるようだ。いずれにしても、この草は薬草である。漢字では延齢草と書いて、いかにも効能が高そうである。

 林道はいきおい雑木林の縁ということになり、日当たりがいい場所である。小低木のクロモジ、アブラチャン、それに遅咲きのマルバマンサクなどが花をつけている。それらを眺めながら、私は鼻を利かせて、目で紫色の花を「地肌」に追っていた。
 その花は、暖かい陽気の時ほどその「芳香」を増す傾向にあるので、暖かくて晴れていれば「鼻を利かせる」必要はまったくないのだが、この天気なのでその植物たちが「香り」をどこまで発散させてくれるかは不安であった。
 私は、教えることなく参加者自身に、その「香り」に気づいてもらいたかった。そのためには、まずその花を視認する必要があったのである。
 薄紫の小花がチラホラする。だがそれは求める花ではない。ナガハシスミレ(テングスミレ)であった。これは里のスミレだ。種が人の衣服などに付着して里からここまで登ってきたのだろう。距(花にある管状の狭長な突出部。内部に蜜腺がある。スミレの花弁などにある。)が極端に長いので直ぐに見分けがつくスミレだ。
 だが、そろそろ、その求める花は「出てくる」だろう。
 そこで「今日のカタクリは、みんな下を向いて、私たちに顔を向けてはくれません。私たちの友だちではないからです。すべての感覚を使って、新しい今日の友を探しましょう。」と言った。

 それから、数分後である。香ってきた。何という芳香だろう。暖かく晴天の時よりは、少し弱めであるが、確実に私たちの「嗅覚」は、その「芳香」をとらえ始めたのである。参加者たちは「嗅覚」というレーダーで「香り」の発信源を探し始めたのだ。
 林道の縁をきれいな水が流れている。清流といえそうだ。その傍に「香り」の発信源が、咲いていたのである。一輪を採る。それを各自輪番で、鼻に近づけて香りを嗅ぐ。
 歩みは止まった。早春の香り、「ヴァイオレット」、アオイスミレであった。葵菫と書き、葉が徳川家の紋、葵の葉の形と似ていることからの命名である。

 私は花弁に注意をしていた。丸みがないのである。花弁の縁が浅く裂けてくびれている。しかも、咲いている場所が、雪解け間もない冷たい水の流れる近くである。となれば、これは「エゾアオイスミレ」だ。本当に珍しいことだ。
 この沢の上流のしかも、岩の裂け目で初めて「エゾアオイスミレ」と出会ったのは、確か4月の中旬であった。一ヶ月遅れのこの時季に出会えるとは、まさに「幸運」というほかはない。この出会いも、「雨天」の恵みに違いない。

 香りを出すスミレには「スミレサイシン」がある。これはアオイスミレほどではないが、花など全体が大きいので「体積的」に「香り」が強くなる。下見の時に、これも確認していた。花がよく目立って、参加者はすぐに気づいたが、何しろ「香り」は「アオイスミレ」の二番煎じ、何となく浮かない雰囲気なのであった。
「嗅ぐ」という感覚を使い、山道で香りから早春(エゾアオイスミレは本当に早春の花なのである)を堪能してもらえたはずだ。まさに、「雨天」というマイナスがプラスに変化したとも言えるだろう。
 (この稿は明日に続く。)