岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

天気予報は信じる人の自己責任であります…か

2007-05-06 08:01:08 | Weblog
天気予報は信じる人の自己責任であります…か

 実は一ヶ月も前から、Jさんとこの5日か6日の一日を使い、岩木山登山に行こうと約束していた。条件はただ一つ、「お天気がいいこと」であった。
 そのために、ぎりぎり前日の4日まで「5日または6日、天候の様子を見て」行くか行かないかを決めることにしていた。
 ところで、4日の朝の5時の天気予報によると、5日は曇り一時雨で降水確率60%、特に昼から70%以上、6日は曇りで降水確率40%であるという。ちなみに、7日はまた雨で降水確率60%だそうだ。
 私は低気圧の移動を根拠にした私独自の「天気予報」から「6日は可能」かなとも考えたが、4日の朝の予報を無視することは出来なかった。
 なぜならば、Jさんのメールには「5、6日、山は雨にあたる公算が強いようです。中止でしょうか。」とあるし、何よりも春の山は「お天気」でなければ楽しくないし、雨降り後の残雪帯は、積雪に亀裂が生じて、全層雪崩の発生が多く危険であったからである。岩木山ではこれまで、多くの全層雪崩が発生している。その時期は4月中旬から5月上旬に集中している。

 そういう訳で、5日か6日の岩木山登山は中止となった。Jさんは「雨降り」の場合は奥さんから、一緒に「ミニ旅行を」と申し込まれて、雨降りでも「登山」にでかけるのだろうかと苦慮していたようだから…これでいいのである。

 ところが、私の気持ちはおさまらない。昨日は曇りのち晴れであった。雨の予報は「かすり」もしない。降水確率70%がきいてあきれる。そして、今朝は青空がのぞいている。私は腹が立っている。このように「当たらない天気情報」を出す気象庁に対してではない。その「あたらない情報」を信じて登山中止を決めた自分自身に対してである。
 このような「腹立たしい思い」は何も今回だけではない。信じた私がバカなので、情報を出す気象庁は常に「正しい」のである。                            
 ある年の年末登山を12月29日にしようと考えていた。ところで、28日の夜、
『明日は低気圧の接近により、天気は大荒れ、南東の風が強く、雨か雪、ところによっては雷雨となるでしょう。』と天気予報が言う。
 私は29日の登山を止めた。それは「雷雨となるでしょう。」の一言による。冬の雷は怖い。何回も至近距離に落雷するような現場で身動きできない状態に追い込まれたことがあったからである。
 何年か前の冬である。ヘッドランプを頼りの単独行だった。それまでの雪が霰(あられ)に変わった。その途端、目の前に青白い雷光の柱が大音響とともに立った。私は跳ね飛ばされ、身を雪の中に平らにし俯した。それしか出来なかった。 
 怖いのは山だけではない。龍飛から小泊までを踏破した時、それまでの山間ルートから海岸線のルートに移って間もない時である。西からの風で雪は地面と水平に飛んでいた。彼方に黒い竜巻状の積乱雲が立ち昇ぼった。暗い、まるで宵だ。バラバラとヤッケのフードを霰が叩く。ピカッ、ドドーン。前方の空中に稲光りが走る。私は腹ばいになっていた。
 このような時のかみなり様はどこに落ちるかは解らない。知っているのはご本尊のかみなり様だけである。はっきり言って避ける手だてはない。あるとすれば、それは「当たらない」という強運だけだ。
 やはり「当らない」気象情報とは思っても、思いもよらない仕方で発生するかみなり様ゆえに、本当に「当たった」ら怖い。直雷を受けたら即死、誘導雷でも大火傷(おおやけど)かも知れない。

 だが、珍しいことに予報は「明日は低気圧の接近」のところだけがあたった。しかし、時間的にはまったく外れたのだ。
 明日という日は24時間ある。そのうちの途中の1時間があたっても、あるいは23時間目の終わりごろから予報通りになったとしても、当たりはあたりなのだ。
 津軽では、高血圧からくる脳血管の損傷を「あたった」というが、強くあたろうが、軽くいこうが「あたった」というあれに等しい。
 その日はまさに後者のパターンだった。普通、私たちの感覚だと、明日という時は行動時間の日中をさすのだが、気象庁の言う「明日」は0時から24時までを指すものらしい。
 29日の朝6時、トイレの小窓から東の空を見る。星の瞬きが白みがかった暁にある。自室に戻り、西側の内窓を開ける。岩木山がその三分の一に雲を戴き、麓から山際をくっきりと見せている。7時、雲は若干あるものの晴れと言うにふさわしい。  8時、もはや快晴である。風はほとんどない。気圧は1026ヘストパスカル。気温3℃。昼近くで7℃まで上昇した。そして、このすばらしい天気は午後3時ごろまで続いた。ああ、なんとあほくさい。登っていたら、日本晴れの中で山行が出来たのに…。私はとても惨めな気持ちになった。他力本願の結末を見たような気分だ。
 私なりの予想だと、29日は少なくとも「午前中は晴れ」。午前中としたが、これは希望的な予想要因を厳しく排除したためであって、本音を言うと午後3時頃までは晴れだと思っていた。そしてその通りになった。
 「カミナリ」はいったいどこだ。気象情報を信じねばならなかった自分と信じた自分にものすごく腹が立った。
 自室にいて外を眺めては「なんだこの天気は!」と怒鳴り、天気予報の代わりに私が雷を落とす始末である。まったく様にならないお笑いぐさだ。そしてようやく、予報の顔を立てるかのように、夜半近くに「低気圧が接近」し通過したが、雷光、雷鳴の一かけらも確認されなかった。
 
 天気予報は信じる人の自己責任であって、当たる当たらないの責任は気象庁や気象予報士の責任ではないのだろう。