岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

事務局の仕事は見えているのか…

2007-05-12 08:19:35 | Weblog
 しなければいけないことは重なるものだ。自分でするべきことは事前に分かっているから、計画を立てて、たとえばAをしたらBをして、あるいはAとBを併行させながら、時間がとれるとCをやるという具合に「事を進めて」処理をしていく。
 ところが、他人からは私の「しなければいけないスケジュール」は見えないし、解らない。

「損害保険に加入した」と一言で処理される事項も詳しく書くと次のようになる。
10日までは電話で「自然観察会」参加希望者の受付をしていた。昨日は受付が終わったので、氏名・住所・年齢・性別・電話番号記載の「参加者名簿」を作成し、プリントアウトした。
 それに基づいて「損害保険加入」申請書を作成し、プリントして損害保険会社にFaxした。これで「損害保険加入」が出来たわけではない。
 保険会社では私が送った資料に基づいて正式な書類を作成する。それから、私のところに、正式な書類を持参して私の署名・捺印を求めてから保険料を請求する。
 そして、保険料を支払い、契約事項などについて二言、三言を交わして終了となる。
 
 この「損害保険加入」事務と併行して、9日の下見に基づいて、第40回自然観察会参加者が当日参考にするためのA4版カラー印刷資料(パンフレット)の作成に入っていた。
 項目だけを挙げて見よう…
★岩木山を考える会主催2007年度第40回自然観察会
★目的:北西に広がる農地を育む後長根沢沿いに開析谷地形と早春を訪ねる
★コース地図★日程★写真2枚「雪崩あと(デブリという)とマンサクの花」★持ち 物・装備★注意事項★観察の視点★観察地域コースの解説★確実に観察できる樹木や草花、野鳥のリスト…などで構成されている。      
 現場に則した案内を心がけるとこのパンフレット作成には、大変気を使うもので、とても疲れる。
 実際プリントするとなると「レイアウト」も考えなければいけない。これら、「気を使い・考えなければいけない」ことなどは他人には見えない。
 そして、このパンフレットも参加希望者数よりも若干多めに印刷も終えた。さらに、参加費と会年会費の領収書も作った。この領収書作りも「印字・プリント・裁断・領収印捺印・氏名記入」というプロセスが必要であり、「領収書作り」という一言では片付くものではない。
 加えて、私的な事ではあるが14日のNHK弘前文化センター講座の準備を数日前からしている。
 私は「明日」のことを「今日」しない主義である。つまり、遅くても前々日にはすべて終えていることを心がけている。「自然観察会」は「準備の面」からすれば「今日」でも出来るということである。
 さらに、大事なことがあった。本会の会報41号の発行である。遅くても今月の中旬には発行したいと考えて、掲載するべき資料を集めながら、そのための「原稿書き」も続けている。
 このような「ほぼ一人事務局の私の仕事」は他人からは見えない。ただ、会報記事や会報の活動日誌を読んでもらえると、この時期「事務局」は毎年何をしているかは想像がつくのではないだろうか。想像出来る人は事務局の仕事が見えている人であろう。しかし、見えている人は非常に少ないようだ。

 現実、今週も会員やその他からいろいろな問い合わせや依頼があった。
一例を挙げるとまずは、NHK弘前文化センターからの講座「津軽富士・岩木山」用の写真提供依頼である。要求に応えるために写真を探して、プリントして持参したが多くの仕事を併行している身にとっては「流れ」に竿さされる思いが強い。もう一人、この講座「津軽富士・岩木山」の担当者がいてこのような処理に当たってくれていたら、私の仕事はスムーズに流れるだろう。
 ある会員からは「調査山行の同行」依頼と調査報告である。これは本当は大変ありがたいことである。彼は実際に数日前にも「扇ノ金目山」経由で山頂まで行かないかと同行の誘いをしてくれたのであったが、その日は「自然観察会の下見」に予定していたので断った。
 観察会が近ければ「下見」をするということが、彼の頭の中にはなかったのだろうかと思いながら、そのことを告げると「そういえばそうですね。」と言いながらも、「何時いつはどうですか。何日頃どうです。」とたたみかけて来る。
 今週(13~17日)が、「今月中旬」を完成の目処としている会報の作成時期であるということはまったく彼の頭にはないようだ。
 彼からは「ゴミ捨て現場」発見の報告もあった。木々の緑が濃くなって、その現場が見えずらくなる前に私に見てもらいたいというのである。これも大切なことではある。ただ、現場確認を第三者的な客観性で強固にしたいというのであれば、何も第三者は「私」でなくてもいい、他の人でもいいのではないだろうか。
 本会の中に、そのような班なり、グループを結成し、調査をして写真を撮り、それらが事務局に報告事項や報告物として提供される。そして、それを事務局がまとめて資料にしていく。必要な場合は行政などに報告することもあろう。
 これが本来の事務局としての仕事の有りようではないかと、常々思うのだがどうだろう。
 そのような形なり、システムのないことが「事務局」ひいては「私」に有形、無形すべてのことが集中する結果になっているのであろう。あえて言えば本会の持つ「システム上の欠陥」である。この欠陥を「訂正・修復・補完・補填」しないかぎり、仕事の一極集中はいつまでも続くだろう。
 総会の議案にも、別な表現ながら「このシステム上の欠陥」を是正していくような案を提出したが、今年度の総会でも「提案」に終わり、議論は皆無だった。