岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

人目に触れることが少ない堰堤(えんてい)・ダムにはムダなものもある(1)

2007-05-13 05:56:32 | Weblog
 今日は雨降りだが、「岩木山自然観察会・後ろ長根沢ぞい」は予定どおり実施する。昨晩も「明日」はどうなるのかという電話をもらったが、実施すると答えておいた。ただ、「カミナリ」が発生するようであれば早めに中止して解散する。

 昨日のブログで「堰堤」について触れたので、今朝は「赤倉沢の堰堤」の「異様」さについて少し詳細に紹介したい。
 
 赤倉沢の堰堤(ダム)…その異様さ(見た目の異様にとどまらず、ここまで必要なのかという異様さ)
 
 季節は秋であった。下流部の川原にも乾いた秋の日ざしがあった。そして、その中に巨大な白い構築物が微動だにせず寝そべっているのを発見した。
 それは、一定の高さと幅を持ちながら、長くて人工的な角張ったもので、広々とした川原を、寸分の隙間も造らずに、こちら岸の足もとから対岸の足もとまでを直線的に横断していた。
 遠目には単調な造りをしているが、高さはないもののやたらに大きい。それはコンクリ-トで「造営」された堰堤であった。
 堰堤を沢に作りながら、どうしてその上部に崩れ落ちるおそれのある道路を敷設しなければならないのだろう。堰堤を作ったから安心しているのであろうか。
 であれば、この論理はとめどがない。「堰堤があるから崩れても大丈夫である。だから堰堤を上流にどんどんと構築していく。」という勝手な論理。
 これで堰堤と道路のコンビネ-ション的な建設・敷設が可能になるのだ。これで建設業者の仕事はダブルで増えるし、仕事はいつまでもなくなることがない。
 ごみ、立派な道路、そして空間的な人工美と幾何学模様あふれる堰堤。なんと、念入りに、しめ繩内の世界との隔絶を助長してくれることか。
 これだと、かなり鈍感な者でも深山幽谷の雰囲気に耽ってはいられなくなる。

 コンクリ-ト製の構築物として我々の目に触れるものは、一般的にビルなど、人間がそこで居住し、生活をしたり生産に携わっているところである。そしてこれらが圧倒的に多い。
 目に触れないものもないわけではない。海底や地中の人が造った大半の構築物、トンネルや地下豪、核シェルタ-や核のごみを入れて置く容器などだが、これらは目に触れないことをいいことに最近増えているらしい。堰堤もこの類に入るかも知れない。
 目には触れるが、居住と関わりのないコンクリ-ト製の建造物や構築物は、海岸・河岸の岸壁、護岸用の堤防やテトラポット、灌漑用水や洪水防止のためのダム(堰堤)などでその数は少ないはずだ。少なければ見慣れていない。見慣れていなければ異様に映る。
 特に、山の沢に「治水・治山」の目的で造られる堰堤は、その場所に、少なくともその山に行かなければ見えないのが常だ。だから見る機会が少なくなる。よって見慣れないものとしての度合いは高まる。
 つまり、それら堰堤は、一般的なコンクリ-ト製の建造物よりも異様に見えるのだ。さらに、この場所を含み、しかも延長線の上流には修験道信仰に支えられた「ご神体域」が存在する。
 その人知を寄せつけない造山活動の終焉と新しい始まりとしての地質的な景観を持つ場所柄が、いわば丸抱えの自然そのものであることに比べると、ここではそのあまりの人工的な非均衡によって異様さは増す一方なのである。

 異様さ続く。これまで、赤倉登山道を通るたび、キレットやその他の眺望可能なところから、赤倉沢を覗くつど、下流に沢を横断している白くて巨大な堰堤を確認していた。 
 そして、その数が年を追うごとに多くなっていることにも気付いていた。多いのだ。素人目には、遠目であっても、まるで沢を埋めつくすような多さに見えていた。 今、間近に見て、異様にも多くの巨大な堰堤が沢を埋めつくすための手助けをしているのではないかという感じをいっそう強くした。
 異様な景色はまだ続くが、今まで述べた異様さとはちょっと違う。それは堰堤というものの機能を考えた時に生ずるものだ。

「堰堤」とは、河川、渓谷の水流、あるいは土砂をせきとめるための堤防、ダムである。と私は、理解していた。
 だから当然、その目で見る。もう一度、ほぼ直線的に下る道路を見た。ぶな林となって斜めに沢に落ち込んでいる尾根の脚を、水平と垂直に切り取ってそこに造られている。
 それでは、その切り取られた三角形部分の土石はどう処理したのか。高いところにある道路から見た限りでは、その答は出せなかった。
 道路は左に曲がる、すなわち沢へ降りて行った。そして、堰堤と平行して対岸へつながっている。おかしいことに、その道路は堰堤と同じ高さであった。堰堤は本当に大きい。この巨大な構築物が物理的に、まず自重を、そして流れ来る土石を、支えくい止めるためには、そうとうの底面的基礎部分を必要とするはずである。
 それでは底面的基礎部分をはめ込んだところから出た土石はどう処理したのか。堰堤が地表に突き出している部分と、傍らを走る法面の極端に低い道路の高さが同じだということに何か因果関係はないのか。
 ( 明日に続く。)