先日、公園の外周を巡ってみた。今年は雪が少ない、というよりも「ない」のでこの時季だというのに「土塁」の状態がよく見えた。
市役所付近から見える土塁には、もちろん裏側がどうなっているかは見えないが、ササが繁茂していた。それから、外濠ぞいに亀甲町へと下る。驚いた。土塁からかなりの面積でササが消失している。亀甲町ぞいの土塁も同じようにササは削がれていた。
弘前公園は場所として、昔、鷹ヶ丘と呼ばれていた。この地名は何を私たちに語ろうとしているのか。
弘前公園は昔、鷹ヶ丘と呼ばれる自然の丘陵(里山)だった。
茂森町の「山観」と同じように高台に位置していて、かつては鷹が生息するうっそうとした森だった。
鷲鷹類は生態系の頂点にいるものである。そこでは鷹狩がされていたそうだ。その名残を示す「鷹匠町」という町が公園のすぐ下にある。
鷹が生息し、鷹狩りが出来るということはそれだけ自然生態系が正常で、しっかりした自然度100パーセントの場所であった。
そこはタヌキ、オコジョやテンやイタチ、アナグマ、ヒミズやモグラ、ホンドリスが生息していた場所である。
本会会長阿部東の報告によると…
今から50年ほど前の大学四年生の時、公園内に仕掛けたトラップでジネズミ、ヒミズ、コモグラ、ハタネズミ、アカネズミの5種類を捕獲出来た。
ところが、1997年11月に弘前高校の生徒と仕掛けたトラップではドブネズミとハツカネズミしか捕獲出来なかった。
…ということである。
このことは明らかに、自然生態系が壊されてきたことの証明であろう。
猛禽類の餌となる小動物が生息していない環境には猛禽類は生息出来ないのである。鷹が生息出来ない弘前公園、ここに鷹ヶ丘という地名はその意味を失ったのである。
「公園の整備」という時、平川市の「白岩公園」や弘前市の「座頭石」などに、その典型を見ることが出来る。それは「下草をきれいに刈りとってしまう」ことや「竹藪などの剥ぎ取り」などである。これをするとその藪を生活の場にしている昆虫を含めた小動物は生活の場を失うのだ。死んでしまうのである。
「弥生地区自然体験型拠点施設」建設計画の中にも、「整備して昆虫等の観察をする」というあほらしい一項があったが、整備したら昆虫はいなくなるのである。
弘前公園もご多分に漏れず、しかも主に「ソメイヨシノ」という一種の保護と育成のもとに、道の拡幅と路面の固定化、草地・竹藪の剥ぎ取り、樹木の伐採、建造物建設などをしているのである。
これらは、あくまでも観光客の見た目に呼応するものであって、整備の主眼は「集客」であり、公園の「自然生態系」を保護するという視点はまったく欠如しているものである。
過剰な整備であり、しかも片手落ちで間違った整備をして、そのために費用がかかるので「入場料」を取らねばならいのだという弘前市の姿勢はおかしい。
ところが、その一方で、弘前市の鳥「市鳥」選定ということが考えられているそうだ。そこでは「オオタカ」を指定したいという動きがあるといわれている。
現在、弘前公園の森に「オオタカ」はいない。「かつてはいた」というのでは、絵に描いた餅に等しいではないか。
公園の自然を取り戻すと、彼らの餌は「回復」する。となれば彼らはきっと公園に戻ってくる。松の梢にとまり、眼光鋭く鳴き交わすオオタカの姿を、いつも見ることが出来る公園、この方が格段に「集客」効果がありそうに思えるがどうだろう。
有料化(を推進するため)のアンケートを市民からとる前に、公園の自然史と植生から、本来の自然を取り戻すことの手だてを速やかに実行しないと、歴史的な「天守閣」だけを持つ人工の都市公園になってしまうだろう。オオタカの棲む森に戻そう。
断っておくが、必要な整備と保守管理までをするなとは言わない。
2007/02/27付の東奥日報が報じている『弘前公園桜再生の切り札「空気圧」掘削機を導入』などは大事なことである。
市役所付近から見える土塁には、もちろん裏側がどうなっているかは見えないが、ササが繁茂していた。それから、外濠ぞいに亀甲町へと下る。驚いた。土塁からかなりの面積でササが消失している。亀甲町ぞいの土塁も同じようにササは削がれていた。
弘前公園は場所として、昔、鷹ヶ丘と呼ばれていた。この地名は何を私たちに語ろうとしているのか。
弘前公園は昔、鷹ヶ丘と呼ばれる自然の丘陵(里山)だった。
茂森町の「山観」と同じように高台に位置していて、かつては鷹が生息するうっそうとした森だった。
鷲鷹類は生態系の頂点にいるものである。そこでは鷹狩がされていたそうだ。その名残を示す「鷹匠町」という町が公園のすぐ下にある。
鷹が生息し、鷹狩りが出来るということはそれだけ自然生態系が正常で、しっかりした自然度100パーセントの場所であった。
そこはタヌキ、オコジョやテンやイタチ、アナグマ、ヒミズやモグラ、ホンドリスが生息していた場所である。
本会会長阿部東の報告によると…
今から50年ほど前の大学四年生の時、公園内に仕掛けたトラップでジネズミ、ヒミズ、コモグラ、ハタネズミ、アカネズミの5種類を捕獲出来た。
ところが、1997年11月に弘前高校の生徒と仕掛けたトラップではドブネズミとハツカネズミしか捕獲出来なかった。
…ということである。
このことは明らかに、自然生態系が壊されてきたことの証明であろう。
猛禽類の餌となる小動物が生息していない環境には猛禽類は生息出来ないのである。鷹が生息出来ない弘前公園、ここに鷹ヶ丘という地名はその意味を失ったのである。
「公園の整備」という時、平川市の「白岩公園」や弘前市の「座頭石」などに、その典型を見ることが出来る。それは「下草をきれいに刈りとってしまう」ことや「竹藪などの剥ぎ取り」などである。これをするとその藪を生活の場にしている昆虫を含めた小動物は生活の場を失うのだ。死んでしまうのである。
「弥生地区自然体験型拠点施設」建設計画の中にも、「整備して昆虫等の観察をする」というあほらしい一項があったが、整備したら昆虫はいなくなるのである。
弘前公園もご多分に漏れず、しかも主に「ソメイヨシノ」という一種の保護と育成のもとに、道の拡幅と路面の固定化、草地・竹藪の剥ぎ取り、樹木の伐採、建造物建設などをしているのである。
これらは、あくまでも観光客の見た目に呼応するものであって、整備の主眼は「集客」であり、公園の「自然生態系」を保護するという視点はまったく欠如しているものである。
過剰な整備であり、しかも片手落ちで間違った整備をして、そのために費用がかかるので「入場料」を取らねばならいのだという弘前市の姿勢はおかしい。
ところが、その一方で、弘前市の鳥「市鳥」選定ということが考えられているそうだ。そこでは「オオタカ」を指定したいという動きがあるといわれている。
現在、弘前公園の森に「オオタカ」はいない。「かつてはいた」というのでは、絵に描いた餅に等しいではないか。
公園の自然を取り戻すと、彼らの餌は「回復」する。となれば彼らはきっと公園に戻ってくる。松の梢にとまり、眼光鋭く鳴き交わすオオタカの姿を、いつも見ることが出来る公園、この方が格段に「集客」効果がありそうに思えるがどうだろう。
有料化(を推進するため)のアンケートを市民からとる前に、公園の自然史と植生から、本来の自然を取り戻すことの手だてを速やかに実行しないと、歴史的な「天守閣」だけを持つ人工の都市公園になってしまうだろう。オオタカの棲む森に戻そう。
断っておくが、必要な整備と保守管理までをするなとは言わない。
2007/02/27付の東奥日報が報じている『弘前公園桜再生の切り札「空気圧」掘削機を導入』などは大事なことである。