岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

弘前公園のサクラ (その三)と明鏡欄

2007-04-26 06:18:37 | Weblog
 「花」三昧の一日。公園のサクラ (その三)

 4月24日に東奥日報夕刊の明鏡欄に私の投稿「岩木山信仰と公園の有料化」が掲載された。ところが、私の氏名が「三浦章男」でなく「三浦彰男」となっていた。数名の知り合いから、「名前が間違っていたよ。」と連絡を受けた。
 前回は14日であったが、氏名は間違いなく「三浦章男」となっていたのに、どうしたことだろう。
 匿名を可とする明鏡欄に実名で投稿していることには、それなりの「理由」がある。勝手に「匿名」にされてはかなわない思いだ。
 次のものもすでに送付済みでテーマは「里山自然の回復と有料化」である。
 本ホームページ管理人の葛西さんが昨日、ひょっこり訪ねてきた。肥料のことで弘前に用事があったので「元気でいるかどうか、顔を見に来た。」と言う。嬉しかった。つがる市議会議員選挙の話しをして、短時間で「慌ただしく」帰って行った。
 今、水田農家にとっては寸暇を惜しむほどに多忙な時、ゆっくりはしていられない。もう少し話したかったがやむを得ない。


 公園のサクラ (その二)の続き…

「ソメイヨシノ」の片方の親が「彼岸桜・ヒガンザクラ」であり、もう一方の親は、南伊豆に自生している「大島桜・オオシマザクラ」であるとされている。これは山桜の南方適応型の変異種で純白の花を咲かせる。

 染井吉野の「ソメイヨシノ」は花は咲くが「果実」をつけない。何という不埒でふとどきな樹木であろう。散り終えた後は、のんきに約11ヶ月ほどの長い長い「休眠」状態を過ごすのである。
 だが、クローンであるから繁殖も容易、つまり苗木にすることが簡単で、それゆえに苗木が安く、10年程度で花をつけるというメリットはある。
 恐らく、この経済的な合理性とどこでも同一環境ならば育ち、花を咲かせるという画一性が国民(行政や企業かも知れない)に受けたから、あそこにもここにもある花になったのだろう。
 桜は日本の「国花」である。北半球の温帯に広く分布しているが、美しい花を咲かせる種類は、日本を中心としたアジア諸国にだけある。植物学的には、「バラ科サクラ亜科サクラ属」に属し、リンゴもこの仲間である。
 しかし、「国花」を決定する時の思想的な根拠としては「ソメイヨシノ」はその対象にはなっていなかった。今や「ソメイヨシノ」は国民的な花であるが「国花」ではなかったのである。

 日本に自生する野生の桜は、西日本の山桜・ヤマザクラと東日本の彼岸桜・ヒガンザクラと北日本の蝦夷山桜(大山桜)・エゾヤマザクラ(オオヤマザクラ)だ。南伊豆の大島桜・オオシマザクラも自生しているが、これは山桜の変異種である。
 しかし、それらが自然交配したり人口交配で今や三百種ほどの園芸種があると言われている。「ソメイヨシノ」はその中の一種類に過ぎない。

それでは「国花」としてのサクラは何を指すのか。それは「山桜・ヤマザクラ」である。
 日本の代表的な桜で山地に広く自生していて、奈良県の吉野山は昔からヤマザクラの名所として有名である。
 自生種、野生の桜をひとくくりにして「山桜」と呼び、人の手になる園芸種を「里桜」と総称している。「山桜」という呼称は、彼岸桜や大島桜なども含めたすべての自生種を指すと同時に、その中のひとつである「西日本の山桜」に限って使われる時もある。ここでは「西日本の山桜」であり「山桜・ヤマザクラ」という種を指すものだ。
昨日のブログに登場した和歌や俳句で詠じられた「サクラ」も、ここで言う「ヤマザクラ」である。このように、万葉集や源氏物語等の古典・詩歌に登場する花(桜)は、そのすべてが「ヤマザクラ」なのだ。「ソメイヨシノ」ではない。

 「山桜・ヤマザクラ」は、かつて「国花」から「愛国心の象徴」とされた花である。
 その源は本居宣長の「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」という歌にある。これは「散りぎわ」(決死)のいさぎよさを賛美した歌だ。
「敷島の」は「大和」にかかる枕詞であり、神風特攻隊の最初の四部隊が、この歌から「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」と名付けられたことは有名である。
 戦前の軍国思想はこの「花のイメージ」を、国のために「散るべし」と特に男子に、押しつけたのである。

 また、戦時中、渡辺はま子は「愛国の花」として、
…「真白き富士の気高さを心の強い盾として御国(みくに)につくす女等(おみなら)は輝く御代(みよ)の山桜地に咲き匂う国の花」と国を守る銃後の日本女性を歌った。
 私のNHK弘前文化センター講座で、70代と思われる女性受講生が、この歌を大きな声で、しかも一字一句間違いなく歌ってくれたのには驚いた。
 その受講生は歌い終わった後で、「大変な時代でした。」とぽつりと言った。