ところで、首都圏在住の人たちから「青森県の津軽地方、特に弘前市を中心に緑が多くて、自然がいっぱいでいいですね。」とよく言われる。見た目には都会よりも「緑」は多いのであろう。ところが、こと「里山」となると首都圏近隣の自治体の方が、はるかに多い。
弘前市には「里山」が、殆ど存在しない。秋には団栗(どんぐり)をつけるミズナラやコナラ、春にはきれいな花を咲かせるクロモジやマンサクなどが育っている雑木林、林縁には竹が繁茂して春先にはウグイスが鳴き交わすという「里山」が弘前にはないのである。本当に寂しいことだ。
昨年の「東北自然保護の集い」で「弘前には里山がない」と言ったら、仙台市から参加した人に、「えっ!本当ですか。」と半ばあきれ顔で言われ、すごく恥ずかしい気持ちになったものだ。
弘前市周辺の「緑」は、大半が全国一という生産量を誇る「りんご園の緑」である。特に岩木山を中心とする「津軽地方の緑」はそれであり、毒性が強く益虫までも殺してしまうという「農薬」の使用も全国で一番多いといわれている。
津軽地方からは「りんご園の開発」によっていわゆる「里山」がほぼ消滅してしまった。唯一残っている「里山的な自然」は岩木山麓だけである。
しかし、その貴重な山麓もりんご園や畑の開墾、スキー場、ゴルフ場、ゴミ処分場、または人工物の建設で消滅しかかっている。
そのような状態の中で、唯一、弘前旧市街地地区に残っていた貴重な「里山」が弘前公園地なのである。だが、弘前公園の「緑」は、東京の名だたる公園等の緑よりもはるかに少ないのである。
首都圏のみならず、仙台、名古屋、大阪、福岡等の大都市で、「都市の自然を護れ」ということは、ほぼ直裁的に「里山をまもれ」であり、行政自体が積極的に取り組んでいるという報告は多い。ところが、弘前市は造園的な方向に走り、弘前公園本来の自然史や植生を無視した過剰な整備を年々続けてきた。
里山の風情を失い、緑が減少したのはその整備が招いた結果である。
弘前公園には、里山に育つ植物も、スプリングエフェマラルズから秋に実をつけるものまで、多種多様に存在していた。主なものを挙げてみよう。
フキノトウ・フクジュソウ・ハシバミ・スミレ(・ツボスミレ・ナガハシスミレ・タチツボスミレ・オオバキスミレ・スミレサイシン)・キクザキイチリンソウ・キバナノアマナ・ツルシキミ・モミジイチゴ・ホタルカズラ・ヒトリシズカ・フタリシズカ・ツクバネソウ・エンレイソウ・オキナグサ・ネジバナ・アケビ・ラショウモンカズラ・キケマン・ムラサキケマン・エゾエンゴサク・タネツケバナ・クズハナ・ヨツバヒヨドリ・キバナノイカリソウ・マイヅルソウ・ツリフネソウ・オオウバユリ・ノリウツギ・ナガボノシロワレモコウ・カラハナソウ・コンロンソウ・サンショウ・ミズヒキ・キンミズヒキ・ガガイモ・ツルシキミ・クサノオウ・オドリコソウ・キジムシロ・ヒメアオキ・ミズバショウ・エゾエンゴサク・ニリンソウ・ゲンノショウコなどである。
他にもあったはずであるから、その植生は何と豊かなことだったであろう。
そして、最近はどうなのだろう。
私のある受講生が「弘前公園で毎年咲いていたラショウモンカズラがなくなってしまっていた。」と報告してきた。
講座が終わってから、二人で現場を確認に行ったのだが、驚くかな「毎年咲いていた」場所から、竹藪そのものが消えていたのだ。すっかり、きれいに剥ぎ取られているのである。
私も他にもう一カ所咲く場所を見つけていたので、そこに行ったのだが、同じように藪が消えていた。これが整備の実態である。
残念ながら、笹藪に咲くラショウモンカズラはまったく影を潜めてしまった。もうこれ以上の整備は止めにしよう。そうすれば「整備に金がかかるので、入場料を徴収しなければいけない」という主張は意味を失う。
入場有料化という「囲い」をやめて、しばらく「ほったらかし」て、公園の自然の回復につとめ「自然のままの公園」として、開放しようではないか。
弘前市には「里山」が、殆ど存在しない。秋には団栗(どんぐり)をつけるミズナラやコナラ、春にはきれいな花を咲かせるクロモジやマンサクなどが育っている雑木林、林縁には竹が繁茂して春先にはウグイスが鳴き交わすという「里山」が弘前にはないのである。本当に寂しいことだ。
昨年の「東北自然保護の集い」で「弘前には里山がない」と言ったら、仙台市から参加した人に、「えっ!本当ですか。」と半ばあきれ顔で言われ、すごく恥ずかしい気持ちになったものだ。
弘前市周辺の「緑」は、大半が全国一という生産量を誇る「りんご園の緑」である。特に岩木山を中心とする「津軽地方の緑」はそれであり、毒性が強く益虫までも殺してしまうという「農薬」の使用も全国で一番多いといわれている。
津軽地方からは「りんご園の開発」によっていわゆる「里山」がほぼ消滅してしまった。唯一残っている「里山的な自然」は岩木山麓だけである。
しかし、その貴重な山麓もりんご園や畑の開墾、スキー場、ゴルフ場、ゴミ処分場、または人工物の建設で消滅しかかっている。
そのような状態の中で、唯一、弘前旧市街地地区に残っていた貴重な「里山」が弘前公園地なのである。だが、弘前公園の「緑」は、東京の名だたる公園等の緑よりもはるかに少ないのである。
首都圏のみならず、仙台、名古屋、大阪、福岡等の大都市で、「都市の自然を護れ」ということは、ほぼ直裁的に「里山をまもれ」であり、行政自体が積極的に取り組んでいるという報告は多い。ところが、弘前市は造園的な方向に走り、弘前公園本来の自然史や植生を無視した過剰な整備を年々続けてきた。
里山の風情を失い、緑が減少したのはその整備が招いた結果である。
弘前公園には、里山に育つ植物も、スプリングエフェマラルズから秋に実をつけるものまで、多種多様に存在していた。主なものを挙げてみよう。
フキノトウ・フクジュソウ・ハシバミ・スミレ(・ツボスミレ・ナガハシスミレ・タチツボスミレ・オオバキスミレ・スミレサイシン)・キクザキイチリンソウ・キバナノアマナ・ツルシキミ・モミジイチゴ・ホタルカズラ・ヒトリシズカ・フタリシズカ・ツクバネソウ・エンレイソウ・オキナグサ・ネジバナ・アケビ・ラショウモンカズラ・キケマン・ムラサキケマン・エゾエンゴサク・タネツケバナ・クズハナ・ヨツバヒヨドリ・キバナノイカリソウ・マイヅルソウ・ツリフネソウ・オオウバユリ・ノリウツギ・ナガボノシロワレモコウ・カラハナソウ・コンロンソウ・サンショウ・ミズヒキ・キンミズヒキ・ガガイモ・ツルシキミ・クサノオウ・オドリコソウ・キジムシロ・ヒメアオキ・ミズバショウ・エゾエンゴサク・ニリンソウ・ゲンノショウコなどである。
他にもあったはずであるから、その植生は何と豊かなことだったであろう。
そして、最近はどうなのだろう。
私のある受講生が「弘前公園で毎年咲いていたラショウモンカズラがなくなってしまっていた。」と報告してきた。
講座が終わってから、二人で現場を確認に行ったのだが、驚くかな「毎年咲いていた」場所から、竹藪そのものが消えていたのだ。すっかり、きれいに剥ぎ取られているのである。
私も他にもう一カ所咲く場所を見つけていたので、そこに行ったのだが、同じように藪が消えていた。これが整備の実態である。
残念ながら、笹藪に咲くラショウモンカズラはまったく影を潜めてしまった。もうこれ以上の整備は止めにしよう。そうすれば「整備に金がかかるので、入場料を徴収しなければいけない」という主張は意味を失う。
入場有料化という「囲い」をやめて、しばらく「ほったらかし」て、公園の自然の回復につとめ「自然のままの公園」として、開放しようではないか。