岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

花名に思う…外来種オオイヌノフグリ

2007-04-10 06:01:03 | Weblog
 昨日のブログに登場した道端に咲いている花の中に、「オオイヌノフグリ」というのがあった。漢字で書くと「大犬の陰嚢」となる。

 陰嚢は睾丸(こうがん)のことで、扁円形で中央が大きくへこんでいる果実(種)の形を犬の陰嚢「睾丸(こうがん)」に見立てたものである。
 ゴマノハグサ科クワガタソウ属の二年(越年)草で、北海道、本州、四国、九州、奄美、沖縄に分布し、道端や空き地、田畑に生える。草丈は十~二十センチだ。
 花の寿命は短く一日で、日だまりでルリ(コバルトブルー)色に咲いて春の訪れを告げるのである。その可憐な花姿に、花名は何となくそぐわない感じがして、名前の由来を知らないままでいたほうがいいような気もする。

 日本人の花名の付け方は情緒的、心情的なものが多い。ザゼンソウ(座禅草・花姿を座禅をする達磨大師になぞらえたもの)などはその好例だろう。
 ところが、英語圏では、このザゼンソウのことを「スカンク・キャベツ」という。花の出す匂いを「強烈な匂いのおならをするスカンクに喩え、全体の姿をキャベツの見立てた」ものである。この命名には情緒性はない。そのもの「ずばり」である。
 「オオイヌノフグリ」という花名もまた、そのもの「ずばり」である。細い花柄にぶら下がり中央がへこんでいる果実を見ると、やはり、「陰嚢(ふぐり)」だなあとうなずいてしまうのだ。そこには即物的な意味はあるが情緒性はない。
 …だが、名前の由来に則して「ユーモラスなその形と命名の妙」を感じ取ると、途端に、「情緒性」が生じて、多くの人は「微笑む」はずである。

 別名として瑠璃(ルリ)唐草・天人唐草・星の瞳などがある。別名のほうが何だか味がある。英語名では、オオイヌノフグリが太陽が出ると一斉に花を開くことから、それを鳥の目に見立ててバード・アイ(鳥の目)というそうだ。

 なお、名前のオオイヌノフグリは「犬のふぐり」より花の大きいものという意味で「大きな犬のふぐり」ではない。「大きな犬のふぐり」だと、まさしく大きい睾丸となり、可憐な花姿とは似ても似つかぬグロテスクな「おちんちん花」となってしまう。
大きいイヌフグリがあるということは、小さいイヌフグリもあるということである。こちらは、単に「イヌフグリ」と呼ばれて、小さい小さいピンク色の花をつける。これは在来種である。しかし、最近はなかなか見ることが出来なくなっている。
 「オオイヌノフグリ」は、外来種の帰化植物で、日本へはヨーロッパか米国経由で侵入したらしい。
 外来種のオオイヌノフグリは、セイヨウタンポポと同じようには「イヌフグリ界」を席巻し、我が国を乗っ取る勢いである。
 在来種のイヌフグリはこれに追い立てられ細々と命をつないでいる。「孤高を保ち」というよりは今まさに絶滅の縁に追いやられ、風前の灯火のように柔らかい春風に全身を震わせて咲く、小さな花の一輪を思うといじらしく悲しい。
「在来種古来に馳せる懐かしさ」だけの花には決してしてはいけない。

 日本の植物界はすでに何十年も前から、「グローバル化」にさらされている。私たちは少し立ち止まって、経済や文化、文明などの「グローバル化」がもたらす「負の部分」について考えないと…「美しい日本」などは単なる言葉に終わり、画餅に過ぎないものになることは明らかである。

 俳句の世界で「犬ふぐり」と詠まれているのは、ほとんどがオオイヌノフグリである。
高浜虚子の俳句に「犬ふぐり星のまたたく如くなり」というのがあるが、これもオオイヌノフグリであろう。何と美しい句意ではないか。
           
 イヌと名の付く植物にはイヌノフグリ、イヌブナ、イヌガヤ等など六十種以上あるそうだが、イヌノフグリは「犬のふぐリ(陰嚢)に似る」という意味だが、後ろ二つは「犬」ではなく、「否ぬ」(…でない・…似ている)という意味である。
 イヌグワ(やまぼうし)、イヌウド(ししうど)、イヌクズ(つたうるし)、イヌノエンドウ(すずめのえんどう)などがそうである。
 さて、ドクダミを津軽地方ではイヌノヘというが、この「イヌ」は「犬」、「否ぬ」どちらだろう。