なぜ多い・岩木町からの立候補
今日は市議会議員選挙の投票日である。投票に出かける前に今一度、次のことを考えてほしいのである。
合併(吸収されて)して、岩木町は長いこと岩木町の住民に親しまれてきた全国的なネームバリューを持つ『岩木山のある町、岩木町』というキャッチフレーズも、愛されてきた岩木山特産種である「ミチノクコザクラ」の町章もすべて失った。取り返しのつかない喪失感に町民は苛(さいな)まれただろう。
岩木山が大好きな私にとっても『岩木山のある町、岩木町』というキャッチフレーズと岩木山特産種である「ミチノクコザクラ」の町章が日本から消えたことへの喪失感は否めなかった。
合併にともなうこれらは何も町民の一人一人が望んだことではない。有無を言わせない「国策」まがいの大きな力がそうさせたのである。
茨城県勝田市(人口11万5千人)と那珂湊市(人口3万3千人)とが合併して「ひたちなか市」ができて、旧那珂湊市役所は総合支所となった。これと同じように賀田地区にあった岩木町役場は岩木総合支所となった。
「ひたちなか市」の那珂湊総合支所の職員数は合併時には242人であったそうだが8年後には21人に激減したという。おそらく岩木総合支所も、近い将来にそうなるだろう。職員数が大きく減れば、住民サービスが低下するのは明白である。旧岩木町の住民はそのことを、予期し、深く憂いているのだろう。
また、以前に弘前市と合併した東目屋村にある弘前市東目屋出張所にはわずか4名の職員しかいないということも知っているのだ。
そのことを見越してかも知れないが、弘前市は「教育委員会事務局」を岩木総合支所に移転させた。しかし、これも本来の岩木町役場の総合的な機能から見れば、単なる見せかけでしかない。姑息というものだ。
岩木町と相馬村から立候補している人は、それぞれの居住地域の個性や特性を背負って、これからの市議会活動でイニシアチブを執りたいのである。
案外、旧弘前市民が見落としている客観的な視点を彼らは持っているかも知れない。
岩木町では、合併前から「弘前公園入場有料化」に対する反対や批判が根強かった。
それは「我が町の象徴である岩木山を弘前市は本丸から見せてお金を取っている。許されることではない。」という町民の発言からも分かることだ。
これは「拝観料的入場料徴収に対する羨望」ではない。対価を超えた崇高な存在である岩木山を拝ませて金を取るということが許せないのだ。
この発言には、岩木山を金銭の対象とした弘前市の冒涜的な行為に対する憤りが籠もっている。岩木山を誰にも売り渡したくないという深い愛情の吐露だ。
これも旧弘前市民が見落としている客観的な視点であろう。
合併して弘前市の人口は多くなった。多くなると個々の住民は、ますます「自分なんか発言してもどうにもならないだろう。」という諦めを抱くようになる。これが逆に「行政的な圧力」となり、地域住民の独自性を奪って無顔貌・無個性な市民の創出につながっていく。
これは多様性を根底に置く民主的な自治体とは相反するものだ。個性を持って生きることは基本的人権の何ものでもない。
ひょっとしたら、岩木町と相馬村からの立候補者は『「自分なんか発言してもどうにもならないだろう。」という諦めを持ってはいけない。その発言を私たちが代弁しましょう。』と考えているのかも知れないのだ。
そうだとしたら、それこそ民主主義の市政につながることで、歓迎すべきことである。
非常に残念なことだが、公報の中には「弘前公園入場有料化完全撤廃」を主張する候補者はいなかった。
何人かの候補者に確認したところ「スペースの関係で書けなかった。しかし、入場有料化撤廃を考えているし、無料であることが本来の姿だ。今後、議会で主張していく。」と答えてくれた人もいた。
ここで、候補者名を出せないのが残念だが、私はその人に、今日投票する。
今日は市議会議員選挙の投票日である。投票に出かける前に今一度、次のことを考えてほしいのである。
合併(吸収されて)して、岩木町は長いこと岩木町の住民に親しまれてきた全国的なネームバリューを持つ『岩木山のある町、岩木町』というキャッチフレーズも、愛されてきた岩木山特産種である「ミチノクコザクラ」の町章もすべて失った。取り返しのつかない喪失感に町民は苛(さいな)まれただろう。
岩木山が大好きな私にとっても『岩木山のある町、岩木町』というキャッチフレーズと岩木山特産種である「ミチノクコザクラ」の町章が日本から消えたことへの喪失感は否めなかった。
合併にともなうこれらは何も町民の一人一人が望んだことではない。有無を言わせない「国策」まがいの大きな力がそうさせたのである。
茨城県勝田市(人口11万5千人)と那珂湊市(人口3万3千人)とが合併して「ひたちなか市」ができて、旧那珂湊市役所は総合支所となった。これと同じように賀田地区にあった岩木町役場は岩木総合支所となった。
「ひたちなか市」の那珂湊総合支所の職員数は合併時には242人であったそうだが8年後には21人に激減したという。おそらく岩木総合支所も、近い将来にそうなるだろう。職員数が大きく減れば、住民サービスが低下するのは明白である。旧岩木町の住民はそのことを、予期し、深く憂いているのだろう。
また、以前に弘前市と合併した東目屋村にある弘前市東目屋出張所にはわずか4名の職員しかいないということも知っているのだ。
そのことを見越してかも知れないが、弘前市は「教育委員会事務局」を岩木総合支所に移転させた。しかし、これも本来の岩木町役場の総合的な機能から見れば、単なる見せかけでしかない。姑息というものだ。
岩木町と相馬村から立候補している人は、それぞれの居住地域の個性や特性を背負って、これからの市議会活動でイニシアチブを執りたいのである。
案外、旧弘前市民が見落としている客観的な視点を彼らは持っているかも知れない。
岩木町では、合併前から「弘前公園入場有料化」に対する反対や批判が根強かった。
それは「我が町の象徴である岩木山を弘前市は本丸から見せてお金を取っている。許されることではない。」という町民の発言からも分かることだ。
これは「拝観料的入場料徴収に対する羨望」ではない。対価を超えた崇高な存在である岩木山を拝ませて金を取るということが許せないのだ。
この発言には、岩木山を金銭の対象とした弘前市の冒涜的な行為に対する憤りが籠もっている。岩木山を誰にも売り渡したくないという深い愛情の吐露だ。
これも旧弘前市民が見落としている客観的な視点であろう。
合併して弘前市の人口は多くなった。多くなると個々の住民は、ますます「自分なんか発言してもどうにもならないだろう。」という諦めを抱くようになる。これが逆に「行政的な圧力」となり、地域住民の独自性を奪って無顔貌・無個性な市民の創出につながっていく。
これは多様性を根底に置く民主的な自治体とは相反するものだ。個性を持って生きることは基本的人権の何ものでもない。
ひょっとしたら、岩木町と相馬村からの立候補者は『「自分なんか発言してもどうにもならないだろう。」という諦めを持ってはいけない。その発言を私たちが代弁しましょう。』と考えているのかも知れないのだ。
そうだとしたら、それこそ民主主義の市政につながることで、歓迎すべきことである。
非常に残念なことだが、公報の中には「弘前公園入場有料化完全撤廃」を主張する候補者はいなかった。
何人かの候補者に確認したところ「スペースの関係で書けなかった。しかし、入場有料化撤廃を考えているし、無料であることが本来の姿だ。今後、議会で主張していく。」と答えてくれた人もいた。
ここで、候補者名を出せないのが残念だが、私はその人に、今日投票する。