岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

弘前市議会議員選挙について 岩木、相馬から8人当選

2007-04-23 08:04:22 | Weblog
 昨日の弘前市市会議員選挙で10人が落選した。現職7人、新人3人である。

 19日のブログで『前議員(1名の無所属議員と共産党議員、それに合併によって市議となった旧相馬村と岩木町の議員は除く)で立候補している人に言いたい。あなた方が無批判に追随しながら、支持してきた金澤前市長は、昨年4月に市民から「否定・拒否」されたのである。ということは、それを支持してきたあなた方も「否定・拒否」されたことを意味しているのである。あなた方は前市政の「市税の無駄遣い、弘前の歴史的な町並みの破壊、地元以外の資本による弘前市商店街の停滞、公園有料化」などに手を貸して、それらを推進してきたからである。』と書いた。

 落選したのは現職7人、新人3人であるが現職の中には旧岩木町からの候補者もいたので、残念ながら前議員の当選比率は高かった。
 ということは市民は前金澤市政に追随した議員でも現相馬市政に従順であれば「許す」ということなのだろうか。どうしても納得がいかない。

 まあ、いい。旧岩木町からは8人が立候補して5人の当選、相馬村からは3人立候補して全員当選した。地縁的な人口比率からすれば、全員落選という図式も描かれかねなかったが、合計8人の当選はすばらしいことである。

 これは、合併によって「旧弘前市に飲み込まれ、画一化・合理化されないように「地域性」を取り戻し、独自の文化や伝統と自然を守り、育てていくという意思表示であり、「合併」に対する強い抗(あらが)いであり、合併後、喪失しかかっている岩木町、相馬村が持っていた個性回帰への端緒であると受けとめたい。
 つまりは、「多くの市民が合併の持つ理不尽さと不合理性を認め、吸収された側の視点で、しかも暖かく迎える気持ちで投票行動に参加した」のだと理解している。
  
 かつて「弘前公園入場有料化」に対して「我が町の象徴である岩木山を弘前市は本丸から見せてお金を取っている。許されることではない。」と言っていた岩木町から立候補したT氏も当選した。

 岩木山を考える会が実施した「弥生地区自然体験型拠点施設建設計画」跡地の自然観察会に参加し、さらに『「弥生」跡地を今後どうするか』市民集会のパネラーとして協力を戴き、その時「あるがままの自然を大切にして岩木山を守りたい」と語ってくれた竹谷マツ子氏も当選した。自然に対する慈しみを市政にどんどん反映させてくれることを期待している。
なお、「弥生地区自然体験型拠点施設建設計画」跡地の自然観察会には竹谷マツ子氏の他に当選した工藤栄弥氏、松橋たけし氏、県議に転出した日本共産党の安藤氏が参加した。

 相馬村からは「弘前市に吸収される合併」に反対し、真の対等合併として「岩木町、相馬村、西目屋村」の合併を主張した三上直樹氏が当選した。
 三上氏は相馬村議会が弘前市との合併を了承したことを受けて、「私は弘前市との合併に反対しているのだから、合併後に弘前市議会議員になることはすじがとおらない。」と言って議員を辞めた人である。
 何と、潔いことではないか。損得的な価値判断よりも、論理的な誠意で、善的な動機で行動する新しい人、若い人、相馬村を愛しながらも一方で客観的に弘前を捉えることが出来る人である。

 また、相馬村からは栗形昭一氏も当選した。陸奥新報のシリーズ記事の取材で岩木山に同行した時が最初の出会いだった。
 その後、岩木山を考える会主催の写真展「私の岩木山」に来場して「楽しそうに写し、楽しそうに展示し、本当にみんなの(私の岩木山)写真展だ。普通の写真展では見られないユニークなもの。いいですね。」と語ってくれた。市民の目で文化を語り、優しい目で市民に接することが出来る人であろう。これからの文化行政での活躍を期待したい。

「損得ではなく善悪で考え行動する」を約束の第一番に掲げた今泉昌一氏も当選した。この約束は、今泉氏の人となりを端的に示すものだ。全人格的に善から発する素朴さと正直さと優しさを感じさせる人である。
 この愚直な人が政治に関心を持ち、市議選に出て市会議員になろうと決意したこと自体が現市議会の「混迷と停滞・市民不在」であることの証左であろう。
 弘前市の行政に優しさを感ずる市民は何人いるだろう。この思いを持つ者は彼に共感し共鳴したであろう。多数決とは非情なものである。少数を排除する。彼にはそれが我慢ならないのである。少数でも「善」は認められるべきである。
 彼は市民の痛みが解る人であり、そして、行動基準として常に「善」を置く人である。民主主義は「善」を信ずることから始まり、「善」を基準的な価値として行使されることで存在する。
 だが、一面では非情に弱いものだ。別な価値基準のもとで動いたり、「善」を軽視するような風潮や行動が蔓延している弘前市議会に真の民主主義を取り戻してくれる人、数の論理による損や得という価値観で行動しない人、今泉昌一氏の当選は嬉しい。
 
 日本共産党の石田久氏が8位という高位で当選した。彼とは居住学区が同じである。彼の活動は常に「住民本位」である。このような人が高位で選ばれることは市民の目は節穴ではないということだろう。
 市政として「行われていること、または行われようとすること」を「よく見える」ようにすることが「住民本位」ということであろう。民主主義の一番大事なことは住民がそのプロセスに深く関わりながら結論に達するという点にある以上、石田氏の日常活動はまさに民主的なのである。
 だが、共産党に対する世間の受け止め方は、いまだに「異質」というフィルター越しである。これはおかしい。民主主義とは側面として「質の違いをお互いに認め合い、共有する」ことで成り立つものだ。

「個性」とは個々人の「異質」のことである。個性尊重という時、そこには「お互いがお互いの異質感を認め合うこと、異質を排除しない」という約束事がなければいけない。
 個性を持って生きることは人間の基本的な権利であり、市議会も速やかに個性尊重の場へ、排除の論理から議論優先の場へと変革されねばならないだろう。

 このブログに登場した各氏の「住民本位」である連携的な活動を期待する。