岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

ヴァーナルグロースは大丈夫か

2007-04-06 06:45:26 | Weblog
 今朝の気温はマイナス0.6℃だった。薄曇りだからこの程度だろうが、晴れていれば放射冷却も加わり、この程度ではないだろう。本当に寒い。
 三月三十一日のブログの最後に「ひょっとすると、このメリハリのない三月がそのまま、四月にずれ込んでしまうのかも知れない。冬の名残りと、惰性だけの春となったらどうしようかと、幾分心配している。」と書いた。

 四月になって六日目である。なぜ日にちに拘るかと言えば、それは四月に入ってからの、朝方の降雪と積雪に因るのだ。昨日の朝も雪が降っていた。一昨日の朝は2~3cmの積雪があり、気温もマイナス1.3℃だった。しかも、日中か結構、北寄りの風が強い上に、冷たい。気温も上限で7℃程度にしかならない。そして、おもてを明るい日差しと翳りが交互に横切っていく。

 それに誘われて外に出て見る。青空には動きのない凍て雲はない。だが西には、曇り空に現れてあまり動かない寒雲がゆっくりとわき出している。まもなく、雪しぐれを降らせる雲の塊に変化するだろう。
 青空、輝く太陽。その下にはむくむくと湧き出し、底を低くし、周囲の山々を舞う雪に透かして進んでくる大きな雲の塊がある。その塊の上空は抜けるように明るい。そして、いつのまにか横殴りの淡雪に誘い込まれるが、それも一時のこと、天上すべてが青空に変わる。…という情景なのだ。
 だが、これは「キラキラと輝く三月が雪しぐれの奥にいて、それらを押し出し天上の主にとって変わろうとしている」三月特有の風情なのである。

 今日はすでに四月の六日である。しかし、毎日が三月の風情で過ぎていく。これではもう三月が四月にずれ込んで、冬の名残りの四月だと言ってもいいようなものだ。
 私が心配していることは、日本列島の植物群は「晩から朝方にかけて降る春の雨に対応して生きる」ということなのである。

 毎年四月に入ると、しとしとと細かい雨が、晩から朝方にかけて降る。土砂降りのように地表を穿ち、根を洗い流したり、芽を出したばかりの種子を痛めつけるような降り方はしない。
 地表に芽を出そうとする植物たちを「いたわるように優しく、静かに降る」のである。春の女神というが、私はこの雨が女神なのではないかと思っている。
 その優しい雨にしっとりと潤された植物は、日中の暖かい日差しを十分浴びてぐんぐん育つのである。
 地球の歴史が始まり、日本海が誕生して気象事情が定まってきた頃から、悠久の時を越えて、日本列島の植物たちは、この「気象」に適合する形で進化して、現在に至ったのだ。

芽を出そうとしたり、芽を出して伸びようとしているヴァーナルグロースが、毎朝のように降雪や積雪と寒気に苛まれている。本当に大丈夫だろうかと心配の日々が続く。
 四月だというのに春の女神はまだ、この津軽地方にやって来てくれない。

 また、二月二十六日のブログには『「一日の平均気温が5℃から9℃」にならない限り、桜の花芽は目を醒まさない。私は弘前公園の開花時期を「若干早まるか、あるいは平年並み」と予想している。』と書いたが、こちらも「毎朝雪で、寒冷な三月のような」四月が続くと、そうなるかも知れない。