明日から講習会です。昼食には弁当を持って行こうと考えているので、朝は気ぜわしく、散策に出ている余裕はなくなるだろうと思います。
雨の日つづきなので、しばらく朝の散策をしていません。
今朝も雨。
ところが、七時ごろに雨が熄みました。少し遠めの散歩と思って、根木内城址(歴史公園)まで行くことにしました。雨上がりの散歩、と洒落込んだつもりでしたが、実際は雨の中休みでした。
行きは上富士川沿いに歩き、帰りは旧水戸街道を北小金駅へ歩いて、まだ知らないパン屋でもあれば、パンを買って帰ろうと思いました。
富士川はいつにも増して水量が多く、葦も押し倒されていました。
カルガモの営巣地かと思われるところがありました。ザッと数えてその数-五十羽はくだらない。普段は葦のジャングルになっているので、川岸からは見えないのです。一夜明ければ、ジャングルが取っ払われていたので、カルガモも困っているみたいです。
富士川に合流する平賀川の水量も多く、烈しい水音を立てて流れ込んでいました。
栗の実が爆ぜて、地面に落ちてしまっているのもたくさんありました。
思わず、♪静かな 静かな 里の秋~という童謡が口をついて出ます。
童謡ではあるけれども、この歌は元々は戦争賛美の歌だったということは意外に知られていないようです。作詞者は斉藤信夫(1911年-87年)という人。最初につけられたタイトルは「里の秋」ではなく、「星月夜」でした。
根木内歴史公園直前の民家にあったハナミズキ(花水木)の実。
花水木というと、私は池袋駅西口の通りを思い出します。この通りを歩いていたころはまだ四十代で、バリバリ仕事をしていたことも懐かしい。
八月中はカラカラに乾いていた根木内歴史公園の湿地帯。
やっと潤った、というより水浸しの状態です。
一丁前に稲架(はざ)がつくられていました。
根っ子の会という自然観察などをする子どもたちの集まりで、小さな水田ながら、田植えから収穫までするのです。千葉県では稲を稲架に架けて干す様子を「おだがけ」というようです。
ミクリ(実栗)の群生地がありました。ガマ(蒲)に近い植物です。七月、直径2センチほどの花を咲かせたあと、栗のような実を結ぶことからこの名があります。
帰ろうと歩き出したら、雨が降ってきました。
昨夜も雨が上がったので買い物に出たら、本土寺参道を出たところでいきなり強い雨になりました。傘は持たずに出ていたので、買い物はせずにUターンしてしまいました。
旧水戸街道は北小金駅前の交差点から下り坂になっているので、下水溝から溢れ出た水がまるで川のように流れています。
そこを猛スピードで突っ走って行く車がある。そのスピードで川に突っ込めば、バシャッと数メートルは飛ぶだけの水飛沫が上がります。当然、私はその被害者になる。
手にはカメラを提げていたので、ナンバープレートを撮影してやろうと思ったのですが、とっさのことですから、思ったようには行きません。
市川大野に勤めていたときも、よく泥水をかけられたことがありました。狭い道なのに、異様なスピードで飛ばすバカがいるのです。追い越し車線がないのだから、頑張ったところでタカが知れているのに……。
それにしても、八月の干天つづきといい、一転して今月の多雨といい、とうとう天が怒り始めたゾ、という気がしないでもありません。
何に怒っているのかといえば、私の想像では(天が怒っているというのも想像ですが)我が国とは一衣帯水の国ではないか。
なんでもいいからお山の大将でないと気が済まないのを中華思想というのですが、フランス人の中華思想はだだっ子のようなところがあって、まだ可愛らしい。しかし、一衣帯水のほうはまさに唾棄すべき中華思想です。
ところが、いかに天といえども、ピンポイントで怒りを下すわけには行かないので、近くにある我が国も影響を受けずにはいられない。異常気象のとばっちりをくっているのはそのためです。
その一衣帯水の国と東と北で国境を接する二つの国。
実際はあり得ないことですが、この三つの国が合わせてこの世から消えてくれれば、世界はかなり清々しくなるだろうと思います。
二日つづけて雨に祟られ、おまけに泥水まで浴びせられて少し昂奮してしまいました。
傘か何かで花を弾き飛ばされたものか、靴先で蹴飛ばしたのか。花の失われた茎の残る本土寺参道の曼珠沙華です。
一年間、じっと地中で耐えて花を咲かせるのだから、天寿をまっとうさせてやればいいと思うのに、天の怒りが向けられるのは、一衣帯水の国のせいではなく、こういう心ないことをするヤツがいるせいかもしれません。
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