桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

戸張城址探訪

2010年12月18日 20時40分04秒 | 城址探訪

 昨朝は異様に寒いと思って我孫子のアメダスを見たら、午前七時の気温はなんと氷点下1・5度でした。今朝はほんの気持ちだけ寒さは緩んだものの、氷点下であることは変わりません。
 身体が突然襲ってきた寒さには慣れていないので、二日つづけて朝の散策は取りやめ。待ち遠しい思いで朝日が当たるのを待つ毎日です。
 我が侘住居(わびずまい)は皮肉なことに、夏の朝は早々と陽が当たってコリャ敵わんと思うのに、冬は前の家の二階が邪魔をして、八時過ぎにならないと、お天道様にはお目にかかれないのです。



 昨朝はカーテンを開けると、庭が真っ白でした。まさか雪ですか? と思ったら、初霜でした。プランターの水遣り用に置いてあるバケツにも初氷が張りました。

 家に閉じこもって寒さに耐えているより歩くべしと思って、昨日、久しぶりに城址の探索に出ました。
 目的地は前から行ってみようと思っていた柏市の戸張城址です。
 書籍形式の地図ではどの程度離れているものか、距離感がつかめないのですが、できればそのあとに大井追花(おっけ)城址、増尾城址と足を延ばすつもりでした。増尾城址だけは公園になっていて、私がいつも持って歩く地図に記載されていますが、他の二つは記載されていないので、どこにあるのかわかりません。
 幸いなことに城址巡りをしている先達のホームページに、それぞれの地図がありました。
 ただ、この地図は拡大され過ぎていて、目的地近くまで行ければ、微に入り細を穿っているので重宝しそうですが、そこに辿り着けるものかどうか。



 常磐線で北小金から二つ目・柏駅で降り、七~八分で長全寺前を通過。
 この山門だけは風情が感じられていいと思いますが、伽藍はどれも新しいし、一度参詣しているので、この日は山門だけカメラに収めて素通りです。

 

 柏駅から徒歩二十五分。
 柏学園前というバス停を過ぎ、そろそろかなと思ったところに香取神社があったので、参詣に立ち寄りました。
 広々としていた道は徐々に狭くなり、狭いのに交通量はそこそこあるので危なっかしく、地図を見るために立ち止まる余裕がありませんでした。

 


 結構長い参道のある神社です。この神社に到って初めて先達の残してくれた地図を開きました。

 戸張というバスの終点があるので、そこまで行って……と思っていたのに、戸張城址を示す地図を見ると、通過してきたばかりの柏学園の手前に城址があることになっています。
 かなり歩かなければならないと覚悟していたのですが、意外に近く、すでに行き過ぎてしまったではないか、と引き返すと、城址がありそうなところには日本橋学館大学のキャンパスがありました。
 どんな大学なのか知識はありませんが、それなりの広さを持ったキャンパスのようなので、地図に載っていてもいいはずです。しかし、地図には記載がない。たったいま行って、引き返してきたばかりの香取神社も載っていない。

 変だぞ、と思いながらバス通りを折れ、三分ほど歩いて柏学園の門の前に着きました。
 道は門の前で直角に折れ曲がって下り坂になっています。この下り坂の先に城がある、ということだと、城が高台ではなく、谷底にあるというのはおかしいので、しばし門の前に佇んで地図と睨めっこです。
 歩いているときは、風の強さや冷たさはあまり感じませんでしたが、地図をめくっていると、風は結構冷たいし、強い。
 やがて指がかじかんできて、コートのポケットに入れていた携帯用のルーペを取り出すのがもどかしくなっていました。地図と一緒にプリントしてきた記事に目を通すと、目印は国道16号線の柏隧道脇の上り坂、とあります。

 国道16号? 柏駅から何本か道路を横切ってきたけれど、そのうちの一本が国道16号であったのだろうか。それに、トンネルの近くなど通っていない。どこだかわからないが、また見当違いのところを歩いてきたようです。
 今度は市販の地図を見ると、最後に横切った広い道路が国道であったようです。「戸張入口」という交通標識を見ながら、確かに長い信号待ちを強いられた交差点でした。



 戸張入口の交差点まで戻り、そこからおよそ十分。道が下りになって、前方にトンネルとトンネルの上に上って行く道が見えてきました。



 トンネル上からの眺め。
 国道が走っているところは台地を切り崩したものか、元々低地だったのかわかりませんが、城を築き、物見をするのには佳い高さです。ただ、このあとに行ったところが主郭だったとすると、右手にある台地が北東から北西の方角の視界を遮ってしまいます。

 さて城址はどこかと思いながら歩いて行くと、学校らしき門が見えてきました。近くまで行くと、今度こそ地図に載っている柏学園です。
 ということは、トンネルの上から歩いてきた径の横が城址、ということになる。しかし、そこは柏学園の敷地のようで、金網が張ってあって、入れそうもありませんでした。



 柏学園正門(?)前に建てられていた地図。非常に大雑把で、わかりにくいが、どうやら城址はこの学園の敷地内にあるのは間違いないようです。しかし、正門は固く閉じられていました。

 城主らしい人物として名前が出てくるのは戸張弾正忠という人です。が、この人が何者なのか、戦国時代の人というほかは皆目わかりません。

 戸張という姓氏は千葉氏三代当主の常胤の次男・師常(1143年-1205年)が相馬氏を称し、その八男(三男説もある)八郎行常(生没年不詳)が戸張氏を称したのに始まるとありますが、戸張という名が史料に登場するのは南北朝期に入ってからです。
 生没年不詳といえど、父・師常から類推すれば、十二世紀に生まれたはずの戸張氏が七、八十年も史料に登場してこないというのは、本当かどうか、「?」です。
 戸張氏は先に通過してきた長全寺の大檀越でありながら、何かの理由があって、いまの埼玉県吉川に移り、ために長全寺が荒廃してしまったということもあるので、整理しようと思っているのですが、いかんせん室町末期の関東はややこしいのです。
 北条でもないのに北条を名乗る早雲が出てきたり、上杉でもないのに上杉を名乗る謙信が出てくるので、ますますややこしい。
 まあ、いまでいうところのM&Aの走りか、といえばいえなくもないのですが……。

 ややこしい上によくわからないので、城址探索で出かけてきたはずの私の興味は別々の場所に、しかもそれぞれが広い敷地を有する柏学園とはそもそも何かということに移っていました。
 しかし、出先では何もわかりません。庵に帰って調べてみたら、文京区立の小中学生の移動教室として使われる校外施設のようです。そして調べるまで気がつかなかったのですが、先に見たのは「中央区立」、あとで見たのが「文京区立」と、名前は同じ「柏学園」でもまったくの別物でありました。



 学園敷地の中。空堀跡らしきものがあると感じたのですが、門が閉じられていたので、鉄門越しに撮影しました。



 台地を下って手賀沼側から見た戸張城址です。台地の高さは標高15メートル。
 城郭としての構造が単純でもあり、視界が限られている(北東から北西にかけて見晴らしが効かない)こともあり、本拠は別にあったのではないかと考える人もいます。



 ここに何かの文化財があるというわけではない。次の標識まで100メートルとだけ記された、なんだかよくわからない標識です。

 戸張城址を見ることができないと判明した時点で、寒くなってきたこともあり、私は探索を継続する気をなくしていました。先の地図に「正光寺」というお寺があったので、このお寺に寄って帰ることにしました。



「→正光寺」という標識があったので、従って行くと突き当たり。
 右か左かと見回せば、左手の上り坂の途中に「→正光寺」の標識。見上げれば、スイッチバックする形で、さらに上り坂がありました。
 果たしてどんなお寺が現われますやら、と坂を上り詰めたら、建て直されたばかりと思える本堂が見えて、正直なところガッカリしました。
 しかし、高く聳えている樹はもしかしたら……。



 と、思って近寄ってみると、ムクロジ(無患子)でありました。

 門柱で真言宗豊山派のお寺ということがわかるほか、このお寺の由来を示すものは何もありません。本堂前まで行ってみましたが、寺務所は無人のようです。これも庵に帰ってから調べてみましたが、創建がいつかということもわかりません。

 ただ、私にはムクロジの樹があったことだけで充分でありました。かなりの高木ではあるけれども、幹の太さからいって、それほどの樹齢ではない(といっても、何年ぐらいだか見当もつかないのですが)。

 お釈迦様は百八つのムクロジの実を糸で繋いで数珠をつくることを勧めておられます。だから、お寺にムクロジが植えられているのはむしろ当然といっていいのかもしれませんが、私が最初にムクロジがあると知ったのは流山の観音寺でした。
 実物を最初に見たのは北上尾にある龍山院でした。次に見たのは光明院が別当寺になっている流山の赤城神社。そして流山・福性寺といずれも真言宗のお寺で、いまのところはそれ以外の宗派のお寺では見ていないのです。
 真言宗とムクロジとはいわく因縁があるのかもしれません。

 遠くから見て、もしかしたらムクロジではないかしらんと思って近づくと、やはりムクロジであった、と実感できるのはとてもうれしいことでした。
 真冬-葉も実も落ちてしまった状態だと判別できるかどうかわかりませんが、少しでも葉が残っていれば、ムクロジだとわかるようになりました。欅(ケヤキ)などと違って、ムクロジの樹形は一本一本がまったく異なっているのです。

 樹にはほとんど実が残っていませんでした。目を落とすと、いくつか落ちていましたが、どれもすでに土に同化しかかっています。
 誰もいないのを幸いに腰を落としてじっくりと眺め回したら、一つだけまだきれいな実があったので、もらって帰ることにしました。



 お寺の坂道を下って元の道に戻り、そのまま上って行くと、戸張のバス停がありました。
 陽射しがあって暖かいと感じても、午後二時を過ぎると、冷たい風が立つようになります。ちょうどバスがきていたこともあり、柏駅までの帰りはバスの人となりました。


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