二月の薬師詣では東京・台東区の根岸周辺を巡ることにしました。
今日、目的とする薬師如来をお祀りしているのは根岸薬師寺と薬王寺しかありませんが、根岸周辺には数多くの寺院があります。インターネットで知り得た知識しかないので、果たしてどのような寺院があるのかわかりませんが、歩いてみましょうということで、日暮里駅に降り立ちました。
千葉県民となる前、私が棲んでいたのは浅草でありましたので、日暮里、鶯谷界隈にはしばしば出没していたのですが、お寺巡りをするのは初めてです。
最初に訪ねたのは日暮里駅から二分の日蓮宗善性寺。長享元年(1478年)、日嘉が開山。墓所には石橋湛山、双葉山の墓があります。
「根岸古寺巡り」というのが第一番から第九番まであって、ここはその第九番に当たりますが、所在地は台東区根岸ではなく、荒川区です。
羽二重団子の前を通って行きます。
日暮里駅から六分。目指してきたのはこの根岸薬師寺です。
近辺にはかつての輪王寺宮が公務外のときの休息の場として利用するための別邸・御隠殿がありました。
人のいる気配は感じられませんでしたが、BMVなんぞが停められていて、まさに御隠殿跡という雰囲気があります。
御隠殿跡の説明板。
根岸薬師堂から八分で臨済宗妙心寺派の円光寺。元禄十二年(1699年)の創建。根岸古寺巡り第八番。
円光寺から三分で真言宗智山派西蔵院。創建年代は不詳。本尊は大日如来。ここにもBMW。
西蔵院からはすぐの浄土真宗本願寺派永称寺。僧・浄念(宝治二年:1248年寂)が開基となって、現在の栃木県那須に創建されたのが始まり。本尊は阿弥陀如来。
真言宗豊山派千手院。禅海(文禄四年:1596年寂)という僧侶がが神田小柳町に創建したのが始まり。本尊は千手観音。根岸古寺巡り第六番。
千手院から七分で浄土宗西念寺。開山は誓誉的山上人。寛永七年(1630年)の創建。本尊は阿弥陀如来。根岸古寺巡り第四番。
西念寺の南隣は真言宗豊山派の世尊寺。応安五年(1372年)、豊島左近将監輝時が開基、賢栄が開山で創建されたと伝えられています。本尊は大日如来。根岸古寺巡り第五番。
世尊寺から四分で小野照崎神社。主祭神は小野篁。
地元では親しみを込めて「おのてるさん」と呼ばれています。私も浅草住人だったころは何度かきています。
おのてるさんの斜向い、法華宗本門流法昌寺。日照(元禄三年:1690年寂)が開山。慶安元年(1648年)、下谷御切手町(現・下谷一丁目)付近に創建。下谷七福神の一つ・毘沙門天が祀られています。
法昌寺からすぐの浄土宗泰寿院。正保四年(1647年)の創建。本尊は阿弥陀如来。
泰寿院から同じ浄土宗の英信寺までは二分。深川の靈巌寺を開山した雄譽靈巌が紫雲庵と号して寛永八年(1631年)に創建したのが始まり。下谷七福神の一つ・三面大黒天が祀られています。
英信寺から六分で法華宗本門流真源寺。というより、「おそれ入谷の鬼子母神」です。万治二年(1659年)の創建。七福神の一つ・福禄寿が祀られています。雑司ヶ谷の鬼子母神堂、中山法華経寺とともに江戸三大鬼子母神です。
私が目白から浅草に移り棲んだのは平成十一年の六月でした。三社祭りはすでに終わっていたので、この真源寺を中心に開かれる朝顔市で、初めて下町らしい祭りに出会ったのでした。
真源寺から法華宗本門流の下谷感應寺までは三分。日純(元和六年:1620年寂)が開山。小田原に創建されたのが始まり。
下谷感應寺から曹洞宗正洞院までも三分。
開基は佐竹義宣。出羽国秋田に創建されたのが起源。佐竹義宣とは戦国時代から江戸時代前期にかけての大名・佐竹氏の十九代当主で出羽国久保田藩(秋田藩)初代藩主。本尊は釈迦如来。
正洞院から同じ曹洞宗宗慶寺までは五分。
本尊は釈迦如来。「下谷區史」には「創建は慶安二年(1649年)とも明暦二年(1656年)ともいふ」と記されています。
〈つづく〉
→この日、歩いたところ。荒川区日暮里駅から台東区下谷の宗慶寺まで。
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