桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

2017年八月の薬師詣で・足立区

2017年08月08日 22時12分09秒 | 薬師詣で

 今月の薬師詣では二月以来、半年ぶりに東京に戻って、足立区の龍慶寺を訪ねます。
 迷走台風5号のせいで、スッキリしない天気がつづいていましたが、十一時過ぎ、青空が見えるようになりました。雨の心配はほぼなくなったので、出かけることにしました。



 帰りに寄るつもりにしていた慶林寺に先に寄ります。



 
綾瀬駅で降りて、西口に出ました。
 今日の目的地は四か寺あります。
 まず曹洞宗の龍慶寺。以前一度参拝したことがありますが、薬師如来の縁日とは無縁の日でした。縁日に参拝するのは今回が初めてです。



 綾瀬駅を降りて十八分で龍慶寺に着きました。
 前に参拝したのは何年前だったのか、はっきりとは憶えてはいなかったけれども、三、四年前であったか、と思って調べてみたら、六年も前でした。
 当時はまだよく知らなかった綾瀬の街を巡り、今日、このあとで訪れる薬師寺に参拝したあと、このお寺にきたのでした。

 本尊はお釈迦様です。開山は埼玉県春日部市にある浄春院の第七世・室秀梵大和尚、開基は牛込五兵衛という人で、正保三年(1646年)八月のことでした(「本山の改革」)。
  戦前、四月八日の薬師如来の縁日には、境内に植木市が立ち、大変な賑わいを呈したということですが、この日はまったき無人でした。



 我が宗派のお寺なので、歴住の墓所に参拝し、香華を手向けさせてもらいます。



 東綾瀬公園。前は綾瀬駅に帰るだけだったので、ゆっくり巡りましたが、今日は入口を見るだけで素通り。



 綾瀬駅近くまで戻ってきました。綾瀬小学校があります。

 都心からきた常磐線の緩行電車が高架になった綾瀬駅を出ると、進行方向左下に綾瀬小学校の校庭を見下ろすことができます。
 この小学校は木村カエラの母校です。だからといって、とくに意味はないのですが、学校前を通りかかったので、記念撮影に及びました。

 夏休み中なので、門は閉じられ、子どもたちの姿もありません。

 常磐線の高架をくぐり抜けてしばらく進むと、前方に狭い道同士の四つ辻が見え、その右手前に玉垣が見えてきます。北野神社の玉垣です。
 三年前、この道を歩いています。ただし、今日とは逆行。それなのに玉垣の様子は記憶にはしっかりと残っていました。
 六年前の記憶はすっかりなくしていても、三年程度ならまだ脳裏に刻み込まれているものらしい。

 しかし、一度通っただけの道です。それも前回通ったのはこれから参拝に行く養福寺から綾瀬駅へ向かうときですから、逆を向いて歩いています。目に映る景色はまったく憶えがないのに等しいと思われるのですが、なんとなく腑に落ちるものがあり、四つ辻を過ぎれば、養福寺が見えてくるという光景も脳裏に残っていました。



 北野神社拝殿です。



 境内には撫牛があります。
 前に参拝したときは、膝に痛みを覚えるようになったときだったので、後ろ足を撫でました。今回は頭にも諸問題が出てきているように思われるので、加えて頭も撫でました。



 北野神社から養福寺はすぐ。三年前の三月八日以来の参拝です。
 薬師寺参拝は六年も前となると、さすがに随分前、という気がしますが、養福寺のほうはついこの前、という気がします。新義真言宗の寺で、本尊は薬師如来です。
 永正元年(1504年)、賢空という僧により、中興開基されたと伝えられています(「新編武蔵風土記稿」)。



 足立区の保護樹木になっている養福寺の楠(クスノキ)です。

 養福寺を出て薬師寺に向かいます。
 最初の角を過ぎると、二つ目の角が袋橋です。橋 ― といっても、川は暗渠になっているので、実際に橋が架かっているわけではありません。
 道路の下を流れているのは古隅田川です。



 遠くから眺めていて、何かと思ったら、ラーメン屋さんでした。



 
間近まで行ってみると、空調設備の不調が原因で、店を閉めているようです。
 汗をかきかきラーメンを啜るのは真夏ならでは、ではありますが、まったく空調が効いていないとなると、生き地獄かもしれません。



 暗渠だった古隅田川が姿を現わしました。



 養福寺から十八分で薬師寺に着きました。
 薬師寺は薬師詣でを始めた最初の年、2011年の八月三十日に初めて訪れました。その日は薬師如来の縁日ではありませんでしたが、そのとき、薬師堂があるのを知って、その年の十月八日に改めて薬師詣でをしています。

 賢明法印と常陸国那珂郡根本村の根本佐右衛門という人が創建したと伝えられますが、その年代は慶長九年(1604年)とも寛永九年(1632年)ともいわれています。
 真言宗豊山派の寺で、本尊は、その根本佐右衛門が背負って諸国行脚したという不動明王像です。



 薬師寺本堂。



 本堂左前にある薬師堂です。

 薬師寺をあとに綾瀬駅に引き返しますが、綾瀬駅近くにもう一つ目的地があります。
 綾瀬神社近くに薬師堂があるらしいとのことなので寄ってみるのですが、風の噂に聞いたようなことなので、場所がはっきりしません。



 とりあえず綾瀬神社を目指します。



 神社拝殿と向かい合わせの形で綾瀬会館という自治会館がありました。六月に行った取手の中里薬師堂と古戸薬師堂はともに地域の自治会館の敷地内にあったので、もしかしたらこのへんかも、と思って歩き回りましたが、それらしきものは見当たりませんでした。
 社務所と自治会館が一緒になっているようなので、なにかの都合で薬師堂は取り壊され、薬師如来像はこの会館の中か、と考えましたが、あたりに人影はなく、扉も鍵がかけられていたので、わからないまま引き上げることにしました。



 境内には足立区の保護樹木・公孫樹(イチョウ)があります。樹高15メートル、幹周り2・4メートル。

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