今月の薬師詣では東京の赤羽から十条にかけて歩きます。
出かける前、地元の慶林寺に参拝してお賽銭をあげて行きます。
赤羽駅で降りました。
目的のお寺があるのは東口ですが、歩き始める前に買っておきたいものがあったので、西口に出ました。駅前にある商業ビル・ビビオで買い物を済ませたあと、このコンコースを通り抜けて東口に出ます。
赤羽駅から七分で宝幢院に着きました。
北区教育委員会の掲示があって、「真言宗智山派に属する寺院で、本尊は薬師如来像です。寛正二年(1461年)宥鎮和尚によって開山され、約百五十年後に深承阿闍梨及び宥意和尚が中興しました」と記されています。
本堂には柵が立てられていて、賽銭箱もなかったので、階の片隅にお賽銭を置きました。
宝幢院から四分で大満寺です。
境内にカフェができたようです。このお寺は五年半前の十一月に訪れたことがあり、ブログにも掲載していますが、五年半前はカフェはなかったように思います。
大満寺本堂。真言宗智山派寺院。創建年代等は不詳。
「新編武蔵風土記稿」には「新義真言宗赤羽根村宝幢院門徒、薬王山瑠璃光院と号す。本尊大日。 薬師堂、薬師は行基の作」とありますが、薬師堂とおぼしき堂宇は見当たりませんでした。
薬師堂か、と思ったら不動堂でした。
赤羽岩淵駅から一駅だけ東京メトロに乗ります。
この駅は東京メトロと埼玉高速鉄道の分岐点です。東京メトロの次の駅・志茂まではスイカ利用だと¥165なのに、埼玉高速鉄道となる次の川口元郷駅までの一駅ぶんは¥210もします。
志茂駅で下車。
志茂駅から徒歩十分で二つ目のお薬師さんを祀る専福寺へ。この寺院も創建年代は不詳。
「新編武蔵風土記稿」には「新義真言宗袋村真頂院門徒神谷山ト号ス本尊薬師」と記載されています。
専福寺から四分で自性院。真言宗智山派寺院。ここも創建年代は不詳。「新編武蔵風土記稿」には「新義真言宗袋村真頂院門徒常住山ト号ス本尊不動」と記載されています。
自性院からはしばらく環七通りを歩いて十条を目指します。
十条と聞いているだけですから詳しくは知りませんが、私の友人の長男が大学受験で浪人生活を送っていると聞いています。東京の人ではないので、下宿をして通うことになりますが、その寮が十条にあるということなので、いままで縁のなかった十条にほんの少しの縁が生まれることになりました。予期せず生まれた縁、と思いたいところですが、事情が事情であるだけに、一年こっきりで終わってほしい縁です。
自性院から十四分歩いて西音寺に着きました。途中で新幹線、高崎線、京浜東北線を跨ぐ陸橋を渡りました。真言宗智山派の寺院。文明年間(1469年-86年)、僧玄仲による創建と伝えられています。
西音寺観音堂。
西音寺から四分で真光寺。ここも真言宗智山派の寺院。創建年代は不詳。新編武蔵風土記稿には「新義真言宗)稲付村普門院末、隆照山桂徳院と号す。本尊勢至」と記載されています。
真光寺から四分、今日最後の目的地・地福寺に着きました。薬師如来を祀っていることを示す門前の石柱です。
先の西音寺前と真光寺前を通り、地福寺前も通る道は都道460号中十条赤羽線です。旧岩槻街道であり、日光御成道でもあります。時代を遡れば鎌倉街道と呼ばれていました。門前の六体の地蔵尊のうち、一番左の地蔵が「鎌倉街道の地蔵様」と呼ばれています。
地福寺本堂。京都・仁和寺の僧・経邦上人は奥州征伐に赴く源頼義に随行しましたが、奥州征伐後も当地に留まり、康平年間(1058年-64年)に創建したのがこの地福寺であると伝えられています。すなわち創建以来、千年近い歴史を誇る古刹です。
旧日光御成道に面していたこともあり、将軍家の日光社参に際しては、しばしば休憩所として利用されました。
帰りは十条駅に出ることにします。
演芸場通り商店街を抜けて行きます。
ところどころに「いつも明るいショッピングタウン」という垂れ幕が下がっていますが、シャッターを下ろした店が多いので、「明るい」というイメージはありません。
篠原演芸場。昭和二十六年の開業。
埼京線の踏切を渡って十条銀座商店街へ行くと、一転して活気に溢れていました。荏原、砂町とともに東京三大銀座商店街といわれるうちの一つです。
ちょっとだけ歩いてみました。週替わりか月替わりで替わる臨時の店で木製のスプーンやらお椀を売っていたので、二本買いました。
埼京線の十条駅から帰りの電車に乗りました。
七つ目の武蔵浦和で武蔵野線に乗り換え。武蔵浦和から新松戸までは三十二分。のんびりとした武蔵野線の旅でした。