妄想による愉快な国際時事ネタ解釈
四生の盲者日記
朴大統領、拉致を黙認 金大中事件 韓国が報告書公表(和文、朝日)
単純化すると、国家機関が自国民を外国において拉致した、という金大中事件。国家対国民の問題だけなら、当時戒厳令を敷き抑圧的な体制をとっていた韓国の国内問題で済んだが。何を思ったか、世界有数の犯罪検挙率を誇る日本で拉致を実行してしまい、現場から在日韓国大使館員の指紋が採取されの、主権侵害、外交問題まで発展した。
韓国の現状、韓国とのいきがかりから、日韓間では政治的に解決された金大中事件について、韓国政府が、34年ぶりに「真相を明らかにして」蒸し返した、というニュース。
朝鮮半島については専門外なので、事件そのものについてコメントするつもりはない。
ここでは、このニュースが、朝日新聞社でどのように偏向されたかを見てみたい。
http://www.asahi.com/international/update/1024/TKY200710240126.html73年に東京で起きた金大中(キム・デジュン)氏拉致事件の再調査を進めていた韓国の情報機関、国家情報院の真実究明委員会は24日、当時の情報機関・中央情報部(KCIA)による事件への組織的な関与を認める報告書を発表した。最大の焦点だった朴正熙(パク・チョンヒ)大統領(肩書はすべて当時)の指示については、決定づける証拠は見つからなかったものの、少なくとも暗黙の承認があったと判断した。
韓国の政府機関が事件への関与を認めたのは初めて。委員会はこうした結論に基づき、韓国政府による金大中氏への謝罪が必要と主張。同時に日本政府に対しても、真相究明に努めなかったとして遺憾の意を表明した。日本政府は韓国に再発防止を求める方針。
報告書によれば、李厚洛(イ・フラク)KCIA部長が李哲熙・情報次長補らに拉致を指示した。駐日大使館に勤務するKCIAの海外要員が「KT工作計画案」を作成。当時の事件現場のホテルから指紋が発見された金東雲(キム・ドンウン)1等書記官ら駐日大使館のKCIA海外要員が犯行を担った。事件に関与したKCIA要員は24人にのぼるという。
要員の一人は「当初、計画案には在日韓国人の暴力団幹部を使った金大中氏殺害案も含まれていた」と証言した。だが、日本警察の尾行や盗聴から殺害を断念。東京のホテル・グランドパレスから金大中氏を連れ出した段階で、単純な拉致計画が確定していたとした。
朴大統領による犯行の指示については、様々な証言が交錯。当時、李厚洛氏による「私がやりたくてやるのだと思っているのか」という発言や、公使の「大統領の決裁をもらったので実行できる」との趣旨の発言も確認したが、指示を裏付ける明白な文書は発見できなかった。
委員会は、大統領が事前に犯行を指示した可能性とともに、少なくとも暗黙の承認があったと判断した。
委員会の調査は、強制力を伴わない面談形式で行われたが、証言に対する検証資料不足が目立った。李厚洛氏は健康状態の悪化で面談が実現しなかった。調査内容の大部分が李哲熙氏らの証言に頼っており、「調査には限界があった」とした。
一方、73年11月と75年7月の2度にわたる日韓政治決着について、日本政府は韓国の公権力介入を十分に認識しながら、韓国の求めに応じて、外交的な事件解決に協力したとした。委員会は「両政府は事件の真相隠蔽(いんぺい)に対し、責任を免れることは難しい」としている。
そのうえで、委員会は日本政府に対して「深い遺憾の意を表明する」とする一方で「韓国の公権力介入を認識しながら外交的な解決を試み、事件発生初期に真相究明ができなかった」と指摘した。
宋旻淳(ソン・ミンスン)外交通商相は24日の記者会見で、報告書について「過去にこうしたことがあったことは遺憾だ」としたが、「官民(合同)委員会の調査結果が出たと認識している」とも語り、政府としての最終認定であると明言することは避けた。委員会は04年に設置された。報告書は87年の大韓航空機爆破事件など計7件について出された。
幸い、中国新聞が報告の論旨をネットに公開している、まずそちらを引用する。
金大中事件報告書の要旨 韓国政府の真相究明委(和文、中国新聞)
http://www.chugoku-np.co.jp/NewsPack/CN2007102401000263_Detail.html【ソウル24日共同】韓国政府の「過去事件の真相究明委員会」が24日発表した金大中事件に関する調査報告書の要旨は次の通り。
一、1973年の金大中氏拉致事件は李厚洛韓国中央情報部(KCIA)部長(当時)の指示の下、KCIAが組織的に実行した。
一、朴正熙大統領(同)が直接指示した可能性を排除できず、少なくとも黙認していた。
一、事件後に韓国政府が真相を組織的に隠ぺいしようとしていた。
一、日本政府が事件の政治決着を受け入れたことにより、初期の真相究明ができなかった。
一、事件が日本国内で起きたことについて、深い遺憾の意を表明。
一、金大中氏の殺害計画の有無と朴大統領の事前指示を具体的に立証する資料は確保できなかった。
一、拉致実行前に日本の暴力団を使って金大中氏を殺害する案が検討されたが、少なくとも実行段階では単に拉致することになっていた。
原文がネットでは見当たらないので、この要旨が正しいものとして朝日記事を比較し、目に付いた点を列挙してみる
朝日:李厚洛(イ・フラク)KCIA部長が李哲熙・情報次長補らに拉致を指示した。
要旨:1973年の金大中氏拉致事件は李厚洛韓国中央情報部(KCIA)部長(当時)の指示の下、KCIAが組織的に実行した。
朝日:委員会は、大統領が事前に犯行を指示した可能性とともに、少なくとも暗黙の承認があったと判断した。
要旨:朴正熙大統領(同)が直接指示した可能性を排除できず、少なくとも黙認していた。
朝日:委員会は「両政府は事件の真相隠蔽(いんぺい)に対し、責任を免れることは難しい」としている。
要旨:事件後に韓国政府が真相を組織的に隠ぺいしようとしていた。
朝日:委員会は日本政府に対して「深い遺憾の意を表明する」とする一方で「韓国の公権力介入を認識しながら外交的な解決を試み、事件発生初期に真相究明ができなかった」と指摘した。
要旨:日本政府が事件の政治決着を受け入れたことにより、初期の真相究明ができなかった。
朝日:委員会は日本政府に対して「深い遺憾の意を表明する」とする一方で「韓国の公権力介入を認識しながら外交的な解決を試み、事件発生初期に真相究明ができなかった」と指摘した。
要旨:事件が日本国内で起きたことについて、深い遺憾の意を表明。
朝日:最大の焦点だった朴正熙(パク・チョンヒ)大統領(肩書はすべて当時)の指示については、決定づける証拠は見つからなかったものの、少なくとも暗黙の承認があったと判断した。
要旨:金大中氏の殺害計画の有無と朴大統領の事前指示を具体的に立証する資料は確保できなかった。
朝日:要員の一人は「当初、計画案には在日韓国人の暴力団幹部を使った金大中氏殺害案も含まれていた」と証言した。だが、日本警察の尾行や盗聴から殺害を断念。東京のホテル・グランドパレスから金大中氏を連れ出した段階で、単純な拉致計画が確定していたとした。
要旨:拉致実行前に日本の暴力団を使って金大中氏を殺害する案が検討されたが、少なくとも実行段階では単に拉致することになっていた。
前半はまともで文章も短めなのに、日本政府が絡んだ途端饒舌に、論旨との解離も大きくなって分かりやすい。この記者は脱税ができないタイプだろう。
圧巻は、同一の文中における歪曲である。
朝日二段目:(委員会は)同時に日本政府に対しても、真相究明に努めなかったとして遺憾の意を表明した。
朝日九段目:委員会は日本政府に対して「深い遺憾の意を表明する」とする一方で「韓国の公権力介入を認識しながら外交的な解決を試み、事件発生初期に真相究明ができなかった」と指摘した。
「遺憾の意の表明」という慣用句には、謝罪と非難の二つの用法があり、都合がいいことに前後の文章によって語意が180度変わってしまう。
どちらの文章も「日本政府に対する遺憾の意の表明」には違いないが、前者は非難であり、後者は謝罪である。(「とする一方で」を逆接と捉えた筆者の主観として)
平たく書くと:
前者:日本政府は真相を究明しなかった、ボケ、カス
後者:日本政府には正直すまんかった、だがお前が余計な気つかわんかったらもっと早く真相が究明できたんじゃ
読者が、朝日新聞だけを読む時代なら有効な印象操作だが、今の時代いくらでもクロスチェックができる。
この記事を書いた記者はネットに繋がないのだろうか?いくらなんでもこんな歪曲は、すぐばれと思うのだが。
10月24日
・新華社(抜粋)
http://news.xinhuanet.com/politics/2007-10/24/content_6926866.htm
1860年:
武力的脅迫の下、清国政府とイギリスは屈辱的『中英北京条約』を締結、第二次アヘン戦争集結。
1898年:
中国の著名な軍事家にして政治家彭徳懐誕生。(経歴略)
(訳註:中国において、文民統制という概念は、歴史的にも共産主義的にも存在しない)
1938年:
中国近代史上特殊な位置にある”中山艦”が、湖北武昌、金口鎮長江流域をパトロール中に、六機の日本航空機に爆撃を受け金口鎮長江水域に沈没。
艦長の薩師俊を含む25名の将兵が殉国。
1945年:
国連憲章が、安全保障理事会5常任理事国と、その他の調印国の過半数に批准され正式に発効。
2007/10/25追加
1945年6月26日、『国連憲章』に署名する中国代表、呉貽芳(前)。
http://news.xinhuanet.com/photo/2007-10/24/content_6935514.htm
・Wikipedia(抜粋)
http://ja.wikipedia.org/wiki/10%E6%9C%8824%E6%97%A5#.E3.81.A7.E3.81.8D.E3.81.94.E3.81.A8
1944年 - シブヤン海海戦。
1945年 - 国際連合憲章が発効し、国際連合発足。
10月23日
・新華社(抜粋)
なし
・Wikipedia(抜粋)
http://ja.wikipedia.org/wiki/10%E6%9C%8823%E6%97%A5#.E3.81.A7.E3.81.8D.E3.81.94.E3.81.A8
1942年 - 第二次世界大戦: エル・アラメインの戦い第二次会戦はじまる。
1944年 - 太平洋戦争: レイテ沖海戦はじまる。
1956年 - ハンガリー動乱。ハンガリーの首都ブタペストでソ連軍の撤退などを求める20万人のデモ隊が治安警察と衝突。
2002年 - ロシア連邦の首都モスクワで、チェチェン独立派のテロリストが劇場を占拠(モスクワ劇場占拠事件)