http://www.asahi.com/paper/editorial20071009.html#syasetu1
ミャンマー(ビルマ)で取材中、銃撃を受けて死亡したジャーナリスト長井健司さんの葬儀がきのう都内で行われた。同じ報道に携わる者として、私たちも冥福を祈りたい。軍政当局は、長井さんの死を「偶発的事故」としている。だが、現場の映像からも、銃弾が体を貫通した様子からも、狙い撃ちされたことは明らかだ。
どの兵士が、どんな命令を受け、なぜ撃ったのか。日本政府は真相の究明を軍政当局に強く要求すべきだ。彼が撮影していたビデオカメラなどの返却も求めなければならない。
ミャンマーの主権は尊重すべきだ。だが、いい加減な調査で済まされてはならない。日本から調査団を送り、兵士ら当事者への事情聴取を認めるよう求めることも考えるべきではないか。
ミャンマー人の犠牲も見過ごしにできない。当局は10人の死者が出たとしか発表していないが、100人以上が殺害されたという情報もある。数千人が拘束され、なかには病院から連れ去られた負傷者もいるという。
全容を明らかにすべきだ。当局は赤十字国際委員会(ICRC)の活動すら停止させた。拷問などを防ぐためにも、病院や刑務所に国際社会の目が届くようにしなければならない。日本が調査チームを派遣すれば、その一助になるはずだ。
調査するにせよ、民主化への圧力をかけるにせよ、主な舞台はやはり国連だ。事務総長特使のガンバリ氏は軍政当局のタン・シュエ議長らと現地で会い、安全保障理事会に報告した。今週には議長声明が採択される見通しだ。
従来は、中国などの反対でミャンマー問題をまともに議論することすらできなかった。それを考えれば前進ではあるが、満足はできない。
欧米の国々は武器禁輸などの制裁も主張している。日本は安保理メンバーではないが、犠牲者が出た当事国として発言を求めることができる。議長声明を採択する時は安保理に出席して、暴力への怒りを明確に発信すべきだ。
日本は同時に、対ミャンマー援助を再検討する必要がある。政府は一部を凍結する方針だが、まず「対話を通じての民主化促進」というこれまでの援助政策の失敗を認めることだ。
その上で、どんな目的で何を継続し、何を凍結するのか、はっきりさせるべきだ。「軍政へのてこ入れ」のような援助はきっぱりと止めなければならない。
もうひとつ、ミャンマーからの難民の受け入れ拡大だ。すでに日本にいる人には、特別枠を設けて難民認定を進める。タイ国境にいる15万人以上の難民たちの暮らしも支援したい。難民に温かく手を差し伸べる姿勢こそが、ミャンマー当局への強いメッセージになる。
アジアの友人として、民主化を求める人々の助けになるよう努力する。それが「長井さんの遺志」ではないか。
突っ込みを入れる以前に、文章全体から立ち上るこの名状しがたい嫌らしさに気分が悪くなった。他人の遺志を、己の文章に都合いいように勝手にでっち上げる、死者を冒涜する最後の一文に至っては吐き気すら覚える。
投書だと時々見かけるが、ここまで傲慢かつ薄汚い文章を社説で読んだのは、久しぶりの気がする。
蛇足:
9/28:
首相は対話の重要性を主張してきた。拉致問題は大切だが、核やミサイルの脅威が除けるのなら、日本も真剣にその可能性を追求すべきだ。
9/29:
流血の弾圧がとまらない以上、日本も制裁を含めて圧力をかけることを検討すべき時期ではないか。
9/30:
日本も軍事政権に対し、弾圧の停止と民主化を強く説得しなければならない。
本日:
政府は一部を凍結する方針だが、まず「対話を通じての民主化促進」というこれまでの援助政策の失敗を認めることだ。
政府批判する前に、自己批判が先ではなかろうか。
対話→制裁→対話→制裁
次は「対話」の番だな。