時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

お金の不思議

2006年11月01日 | 経済問題
最近の調査結果によると、国民の資産総額は、土地などを除いて約1,400兆円だそうだ。しかし、実際に発行されている紙幣(日本銀行券)の総額は、75兆円くらいだという。これに、政府発行の補助貨幣(500円以下の貨幣)があるが、いずれにせよ、生まれたばかりの赤ん坊を含めて、国民一人当たり約60万円しか紙幣は存在しないのである。
要するに、実際に流通したり、退蔵されている紙幣の量はたいしたことはなく、銀行や企業間の取引などはすべて、手形や小切手、通帳や帳簿の中で数字が移動するだけであり、これで日本経済が成り立っていることになる。1億円の小切手を振り出した銀行に、実際に現金があるかどうかはまったく関係はない。「信用」という不可思議な言葉だけで経済は動いているのである。
銀行や郵便局などの金融機関にも、現金はそれほど準備されていないらしい。都市銀行のかなり大きな支店でも、現金の用意は数千万円ではないかという話を聞いたことがある。ましてや、我が家の近所の特定郵便局では、編集長の細君が以前に300万円を下ろそうとしたら、「事前に連絡いただかないと準備できない」と言われたそうなので、通常はこの程度の現金しか準備していないのだろう。
数年前に、佐賀銀行で取り付け騒ぎが起きた。1人のOLが発信した「(同行の経営状態が)危ないらしい」というmailによって、預金の引き出しが相次ぎ、噂が噂を呼び、こういう騒ぎに発展したという。
この話を聞いて思ったのだが、仮に、数10人からせいぜい100人くらいが特定の地域の金融機関、たとえば、いくつかの銀行や信用金庫などの支店、特定郵便局などで一斉に多額の預金を引き出したりすると、どこも現金が不足し、これだけで相当の騒ぎになるだろう。
そして、意図的に「預金が下ろせなくなっている」との情報を発信すれば、騒ぎが騒ぎを呼び、佐賀銀行で起きた取り付け騒ぎに似た騒動があちこちの金融機関で起きるのではないかと思われる。
テロリストによる破壊活動も怖いが、資金力のあるテロ集団があらかじめ、日本のいくつかの金融機関に多額の現金を預けておき、一斉にこういう行動を取れば、日本経済に相当の混乱を作り出すことができるであろう。下手な小説のネタくらいにはなりそうではないか。(ひょっとしたら、私の知らないうちにこんな「下手な小説」が既に発行されているかもしれない。)
これだけの混乱を起こすために必要な資金は数10億円程度あれば十分であろう。先頃テレビで放映された「亡国のイージス」以上にリアリティのある小説や映画などができるかもしれない。
ビル・ゲイツ(資産総額6兆円?)ほどの資産家でなくても、日本経済に重大な影響を与えることができる資産家は意外に多いのではないだろうか。
最近は、スーパーでの買い物や交通機関などもカードや携帯電話などで支払えるので、よく考えると、紙幣の必要性は徐々に失われているのかもしれない。まったく不思議な世の中になったものだ。
このように、紙幣や貨幣そのものが不要な生活が広がっていき、カードなどですべて決済ができるようになると、徐々に「経済観念」すらなくなるであろう。カードなどでの決済を続け、決済ができている間はまったく問題にならないが、カードの背景にある現金の裏付けがなくなると(決済のための預金がゼロになると)、今度は自動的にお金が貸し出されるようになり、まるで、仮想社会ででも暮らしているような状況になり、「お金」の概念さえも忘れてしまうような暮らしになるかもしれない。もっとも、預金残高がゼロになり、借入額が一定以上の金額になると、やがては厳しい取立てがやって来るようになり、嫌でも「お金」を意識せざるを得ない生活に引き戻されることとなろう。
従来より、詐欺や横領、窃盗や強盗、果ては殺人まで、お金がらみの事件は多い。お金に振り回されず、上手に使いながら生きていただきたいと思っている。