時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

続、資本という怪物

2006年12月25日 | 財界
イギリスの産業革命の初期に、ロバート・オーエン(1771~1858)という人物がいた。紡績機械を使って成功し、1800年に若くして大工場の支配人となった人物である。
彼は、人間の性格は環境によるものと信じ、自分の工場で労働時間を短縮し、社宅を作り、日用品を安く売る売店を開き、保育園まで作って環境を整えるなど、資本主義の次にあるべき社会のあり方を模索し続けた。そして、労働組合や協同組合の創始者として、後世に大きな影響を残した。
資本主義の草創期に、大企業の一経営者として、人間としての良心を失わずに労働条件の改善などに取り組んだが、当然の、あまりにも当然の帰結として、他の企業との競争にうち勝つことができず、試みは失敗に終わっている。
マルクスとともに社会主義運動の発展に寄与したエンゲルスの言葉を借りれば、オーエンは「空想的」社会主義者だった。企業経営者の良心に訴えても、資本の横暴にストップをかけることはできないのである。その行為は、所詮は絵空事に過ぎなかったのである。
前回の記事で述べたとおり、資本主義社会における資本は、絶えず自己増殖を要求する。労働者、国民が黙っていれば、最大限の利潤の追求が行われ、労働条件は極限まで切り捨てられることになる。
先日も、厚生労働省の労働政策審議会において、ホワイトカラーエグゼプションが提案された時、経営者側委員からは「過労死、長時間労働は各企業で正せばよい」と主張した。
個別の企業に、残業の規制が期待できるわけがない。それは、この現代日本に2人目のロバート・オーエンの登場を期待するものであり、問題の本質はまったく解決しないのである。
個々の企業家の理性や良心に、資本の暴走のストップを期待するのは、200年前のオーエンの愚行を繰り返すだけである。
資本を動かすのは人間であるが、残念ながら、経営者、資本家にそれを委ねることはできないし、また、期待しても意味がないのである。
企業の横暴を規制し、労働条件を守る法律を作り、それを労働者、国民が監視することによってのみ、資本の横暴に歯止めをかけることができるのである。資本の横暴に歯止めをかけられるのは、その直接の被害者である労働者を中心とした国民以外にはないのである。
残念なことに、今の日本は、この資本の論理を後押しする勢力が国会で多数を握っている。
したがって、たとえ遠回りのように見えても、資本の横暴に歯止めをかける法律を作る政党の議員を一人でも多く送り込むことが、資本の横暴を押さえ込む最も近道である。
折しも、来年度の予算案が発表された。朝日新聞によると、07年度に実施される減税の98%は企業向け。安倍政権初の税制改正は極端な「企業偏重」であることが明らかになった、と報じている。個人に対しては1兆円超の所得税増税(定率減税の全廃)が年明けから実施される予定で、「家計増税、企業減税」の色彩が強まっているとも報じている。
この予算案一つとっても、大企業がますます儲けを貯め込むため、財界が政府に要求してきたことであり、まさに資本という怪物の要求なのである。
この怪物を制御し、国民のために役立つようにするためには、法律による規制など様々な制御装置が求められるのである。


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