時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

ホットドッグの早食い

2007年07月05日 | 社会問題
米国独立記念日恒例のホットドッグ早食い競争が、ニューヨークのコニーアイランドで行われ、6連覇中の日本人が自己記録を10個近く上回る63個を平らげたが、66個を食べた米国人男性に敗れたという。
編集長は、早食い大会とか、大食い大会といった行事には大変嫌悪感を持っている。
この地球上で、その日の食事にすらありつけず、餓死したり、栄養失調により種々の病気にかかったりして毎日何万人もの人が亡くなっている。
先日も、フジテレビで「世界が100人の村だったら」とかいう番組で、フィリピンのゴミ山でゴミを拾って生活する家族を2年ぶりに訪問した番組が放映されていた。
その3人の姉弟の中の真ん中の弟が、2年前の放映の時に語った言葉が再度放映されていた。何が食べたいかと聞かれた弟は「ホットドッグが食べたい。前に一度食べたことがあるんだ。おいしかったよ。」と。
ゴミ山のゴミを換金して暮らすこの家族が食事にありつけるのは数日に1度だけ。それも炊いた白米に水を加えて塩を振りかけただけの食事だ。
早食い大会で無意味に消費されたホットドッグを、フィリピンのこの姉弟たちに食べさせてやりたいと思うのは編集長ばかりではあるまい。
元早食いチャンピオンの日本人男性は、大会前にあごの関節症に苦しんでいたそうだが、悔しさに涙を見せながら「あごの調子は万全ではないが、それについては話したくない。今日は今年に入って一番調子がよかった。来年は絶対にチャンピオンを奪還する」と誓ったという。
なんというくだらない決意だろうか。少なくとも、働き盛りの若い男性が、涙を見せながら誓うような内容ではない。
もう少し、社会のために役立つことに挑戦しようという気持ちはないのだろうか。
ホットドッグを通じて、世界の貧困や自らの生き方を考えて欲しいと思っている。
テレビで時々放映される「大食い大会」なども、その企画の是非についてよく検討すべきではなかろうか。日本の国内にも、ホームレスをはじめ、その日の食事にありつけない人たちは多い。そういう人たちの存在に少しは思いを馳せてみてはどうだろうか。


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