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●戦争、環境破壊の最たるもの…ところで、海猿の皆さん、《職員が軍隊として組織され、訓練され…軍隊の機能を営むことを認める》でOK?

2022年12月04日 00時00分35秒 | Weblog

[↑ 命どぅ宝沖縄を再び戦場にするな! (2022年05月15日、朝日新聞)]


(2022年11月18日[金])
番犬様の超デタラメ、文句も言わない主権なきニッポン政府。プーチン氏に嗤われ、蔑まされるはずだね。《植民地》ニッポンの中の沖縄。番犬様はやりたい放題だ。主権なき非《独立国家》の自公政権は、番犬様に沈黙。

   『●巨大新基地建設による辺野古破壊…プーチン氏に《主権を行使できて
                    いない実例》と指摘されてしまう始末
   『●和泉洋人首相補佐官…《日本の民間企業に建設協力を打診し、
     便宜供与を匂わせていた…徹底的に民意をないがしろにする政権の姿》
    「《これは安全保障政策ではない。日本をぼろぼろにすることと
     引き換えにした米国への隷従であり、「売国的」ですらある》…
     ホシュやウヨクの皆さんの大好きな売国奴という言葉。でも、一体誰が
     《売国》奴なのでしょうか? 皆さんのお嫌いなプーチン氏に
     《主権を行使できていない実例》と指摘されてしまう始末ですよ?」

   『●《日米地位協定…あからさまに主権を踏みにじられても、岸田首相は
      「現実的に最善の方法を考えていく」とゴマカし、改定に後ろ向き》
   『●目取真俊さん《中台危機を煽って東アジアに軍事的緊張を生み出し、日本
      や韓国に米国製の軍事兵器を大量に売り込もうという意図》がミエミエ

 琉球新報の記事【世界遺産やんばる「米軍廃棄物に対策を」 国際NGOが報告、日米に働き掛け強化も】(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1612333.html)によると、《…沖縄県国頭、大宜味、東の3村の世界自然遺産に接する米軍北部訓練場での廃棄物が撤去されず、土壌汚染も除去されていないとして、日米両政府に調査と対策を求める報告が掲載された。…報告は(1)米軍機騒音による生物への影響が調査されていない(2)遺産に関わる問題が日米合同委員会環境分科会で議論されていない(3)遺産に関する日米合意文書の全文が公開されていない(4)米軍廃棄物が撤去されず、土壌汚染も除染されていない―など六つの問題を指摘。日米政府に調査、対策と情報公開を求めている。OEJPの吉川代表は「WHW報告を活用し、やんばるの森を米軍廃棄物がない『真の世界自然遺産』にするために取り組んでいく」と説明。IPPの河村代表は「米国・米軍から具体的な解決策を引き出すことで、基地問題を解決していく枠組みをつくることにつなげていきたい」と述べた》。

   『●立法府の自公お維議員による土地規制法案 ――― 《何のための国会か》
        《内閣委員のお一人お一人が問われている》(馬奈木厳太郎弁護士)

    《さらに、法案を先取りするような事件も沖縄では起こった。
     米軍北部訓練場の返還跡地である「やんばるの森」に米軍の廃棄物が
     残っている
ことを指摘、その廃棄物を米軍基地ゲート前に並べるという
     抗議活動をおこなったチョウ類研究者の宮城秋乃さんに対し、沖縄県警が
     威力業務妨害の疑いで家宅捜索に入ったからだ》

   『●土地規制法案の先取り ―― 宮城秋乃さんの家宅捜索という見せしめ
        …《見せしめの過剰捜査…人権侵害行為》が頻発すること、必至

 やんばるの森での番犬様の超デタラメ、文句も言わない主権なきニッポン政府。
 沖縄タイムスの【社説[戦争と環境破壊]危機の拡散 食い止めよ】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1053547)によると、《50年前の1972年6月、スウェーデンのストックホルムで、第1回国連人間環境会議が開かれた。ホスト国のパルメ首相は、講演で、ベトナム戦争を念頭に「戦争こそが最大の環境破壊である」と指摘し、大きな反響を呼んだ。50年後の今年3月。ロシアによるウクライナ侵攻の直後に、日本環境教育学会は同じ表現を用いて軍事侵攻を批判し、「発への攻撃は地球規模の環境汚染を生む恐れがある」と危惧した》。

   『●戦争、環境破壊の最たるもの
    《二十世紀の初めごろ、デンマークの陸軍大将が、こんな法律があれば、
     戦争をなくせると考えて起草した法案がある。題して
     「戦争絶滅受合(うけあい)法案」▼戦争の開始から十時間以内に、
     敵の砲火が飛ぶ最前線に一兵卒を送り込む。順序はまず国家元首、
     次にその親族の男性、三番目は総理、国務大臣、各省の次官、
     そして国会議員(戦争に反対した議員を除く)、戦争に反対しなかった
     宗教界の指導者…▼妻や娘は従軍看護師として招集し、最前線
     野戦病院で働く。権力を持つ者から犠牲になるなら、自らは
     安全地帯にいてナショナリズムをあおる政治家は姿を消すだろう


 琉球新報の【<社説>国際NGO対策要求 米軍の環境破壊を止めよ】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1612909.html)によると、《世界遺産の保全に取り組むNGO「ワールド・ヘリテージ・ウオッチ(WHW)」は、国頭、大宜味、東の3村の世界自然遺産に接する米軍北部訓練場で廃棄物が撤去されず、土壌汚染も除去されていないとして日米両政府に調査と対策を求める内容を2022年次報告に掲載した》。

   『●辺野古「この風景は戦争」:
      誇り高き「海猿」の実像は番犬様の飼い主「アベ様のイヌ」

 ところで…、辺野古「この風景は戦争」な、破壊「損」な辺野古を想うと複雑な心境だね…誇り高き「海猿」どころか「アベ様のイヌ」。現実は脇に置くとして、法的にも《その職員が軍隊として組織され、訓練され、又は軍隊の機能を営むことを認める》わけだ。法律が、現実に追いつく、ホントにいいの?、「海猿」の皆さん?
 日刊スポーツのコラム【政界地獄耳/防衛大綱「多次元統合防衛力」とは】(https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/202211150000048.html)によると、《安保3文書改定で消え去る運命にあるであろう海上保安庁法第二十五条を書き留めておく。「この法律のいかなる規定も海上保安庁又はその職員が軍隊として組織され、訓練され、又は軍隊の機能を営むことを認めるものとこれを解釈してはならない」。海保設立の誇りと独立性をついえさせるべきなのだろうか。》

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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1053547

社説[戦争と環境破壊]危機の拡散 食い止めよ
2022年11月8日 05:00

 50年前の1972年6月、スウェーデンのストックホルムで、第1回国連人間環境会議が開かれた。

 ホスト国のパルメ首相は、講演で、ベトナム戦争を念頭に「戦争こそが最大の環境破壊である」と指摘し、大きな反響を呼んだ。

 50年後の今年3月。ロシアによるウクライナ侵攻の直後に、日本環境教育学会は同じ表現を用いて軍事侵攻を批判し、「原発への攻撃は地球規模の環境汚染を生む恐れがある」と危惧した。

 ベトナム戦争時の枯れ葉剤による自然生態系の破壊。湾岸戦争時の原油流出による海洋環境汚染…。

 戦争で使用された枯れ葉剤や劣化ウラン弾クラスター爆弾などの兵器は、その影響が後々まで残り、人々の生活を脅かし続ける。

 ロシアによるウクライナ侵攻も、環境への影響は甚大だ。公共施設や住居が破壊されただけではない。

 砲弾やロケット弾など兵器という兵器が攻撃のために使用されているが、金属破片はどう処理されているのか。

 大気、水質、土壌への影響が懸念される。

 荒廃した街の復興にいったい、どのくらいの時間と経費がかかるものなのか。

 戦場には多くの戦車や戦闘機、兵員輸送車両などが投入され、ガソリンやディーゼルなどの化石燃料を大量に消費する。

 軍事行動によって大量の廃棄物が生じるだけでなく、温暖化の原因となる温室効果ガスを大量に排出しているのである。

■    ■

 ウクライナへの軍事侵攻が長期化する中、エジプトで、地球温暖化対策を話し合う国連の気候変動枠組み会議(COP27)が始まった。

 温室効果ガスを排出し続ければ、地球表面や海洋の温度を上昇させ、各地に異常気象をもたらす。

 実際、気候変動による自然災害は、世界各地で発生しており、対策は急務だ。

 だが、ここにもウクライナでの戦争が暗い影を落としている。

 脱炭素化と電力の安定供給をどう両立させるか、という問題だ。

 各国の対応はまちまちだが、ロシア依存のエネルギー政策から脱却するため一時的に石炭などの化石燃料に回帰する動きも見られる。

 自国優先の結果、COP27が実効性のある温暖化対策をまとめることができなければ、先進国と発展途上国の対立を深める結果を招きかねない。

■    ■

 茶の間には毎日のように戦争報道が流れる。その衝撃があまりにも大きいだけに、地球温暖化に対する危機感や人々の関心が薄らいでいる印象は否めない。

 「気候変動の影響によって戦争のリスクが高まっていく」という指摘にあらためて耳を傾ける必要がある。

 気候変動は洪水、熱波、食糧不足などを通して戦争のリスクを高める

 「戦争は最大の環境破壊である」という言葉は、沖縄の人々が沖縄戦と戦後の米軍統治の経験から学んだリアルな認識でもある
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https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1612909.html

<社説>国際NGO対策要求 米軍の環境破壊を止めよ
2022年11月9日 05:00

 世界遺産の保全に取り組むNGO「ワールド・ヘリテージ・ウオッチ(WHW)」は、国頭、大宜味、東の3村の世界自然遺産に接する米軍北部訓練場で廃棄物が撤去されず、土壌汚染も除去されていないとして日米両政府に調査と対策を求める内容を2022年次報告に掲載した。

 環境団体「オキナワ・エンバイロメンタル・ジャスティス・プロジェクト(OEJP)」がWHWに問題を指摘していた。日米両政府に解決への具体策を提案しており、国際組織への働き掛けを強化する。

 世界自然遺産である山原の自然が米軍の活動によって破壊されることは許されない。今回の報告は、この問題が国際問題化している証しである。日米両政府は米軍の活動がもたらす山原への影響を網羅的に調査し、悪化原因を取り除く国際的責務がある

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会は21年7月、「奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表島」の世界自然遺産登録を決めた。世界的に希少な亜熱帯の森に、数多くの固有種が生息する生物多様性を評価した。

 「沖縄・奄美」は16年に世界自然遺産の国内候補として暫定リストに記載された。しかし18年に政府が推薦した区域のうち、沖縄島北部地区は、隣に広がる米軍北部訓練場の返還地約4千ヘクタールを含んでいなかったことから国際自然保護連合(IUCN)が生態系の連続性を維持するよう地域の再考を求めるなどしたため、世界自然遺産登録まで長期間かかった経緯がある。

 返還跡地からは、放射性物質や薬きょうなどの廃棄物が見つかっている。16年の訓練場の過半の返還に伴い、ヘリパッドが残りの訓練場内に併設され、米軍は昼夜を問わず訓練を繰り返し、騒音や振動を引き起こしている

 今回の報告内容は、これらを背景に作成された。報告は、米軍機騒音による生物への影響が調査されていないことや、遺産に関わる問題が日米合同委員会環境分科会で議論されていないこと、米軍廃棄物が撤去されず土壌汚染も除去されていないことなど六つの問題を指摘している。

 OEJPの吉川秀樹代表はWHW報告を活用し、山原の森を米軍廃棄物のない「真の世界自然遺産」にするため取り組むと強調した。日米地位協定で米国は返還地の原状回復義務を負っていないが、日米両政府は世界自然遺産を保護する責任がある

 奄美・琉球諸島の豊かな自然は陸域に限らない。今後、遺産地域は海域にも拡大し、生物多様性などを次世代に伝える取り組みが必要だ。一方で遺産地域と連続する貴重な海域である辺野古沖で米軍の新基地建設が進められている豊かな自然を破壊する行為は、自然遺産を守る取り組みと逆行する最大の環境保全策は登録地域と隣り合わせの米軍施設の全面返還であり、訓練や新基地建設の中止だ
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https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/202211150000048.html

コラム
政界地獄耳
2022年11月15日7時19分
防衛大綱「多次元統合防衛力」とは

★13日、首相・岸田文雄はプノンペンでの日米首脳会談で「同盟の抑止力・対処力を一層強化することで一致」したが、その準備は着々と進められている。首相は昨年12月に「新たな国家安全保障戦略防衛大綱中期防衛力整備計画を、1年をかけて策定する」と、いわゆる安保3文書の大幅見直しを検討中だ。防衛大綱では「多次元統合防衛力」という言葉が出始めた。また「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」が内閣官房に設置され議論が続けられているが「総合的な防衛力」は大綱の考える「多次元-」と同義ととらえるべきだろう。

★13日付「琉球新報」は長崎県五島列島の津多羅島で陸上自衛隊が11日に実施した尖閣諸島での対処を想定した訓練に沖縄県警の警備部に属する「国境離島警備隊」と第11管区海上保安本部の巡視船数隻が参加していたことが分かったと報じた。県警の国境離島警備隊は「20年4月に発足し、自動小銃やサブマシンガン、小型ヘリなどを装備しており、今回は実際に陸自などと対処訓練に加わったとみられる」とあり、同紙によれば「昨年11月にも津多羅島で陸自水陸機動団、沖縄県警、大阪府警、海保など約400人が参加」しているという。

★まさに多次元統合防衛力であり総合的防衛力とはこういった防衛省、海上保安庁、警察と役割が違う組織を一元化するということにほかならず、それに米軍やNATOが加わる大規模編成が想定されているのではないか。既に海自と海保の合同訓練や連携は“役割の違い”を乗り越えて実施されつつある。安保3文書改定で消え去る運命にあるであろう海上保安庁法第二十五条を書き留めておく。「この法律のいかなる規定も海上保安庁又はその職員が軍隊として組織され、訓練され、又は軍隊の機能を営むことを認めるものとこれを解釈してはならない」。海保設立の誇りと独立性をついえさせるべきなのだろうか。(K)※敬称略
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コメント (1)
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●土地規制法案の先取り ―― 宮城秋乃さんの家宅捜索という見せしめ…《見せしめの過剰捜査…人権侵害行為》が頻発すること、必至

2021年07月02日 00時00分27秒 | Weblog

[↑ 辺野古破壊反対広告 (2021年06月06日、朝日新聞)]


 (2021年06月20日[日])
マガジン9のコラム【第103回:軍隊に監視される社会でいいのか?~重要土地規制法成立と宮城秋乃さんの家宅捜索~(三上智恵)】(https://maga9.jp/210616-3/)。

 《私たちは急速に監視社会に向かっている。①国が国民を監視する、だけでなく②軍隊が国民を監視する、③国民が国民を監視する、この②と③が当たり前になる社会、戦前のような恐ろしい国に私たちをいざなう法律が、ついに参議院本会議で可決、成立してしまった。「重要土地等調査規制法」。大事な国防施設を守るため、という名目で無制限に市民の監視を可能にする、こんな稀代の悪法止められない私たちの市民力のなさに改めて暗たんたる気持ちになる》。

   『●《陸上自衛隊と米海兵隊が、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブに、
          陸自の離島防衛部隊「水陸機動団」を常駐させる…極秘合意》
    《同訓練場返還地の米軍廃棄物問題などを調査しているチョウ類研究者の
     宮城秋乃さんは「仮にヘリパッドとして使うのであれば、
     高江の負担はより重くなる」と訴えた》

   『●《官邸の意に沿わない記者を排除…
     明らかに記者の質問の権利を制限し、国民の『知る権利』を狭める…》
    「琉球新報の【<社説>基地にドローン規制 沖縄を狙った報道弾圧だ】…
     によると、《政府方針が盛り込まれれば、自衛隊基地や米軍基地への
     取材が大きく制限される。国民の知る権利を著しく侵害する方針に、
     新聞協会が反対を示したことは当然といえる》…そうです。
     どこまでも《卑(ミーン)》なアベ様ら」

   『●立法府の自公お維議員による土地規制法案 ――― 《何のための国会か》
        《内閣委員のお一人お一人が問われている》(馬奈木厳太郎弁護士)

    《さらに、法案を先取りするような事件も沖縄では起こった。
     米軍北部訓練場の返還跡地である「やんばるの森」に米軍の廃棄物が
     残っている
ことを指摘、その廃棄物を米軍基地ゲート前に並べるという
     抗議活動をおこなったチョウ類研究者の宮城秋乃さんに対し、沖縄県警が
     威力業務妨害の疑いで家宅捜索に入ったからだ》

 土地規制法案の先取り ―― 宮城秋乃さんの家宅捜索という見せしめ…《見せしめの過剰捜査…人権侵害行為》が頻発すること、必至。《杉田水脈議員が「辺野古の基地反対運動の人たちの弁当のごみが米軍基地に入ったらどうするかという事例を出したように、こんなレベルの屁理屈でも調査監視の対象になってしまうというお粗末さを露呈》…あぁぁ…。
 《監視社会当たり前になる社会、戦前のような恐ろしい国に私たちをいざなう法律が、ついに参議院本会議で可決、成立してしまった。「重要土地等調査規制法」。大事な国防施設を守るため、という名目で無制限に市民の監視を可能にする、こんな稀代の悪法止められない私たちの市民力のなさに改めて暗たんたる気持ちになる》。最低の官房長官を含めた第二次アベ様政権により、《メディアコントロール》は完成し、《私たちの市民力》はズタズタに。三上智恵さんの結びの言葉、《法は成立しても、せめて悪用された時に瞬時に声を上げて世論で監視し、実行させない市民力を、私たちは今からでも磨いておかねばならない》。

   『●軍隊は住民を守らない: 《情報保全隊…住民の調査・
       監視のほか、島嶼戦争の際の対スパイ戦任務も想定》…
    《……以上のように、「情報保全隊」の防諜は、
     《「戦前の憲兵政治の再来だ」、「一般市民の活動を監視している
     と批判》され、また、《沖縄でも沖縄弁護士会や
     沖縄平和運動センターなどの団体や個人が監視され、戦前の憲兵隊や
     特高警察を想起させるとの批判》が出ている。《市民集会や自衛隊、
     米軍に批判的な団体・個人の活動を監視》していた訳だ。
     《憲法で保障された表現の自由思想・良心の自由
     侵害するような活動許されない》のに…。》

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https://maga9.jp/210616-3/

三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌
第103回:軍隊に監視される社会でいいのか?~重要土地規制法成立と宮城秋乃さんの家宅捜索~三上智恵
By 三上智恵 2021年6月16日



https://youtu.be/goM4NtaGqTk

 私たちは急速に監視社会に向かっている。①国が国民を監視する、だけでなく②軍隊が国民を監視する、③国民が国民を監視する、この②と③が当たり前になる社会、戦前のような恐ろしい国に私たちをいざなう法律が、ついに参議院本会議で可決、成立してしまった。「重要土地等調査規制法」。大事な国防施設を守るため、という名目で無制限に市民の監視を可能にする、こんな稀代の悪法止められない私たちの市民力のなさに改めて暗たんたる気持ちになる

 「中国に基地周辺の土地を買われたら怖いですよ。原発や弾薬などがある場所の近くに過激派が出入りしたらどうします? 取り締まらなきゃ! ですよね。そんな動きを未然に察知し、民衆の不安にお応えする法律を作ります。どうぞみなさん安心なさってください」

 今回の土地規制法はそんな優しい仮面をかぶって登場した。内容の恐ろしさにピンと来て連日報道しているのは、沖縄のメディアくらいだった。いまだに多くの人がこの法の黒い素顔に気づいていない。国会議員でさえ、ボーっとしているようにしか思えない。

 これは、外国人や危ない人たちが国防上大事な土地を取得しないためにあるというが、この法律自体、彼らの土地売買を直接規制する力もない。できるのは、重要施設の「機能を阻害」する人物が、施設の周りの土地にいないか? を調べること。所有者だけでなく、出入りしてないか? そんな目的に使ってないか? または使おうとしてないか? を市町村や地元警察や地域住民から強制的に情報を提供させながら調べ上げることを合法にする。虚偽の申告をしたら罰せられるのだから、隣人の家族構成を聞かれたって嘘はつけない。これはかつてない密告社会を招聘する法律でもある

 「機能を阻害する」目的に使ってないか? というところの、「機能を阻害する行為」とは何か。その具体的な範囲も法成立後に決めるという、いくらでも恣意的に運用されかねない点も恐怖だ。自民党の杉田水脈議員が「辺野古の基地反対運動の人たちの弁当のごみが米軍基地に入ったらどうするかという事例を出したように、こんなレベルの屁理屈でも調査監視の対象になってしまうというお粗末さを露呈しているというのに、この法に対する野党の危機意識も驚くほどに低かった。

 さらに第9条に「機能を阻害する行為の用に供し、又は供する明らかなおそれがあると認めるときは」とあるように、機能を阻害する行為が行われていなくても、その恐れがあると判断されれば勧告⇒命令⇒罰則と進むことができるため、例えば、米軍機の落下事故や騒音に悩むごく普通の沖縄県民が定期的にベランダから基地を観察してSNSで情報を共有した――そんなことも「軍の機密を公にし機能を阻害した」と懲罰対象になりかねないのだ。これでは「基地の周りでめったなことはできない」と市民のチェック機能もぐっと萎縮させられてしまう。

 そもそも、沖縄県民が誘致したわけでもない米軍基地や自衛隊基地。仕方なく基地周辺に住むことを余儀なくされ、騒音、汚染、事故、事件の恐怖にずっと耐えてきたというのに、彼らが救済の対象になることこそあれ、潜在的に「機能を阻害する恐れがあるかもしれない」と疑いの目でみられるとは何事か。これまでは簡単に調べることができなかった個人情報を含む、思想信条まで詮索される調査対象にされるなんて、全く納得がいかない。これは、沖縄戦の時、住民にさんざん軍の労務作業に協力をさせながら、米軍上陸が迫ると「軍機を漏らしかねない」として敵に情報を与えるスパイ予備軍とみて監視し、スパイリストに挙げて見せしめの虐殺まで進んでしまった悲劇と、全く同じ構図の再来だと私は危惧している。軍隊が民間人を見張るというのはそういうことだ。スパイだと疑われた人間が、そうではないと証明するのは非常に難しいことは、歴史が証明する恐怖である。

 そして、日本軍が集落の人を使って地域の情報を集めた闇の情報収集組織を持っていたことについては『証言 沖縄スパイ戦史』(集英社新書)に詳しく書いているが、今回の法律でも、実際に情報を集める中心的な役割は自衛隊の情報保全隊が担うとみられている。情報保全隊と言えば、2004年には自衛隊ヘリの騒音に電話で抗議しただけの人の勤務先まで調べ上げていたことが印象に残る。自衛隊のイラク派兵に反対する個人や団体を大量にリストアップしていた中にメディアや記者も入っていたことに驚愕したこともある。要は、自衛隊の機能を阻害する可能性のある存在に目を光らせ、こっそり監視するのが保全隊の仕事なのだが、この法が成立すれば、ある部分は大手を振って調査することが可能になり、そのぶん萎縮効果も増大するだろう。

 基地の周りに住んで身辺調査の対象になるよりは、と移住する力のある人は出て行くだろう。でもそれができない市民は肩をすぼめながら目を付けられないように暮らすしかない。そんな時にピンポーン、と玄関に情報保全隊が立ち、こう言うかもしれない。

 「この家からと思われる角度で基地内を撮影した映像がネットに頻繁に上がっている。お前の息子だろう? 罰則を知らないのか? 身分証明書を出せ」
 「ご、誤解です。うちの息子はそんなことしません! それをやってるとしたら……」
 「やってるとしたら? 虚偽申告は100万以下の罰金だと知ってるな?」
 「……。はい、確か隣の息子さんがよくカメラを回しています……」

 こういう相互監視・密告社会が現実になる危険性を土地規制法は大いに孕んでいる。そんな指摘をすると、ネット上では「活動家は逮捕されてください」とか「やましいことのない人にとっては良い法律ですが」などのバッシングが来る。でも普通に考えてみて欲しい。生活圏にある基地に、いったい何が飛んでくるのか? どう使われるのか? ある程度把握しないと不安ではないか。協定に反して夜中に飛ぶ軍用機には、証拠の映像を撮って訴え、我が子が静かに眠る夜を確保しようとするのは当然ではないのか? 先祖の土地が汚染され、子どもが飲む水がおかしくなっているのではないかと監視する市民がいなかったら、いくらでもやりたい放題をする米軍を私たちは見てきたのだ。「軍事に口を出すな」と言われて、「はい、そうですか」とは言えない。そんないのちと暮らしを守るための活動すべてが「機能を阻害する」というワードで絡めとられる恐れがあるこの法律に、戦慄しないはずがない。

 「だけどそれって沖縄とか横田基地とか、その周辺の人たちの話でしょ? 私には関係ない」と無関心でいる多くの国民に知ってほしいのは、これは軍事施設や原発だけを対象にしていないこと。政府が「重要な生活関連施設」と認定したら、その周辺も含まれてしまう。政令で指定されたら、あなたの近所の浄水場とか港湾がその対象になり、あなたの家族が監視対象にされる危険性はゼロではない。どうにでも運用できる形でこの法を通してしまえば、最初は国境地帯で軍事基地が多い沖縄県あたりがその影響下に置かれるかもしれないが、またそこでも「沖縄は大変ね」とタカをくくっていると、世論は騒がないとみて全国各地に拡大していくだろう。

 軍が民を監視するという、戦後の日本ではありえないと思えた構図は、もちろん占領下の沖縄では日常茶飯事だったのだが、復帰してからも無くなったのかと言えば、そうでもない。今月初め、東村高江のヘリパッド問題など基地に関連し、自然保護の観点から多くの発言をしてきたチョウ類の研究者・宮城秋乃さんが、いきなり家宅捜索を受けた。彼女はその前にもずっと防衛局や米軍から監視されていたのだ。これこそ、軍事基地の周りでチョロチョロ余計なことをするな、という土地規制法案と同じベクトルの恫喝だと私は直感し、状況を聞きに行ったのが今回の動画だ。

 6月4日の朝、いきなり名護署と県警の警備課がドヤドヤと玄関に押し寄せ、仕事に欠かせない携帯とパソコンやカメラ、莫大なデータを含む機材などをごっそり押収していった。宮城さんは森の生き物の研究をする傍ら、森の奥深くに遺棄されたままの米軍の廃棄物・弾薬・有害物質などの状況を調べ、回収し、原状回復を訴える活動を続けてきた。その功績で去年「第32回多田謡子反権力人権賞」を受賞している。社会的にも信頼のある研究者の仕事場にいきなり踏み込むほどの容疑とは、一体何だというのか。

 彼女は米軍の訓練場の返還地に夥しい米軍のゴミ、時には弾薬などの危険物や、PCBやコバルトなど放射性物質も含む有害物質が山中に放置されていることに胸を痛め、自主的に回収していた。北部訓練場は2016年末におよそ半分が返還されたが、米軍に原状回復義務はなく、防衛省が実に3億円もかけて「支障除去」、つまり有害物質や廃棄物の後始末をしたはずだった。しかし現状はこのありさまである。希少生物に影響を与えているので、米軍のゴミを集めて袋に入れた。当初は沖縄県警が持って行ってくれたものの、誰も回収してくれなくなった


     (宮城さんが北部訓練場跡地で確認した金属部品からは、
      放射性物質コバルト60が検出された
      (写真:ブログ「アキノ隊員の鱗翅体験」より)

 返還された北部訓練場を含むやんばるの森は今年、「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島(奄美・沖縄)」の一部として世界遺産登録の合格判定がIUCN(国際自然保護連合)によって出された。登録は既定路線になった。

 宮城さんには、この森が世界遺産になるのは嬉しいが、登録される前のこの機会に国の責任でちゃんと廃棄物を取り除いて、訪れた観光客がどこを歩いても怪我をしたり被ばくしたりすることなく、地元の子どもたちが安心して走り回れる本当の自然遺産にして欲しいという思いがあった。だからこそ、危険なごみの存在を隠蔽せずに知ってもらい、防衛省のみならず、ごみを捨てた米軍にもきちんと対応してほしいとアピールする目的で、4月7日、廃棄物を米軍基地のゲート前に並べて抗議した。その時に通行妨害をしたということが、今回の威力業務妨害容疑での家宅捜索の理由だと説明を受けたという。

 「動物たちが実際に被害を受けているのに、誰も気にも留めてくれないということが悲しくなります。誰も見てくれない。森の奥だから。私は森ならどこまででも入って行けるから、私がそれを知らせないと」

 宮城さんはそんな思いで活動を続けてきたのだが、ある時自分の動向が他人に記録されていることに気づいたという。2019年の10月、高江のヘリパッドに近いN4ゲートに立っている警備員が、自分が通るたびに車のナンバーを見て連絡を取る様子を見て「監視されている」と恐ろしくなった。防衛省が雇った民間の警備員が報告する先は防衛省だろうし、動向の報告を指示したのも防衛省だろう。ドライブレコーダーやビデオカメラでその様子を記録して訴えたところ、沖縄県選出の赤嶺政賢議員が人権侵害だと防衛省を追及、防衛省側も「通行人を報告・記録することはある」と事実を認めた。

 ところがこの防衛省が警備会社に民間人の監視を依頼するという異常事態を、赤旗、琉球新報、沖縄タイムスの3紙しか扱わなかった。普段、宮城さんから写真の提供などを受けてお付き合いのある本土紙の記者たちも、ペンをとってはくれなかったという。もしここで、「基地の問題に声を上げた人のプライバシーまで防衛省が監視していいのか?」と世論が問題視していれば、今回の家宅捜索も世論が怖くてできなかっただろうし、土地規制法も簡単に成立させないブレーキが生まれていたはずだ。彼女のSOSをスルーした結果、基地の周りで異議を唱えるような人は国防の敵だという乱暴な考え方が力を伸ばし、人権侵害を止める社会の力は弱まったのだ。そして土地規制法という名の市民監視のシステムも、どうやら今の世なら難なく通せそうだぞ、と権力側に隙を見せた格好になってしまった

 防衛省に続いて宮城さんは、米軍にも監視されるようになったという。ある日、生物調査で山に入って戻ると、自分の車が沖縄県警と海兵隊のパトカーに囲まれ、事件現場のようになっていた。駐車違反してないですよね? と聞くと、ずっと止まっている車があるから遭難したのではと駆け付けたと、言い逃れのような理由を言った。要は、返還地ではなく、立ち入り禁止の米軍基地の方に入っているのではないか、さらにまた不都合な廃棄物を引っ張り出してくるのではないか、と厄介な行動をする宮城さんを監視し、萎縮させたかったのだろう。

 ところが宮城秋乃さんは変わった趣味を持っているために、この種の脅しが全く効かない人であることが、今回本拠地をお訪ねしてよく分かった。宮城さんは幼いころから「働く乗り物」が大好きで、特にパトカーが好きすぎて、それを運転することに憧れた結果、警察官の制服や持ち物、ポスターなど警察関連のグッズを集めるまでになってしまったという。私は、昭和の警察帽や沖縄県警グッズが所狭しと並ぶ彼女の部屋を見て絶句してしまった。

 実は私、かなり虫が苦手なので、宮城さんの部屋に虫の標本がたくさんあったり、ホルマリンの匂いがしたりすることを少し恐れて伺ったのだが、それはない代わりにウルトラマンや警察グッズが、それはきれいに展示されていた。もちろん、軍隊の暴力も警察権力も嫌いですよ、と彼女は念を押す。ただ、それとこれとは別で、パトカーは細部にわたって大好きだそうで、彼女にとっては日米のパトカーに囲まれたことは恐怖でも何でもなく喜びですらあったという事実に、私は吹き出してしまった。軍事ヘリも軍用車両も働く車、であり彼女の興味の対象らしく、えらく詳しい。私が感じる米軍や警察の威圧感を、彼女は興味が上回って感じないというのだから、彼らはほかの人を萎縮させることができても、宮城秋乃さんには通用しないというのが、なんだか痛快だった。

 とはいえ、廃棄物を並べて何とかしてくれとアピールしただけで家宅捜索はどう考えても行き過ぎである。当分戻らない携帯やパソコン、カメラを買い揃えねば仕事にならない彼女に対して、今カンパも呼びかけられ、ようやく全国から支援の声が強くなってきている。そして、軍事施設周辺で余計なことをするとこういう目にあうぞ、という重要土地規制法を先取りしたような事例として、宮城秋乃さんのケースが注目されるのは、遅まきながら、大切な変化である。

 軍事組織が、又は軍事優先の論理が市民を監視し人権を制限するそんな行為が大手を振ってできるような悪法を成立させてしまった日本。国防上の危機がいいように煽られ、国境の島々や基地周辺に住む一部の人たちの人権は後回しでいいから国防優先でお願いします、という意見が多数を占めるなら、この国はすでに戦前だ。法は成立しても、せめて悪用された時に瞬時に声を上げて世論で監視し、実行させない市民力を、私たちは今からでも磨いておかねばならない

***

【宮城秋乃さんへのカンパ】

振込先:……
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●《8月ジャーナリズム》と《沖縄にとって戦争は遠い昔話ではない。沖縄は、今も一年中、戦争の延長線上を生きている》(大矢英代さん)

2020年09月14日 00時00分57秒 | Weblog


『論座』の記事【「6・23」で終わらぬ沖縄戦 絶えぬマラリア死、実態追う/大矢英代】(https://webronza.asahi.com/journalism/articles/2020082500003.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter)。

 《「8月ジャーナリズム」と呼ばれるものが存在することなど、私は知らなかったのだ。…そして、被害を受けた土地というだけでなく、戦争のために使われ続ける沖縄の姿がある。これまで沖縄からベトナムイラクアフガン戦場へと米軍が出撃したように。沖縄にとって戦争は遠い昔話ではない沖縄は、今も一年中、戦争の延長線上を生きている》。

   『●斎藤貴男さんの不安…《財界人や自民党の政治家たちが、いつか近場で、
       またああいう戦争を始めてほしい…と願っているのではないか、と》
    《休戦までの3年余で死者300万人を出した戦闘そのものについても、
     すでに憲法9条が施行されていた当時の日本は、占領者としての
     米軍の出撃基地となり、数千人が戦場に出動して、輸送や上陸作戦に
     備えた掃海作業などに従事した》

 『報道特集』(2020年8月29日)にて金平茂紀さんの言葉、「…あとは、沖縄ですよね。歴代の政権の中で沖縄に対して最も冷淡な政権だった」。アベ様や最低の官房長官、その取り巻き連中による沖縄イジメ沖縄差別な7年8カ月。

 さて、『論座』に掲載されていた、映画『沖縄スパイ戦史』(2018年、三上智恵さんとの共同監督)の監督で、「沖縄『戦争マラリア』 強制疎開死3600人の真相に迫る」(あけび書房)の著者・大矢英代さんによる長文の論考。

   『●2019年度文化庁映画賞《文化記録映画部門の優秀賞》を受賞
               …三上智恵・大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』
   『●《「遊撃戦遂行の為特に住民の懐柔利用は重要なる一手段にして
     我が手足の如く之を活用する」…住民同士を監視させ…批判している…》
   『●《「慰霊の日」を迎えた。…鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊の悲劇が
     伝わる一方、護郷隊の過酷な運命は長年ほとんど知られていなかった》
   『●「戦争マラリア」…いま再び自衛隊配備で先島諸島住民を分断し、
                 「戦争や軍隊の本質」の記憶を蘇らせる…
   『●《戦争体験の継承はどうして必要》? 大矢英代さん《二度と同じ手段で
      国家に殺されないように、生活を奪われないように、知恵をつけること》

 「戦争や軍隊の本質」の記憶。沖縄での番犬様の居座りや、嬉々として沖縄を差し出すアベ様や最低の官房長官ら。一方、島嶼部では自衛隊が〝防波堤〟や〝標的〟に。《軍隊は人を守らない大田昌秀さん)》、《軍隊は住民を守らない》《基地を置くから戦争が起こる島袋文子さん)》、《軍隊は同じことをするし、住民も協力するし、軍隊は住民をまた殺すことになる三上智恵さん)》…。
 《戦争体験の継承はどうして必要》なのか? 大矢英代さんは、《二度と同じ手段で国家に殺されないように、生活を奪われないように、知恵をつけること》。《「負の歴史こそが、本物の、騙されない強い未来を引き寄せてくれる力につながるということを、この人たちが私に信じさせてくれた」と著者三上智恵は書いている》。

 この長い論考の結びの言葉《軍隊はなぜ住民を守らなかったのか果たして住民の命を守れる軍隊など存在するのか。何が山下のような軍人を作り出したのか。住民はどのように戦争に巻き込まれ、命令に従ったのか。今こそ、戦争マラリアの歴史から学び、現代社会との共通点をあぶり出さねばならない。それが戦後75年の戦争報道の使命だ。理由はひとつ。二度と同じ手段で騙されないよう知恵をつけるためだ。それこそが本当の意味で、戦争を語り継ぐということだと思う》。

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https://webronza.asahi.com/journalism/articles/2020082500003.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter

「6・23」で終わらぬ沖縄戦
絶えぬマラリア死、実態追う

大矢英代 ジャーナリスト、ドキュメンタリー監督
2020年08月28日
沖縄スパイ戦史|沖縄戦|8月ジャーナリズム


■今も戦争の延長線上に

 「大矢さん、あなたの番組企画案は沖縄戦についてですよね? なんで今回の会議に持ってきたんですか?」

 2015年11月、テレビ朝日で開かれたドキュメンタリー番組会議でのこと。プロデューサーは、意味が分からないという表情で私に問いかけた。当時、沖縄の系列局で報道記者をしていた私は、かねて構想を温めていた番組の全国放送枠を求め、渾身の企画書を抱えて会議に望んでいた。記者4年目の私にとって、初めてとなる番組企画。主人公は沖縄戦に従軍した96歳の元日本兵だ。番組内容を説明した直後、プロデューサーから開口一番に問われたのが冒頭の質問だった。私は質問の趣旨が分からず困惑した。企画案のねらいが不明瞭だったのかもしれない。改めて、体験者の高齢化が叫ばれる今、どうしても証言を伝え残したいと強調した。

 「いや、それは分かるんですけど……」とプロデューサーは言った。

 「今回の会議では冬季の番組ラインナップを決めるんですよ。戦争の番組なら夏ですよね?」

 企画案はあえなくボツになった。内容に懸念があるならまだしも、季節がずれているという理由で不採用になるとは想像もしていなかった。「8月ジャーナリズム」と呼ばれるものが存在することなど、私は知らなかったのだ。

 それは、沖縄メディアと本土メディアの間に横たわる戦争への意識の違いを露骨に表していた。沖縄メディアにとって、戦争は避けることのできない永久のテーマだからだ。

 例えば、米軍基地問題の取材のためには、原点である沖縄戦の歴史を学ばねばならない。沖縄の子どもの貧困率は29.9%(沖縄県・2016年)で、全国平均の約2倍といわれているが、深刻な貧困や社会格差の取材をすれば、県民の生活を破壊し尽くした沖縄戦と米軍統治からの社会保障の遅れの問題に行き着く。戦後70年以上が経って戦争トラウマ(PTSD)を発症し、苦しんでいる戦争体験者たちの取材では、彼らにとって「終戦」など決して訪れないのだということを知った。

 今年4月には那覇空港の滑走路近くで不発弾3発が見つかった。沖縄が日本に復帰した1972年から2018年までに処理された不発弾は、3万8003件(沖縄県・平成30年版消防防災年報)に上り、1年間で平均約800件もの不発弾処理が行われていることになる。そして、被害を受けた土地というだけでなく、戦争のために使われ続ける沖縄の姿がある。これまで沖縄からベトナムイラクアフガン戦場へと米軍が出撃したように。

 沖縄にとって戦争は遠い昔話ではない沖縄は、今も一年中、戦争の延長線上を生きている

 その上で指摘したい。沖縄にも本土の「8月ジャーナリズム」なるものが確かに存在するということだ。6月23日の慰霊の日である。毎年6月が近づくと慰霊の日に向けた特集が組まれ、6月23日には県内メディアは総力をあげて取材にあたる。早朝、糸満市摩文仁の平和祈念公園の朝日から始まり、戦争体験者や遺族たちによる平和行進の取材、式典の中継と、報道は沖縄戦一色になる。

 私は5年間、毎年慰霊の日の取材に全力を投じながらも、心のどこかで一抹の疑問を抱いていた。それは私が記者になる以前の学生時代、「6月23日では終わらなかった沖縄戦」を取材してきたからだろう。「もうひとつの沖縄戦」とも呼ばれる八重山諸島の「戦争マラリア」である。


■地上戦なき島々で、なぜ

 その朝、私は手に取った新聞に聞きなれない言葉を見つけた。「戦争マラリア」。初めて聞く言葉だった。

 今から11年前の09年8月。終戦記念日の翌朝、私は石垣島の地元新聞社・八重山毎日新聞社の編集部にいた。将来のジャーナリストを目指して早稲田大学ジャーナリズム大学院で学んでいた私は、夏休みの間、新聞記者のインターンシップをしていた。

 千葉県で生まれ育った私にとって、終戦記念日は広島・長崎など戦争の犠牲者を追悼する日であり、当然、地元メディアも同様のニュースを伝えるものだと思っていた。ところが、実際に伝えていたのは、戦争マラリア犠牲者の慰霊祭だった。

 戦争マラリアは、沖縄戦最中の八重山諸島(波照間島、石垣島、黒島などの離島からなる日本最南端の地域)で起きた。当時、八重山諸島に駐留していた日本軍は、「米軍上陸」を口実に、軍命により一般住民たちを山間部のジャングル地帯へ強制的に移住させた。熱病・マラリアの有病地として、昔から住民たちに恐れられてきた場所だった。粗末な丸太小屋をたてて2~5カ月間の移住生活を続けた住民たちだったが、医療も食糧も乏しい中で、次々とマラリア蚊の犠牲になり、3600人以上が死亡した。

 戦争マラリアを初めて知った当時の私は衝撃を受けた。米軍の上陸も地上戦もなかった島々で、大勢の一般住民が犠牲になったこと。なによりも、相手国の軍隊ではなく、自国軍によって犠牲がもたらされたこと。そして、これほど重大な歴史を22歳になるまで知らなかった自分自身の無知を恥じた。体験者から直接、真実を聞きたいと思った。彼らの肉声を伝え残せるのは、今が最後の機会だ。私は証言をドキュメンタリー映像として記録することに決め、ビデオカメラを抱えて石垣島で取材をはじめた。無論、家族が犠牲になったつらい体験を、突然やってきた若僧に気軽に話してくれる体験者などいなかった。口を開いてくれた体験者たちも「本当は言いたくないんだけど……」と苦しみながら、ときに涙しながら、強制移住の記憶を語ってくれた。取材は体験者たちの傷口を開くことなのだと知ったとき、本土と八重山を短期間で行き来する「パラシュート取材」を続けてきた自分を反省した。本腰を入れて取材をしようと決意し、大学院に休学届を出した。向かったのは日本最南端の島・波照間。戦争マラリアで人口の3分の1(552人)が死亡し、最も大きな被害を受けた島だ

 ここで私は8カ月間を過ごした。自宅に受け入れてくれたのは、サトウキビ農家の浦仲浩さん、孝子さん夫妻だった。孝子さんは13歳で戦争マラリアを体験し、家族11人のうち9人を失った。唯一、共に生き残った妹(当時9歳)と2人で力を合わせて戦後を生きてきた。体験者と共同生活をしながら、一緒にサトウキビ畑で働き、少しずつ心を開いてくれる姿をカメラに記録した。

 「戦争体験者」「証言者」と呼んでいた人たちを、やがて「おじい、おばあ」と呼ぶようになり、さらに島の言葉「ベスマムニ」で「ブヤー(おじい)」「パー(おばあ)」と呼ぶようになった頃、「ウランゲーヌアマンタマ(浦仲家の女の子)」と、私は島の人たちから呼ばれるようになった。


■「慰霊の日」報道に疑問

 11年6月、波照間にきて半年が過ぎた頃、慰霊の日がやってきた。私は朝からビデオカメラを回した。孝子おばあは、いつも通り朝6時過ぎに起きて、庭の草むしりをしていた。昼には好物の氷ぜんざいを頬張る。いつもと何も変わらない淡々とした日常があった。

 孝子おばあは、慰霊祭に一度しか参列したことがないという。考えてみれば、当然のことである。戦時中の6月23日、住民たちはまだ強制移住先のジャングルの中にいた。猛威をふるうマラリアで次々と絶命し、終戦後の9月になっても死者は後を絶たなかった。沖縄本島で牛島満司令官らが自決しても、それは住民たちにはなんら関係のないことだった。

 戦争マラリアの取材で私が見つめたのは、6月23日で終止符が打たれた沖縄戦とは全く異なる戦争の実態だった。沖縄戦=沖縄本島での地上戦という一般的なイメージからこぼれ落ちてきた戦争マラリアの歴史は、「もうひとつの」「第二の」などと呼ばれることで、沖縄戦と区別されてきた。単なる戦病死と勘違いされることも多かった。多くの体験者たちが「自分たちはつらかったけど、それでも沖縄本島の人たちよりは、まだよかったんだ。つらいなんて言っちゃいけない」と心に鍵をかけ、苦しみを語れずに戦後を生きてきた。そんな体験者たちに出会うたびに、学生時代の私は、慰霊の日を戦争・平和報道のピークとする沖縄の報道のあり方に疑問を抱いた。地上戦がなかった島々で、自国軍によって甚大な被害を受けた一般住民の存在こそ、沖縄戦の最暗部の歴史だからだ

 17年、私はフリーランスに転身し、翌年7月、ドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」(三上智恵氏との共同監督)を公開した。テーマは沖縄戦の「裏の戦争」だ。地上戦の背後で活動していた日本軍のスパイ・陸軍中野学校卒業生たちによる作戦の実態を描いた。陸軍中野学校とは、ゲリラ戦や情報戦を専門とする特殊教育をおこなっていた極秘機関である。

 彼らによって訓練され、銃を持って米軍と戦わせられた少年兵・護郷隊。「米軍のスパイではないか」と疑心暗鬼になり、互いを監視し、傷つけあった住民たち。そして日本軍に故郷を追われてマラリアで絶命した八重山の人々日本軍がどのように住民たちを作戦に利用し、時に武器を持って戦わせ、そして住民たちが軍にとって「不都合な存在」となった時、一体何が起きたのか。戦後これまで語られてこなかった沖縄戦の最も深い闇を「スパイ」というキーワードで描いた。

 なぜ今、私は沖縄戦を取材するのか。それは他でもない、現代社会を読み解くための鍵が埋もれているからである。私にとって、それはある男の姿を追うことで明確になっていった。波照間の強制移住を指揮した山下虎雄である。


■優しい顔で死を強いた

 「とっても優しい人だったよ。子どもたちはみんな『先生! 先生!』と呼んで親しんでいた。おもちゃの飛行機も作ってくれたよ。教えるのも上手だったさ」

 「非常にユーモアのある人でね、フラダンスとかいって、僕らが見たこともないような面白い踊りをして笑わせてくれたよ」

 波照間島の体験者の多くは、幼い頃に山下虎雄と過ごした楽しい日々を今もはっきりと覚えている。

     (映画「沖縄スパイ戦史」から ©2018「沖縄スパイ戦史」製作委員会)

 山下が青年学校指導員として島にやってきたのは、沖縄戦が始まる約3カ月前だった。教員になりたての若者で、身長180センチほどのがっしりとした体格。色白の顔。住民たちは、遠路遥々やってきた「ヤマトゥーピトゥー(大和人=日本人)」の青年を盛大な歓迎会を開いてもてなし、手厚く世話をした。

 山下先生の来島から2カ月後、沖縄本島で地上戦が始まった頃、山下先生が豹変する。住民たちに「西表島へ移住せよ」と迫ったのだ。波照間と海を隔てた対岸約20キロにある西表島は、全土がマラリアの有病地だった。移住を拒む住民たちに対し、山下先生は軍刀を振りかざし、「これは天皇陛下の命令だ。聞かない奴はぶった切る」と脅した。故郷を追い出された住民たちはマラリアに斃れ、仮埋葬地となった砂浜は足の踏み場もないほど遺体であふれ返った。

 青年学校指導員・山下虎雄の正体は、陸軍中野学校の卒業生だった。

 「殺してやりたいくらい憎い。あの人のせいで、みんな死んでしまったのに……」

 波照間の戦争体験者たちは、戦後75年となる今も、山下への怒りを抱えていた。家族を失った当事者ならば当然のことだろう。

 戦争マラリア取材を始めた頃の私は23歳。波照間に潜伏していた頃の山下と皮肉にも同じ年頃だった。果たして、彼は狂気の軍人だったのだろうか。彼を強制移住に駆り立てたのは、何だったのか。


■なぜ残虐行為ができるのか

 私たちは幼少期から「人を傷つけてはいけない」と倫理観を教わり育つ。にもかかわらず、なぜ軍人になると残虐行為ができるようになるのか。軍隊は人間をどう変えるのか

 疑問を抱えて、米国ドレクセル大学のエリック・ジルマー教授を取材した。軍隊における人間心理を研究するジルマー教授は、「人間を殺人や破壊行為ができる『マシーン』に作り替えるためのキーワード」として三つの指摘をした。

 ①命令の存在。「たとえどんなに残虐な行為だとしても、命令があればできてしまう」とジルマー教授は言う。

 ②残虐行為を集団で行うこと。初年兵訓練では「私=I」という主語が禁止されているという。個を奪い、命令にだけ従うロボットに変えることで、一人前の兵士が出来上がる。

 ③行為を細分化すること。例えば殺人という目的を果たすために、兵士Aは弾を用意し、兵士Bは弾を銃に詰め、兵士Cは引き金を引く。残虐行為を細分化することで個々人の倫理は薄れる。

 山下の行為は、これらにぴたりと当てはまる。

 まず命令の存在について、強制移住は山下の単独行動ではなく、日本軍の作戦計画に基づくものだった。

 沖縄戦開戦の4カ月前、1944年11月、陸軍省と海軍省は、全国の沿岸警備の方針を定めた「沿岸警備計画設定上ノ基準」を沖縄をはじめ全国の軍司令官らに通達した。その中で八重山地域は「主要警備ノ島嶼」と位置づけられ、「在住民の総力を結集して直接戦力化し、軍と一体となり国土防衛にあたるべき組織態勢を確立強化する」とされた。これに基づき、軍事作戦の円滑化のための官民の協力体制づくりと、非常事態における住民の移住を含めた住民対策が計画された。最前線に住民がいては戦闘の邪魔である。ましてや住民が敵の捕虜となれば日本軍の配置や軍施設の情報などが敵に漏洩してしまう。そう懸念した日本軍は、基地建設や食糧生産、戦闘に住民を利用すると同時に、情報漏洩を恐れて住民を監視下におくという矛盾に陥っていく

 45年1月1日付で作成された日本軍の作戦計画書「南西諸島守備大綱」では、住民の移住についてこう取り決められた。

 「直接的戦闘に参加できない老人や子どもなどは、事前に近くの島、もしくは島内の適切な場所に移住させること。これは日本軍の作戦を容易に遂行するため、また混乱を防止し、被害を少なくするためである」

 住民の移住先は「日本軍が配備されている島に限る」とされた。波照間から最も近い島は、マラリア有病地の西表島だった。


■山下が担った秘密作戦

 ジルマー教授が指摘した集団と細分化についても、山下の行動に当てはまる。実は、沖縄戦に送り込まれた陸軍中野学校卒業生は、山下だけではない。総勢42人にも上っていた。彼らの任務は遊撃戦(ゲリラ戦)の展開。沖縄の正規軍である第32軍が壊滅したあと、山間部にこもり、「皇土防衛のために、一日でも長く沖縄で米軍を足止めせよ」という大本営の「沖縄捨て石作戦」を遂行することだった。

 45年6月23日は、牛島司令官らの自決日であり、沖縄戦の組織的終結日とされている。しかし、正規軍壊滅後の作戦遂行を任務とする中野学校卒業生たちにとって、この日は本来の任務開始日に過ぎず、最後の一兵に至るまで戦い抜くという終わりなき沖縄戦の幕開けだった。そのために地元の少年たちでゲリラ部隊「護郷隊」を組織し、米軍との戦闘や、米軍戦車に爆弾を背負って体当たりする自爆作戦を取らせるなど、子どもたちを酷い作戦へと巻き込んでいった。

 その中で「離島残置諜者」と呼ばれていた山下の任務は、「民間人の立場で情報を収集し、万が一、米軍が上陸してきた場合、それまで訓練していた住民を戦闘員と仕立て上げ、遊撃戦を行うことだった。第32軍は、そのために県知事島田叡と交渉し、彼らに正式な国民学校指導員と青年学校指導員の辞令書を出させ、偽名を使い、各島々へ潜伏させたのである」(『陸軍中野学校と沖縄戦』川満彰著、吉川弘文館、2018年)

 山下が優しい先生を演じて、住民の信頼を得たのは、作戦遂行のために住民を懐柔する必要があったからである。

 山下は、波照間の子どもたちで「挺身隊」を組織し、手榴弾の使い方を指導した。しかし、それは「米軍との戦闘のためだけではなかった」と、元挺身隊員の銘苅進さん(取材当時87歳)は語った。

 「自決。手榴弾で死ねなかった時のために、『喉元刺しなさい』と山下から短刀を持たされていた。住民が米軍に捕まったらスパイになるからですよ。山下は結局、日本軍のことを米軍に聞き取りされると思ったんじゃないか」

 取材を進めるごとに見えてきたのは、徹底的に軍の作戦と命令に従い、与えられた任務を着実に遂行したエリート軍人の姿だった。

 しかし、疑問は残る。人間は本当にロボットになりきれるのだろうか。一抹の罪悪感も疑問も抱かなかったのだろうか。


■嘘で固められた正義

 私は2018年秋から取材拠点を米国に移した。プロジェクトのひとつとして元米兵たちの取材を続けている。

 「突然『イラクへ行け』と命令が下った。なぜイラクに攻め込むのか、分からなかった」

 そう語ったのは、元海兵隊員のカイル・ロジャースさん(36)だ。04年、沖縄のキャンプ・ハンセンからイラク・ファルージャに出撃した。

 「世界地図で米軍の配置図を見ると、中東には米軍基地がほとんどない。米軍が行かなければ、どこかの国が基地を造ってしまう。ならば世界一優秀な僕らが行くべきだ。そんな理由づけを自分なりに考えて、納得しようとした」

     (イラク・ファルージャで、米軍の発砲で14人が死亡した事件に
      抗議する市民を監視する米兵=2003年4月)

 出撃前、沖縄ではマシンガンやハンヴィー(軍用車両)などの準備に追われた。「生きては帰れない」「どうせ死ぬんだから」と浴びるように酒を飲んだ。イラクでは、米軍司令部から受信した情報や命令をチームに伝えるラジオ・オペレーターとしての任務についた。

 「ハンヴィーで街中を巡回中、僕らを狙って砲撃が始まったら、敵が逃げ込んだ民家に乗り込んで殺した。怪しい人物は拘束して尋問部隊に引き渡す。でも大抵は容赦なく殺した。僕らはまるで『リトル・ブルドッグ』だった。暴れまくって、たくさんの犯罪をやった。たばこがなくなったら、近くの商店を襲撃した。米軍ヘリは、民間地上空を低空飛行しながらヘビーメタルを大音量で流していた。なんのためって? ただ、イラク人を怖がらせるためさ」

 退役後、PTSDを発症し、退役軍人病院に1年間入院した。今も銃撃事件のニュースが流れるたびに、「次は自分がやってしまうのではないか」という恐怖に苛まれるという。

 カイルさんをはじめ、これまで30人ほどの元兵士たちを取材した。気がついたのは、全ての米兵たちが米国の正義を信じて戦場に向かった訳ではなかったということだ。むしろ多くの兵士たちが、対テロ戦争に疑問を持っていたにもかかわらず、様々な理由づけを考えて、なんとか自分を納得させようとしていた。そして自分が信じた正義が嘘で塗り固められたものだったと気がついたとき、彼らは心を病み、PTSDを発症していく。ジルマー教授が指摘した「命令」「集団」「細分化」がそろってもなお、兵士たちには捨て去ることのできない人間性が残されているように私には思えた。


■民衆の弱さを問う

 「戦争になると、国家は『国』というものを大事にして『民』を犠牲にする。でも『国』は『民』があって初めて成り立つものでしょう? 戦争になるとね、そんなことも国民は忘れてしまうんですよ

 12歳で強制移住を経験した石垣島の潮平正道さんは、私に何度もこう語り、民衆の弱さを問い掛けた。

 「八重山の人たちも、『お国のため』『天皇のため』と言って、マラリアで死ぬと分かっていながら軍の命令に従ったんだから」

 また、波照間島の強制移住について、当時の島のリーダーであり元村議会議員の仲本信幸さんは、戦後のインタビュー取材でこう回想した。

 「慶良間に米軍が上陸し、島人がスパイになったから、沖縄本島が上陸された。だから、波照間でも同様のことが起こりかねないから、日本全体のため、八重山全体のために、波照間島民は犠牲になっても構わないと(山下が言っていた)。(私は)それなら仕方がないということで……」

 強制移住を「仕方がない」と言った仲本さん。国家のために命を捨てることが正しいとする価値観と、軍命に逆らうことなどできない環境の中で、住民は死を覚悟で軍命に従った。それは75年前の昔話なのだろうか。日本軍からの「命令」であれ、現在の国会が次々と生み出す「法律」であれ、行政や警察、自衛隊から求められる「協力」であれ、権力は様々なかたちを変えて私たちを取り巻いている。もしも、それに従うことが私たちの命を危険にさらすことになるとしても、絶対的な権力を振りかざされた時、私たち―あなた、私―は、果たして、どこまで抗うことができるのか

 私たちは、いつでも次の犠牲者にも、次の「山下」にもなり得る。無意識のうちに、あるいは「正義」の名の下に率先して、残虐行為の片棒を担ぎかねない。私たちの中にある普遍的な弱さを、今、ひとりひとりが問わねばならない。


■「尊い犠牲」からの脱却

 「戦争体験者の高齢化による戦争の風化」。日本のテレビや新聞がこう叫びはじめて何年が経つだろうか。体験者がいなくなれば、証言を直接聞く機会が失われ、戦争体験の継承が不可能になるという。しかし、本当にそうだろうか

 対テロ戦争が20年目に突入した米国では、毎年、若い戦争体験者が増え続けている。もし、戦争体験者が増えることで、戦争の恐ろしさが市民に伝わり、平和な社会が実現するならば、米国はとっくに戦争のない国になっているはずである

 〝Thank you for your service.(従軍に感謝します)〟。米国では、軍関係者に感謝の言葉をかける文化がある。serviceをsacrificeに言い換えて、「犠牲を払ってくれて感謝します」という人も多い。今年5月には、毎年恒例の「米軍感謝月間」と戦没将兵記念日「メモリアルデー」が祝われた。戦争と軍隊を賛美する価値観が、文化の根底にある。「米国の自由と民主主義を守ったヒーロー」の名声と共に一生を過ごす元兵士たちが大多数だが、私が取材をした元兵士たちの多くは、「感謝されるのが一番つらい」と胸の内を明かした。「自分が戦場で何をしてきたのか、何も知らないくせに……」と。

 元兵士たちの声を聞く中で気づかされたのは、戦争体験の継承において、体験者の減少は本質的な問題ではないということだ。問題は、戦争体験をどう評価するのかである。米国市民が、元兵士や戦没者を「尊い犠牲」と見なす価値観から脱却することなしに米国政府がいう「正義の戦争」の殻を破ることは不可能だ

 これは日本も他人事ではない。私自身、子どもの頃から受けてきた平和教育では、「戦没者たちの尊い犠牲の上に、今の平和な日本がある」と繰り返し教えられてきた。しかし、戦争の歴史をひもとけば、自国軍の存在ゆえに死亡した3600人以上の八重山の住民たちがいる。彼らを「尊い犠牲」と呼ぶことで、放免されるのは国家と軍隊の責任であり、命令や集団に従う人間の普遍的弱さは学ばれないまま、個人の命を切り捨てることによって国体を守ろうとした歴史は忘却されていく

 軍隊はなぜ住民を守らなかったのか果たして住民の命を守れる軍隊など存在するのか。何が山下のような軍人を作り出したのか。住民はどのように戦争に巻き込まれ、命令に従ったのか。今こそ、戦争マラリアの歴史から学び、現代社会との共通点をあぶり出さねばならない。それが戦後75年の戦争報道の使命だ。理由はひとつ。二度と同じ手段で騙されないよう知恵をつけるためだ。それこそが本当の意味で、戦争を語り継ぐということだと思う。


※本論考は朝日新聞の専門誌『Journalism』8月号から収録しています。同号の特集は「8月ジャーナリズム」です。
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●《「慰霊の日」を迎えた。…鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊の悲劇が伝わる一方、護郷隊の過酷な運命は長年ほとんど知られていなかった》

2020年07月01日 00時00分23秒 | Weblog


東京新聞の社説【沖縄戦終結75年 少年兵の体験伝えねば】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/37280?rct=editorial)。

 《「やあ、よく来ましたな」−。沖縄本島北部、大宜味村のやんばるの森に暮らす瑞慶山良光(ずけやまよしみつ)さん(91)は、優しげな目にパナマ帽が似合う快活なおじい。おしゃれをして取材に応じてくれた。笑うと右ほほの「えくぼ」がへこみ、より愛らしい。が、実はこれ「(米軍の)手りゅう弾でやられた痕」という。十六歳の時のこと−。 ◆ゲリラ部隊「護郷隊」 …沖縄在住の映画監督三上智恵さん(55)は、二〇一八年公開のドキュメンタリー「沖縄スパイ戦史」で護郷隊の実態を掘り起こし、反響を呼んだ》。

 

   『●『沖縄スパイ戦史』(三上智恵・大矢英代共同監督): 
           「「スパイリスト」…歪んだ論理が生み出す殺人」
   『●三上智恵・大矢英代監督映画『沖縄スパイ戦史』…
       「戦争というシステムに巻き込まれていった人たちの姿」

   『●「改めて身に迫るのは、軍隊というものが持つ
      狂気性」(高野孟さん)と、いまも続く沖縄での不条理の連鎖
    《マガジン9連載コラム「沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌」でおなじみの
     三上智恵さんが、大矢英代さんとの共同監督で制作した
     映画『沖縄スパイ戦史』が7月下旬からいよいよ公開…
     「軍隊は住民を守らない」…「戦争や軍隊の本質を伝えたい」》。

   『●『沖縄スパイ戦史』と《記憶の澱》…
     「護郷隊…中高生の年頃の少年たち…スパイと疑われた仲間の処刑…」

    《▼日本軍第32軍の周辺で起きた本島中南部の激戦を「表の沖縄戦」と
     すれば、映画が描くのは北部の少年ゲリラ兵部隊護郷隊」や八重山
     戦争マラリアなどの「裏の沖縄戦」。綿密な取材による証言と資料映像で、
     6月23日以降も続いた遊撃戦の実相をつづる》

   『●自衛隊配備・ミサイル基地建設…『沖縄スパイ戦史』「自衛隊
              …昔と同じく住民を顧みない軍隊の本質」暴露
    「レイバーネット…のコラム【<木下昌明の映画の部屋 243回> 三上智恵
     大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』/住民500人を死に追いやった犯罪】」

   『●沖縄デマによる市民の分断: 『沖縄スパイ戦史』の両監督…
               「反基地運動は中国のスパイ」デマも同根
   『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません…
               私たちが何を学ぶのかが今、問われている」①
   『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません…
               私たちが何を学ぶのかが今、問われている」②
   『●『沖縄スパイ戦史』: 「それまで『先生』と島の人たちに
           慕われていた山下が抜刀した」…「軍隊の本性」
   『●2019年度文化庁映画賞《文化記録映画部門の優秀賞》を受賞
               …三上智恵・大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』
   『●《「遊撃戦遂行の為特に住民の懐柔利用は重要なる一手段にして
     我が手足の如く之を活用する」…住民同士を監視させ…批判している…》

 《十五〜十八歳の少年を中心とするゲリラ部隊護郷隊(ごきょうたい)」に加わり米軍と対峙(たいじ)した。同じ少年少女で組織された鉄血勤皇隊ひめゆり学徒隊の悲劇が伝わる一方、護郷隊の過酷な運命は長年ほとんど知られていなかった。だがこれも、記憶されなくてはならない沖縄戦の実相》。
 《映画は過去を告発するだけではない。中国の海洋進出をにらみ、与那国島宮古島など、沖縄の先島諸島には陸上自衛隊の配備が進む。防衛情報を集め住民を監視する情報保全隊も配置される。作品は「戦争は軍隊が駐留した時点で始まる」(三上さん)との視点から、現代でも自衛隊は本当に住民を守るのか−と鋭く問い掛ける》。
 辺野古破壊も《「合理的ではない」と気付い》て下さい、辺野古は破壊「損」です。#辺野古の工事は中止してください! #海を殺すな! #辺野古も白紙にして原状回復を そして、石垣島宮古島など島嶼での対中国のための、番犬様をお守りするための〝防波堤〟・《標的の島》にすることにも反対します。 

   『●地上イージス計画停止、遅すぎる《当然の帰結》…辺野古の工事は
     中止してください! 海を殺すな! 辺野古も白紙にして原状回復を!
   『●どうしたらいいんですかね? 沖縄で、アベ様や最低の官房長官らが
     やることなすことがデタラメばかり…選挙が終われば、辺野古破壊再開

 目取真俊さんのブログ【海鳴りの島から 沖縄・ヤンバルより…目取真俊/沖縄戦体験者が新型コロナ下で、ゲート前に行かざるを得ない状況を作っているのは誰か?それを黙って見ていていいのか。】(https://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/ee54b090402faa5bd61764fc9eba773f)によると、《辺野古の島袋文子さんが連日、ゲート前の座り込みに参加し、先頭で抗議を続けている。90歳を超える沖縄戦体験者が、今もこうやって新基地建設反対の行動をとらないといけないのが沖縄の現実だ。この現実を作り出しているのは誰か? それを黙って見ていていいのか。傍観者であっていいのか。明日は沖縄戦の慰霊の日だが、辺野古のゲート前や破壊されている海の現状を見れば、沖縄戦の犠牲者も浮かばれないだろう。75年にわたり占拠を続ける米軍基地と、48年にわたり占拠を続ける自衛隊基地。日本「本土」の防衛と安全のために、沖縄を犠牲にする構図は、1879年の日本による琉球侵略以来、何も変わっていない》。

 マガジン9の鈴木耕さんのコラム【言葉の海へ 第124回:沖縄辺野古と、秋田山口のイージス(鈴木耕)】(https://maga9.jp/200624-3/)によると、《ならば、辺野古も同じではないか。いや、辺野古のほうがもっとひどい。工費も工期もイージス・アショアどころじゃない。当初3500億円程度と見込んでいた工費はいつの間にか9300億円にまで膨らんでいる。しかもそれは政府試算であり、沖縄県の試算では2兆円を軽く超えるという。工期も当初の5年が8年に延び、今では12年かかるとも言われる。それも政府の言い分で、県側ではとてもそれでは完成しないという。10年以上先、国際情勢がどうなっているか見当もつかない。それでも辺野古は諦めないというのが安倍内閣だ。こうなると、やはり「沖縄差別」という言葉が出て来てしまう。秋田と山口は本土であり、沖縄は沖縄だから米軍基地は押しつけておけ。それを「沖縄差別」と言わずして何といえばいいのか。この沖縄の基地問題に関しては、『〈沖縄〉基地問題を知る事典』(前田哲男林博史我部政明・編/吉川弘文館)が参考書としては最適だ。これもぜひ、手許においてほしい一冊である。今年は沖縄戦終結から75年。そして60年安保闘争から60年。もう、アメリカへの貢物外交に終止符を打ってもよさそうな時期じゃないか》。

 沖縄タイムスの【社説[慰霊の日に]知ることから始めよう】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/589353)によると、《こういう時期だからこそ、沖縄戦の実相をより深く学び、戦争の記憶を引き継ぐ意味を心に刻みたい。きょう沖縄は「慰霊の日」を迎える。県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦から75年の節目となるが、今年の「6・23」は新型コロナウイルスの影響で慰霊祭の中止や規模縮小を余儀なくされている》。
 大門雅子記者による、沖縄タイムスのコラム【[大弦小弦]戦後75年の慰霊の日】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/589433)によると、《▼本紙と朝日新聞が行ったアンケートで、体験者の62%が「沖縄戦が次世代に伝わっていない」と答えた。風化への危機感が浮き彫りになった ▼身を削る思いで体験者が紡いできた言葉を記録し、伝えるのは戦後世代の責任だ。今なお、言葉にできない体験があることも胸に留めたい。きょうは慰霊の日。(大門雅子)》。
 琉球新報の【<社説>沖縄戦75年 体験継承し平和の構築を】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1143131.html)によると、《県民の貴い生命を奪い、祖先が築いてきた独自の文化を破壊した沖縄戦から75年の年月が流れた。「慰霊の日」を迎え、私たちは沖縄戦体験者の証言や戦争遺跡が発するメッセージを胸に刻みながら沖縄戦体験を継承し、平和創造の礎を築くことを誓いたい。小学生のころ沖縄戦を体験した県民は80代となった。防衛隊や鉄血勤皇隊、女子学徒隊として戦場に動員された県民の大半は90代である。体験者から直接証言を聞くことができる機会は限られている。残された時間の中で体験者の証言と向き合う努力を重ねつつ、沖縄戦研究の蓄積を踏まえ、新たな体験継承の方策を探りたい》
 琉球新報のコラム【<金口木舌>平和のいしずえ】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1143139.html)によると、《▼戦後50年の節目に沖縄県が最重要事業として建立したのが平和の礎(いしじ)だった。25年前の6月23日の除幕式典で県は「悲惨な体験をいしずえとして私たちは世界の人びとへ訴える」と非核・平和を宣言した ▼礎は戦争体験を風化させず、教訓を伝える継承の場である。平和の尊さを学ぶ場でもある。建立によって、恒久平和を永遠に世界に訴える沖縄の役割を確認した ▼図らずも「場」の意味が問われたことしの慰霊の日である。全戦没者追悼式の会場を国立沖縄戦没者墓苑とした県は批判を受け、例年通りに平和祈念公園の式典広場に戻した。戦争を肯定せず、美化せず、後世に語り継ぐ意義を思い起こしたい》。

   『●「まん延する差別」な、「御持て成し」どころでない
        「うらあり」だったニッポン…「病んだ空気」が蔓延
    《▼差別や偏見は人を傷つける。日本が誇る「おもてなし」を台無しにし、
     観光にも大きなダメージを与えかねないチムグクル(思いやりの心)と
     歓待の文化を磨き、沖縄から見本を示したい

   『●「戦争屋のアベ様」やアノ木原稔氏のココロには
       響かない女性の訴え…「基地を造ったら沖縄が戦場になる」
   『●目を逸らす本土…「米国側からみた心温まる
      ヒューマン・ストーリーだけではなく、そこに暮らす人々」に…
   『●「空疎で虚飾に満ち」た弔辞を代読する
      最低の官房長官に怒声…「翁長氏の遺志に応える唯一の道」とは?
   『●《玉城知事が対話を求めた直後にこれを拒否…》アベ様には
       《(他者の痛みに寄り添う)沖縄のチムグクル》は届かず

 COVID19の影響で、《(他者の痛みに寄り添う)沖縄のチムグクル》が届かないアベ様に《やじ》もできず…。
 沖縄タイムスの【社説 [全戦没者追悼式] 「平和の文化」次世代へ】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/589893)によると、《安倍晋三首相らのあいさつはビデオメッセージとして大型スクリーンに流され、やじもなく静かな式典となった。玉城デニー知事は平和宣言で、昨年同様、平和を希求する「沖縄のこころ・チムグクル」を世界に発信し、共有することを呼びかけた》。
 吉田央記者による、沖縄タイムスのコラム【[大弦小弦] 沖縄戦と安保 二つの「6・23」】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/589946)によると、《▼その首相は、参加しない代わりにビデオメッセージを寄せた。基地負担の軽減に向け」「できることは全て行う」。どの年も内容がほぼ代わり映えしない ▼ロープ越しに聞いた…さん(55)=埼玉県=は「基地建設を止めないから説得力がないのでは」。首相に沖縄の現場を見てほしい気持ちと、慰霊の場にいるのがふさわしくない気持ちが、半々だと漏らした ▼6月23日は、改定日米安保条約の発効日。米国が日本を守る義務を負う安保条約は、沖縄の犠牲の上に成り立っている日本という国家が自省すべき日でもある。式典の間だけ我慢していたのだろうか。雨は終了後、再び激しく降り出した。(吉田央)》

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/37280?rct=editorial

社説
沖縄戦終結75年 少年兵の体験伝えねば
2020年6月23日 07時48分

 「やあ、よく来ましたな」−。

 沖縄本島北部、大宜味村のやんばるの森に暮らす瑞慶山良光(ずけやまよしみつ)さん(91)は、優しげな目にパナマ帽が似合う快活なおじい。おしゃれをして取材に応じてくれた。笑うと右ほほの「えくぼ」がへこみ、より愛らしい。が、実はこれ「(米軍の)手りゅう弾でやられた痕」という。十六歳の時のこと−。


◆ゲリラ部隊「護郷隊

 沖縄は二十三日、「慰霊の日」を迎えた。七十五年前のこの日、太平洋戦争末期の沖縄戦で日本軍の組織的戦闘が終わった。その戦争で、瑞慶山さんは当時十五〜十八歳の少年を中心とするゲリラ部隊護郷隊(ごきょうたい)」に加わり米軍と対峙(たいじ)した。同じ少年少女で組織された鉄血勤皇隊ひめゆり学徒隊の悲劇が伝わる一方、護郷隊の過酷な運命は長年ほとんど知られていなかった。だがこれも、記憶されなくてはならない沖縄戦の実相だ。

 瑞慶山さんが護郷隊に入ったのは一九四五年三月。米軍の本島上陸の一カ月前だ。「赤紙(召集令状)なんて来なかった」。当時の法では召集は十七歳以上だが、戦況悪化で陸軍は十四歳から志願で召集できる規則を作った。瑞慶山さんらは志願していないにもかかわらず、役場から呼び出された

 護郷隊を編成したのは、スパイ養成機関・陸軍中野学校出身の青年将校たち。仮に沖縄守備軍の第三二軍が壊滅しても、ゲリラ戦により敵を長期間かく乱させる任務を負っていた。戦いを想定する本島北部の地理に明るく兵士不足も補えると、地元の少年たちを選んだとみられる。

 軍隊への憧れもあった少年たちだが、長時間の正座や仲間内の制裁などつらい訓練が待っていた。

 そして米軍上陸から間もない四月十二日、瑞慶山さんは実戦として上官らと金武町の米軍陣地の夜襲に向かった。しかし直前、隊は野生のイノシシと遭遇して物音を立て、手りゅう弾攻撃に遭う。


◆口を閉ざした元隊員ら

 斜面に左向きに伏せた瞬間、瑞慶山さんの右顔面を破片が直撃。「あごが吹き飛んだと思った」。口中からは折れた歯と破片が出てきた。他の体験談も生々しい。

 「一人で偵察中、黒人米兵の小隊と遭った時には手りゅう弾をくわえ水たまりに隠れた。見つかったら即、自爆するつもりだった」

 「三人一組で爆薬十キロ入りの木箱を戦車に仕掛ける訓練をした。導火線は一秒で一センチ燃える。二十秒ぐらいでこっちも吹っ飛ぶ。あっという間だから生まれてなかったと思えば、それでいいかと」

 十六歳の少年に、何度も死を納得させた状況に慄然(りつぜん)とする。

 結果的に非力な奇襲はあまり成功しなかったが、千人近い護郷隊員中約百六十人が命を落とした。病気やけがで足手まといになり隊内で殺された例もあった。部隊は四五年七月に解散され、瑞慶山さんは故郷に戻った。ただ何年も、突然暴れるなど心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんだ。

 幼なじみ同士が罰し合ったり、命じられて地元集落を焼き払ったりした心の傷は深く、元隊員らは身近な人にも体験を語ろうとはしなかった。当時の給料やけがへの補償もなく、少年兵の辛苦は国から無視されたままでもある。

 沖縄在住の映画監督三上智恵さん(55)は、二〇一八年公開のドキュメンタリー「沖縄スパイ戦史」で護郷隊の実態を掘り起こし、反響を呼んだ。三上さんは言う。

 「有事に軍は住民を守らない逆に、戦闘や諜報(ちょうほう)に利用して見捨てることを描きたかった」。映画には、スパイ容疑をかけられた住民が軍により虐殺されるのを住民が手助けした、軍の陣地構築に協力した少女が秘密を知ったと殺されかけた、などの証言も登場する。共同監督の大矢英代(はなよ)さん(33)は、同作品で波照間島に潜入した中野学校出身者が島民を西表島(いりおもてじま)マラリア地帯に疎開させ約五百人が死んだ史実を描いた。

 三上さんによれば、当時の軍部は本土の各地にも中野学校出身者を送り秘密戦の準備をしていた。終戦が遅れたなら沖縄の惨劇が本土で繰り返された可能性がある。


◆亡き戦友を弔う寒緋桜

 映画は過去を告発するだけではない。中国の海洋進出をにらみ、与那国島宮古島など、沖縄の先島諸島には陸上自衛隊の配備が進む。防衛情報を集め住民を監視する情報保全隊も配置される。作品は「戦争は軍隊が駐留した時点で始まる」(三上さん)との視点から、現代でも自衛隊は本当に住民を守るのか−と鋭く問い掛ける。

 沖縄戦から七十五年の夏。瑞慶山さん宅の裏山では、日本一早く咲く琉球寒緋桜(かんひざくら)が濃い緑の葉を茂らせている。瑞慶山さんが約二十年前から死んだ戦友の数だけ植樹してきた。今ではこの桜守(さくらもり)のため長生きしていると感じるという。

 「桜を見てみんなに沖縄戦を思い出してもらおうと。戦のこと忘れたらまた地獄が来ますよって」
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●《「遊撃戦遂行の為特に住民の懐柔利用は重要なる一手段にして我が手足の如く之を活用する」…住民同士を監視させ…批判している…》

2020年06月23日 00時00分32秒 | Weblog

[※ 『沖縄スパイ戦史』(三上智恵大矢英代共同監督) (LOFT)↑]



三上智恵さんご自身のツイートで知りました。【週刊エコノミスト Online ワイドインタビュー問答有用/沖縄の「秘密戦」を記録=三上智恵 映画監督、ジャーナリスト/797】(https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20200623/se1/00m/020/004000c)。COVID19の関係で、本屋にほとんど行けていない……まだ、未購入。

 《第二次世界大戦末期の沖縄戦をテーマにしたドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」(2018年)を監督した三上智恵さん。同名の『証言 沖縄スパイ戦史』(集英社新書)をこのほど出版した》。


 

 《「遊撃隊戦闘教令(案)」はこう書いています。「遊撃戦遂行の為特に住民の懐柔利用は重要なる一手段にして我が手足の如く之を活用する」……。住民同士を監視させ、日本軍を批判している人はいないか、外国語が上手な人は誰かなどを探し、スパイとして密告させました》…いま、そうだとまでは言いません。でも、アベ様らが目指しているのは、そんな社会でしょうし、超監視・超管理したくて仕方ない雰囲気はふんぷんとします。

 《三上 私は二度と沖縄を戦場にしないためにという思いでやっているので…》。本当に賛成です。沖縄だけではありませんが、どこの親が子や孫が戦争すること、殺し合うことに、賛意を示すでしょうか。
 映画の共同監督の大矢英代さんは、かつて、「戦争のためにカメラを回しません。戦争のためにペンを持ちません。戦争のために輪転機を回しません」と仰っています。「私たちは、過去の歴史からしか学べません…私たちが何を学ぶのかが今、問われている」とも。アベ様の政で〝唯一上手くいっている〟《メディアコントロール》の下、愚かな社会へと堕ちないように(もう既に堕落しきっていますが…)、いま、やるべきことは明確です。

   『●加害者性と被害者性…「私たち一人一人が被害者となり、
              加害者となり得る戦争。戦争はどこかで今も…」
    「【記憶の澱/NNNドキュメント’17】…。
     《先の大戦の記憶を、今だからこそ「語り、残したい」という人々がいます。
     …心の奥底にまるで「」のようにこびりついた記憶には「被害」と「加害」、
     その両方が存在しました》」

   『●「戦争のためにカメラを回しません。
      戦争のためにペンを持ちません。戦争のために輪転機を回しません」
   『●『沖縄スパイ戦史』(三上智恵・大矢英代共同監督): 
           「「スパイリスト」…歪んだ論理が生み出す殺人」
   『●三上智恵・大矢英代監督映画『沖縄スパイ戦史』…
       「戦争というシステムに巻き込まれていった人たちの姿」

   『●中山きくさん「戦争は体験してからでは遅い」、
       城山三郎さん「平和の有難さは失ってみないとわからない」

   『●「改めて身に迫るのは、軍隊というものが持つ
      狂気性」(高野孟さん)と、いまも続く沖縄での不条理の連鎖
    《マガジン9連載コラム「沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌」でおなじみの
     三上智恵さんが、大矢英代さんとの共同監督で制作した
     映画『沖縄スパイ戦史』が7月下旬からいよいよ公開…
     「軍隊は住民を守らない」…「戦争や軍隊の本質を伝えたい」》。

   『●「安倍政権が旗をふる「極右プロパガンダ映画」が 
      世界中に発信されるという恥ずかしい事態が現実に」!?
   『●『沖縄スパイ戦史』と《記憶の澱》…
     「護郷隊…中高生の年頃の少年たち…スパイと疑われた仲間の処刑…」

    《▼日本軍第32軍の周辺で起きた本島中南部の激戦を「表の沖縄戦」と
     すれば、映画が描くのは北部の少年ゲリラ兵部隊護郷隊」や八重山
     戦争マラリアなどの「裏の沖縄戦」。綿密な取材による証言と資料映像で、
     6月23日以降も続いた遊撃戦の実相をつづる》

   『●自衛隊配備・ミサイル基地建設…『沖縄スパイ戦史』「自衛隊
              …昔と同じく住民を顧みない軍隊の本質」暴露
    「レイバーネット…のコラム【<木下昌明の映画の部屋 243回> 三上智恵
     大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』/住民500人を死に追いやった犯罪】」

   『●沖縄デマによる市民の分断: 『沖縄スパイ戦史』の両監督…
               「反基地運動は中国のスパイ」デマも同根
   『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません…
               私たちが何を学ぶのかが今、問われている」①
   『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません…
               私たちが何を学ぶのかが今、問われている」②
   『●『沖縄スパイ戦史』: 「それまで『先生』と島の人たちに
           慕われていた山下が抜刀した」…「軍隊の本性」
   『●与那国島や石垣島、《沖縄は名護市辺野古だけでなく、
         宮古島もまた国防のために政府に翻弄されている》
   『●沖縄イジメ…《この74年間、沖縄戦以来、陸兵が軍服を
          着て宮古島を闊歩する姿など誰も見たことはない》
   『●《戦争が廊下の奥に立つてゐた》…《そんな時代にしては
          ならない》はずが、癒党お維や与党議員ときたら
   『●2019年度文化庁映画賞《文化記録映画部門の優秀賞》を受賞
               …三上智恵・大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』

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https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20200623/se1/00m/020/004000c

週刊エコノミスト Onlineワイドインタビュー問答有用
沖縄の「秘密戦」を記録=三上智恵 映画監督、ジャーナリスト/797
2020年6月15日

     (「たくさんの人におじいちゃんたちと会ってほしかったので、
       話し声が聞こえてくるように書きました」 撮影=佐々木龍)

 第二次世界大戦末期の沖縄戦をテーマにしたドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」(2018年)を監督した三上智恵さん。同名の『証言 沖縄スパイ戦史』(集英社新書)をこのほど出版した。

(聞き手=井上志津・ライター)(問答有用)


「つらい記憶のふたを開けた責任がある」

「軍隊が勝つための作戦と住民を守るための作戦は一致しないのが戦争の構図」

── 750ページ余に及ぶ『証言 沖縄スパイ戦史』には映画には盛り込まれなかった新たな証言も数多く収録されています。いつごろから本にまとめようと思いましたか。

三上 映画「沖縄スパイ戦史」の撮影中から本にしたいと思っていました。沖縄戦は沖縄守備軍・牛島満司令官の自決で1945年6月23日に終わり、民間人を含む20万人以上が犠牲になりましたが、映画はその後も北部で続けられた「秘密戦」の実態を描いたものです。映画には時間の制約があり、証言者一人ひとりを追うことはできないため、集団の記録として構成しましたが、皆さんのライフストーリーを聞き取った者の責任として、絶対に本として書き残さなければいけないと思いました。


── 映画に出ていない人の証言もありますね。

三上 本に掲載した証言者31人のうち10人は映画に登場していません。追加取材も重ね、第1章の元「護郷隊(ごきょうたい)」のおじいちゃんたちの証言だけでも300ページ以上になりました。執筆期間も、最初は3カ月の予定が1年半かかりました。


「秘密戦」とはスパイを使って敵の情報を入手したり、身内から情報が漏れる=スパイが出ることを防いだりする、正規軍がやらない「裏の戦争」のことだ。映画は秘密戦や遊撃戦と呼ばれるゲリラ戦の中で、主に日本軍が沖縄の住民に対して行ったスパイ視や虐殺に目を向けた。

「スパイリスト」工作

    (米軍が沖縄北部の山中で押収した日本軍の「秘密戦に関する書類」
    (映画「沖縄スパイ戦史」から)(C)2018「沖縄スパイ戦史」製作委員会)


── 映画「沖縄スパイ戦史」を作ることになったきっかけは?

三上 1作目の「標的の村」(2013年)と、続く「戦場(いくさば)ぬ止(とぅどぅ)み」(15年)は辺野古新基地高江ヘリパッドの建設に抵抗する人々を記録しました。3作目「標的の島 風(かじ)かたか」(17年)では、それに加えて15年から与那国、宮古、石垣島など南西諸島に自衛隊の新しい基地計画が進んでいく状況を描きました。攻撃能力を備えた自衛隊の配備は、今や沖縄だけではなく日本列島全体が対中国戦略の米軍の防波堤にされていることを意味します。なのに、映画を見た人の反応の多くは「沖縄は大変ね」というものだったんです。とかく自衛隊というと合憲だ、違憲だとイデオロギーの話に矮小(わいしょう)化されてしまう面もあり、この「鈍感の壁」をもどかしく感じていました。

 そんな時、自衛隊の情報機関が反対派住民の情報を収集し、リスト化していると聞いたのです。それって沖縄戦の「スパイリスト」の再来じゃないかと愕然(がくぜん)としました。でも、その話を周りにしても反応が薄い。知られていないんですね。それで4作目のテーマは沖縄戦にしよう、戦争の仕組みを知らせようと決め、「風かたか」の公開後、すぐに動き出しました。


 米軍の沖縄上陸が迫っていた44年晩夏、42人の青年将校らが沖縄各地に潜伏した。軍事諜報(ちょうほう)員の養成機関「陸軍中野学校」の出身者たちだった。任務は本土決戦までの時間稼ぎのため、沖縄の守備軍が壊滅してもゲリラ戦を展開すること。14~17歳の少年たち約1000人をゲリラ部隊「護郷隊」に召集し、敵の食糧庫や弾薬庫の夜襲や、特殊兵器を使った爆破などをさせたほか、マラリアで恐れられた西表島への波照間島民の強制移住、地域の有力者による住民監視組織の結成など、さまざまな秘密工作を行った。


── この工作の一つが「スパイリスト」ですね。

三上 44年1月作成の「遊撃隊戦闘教令(案)」や米軍が押収した日本軍の「秘密戦に関する書類」を見ると、秘密工作はみなマニュアル通りに行われていたことが分かります。「遊撃隊戦闘教令(案)」はこう書いています。「遊撃戦遂行の為特に住民の懐柔利用は重要なる一手段にして我が手足の如く之を活用する」……。住民同士を監視させ、日本軍を批判している人はいないか、外国語が上手な人は誰かなどを探し、スパイとして密告させました恐怖と疑心暗鬼の中、スパイと疑われて虐殺された住民は、数百人とも1000人ともいわれています


── スパイリストによる住民虐殺については、番組制作のため09年にすでに取材していたものの、公開を保留にしたそうですね。

三上 当時は関係者が健在だったからです。小さな村ですから、誰の密告で誰が殺されたか、分かっているんですよ。大事なのは関係者の罪を問うことではなく、軍隊が勝つための作戦と、住民を守るための作戦は一致しないという戦争の構図を示すこと。多角的に描かないと、「沖縄の少年兵や住民が虐殺に関わっていた」などとセンセーショナルな部分だけが内地のメディアに取り上げられるのもいけないと思いました。


加害者になる心の動き

── リストには18歳の少女も載っていました。その中本米子さんは映画にも登場しますが、本書では映画で語らなかった告白をしているのが衝撃的です。

三上 映画完成後にお会いした時に、急に語り始めたんですよ。撮影中は隠していたのではなく、つらい記憶だから封印していたのだと思います。私のある質問をきっかけに、記憶のふたが急に開いてしまったようでした。私は残酷なことをしているのではないかと、動揺したのを覚えています。


── 本土決戦に向け、岐阜で少年兵を訓練していた中野学校関係者も初めて登場しています。

三上 現在98歳の野原正孝さんです。公開後、岐阜新聞を通じて連絡が取れました。「住民は兵器の一つで消耗品だった」と言い切り、「ゲリラの教官だったことは誰にも話してこなかったから、話せてよかった」とも言ってくれました。ただ、出版後、野原さんから手紙が来たんです。「あの当時、国のため、天皇陛下のために尽くしたことに後悔はありません。でも、あなたのような広い知見を持って、このような本にまとめられた歴史としてみた時に、一抹のわびしさを感じます」と書いてありました。

 野原さんは今も自分が中野学校の一員だった誇りを持っているんです。今回、米子さんの告白からも分かりましたが、もちろん戦争は悪であっても、自分の青春時代を全部否定的にとらえたくはないですよね。楽しかった時間もたくさんあったはず。でも、「あの時代は大変だった」以外の話は、これまで耳を傾ける人がいなかったし、あまり話さないまま来たのかもしれません。

 野原さんは中野学校の面白い裏話もたくさんしてくれました。だから、できればもう一回、劇映画などにして野原さんが喜ぶものを作りたいなと思っているのですが……。


── 「虐殺者」の面だけではない将校たちの人間性も描いています。

三上 護郷隊の隊長は戦後、戦死した全ての部下の家を回り、仏壇に手を合わせました。慰霊祭にも死ぬまで出席しました。これまで私は住民側の目線でずっと取材をしてきましたが、彼らに課せられた任務を知るにつれて、狂ったシステムの中で加害者になる人の心の動きが理解できるようになりました。初めて兵士の立場で考えられるようになったと思います。


── 証言を世に出すことで取材相手を傷つけてしまうのではないかという葛藤は?

三上 それは常に苦しんでいます。でも、誰も傷つけたくないのなら、ジャーナリストなんかやるべきじゃない。取材相手には「三上さんの作品でひどい目にあったけど、三上さんは憎めなかったな」と思ってもらえるように、その後も通い続けるようにしています。


── 12歳の時に家族旅行で初めて沖縄を訪れたのですね。

三上 強烈なカルチャーショックを受けました。家のような形のお墓も、本土とは異なる言語も不思議でしたし、南部戦跡や平和祈念資料館には沖縄の思いが詰まっているのを感じました。旧満州(現中国東北部)から引き揚げた経験を持つ祖母の話を聞いて育ったからか、もともと戦争には興味のある子どもでしたが、以来、沖縄のことが頭から離れなくなりました。大学では宮古島に通ってシャーマニズムを研究しました。ユタ(巫女)さんから「あんたの背後には草の冠に白装束を着けたおばあがたくさんいる」と言われたことが何度もあるんですよ。


「自分のこと」だから

     (元第二護郷隊員の瑞慶山良光(ずけやまよしみつ)さん、
      宮城清助(きよすけ)さん、仲泊栄吉さん(右から)と
      三上さん(今年2月撮影) 三上智恵さん提供)


── 草の冠?

三上 草冠は祭祀(さいし)をつかさどり、神女と呼ばれる女性たちが身に着けるものです。だから、ひょっとして神に仕えながら島を守る役割の人たちから、島を守るよう使命を与えられているのかなと思っています。

 三上さんは毎日放送(大阪市)でアナウンサーをしていたが、95年に開局した琉球朝日放送(QAB)へ開局と同時に転職。QABではキャスターを務めながら、ディレクターとしても「海にすわる~辺野古600日の闘い」(06年)、「英霊か犬死か~沖縄から問う靖国裁判」(11年)など多くのドキュメンタリー番組を制作した。


── 当時1歳だった息子さんを連れて沖縄に移住したのですね。

三上 航空会社に勤める父がその前に沖縄に転勤していて、両親が夜も息子を見てくれたので、思う存分仕事ができ、楽しくて仕方がなかったです。夫とはそれ以来、別居婚になりましたが。


── 95年には米兵による少女暴行事件が起きました。

三上 彼女を忘れた日はありません。彼女は二度と同じような犠牲者を出したくないという一心で事件を公にしたのに、普天間飛行場の返還が発表された時、私たちは「県民の怒りが普天間を動かした」と報道してしまいました。辺野古が面する大浦湾に米軍基地を作る計画は60年代からあり、それをこの機を利用して日本に作らせるというカラクリに気づいてなかったのです。

 それが悔しくて、古い基地を返す代わりに新しい基地を日本の税金で作らせるという欺瞞(ぎまん)を伝えなければと、がむしゃらに走ってきました。沖縄の人から今も時々、「内地から来たのに沖縄のことをやってくれてありがとう」と言われますが、私は自分のことだからやっている感じなんですよ。


── QABの番組「標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち」が映画化された後、QABを退職したのはなぜですか。

三上 QABでは19年間、ニュース番組でキャスターを務めてきましたが、局からは管理職として裏方に回るよう言われていたんです。私は現場の方が向いていると反論し続けましたが、限界でした。直接言われたことはないですが、キャスターの主張が「反基地」すぎるのも問題だったと思います。何のあてもなく、どうしようと思っていたら、「標的の村」を応援してくれた人たちが「お金を集めるから取材を続けて」と言ってくれ、2作目につながりました。


── 今後も映画監督を?

三上 私は二度と沖縄を戦場にしないためにという思いでやっているので、映画にはこだわりません。人の人生を活字で再構成する楽しさを知ったので、沖縄戦をテーマに、また本を書きたいかな。

 この本は証言者の話し声が聞こえてくるようでしょう。たくさんの人に証言者のおじいちゃんたちに会ってほしくて、黒砂糖とお茶を出して仏壇の前で話してくれる様子をそのまま表現するよう心がけました。この本は分厚いので、1ページ目から読まなくてもいいですよ(笑)。たまたまその日、開いたページに出てくる人の証言を読んでほしい。その人と出会ってもらえたらうれしいです。



 ●プロフィール●

みかみ・ちえ

 1964年東京都生まれ。87年成城大学文芸学部を卒業し、アナウンサー職で毎日放送入社。95年琉球朝日放送(QAB)開局と同時に入社。2003年沖縄国際大学大学院修士課程修了。キャスターを務めながらドキュメンタリーを制作。初監督映画「標的の村」(13年)でキネマ旬報文化映画部門1位など数々の賞を受賞。14年独立。「戦場ぬ止み」(15年)など次々と手がける。著書に『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』(大月書店)など。沖縄県読谷村在住。
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●『沖縄スパイ戦史』: 「それまで『先生』と島の人たちに慕われていた山下が抜刀した」…「軍隊の本性」

2018年12月15日 00時00分59秒 | Weblog

[※ 『沖縄スパイ戦史』(三上智恵大矢英代共同監督) (LOFT)↑]

 
(『沖縄スパイ戦史』劇場予告編)

http://www.spy-senshi.com
https://youtu.be/Tsk9ggz-BoY



週刊朝日の朝山実氏の記事【島民の3分の1が死亡…封印された沖縄「秘密戦」の実態】(https://dot.asahi.com/wa/2018082200061.html)。

 《太平洋戦争末期、軍の命令でマラリアの島に送られ、住民の3分の1が亡くなった波照間島の話を知っていますか? 先月末ミニシアターで公開されたドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」が立ち見が出るほどの反響だ》。

 《軍隊というものが持つ狂気性》、《軍隊の本性》。それを繰り返そうとしているニッポン。

   『●加害者性と被害者性…「私たち一人一人が被害者となり、
              加害者となり得る戦争。戦争はどこかで今も…」
    「【記憶の澱/NNNドキュメント’17】…。
     《先の大戦の記憶を、今だからこそ「語り、残したい」という人々がいます。
     …心の奥底にまるで「」のようにこびりついた記憶には「被害」と「加害」、
     その両方が存在しました》」

   『●「戦争のためにカメラを回しません。
      戦争のためにペンを持ちません。戦争のために輪転機を回しません」
   『●『沖縄スパイ戦史』(三上智恵・大矢英代共同監督): 
           「「スパイリスト」…歪んだ論理が生み出す殺人」
   『●三上智恵・大矢英代監督映画『沖縄スパイ戦史』…
       「戦争というシステムに巻き込まれていった人たちの姿」

   『●中山きくさん「戦争は体験してからでは遅い」、
       城山三郎さん「平和の有難さは失ってみないとわからない」

   『●「改めて身に迫るのは、軍隊というものが持つ
      狂気性」(高野孟さん)と、いまも続く沖縄での不条理の連鎖
    《マガジン9連載コラム「沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌」でおなじみの
     三上智恵さんが、大矢英代さんとの共同監督で制作した
     映画『沖縄スパイ戦史』が7月下旬からいよいよ公開…
     「軍隊は住民を守らない」…「戦争や軍隊の本質を伝えたい」》。

   『●「安倍政権が旗をふる「極右プロパガンダ映画」が 
      世界中に発信されるという恥ずかしい事態が現実に」!?
   『●『沖縄スパイ戦史』と《記憶の澱》…
     「護郷隊…中高生の年頃の少年たち…スパイと疑われた仲間の処刑…」

    《▼日本軍第32軍の周辺で起きた本島中南部の激戦を「表の沖縄戦」と
     すれば、映画が描くのは北部の少年ゲリラ兵部隊護郷隊」や八重山
     戦争マラリアなどの「裏の沖縄戦」。綿密な取材による証言と資料映像で、
     6月23日以降も続いた遊撃戦の実相をつづる》

   『●自衛隊配備・ミサイル基地建設…『沖縄スパイ戦史』「自衛隊
               …昔と同じく住民を顧みない軍隊の本質」暴露
    「レイバーネット…のコラム【<木下昌明の映画の部屋 243回> 三上智恵
     大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』/住民500人を死に追いやった犯罪】」

   『●沖縄デマによる市民の分断: 『沖縄スパイ戦史』の両監督…
                    「反基地運動は中国のスパイ」デマも同根
   『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません…
                  私たちが何を学ぶのかが今、問われている」①
   『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません…
                  私たちが何を学ぶのかが今、問われている」②

 2018年9月沖縄県知事選挙で、万が一、玉城デニーさんが敗れ、「#バリタカ日本会議系自公お維沖縄県知事」候補者が勝てば、辺野古は破壊「損」となり、普天間移設どころか、死した「美ら海」に新たな巨大基地が新設され、恒久化する…玉城さんは勝利したものの、アベ様や最低の官房長官らは「沖縄市民の民意」完全に無視。「森」は殺され、「美ら海」も殺され、基地から出撃した番犬様らは「人」を…。そして、番犬様は格好の攻撃のターゲット。出撃基地として「人殺し」「侵略」の恨みを買い、基地周辺も攻撃に巻き込まれる。「本土」のアベ様や最低の官房長官らのおかげで、「加害者性」と「被害者性」を強いられる沖縄の人々。「本土」の民は、見てみぬふり。
 《軍隊は人を守らない大田昌秀さん)》《軍隊は住民を守らない》《基地を置くから戦争が起こる島袋文子さん)》《軍隊は同じことをするし、住民も協力するし、軍隊は住民をまた殺すことになる三上智恵さん)》…。「本土」の民や、沖縄の自公お維支持者は、何を過剰に番犬様やその基地に期待しているのか?

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https://dot.asahi.com/wa/2018082200061.html

島民の3分の1が死亡…封印された沖縄「秘密戦」の実態
朝山実 2018.8.24 07:00週刊朝日

     (米軍に投降した少年兵(ドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」から。
      映画は東京・ポレポレ東中野、大阪・第七藝術劇場、
      名古屋シネマテークなど順次公開中)

     (陸軍中野学校が作成した文書(ドキュメンタリー映画
      「沖縄スパイ戦史」から))

     (「護郷隊」の記念写真(ドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」から))

     (大矢英代監督)

 太平洋戦争末期、軍の命令でマラリアの島に送られ、住民の3分の1が亡くなった波照間島の話を知っていますか? 先月末ミニシアターで公開されたドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」が立ち見が出るほどの反響だ。長期にわたる綿密な取材で貴重な証言を掘り起こし、封印されてきた沖縄「秘密戦」の実態を明らかにしていく。

     (【写真】陸軍中野学校が作成した文書)


*  *  *

 監督したのは三上智恵大矢英代の女性ふたり。

 スパイの養成機関だった「陸軍中野学校」出身者が米軍上陸を想定し、離島も含めた沖縄の各地に配置された。映画は、彼らが及ぼした戦争の痕跡を追うものだ。

 1944年秋、本土決戦をも視野に入れた「大本営」は、沖縄で徴兵年齢の17歳に達しない、14~16歳の少年約千人を召集し「護郷隊」と名づけた。割り当てられた銃は170センチ。「銃が(身長より)高い」と16歳で入隊した瑞慶山良光さんが映画の中で語る。ある日学校に行くと志願を求められた

 短期育成に当たったのは、陸軍中野学校を出たばかりの若い将校たちだ。少年をも兵員としなければならないほど日本軍は追い込まれていたとともに、「こんな子供たちが」と敵の油断を誘う効果もあった。

 闇に紛れての攻撃や爆弾を背負い戦車隊に突っ込むなど、その存在は米軍を驚愕させたといわれる。160人が戦死した

 撤退戦の中、足手まといとなった傷病兵が軍医や同郷の仲間によって「射殺される現場を見た」など、戦後70余年を経て得られた元少年兵の証言から、表に出てこなかった戦争の現実が浮き彫りになってくる。

 当時15歳だった玉城秀昭さんは、一度米軍の捕虜になってから家族を捜しに来た男性がスパイだとののしられ、殺されかけた現場にいたという。

 大矢さんが言う。

「聞き手は三上さんですが、読谷村で目撃者を探していくうちに、たまたま訪ねていった家で、質問がスパイの話になったとたん、顔つきが変わった」

 三上さんが「今考えればスパイじゃないという彼の言い分は正しいわけですよね」と尋ねると、玉城さんは「あの時代、敵と通じたら大変」「感覚が全然違う。僕も(スパイは)殺しに行くよ、当たり前」と体を震わせた。

 長い間「住民虐殺」が明るみに出ることがなかったのは、スパイ摘発に住民が関与し、戦後もそこで暮らさねばならなかった事情が絡みあっているのだろう。ある「スパイリスト」には、軍の施設で勤労奉仕していた少女の名前まで挙がっていたという。

「施設の配置を敵に知られることを恐れた口封じのためだったみたいですが、軍隊は誰を守ろうとしていたのか」(大矢さん)

 ふたりの監督の丁寧な聞き取りの積み重ねから、戦後も沈黙を強いてきたものの正体があぶりだされていく。後半では、さらに驚くべき出来事が伝えられる。

 地上戦のなかった八重山諸島で3600人余りの命が、日本軍の強制移住によって失われた。島の住民たちは「戦争マラリア」と呼ぶ。

「わたしが『戦争マラリア』のことを知ったのは学生だった9年前」と大矢さん。

 最も被害が大きかった波照間島では、住民の3分の1にあたる約500人が亡くなった。当時マラリアの発生地帯だった西表島に、軍が強制移住を命じた。食糧難と医療も不十分なままに次々と発病。遺体の埋葬も追いつかず「浜一面が遺体だらけ」になったという。

 当時13歳、カメラの前で語る浦仲孝子さんは、家族11人のうち妹と彼女だけが生き残った。父親をみとるくだりは衝撃的だ。

「なんでそんなことになったのか。誰でも知りたいと思いますよね」と大矢さん。

 米軍は平坦(へいたん)な土地が多い波照間島を占領、飛行場を造るだろう。戦闘が起きれば、住民は足手まといとなるだけでなく、機密情報が漏れる恐れがある。強制移住は住民保護と称し軍の監視下に置こうとしたのだと考えられている。

 同時に、島には2千頭余りの牛馬や豚がいた。米軍に渡れば食料となると食肉処理を命じ、肉は島のカツオ工場で薫製にされ、日本軍が持ち出したという。

 映画にも登場する川満彰さん(沖縄県名護市教育委員会文化課市史編さん係嘱託職員)は、著書『陸軍中野学校と沖縄戦』(吉川弘文館)の中で、強制疎開は「住民の証言を見ると、石垣島に駐屯していた約一万人の日本兵の食糧を確保するため、黒島と波照間島の豊富な食糧を奪うことが目的だった、という真相が見え隠れする」として、「米軍上陸の可能性」をも疑問視する兵隊の証言も挙げている。

 もちろん何の反対もなく住民が移住したわけではない。大矢さんが言う。

「疎開の命令が出たのは45年2月ごろ。マラリアを怖がり、反対する人も出た。すると、それまで『先生』と島の人たちに慕われていた山下が抜刀したんです

 山下とは「山下虎雄」の偽名を使い、前年暮れに青年学校に赴任してきた臨時教員。じつは陸軍中野学校出身の軍曹で、昼間は「かっこいい先生」として子供たちから好かれていた青年だったが、夜になると島を巡って調査をしていた

「結局、軍刀を前にしたら誰も反対できない。家族を失ったオバアやオジイに話を聞くと、憎んでいる人はものすごく憎んでいる。でも一方で、『やさしい人だったよ』という人もいる」

 山下が残していった軍刀を戦後、こっそり廃棄したと証言する人が登場する。思いだしたくもないという顔つきで、「首をはねた」といううわさを口にする。

 山下虎雄とは一体何者だったのか? ある日、豹変(ひょうへん)した男をめぐる証言の数々はミステリー色さえ感じさせるものだ。

 山下だけではない。八重山諸島の各島に1人ないし2人の「偽名」兵士が送り込まれていた。24歳の山下もそのひとりだった。

「わたしが取材を始めたのが、当時の山下とほぼ同年齢。やさしい先生の顔と、豹変した後の顔。自分がその立場にいたら、と山下のことを何度も考えました」

 学校で教わったという人たちを取材する中で、印象深い証言があったという。

「島にアダンという実があるんですが、山下がやってきたばかりのころ校庭に実を集め『どれだけあるかわかるか』と聞かれ、『たくさんで、わからない』というと、この小さな四角の中に何個あるかを数え、この何倍の広さか計算したらいいと教えられ、頭のいい人だと思ったと言うんです」

 その山下先生が後に、その子の家を訪れ「ここは島の南端にある。米軍が上陸すれば一番にやられるんだぞ」と怒鳴り、子供の眼前で父親をぶん殴ったという。

「その人はオジイチャンになっても昨日のことのように語るんですよね。子供の目として見た豹変ぶりを」

 軍隊の本性をさらしたということなのだろうが、大矢さんは、若者にそのように二つの顔をもたせた戦争」「軍隊というものに問題意識を持ち、この映画を撮ったという。(朝山実)

※週刊朝日  2018年8月31日号
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●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません…私たちが何を学ぶのかが今、問われている」①

2018年10月03日 00時00分20秒 | Weblog

[※ 『沖縄スパイ戦史』(三上智恵大矢英代共同監督) (LOFT)↑]



マガジン9http://maga9.jp/)の仲藤里美氏によるインタビュー記事【この人に聞きたい/大矢英代さんに聞いた:戦後73年。今こそ「沖縄戦」から学ぶべきことがある】(http://maga9.jp/180808-2/)。

(その②はコチラ

 《8月15日といえば、結びつくワードは「終戦」、そしてヒロシマ・ナガサキです。でも、石垣島の一面トップは「戦争マラリアの犠牲者に黙祷を捧げる」というものでした。「戦争マラリアって何?」と思って読んでみると、沖縄戦のとき八重山諸島では地上戦がなかったのに、軍の命令で強制疎開させられた結果、風土病のマラリアで3600人もの人が亡くなった、と書いてあった。まったく知らない話でした。そもそもなぜ米軍が上陸しなかった島々で強制疎開」なのか》。

(『沖縄スパイ戦史』劇場予告編)

http://www.spy-senshi.com
https://youtu.be/Tsk9ggz-BoY


 三上智恵さんとともに、ドキュメンタリー映画『沖縄スパイ戦史』の共同監督の大矢英代さん。コラム【マガ9備忘録/その145)「沖縄のマスコミは“民”のもの」高江で語ったQAB大矢記者の心】(http://www.magazine9.jp/article/biboroku/30180/)で初めて、大矢英代元QAB記者を知りました。その時のスピーチにとても感動しました。

   『●「戦争のためにカメラを回しません。
      戦争のためにペンを持ちません。戦争のために輪転機を回しません」
    《私たち(沖縄)マスコミ労協は、
     あらゆる戦争につながる原稿は1本たりとも書かないことを約束します
     戦争のためにカメラを回しません
     戦争のためにペンを持ちません
     戦争のために輪転機を回しません
     ……
     そして、それを支えているのは沖縄の皆さんです。
     沖縄のマスコミは、皆さん県民のものです。
     “民(たみ)”のものです。
     私たちには武器もありませんし、権力もありません。
     でも、伝え続けることはできます。抗い続けることはできます。
     その一歩一歩が、沖縄の歴史、そして本当の意味で
     この国の、この日本の民主主義を勝ち得る手段と信じて、
     これからも一生懸命、伝え続けていきたいと思っています。》

 「本土」ではほとんど知られていない戦争マラリアが修論のテーマであり、今回のドキュメンタリーの大矢さんの主な担当部分。いま、先島諸島などでの自衛隊配備を受け、島々の市民の皆さんは分断されつつある…《戦争や軍隊の本質》を「本土」の皆さんも考えてみるべきだ。

   『●『銃を持つ権利は子どもが生きる権利より重い』?
        普天間で起きている、辺野古で起きようとしていること
    「辺野古で、今現在まで、ずっと起き続けていること、そして、辺野古で
     確実に起きること、起きつつあること。普天間飛行場の撤収か、
     辺野古移設か、という二者択一を迫るアベ様や最低の官房長官ら。
     普天間を撤収し、番犬様に本国へお引き取り頂けば、
     「森」を殺すこともなく、辺野古の「美ら海」を殺すこともない
     沖縄の人々を分断することもないし、基地から出撃したん番犬様が
     「人殺し」することもない。沖縄の大幅な「負担削減」が実現できる
     というのに。「本土」では大騒ぎされないが、沖縄の人々があれ程の
     反対運動をしている辺野古では、生物多様性の破壊が引き返せない
     ところまで来てしまいつつある。
       「在日米軍特権」を放置する「日米共犯」。「子どもを園庭で遊ばせたい
     「当然の日常がほしいだけ」、そんな極当たり前のことなのに…
     《愛僕者》達のやることときたら。何が愛国者か! ヘイト者・ヘイト屋や
     デマ者・デマ屋らに支えられた、トンだ《愛僕者》達」

   『●「武力によって平和を創造することはできない」…
         「真の平和をつくっていく…「憲法宣言」を採択」
    「《石垣島宮古島への陸上自衛隊配備などを念頭に
     「沖縄の基地負担への影響が大きい」》…壊憲が及ぼす影響は、
     沖縄では計り知れない。「森」を殺し、「美ら海」を殺し続け、沖縄の
     市民を分断、基地から出撃する番犬様は「人」を…。
       沖縄の地で、《「武力によって平和を創造することはできない」とし、
     日本国憲法の精神米軍基地のない平和を求める沖縄の心
     大切にし、真の平和をつくっていくことを掲げた「憲法宣言」を採択》
     にも肯ける」

 《「ボランティアに行って戦争で傷ついた人を助けたい」と思っていながら、紛争地に爆弾を落としている軍隊の飛行機が自分の国にある基地から飛び立っているという事実についてはまったく意識していなかったことにも気付かされました。海外で人を助ける前に、まず自分の国のことと向き合わないといけないんじゃないか、と感じましたね》…「森」を殺し、「美ら海」を殺し続け、沖縄の市民を分断、基地から出撃する番犬様は「人」を…。「本土」の自公支持者が考えようともしない、新たな《記憶の澱》を生み出し続けている。
 《私たちは、過去の歴史からしか学べません。その歴史を語れる人がいなくなりつつある中で、私たちが何を学ぶのかが今、問われていると思います》…そして、《学んだ者としての責任がある》と。

   『●現在進行形の「身代わり」: 「反省と不戦の誓いを…
             沖縄を二度と、身代わりにしてはならない」
    《先島諸島と呼ばれる沖縄県南西部の島々が自衛隊配備で揺れて
     います。蘇るのは戦争による悲劇の記憶です…宮古島には
     七百人規模、石垣島には六百人規模のミサイル部隊と警備部隊を
     配備する計画です。地元では…住民の意見は割れているのが実情です。
     …有事には自衛隊が標的にされ、周辺住民が巻き込まれると心配する
     声が聞こえてきます。底流にあるのは先の戦争の悲惨な記憶です。
     大戦末期、米軍の攻撃を避けるため、この地域の住民はマラリア発生
     地帯への疎開を軍部によって強制され、多くの人が罹患して亡くなり
     ました。患者数は当時の人口の約半数とも言われています。同じく
     大戦末期には、軍命により石垣島から台湾に疎開する際、船が米軍に
     攻撃され、多くの犠牲者が出ました。
     自衛隊配備でこうした戦争の記憶が蘇るのです》

   『●「防波堤」としての全ての「日本全土がアメリカの「風かたか」」
               …米中の「新たな戦争の「防波堤」に」(その1)
    《とくに石垣島の場合は地上戦がなく、空襲で178人が亡くなっている
     のですが、一方で、日本軍の命令によって住民たちがマラリアが
     蔓延する山奥に押し込められ、しかも日本軍は特効薬を大量に持って
     いたにもかかわらず住民に使うことはなく、結果3647人も亡くなって
     います。これは米軍が上陸してきたときに住民が捕虜となり、情報が
     筒抜けになることを避けるため、ゆるやかな集団自決を住民に強制した、
     ということでしょう。じつは沖縄でも、この一件は「たまたま疎開した先に
     マラリア蚊がいて、マラリアが蔓延してしまった」というくらいにしか
     捉えていない人が多い。映画のなかで山奥に押し込められた体験を
     証言してくださった方が出てきますが、この映画での新証言なんです。
     この部分は、どうしても映画のなかに残しておきたかった。
     軍隊がいたから、石垣島ではマラリア地獄が起きた。軍隊の論理で
     死ななきゃいけない人が出てきてしまった、ということですから》

   『●『沖縄スパイ戦史』(三上智恵・大矢英代共同監督): 
           「「スパイリスト」…歪んだ論理が生み出す殺人」
    《今回は、そこに大矢監督の静かな怒りが加味された
     日本軍の命令による、マラリア地獄への住民強制移住という事実の
     掘り起こしである。1944年暮れのある日突然…波照間島民たちの
     西表島への「疎開という名の強制移住」だった。西表島は今でこそ
     明るい観光地になってはいるが、当時は「マラリア地獄」と呼ばれる
     ような死病の蔓延する島だった。強制された移住先で何が起こったか》

   『●三上智恵・大矢英代監督映画『沖縄スパイ戦史』…
       「戦争というシステムに巻き込まれていった人たちの姿」

    《「戦争や軍隊の本質を伝えたい」…戦争中に多くの住民が罹患した
     「戦争マラリア」について大矢さんは、「陸軍中野学校出身者の命令に
     よって、波照間島の住民が当時マラリアが蔓延していた西表島
     移住を強いられた。米軍ではなく、日本軍の命令によってあれだけの
     被害がでた。そこに軍隊の本質が見えるんじゃないかと思って取材を
     しました。苦しみを抱えて語りたがらない体験者に、頭を下げて話を
     聞きました」と話します》

   『●「改めて身に迫るのは、軍隊というものが持つ狂気性」(高野孟さん)と、
                     いまも続く沖縄での不条理の連鎖
   『●「戦争マラリア」…いま再び自衛隊配備で先島諸島住民を分断し、
                     「戦争や軍隊の本質」の記憶を蘇らせる…

   『●『沖縄スパイ戦史』と《記憶の澱》…
     「護郷隊…中高生の年頃の少年たち…スパイと疑われた仲間の処刑…」

    《▼日本軍第32軍の周辺で起きた本島中南部の激戦を「表の沖縄戦」と
     すれば、映画が描くのは北部の少年ゲリラ兵部隊護郷隊」や八重山
     戦争マラリアなどの「裏の沖縄戦」。綿密な取材による証言と資料映像で、
     6月23日以降も続いた遊撃戦の実相をつづる》

   『●自衛隊配備・ミサイル基地建設…
     『沖縄スパイ戦史』「自衛隊…昔と同じく住民を顧みない軍隊の本質」暴露

   『●沖縄デマによる市民の分断: 『沖縄スパイ戦史』の両監督…
                    「反基地運動は中国のスパイ」デマも同根

インタビュー本編②へ】

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●沖縄デマによる市民の分断: 『沖縄スパイ戦史』の両監督…「反基地運動は中国のスパイ」デマも同根

2018年09月27日 00時00分43秒 | Weblog

[※ 『沖縄スパイ戦史』(三上智恵大矢英代共同監督) (LOFT)↑]



リテラの記事【『沖縄スパイ戦史三上智恵監督・大矢英代監督インタビュー/「反基地運動は中国のスパイ」デマも同根だ!『沖縄スパイ戦史』監督が語った”スパイ”という名の分断】(http://lite-ra.com/2018/07/post-4150.html)。

 《“戦争に備える軍隊”は、本当に人々を守るのか。…沖縄戦における少年ゲリラ兵、軍が住民を強制移住させた「戦争マラリア」の問題、本土から送り込まれた陸軍中野学校出身者の暗躍、そして、軍統制下での秘密保持と相互監視のもとで起きた住民虐殺の真相に迫る》。

(『沖縄スパイ戦史』劇場予告編)

http://www.spy-senshi.com
https://youtu.be/Tsk9ggz-BoY

 《スパイに仕立てられた少年兵を仲間に銃殺させたり》…。《記憶の澱》…《軍隊というものが持つ狂気性》。
 そして、現代の、アベ様の《我が軍》も、自衛隊の配備やミサイル基地建設など、《昔と同じく住民を顧みない軍隊の本質》を発揮しようてしてはいないか? 「戦争マラリア」…《ゆるやかな集団自決を住民に強制》。(木下昌明さん)《大矢は、波照間島の住民約500人を死に追いやった犯罪を追及している。…米軍は現れず、彼も姿を消した。スパイだったのだ。…今日、沖縄南西諸島自衛隊が配備され、ミサイル基地が建設されつつある。三上と大矢は、自衛隊が当時の法規を踏襲し、昔と同じく住民を顧みない軍隊の本質を暴いている》。

   『●百田尚樹氏、沖縄の地で「デマを並べ、
      沖縄への米軍基地集中を正当化」…態度・人間性・思考のお粗末さ
   『●「アベ様広報」…安田浩一さん「現地の人に話を聞く、
         裏取りするという取材の基本ができていない…デマ」
   『●東京MXテレビ「沖縄デマ」宣伝…
     「目的がデマの拡散による沖縄の反基地運動への不信あおりにあった」
    「【海鳴りの島から 沖縄・ヤンバルより… 目取真俊東京MXテレビ
     「ニュース女子」の虚偽報道に対する抗議の記者会見。】…
     《殴られた女性はカヌーメンバーでもあるので、二日後に怪我の様子を見た。
     顔に青黒いあざができて痛ましかった。番組の視聴者の大半は
     そういうことを知らないだろう。「反対派の暴力などとよく番組で扱えたものだ
     こういうメンバーをそろえること自体番組の目的がデマの拡散による
     沖縄の反基地運動への不信あおりにあったことを示している》」

   『●確信犯…「ジャーナリストが極右的言動で
      活躍しはじめたことのほうが、より事態の深刻さを物語っている」
   『●放送法「四条の規律を撤廃することは、
     自由の拡大ではなく、自由縮小」…報道へのアベ様の不当な政治介入
   『●「亡命」させられた辛淑玉さんは
      「一時帰国するにも勇気がいる…」とは、一体ニッポンはどんな国なのか?

    「〝罰〟を受けるべきは、一体どちらなのか? ヘイト屋・デマ屋の醜さ、
     醜態、醜悪さ…《態度・人間性・思考のお粗末さ》、どうにかならないものか」
    《番組「ニュース女子」は辛さんと沖縄の基地反対運動へのデマを並べていた》

 また、いまも止まず。病んだ沖縄デマ、沖縄ヘイトによる市民の分断。ニッポンの保守を自称する人達は、番犬様の在日米軍特権には沈黙し、アベ様の「我が軍」が沖縄や島嶼の人々を「防波堤」代わりにしても、何にも感じないらしい。『沖縄スパイ戦史』の両監督は《「反基地運動は中国のスパイ」デマも同根!…”スパイ”という名の分断》であることを指摘。

   『●加害者性と被害者性…「私たち一人一人が被害者となり、
              加害者となり得る戦争。戦争はどこかで今も…」
    「【記憶の澱/NNNドキュメント’17】…。
     《先の大戦の記憶を、今だからこそ「語り、残したい」という人々がいます。
     …心の奥底にまるで「」のようにこびりついた記憶には「被害」と「加害」、
     その両方が存在しました》」

   『●「戦争のためにカメラを回しません。
      戦争のためにペンを持ちません。戦争のために輪転機を回しません」
   『●『沖縄スパイ戦史』(三上智恵・大矢英代共同監督): 
           「「スパイリスト」…歪んだ論理が生み出す殺人」
   『●三上智恵・大矢英代監督映画『沖縄スパイ戦史』…
       「戦争というシステムに巻き込まれていった人たちの姿」

   『●中山きくさん「戦争は体験してからでは遅い」、
       城山三郎さん「平和の有難さは失ってみないとわからない」

   『●「改めて身に迫るのは、軍隊というものが持つ
      狂気性」(高野孟さん)と、いまも続く沖縄での不条理の連鎖
    《マガジン9連載コラム「沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌」でおなじみの
     三上智恵さんが、大矢英代さんとの共同監督で制作した
     映画『沖縄スパイ戦史』が7月下旬からいよいよ公開…
     「軍隊は住民を守らない」…「戦争や軍隊の本質を伝えたい」》。

   『●「安倍政権が旗をふる「極右プロパガンダ映画」が 
      世界中に発信されるという恥ずかしい事態が現実に」!?
   『●『沖縄スパイ戦史』と《記憶の澱》…
     「護郷隊…中高生の年頃の少年たち…スパイと疑われた仲間の処刑…」

    《▼日本軍第32軍の周辺で起きた本島中南部の激戦を「表の沖縄戦」と
     すれば、映画が描くのは北部の少年ゲリラ兵部隊護郷隊」や八重山
     戦争マラリアなどの「裏の沖縄戦」。綿密な取材による証言と資料映像で、
     6月23日以降も続いた遊撃戦の実相をつづる》

   『●自衛隊配備・ミサイル基地建設…
     『沖縄スパイ戦史』「自衛隊…昔と同じく住民を顧みない軍隊の本質」暴露


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http://lite-ra.com/2018/07/post-4150.html

沖縄スパイ戦史三上智恵監督・大矢英代監督インタビュー
「反基地運動は中国のスパイ」デマも同根だ!『沖縄スパイ戦史』監督が語った”スパイ”という名の分断
2018.07.27

     (7月28日より東京でも公開されるドキュメンタリー映画
      『沖縄スパイ戦史』を監督した大矢英代氏(左)と三上智恵氏(右))

 県民の約4分の1が死亡した沖縄戦。6月23日の慰霊の日に行われた沖縄全戦没者追悼式で、翁長雄志知事は「辺野古に新基地を造らせないという私の決意は県民とともにあり、みじんも揺らぐことはない」と力を込めた。
 一方、安倍首相は基地負担軽減に全力を尽くす」と述べた。嘘だ。政権に辺野古新米軍基地の建設強行を止める気配は微塵もない。石垣島、宮古島、与那国島への大規模な自衛隊とミサイル基地の配備も推し進めており、石垣市では中山義隆市長が7月18日に陸自配備受け入れの方針を正式に表明した。
 安倍政権の建前は防衛強化」だ。過去最大、約5兆3000億円の来年度予算を要求する防衛省の長・小野寺五典防衛相は、沖縄全戦没者追悼式の直後に「我が国の平和と安全は自衛隊が担っている」との訓示を出した。
 しかし、“戦争に備える軍隊本当に人々を守るのか
 7月公開のドキュメンタリー映画『沖縄スパイ戦史』は、過去と現在の双方からこの問題をえぐった。沖縄米軍基地や自衛隊ミサイル基地配備問題などを追い続ける三上智恵監督と、三上監督の琉球朝日放送時代の後輩にあたる大矢英代監督、ふたりの女性ジャーナリストによる共作だ。
 両監督の丹念な取材で一次証言や資料を集めた本作は、沖縄戦における少年ゲリラ兵軍が住民を強制移住させた戦争マラリアの問題、本土から送り込まれた陸軍中野学校出身者の暗躍、そして、軍統制下での秘密保持と相互監視のもとで起きた住民虐殺の真相に迫る。
 共通するキーワードは、表題にあるとおり「スパイ」。周知の通り、昨今では新基地や自衛隊配備に反対する人々が、右派やネット右翼から「工作員」「回し者」と攻撃され、テレビや新聞などのマスメディアまでもが沖縄をめぐるデマに加担している。両監督はそうした安倍政権下の状況をどう見ているのか、自衛隊の問題にも踏み込んで話を伺った。ぜひ、最後まで読んでもらいたい。

********************

──これまで『標的の村』や『戦場ぬ止み』『標的の島 風かたか』で、高江のヘリパッドや辺野古新基地の建設、先島諸島の自衛隊・ミサイル基地配備の問題を描いた三上監督が、今作では大矢監督とともに沖縄戦を扱いました。なぜいま沖縄戦、それも「スパイ」をテーマに選んだのでしょう。

三上 みなさんそれを聞きますよね(笑)。三作の映画をつくってみて、まだこれではダメだと思ったからです。辺野古や高江の問題は、沖縄が大変だということではない。もう日本自体が壊れていて、民主主義も国民主権も三権分立も手放そうとしている。そのことの警鐘としてやってきました。
 だけれども、その危機感はほとんど浸透していない。たとえば一作前の『標的の島 風かたか』は、具体的に始まっていく宮古・石垣の自衛隊による要塞化が日本の運命をどう変えていくかということを打ち出したのに、ほとんど後追いもされませんでした。だから、基地建設反対運動や沖縄や離島の文化というのを絡めてドキュメンタリーとしていく手法は、もう甘いんだなって思ったというのがひとつ。
 もうひとつは、日本人は「次の戦争はピカっと光って終わりの核戦争だ。いまどき白兵戦をやるわけがない」と決めつける人が多いですけど、いま、世界中で戦われている戦争って、実際には核戦争じゃないですよね。テロであり、ゲリラであり、スパイによる秘密戦なんです。秘密戦というのは恐ろしい世界で、言わば、敵兵の顔も見ずに、弾に当たる前に殺される人が出る。そうしたいま起きている、起ころうとしている恐怖を知ってもらうために、私たちが放送局時代から取材してきた沖縄戦に何を学ぶべきかと考えて、この題材を選びました。

大矢 実は当初のタイトル候補は「沖縄裏戦史」だったんですよ。でも「裏」というよりかは、全編を通して「スパイ」の話なんですね。陸軍中野学校という本土でスパイや秘密戦、ゲリラ戦などの教育を受けた青年将校が沖縄に赴任し、10代の少年たちを集めてゲリラ兵にした「護郷隊」。私が学生時代から取材してきた戦争マラリアの問題もそうです。たとえば、波照間島の住民は日本軍によって悪性マラリアの蔓延する西表島に強制移住させられ、島民の3分の1が命を落としましたが、実は、その前に中野学校出身者が学校の先生として偽名で赴任してきて、住民の生活を秘密裏に監視していました。強制移住は住民を守るためではなく食料確保や情報を漏洩させたくない軍の都合だった。
 つまり「スパイを防止するという名目で住民のスパイをしていたのです。人々を守るためじゃなくて、日本の国体を守るためですよね。軍が住民に住民を監視・密告をさせて作成したスパイ容疑者リスト」の存在と、疑心暗鬼になった住民同しによる虐殺も、背景には機密を保持するという軍の論理がありました。


■「沖縄にスパイが入ってる」というデマがもつ本当の恐ろしさ

──住民たちを疑心暗鬼にさせて「あいつはスパイらしい」みたいな流れをつくることは安倍政権もやっています。一例をあげると、公安調査庁は報告書のなかで、中国の大学やシンクタンクが沖縄独立を求める団体の関係者との交流を深めているとして〈日本国内の分断を図る狙いが潜んでいる〉などと言いふらしています。他にも、基地新設に反対する人たちや翁長知事に対して「スパイ」とか「回し者」みたいな誹謗デマが飛んでいる。たとえば昨年、作家の百田尚樹氏が〈テント村の中には、漢和辞典も。日本語を勉強している人たちなのかも〉とツイートして、あたかも高江に「中国のスパイ」が紛れ込んでいるかのようにほのめかしていました。


三上 えっ、そんなことを言っていたんですか……。低俗すぎて論外ですが、たしかに「沖縄にスパイが入ってる」というようなデマはいま、再燃しています。しかし、そういう話が流布されていくと、本当に、自分たちの所属している社会が根から腐っていく。
 「スパイ」という言葉の怖さがわかっていないんでしょう。それはジェームズ・ボンドの「スパイ」ではなくて、戦争のときは命取りになる言葉。いや、戦争の前から「スパイ」とされて、いじめ殺されたりということが日本中であった。だからこそ、魔女狩りみたいな危険な集団心理として肝に命じておかなくちゃいけないはずなのに……。

──でも、百田氏の言うような話は現状、かなり流通してしまっています。たとえば「基地反対派は金をもらっている」というネトウヨのデマを本当に信じてしまっている人は少なくないです。

大矢
 もちろんネットの恐ろしさはわかります。私が琉球朝日放送に入局したときから、それこそ“沖縄バッシング”と言われるものは始まっていました。日々のニュースのなかで、普天間基地がつくられる前にはもともと村があって、住民の生活があって、それを米軍が接収したのだというニュースを伝えても、「普天間基地」とgoogleで検索したら、「普天間基地の真実」とか「普天間基地の嘘」みたいな話がたくさんでてくるじゃないですか。
 私は伝える側ですが、受け取る側から見たら、普天間の歴史をもっと知りたいなと思っても、ネットで調べたら事実とはまったく違う嘘にたどり着いちゃうわけですよね。そういう恐ろしさをネットは常にはらんでいると思うし、結局はリテラシーを身につけないと状況は変わらない。
 ただ、一方で、映画を作るようになってからは、正直、あんまりネット右翼と言われている人たちの声は、もう無視してもいいんじゃないかと思うようになってきていて(笑)。


■沖縄デマに乗っかれば、自分が加害者であることに向き合わなくていい

     ((C)2018『沖縄スパイ戦史』製作委員会)

──ネトウヨのバッシングはあまり意識しないということですか。

大矢 はい。だって単なる卑怯じゃないですか。こっちが実名で顔までだしてつくっているものに対して、どこの誰かもわからない、ネットがなければ存在すら証明できない人たちが書き込むわけですよね。それって、対等な関係にならない。だからあんまり、ネットでこんなバッシングが……というのは気にしていないし、相手にしなければいいんじゃないか。そうも思うんですよ。
 もちろん、そうした言説がなぜこれほどまでに出てきているのかということについては、社会の闇の部分としてもっと取材しないといけないですが。誰かを攻撃することで安心している、あなたのなかのその気持ちはなんなんですか? そう問いたいですね。

三上 「あいつらは中国のスパイなんだってよ」みたいなデマって、『沖縄スパイ戦史』の「スパイ」にも共通しますが、ものすごく無責任にアドレナリンが出る話なんですよ。それで知ったような気になる。実際、「翁長知事の娘は中国に留学し、中国共産党の幹部と結婚した」というような有名なフェイクに多くの人が飛びついた。念のため言っておきますが、翁長知事の娘さんは中国に留学どころか一度も中国に行ったことがないですからね。
 しかし「翁長はスパイ」と思いたい人は、「娘が中国人と結婚しているらしい」なる話をフェイクだろうとなんだろうと拡散する。いいね!されることが生きている実感になっちゃっている。そんな病んだ社会がありますよね。「辺野古で反対している人たちはお金もらっているんだぜ」みたいなデマもそう。こういうことさえ言っていれば、自分たちは辺野古の人たちに同情することもないし実は加害者だということに向き合う必要もないから。
 沖縄のことを考えたくもないし、政治的な感覚も本当は0点なんだけど、それをどこか恥ずかしいと思ってるからこそ、そこは悟られたくない。どっちかと言えば、楽してかっこはつけたい。そういう人が群れを成してデマやバッシングに向かう。負の連鎖ですよね。


■世の中に政治的じゃないものなんてありますか?

──そうしたデマとはまた違った角度のバッシングとして、基地反対や日本軍の戦争犯罪を批判すると「政治的なプロパガンダだ!」みたいな言いがかりも飛んできます。『沖縄スパイ戦史』では、石垣島への自衛隊配備を容認する中山氏が当選した石垣市長選のシーンも出てきますね。選挙も入れようというのは最初から考えていたんですか。


三上 もちろんです。ひょっとして、いま現在の選挙を入れると後から古びてみえるとか、そういう違和感を感じましたか?

──いえ、そうではなくて、「政治的な映画だ!」みたいなことを言い出す連中が出てくるのではないかと……。

大矢 うーん、想定はしていましたね。最初は、石垣市長選をどういう風に扱うかは結構悩んでいて。本編を終えたエンドロールのところに入れるというプランもあったのですが、するとまったく違う印象になりますから。まあ、中山市長が映画をみたら怒るだろうなとは承知の上でつくってますけどね(笑)。
 でも、現在とつなげなければ意味がないなぜ、2018年のいま、この映画をつくっているのか。目の前で起こっている石垣の市長選があって、自衛隊基地をどうするの?というところは撮らなければいけない。そう思っていました。
 だいたい「政治的だ!」というバッシングがあると言いますけど、世の中に政治的じゃないものなんてありますかね?

三上 というか「政治的だ!っていうバッシング自体、実は政治的でしょう。

大矢 そうそう。八重山の選挙に限っていえば、右とか左とか、そういう問題じゃなくて命の問題なんです。自衛隊基地を置くことで、どういう風に自分たちの生活が脅かされていくのかどういう風に作戦に加担させられていくのか。映画で過去を掘り下げたように、戦争では「軍の秘密を握る住民」とされて、住民も子どもたちの生活も一変してしまったから

三上 生活や命が脅かされると心配することを「政治的だ!」とか「プロパガンダだ!」と責めて楽しいですか。自分はこの島にずっと住み続けていくし、そこは先祖の土地だし、未来の子どもたちも守りたい、そういう思いを持つは自然でしょう。あなたがこの島にいたら心配しませんか。右往左往しませんか。自衛隊基地についてのいろんな意見を聞いて、迷ったり、怖くなったりしませんか。
 メディアの問題にも通じますが、「政治的中立」みたいな無重力の場所が仮にあったとして、自分はそこを探してそこに立って、公平に世の中にあるすべてのことを見渡すことができる、なんて考えているとしたらかなり傲慢ですよ。そんな人間がいるはずがない。あなた自身が偏っていないというのならば、その意味のない自信はどこからくるのでしょうか。


旧日本軍と自衛隊が同質であるかどうかは重要な問題

     ((C)2018『沖縄スパイ戦史』製作委員会)

──映画をみれば、自衛隊についてもいやが応にも考えざるをえないです。

大矢 自衛隊のことについて目をつむり、耳を塞ぐのは、罪悪感をとりはらいたいがための自己暗示でしかないと思っています。

三上 たとえば、先の戦争で散々なことをした旧日本軍と自衛隊が同質であるかどうかはとても重要な問題なのですが、みんなそこを検証せずに「まさか同じなわけないじゃないか」と思っている。
 この映画をみて、何が同じで何が変わったのか、考えてみてほしい。少なくとも、旧日本軍が何をやったのかということが知られてなさすぎるし、もっと多くの人の目で検証しないと信用できないはず。だからこそ、私たちは『沖縄スパイ戦史』のようなドキュメンタリーをつくっているんです。

(取材・構成/編集部)


■『沖縄スパイ戦史』
7月21日(土)より那覇・桜坂劇場にて先行公開中、7月28日(土)より東京・ポレポレ東中野にて公開。ほか、全国順次公開(公式サイトhttp://www.spy-senshi.com)。

未曾有の犠牲を出した沖縄戦の裏には、知られざる「秘密戦」があった。本土から沖縄へ送り込まれた、諜報員を養成する陸軍中野学校の出身者。ある者は年端もない1000人もの子どもたちをゲリラ兵にし、スパイ活動をさせた。ある者は教師になりすまして村に潜入し、悪性マラリア地帯の離島へ住民を閉じ込める軍命を実行した。18歳の少女までもがスパイリストなるものに載せられた。軍の監視と密告で疑心暗鬼になる住民たち。そして発生した「スパイ虐殺」。当時を知る証言者たちが、三上智恵・大矢英代両監督の取材で口をひらく。はたして軍隊は住民の命を守るのか、それとも──。沖縄で進められている自衛隊とミサイル基地配備の現実。映画が映すのは、過去の話ではない
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●自衛隊配備・ミサイル基地建設…『沖縄スパイ戦史』「自衛隊…昔と同じく住民を顧みない軍隊の本質」暴露

2018年08月16日 00時00分22秒 | Weblog

[※ 『沖縄スパイ戦史』(三上智恵大矢英代共同監督) (LOFT)↑]



レイバーネット(http://www.labornetjp.org/)のコラム【<木下昌明の映画の部屋 243回> 三上智恵大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』/住民500人を死に追いやった犯罪】(http://www.labornetjp.org/news/2018/0721eiga)。

 


 《市川雷蔵主演の『陸軍中野学校』(1966年)をみて、日本の戦時にスパイ学校があったと知った。印象に残ったのは、主人公が国家に忠実を尽くすために恋人さえも殺す冷血漢となるシーンだった。三上智恵(ちえ)大矢英代(はなよ)の両監督の『沖縄スパイ戦史』は、中野学校を出たスパイが戦地で何をしたか――その実態の一面を見事に切りとっている》。

 《スパイに仕立てられた少年兵を仲間に銃殺させたり》…。《記憶の澱》…《軍隊というものが持つ狂気性》。

   『●現在進行形の「身代わり」: 「反省と不戦の誓いを…
             沖縄を二度と、身代わりにしてはならない」
    《宮古島には七百人規模、石垣島には六百人規模のミサイル部隊と
     警備部隊を配備する計画です。地元では、過疎化対策や抑止力強化の
     観点から配備を歓迎する人たちもいますが住民の意見は割れている
     のが実情です。
       島の主要産業である観光への影響を懸念する意見のほか、有事には
     自衛隊が標的にされ、周辺住民が巻き込まれると心配する声が
     聞こえてきます。底流にあるのは先の戦争の悲惨な記憶です。
       大戦末期、米軍の攻撃を避けるため、この地域の住民はマラリア発生
     地帯への疎開を軍部によって強制され、多くの人が罹患(りかん)して
     亡くなりました。患者数は当時の人口の約半数とも言われています。
       同じく大戦末期には、軍命により石垣島から台湾に疎開する際、
     船が米軍に攻撃され、多くの犠牲者が出ました。
     自衛隊配備でこうした戦争の記憶が蘇るのです》

   『●「防波堤」としての全ての「日本全土がアメリカの「風かたか」」…
                  米中の「新たな戦争の「防波堤」に」(その1)
    《『標的の島 風かたか三上智恵監督…とくに石垣島の場合は
     地上戦がなく、空襲で178人が亡くなっているのですが、一方で、
     日本軍の命令によって住民たちがマラリアが蔓延する山奥に
     押し込められ、しかも日本軍は特効薬を大量に持っていたにも
     かかわらず住民に使うことはなく、結果3647人も亡くなっています。
     これは米軍が上陸してきたときに住民が捕虜となり、情報が筒抜けに
     なることを避けるため、ゆるやかな集団自決を住民に強制した、
     ということでしょう。じつは沖縄でも、この一件は「たまたま疎開した先に
     マラリア蚊がいて、マラリアが蔓延してしまった」というくらいにしか
     捉えていない人が多い。映画のなかで山奥に押し込められた体験を
     証言してくださった方が出てきますが、この映画での新証言なんです。
     この部分は、どうしても映画のなかに残しておきたかった。
     軍隊がいたから、石垣島ではマラリア地獄が起きた。
     軍隊の論理で死ななきゃいけない人が出てきてしまった、ということですから》


 そして、現代の、アベ様の《我が軍》も、自衛隊の配備やミサイル基地建設など、《昔と同じく住民を顧みない軍隊の本質》を発揮しようてしてはいないか? 
 《ゆるやかな集団自決を住民に強制》。《一方の大矢は、波照間島の住民約500人を死に追いやった犯罪を追及している。…米軍は現れず、彼も姿を消した。スパイだったのだ。…今日、沖縄南西諸島自衛隊が配備され、ミサイル基地が建設されつつある。三上と大矢は、自衛隊が当時の法規を踏襲し、昔と同じく住民を顧みない軍隊の本質を暴いている》。

   『●加害者性と被害者性…「私たち一人一人が被害者となり、
              加害者となり得る戦争。戦争はどこかで今も…」
    「【記憶の澱/NNNドキュメント’17】…。
     《先の大戦の記憶を、今だからこそ「語り、残したい」という人々がいます。
     …心の奥底にまるで「」のようにこびりついた記憶には「被害」と「加害」、
     その両方が存在しました》」

   『●「戦争のためにカメラを回しません。
      戦争のためにペンを持ちません。戦争のために輪転機を回しません」
   『●『沖縄スパイ戦史』(三上智恵・大矢英代共同監督): 
           「「スパイリスト」…歪んだ論理が生み出す殺人」
   『●三上智恵・大矢英代監督映画『沖縄スパイ戦史』…
       「戦争というシステムに巻き込まれていった人たちの姿」

   『●中山きくさん「戦争は体験してからでは遅い」、
       城山三郎さん「平和の有難さは失ってみないとわからない」

   『●「改めて身に迫るのは、軍隊というものが持つ
      狂気性」(高野孟さん)と、いまも続く沖縄での不条理の連鎖
    《マガジン9連載コラム「沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌」でおなじみの
     三上智恵さんが、大矢英代さんとの共同監督で制作した
     映画『沖縄スパイ戦史』が7月下旬からいよいよ公開…
     「軍隊は住民を守らない」…「戦争や軍隊の本質を伝えたい」》。

   『●「安倍政権が旗をふる「極右プロパガンダ映画」が 
      世界中に発信されるという恥ずかしい事態が現実に」!?
   『●『沖縄スパイ戦史』と《記憶の澱》…
     「護郷隊…中高生の年頃の少年たち…スパイと疑われた仲間の処刑…」

    《▼日本軍第32軍の周辺で起きた本島中南部の激戦を「表の沖縄戦」と
     すれば、映画が描くのは北部の少年ゲリラ兵部隊護郷隊」や八重山
     戦争マラリアなどの「裏の沖縄戦」。綿密な取材による証言と資料映像で、
     6月23日以降も続いた遊撃戦の実相をつづる》

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http://www.labornetjp.org/news/2018/0721eiga

木下昌明の映画の部屋 : 三上智恵・大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』

木下昌明の映画の部屋 243回> 三上智恵大矢英代監督『沖縄スパイ戦史
住民500人を死に追いやった犯罪

 市川雷蔵主演の『陸軍中野学校』(1966年)をみて、日本の戦時にスパイ学校があったと知った。印象に残ったのは、主人公が国家に忠実を尽くすために恋人さえも殺す冷血漢となるシーンだった。  三上智恵(ちえ)大矢英代(はなよ)の両監督の『沖縄スパイ戦史』は、中野学校を出たスパイが戦地で何をしたか――その実態の一面を見事に切りとっている。

 三上は『標的の村』(2012年)など基地反対の住民に焦点を当てたドキュメンタリーでよく知られている。大矢は若きドキュメンタリストで『テロリストは僕だった~沖縄・基地建設反対に立ち上がった元米兵たち~』(2016年)がある。この2人が共同で沖縄戦の埋もれた戦史を掘り起こしている。

 戦時下、42人の中野学校出身者が沖縄全島に派遣された。このうち「護郷隊」という秘密部隊を作り、少年兵らにゲリラ訓練をさせていた2人のスパイに、三上は光を当てる。米軍が撮った少年兵らの写真の数々と生き残った元少年兵の証言を重ねて、戦場の無残さを伝えている。スパイに仕立てられた少年兵を仲間に銃殺させたり、仲間に見捨てられた元少年兵の話などに唖然(あぜん)となる。

 一方の大矢は、波照間島の住民約500人を死に追いやった犯罪を追及している。

 1944年暮れごろ、一人の教師が島にやってくる。彼は住民に優しく慕われた。だが米軍が攻めてくると噂(うわさ)が立つや彼は隠していた軍刀で人々を脅し、隣の西表島に強制疎開させた。2000頭の家畜は処分し、軍隊が食用に持ち去った。着のみ着のままの住民は、マラリアと飢えで亡くなった米軍は現れず、彼も姿を消した。スパイだったのだ。彼は戦後どうしたか。

 今日、沖縄南西諸島自衛隊が配備され、ミサイル基地が建設されつつある。三上と大矢は、自衛隊が当時の法規を踏襲し、昔と同じく住民を顧みない軍隊の本質を暴いている。必見。

(『サンデー毎日』2018年7月29号)


※7月21日より沖縄・桜坂劇場、28日より東京・ポレポレ東中野ほか全国順次公開

〔追記〕この映画をみると、日本兵は中国ばかりでなく沖縄からも食料を現地調達していたことがわかる。
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●「戦争マラリア」…いま再び自衛隊配備で先島諸島住民を分断し、「戦争や軍隊の本質」の記憶を蘇らせる…

2018年08月14日 00時00分40秒 | Weblog

[※ 『沖縄スパイ戦史』(三上智恵大矢英代共同監督) (LOFT)↑]



東京新聞の吉原康和記者による「戦争マラリヤ」に関するルポ。
【<「餓死」の島 戦争マラリアの悲劇> (上)飢えと病の地獄があった】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201808/CK2018080502000123.html)と、
【<「餓死」の島 戦争マラリアの悲劇> (中)消えた集落 補償もなく】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201808/CK2018080602000118.html)と、
【<「餓死」の島 戦争マラリアの悲劇> (下)人口急増で被害拡大】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201808/CK2018080802000142.html)。

 《島中央部では、陸上自衛隊宮古島駐屯地(仮称)の隊舎などの工事も始まり、近い将来、警備部隊やミサイル部隊などが配備される。「島では軍隊と『カジノ』がやってくるとささやかれています」…沖縄戦が始まると、日本軍の命令でマラリアにかかる恐れの大きい地域に強制疎開させられた住民の間で犠牲者が急増し、戦争マラリアと呼ばれた》。
 《同じマラリアで死亡しても、軍人・軍属の遺族には国から遺族年金などが支給されていることを知る島民は少ない。…海軍飛行場建設で運命が暗転、厳しい戦後を生き抜いた久貝さんが言う。「好んで住み慣れた集落から出て行ったわけではない。マラリアの危険と隣り合わせの湿地帯での生活に追いやられ、軍人と同じようにマラリアで死亡しても、われわれには何の補償もない。今にして思えば、不公平だという気持ちでいっぱいです」》。
 《石垣島を中心とする八重山諸島では戦中・戦後(一九四五年)、日本軍の命令で住民の多くがマラリア有病地へ強制疎開させられたことなどから、マラリアで三千六百人以上の住民が亡くなった》。

 『沖縄スパイ戦史』で、三上智恵大矢英代 共同監督は《戦争や軍隊の本質を伝えたい》と云う。でも、本土にはほとんど伝わらないし、知ろうともしていないようだ。アベ様や最低の官房長官は、やりたい放題。それを許す「本土」の自公支持者。
 「戦争マラリア」と「戦争や軍隊の本質」。いま再び、先島諸島への自衛隊配備で住民を分断し、「戦争や軍隊の本質」の記憶・悪夢を蘇らせようとしている。《沖縄の戦後は終わらない》ままだ。

   『●現在進行形の「身代わり」: 「反省と不戦の誓いを…
             沖縄を二度と、身代わりにしてはならない」
    《先島諸島と呼ばれる沖縄県南西部の島々が自衛隊配備で揺れて
     います。蘇るのは戦争による悲劇の記憶です…宮古島には
     七百人規模、石垣島には六百人規模のミサイル部隊と警備部隊を
     配備する計画です。地元では…住民の意見は割れているのが実情です。
     …有事には自衛隊が標的にされ、周辺住民が巻き込まれると心配する
     声が聞こえてきます。底流にあるのは先の戦争の悲惨な記憶です。
     大戦末期、米軍の攻撃を避けるため、この地域の住民はマラリア発生
     地帯への疎開を軍部によって強制され、多くの人が罹患して亡くなり
     ました。患者数は当時の人口の約半数とも言われています。同じく
     大戦末期には、軍命により石垣島から台湾に疎開する際、船が米軍に
     攻撃され、多くの犠牲者が出ました。
     自衛隊配備でこうした戦争の記憶が蘇るのです》

   『●「防波堤」としての全ての「日本全土がアメリカの「風かたか」」
               …米中の「新たな戦争の「防波堤」に」(その1)
    《とくに石垣島の場合は地上戦がなく、空襲で178人が亡くなっている
     のですが、一方で、日本軍の命令によって住民たちがマラリアが
     蔓延する山奥に押し込められ、しかも日本軍は特効薬を大量に持って
     いたにもかかわらず住民に使うことはなく、結果3647人も亡くなって
     います。これは米軍が上陸してきたときに住民が捕虜となり、情報が
     筒抜けになることを避けるため、ゆるやかな集団自決を住民に強制した、
     ということでしょう。じつは沖縄でも、この一件は「たまたま疎開した先に
     マラリア蚊がいて、マラリアが蔓延してしまった」というくらいにしか
     捉えていない人が多い。映画のなかで山奥に押し込められた体験を
     証言してくださった方が出てきますが、この映画での新証言なんです。
     この部分は、どうしても映画のなかに残しておきたかった。
     軍隊がいたから、石垣島ではマラリア地獄が起きた。軍隊の論理で
     死ななきゃいけない人が出てきてしまった、ということですから》

   『●『沖縄スパイ戦史』(三上智恵・大矢英代共同監督): 
           「「スパイリスト」…歪んだ論理が生み出す殺人」
    《今回は、そこに大矢監督の静かな怒りが加味された
     日本軍の命令による、マラリア地獄への住民強制移住という事実の
     掘り起こしである。1944年暮れのある日突然…波照間島民たちの
     西表島への「疎開という名の強制移住」だった。西表島は今でこそ
     明るい観光地になってはいるが、当時は「マラリア地獄」と呼ばれる
     ような死病の蔓延する島だった。強制された移住先で何が起こったか》

   『●三上智恵・大矢英代監督映画『沖縄スパイ戦史』…
       「戦争というシステムに巻き込まれていった人たちの姿」

    《「戦争や軍隊の本質を伝えたい」…戦争中に多くの住民が罹患した
     「戦争マラリア」について大矢さんは、「陸軍中野学校出身者の命令に
     よって、波照間島の住民が当時マラリアが蔓延していた西表島
     移住を強いられた。米軍ではなく、日本軍の命令によってあれだけの
     被害がでた。そこに軍隊の本質が見えるんじゃないかと思って取材を
     しました。苦しみを抱えて語りたがらない体験者に、頭を下げて話を
     聞きました」と話します》

   『●「改めて身に迫るのは、軍隊というものが持つ狂気性」(高野孟さん)と、
                            いまも続く沖縄での不条理の連鎖

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201808/CK2018080502000123.html

<「餓死」の島 戦争マラリアの悲劇> (上)飢えと病の地獄があった
2018年8月5日 朝刊

     (「宮古ブルー」と呼ばれる美しい海に引かれ多くの観光客が訪れる。
      後方は無料で渡れる橋としては日本最長の伊良部大橋=沖縄県
      宮古島市で(潟沼義樹撮影))

 「宮古ブルー」と呼ばれる透き通る青い海とサンゴ礁に囲まれた沖縄県・宮古島は今、建設バブルの真っただ中にある。沖縄本島から南西に約二百九十キロ。宮古、伊良部、下地など六つの島からなる宮古島市は、さいたま市とほぼ同じ面積(約二百平方キロ)に約五万五千人が暮らす。あちこちで高級リゾートホテルやアパートの建設が進み、人手不足のため島外からも建設作業員が集まる。
 宮古島と伊良部島とを海上でつなぐ全長三・五キロの伊良部大橋は三年前に開通し、絶景スポットとして人気を集める。大型クルーズ船の就航数は急増し、伊良部島に隣接する下地島(しもじしま)空港は来春、国際空港化される。二〇一五年度に約五十万人だった観光客数は本年度百万人を突破する勢いだ。
 島中央部では、陸上自衛隊宮古島駐屯地(仮称)の隊舎などの工事も始まり、近い将来、警備部隊やミサイル部隊などが配備される。「島では軍隊と『カジノ』がやってくるとささやかれています」。駐屯地前で毎朝、抗議活動をしている上里清美さん(62)が皮肉交じりに語る。
 急速に変貌する宮古島では、沖縄戦の記憶が風化しつつある。戦時中、そこには三万の日本兵がいた。旧平良(ひらら)市などで構成した「宮古市町村会」が戦後五十年の一九九五年に発刊した『太平洋戦争における宮古島戦没者名簿』には、この島で戦没した約二千人の軍人・軍属の名前が都道府県別に記されている。その大半は、東京や神奈川、愛知など島外出身者だ。
 沖縄本島のような地上戦がなかったにもかかわらず、島で一体、何が起きていたのか。島内の歌碑に、七十三年前の光景が刻まれていた。

   「補充兵われも飢えつつ餓死兵の骸(むくろ)焼きし宮古(しま)よ
    八月は地獄」 (編集委員・吉原康和)

     (高沢義人さんが詠んだ短歌を記した歌碑に手をつく
      宮古郷土史研究会顧問の仲宗根将二さん=沖縄県宮古島市で)


◆孤立、食料も薬も絶たれ

 宮古島の中央に位置する野原岳(標高一一〇メートル)には、航空自衛隊の宮古島分屯基地があり、南西空域を監視している。戦時中、ここには陸軍第二十八師団が司令部を構えていた。<補充兵われも飢えつつ餓死兵の骸(むくろ)焼きし宮古(しま)よ八月は地獄>。島の悲劇が刻まれた歌碑は野原岳の麓にある。
 この短歌は一九八一年、朝日新聞に投稿され、高い評価を得た。作者は四四年秋から一年半、衛生兵として島に駐留した高沢義人さん(故人)だ。復員後、教員や千葉県松戸市議を務める傍ら、島での経験を詠み、歌集を出版。込められた反戦の思いに心を打たれた、歴史教育者協議会宮古支部の仲宗根将二(まさじ)さん(83)と交流が始まった。
 高沢さんは仲宗根さん宛ての手紙に「毎日、飢えながら、栄養失調とマラリアで亡くなった兵士を荼毘(だび)に付していました」と当時の惨状を記し、「兵隊は現地で悪いことをしていたので、私はもう宮古島へは行けません」と伝えた。
 「悪いこと」とは、住民の食料を盗み食いしていたことだという。仲宗根さんの説得で、高沢さんが島を訪れたのは終戦翌年に島を離れてから五十二年を経た九八年。歌碑は二〇〇五年に仲宗根さんら島の有志が建立した。
 サンゴ礁が隆起してできた小さな島に四三年秋から日本兵約三万人が駐留し、海軍と陸軍の飛行場が三つ建設された。島は軍人と住民の雑居状態だった。
 島で新聞を発行していた瀬名波栄さんが出版した「先島群島作戦(宮古編)」では、戦病死した日本兵は二千五百六十九人とされ、九割はマラリアと栄養失調が原因としている。

     (「飢餓とマラリア感染による複合的要因」と軍人の死因を語る医師の
      伊志嶺亮さん=沖縄県宮古島市で)

 沖縄戦が本格化した四五年四月以降に限っても、島で戦病死して靖国神社に合祀(ごうし)された軍人・軍属は九百人以上で、空襲や艦砲射撃などによる戦死者の三倍にのぼることが本紙の調査で判明している。
 戦病死者が多かった理由を、島の医師、伊志嶺亮さん(85)は「疎開者を除き人口約四万人の島に三万の兵が来たのだから、食料不足が一番大きい。死因は飢餓とマラリア感染による複合的要因だ」と指摘する。
 終戦直後に弟をマラリアで亡くした元沖縄県畜産会事務局長の久貝(くがい)徳三さん(84)は「自宅近くの陸軍病院前で、焼却場に運ばれる兵隊の遺体を毎日のように見た。兵隊たちが話す『マラリア』という言葉をよく耳にした」と語った。
 仲宗根さんは歌碑を前に、当時軍が置かれた絶望的な状況を指摘した。

   「制海権と制空権を米軍に奪われ、内地からの輸送は途絶えた。
    武器弾薬はおろか、食料も医薬品も届かない。マラリアに侵されても、
    医薬品がないから、百二十人の軍医を擁しても、なすすべもなかった」 

(編集委員・吉原康和)

戦争マラリア> マラリアは熱帯から亜熱帯に分布する原虫感染症で、宮古島や八重山諸島などを含む先島諸島には戦前から存在した。沖縄戦が始まると、日本軍の命令でマラリアにかかる恐れの大きい地域に強制疎開させられた住民の間で犠牲者が急増し、戦争マラリアと呼ばれた
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201808/CK2018080602000118.html

<「餓死」の島 戦争マラリアの悲劇> (中)消えた集落 補償もなく
2018年8月6日 朝刊

     (終戦後、マラリアで廃虚と化した袖山集落の惨状を語る
      久貝義雄さん=沖縄県宮古島市で)

   「戦争は終わったのに、毎日のようにマラリアで死んでいった…」

 一九四三年秋、沖縄県・宮古島に海軍飛行場(現宮古空港)を建設するため、北へ約二・五キロ離れた袖山集落に強制移住させられた元小学校校長の久貝(くがい)義雄さん(87)は、マラリアまん延の恐ろしさを淡々と語った。「葬式の連続。ここにいたら命が助からないと、四十戸余りあった集落の人たちは次々と逃げ出し、最後まで残ったのは私と兄だけでした」
 地元の宮古タイムス紙は四六年十一月に、袖山集落の惨状を伝えている。総戸数四十一戸、住民三百六十人のうち、マラリアに罹患(りかん)したのは三十九戸、三百五十人(97%)で、死亡者三十八人、夫婦死亡七組、一家全滅一戸(五人)…。

     (かつて袖山集落があったとみられる宮古空港の北部=沖縄県宮古島市で)

 久貝さんもマラリアに感染した。終戦で少年兵部隊「鉄血勤皇隊」を除隊となり、自宅に戻って間もない四五年十一月ごろ、突然ガタガタという震えに襲われた。高熱を発し、意識がもうろうとして約一カ月、生死をさまよった。

   「耳元でかすかな声がし、はっと気づいた時に、枕元で母が泣いて
    いました。私が治った後、その母も交代するように発病して一週間後に
    死に、父親も後を追うように死んだ」

 袖山には井戸水も畑もなかった。住民は毎日、デコボコの山道を約二キロ下った隣の集落に水くみに行き、沖縄製糖工場の土地を借りてイモや粟(あわ)などを栽培して生活していた。
 久貝さんは、マラリア大流行の要因を「水をくむのも、畑仕事をするのもマラリアの巣窟の湿地帯だった。そこで、住民が蚊にさされて猛烈な勢いでマラリアが広まったのではないか」と推測する。
 久貝さん兄弟がこの地を去り、袖山集落は廃村となった。袖山と同じように、海軍飛行場建設に伴って立ち退きを迫られた住民の強制移住先だった七原、富名腰(ふなこし)、腰原(こしばる)の三地区には、二〇一〇、一一年に公民館が建設された。各地の旧軍飛行場建設で立ち退きを迫られた地権者に対する戦後処理の一環だが、廃村となった旧袖山集落の人々の声は届かないままだ
 また、同じマラリアで死亡しても、軍人・軍属の遺族には国から遺族年金などが支給されていることを知る島民は少ない
 海軍飛行場建設で運命が暗転、厳しい戦後を生き抜いた久貝さんが言う。「好んで住み慣れた集落から出て行ったわけではない。マラリアの危険と隣り合わせの湿地帯での生活に追いやられ、軍人と同じようにマラリアで死亡しても、われわれには何の補償もない。今にして思えば、不公平だという気持ちでいっぱいです」

(編集委員・吉原康和)
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201808/CK2018080802000142.html

<「餓死」の島 戦争マラリアの悲劇> (下)人口急増で被害拡大
2018年8月8日 朝刊

     (宮古島のマラリア有病地域が描かれた地図=
      沖縄県宮古島市で(宮古保健所所蔵))

   「終戦翌年に台湾から帰ってきた時、宮古島は『八万郡民』と呼ばれるほど、
    台湾や外地からの引き揚げ者などであふれ返っていた。米軍が
    本格的にマラリア撲滅に乗り出すのは一九四七年で、終戦直後の
    対策空白期に住民の被害は集中した」

 一九四六年春、台湾から米軍の船で、沖縄県・宮古島に帰郷した医師の伊志嶺亮さん(85)は、島内で一万人以上が罹患(りかん)し、死亡者数四百二十八人を記録した四七年のマラリア流行を振り返った。
 四六年二月に宮古島に駐留した日本軍の引き揚げが完了。それに代わる形で、マラリアに感染しやすいマラリア有病地域の台湾に居住・疎開していた一万人以上の住民が島に戻った。ほかの外地の引き揚げ者や帰還兵も含めると、島の人口は四六年十二月現在で、日本兵の駐留当時と変わらぬ七万人を突破していた。
 元琉球大教授の川平成雄さん(68)は「台湾からのマラリア感染者を含む大量の引き揚げ者などを抱え、宮古島の食料不足が継続し、マラリアが猛威を振るうに至った」と分析する。
 宮古島から南西へ約百十キロの石垣島を中心とする八重山諸島では戦中・戦後(一九四五年)、日本軍の命令で住民の多くがマラリア有病地へ強制疎開させられたことなどから、マラリアで三千六百人以上の住民が亡くなった。
 一方で、戦時中、マラリアが原因で亡くなった宮古島住民の被害実態は今もって判然としていない。宮古保健所の保存資料では、四四~四六年の島民のマラリア死者数は不明のまま。戦後、マラリア撲滅業務に従事した元同保健所職員の下里泰徳氏(故人)はその理由について、沖縄戦で担当の「(マラリア)防圧所の業務は中断され」と記していた。
 宮古島では終戦前後、多くの地域で住民がマラリアで命を落とした。住民三十人余が死亡、廃村となった袖山集落をはじめ、九十戸余りの島尻集落でも四五年夏、「百人以上の死者が出た」との証言が保健所に残されている。
 島の東海岸側の島尻、城辺や下地などは戦前から、マラリアの発生源となる水田やため池などの湿地帯が存在。マラリア有病地も島内で十四カ所に上ったが、マラリアに関するデータや研究蓄積は少ない。
 川平さんは「八重山の歴史は、マラリアによる廃村や強制移住による村建てなど、マラリアに極めて敏感だった。これに対し、宮古島では、マラリアの恐ろしさについて認識不足があったのではないか」と指摘。
 その上で、宮古保健所に記録が残る四七年のマラリア患者数「一万二千百三十一人」をベースに死亡率を5%として、四四~四六年までの年間死者数「六百七人」と試算し、こう断言する。「長期に及ぶ戦争の影響がもたらす住民被害の実相をきちんと解明しない限り、沖縄の戦後は終わらない」 

(編集委員・吉原康和)
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●オウム死刑囚十三人を処刑…《死刑を忠実に実行しているのは日本だけ》という野蛮さぶりを世界に喧伝

2018年07月30日 00時00分40秒 | Weblog

[※ 安田好弘さん 《「死刑反対。死刑をおかしい」と言うこと自体が、異端者になってくる》 (2018年7月28日 報道特集)↑]



琉球新報のコラム【<金口木舌>「今宵今生の別れ。(西表島の)南風見田の浜に行きたかった」。…】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-769492.html)。
東京新聞の社説【オウムの死刑 制度の在り方の論議も】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018072702000157.html)。

 《▼犯した罪の残忍性や社会への影響などを考えると死刑は当然だという見方も理解できる。だが、国家が人間の生命を強制的に終わらせることへの違和感は拭えない…▼国連人権規約委員会は日本政府に対し死刑廃止について十分考慮するよう勧告している》。
 《七月だけでオウム事件の幹部ら十三人が処刑されたことに異様さを感じる人も多かろう。これほどの人数の死刑執行がなされたことがないからだ法務相によっては宗教観などから執行命令書に署名しない人もいた》。

   『●『A2』読了
   『●『A3(エー・スリー)』読了
   『●『死刑』読了
   『●死刑廃止集会
   『●「死刑制度 国民的な議論を活発に」・・・
      「死刑制度存置派驚異の8割の我国」では全くそんな気配なし

   『●「彼を赦したわけではない。
      しかし死刑にして問題が解決するわけではない」

   『●ビンラディン氏暗殺再び
   『●光市母子殺害事件最高裁判決: 森達也さんの〝目〟
   『●森達也さん『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」
                               と叫ぶ人に訊きたい』書評

   『●「殺すなかれ・・・」・・・「彼らを処刑することが「社会正義」なのだろうか」?
   『●2016年報道の自由度ランキング72位: 
       「メディアは二流ならば社会も二流」、アベ政治も…粗悪
   『●青木理さん「供述が立証の柱…もっと物証が欲しい。
        「通信傍受を縦横無尽に使いたい。司法取引も」と…」
    《共謀罪を導入しても、テロが起きる可能性はある。そのときが怖い。
     社会がファナチック(狂信的)になり、メディアや社会も一緒になって
     「もっと捕まえろ」「もっと取り締まれ」と暴走するのではないか。
     オウム事件を取材していた時を思い出す。警察はあらゆる法令を
     駆使して信者を根こそぎ捕まえた。当時、幹部が「非常時だから、
     国民の皆様も納得してくれる」と話していた》

   『●「このまま死刑執行されてオウム事件は終わり、 
      ということにされていいの」? 真相・全貌は解明されたか?
   『●オウム死刑囚大量執行…アベ様や上川陽子法相は
        「前夜祭」を催し、死刑さへも「サーカス」に使う悪辣さ
    「TBSの「ニュースバード」によると、ドイツ政府はいち早く、
     この死刑執行およびニッポンの死刑存置に対して抗議の声明を出した」
    「アサヒコムの記事【死刑囚写真に次々「執行」シール 
     TV演出に疑問の声も】…によると、《中島岳志…は…
     「いま行われているのは、死刑のショー化・見世物化に他ならない。
     執行場面だけが不可視化された公開処刑」と書き込んだ。…フジは、
     事件に関わった死刑囚の顔写真が並んだパネルを示し、
     執行が済んだ死刑囚の写真の上に「執行」のシールを貼るなどして
     状況を説明》」

   『●「僕が裁判の傍聴で見た麻原は廃人…
      加害者に発言させることは事件を歴史の教訓にするために必要だった」

   『●「7人に死刑を執行する前日に乾杯する総理大臣と法務大臣…
                    これがこの国のグロテスクな現状なのだ」
   『●西日本大豪雨…「国民の生命と財産を守るって、
      口だけじゃないか」「博打の議論なんてやっている場合か」
   『●良心の呵責? 「ないわな、そんなもん。
       でなきゃ、過労死遺族の方々が傍聴する中、こんな法案、…」
   『●室井佑月さん「悪魔とはこういう顔か」!?
     ⇒ デンデン王国の国王御夫妻やウルトラ差別主義者らの御顔

 《七月だけでオウム事件の幹部ら十三人が処刑》…コレで何か問題は解決したのですか? アベ様や法相、法務省幹部らの自己満足ではないのですか? 《ある同省幹部が「平成の事件は平成のうちに」と語った》そうだが、一体どんな忖度なのか…。
 《もっと国際的な批判を真面目に受け止めた方がよかろう》…と言われても、アベ様や法相らは、聞く耳持たずだ。《赤坂自民亭》なる〝前夜祭〟様の酔いちくれぶりや、一部マスコミの異常なハシャギぶりも含めて、今回のコレもニッポンの異常さを世界に喧伝し、《死刑を忠実に実行しているのは日本だけ》という野蛮さぶりが、またしても、知れ渡ってしまった。

 松本智津夫元死刑囚の主任弁護人を務めた安田好弘弁護士は「死刑のレベル ステージを一気に引き上げてしまった。7名を一気に死刑にしてしまった訳です。…終身刑を今の状況で導入しよう、そうすることで死刑が一つでも減るんじゃないか」。一方、「「死刑反対。死刑をおかしい」と言うこと自体が、異端者になってくる」(報道特集 2018年7月28日)(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/3a85028ac13f9d5517b8c50e10eaaf06)。
 また、森達也さん「議論したいです。死刑制度が是か、非か。いろんな意見がある、いろんな見方がある、当たり前です。でも、この国では議論が出来ていない。議論するだけの材料がない」(報道特集 2018年7月28日)。

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https://ryukyushimpo.jp/column/entry-769492.html

<金口木舌>「今宵今生の別れ。(西表島の)南風見田の浜に行きたかった」。…
2018年7月27日 06:00
オウム真理教 林泰男 死刑 アムネスティ・インターナショナル 金口木舌

 「今宵今生の別れ。(西表島の)南風見田の浜に行きたかった」。林泰男死刑囚は1996年、石垣島からの護送中の機内でつぶやいた。オウム真理教による一連の事件で死刑囚の刑が全て執行された

▼追尾の際に気づかれないように、捜査員同士うちなーぐちで連絡を取り合った。「てーげーむるあたとんどー」。すぐ近くで特徴を確認し、職務質問した。抵抗することはなく、当時の捜査員は「死刑を覚悟している様子だった」と回想した

▼犯した罪の残忍性や社会への影響などを考えると死刑は当然だという見方も理解できる。だが、国家が人間の生命を強制的に終わらせることへの違和感は拭えない

死刑制度を維持する理由としてよく挙げられるのが「抑止力」。「死刑を廃止すれば凶悪犯罪が増える」という主張にうなずきそうになるが、根拠となる客観的な統計はないという

▼国際人権団体アムネスティ・インターナショナルによると、人口10万人当たりの殺人発生率が最も低いのがオーストリアの0・56件、次いでノルウェーの0・68件で、いずれも死刑廃止国死刑を廃止しても、治安の悪化には直結しないことを示唆している

国連人権規約委員会は日本政府に対し死刑廃止について十分考慮するよう勧告している。遺族の立場に立つとためらいも感じるが、死刑制度の廃止についてもっと議論があっていい。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018072702000157.html

【社説】
オウムの死刑 制度の在り方の論議も
2018年7月27日

 オウム真理教事件の死刑囚六人の刑が執行され、事件の死刑執行はすべて終わった。だが、日弁連などは死刑制度の廃止を求める声明を出している。不透明な制度の在り方などの論議は必要である。

 七月だけでオウム事件の幹部ら十三人が処刑されたことに異様さを感じる人も多かろう。これほどの人数の死刑執行がなされたことがないからだ。法務相によっては宗教観などから執行命令書に署名しない人もいた。ある同省幹部が「平成の事件は平成のうちに」と語ったと伝えられる。

 来年の天皇陛下の退位を念頭に置いた発言だろうが、それにしてもなぜオウム死刑囚に限って一斉処刑なのかの答えにはならない。前回は元代表の麻原彰晃元死刑囚やサリン製造役が中心で、今回は林泰男死刑囚ら地下鉄サリン事件の散布役が中心だった。

 法務省は一連の執行順序についての理由をほとんど説明しないでいる。不透明だといわざるを得ない。「執行は当然」という遺族の方々の心情はもっともである。それでも心神喪失が疑われたり、再審申し立てやその準備の段階にある場合はどう判断しているのか、それを国民に説明しない姿勢には疑問を持つ。

 死刑は国家権力の最大の行使でもあるからだ。一〇年の千葉景子法相時代は報道機関に刑場の公開をしたこともあるが、それ以降はそんな雰囲気も消えてしまった。

 近代刑事法はあだ討ち否定し、犯罪への応報と更生をめざしている。かつ死刑囚の冤罪(えんざい)が明らかになった事例もある。

 世界百四十二カ国は死刑の廃止・停止であり、欧州連合(EU)に加盟するには、死刑廃止国であるのが条件になっている。OECD加盟国でも、死刑制度があるのは日本と韓国・米国だけだ。でも韓国はずっと執行がない事実上の廃止国である。米国も十九州が廃止、四州が停止を宣言している。つまり、死刑を忠実に実行しているのは日本だけなのだ

 誤った司法判断なら取り返しの付かない究極の刑罰であり、究極の人権を奪う刑罰でもある。内閣府の世論調査では死刑もやむを得ないが八割だが、うち四割は「状況が変われば将来的には死刑を廃止してもよい」終身刑の導入なら「死刑を廃止する方がよい」が四割である。

 国連からは死刑廃止の勧告を何度も受け続けているもっと国際的な批判を真面目に受け止めた方がよかろう
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●三上智恵・大矢英代監督映画『沖縄スパイ戦史』…「戦争というシステムに巻き込まれていった人たちの姿」

2018年07月23日 00時00分19秒 | Weblog

[※ 『沖縄スパイ戦史』(三上智恵大矢英代共同監督) (LOFT)↑]



マガジン9の記事【こちら編集部/沖縄戦から戦争のリアルを知る~映画『沖縄スパイ戦史』イベントレポート~(中村)】(http://maga9.jp/180627-2/)。

 《マガジン9連載コラム「沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌」でおなじみの三上智恵さんが、大矢英代さんとの共同監督で制作した映画『沖縄スパイ戦史』が7月下旬からいよいよ公開…「軍隊は住民を守らない」…「戦争や軍隊の本質を伝えたい」》。

   『●城山三郎さん「戦争で得たものは憲法だけ」
        「平和の有難さは失ってみないとわからない」

   『●大田昌秀さん「軍隊は人を守らない」と、
      従軍記者ボールドウィン氏「沖縄戦は、戦争の醜さの極致だ」
   『●目を逸らす本土…「米国側からみた心温まる
      ヒューマン・ストーリーだけではなく、そこに暮らす人々」に…
    「「慰霊の日」に際して、「沖縄全戦没者追悼式」でのアベ様の挨拶の
     前に、「平和の礎あらゆる戦争を正当化させない思いでつくった
     県民の礎でしょ。そこへ戦争屋の安倍がのうのうと挨拶すること自体が
     県民として許せません」(『報道特集』2017年6月24日)。
     県民の怒りの声は届かないロバ耳東風な「戦争屋のアベ様」」
    「沖縄タイムスの西江昭吾記者によるコラム【[大弦小弦]都内であった
     試写会で、沖縄戦を描いた米映画「ハクソー・リッジ」を…】…。
      《▼映画には住民の姿は出てこない。だが実際には、国家の暴走で
     有無を言わさず戦争に巻き込まれ、命を落とした多数の無辜(むく)の民
     いる ▼旧日本軍は当時、全県民が兵隊になることを求めた
     まともな訓練さえ受けずに防衛召集で次々と戦場に駆り出された。
     犠牲者の総数は軍人を上回る。沖縄は本土決戦を遅らせるための
     「捨て石」だった》。」

   『●「平和に関してどうにも鈍いアンテナしか
      持ち合わせない大半の日本人に、沖縄の苦しみが響かない…」
   『●「戦争の愚かさを身に染みて知っているはず…
       9条の「戦争放棄」「戦力不保持」の理念はその教訓の結晶」
   『●「戦争のためにカメラを回しません。
      戦争のためにペンを持ちません。戦争のために輪転機を回しません」
   『●『沖縄スパイ戦史』(三上智恵・大矢英代共同監督):
         「「スパイリスト」…歪んだ論理が生み出す殺人」
   『●中山きくさん「戦争は体験してからでは遅い」、
       城山三郎さん「平和の有難さは失ってみないとわからない」


 中山きくさんは《「戦争への罪悪感もなく、命の尊厳も理解できないまま、軍国主義教育の申し子らしく、なんのためらいもなく学徒動員に応じた」と記している…「戦争は体験してからでは遅い」》と。
 城山三郎さんも、「戦争待望論を唱える若い文士がいると聞いて、鳥肌の立つ思いがする。平和の有難さは失ってみないとわからない」と。
 大田昌秀さんは、「軍隊は人を守らない」、そして、島袋文子さんは「基地を置くから戦争が起こる」と。

 三上智恵さんは、「沖縄戦みたいなことはもう起きないと考えている人はいると思う。でも、私たちはあれがもう一回起きると確信している。軍隊は同じことをするし、住民も協力するし、軍隊は住民をまた殺すことになる。この映画を先島諸島の軍事要塞化を止められるタイミングでこの映画を出さなくてはという焦りがありました」と。
 「戦争というシステムに巻き込まれていった人たちの姿」を、再び、現出させてしまっていいのか?

 後半のビデオでは、澤地久枝さんの力強いスピーチ。後半の部の司会は鈴木耕さん。全体の司会は大木晴子さん。

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http://maga9.jp/180627-2/

こちら編集部
沖縄戦から戦争のリアルを知る~映画『沖縄スパイ戦史』イベントレポート~(中村)
By マガジン9編集部  2018年6月27日

 マガジン9連載コラム「沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌」でおなじみの三上智恵さんが、大矢英代さんとの共同監督で制作した映画『沖縄スパイ戦史』が7月下旬からいよいよ公開。公開に先立ち、6月3日に渋谷Loft9で公開記念トークイベントが開催されました。その様子をレポートで紹介します。

                   *

軍隊は住民を守らない

トークイベントは日曜日のお昼12時から。会場に到着すると、すでに客席はほぼ満員でした。若い人の姿もちらほらと見えます。最初に主催者の大木晴子さんが挨拶されると、第一部のトークとして、元陸自レンジャー隊員の井筒高雄さんのお話が始まりました。

ステージにあがったときに井筒さんが手にしていたのは、大きな日の丸の旗。実はこれ、レンジャー教育の試験に合格したときに、中隊長以下全員で寄せ書きをしたもの。もしレンジャー訓練中に死亡すれば、この旗が棺にかけられるのだそうです。ぎょっとするような生々しいエピソードから始めたのは、『沖縄スパイ戦史』で描かれている軍隊の考え方や戦争のシステムを伝えたかったから、と井筒さん。

PKOの役割や自衛隊任務の歴史的変化を示しながら、この25年の間で、私たちが気づかないうちに自衛隊は変貌し、どんどんと「戦争するための自衛隊」に向かっていると井筒さんは警告します。そして、トークのなかで何度も強調していたのが「もし戦争などが起きたときには、自衛隊は国民を守るものではない」ということ。「戦力にならない国民を守る余裕はない。それよりも基地や在日米軍を守る国体を守るのです」と井筒さん。

また、自衛隊法103条では、「自衛隊の任務遂行上必要があると認められる場合には」、土地や家屋の使用、物資の収容、業務従事命令を行うことができることになっており、徴兵制がなくても一般の市民が徴用される可能性があることも指摘していました。

こうしたことを踏まえて、いまの沖縄・南西諸島での陸上自衛隊配備の状況を見てみるとどうでしょうか。三上さんが連載コラムで伝え続けてきていることですが、こうした場所は戦争が起こったときには攻撃対象にされる場所になるはずです。そのとき、島の住民はどこに逃げることができるのでしょうか――この「住民を守らない」という言葉は、映画『沖縄スパイ戦史』を観ると一層重く響いてくると思います。

イベントでは、大矢英代監督による三線と沖縄民謡の披露もありました。現在31歳になる大矢監督は、大学院生時代に波照間島に一年間暮らしてドキュメンタリー映像を制作したそうです。その後、三上さんと同じ琉球朝日放送に就職。フリーランスになったタイミングで、今作の制作にかかわりました。なぜ大矢さんが沖縄に関心を持つようになったかについては、近日中にマガジン9でのインタビューを公開予定ですので、詳細はそちらでお伝えしたいと思います。


「戦争や軍隊の本質を伝えたい」

さて、トークの第二部は、コラム「言葉の海へ」を連載中の鈴木耕さんを進行役に、三上さん、大矢さん、井筒さんによるクロストーク。なんと作家の澤地久枝さんも、国会正門前での「アベ政治を許さない」を掲げるアクションから駆けつけてくださいました。

「なぜ今作では沖縄内部の葛藤に踏み込んだのか」という鈴木さんからの問いかけに「軍国主義に飲みこまれたときに、一人ひとりがどう行動できるのか、できないのか、どうして住民が加害者になったり、大事な人を守れなかったりするのか。そこがわからないと次の戦争を止められない」と三上さん。

戦争中に多くの住民が罹患した「戦争マラリア」について大矢さんは、「陸軍中野学校出身者の命令によって、波照間島の住民が当時マラリアが蔓延していた西表島に移住を強いられた。米軍ではなく、日本軍の命令によってあれだけの被害がでた。そこに軍隊の本質が見えるんじゃないかと思って取材をしました。苦しみを抱えて語りたがらない体験者に、頭を下げて話を聞きました」と話します。

そして、井筒さんからは「監督は沖縄戦から今を学ぶという意図で映画を作ったのだと思いますが、思いきりダイレクトに『いま』のことだという感想をもちました。戦争の構造、理屈、住民が精神的にもどう徴用されていくのかが集約されている。これは基地を抱える地域の人に観てほしい。それから国会議員にも観てほしい。戦争の仕組みや本質と向き合ってほしいと感じた」というコメントもありました。

「沖縄戦みたいなことはもう起きないと考えている人はいると思う。でも、私たちはあれがもう一回起きると確信している。軍隊は同じことをするし、住民も協力するし、軍隊は住民をまた殺すことになる。この映画を先島諸島の軍事要塞化を止められるタイミングでこの映画を出さなくてはという焦りがありました」(三上さん)

                  *

『沖縄スパイ戦史』は、7月21日より沖縄・桜坂劇場、7月28日より東京・ポレポレ東中野ほか、全国で順次公開予定です。試写でひと足早く本作を観ましたが、戦争というシステムに巻き込まれていった人たちの姿を、観終わったあとも何度も自分に重ねながら思い出しました。つらい記憶を話してくれた人たちの、その言葉を聞いた責任を未来に向けてどう果たすことができるのでしょうか。

(中村)

『沖縄スパイ戦史』劇場予告編

https://youtu.be/Tsk9ggz-BoY


●こちらもあわせてご覧ください。
・イベント動画
(前半)

https://youtu.be/mpRHwJ-eJZs


(後半)

https://youtu.be/rH8h0PtbWBM


・連載コラム「言葉の海へ」
第32回:『沖縄スパイ戦史』、すごい映画を観た!(鈴木耕)
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●『沖縄スパイ戦史』(三上智恵・大矢英代共同監督): 「「スパイリスト」…歪んだ論理が生み出す殺人」

2018年05月25日 00時00分29秒 | Weblog

[LOFT(http://www.loft-prj.co.jp/schedule/wp-content/uploads/2018/06/0603_Okinawa_Spy_Talk-548x775.jpg)↑]



マガジン9の鈴木耕さんのコラム【言葉の海へ/第32回:『沖縄スパイ戦史』、すごい映画を観た!】(http://maga9.jp/180516-6/)。

 《『沖縄スパイ戦史』(三上智恵大矢英代 共同監督)…この「護郷隊」の実態は、これまでほとんど明らかにされてこなかった。それはなぜなのか。三上監督は、研ぎ澄まされたジャーナリストの嗅覚で、「護郷隊」の実態に迫っていく。この過程が凄まじいほどの迫力に満ちているのだ…今回は、そこに大矢監督の静かな怒りが加味された》。



[(http://www.loft-prj.co.jp/schedule/wp-content/uploads/2018/06/0603_Okinawa_Spy_Talk-548x775.jp
  LOFT(http://www.loft-prj.co.jp/schedule/loft9/88018http://www.loft-prj.co.jp/schedule/loft9/88018
  【三上智恵大矢英代 共同監督『沖縄スパイ戦史』公開記念トーク
   「沖縄を再び犠牲にしないために」
   —南西諸島の今と映画『沖縄スパイ戦史』から考える—】]

 共同監督の大矢英代さんについては、以前のマガジン9のコラムで読んでいました。《戦争のためにカメラを回しません。戦争のためにペンを持ちません。戦争のために輪転機を回しません…》という言葉が印象に残っています。

   『●「戦争のためにカメラを回しません。
      戦争のためにペンを持ちません。戦争のために輪転機を回しません」
    「マガジン9…【マガ9備忘録/その145)「沖縄のマスコミは“民”のもの」
     高江で語ったQAB大矢記者の心】」
    《沖縄のマスコミは、皆さん県民のものです。
     “民(たみ)”のものです。
     私たちには武器もありませんし、権力もありません。
     でも、伝え続けることはできます。抗い続けることはできます。
     その一歩一歩が、沖縄の歴史、そして本当の意味で
     この国の、この日本の民主主義を勝ち得る手段と信じて、
     これからも一生懸命、伝え続けていきたいと思っています。》

 《「スパイリスト」…そのリストによって、何かが起きた…。歪んだ論理が生み出す殺人》、《「戦争の悲惨」とは、単に肉体の破壊だけではない。人間同士の関係性の破壊住民同士の疑心暗鬼。そこから必然的に生み出される、地獄の光景》。そこまでの激しさではないとしても、いま、アベ様や最低の官房長官が「森」を殺し、「美ら海」を殺し続け、沖縄の人々を分断し続けている。
 《沖縄戦は「日本軍という組織と、それに虐げられた住民」という構図で語られることが多いけれど、ほんとうにそれだけなのか?》…映画『沖縄スパイ戦史』…全く知りませんでした。あの壮絶な戦場を経験した沖縄…「スパイリスト」に載ることの意味を知る人々の心の中に、《記憶の澱》として、こびりついているのでしょうか…。

   『●加害者性と被害者性…「私たち一人一人が被害者となり、
              加害者となり得る戦争。戦争はどこかで今も…」
    「【記憶の澱/NNNドキュメント’17】…。
     《先の大戦の記憶を、今だからこそ「語り、残したい」という人々がいます。
     …心の奥底にまるで「」のようにこびりついた記憶には「被害」と「加害」、
     その両方が存在しました》」

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http://maga9.jp/180516-6/

言葉の海へ
第32回:『沖縄スパイ戦史』、すごい映画を観た! 鈴木耕
By 鈴木耕  2018年5月16日

 5月14日、映画の試写会へ行ってきた。『沖縄スパイ戦史』(三上智恵大矢英代 共同監督)という映画だ。
 ものすごく重い映画だった。だが、どうしても目が離せない。30人を超す証言者が画面に現れる。声高に激するわけではない。怒りをあらわにする場面も少ない。ほとんどが、自分の見聞きしたこと、激しい沖縄戦での経験を淡々と語る。それが、観る者の耳について離れないのだ

 沖縄戦、護郷隊と呼ばれる少年兵たちで組織された部隊があった。彼らはほとんどが15、6歳。中にはもっと幼い子どももいたという。彼らは身を賭して、圧倒的な物量を誇る米軍への悲劇的なゲリラ戦に突入したいや、突入させられたのだ
 ぼくは大田昌秀元沖縄県知事のお話をよく聞いていた。大田さんが徴兵されたのは「鉄血勤皇隊」という。だから「鉄血勤皇隊」に関しては、若干の知識があったのだが、この「護郷隊」については、ほとんど何も知らなかった。

 この「護郷隊」を組織したのは、陸軍中野学校でスパイ教育を受けた若い将校たちだったという。正規戦が終結した後、山野に隠れ潜み、米軍を奇襲するというゲリラ戦を展開する。そのための少年ゲリラ兵たちを組織する。それが、中野学校出の若き将校たちに与えられた任務だった。
 だが、この「護郷隊」の実態は、これまでほとんど明らかにされてこなかった。それはなぜなのか。三上監督は、研ぎ澄まされたジャーナリストの嗅覚で、「護郷隊」の実態に迫っていく。この過程が凄まじいほどの迫力に満ちているのだ。
 大声も激高もない。多くの経験者たちの証言を、まるで網目模様を編むように小刻みにつなげながら、実相に近づいていく。これまでの三上監督の映画がそうだったように、その手つきは穏やかだけれど、まことに見事だ。これほどの重いテーマなのに、観る者の目を逸らさせず、耳を塞がせず、最後まで引きつけていく。

 今回は、そこに大矢監督の静かな怒りが加味された
 日本軍の命令による、マラリア地獄への住民強制移住という事実の掘り起こしである。1944年暮れのある日突然、山下虎雄と名乗る若い男が、青年指導員という肩書で波照間国民学校へ赴任してくる。しかし、山下は実は教員などではなく、やはり陸軍中野学校出の工作員だった。島民には慕われていたという山下だが、やがてその正体を現す。彼が行ったことは、波照間島民たちの西表島への「疎開という名の強制移住」だった。
 西表島は今でこそ明るい観光地になってはいるが、当時は「マラリア地獄」と呼ばれるような死病の蔓延する島だった。強制された移住先で何が起こったか。大矢監督の前で、この映画で唯一「あの野郎は殺してやりたい」と怒りを露わにする島民の証言が描かれる。ほんとうに、唯一の怒りの表白である。いったい何人の波照間島民が、熱に震えながら死んでいったことか。浜辺が死体でいっぱいになったという。
 なぜそんな理不尽な移住が、日本軍によって強制されたのか。その理由も次第に明らかにされていく。
 悲惨な映像が重なる。ふつうなら、大きなスクリーンで目のあたりにはしたくない映像だ。けれど、この映画には必然の画像。戦争の実相とは、いったいどんなものか目を背けてはいけない。それはふたりの監督の決意でもあろう。

 やがて、映画は暗いクライマックスへ進んでいく。この映画のタイトルにもなっている「スパイ」についての証言だ。
 沖縄戦は「日本軍という組織と、それに虐げられた住民」という構図で語られることが多いけれど、ほんとうにそれだけなのか?
 実は、語られたことのない闇が「住民と住民の間に存在していたというのだ。さまざまな書類や証言から、その語られざる闇を、監督たちは静かに掘り起こしていく。それがこの映画の白眉である。ぼくは試写室の暗がりの中で、椅子の肘掛けを、汗ばむほどに握りしめていた。
 「スパイリストなるものが存在した。米軍に内通する者がいれば自分たちも殺される。そうであれば、内通者(スパイ)は殺さなければならない、という論理。そう疑われた者たちの名が乗せられたリスト。そのリストによって、何かが起きた…。歪んだ論理が生み出す殺人一度スパイの嫌疑をかけられた者は、疑惑の蜘蛛の巣の、粘つく網にからめとられて逃げ出せない

 その件にかかわったらしい証言者が力説する。スパイを殺さなければ自分たちみんなが米兵によって殺される。あの時は、ああするしかなかった。それが間違っていたとでも言うのか! あんたはそれを否定できるのか!
 戦争は、すべてを敵か味方かに分別する。一度敵だと疑われたら、もはやどんな言い訳も通用しない。それは「過去の戦争の論理」ということではなく、もし「現代の戦争」が起きたなら、多分同じことが繰り返されるだろう恐ろしさを秘めている。ナレーションはそうは語らないけれど、あの証言者の力説はそれを物語っている。
 試写室の空調の効いた暗がりの中でスクリーンを見つめているぼくに、その論理を否定するだけのもうひとつの論理はあるのか
 「戦争の悲惨」とは、単に肉体の破壊だけではない。人間同士の関係性の破壊住民同士の疑心暗鬼。そこから必然的に生み出される、地獄の光景
 この映画は、事実の積み重ねで、闇の中の事実に光を当てようとする。証言者たちの淡々とした語り口が、よけいに切なく響く。

 ただ、最後の救いの場面が美しい。大宜味村の小さな山に、瑞慶覧良光さん(89歳)が、黙々と寒緋桜を植えていく。その数は69本。死んだ彼の戦友たちの数だという。そして、その1本1本に、良光さんは戦友の名前を付けていくのだ。
 映画の終わり、美しい桜の1本に、ある人の名前が付けられる。その人が、どんな死を迎えたか
 死んだ少年兵の弟と、良光さんが硬く手を握り合う。この映画のもっとも美しい、けれどもっとも切ない場面である。
 試写会では珍しく、上映終了時に拍手が起きた。かなりの観客がいたのだが、それぞれはどんな思いで拍手したのだったろうか?

 本作は、7月28日より、東京・ポレポレ東中野を皮切りに、順次全国で公開していくという。ぼくはもう一度、劇場で観ようと思う。

 なお、この映画をめぐる「トーク・ライブ」が、6月3日(日)12時~16時に、東京・渋谷の「LOFT9 Shibuya」で行われる。三上智恵・大矢英代両監督のほか、井筒高雄さんのお話もある。なぜかぼくも、進行役として参加する。
 この模様は、「マガジン9」と「デモクラシータイムス」でも配信する予定になっている。
 主催:新宿西口反戦意思表示・有志 http://seiko-jiro.net

     (トークイベントのチラシです…)

鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。
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