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●《戦世(いくさゆ)の足音に危機感を抱きながら私たちは戦争犠牲者を悼み、平和を求める日を迎えた。きょうは沖縄戦から79年の「慰霊の日」》

2024年06月25日 00時00分36秒 | Weblog

[↑ 三上智恵監督「軽んじられている命があるのでは」 【こちら特報部/多少の犠牲は仕方ない…その多少って誰のこと? 映画「戦雲」が問いかける「軽んじられる命」】(東京新聞 2024年03月14日、https://www.tokyo-np.co.jp/article/315046?rct=tokuhou)]


(2024年06月23日[日])
沖縄「慰霊の日」。沖縄では、《慰霊の日を前に増える沖縄メディアの報道は「6月ジャーナリズム」なのか》(金口木舌)。着々と軍事要塞化=《標的の島へと…。相変らず、日々、美ら海に土砂をぶちまけ続けてている。ドブガネ。新基地は完成しないし、普天間は返還されない。踏んだり蹴ったりの辺野古。辺野古は単なる破壊「損」。《沖縄にとって戦争は遠い昔話ではない沖縄は、今も一年中、戦争の延長線上を生きている》(大矢英代さん)。
 再度引用。昨年の琉球新報のコラム【<金口木舌>沈黙している暇はない】によると、《「8月ジャーナリズム」という言葉がある。毎年、広島、長崎への原爆投下や、8月15日に合わせて、戦争について集中的に報道される様を指す。記念日までの雄弁さと対照的にその時期以外は沈黙するメディアへの不信もあるだろう》、《沖縄は戦後78年の慰霊の日を迎えた。100年、200年と「戦後」を重ねていくために沖縄メディアに沈黙している暇(いとま)はない》。

 それにしても、先週6月16日[日]の沖縄県議会選挙、投票率も低く、また、大変に大変に残念な結果に。悔しくて仕方ない。玉城デニー沖縄県知事が《辺野古の新基地建設に関しては「移設反対は揺るぎない思いこれからもできうることはしっかりと取り組んでいきたい」と強調》したことがせめてもの救いではあるが、ニッポン政府のごり押しを止めることがより一層困難に。決して普天間は返還されず、日々ドブガネし、出来もしない新基地建設のために、美ら海に土砂をぶちまける愚行が続く。軍事費は倍増され、戦争を煽る。番犬様の下請けとして軍需産業で生きていこうというさもしい国、情けない国に落ちぶれたニッポン。平和憲法はどこに行ってしまったの? (琉球新報社説)《日本は戦争ができる国づくりから戦争準備へ大きく踏み出したのではないか、私たちは危惧する》。狂った自公政権によって沖縄に《多少の犠牲は仕方ない》《軽んじられる命》が押しつけられる。わずかな希望の光《ミュニシパリズム地域自治主義)》の芽も、沖縄では摘み取られる…。(琉球新報社説)《私たちに求められているのは戦う覚悟を拒み平和を築く意思と行動》。
 《軍隊は人を守らない》《軍隊は住民を守らない》《基地を置くから戦争が起こる》という教訓を沖縄ほど、身にしみている方々は居ないと思うのだが。沖縄県内での《基地のたらい回し》って、そんなイジメ・差別をやる政府って一体何?

   『●『沖縄スパイ戦史』と《記憶の澱》…
     「護郷隊…中高生の年頃の少年たち…スパイと疑われた仲間の処刑…」

    《▼日本軍第32軍の周辺で起きた本島中南部の激戦を「表の沖縄戦」と
     すれば、映画が描くのは北部の少年ゲリラ兵部隊護郷隊」や八重山
     戦争マラリアなどの「裏の沖縄戦」。綿密な取材による証言と資料映像で、
     6月23日以降も続いた遊撃戦の実相をつづる》

   『●【<金口木舌>差別を乗り越える】…《アイヌ民族…差別を乗り越え固有
      の歴史、文化を守るすべを模索する状況は沖縄にも通じている》(1/2)
    《香山リカ×三上智恵対談…》《ただ、遺族感情はそれとは別です。
     久高良夫さんという戦死した少年兵のお母さんが唯一、村上さんに
     食って掛かった人でした。「何でおまえが生きているんだ」とつかみ
     かかったという話を、映画の中で弟さんがしています》

   『●《「慰霊の日」を迎えた。…鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊の悲劇が
      伝わる一方、護郷隊の過酷な運命は長年ほとんど知られていなかった》
   『●「戦争マラリア」…いま再び自衛隊配備で先島諸島住民を分断し、
                 「戦争や軍隊の本質」の記憶を蘇らせる…
   『●《戦争体験の継承はどうして必要》? 大矢英代さん《二度と同じ手段で
      国家に殺されないように、生活を奪われないように、知恵をつけること》
   『●《住民を守ってくれると信じていた日本軍は、住民を壕から追い出し、
     食料を奪い、投降しようとした兵士を背後から射殺し、住民をスパイと…》
   『●6月ジャーナリズム…《戦争について集中的に報道される様を指す。記念
     日までの雄弁さと、対照的にその時期以外は沈黙するメディアへの不信》
   『●辺野古破壊について玉城デニー沖縄県知事「移設反対は揺るぎない思い」と
     強調…日々膨大なドブガネし、美ら海に大量の土砂をぶちまける愚行が続く

 軍事費倍増、沖縄で自衛隊基地をどんどんと増強…「平和」を築く気はあるのか?
 琉球新報の記事【沖縄全戦没者追悼式 デニー知事が平和宣言 自衛隊増強に「強い不安」 交流による信頼関係を 慰霊の日】(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-3225796.html)。《沖縄県は23日、沖縄戦で命を落とした20万人余に心を寄せ、平和を誓う「慰霊の日」を迎えた。79年前の激戦地、糸満市摩文仁平和祈念公園では、県と県議会が主催する …》。

 対馬丸事件の教訓…《この悲劇は、いったん戦争に巻き込まれればいかなる対象も、攻撃される対象となる危険性》。
 沖縄タイムスの【[社説]きょう慰霊の日 平和創造の次の一歩を】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1383334)。《学童疎開船「対馬丸」の引率教員だった新崎美津子さんは多くの教え子を死なせ、自分は生き残ったと自責の念にとらわれ、生前、私は生きるべき人間ではなかった」と語っていたという(上野かずこ著「蕾のままに散りゆけり」)。蟻塚亮二医師らの研究によると、生活の場が戦場になり、戦後、基地と隣り合わせの生活をしている人が、米軍の事件事故などに接すると、戦争のつらい記憶が呼び覚まされ、ストレス症状が表れたりするという》。
 琉球新報の【<社説>沖縄戦79年「慰霊の日」 「戦争準備」拒み平和築け】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-3224163.html)。《戦世(いくさゆ)の足音に危機感を抱きながら私たちは戦争犠牲者を悼み、平和を求める日を迎えた。きょうは沖縄戦から79年の「慰霊の日」である。年を追うごとに戦争体験者は減っている。しかし、沖縄戦体験を継承する意義が薄れることはない。むしろ「新しい戦前と呼ばれる状況に抗(あらが)ため、戦争自体と、そこに至った経緯を検証する作業が強く求められている沖縄戦の実相と向き合い、体験を語り継ぐことで平和を創造する県民の歩みを続けよう》。

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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1383334

[社説]きょう慰霊の日 平和創造の次の一歩を
2024年6月23日 4:01

 県内各地に慰霊塔や慰霊碑があり、地域や団体による慰霊祭が、6月23日の「慰霊の日」前後に執り行われる。

 この日に合わせて、企画展や芝居の上演、講演会、講座など平和を考える催しもめじろ押しだ。

 沖縄戦体験は、沖縄にとって地域アイデンティティーの核である

 広島・長崎の被爆体験や東京・大阪などの空襲体験と、住民を巻き込んだ沖縄の地上戦体験は、多くの民間人が犠牲になったという点では共通するが、その質は異なる

 米国の2人のジャーナリストの証言を紹介したい。

 80年前の1944年6月、サイパン戦を取材した米誌タイムのシャーロッド記者は従軍日誌に書き記した。

 「サイパン島戦こそ、あらゆる戦争中でもっとも残忍なものであった

 日本軍にとってサイパン戦は多数の民間人を巻き込んだ最初の地上戦だった。沖縄県人の戦没者だけでも約6200人に上る。

 沖縄戦を取材した米紙ニューヨーク・タイムズのボールドウィン記者は指摘する。

 「沖縄戦は、戦争の醜さの極致だ

 2人の文章が同じような表現になっているのは、サイパンでも沖縄でも、目を覆いたくなるような惨劇が起き、多くの民間人が犠牲になったからだ。

 サイパン戦や沖縄戦で表面化した「戦争と民間人保護」の問題は、ウクライナやガザの戦争にもつながる現代の課題でもある。


■    ■


 多くの民間人が犠牲になっただけではない。

 沖縄戦のもう一つの特徴は、子どもや親きょうだい友人を死なせ自分が生き残ったことに罪責感を抱き、心身の不調を来す人が多かったことである

 心の傷、心的外傷のことをトラウマという。住民を巻き込んだ激烈な地上戦は、生き残った人々の中に深い心の傷を残した

 学童疎開船「対馬丸」の引率教員だった新崎美津子さんは多くの教え子を死なせ、自分は生き残ったと自責の念にとらわれ、生前、私は生きるべき人間ではなかった」と語っていたという(上野かずこ著「蕾のままに散りゆけり」)。

 蟻塚亮二医師らの研究によると、生活の場が戦場になり、戦後、基地と隣り合わせの生活をしている人が、米軍の事件事故などに接すると、戦争のつらい記憶が呼び覚まされ、ストレス症状が表れたりするという。


■    ■


 慰霊の日のきょう、糸満市摩文仁沖縄全戦没者追悼式が開かれる。

 慰霊の日は県条例によって「平和を希求し、戦没者の霊を慰める」日だと定められている。

 戦争で生き残り、米軍統治下の沖縄で新たな苦難に直面し、それでも希望を失わず、語り部として平和の尊さを若い世代に伝え続け人生を全うした人々に対しても、慰霊の日に感謝の気持ちをささげたい。

 平和創造の次の一歩を踏み出す誓いを込めて。
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https://ryukyushimpo.jp/news/entry-3225796.html

沖縄全戦没者追悼式 デニー知事が平和宣言 自衛隊増強に「強い不安」 交流による信頼関係を 慰霊の日
公開日時 2024年06月23日 12:39
更新日時 2024年06月23日 16:10
宮沢之祐

     (沖縄全戦没者追悼式であいさつする玉城デニー知事=23日午後、
      糸満市摩文仁の平和祈念公園(小川昌宏撮影)

 沖縄県は23日、沖縄戦で命を落とした20万人余に心を寄せ、平和を誓う「慰霊の日」を迎えた。79年前の激戦地、糸満市摩文仁平和祈念公園では、県と県議会が主催する沖縄全戦没者追悼式が開かれた。

 玉城デニー知事は平和宣言の中で「自衛隊の急激な配備拡張が進み、県民は強い不安を抱いてる」と、国が沖縄で進める防衛力強化に言及。参列した岸田文雄首相らを前に「沖縄の現状は、無念の思いを残して犠牲になられた御霊を慰めることになっているのか」と問いかけた。

 式には遺族らに加え、額賀福志郎衆院議長や尾辻秀久参院議長も参列。正午の時報と共に黙とうした。

     (沖縄全戦没者追悼式で正午の時報に合わせ黙祷する人たち
      =23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園(小川昌宏撮影))

 玉城知事は平和宣言で「抑止力の強化が地域の緊張を高めている」とした上で、平和を願う沖縄のこころを国内外に発信することが世界の恒久平和につながると指摘。しまくとぅばと英語を交え、交流による信頼関係の構築を訴えた

 また、県遺族連合会の我部政寿会長は、終戦から79年がたつ中、遺児の平均年齢が83歳となった組織の維持の難しさに触れつつ「二度と戦没者遺族を出さないという強い信念をもって、これからも活動する」と誓った。

 沖縄戦などで亡くなった人の名前を記す同公園の「平和の礎」には、今年も181人の追加があり、刻銘総数は24万2225人に。日曜の慰霊の日とあって訪れる人は早朝から途切れず、碑の前には手向けられた花束が並んだ。(宮沢之祐)


>>【全文】玉城デニー知事による平和宣言
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https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-3224163.html

<社説>沖縄戦79年「慰霊の日」 「戦争準備」拒み平和築け
2024年06月23日 05:00

 戦世(いくさゆ)の足音に危機感を抱きながら私たちは戦争犠牲者を悼み、平和を求める日を迎えた。きょうは沖縄戦から79年の「慰霊の日」である。

 年を追うごとに戦争体験者は減っている。しかし、沖縄戦体験を継承する意義が薄れることはない

 むしろ「新しい戦前と呼ばれる状況に抗(あらが)ため、戦争自体と、そこに至った経緯を検証する作業が強く求められている沖縄戦の実相と向き合い、体験を語り継ぐことで平和を創造する県民の歩みを続けよう。

 日本は戦争ができる国づくりから戦争準備へ大きく踏み出したのではないか、私たちは危惧する。

 集団的自衛権の行使を可能とする憲法の解釈変更敵基地攻撃を可能とする安全保障3文書の閣議決定によって日本の防衛政策は大転換した。それに続く「特定利用空港・港湾」指定、米軍基地自衛隊基地周辺を対象とした土地利用規制法地方に対する国の指示権を拡大する改正地方自治法なども警戒すべき動きだ。

 これらは国家総動員法軍機保護法などと重なる言論の自由を制限し、人的・物的資源を国に集中する法制度が戦時体制を支えたのである。

 沖縄の島々では自衛隊増強と米軍基地の機能強化が進んでいる。ミサイル攻撃を想定した住民参加の避難訓練も実施された。この動きも戦前期の沖縄と重なる

 1941年に中城湾、西表・船浮で臨時要塞(ようさい)が築かれる。44年3月の32軍創設以後、飛行場整備や陣地構築が急速に進み、沖縄が本土防衛の防波堤に位置付けられた今日の軍備増強も沖縄を中国の脅威に対する防波堤として想定しているのではないか

 防衛省・自衛隊の動きも気になる。沖縄の陸自第15旅団は公式ホームページに牛島満32軍司令官の「辞世の句を載せ、問題視されている。今年1月には陸上自衛隊幹部ら数十人が靖国神社を集団参拝した。日本軍との連続性を疑わざるを得ず、平和憲法の精神にそぐわない

 教育の分野では皇国史観に偏重した令和書籍の中学校歴史教科書が検定に合格した。沖縄戦に関して旧制中学校・師範学校生の戦場動員志願というかたち」、特攻隊員の戦死散華」と記述している。子どもたちに軍国主義を植え付けた戦前の国定教科書をほうふつとさせる。

 政治家の発言に驚かされる。中国を念頭に抑止力向上を主張した昨年8月の麻生太郎元首相の「戦う覚悟」発言は波紋を広げた。県内でも糸数健一与那国町長が今年5月の講演で「一戦を交える覚悟を説いた

 私たちに求められているのは戦う覚悟拒み平和を築く意思と行動

 新たな戦争犠牲者を出す事態を回避できるか。私たちは時代の分岐点に差し掛かっていることを戦後79年の「慰霊の日」に確認したい。
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●あぁ、ニッポン…《国の在り方を変えかねない重要な法律が、まともな審議もなく次々と成立した。国会の形骸化が一層浮き彫りになっている》

2023年07月08日 00時00分41秒 | Weblog

[↑ 雑誌「TIME」(2023.5.22・29)… (TBS NEWS DIG)《「日本を軍事大国に変えようとしている」との見出しは政府の申し入れのあと、変更》(https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/481736?display=1)]


(2023年06月22日[木])
最低、最悪の国会でした。年々加速度的に酷くなる。

 差別禁止法がミソのはずが、理解増進にレベルダウンし…でも、結果としては差別増進…。
 沖縄タイムスのコラム【[大弦小弦]LGBTヘイトデマ法】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1172174)によると、《これほど誰も喜べない法律も珍しいLGBT理解増進法。強い批判にさらされながら強引に成立させた自民党の国会議員からも、なぜか弁解が相次いでいる ▼いわく、単なる理念法だから大丈夫。いわく、議員連盟をつくって法律がもたらす「不安と恐怖」を取り除く。G7広島サミットで高まった外圧に苦慮し、嫌々制定した情けない事情が伝わる ▼性的少数者が、差別の被害に遭っている必要なのは差別を禁止する法律だった。それが与野党折衝で「理解を増進」する法律になり、不十分だがわずかに前進か、というレベルまで落ちた…》。

   『●〈こちら特報部〉《であれば、今はLGBT法整備に政策転換を。荒井氏
       の発言が内閣の考えでなく、「多様性」があることを証明できる》
   『●適菜収さん《誤解と言うなら、この短い発言の正しい解釈は何なのか?》
         …ことごとくヅボヅボ自民党議員の「誤解を招いたなら謝罪する」
   『●カルトとヅボヅボな自民党には《差別解消》など無理というもの…。
     馘首で幕引き? 《問われているのは首相自身の人権意識だ》(東京新聞)
   『●《理解増進》ではなく、差別禁止を…《今の日本に必要なのは曖昧な
     LGBT理解増進法ではなく、明確な差別禁止法です》(小島慶子さん)
   『●《西田昌司は「差別の禁止や法的な措置を強化すると…人権侵害など逆の
     問題が出てくる」…。つまり差別する側の主張も守れというわけだ》
   『●《「明日も太陽は昇るし、世界はそのままだ。影響のある人には素晴ら
     しいことで、他の人には何も変わらない」…自公政権との落差は大きい》
   『●《…という都合のいい思惑がある。時代に逆らい差別し続けたい自民党と
      政府とは…。地方自治体選挙はまさに「差別との闘い」の選挙になる》
   『●あとの祭り、《「差別との闘い」の選挙になる》はずだったのに…
     「不当な差別は許されない」って、《不当》でない《差別》とは一体何?

 #自民党に投票するからこうなる …自公お維コミに投票した無残な結果。選挙に行かず自公お維を間接的に支持した結果。なんで我々が働いたお金が、番犬様・軍需産業に吸い上げられなければならないのか。
 沖縄タイムスの【[社説]通常国会閉会 審議の形骸化 危機的だ】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1173975)によると、《国の在り方を変えかねない重要な法律が、まともな審議もなく次々と成立した国会の形骸化が一層浮き彫りになっている。最大の焦点は、政府が昨年末決定した反撃能力敵基地攻撃能力)を含む歴史的な防衛力強化だった。憲法9条の下、「専守防衛」を掲げてきた戦後日本の安保政策を転換させる内容だ。防衛力整備計画では今年度から5年間で約43兆円を注ぎ込むというが、政府が示した財源確保の手立てはどれも不確定要素が大きい。共同通信の世論調査では防衛力増税について「支持しない」との回答が8割だった。そもそもこれほどまでの防衛強化が必要なのか根本の議論が求められたが深まらなかった》。

   『●ニッポンの国会の惨状、キシダメ政権のデタラメ乱発…そんな悲惨な
     さ中、かすかなかすかな希望は ⇨《世界的なミュニシパリズムの潮流…》
   『●細田衆院議長《…したり、統一教会とズブズブだったりと品位やモラル
     の欠片もないわけで、それはもうプラカードの比ではないほど破廉恥》

 話は変わるが、以下のような記事を見つけた。
 琉球新報の記事【護郷隊長に「なぜ生きている」 帰らぬ15歳、母が見せた怒り 慰霊祭で戦闘是認の歌詞 元隊長の「人格者」像に抱える違和感】(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1733231.html)によると、《「ヌーガ、イャーガ、生きトーガ(なぜあなたが生きているのか)」―。突然聞こえてきた大声の先をたどると、庭先で母・ミトさんが小柄な男と向き合っていた。男につかみかかろうとする母、必死で止める周りの大人たち。母は構わず、方言で「お前も死ななかったのか」と続けた。漁師の父が釣った魚を籠に乗せて集落を売り歩く魚商で、いつも明るかった母。その母がぶつけた強烈な怒りに衝撃を受けた》、《■自慢の息子は山中のゲリラ戦へ 久高栄一さん(75)=金武町=は、本部町崎本部の実家で幼少期に経験した出来事を今も鮮明に覚えている。この日、実家を訪ねていたのは、陸軍中野学校出身の村上治夫元隊長。沖縄戦当時、本島北部地域で少年らで組織した第一護郷隊(第3遊撃隊)の隊長を務めた人物だった。1956年3月、戦後初めて沖縄の地を踏み、約2カ月間、元隊員の遺族を訪ね歩いた。久高家の長男・良夫さんは44年10月、15歳で第3遊撃隊に入隊した。集落で知られた「でぃきやー(優秀な人)」で、スポーツ万能、成績も優秀。だが、自慢の息子は自宅に戻ることはなかった。良夫さんの行方が親族に知らされたのは、58年6月のことだった。厚生省援護局長の報告で、45年5月27日に自宅近くの真部山で戦死したとされ、戸籍から除籍された。ユタ(民間巫者)嫌いだった母は、ユタを頼り「靴がないと言っている」と伝えられると山に向かい、靴をあぶって遺骨が見つかるよう願った。しかし、戦後78年が経過した今…》。

   『●『沖縄スパイ戦史』と《記憶の澱》…
     「護郷隊…中高生の年頃の少年たち…スパイと疑われた仲間の処刑…」

    《▼日本軍第32軍の周辺で起きた本島中南部の激戦を「表の沖縄戦」と
     すれば、映画が描くのは北部の少年ゲリラ兵部隊護郷隊」や八重山
     戦争マラリアなどの「裏の沖縄戦」。綿密な取材による証言と資料映像で、
     6月23日以降も続いた遊撃戦の実相をつづる》

   『●【<金口木舌>差別を乗り越える】…《アイヌ民族…差別を乗り越え固有
      の歴史、文化を守るすべを模索する状況は沖縄にも通じている》(1/2)
    《香山リカ×三上智恵対談…》《ただ、遺族感情はそれとは別です。
     久高良夫さんという戦死した少年兵のお母さんが唯一、村上さんに
     食って掛かった人でした。「何でおまえが生きているんだ」とつかみ
     かかったという話を、映画の中で弟さんがしています》

   『●《「慰霊の日」を迎えた。…鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊の悲劇が
      伝わる一方、護郷隊の過酷な運命は長年ほとんど知られていなかった》
   『●「戦争マラリア」…いま再び自衛隊配備で先島諸島住民を分断し、
                 「戦争や軍隊の本質」の記憶を蘇らせる…
   『●《戦争体験の継承はどうして必要》? 大矢英代さん《二度と同じ手段で
      国家に殺されないように、生活を奪われないように、知恵をつけること》

 キシダメ政権や自公お維コミ同様に、〝台湾有事〟なるものを煽るマスコミ報道。台湾の誰もが望まず、大半が現状維持。中国さいども〝台湾有事〟なるものを引き起こすメリットがない。それに、日本もアメリカも台湾は中国に帰属すると公言してきたではないか。何を一体煽っているのか? 軍事要塞化=《標的の島…《「集団的自衛権の行使」容認や「敵基地攻撃能力の保有」によって、沖縄が再び戦場となる危険性》が日に日に…高まっている、煽られることで。
 琉球新報のコラム【<金口木舌>本末転倒の報道に思う】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1732470.html)によると、《目的と手段、大事なこととどうでもいいことを取り違えることを「本末転倒」と言う。防衛省の「南西シフト」を巡る動きと昨今の報道をどう呼べば良いか ▼中国を敵視し、戦争準備と思わせるような動きが目立つ。報道もそれを支えているかのよう危機をつくっているのは誰か。この道はいつか来た道である》、《▼5年後の沖縄戦で戦争報道も破綻した。県民を死に追いやった新聞の責任は大きい。だからこそ他国を敵視する軍備増強にはあらがいたい。戦死者を英雄視する風潮にも。いつか来た道を歩むわけにはいかない》。

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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1173975

[社説]通常国会閉会 審議の形骸化 危機的だ
2023年6月22日 5:01

 通常国会が閉会した。

 国の在り方を変えかねない重要な法律が、まともな審議もなく次々と成立した国会の形骸化が一層浮き彫りになっている。

 最大の焦点は、政府が昨年末決定した反撃能力敵基地攻撃能力)を含む歴史的な防衛力強化だった。憲法9条の下、「専守防衛」を掲げてきた戦後日本の安保政策を転換させる内容だ。

 防衛力整備計画では今年度から5年間で約43兆円を注ぎ込むというが、政府が示した財源確保の手立てはどれも不確定要素が大きい。

 共同通信の世論調査では防衛力増税について「支持しない」との回答が8割だった。そもそもこれほどまでの防衛強化が必要なのか根本の議論が求められたが深まらなかった。

 エネルギー関連の五つの法改正をまとめた「GX(グリーントランスフォーメーション)脱炭素電源法」も成立した。東京電力福島第1原発事故後の規制から、原発推進への大転換である。

 岸田文雄首相が「原発依存度の可能な限りの低減」を撤回したのは2022年8月だ。その後、意見公募の機会も政府の説明も不十分なまま、経産省を中心に法案作成が進められた。

 原発事故が再び起きるのではないかという国民の不安や疑問に首相は答えようとしなかった。

 政府や与野党の議論がかみ合わないまま日程が消化され、数の力で強引に押し切られる-の繰り返しだ。党首討論も開かれず、議論で政策を練り上げる立法府の役割を果たしたとは言えない

■    ■

 野党の足並みの乱れも目立った。

 外国人の送還を強化する改正入管法や、健康保険証を廃止してマイナンバーカードに統一する改正法は、自民・公明両党のほか、日本維新の会と国民民主党も賛成した。

 どちらも反対の声が根強い。法が人権や生活の安心を脅かすのではないかとの国民の不安を置き去りにしたもので政府や与党だけでなく一部野党の姿勢も問われる。

 マイナンバーカードのトラブルは後を絶たず、立憲民主党は閉会中審査を要求した。

 首相も国会閉会後の会見で「(健康保険証の廃止は)国民の不安を払拭するための措置完了が大前提」と述べており、少なくとも来年秋の廃止は撤回すべきだ

 その上で速やかに臨時国会を開き、再度、改正法の妥当性などを集中的に議論する必要がある。

■    ■

 防衛力強化方針を受けて沖縄を含む南西諸島の「ミサイル要塞(ようさい)」が進んでいる。そうした中、今国会での米軍基地負担軽減の議論は置き去りにされた。

 国境を接する地域の軍備増強が、そこに住む人々を守れるのかという新たな懸念に対する議論も深まらなかった。

 法律をつくる国会では与野党の熟議が求められる。

 「異次元の少子化対策」や「防衛財源確保」など国の転換期を示すテーマの課題も積み残されたままで、正面からの議論が必要だ。
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●《戦争の記憶を継承…なぜ継承するのか。端的に言えば、過ちを繰り返さないためである…過ちを繰り返さないために過去の過ちから学ぶ》

2021年07月04日 00時00分16秒 | Weblog

 (2021年06月27日[日])
野村創記者による、西日本新聞の記事【「沖縄の犠牲は後世に伝える必要ある」平和資料館に集まる支援】(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/758191/)。
沖縄タイムスの【社説[コロナ下の慰霊の日]記憶継承へ支援の輪を】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/774549)。
琉球新報の【<社説>「慰霊の日」に誓う 沖縄戦の教訓を後世に】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1342597.html)。

 《新型コロナウイルスの影響で厳しい経営が続く、沖縄県の平和資料館に全国から寄付が寄せられている。太平洋戦争末期の地上戦で多くの住民が犠牲になった沖縄。その体験を後世に継承する資料館の存続を願う人々の思いは、職員の心の支えにもなっている》。
 《休館中の県平和祈念資料館は23日も開けないという。慰霊の日のさまざまな行事は、沖縄戦体験を継承していく上で重要な役割を果たしてきた。コロナの影響でそれができなくなったのである。ひめゆり平和祈念資料館など沖縄の代表的な資料館はコロナの影響で来館者が激減し、軒並み、苦しい運営を強いられている》。
 《県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦の組織的戦闘が終結してから76年。昨年同様、コロナ禍の中で「慰霊の日」を迎えた。防衛隊鉄血勤皇隊女子学徒として戦場に動員された90歳以上の世代は県人口の1.4%。小学生だった80歳以上を含めても7%にすぎない(2020年「住民基本台帳年齢別人口」)。体験者から証言を聞くことがますます難しくなった》。

   『●対馬丸事件の教訓…《この悲劇は、いったん戦争に巻き
     込まれればいかなる対象も、攻撃される対象となる危険性》
    「沖縄タイムスの記事【「いつまでも忘れないこと」 吉永小百合さん
     対馬丸記念館へメッセージ 戦争で撃沈、犠牲の児童らに想い】…
     《メッセージの中で対馬丸で犠牲になった子どもたちについて触れ、
     「私達はしっかりと胸に刻んで、いまを生きる。いつまでも忘れない
     ことが大切です二度と戦争をしないという強い思いのなかで
     吉永小百合」と色紙にしたためた》」

   『●《「忘れない、風化させない、なかったことにしないために」
      …反戦平和、反核、反原発を明確に打ち出す発言》を躊躇わず
   『●戦争の記憶の継承…《大谷昭宏さんから伺った話。「戦争の記憶が
     風化する中、語り継ぐ一つの手段が見えるのでは」と水を向けられ…》
   『●沖縄イジメ、辺野古は破壊「損」の張本人が元最低の官房長官。
     そして今、さらなるデタラメ・ヒトデナシをやろうとしているオジサン
   『●《自民党右派の議員秘書にトランプの評価を問うと「戦争をしなかった
       大統領」と胸を張った。米国は分断という内戦を戦っていたのだ》
   『●「自衛隊派遣によって治安はかえって悪化する」、政府の政策に
     逆らえば…衆院テロ対策特別委員会委員は国会参考人の発言を打ち切り…
   『●《「真実を後世に伝えることが生き残った自分の義務」と心の傷を
     押して語り部を続け大きな足跡を残した》安里要江さんがお亡くなりに…
    「平和な社会への《語り部》の皆さんの重要な貢献。特に、
     《沖縄戦の語り部》の皆さんは高齢化している。そんな中、
     戦争の記憶をどのように継承していくのか。
     《「真実を後世に伝えることが生き残った自分の義務」と心の傷を
     押して語り部を続け大きな足跡を残した》安里要江さんがお亡くなりに
     なったそうです」

   『●大矢英代さん《沖縄の状況がいかに理不尽かということも、今回の
     アメリカ大統領選から日本人は学ぶべきなのではないでしょうか》!

 平和な社会への《語り部》の皆さんの重要な貢献。特に、《沖縄戦の語り部》の皆さんは高齢化している。そんな中、戦争の記憶をどのように継承していくのか。《「真実を後世に伝えることが生き残った自分の義務」と心の傷を押して語り部を続け大きな足跡を残した》安里要江さん。どう戦争の記憶を残し、戦争を回避するのか。戦争の記憶の継承、《語り継ぐ》。でも、今のような自公政権やお維が幅を利かす世の中では…。まず、そこから変えていかないと。
 《「忘れない、風化させない、なかったことにしないために」》。(沖縄タイムス社説)《戦争の記憶を継承していくためには、継承する理由がはっきりしなければならない。なぜ継承するのか。端的に言えば、過ちを繰り返さないためである。アジア・太平洋戦争は日本を破滅に導いた過誤に満ちた戦争だった。…過ちを繰り返さないために過去の過ちから学ぶ。慰霊の日は、戦没者を追悼するとともに、そのことを再確認する日でもある》。(琉球新報社説)《「慰霊の日」は鎮魂と同時に沖縄戦の書き換えを許さないことを確認したい。そして世界の人々と共に、軍事力に頼らず人権侵害、難民、飢餓、貧困、抑圧のない積極的平和の実現を誓いたい》。

   『●目を逸らす本土…「米国側からみた心温まる
      ヒューマン・ストーリーだけではなく、そこに暮らす人々」に…
    「「慰霊の日」に際して、「沖縄全戦没者追悼式」でのアベ様の挨拶の
     前に、「平和の礎あらゆる戦争を正当化させない思いでつくった
     県民の礎でしょ。そこへ戦争屋の安倍がのうのうと挨拶すること自体が
     県民として許せません」(『報道特集』2017年6月24日)。
     県民の怒りの声は届かないロバ耳東風な「戦争屋のアベ様」」

   『●《「慰霊の日」を迎えた。…鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊の悲劇が
     伝わる一方、護郷隊の過酷な運命は長年ほとんど知られていなかった》
   『●水木しげるさんの言葉を…《戦争に向かうハードルが低く…
       戦争の怖さが(若者の)耳に届きづらい》恐ろしい世に
    《沖縄タイムスの【社説[慰霊の日に]知ることから始めよう】…
     《こういう時期だからこそ、沖縄戦の実相をより深く学び、
     戦争の記憶を引き継ぐ意味を心に刻みたい。きょう沖縄は
     「慰霊の日」を迎える。県民の4人に1人が犠牲になった
     沖縄戦から75年の節目となるが、今年の「6・23」は新型コロナ
     ウイルスの影響で慰霊祭の中止や規模縮小を余儀なくされている》》

   『●《8月ジャーナリズム》と《沖縄にとって戦争は遠い昔話ではない。
     沖縄は、今も一年中、戦争の延長線上を生きている》(大矢英代さん)

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https://www.nishinippon.co.jp/item/n/758191/

「沖縄の犠牲は後世に伝える必要ある」平和資料館に集まる支援
2021/6/21 6:00 (2021/6/21 11:44 更新)
野村創

     (武田正勝さんの手紙を持つ対馬丸記念館
      外間邦子常務理事=那覇市)

 新型コロナウイルスの影響で厳しい経営が続く、沖縄県の平和資料館に全国から寄付が寄せられている。太平洋戦争末期の地上戦で多くの住民が犠牲になった沖縄。その体験を後世に継承する資料館の存続を願う人々の思いは、職員の心の支えにもなっている。

 ひめゆり平和祈念資料館(糸満市)には6~20日に7429件、3200万円超の寄付が集まった。職員がツイッターで「危機に直面している」と協力を呼び掛けると瞬く間に拡散。「戦争を知らない世代が増える中、皆様の取り組みに敬服いたします」などのメッセージも添えられた。

 ひめゆり学徒隊の惨劇を紹介する資料館は昨年度、入館者が前年度から9割近く減った。公的補助は受けておらず、職員の賞与を減額して運営を続ける。普天間朝佳(ちょうけい)館長(61)は「平和の尊さを学ぶ大事な場所だと受け止めてもらったと感謝している。コロナ禍を耐え、難局を乗り切る努力を続けたい」と話した。

 対馬丸記念館(那覇市)にも寄付が相次いでいる。

 「大切な記念館存続のためにお使いください」。5月上旬、福岡市の医師武田正勝さん(85)からこう記した手紙が届いた。

 記念館は、1944年に沖縄を出港した対馬丸が米潜水艦に撃沈され、疎開学童ら1500人近くが犠牲になった歴史を伝える。自らも戦争を体験した武田さんは本紙で記念館の窮状を知り、寄付を思い立ったという。「沖縄の犠牲は後世に伝える必要がある。生きている限り支援を続ける」と語った。

 記念館によると、2019年度の寄付金は744万円、20年度は933万円だった。特に年会費2千円の協力会員が増えているという。23日には沖縄戦の戦没者を悼む「慰霊の日」を迎える。外間(ほかま)邦子常務理事(82)は「平和のため、未来の子どもたちのため、自分ができることはないかと、多くの人が考えてくれたことがうれしい」と感謝する。

(那覇駐在・野村創)
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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/774549

社説[コロナ下の慰霊の日]記憶継承へ支援の輪を
2021年6月23日 06:27

 対馬丸記念館の裏手、那覇市若狭の旭ヶ丘公園に「海鳴りの像」がある。

 米軍の攻撃で撃沈された戦時遭難船舶の犠牲者を祭る慰霊碑である。刻銘されている犠牲者の数は1900人を超える。

 アジア・太平洋戦争で艦船が撃沈されて亡くなった海没死者の総数は、35万8千人に達するという。

 「海鳴りの像」は戦争死のもう一つの側面を伝えるモニュメントでもある。

 遺族会はコロナ禍で昨年に続き今年も、慰霊祭を中止せざるを得なくなった。

 新型コロナウイルスが猛威を振るう中、沖縄はきょう23日、緊急事態宣言下の慰霊の日を迎える。

 糸満市摩文仁平和祈念公園で行われる県主催の沖縄全戦没者追悼式は、参加人数を26人まで絞る。

 通常、5千人規模で開かれることを考えれば、縮小ぶりが際立つ。

 休館中の県平和祈念資料館は23日も開けないという。

 慰霊の日のさまざまな行事は、沖縄戦体験を継承していく上で重要な役割を果たしてきた。コロナの影響でそれができなくなったのである。

 ひめゆり平和祈念資料館など沖縄の代表的な資料館はコロナの影響で来館者が激減し、軒並み、苦しい運営を強いられている。

 とりわけ、ひめゆり資料館は展示内容をリニューアルし、再スタートしたばかり。見てくれる客がいないのは、スタッフにとって精神的にもきつい。

 かつてない事態だ。

■    ■

 支援の動きはさまざまな形で表れ始めている。

 MONGOL800のキヨサクさんの呼び掛けに民謡歌手の古謝美佐子さん、Kiroroの玉城千春さんが応え、ひめゆりの塔前でミニライブが開かれた。

 慰霊の日にネットで有料配信し、寄付を募るという。

 「平和と呼ぶには遠く、歴史にするには早い」。キヨサクさんの歌のメッセージは、若者に届く言葉の大切さに気付かせてくれる。

 白梅学徒隊の体験を継承するために結成された「若梅会」(いのうえちず代表)の活動もユニークだ。

 学徒の足跡をたどれる地図作りやリモート講話など、インターネットを駆使した継承に取り組む。糸満市真栄里にある白梅之塔が老朽化しているため、修繕に必要な費用の支援も呼び掛けている。

 次世代継承の「新しい形」が、さまざまな場で生まれつつある。

■    ■

 戦争の記憶を継承していくためには、継承する理由がはっきりしなければならない。なぜ継承するのか。端的に言えば、過ちを繰り返さないためである。

 アジア・太平洋戦争は日本を破滅に導いた過誤に満ちた戦争だった

 首里を撤退した後、6月に入って非戦闘員の死者が激増したのはなぜか。

 過ちを繰り返さないために過去の過ちから学ぶ。慰霊の日は、戦没者を追悼するとともに、そのことを再確認する日でもある。
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https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1342597.html

<社説>「慰霊の日」に誓う 沖縄戦の教訓を後世に
2021年6月23日 05:00

 県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦の組織的戦闘が終結してから76年。昨年同様、コロナ禍の中で「慰霊の日」を迎えた。

 防衛隊鉄血勤皇隊女子学徒として戦場に動員された90歳以上の世代は県人口の1.4%。小学生だった80歳以上を含めても7%にすぎない(2020年「住民基本台帳年齢別人口」)。体験者から証言を聞くことがますます難しくなった

 一人でも多くの貴重な体験を記録し、「命どぅ宝」「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓を後世に伝える決意を新たにしたい。

 76年経過した今、沖縄戦の実相が国家のお墨付きを得てゆがめられている。容認できない事態だ。2022年度から使う教科書検定に合格した自由社の中学歴史教科書は、沖縄戦をこう記述している。

 「日本軍はよく戦い、沖縄住民もよく協力しました

 県民が「よく協力しました」という表現は実態と異なる。沖縄戦直前、日本軍は大規模な防衛召集を実施し約2万人の県民を動員した。師範学校や旧制中学校など14歳以上の男子学徒も防衛召集された。しかし法的な根拠ははっきりしない。女子学徒についても軍の看護婦として召集するような法的根拠はない。

 「沖縄県史」は「県、特にその責任者である知事が、当時の法に則って軍の要求に抵抗していれば、学徒たちの悲劇は避けられたか、少なくとも大きく軽減できた可能性は高い」と指摘している。

 さらに防衛召集の対象ではない多くの民間人まで義勇隊、救護班、炊事班として根こそぎ動員した。

 本紙連載「国策の果て・根こそぎ動員の実態」(15日付)に登場する大城富美さん(92)は、救護班として負傷兵の看護に当たるよう命じられた。大城さんは当時16歳。皇民化教育に染まった住民にとっては断ることのできない、いわば「強制」だった。「言われた通りにしなければ、生きていけなかった」と大城さん。「ありったけの地獄を一つにまとめた」と米軍が表現するほどの戦場で負傷兵の看護に当たった。

 こうして多くの住民が根こそぎ動員によって戦闘に巻き込まれた。日本軍は「軍官民共生共死」の方針によって、住民にも軍人同様に死ぬことを求めた。

 「日本軍はよく戦い」という表記も適切ではない。日本軍は兵士に生還を許さない陸、海、空の特攻を命じた。大本営が作成した沖縄戦の戦訓は「爆薬肉攻は威力大なり」と記述している。つまり「よく戦い」の実例として、爆薬を抱えた自殺攻撃を挙げている。これが実態である。

 「慰霊の日」は鎮魂と同時に沖縄戦の書き換えを許さないことを確認したい。そして世界の人々と共に、軍事力に頼らず人権侵害、難民、飢餓、貧困、抑圧のない積極的平和の実現を誓いたい。
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コメント
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●【<金口木舌>差別を乗り越える】…《アイヌ民族…差別を乗り越え固有の歴史、文化を守るすべを模索する状況は沖縄にも通じている》(1/2)

2021年06月24日 00時00分50秒 | Weblog

サケ漁をするアイヌ民族の畠山敏さん… (東京新聞2019年9月2日)↑】


(20210503[])
(その2/2へ)
集英社新書プラスのロング対談【対談 戦後75年 沖縄戦を生き抜いた人たちの思いをどう伝えるか?/香山リカ×三上智恵対談 前編】(https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/kayama_mikami/10110)と、
【対談 沖縄戦をはじめ歴史検証で、証言者を失うことの意味/香山リカ×三上智恵対談 後編】(https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/kayama_mikami/10122)。

 《護郷隊の生き残りたちの証言を丹念に拾ったドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」を撮った三上智恵監督は、映画に収まりきらなかった膨大な証言と、取材を継続する中で浮かび上がった事実を『証言 沖縄スパイ戦史』にまとめた》。
 《三上智恵監督は、映画に収まりきらなかった膨大な証言集を『証言 沖縄スパイ戦史』にまとめた。750ページの大著は今年2月の発売直後から注目を集め、重版を重ね、このほど4刷が出来(しゅったい)した。その三上氏と、平和運動や反差別運動にも携わる精神科医・香山リカ氏が、沖縄、戦争と平和、差別、ジェンダー、コロナ禍について、縦横無尽に語りあった対談の後編》。

   『●《「慰霊の日」を迎えた。…鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊の悲劇が
     伝わる一方、護郷隊の過酷な運命は長年ほとんど知られていなかった》
   『●《戦争体験の継承はどうして必要》? 大矢英代さん《二度と同じ手段で
     国家に殺されないように、生活を奪われないように、知恵をつけること》

 琉球新報のコラム【<金口木舌>差別を乗り越える】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1288773.html)によると、《▼成績優秀だった清水さんは教師になった。近年は市民団体「コタンの会」共同代表としてアイヌ民族の権利回復運動に取り組む。ただ幼少時からの被差別体験のせいで、自身の出自を公表するまで長い年月を要した ▼日本テレビの情報番組「スッキリ」でアイヌ民族に焦点を当てたドキュメンタリー番組を紹介…視聴者から批判があり、同社は「アイヌの方たちを傷つける不適切な表現があった」と謝罪した ▼アイヌ民族は政府の同化政策で固有の歴史や文化、言語などを否定されてきた。差別を恐れ、出自を隠して生きるアイヌ民族は今も多い。しかし国内での理解はまだ深まっていないようだ ▼番組で紹介された動画はアイヌ民族の萱野りえさんが米国の先住民族と交流する物語だ。言語や文化を取り戻す活動をする先住民女性は「私のすることは全て先人の夢である」と語る ▼出自と向き合うことに迷いを抱える萱野さんにこの言葉が勇気を与えた。差別を乗り越え固有の歴史、文化を守るすべを模索する状況は沖縄にも通じている》。
 東京新聞の記事【アイヌ不適切表現で日テレ謝罪 社長「責任重く受け止める」】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/93046?rct=culture)によると、《日本テレビの情報番組がアイヌ民族に不適切な表現を使った問題で、小杉善信社長は22日の定例会見で「公共性と多様性、基本的人権を尊重することが求められているマスメディアにおいて、こうしたことがあったことの責任を大変重く受け止めている」と謝罪した。小杉社長は「アイヌ民族の皆さまが差別を受けてきたことへの理解が制作担当者に足りておらず、放送した言葉が直接的な差別表現であることの認識が欠如していた」と説明。今後さらに検証し、再発防止策をまとめる予定だとした。12日放送の情報番組「スッキリ」で、出演者が披露した謎かけの中にアイヌ民族を差別する言い回しがあった》。

   『●麻生太郎氏…《誰も誤解など生じていない。間違っているのに
      誤解と言い張っているだけで謝罪にも訂正にもなっていない》
    「【政界地獄耳/79歳麻生太郎の「責任と自覚」とは】…《麻生は
     総務相時代の05年にも「一文化、一文明、一民族、一言語の国は
     日本のほかにはない」と発言している。政府は昨年5月に
     アイヌ民族先住民族と明記したアイヌ施策推進法を施行している。
     …誰も誤解など生じていない。間違っているのに誤解と言い張っている
     だけで謝罪にも訂正にもなっていない。それでいて12日には成人式の
     来賓あいさつで「皆さんがた、もし今後、万引でパクられたら名前が
     出る。少年院じゃ済まねえぞ。…」》」


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https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/kayama_mikami/10110

対談
戦後75年 沖縄戦を生き抜いた人たちの思いをどう伝えるか?
香山リカ×三上智恵対談 前編
2020.8.14

太平洋戦争末期、日本軍第32軍牛島満司令官が自決し1945年6月23日に終わった表の戦争の裏で、沖縄北部では、少年兵部隊〝護郷隊〟が山にこもってゲリラ戦を継続していた。彼らを率いたのは陸軍中野学校出身の青年将校たちだ。少年たちは故郷の山で、敵の武器を拾って戦い、死んでいった。
そんな護郷隊の生き残りたちの証言を丹念に拾ったドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」を撮った三上智恵監督は、映画に収まりきらなかった膨大な証言と、取材を継続する中で浮かび上がった事実を『証言 沖縄スパイ戦史』にまとめた。
750ページの大著は今年2月の発売直後から注目を集め、増刷を重ねている。
その三上氏と、平和運動や反差別運動にも携わる精神科医・香山リカ氏が、沖縄、戦争と平和、差別、ジェンダー、新型コロナ禍について、縦横無尽に語りあった。
構成・文=稲垣收 撮影=三好妙心


コロナ禍の下で続く沖縄差別や分断は
戦争中から行われていた


三上 香山先生の沖縄地元紙の連載はいつも読んでいます。よく沖縄に来られますよね?

香山 よく、というほどではないんですが……沖縄とは、いろいろご縁があって……最初に沖縄に行くことになったきっかけは、後で詳しく話しますが、実はこの8月22日に、沖縄出身の総合診療医の徳田安春さんとの対談本『医療現場からみた新型コロナウイルス』(新日本出版社)が出るんです。
 徳田先生はNHKの「総合診療医 ドクターG」とかにも出て、若手の教育を一生懸命やっている人で。沖縄出身ですが、ずっと本州、東京でも活躍していたんですけど、2017年に沖縄に戻って。
 その徳田先生が去年ぐらいから平和の問題に関しての発言を始めていて、今年3月には『医師が沈黙を破るとき』(カイ書林)という本も出されてます。
 私は徳田先生が書かれた医学の教科書をずっと読んで医者として勉強させていただいて尊敬していたんですね。その先生が急に平和問題のこともすごく発言されるようになって、去年たまたま先生の講演会が東京であったので、私も行って初めてお会いしたんです。
 今年コロナ禍が始まってから徳田先生はすごく一生懸命、PCR検査を保健所を介さなくても医者の判断でできるようにさせてください、という署名活動を始めたりして。

三上 医師の判断で検査できないのは、おかしいですよね。

香山 すごくおかしいです。それで、8万ぐらい署名が集まって、厚労省もちょっと動いたりした。そのことでも私、「ああ、徳田先生すごいことやっている」と思って、すぐに連絡して、YouTubeで対談を何回かして、それを対談集にまとめてもらうことになったんです。
 だから徳田先生のいる沖縄は、PCR検査をけっこう早い時期から、保健所を通さなくても、医師会がやるということになっていたので、しばらくずっと感染者数が抑えられていたじゃないですか。

三上 はい、5月、6月は新規感染者はゼロでした。

香山 68日間も感染者ゼロだったのです。でもここに来て、人口10万人当たりの感染者数が日本一という状況になっています。一つは米軍基地のクラスター、もう一つは観光の再開によって増えたのは明らかです。でも、そこには沖縄戦の時代からずっと通底しているものがあると思うんです。沖縄に対する構造的な差別の仕組み、いつも沖縄が犠牲になるという。
 で、一旦こういう事態になると、菅官房長官は「前から療養施設を確保すべきであると言っていたのに」と苦言を呈したり、本土の人たちも「沖縄は観光で食べていくしかないし、米軍がいなくなったら経済的にも困るんだから仕方ないでしょ」みたいな言い方する人もいる。いつか見た風景です。いつも同じことの繰り返しだと思うんです。

三上 そうですよね。米軍人やその家族がなぜか検疫も受けずに日本に入れるのか、その特別扱いに日本政府は何も言えない。米軍基地の中のどれだけの人が感染しているかということも、当初は、「軍の秘密だから明らかにできない」って言いましたよね。「いくら何でもそれはないでしょう」って玉城デニー知事が一生懸命訴えて、ようやく、感染者数は出してくれるようにはなったんです。本当の数字かどうか確かめようがないですが。
 でも、やっぱり「米軍基地の中にどれだけ感染者がいて起動力が弱っているかということを中国に知られたらよくない」という理由で、「軍の中のことは機密である」というふうに、常に軍隊のいる地域というのは、軍の都合を優先し人権が制限されていく。とんでもないことだと思います。北谷ちゃたんの、私たちが普通に行く、観光客も来るホテルが、実は米海兵隊に借り上げられていて……。

香山 軽症者の療養施設になっていたというね。

三上 そうそうそう。もしかしたら感染しているかもしれないという移入者を2週間隔離するのは基地の中の施設を使うのが当たり前だと私たちは思っていたのに、それが基地の外の普通のホテルだったり。

香山 ゲートも、その後も普通に開いたままで、中で日本の従業員の方も働いていて。そういうことに対して「おかしい」と言ったりすると、沖縄の中からも「いや、私たちにも米軍は大切な存在です」と体制寄りの人が発言したりする。あるいは「観光も必要ですから来てください」と言う旅行関係の方もいる。
 こういう、ある種の分断の構造、沖縄の中でもそういう意見の違いが出てきて、今度は内部でその人たちが対立しなきゃいけないという構造に、またなってしまいますよね。基地をめぐる構造と同じです。


民心掌握、相互監視……
陸軍中野学校で徹底的に学んで沖縄入りした将校たち


香山 この『証言 沖縄スパイ戦史』を読むと、沖縄の中でこんなふうに「スパイだ」と名指しされて処刑される人が出てきたり、まだ十代の少年たちが見よう見まねでゲリラ戦をさせられたりしますね。規律を守らせるために上官が暴力を振るうんじゃなくて、子供同士でビンタをさせられたり、リンチみたいなことが起きたり。もう本当に、地元の人たち同士が対立したりするような構造に持っていくという。今現在、沖縄で起こっている分断の構図も、沖縄戦の頃からそうなんだな、というのが一番印象的でした。

     (第一護郷隊隊長 村上治夫)

三上 この本の巻末に「教令一覧」として、沖縄戦までに日本軍が作成したゲリラ戦のマニュアルを列挙しましたが、最後の『国内遊撃戦の参考』というのが、護郷隊という少年兵部隊を率いた中野学校出身の青年将校、村上治夫隊長・岩波壽隊長たちが中野学校で教わった時の教科書です。それには、ちゃんと書いてあるんです。
 住民の協力なくして秘密戦はできない。普通の住民たちが絶対に協力して軍の側についてくれて、一心同体になって裏切らず秘密も保持して、でもお互いに監視させて、最後は武器を持って戦わせるというところまで、住民を全部使っていかないことには勝てないんだ、と。こういう教科書を頭に入れて彼らは沖縄に来ているわけですね。
 だから護郷隊を組織したのも、たまたま兵隊適齢期の17歳以上がもういないから15~16歳の少年たちを使ったということはあるんですが、少年たちを使うことで、彼らのお父さんお母さんは護郷隊には何があっても協力しないといけなくなるわけです。食料提供もそうですけど、米軍が「食べ物ありますよ。殺しませんよ。下りてきてください」と投降を呼びかけても、自分の息子が山の中で今戦っているのに、これを裏切って米軍に投降できないですよね。
 だから、日本軍はどうやら形勢不利だし、米軍につかないともう殺されちゃうかもしれないと思って、ばらばらと山を下りる住民たちもいるけど、自分の息子が護郷隊にいたら、最後まで「日本軍を裏切るのか? アメリカにつくなんてあり得ない」という立場になります。そうやって民心を掌握するすべというのを何重にも勉強した上で、中野学校の人たちは沖縄に入ってきていたんです。
 自衛隊は専守防衛ですから、敵が侵略してきて自国が戦場になるシミュレーションをしています。地域の住民を使ってゲリラ戦をやるという想定は現在の私たちとも無縁じゃない。でも先の大戦で「実は国内でゲリラ戦があったんだ」ということ自体が知られていないから想像することすらできない、もうそれ以前の問題なんですよね。だから、まずその事実を知ってもらいたいなと思ってドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」を撮り、映画に収まりきらない証言や追加取材の話も入れて、『証言 沖縄スパイ戦史』を書いたわけです。


岐阜や北海道でも少年兵によるゲリラ戦を準備していた

     (第二護郷隊隊長 岩波壽)

香山 この本を読むと、沖縄以外の地域でも、少年兵を使ったゲリラ戦の計画があったことがよく分かりますね。岐阜県の方の証言が出てきます。でも、本当にここまでの規模で実行されたのは沖縄だけ。そこでも沖縄というのがある種、捨て石みたいにされたんだな、というのもよく分かりました。
 たとえば学徒出陣とかで若い人が兵隊に行ったという話は私たちも聞いていましたが、それは、自分が生活したり学校に行ったりしている地域を離れて、どこか遠く、たとえば南方に出征するというイメージだった。でも沖縄戦の場合は地元じゃないですか。自分が暮らしていたところのすぐそばで、こういうゲリラ戦をやらなきゃいけなくて。家にご飯食べに走って帰る、みたいな話も出てきたりして。
 そんな生活と一体化したところで、それまでの生活と全く断絶されて兵士になっていくというのも、最初はイメージできなかったんです。兵隊になるって、もう全然違う場所で違う生活をすることなんだ、というふうに思っていたので。でも、そうやって生活の延長としての戦争、というものがあったわけですね。
 しかも、それがある種の作戦だったわけですね。「自分らの子供たちが地元で戦っているんだから協力しよう」みたいにさせる、という。

三上 ええ。この本に出てくる岐阜県の野原正孝さんに、一昨日、もう一度会いに行ったんですよ。陸軍中野学校の宇治分校の卒業生で、今年98歳なんですが。野原さんも、それまで中野学校の宇治分校のことは、「死ぬまでしゃべらない」ということで卒業しているから、長年誰にも話さなかったし、世間の人も誰も知らなかったんです。でも去年、地元の岐阜新聞の記者・大賀由貴子さんに話したのをきっかけに、そういう話をするようになって。大賀さんが映画「沖縄スパイ戦史」を見て、私に連絡をくれて、野原さんを紹介してくれたんです。

     (「国土決戦教令」)

 取材してから、野原さんはハガキを下さって、「三上さんと出会って、わしの人生面白くなってきた」みたいなことを書いてくれていたんです。でも、この本を出来上がってお送りしたら、またハガキが来て、「こうやってちゃんといろんな知識のある人によって歴史的に位置づけられたものを見る時に、一抹の寂しさを感じます」と書いてあって。

香山 どうしてですか。

三上 結局、すごい武勇伝でもあるし、理解されないところを理解してもらったのはうれしかったけど、自分は岐阜でこの山と川を使って戦うんだということをやっていて、少年兵を使ってその練習もしていて、それをやらないで済んでよかった、誰も傷つけないでよかった、と。でも、この話がどんなふうに位置づけられるのかなと思った時に、たぶんこれを全体で読んだら「国内で地域の少年を使って戦おうと思っていた」ということって、善か悪かでいえば悪い印象しかないですよね。中野学校がやったことというのは、そういうことだったんだ、と。そういうふうに位置づけられていくことが寂しいというか。
 戦争末期に日本の軍隊は何を守ったのか。それは兵隊個々の思いはさておき、「国体」というものになっていって、軍隊が住民を守ることもできなくなって、最後は「住民は兵器だった、消耗品だった」とまで、野原さんははっきり言っている。「武器・弾薬はもうなくて、消耗していいのは十代の若者の命だけだった」と。今の常識では、あり得ない言葉ですよね。そういう流れで見ていくと、やっぱり野原さんは、証言して良かったのかどうか、信じて命がけでやったことを肯定されないとしたら辛くなってきますよね。だから、一抹の寂しさがある、と。

香山 なるほど。私的な記憶だったのがこうして歴史の中に位置づけされると、また違って見えてくるかもしれませんね。

三上 その時の忠誠心や、日本のためと思ってやった、ということに嘘はない。それだけは言える、というようなことがそのハガキに書かれていたから、私は野原さんを傷つけてしまったんだろうなと、すごく気になっていて……。それでまた会いに行ったんですよ。そしたら、お土産も買っていてくれて、手縫いのマスクをたくさん作って待っていてくださって。それで、すごく楽しい時間を過ごしてはきたんですけど。

香山 そうですか。でも生きているあいだに話せて、ご自分なりに整理がつけられたのはよかったのではないでしょうか。

三上 でも、一昨日お会いしたのは野原さんだけじゃなくて、98歳の野原さんと同い年で、陸軍中野学校のもうあと数人しかいない生き残りの方でした。彼は北海道出身で、護郷隊を率いた村上・岩波両隊長と同じ三乙というクラスで中野学校を出て、北海道に戻って遊撃戦の準備をしていたんですね。つまり北海道でも、敵が侵攻してくれば北海道の人と遊撃戦を戦う、という計画があったんです。岐阜では、岐阜出身の野原さんがやれ、ということで、地域のつながり、地縁、血縁、それに、知識というものを総動員して戦え、と。
 戦後もソ連が北海道に攻めてきたら、北海道を使ってどうやって遊撃戦をやるかという検討を続けているんです。その時の参考に陸軍中野学校が沖縄で護郷隊を使ってどういう戦いをやったかということが、そのまま参考にされているんですよ。今もずっと続いているんです。

香山 まったく知りませんでした。終戦で切断されたわけではなかったのですね。北海道が故郷の私にとっては衝撃的です。


慰霊碑の前で泣きじゃくった晩年の村上隊長

香山 私は精神科医だから、登場人物の気持ちもすごく気になったんですけども、これに出てくる護郷隊を率いた陸軍中野学校から派遣された岩波と村上という人、その人たちがどういう人なのかというのが、読んでいてすごく分かるような、分からないような感じがしました。護郷隊にいた人たちは皆、決して彼ら隊長たちのことを悪く言わないわけじゃないですか。それが単純にエリートで頭がいいというだけじゃなくて「とても思いやってくれた」みたいなことを言う人もいたり。あるいは「戦後もずっと沖縄に通って慰霊をしてくれた」とか。そうやって子供たちの心をつかむというのも、実は中野学校での教育の成果というのもあるんですかね。

三上 それもあると思います。人心掌握のために、地域の人たちの心をどうやってつかむかということも村上さんは自著の中で言及もしています。部下の出身地と親の職業を覚える、と。また訓練中ですが、勉強を教えたりもしています。ただでさえ軍国教育で忠誠心を叩き込まれている少年たちが、そういうふうに接してもらったら、「この人と生死を共にしよう」と思いますよね。
 でも、本当に真心というか、「誠」という言葉を中野学校出身の人たちはとても大切にしているんですけど、誠の気持ちで子供たちに接していたとも思います。彼ら自身の心の中でも、嘘とかごまかしとか、「こうやっとけば、あいつらついてくるぜ」というような気持ちはなく本当に誠からやっていたかもしれない。でも結果的に少年たちの気持ちをしっかりつかんで遊撃戦をやれたのですから、元上官からすれば素晴らしい作戦遂行能力だったと評価されるでしょうね。

香山 自分が暴力を振るうんじゃなくて、子供同士で殴り合わせて暴力的な管理をしたと、いうのもそうですよね。じゃあ、戦後慰霊のために毎年通っていたのは、本当に本人たちの個人的な思いなんですかね。

三上 それはそうだと思います。村上さんのほうが数は多く、1年も休まずに来ていて、岩波さんは2年に1回くらいのペースで。でも、晩年はあんまり岩波さんはいらっしゃらなかったんです。岩波さんは自著に「全ては悲しい出来事で振り返りたくない」と書いています。
 でも村上さんは、もう通って通って、通うことで、自分の中にある、やまない声というものを静めたかったのかな、と私は思ったりします。晩年は車椅子で最後の何年間かはいらっしゃっていたけど、一番最後に、顔をくしゃくしゃに崩して泣きじゃくったのを見て、みんなが呆然としたということがあったんですけど……。やっぱり、どうやっても自分の中で収めることのできない思いというのがあったんだろうなと。

香山 逆に言うと、戦争中は、ある種の洗脳に近い教育が彼らに対してもあったということですかね。

三上 これは私も逆に香山さんにお聞きしたいんです。村上さんは、本当に「ラストサムライ」みたいな感じで、正義感も強くて、部下に対する思いも熱く、男としての生き方も非の打ちどころがない。私がもし当時出会っていたら惚れていたんじゃないかというぐらい、性格もスパッとした仁義の人だったと思うんです。
 戦時中も部下の少年たちに、そういうふうにして接してきて、戦後も、罪を償うために彼は十分やったよねと、部下たちは認めていたと思うし。ただ、遺族感情はそれとは別です。
 久高良夫さんという戦死した少年兵のお母さんが唯一、村上さんに食って掛かった人でした。「何でおまえが生きているんだ」とつかみかかったという話を、映画の中で弟さんがしています。そういうふうに、もちろん少年兵の遺族には恨まれもしたけど、ほとんどの人からは、あれだけ誠意を尽くした人はいない、と思われるところまでは頑張った。
 それでも、あれだけの少年たちの命を犠牲にして自分は生き延びてしまった、ということを、自分の中で自分を許すことができなかったのかな、と思うんです。わんわん泣くというのは、どういう気持ちだったんだろうな、と。

香山 この本の中にも、瑞慶山良光(ずけやま よしみつ)さんという、戦後にPTSD(心的外傷後ストレス障害)で苦しんだという元少年兵の方が出てきますが、沖縄戦のPTSDの問題って、一部の精神科医によってしか研究もされていなくて……。

三上 そうですね。私も、心療内科医の蟻塚亮二先生が沖縄で本格的に取り組み始めた時に一緒に取材させてもらいましたが、戦争のPTSDに関しては、広島、長崎のほうが全然進んでいて、沖縄戦に関しては、全く手をつけ始めた頃だったですね。

香山 私も蟻塚先生とある研究会で御一緒させていただいているんですけど、蟻塚先生が、老人ホームとかでいろいろ聞き取りをしていてハッと気づかされたというのが、認知症になって最近のことは覚えていないけど、むしろ昔のことがよみがえってきてしまって、今起きたかのように感じることがある、と。たとえば死体を踏んで歩いたという感触がよみがえってきて、すごい恐怖に襲われる方もいる、という話を聞いて、そうかと思って。
 それまでは理性で抑え込んだり、仕事で忙しかったりして覆い隠していたものが、認知症になると、根源にあった不安とか恐ろしい体験、恐怖心というのがむしろよみがえっちゃうことがあるんだ、と。さっきの村上さんが号泣したというのも、そういうことかもしれないですね。

三上 まさにそうだと思うんですよ。それまで自分の生き方とか常識とか蓄積した信頼関係とかが抑えになっていて「もう罪も許されたかもしれない」という後から上書きしていったものが、消えてしまって。

香山 そうそう。蟻塚先生は、年を取ればもうつらいことも忘れられるのかと思ったら、逆だと言うんですね。これはすごく残酷なことだな、と思いました。

三上 そうなんですよね。だから、この映画のキャッチコピーに、「もう、忘れていいよ。わたしがここで、覚えてるから」とつけたんです。
 私が辺野古や高江の基地反対の現場にずっと行っていると、沖縄戦を体験したおじい、おばあが一番頑張っているんです。時間があるというだけじゃなくて、戦争体験があって、自分だけが生き延びてしまったことを肯定できない、という思いを抱えているお年寄りがすごく多くて。「自分は生き延びたのに、基地が残ってしまってまた戦争が起こるかもしれないことに対して、何にもしないわけにはいかない」って基地反対のデモに出ているわけです。

香山 そうですね。まさにご自分の心的外傷と戦っている姿にも見えます。

三上 これだけ時間が経っても戦争で受けた心の傷を癒すどころか「基地を残したまま死ぬことはできない」という思いがつのっていく。だんだん思考がまだらになって行くのなら悲しすぎる記憶は忘れていってほしいのに、逆にそこがどんどん鮮明になっていってしまう、というのが本当につらいので……。「その苦い記憶は私たちが引き継ぎますから」っていうことは、口はばったくて、私も何年も言えませんでした。でも、少しでも引き受けて「私たちが覚えているから、もう忘れて」と。「このまま、こんな重いものを持ってあの世へ行けない」と言わないで、もう忘れていいよ、私たちが覚えているから、という気持ちで、大矢英代(おおや はなよ)(映画「沖縄スパイ戦史」の共同監督)とこの言葉を作ったんです。

香山 なるほどね……今もまだ解決していない、沖縄戦を生き抜いた人たちのそういう思いがあるにもかかわらず、沖縄っていまだに差別を受け続けているわけですよね。


沖縄やアイヌ民族に対する新たな差別が始まっている

香山 私が沖縄にちょっと関わるようになったのが、2016年に琉球新報の新垣毅(あらかき つよし)さんが東京支社に赴任して来た際、家を借りようと思ったら断られたという事件もきっかけの一つでした。「琉球新報には貸さない」と大家が言った、と。
 その頃私は、在日の朝鮮・韓国の人たちへの差別の反対活動に関わっていて。あと私は北海道出身なのでアイヌ差別にも反対していました。とくに人種差別、民族差別はナチスをはじめとして大虐殺にもつながります。絶対にあってはならないことと思うのです
 アイヌの方は彼らが置かれてきた状況から所得も低かったり大学進学率も低かったり、結婚する際もいまだに差別されたりということがあるんですが、それに加えて新しい差別も起きています。2019年5月にアイヌを日本の先住民族と認めるアイヌ新法が施行され、今年は「ウポポイ(民族共生象徴空間)」という施設も北海道にオープンしました。でも逆に「それでいい思いをしているだろう」ということを言う人たちがいて。アイヌ新法施行に当たって政府がパブリックコメントを募集したら、寄せられた6305件の大半がアイヌ民族の存在を否定するなどの差別的な表現で占められており、約98%が公表の対象外となっていたことを北海道新聞が報じていました。

三上 そんな高い割合でですか。

香山 「アイヌ民族など存在しない」とか「アイヌ民族は先住民族ではない」「アイヌ民族への差別はなかった」といったまったく根拠のない差別的コメントが大半だったのだそうです。
 私はそういう差別反対運動にずっと関わっていたんですが、新垣さんの記事を読んで「えっ、沖縄に対してもそういう差別があるのか」と気づきました。その頃ちょうど作家の百田尚樹さんが自民党の勉強会で「沖縄タイムスと琉球新報は潰れたほうがいい」みたいな発言をしていた影響もあるんでしょう。不動産会社の話では、大家さんが右派的な人なので、と言われたと。

三上 私もその時のこと、強烈だから覚えています。でもあの件は民族や人種差別というニュアンスではなく「左翼がかった新聞社には協力したくない」という感じだったのでは。

香山 そうそう。でも新垣さんがいろいろ調べたら、昔も「琉球民族には貸せない」というような差別を受けた人がたくさんいた、と。

――1950年生まれの翁長雄志元沖縄県知事も、法政大学に通っていた頃、「琉球人には部屋は貸せません」という差別を受けた、と語っていますね。そうした差別は東京や大阪でも多かったようです。

香山 そういう昔からの差別に加えて、また新しい差別が起こっている。アイヌと同じですね。「琉球民族」とか、「彼らに自己決定権を」とか言う人は「左翼だ」「反日だ」と言われて
 2013年に翁長さんら沖縄の全自治体の首長さんたちが銀座でオスプレイ反対デモをしたら、「反日!」という罵声をすごく浴びて衝撃を受けたと、生前、繰り返しおっしゃっていましたよね
 ただでさえ沖縄は日本で唯一地上戦を経験し、戦後は長年アメリカに支配され、復帰後も差別されてきた歴史を引きずって、いろんな不利益を被っているのに、また今、新しく声を上げるだけで「反日だ」とか「売国奴だ」と言われる。差別の位相が変わったと思います。あまりにもひどい話です。


誰が当事者なのか?

香山 2016年にその新垣さんの事件があって、在日コリアンへの差別に反対していた私の仲間も「これ、沖縄も同じなんじゃないか」ということに気づいて。ちょうどその後に、高江ヘリパッド建設反対のデモを鎮圧しに、7月に機動隊が千人来るというできごとがあったんです。それで私の友人の添田充啓そえだ あつひろ君も高江に行ったんです。そして彼らが「高江ではひどいことが起きている。東京で差別反対をやっている人は皆来るべきだ」と言うんで、私も行くようになったんですけど。
 そうしたらそこで添田君たち東京からデモに行った人も、沖縄平和運動センター議長の山城博治(やましろ ひろじ)さんと一緒に逮捕されて、山城さんは5ヵ月勾留されたけど、添田君は199日勾留されて……。彼は裁判では執行猶予だったんですけど、長期勾留でもう本当に心身がボロボロになりました。それがもとで血圧が安定しないなどいくつも病気を抱えることになり、結局2年前に亡くなったんですよ。最期まで沖縄についても勉強を続けていて、本当にかわいそうでした。

三上 そうですよね。何とも言えなかったですね。
 でも、その高江ヘリパッド建設反対が盛り上がっていたころ、「香山リカが来る!」という情報がネトウヨを中心に大袈裟に取り沙汰されましたよね。「香山さんが辺野古や高江とかに関わることは許せない」という人たちがいることに、私はすごくびっくりしたんです。多くの有名人も駆け付けていた中で、あれって何だったんでしょうね。

――よそ者や門外漢は口を出すな、ということだったんでしょうかね?

香山 でも私は、それに関しては、彼らにちょっと感謝しているところがあって……。どこまで当事者じゃない人間がかかわっていいか、ということを深く考えさせてもらいました。
 それまで私も、精神科医としては社会的な弱者の方たちの問題にもいろいろ関わってきました。精神疾患になる人たちは、精神疾患になるというだけでも社会的に弱い立場になるわけですから。
 でも「差別に反対するのは、当事者以外の人が余計なこと言っちゃいけないんじゃないか」という思いが自分の中にずっとあったんです。たとえばアイヌのことも「アイヌの人は言っていいけど、私は搾取してきた和人の側だから私が口を出したら、おまえ何言ってんだよ、と言われるんじゃないか」と思ったり。
 でも世界的に「スタンドアップ・フォー・サムバディ」、つまり「自分以外の誰かのために声を出してもいいんだ」という考え方が2000年代に広まってきて。「当事者をむしろ前に出しちゃいけない、当事者以外の人がやるべきなんじゃないか」と。イラク戦争とか、東日本大震災後の原発の問題でも特にそうですね。福島の人が声を出すのは当たり前だけど、「別に福島の人じゃなくたって声を出していい」という流れが出来てきて。それで、在日差別に反対して声を上げることを在日じゃない人がしてもいい、というようになってきました。
 ただ沖縄のことは、「ウチナンチュでもない私が……」とか「東京から物見遊山みたいな感じで押しかけたりしちゃいけないんじゃないか」という思いもあったんです。だけど先に東京から行った添田君たちは「何言っているの? これは日本の問題なんだから誰だって当事者だし、別に沖縄の人じゃなくたって声上げていいんだよ」と言ってくれて、「ああ、そうなんだ」と思って私も行ったんです。当事者ではないのでおそるおそるでしたし、批判もあって当然と思います。

三上 その「当事者性」ってすごく大事な問題ですね。たとえば辺野古の海の埋め立てについて、誰が当事者なのか? 辺野古の集落の人が、その海の埋め立てについて第一発言権があるのか? これだけ地球規模でサンゴ礁がなくなっていく中で、このサンゴ礁も奪われたら、もう海洋環境を取り戻すことができないかもしれない。これに関しては、海洋環境を憂う人はどこの誰でも発言権はあると思います。たとえばそこに住んでいない学者でも、サンゴのことを研究している人が「辺野古の地先を埋めるなんて、地域の人が100%いいと言ったって駄目です」と言う権利もあるし。「価値が分かる人が当事者だ」と私は思っているんです。
 だから、「そのことの重大性が分かって、そのために居ても立っても居られない気持ちになる人が当事者であって、解決能力を唯一持っている」と私は思っていて。そこに住んでいても、血統がどうであっても、関心がない、気づかない人はたくさんいるし、闘いたくない人もいる。
 辺野古に戦前からずっと住んでいて、日本軍が来るわ、米軍が来るわ、基地が造られるわ、みんなモメてるわで、そこにいる人たちは、ニュースも見たくないし、外から来てワーワー反対運動をやっている人を見ても、気分が悪いとしか思わない。そのことを自分の人生から外したいと願って生きている人に、「でも、当事者でしょう。頑張って考えて」と言うこともまた、私は暴力だと思うんです。だから、考えない自由も、逃げる自由も、「そこにいるんだから頑張りなさい」と言われない自由もあると思います。

香山 そうですね。だけど、そういう発言しない人や見たくない人が利用されちゃうこともありますね。たとえば高江のある東村でパイナップル農家をやっていて「ヘリパッド反対の人たちが来てうるさくてしょうがない」とかというような思いの人もいるわけですよね。すると「ほら、村の人も迷惑だと言っています」とかいうのを声高に言う人もいる。

三上 そうそう。辺野古の人たちのところに行っては「反対運動の人って嫌でしょう」と聞いて回っているメディアもあります。

香山 そういう意味では、誰も本当に中立とか無関係ではいられないんですよね。「私は政治的なものを見たくないから、そういうのとは一切離れていよう」というのは、今の社会では、残念だけどあり得ない。

三上 あり得ない。政治的じゃない事柄って世の中にないですよね。「自分は中立」という絶対安全な丘にいて、いつもそこから物を眺めたいという気持ちは分かるけど、絶対的な中立の地点なんて人間に測ることができるはずないし、偏らず思考することも無理ですよね。


「芸能人は政治発言するな」という欺瞞

香山 残念なことに、「ニュース女子」という番組の問題(*)もありましたけど、基地に反対する人たちを「反日勢力」だとか「売国奴」だとか「外国の支援を受けている」みたいに言う人たちの声が、今すごく大きくなっちゃっている。

――「芸能人は政治発言するな」などという言説は多いですね。モデルのローラさんがSNSで辺野古の埋め立てに反対発言を出したら、テレビでも「勉強が足りない」「黙ってろ」と言われたり。

香山 そうですよね。

三上 5月に小泉今日子さんが「私、更に勉強してみました。読んで、見て、考えた。その上で今日も呟かずにはいられない。#検察庁法改正に抗議します」とツイートしたら、「政治的な発言をするな」って叩かれましたよね。「キョンキョンがそんなこと言う必要はないんだ」「アイドルの延長線上のフワッとした存在でいるべきだ」なんて、50代の女性に向かって、全くナンセンスなことを言う人たちが大勢いました。
 でもキョンキョンがこの話題を呟いた時に叩きに行く人って、香山先生が高江に来た時に「おまえが行くな」みたいなことを言った人と、何かグループが似ていると思いました。それまで自分が辺野古について発言するチャンスもなかったし、人権派として行動するような素養もなくて、でも何となく反対運動やっている人ってやな感じ、と思っている置いてけぼりさんが、同じく門外漢だと思っていたある人が辺野古や高江について発言したりすると、「何でおまえがやるんだ」って叩くことで、何もしていない自分を肯定して溜飲を下げるという。まともな発言をする人をみんなでコキ下ろしたって、決して自分が上がることはないのに、SNSがそういう場を提供している面があります。

香山 でも逆に、芸能人が政権を支持するような発言をしても「政治的だからやめろ」とは言われないわけじゃないですか。「安倍さんも頑張ってますよね」とか「今の政府はやることやってますよ」とか「みんな、足を引っ張るのはやめましょう」とか「応援しましょうよ」とか言えば、むしろ覚えがめでたい

三上 そうですね。だから、自分は主流派に乗りたい、多少媚びてでも何も考えないで勝ち組に乗っていたいという人たちにも、後ろめたさがあるんじゃないですかね。

香山 そうですね。本当に勢力が拮抗していれば、何も発言しないのは中立かもしれないけど、今こんなに権力のほうが肥大化している時に何も発言しないのは、実は知らない間に権力側に加担しているわけです。「いや~、私、政治は分かりません」とか言っていると、知らない間に権力側を後押しすることになる。

三上 そうですよ、完全に。A政党とB政党というのが拮抗していたら、どっちに偏るとか、二項対立みたいな構図が一時的に描けると思うんですけど、今って自公という勝ち馬と、そこに乗り切れない人たちと伝統的な野党がいろんな形で離合集散しているけど、全然バランスも取れてない。でも、「勝ち馬に乗ることでしか自分の安泰の道はない」という思考の人からしたら、「政府に反対する人たちを皆で叩いて、勝ち馬を絶対のものにしておいたほうがいい」という集団心理が働くのかも。だから「沖縄問題にコミットする人は、何となく自分たちの立場を危うくするんじゃないか」と感じるんじゃないですかね。

香山 うんうん。そういう人は、言い訳のように、「私も沖縄は大好きなんですよ」とか「移住したいぐらいです」「一年に何回も行くんですよ」と私的体験を話すんですよね。それからおもむろに「でも基地反対とかは、ちょっと……」と言う。つまりその人にとって沖縄というのは、ただの癒やしの島として利用するだけで、行って自分がリラックスさせてもらえばいい、としか思ってない。「沖縄大好きなんだけど」とか言いながら「でも、基地はそちらにお願いしたい」なんて都合よすぎますよ。
 沖縄の人でも何人か、デマゴーグみたいな人がいるじゃないですか。でも、その人たちがすごく声が大きかったり、そういう右派的な発言をする女性が産経新聞とかのお正月特集で安倍総理と一緒に晴れ着を着て写っていたことがありましたよね。

三上 でも彼らが沖縄の一般の人たちにどれだけ影響力があるかというと、あまり存在も知られていないのではないでしょうか。一部のメディアが「沖縄の人たちにもこういう人がいるんだ」とか、「実は基地反対より、こういう意見が多いんだ」と騒いで彼らに力を与えているだけで。

香山 そうなんですね。少しホッとしたような気もしますが、でも安心はできないですね。

(後編に続く。後編は8月18日アップ予定)

*「ニュース女子」問題:東京の地上波放送局TOKYO MXの情報番組「ニュース女子」2017年1月2日放送回で、「沖縄の基地に対する反対運動には日当が払われていた」などとする報道があり、「事実関係が間違っている」「沖縄に対する偏見を煽っている」など多数の視聴者意見が放送倫理・番組向上機構(BPO)に寄せられ、BPOは審議・調査の結果、MXが番組内容を適正にチェックせず、中核となった事実についても裏付けがないとして「重大な放送倫理違反があった」と発表。その後、同番組のMXでの放送は打ち切られた。同番組は、化粧品大手ディーエイチシーのグループ会社「DHCテレビジョン」が取材・制作し、MXは完成版の納品を受けて放送していた。

プロフィール
香山リカ(かやま りか)
1960年、北海道出身。東京医科大学卒業。精神科医。立教大学現代心理学部教授。著書に『「独裁」入門』(集英社新書)、『オジサンはなぜカン違いするのか』(廣済堂新書)、『ヘイト・悪趣味・サブカルチャー  根本敬論』(太田出版)、『皇室女子 〝鏡〟としてのロイヤル・ファミリー』(秀和システム)、『劣化する日本人 自分のことしか考えられない人たち』(ベスト新書)、『しがみつかない生き方 「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール』(幻冬舎新書)など著書多数。8月22日に徳田安春氏との共著『医療現場からみた新型コロナウイルス』(新日本出版社)発売。

三上智恵(みかみ ちえ)
ジャーナリスト、映画監督。毎日放送、琉球朝日放送でキャスターを務める傍らドキュメンタリーを制作。初監督映画「標的の村」(2013年)でキネマ旬報ベスト・テン文化映画部門1位他19の賞を受賞。フリーに転身後、映画「沖縄スパイ戦史」(大矢英代との共同監督作品、2018年)は、文化庁映画賞他8つの賞を受賞した。著書に『証言 沖縄スパイ戦史』(集英社新書)など。9月25日、本編114分に加え73分に及ぶ特典映像も収録した映画「沖縄スパイ戦史」DVD(紀伊國屋書店)が発売に。
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(その2/2へ)

コメント
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●【<金口木舌>差別を乗り越える】…《アイヌ民族…差別を乗り越え固有の歴史、文化を守るすべを模索する状況は沖縄にも通じている》(2/2)

2021年06月24日 00時00分49秒 | Weblog

サケ漁をするアイヌ民族の畠山敏さん… (東京新聞2019年9月2日)↑】


(20210503[])
(その1/2へ)
集英社新書プラスのロング対談【対談 戦後75年 沖縄戦を生き抜いた人たちの思いをどう伝えるか?/香山リカ×三上智恵対談 前編】(https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/kayama_mikami/10110)と、
【対談 沖縄戦をはじめ歴史検証で、証言者を失うことの意味/香山リカ×三上智恵対談 後編】(https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/kayama_mikami/10122)。

 《護郷隊の生き残りたちの証言を丹念に拾ったドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」を撮った三上智恵監督は、映画に収まりきらなかった膨大な証言と、取材を継続する中で浮かび上がった事実を『証言 沖縄スパイ戦史』にまとめた》。
 《三上智恵監督は、映画に収まりきらなかった膨大な証言集を『証言 沖縄スパイ戦史』にまとめた。750ページの大著は今年2月の発売直後から注目を集め、重版を重ね、このほど4刷が出来(しゅったい)した。その三上氏と、平和運動や反差別運動にも携わる精神科医・香山リカ氏が、沖縄、戦争と平和、差別、ジェンダー、コロナ禍について、縦横無尽に語りあった対談の後編》

   『●《「慰霊の日」を迎えた。…鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊の悲劇が
     伝わる一方、護郷隊の過酷な運命は長年ほとんど知られていなかった》
   『●《戦争体験の継承はどうして必要》? 大矢英代さん《二度と同じ手段で
     国家に殺されないように、生活を奪われないように、知恵をつけること》

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https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/kayama_mikami/10122

対談
沖縄戦をはじめ歴史検証で、証言者を失うことの意味
香山リカ×三上智恵対談 後編
2020.8.18

太平洋戦争末期、日本軍第32軍牛島満司令官が自決し1945年6月23日に終わった表の戦争の裏で、沖縄北部では、少年兵部隊“護郷隊”が山にこもってゲリラ戦を継続していた。彼らを率いたのは陸軍中野学校出身の青年将校たちだ。少年たちは故郷の山で、敵の武器を拾って戦い、死んでいった。
そんな護郷隊の生き残りたちの証言を丹念に拾ったドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」を撮った三上智恵監督は、映画に収まりきらなかった膨大な証言集を『証言 沖縄スパイ戦史』にまとめた。
750ページの大著は今年2月の発売直後から注目を集め、重版を重ね、このほど4刷が出来した。
その三上氏と、平和運動や反差別運動にも携わる精神科医・香山リカ氏が、沖縄、戦争と平和、差別、ジェンダー、コロナ禍について、縦横無尽に語りあった対談の後編をお届けする。
構成・文=稲垣收 撮影=三好妙心


「日本兵が殺しに来た」記憶がよみがえったヨネちゃん

三上 私、この本の中に出てくる「18歳で日本軍のスパイリストに載った少女」のヨネちゃんのことで香山先生に聞いてみたいなって思っていたんです。ヨネちゃんは「九死に一生を得るという体験は普通、人生で1回しかないはずですけど、私には3回ありました」と語ってくれました。1回目は大阪の工場で働いていて戦争が激しくなって沖縄に帰る時「対馬丸」という船に乗ったんだけど米軍に攻撃されて、いったん宮崎に退避しつつ那覇まで来たですがその直後、同じ船が潜水艦に攻撃されて沈没して。1日違えばそこで死んでいた、と。もう1つは、物資を集積した船が家の前の海に来て、米軍の爆撃を受け目の前でみんなが死んで、海に手足が浮いているようなところを命からがら帰ってきたと。3回目は戦後、アメリカ兵に強姦されそうになって殺されかけた時です。
 でもそれ以外に、戦争中、日本軍からスパイの嫌疑をかけられて殺されそうになったけど、武下少尉という人が「屋我地島のヨネちゃんとスミちゃんを殺す奴は僕が殺す」と言って止めてくれたから殺されなかったという話を、私に何度も繰り返し、してくれたんです。
 ところが映画の撮影も編集も全部終わってから、武下少尉のお父さんが少尉について書いた本が見つかり、米軍に射殺された少尉が最後に1人の女の子の写真を持っていたという記述を見つけて、私はヨネちゃんの写真だろうと思ったんです。ヨネちゃんはたぶん武下さんが好きだったし、23歳の武下さんも海軍に誠心誠意協力してくれる18歳のヨネちゃんのことをかわいいと思っていたんじゃないか、この写真はたぶんヨネちゃんのだろう、と早合点して、リハビリ施設に入っているヨネちゃんのところに聞きに行ったんです。写真が出てきたわけじゃないんですけど、屋我地島のハンセン病療養施設「愛楽園」というところで「食料配分の事務をしていた女性だった」と書かれていたので、ヨネちゃんに、「これ、米子さんでは?」と聞いたんです。
 そしたらヨネちゃんが、「ああ、それは私じゃない。その写真はスミちゃんだ」と言ったんですね。「ヨネちゃんとスミちゃんを殺すやつは、俺が殺す」と武下少尉が言っていたという、そのスミちゃんのほうだったんです。
 後からいろいろ総合して考えると、島の同級生だったスミちゃんのほうが武下少尉と、より近しかった。武下少尉は飢えている部下を救うために愛楽園のお米を横流ししてもらっていたわけで、愛楽園の事務をしていたスミちゃんが大事な役割を果たしたんだろう、と。そして武下少尉が最後まで持っていたのはスミちゃんの写真だった。
 でも、私がその写真の話をした日にヨネちゃんは初めて、「実は夜中に男が5、6人入ってきて『ヨネコはいるか』と言って、自分を殺しに来た」という話を、私にしたんですよ。

香山 それが4つ目の、死にかけた話……。そんなことがあったんですね。

三上 そうそう、4つ目の話。「ヨネちゃん、殺されるから逃げてください」と別の水兵が言いに来たという話も何度も聞いていたけど、いつもその話は「武下さんが止めてくれたんだよ」という結末で終わるパターンだった。でも、その日初めて「実際、蚊帳をめくって『どこだ、どこだ』と言って土足で上がり込み自分を殺しに来た」と。真っ暗な中で、家の裏口から畑の中に転がり出て、お母さんと二人で逃げた、と。
 だけど、その「殺しに来た」という最もショッキングな話を、なんでそれまでしなかったんだろうと思って。あまりにつらい話だから、少し憧れていた武下少尉が助けてくれたという話にして、自分でも覆ってきたのかなと。
 そのかさぶたみたいなものを、私がはがしてしまったのか。最後まで持っていた写真はスミちゃんの写真だったんだ、と知らせてしまったせいで、と思いました。

香山 でも、その4つ目の話というのは、事実かどうかもちょっと分からないですよね。

     (「国民抗戦必携」)

三上 そうですかね……。でも、それ、ほんとにリハビリ施設の廊下のベンチで、もう私帰ろうと思って、もう1人の人を待っている時だったんですけど、ヨネちゃんは、何かすごい遠い目をして、急にその話をしたんですよね……。それで私も、すごくショックを受けて。だって「ヨネちゃんとスミちゃんは武下少尉が守ったから日本兵は殺しに来なかった」という話を映画でも伝えちゃったのに、実は殺しに来たんだ、と。つまり「ヨネちゃんとスミちゃんを殺すやつは、俺が殺す」と言った言葉では、武下少尉は部下や同僚の残虐行為を押さえられなかったわけですよね。
 結局、スパイ探しをして処刑することぐらいしか自分たちの飢えと不安を乗り越えるすべもなくなっていた海軍の敗残兵たちが、そういう血なまぐさい集団として夜中に行動する中で、18歳の女の子を家まで殺しに来たわけですよね。そこで彼女が逃げなかったら、女性として初めてスパイ虐殺の対象になったかもしれないという……。そんな話だったなら、映画の作り方も全然変わっていたと思うんです。

香山 その武下少尉の話で、ある種自分のファンタジーを完結させていたんですかね。

三上 そういうことってあると思います?

香山 あるんじゃないですか。何度も何度も反復することで、そのファンタジーのほうを自分の中では事実だというふうに言い聞かせていた、ということはあるかもしれない。それが心を守るためにも必要だったんでしょうね。

――でもそのファンタジーが、最後まで持っていたのは自分じゃなくて他の女の人の写真だったということを知って、崩れ去ったと。

香山 崩れ去ったと言うより、もうファンタジーを持ち続ける意味もなくなった、というか。長いこと、自分でそういうファンタジーを作っていたけど、もうその必要もなくなった、と。そうじゃなかったら、三上さんがその写真を見せても、「ああ、これは私だ」と言ったと思いますよ。だから、ヨネちゃんにとっては、それを言えてよかったと思います。自分でもうすうす武下少尉の思いは別のところにあるかもと気づきながら、自分の中でファンタジーを作ることで、ある種ボカしてきたみたいなところもあったはずだから、言えたのはよかったと思います。
 写真の、スミちゃんという人は、どうなったんでしたっけ?

三上 スミちゃんは、もうとっくに亡くなっているんですが、普通に結婚して、屋我地島の近くでで一生を終えたようです。スミちゃんは日本軍には狙われていないんです。
 ただ、武下さんがアメリカ軍によって殺されて、その手帳の中からスミちゃんの写真が出てきたためにスミちゃんは米軍の怒りを買い、お米を日本軍に横流しするのに協力したということで、その後、逮捕されます。だけどみんなが助けて、事なきを得るんですけども。でも一度は米軍に「敗残兵に協力した女」として捕まるところまでは行ったんです。だから、スミちゃんが生きていたら、この人の話も聞きたかった。もしかすると、最愛の武下さんを米軍に殺されてしまったという悲劇ですよね。でもご家族の手前、話すことはできなかったかな。……。


戦時中だけでなく現在も続く根深い女性差別

三上 これは本にも書きましたけど、戦前、強い日本軍という触れ込みであんな若い男の人たちが大勢島に入ってきた時に、駐留先の若い女の子たちにしたら、「天皇陛下に尽くしたい」「今ここの地域に駐留している海軍や陸軍の兵隊さんに協力したい」という思いと同時に、憧れもあっただろうし、将校だったりしたら輝いて見えただろうと思うんです。でも、そういう気持ちで日本軍に協力していたという話も、戦後、全くタブーになってしまった。「最後まで日本軍に尻尾を振っていた女ども」みたいに、地域の男社会から断罪されたりして。
 戦前戦中、権力も経済力もある日本軍に尻尾を振っていたのは男も同じで、女の人だけじゃない。でも、戦後になってから、「日本軍に必要以上に協力していたんじゃないか」「慰安婦でもないのに、そういうことまでして日本軍を追いかけ回していたんじゃないか」と揶揄されるような女性たちがいたり……。
 戦後は、この間までは日本軍に尻尾を振っていた男たちが、米軍とうまくやっていかないと、もう地域の生活が立ち行かないわけだから、あんなに憎いと言っていた米軍基地の中で働いて、プライドもなにもない状態で、アメリカにすり寄って生きていくわけですよね、沖縄では。だけど、その米軍相手の商売をする女性たちに対しては男の人たちが輪をかけて差別をするわけです。
 だから、日本軍にやられ、米軍にやられた男集団は、その情けなさからなのか、日本兵や米兵に体を売ったり、こびを売ったりして生きていく女を余計に軽蔑することで自分を保っているような部分がある。そんな風潮の中で、沖縄戦前後の女性の体験談の聞き取りはとても難しいという……。

香山 なるほど。沖縄における女性の問題というのも本当に根深いですよね。
 上間陽子さん(琉球大学教育学研究科教授)が『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』(太田出版)という本には10代で妊娠、出産し、恋人や夫の暴力から逃げてシングルマザーになり水商売で働く女性たちがたくさん出てきますよね。また、『東京貧困女子』(東洋経済新報社)で話題になった中村淳彦さんは、今回のコロナ禍での女性の貧困の問題を『新型コロナと貧困女子』(宝島新書)という本にいち早くまとめました。その中では沖縄の歓楽街、松山のキャバクラで働く女性にも取材していますが、「もう貧困とか、そういうレベルじゃないんです。松山のキャバ嬢はシンママ(シングルマザー)がばかりだから、パニック」と彼女たちが置かれているとても厳しい実態について話してます。

三上 ええ。男性社会の鬱憤みたいなものが、そういう仕事をやっている女の人に向けられていくところって、戦争の話が出てこなくなる、大きな理由の1つです。戦争証言で、被害を受けた話とかは比較的受け止められやすいからできるけれども、どうやって日本軍を支えて、その後その地域からどんな差別を受けて生きてきたかなんていう話は、全く出てこないし記録されることもない。そのことに私、去年、初めて気づいたんです。
 こういうのって、たとえば、NHKの「チコちゃんに叱られる!」に出ている岡村隆史さんがね、「コロナ明けたらなかなかの可愛い人が、短期間ですけれども、美人さんがお嬢(風俗嬢)やります。短時間でお金を稼がないと苦しいですから」っていう、本当に下の下の発言をラジオでしましたよね。そんな人が何で許されてNHKの番組に今も出ているのか、と。これ、何か日本の男社会の病巣の深さを見る思い。見るたびに不愉快な発言を思い出すので見なくなりました。大好きな番組だっただけに残念です。

香山 本当ですよね。先ほどの本にも繰り返し書かれているのは、歌舞伎町にしても沖縄・松山にしても、水商売とか風俗業で働く女性たちは、「普通の暮らしがしたい」、それだけだと。男の人からは、「遊ぶ金欲しさ」とか「派手な生活がしたいんだろう」みたいに言われるけど、とんでもないと。みんなギリギリで生活してて、シングルマザーだったり仕送りのない学生だったり、普通の生活をするためにそういう仕事をせざるを得ない、と。それなのに、「そういう人たちは好きでやっているんだ」とか「自分も楽しみたいからだ」と言われ続ける。病気になっても自己責任と言われます。これはまさに雇用の問題ですよね。正社員にはなかなかなれない、バイト代も極端に安く抑えられている、そういう中では子どもがいたり学校に通っていたりする女性たちは、昼間の仕事だけでは生活ができない仕組みになっているのです。特に沖縄ではそうじゃないですか。

三上 橋下徹元大阪府知事が以前、「海兵隊は、沖縄の普通の人をレイプするくらいなら風俗の人のところに行ってくれ」という趣旨の発言をしましたよね。お金を払ったら誰も傷つかないと本気で思うのでしょうか。これは女性には二種類いるという男性都合の許しがたい考え方です。「普通の女性、たとえば自分の妻とか娘なんかの操は守られるべきだけれども、納得してお金で解決できる女の人もいるんだから、そういう女の人のところに行ってください」という論理です。これに対しては、日本中の女性全員が怒るべきだと思うんですよ。
 たとえば20歳になったときに、客室乗務員でもモデルでも女優でもOLでも風俗嬢でも、どれを選んでもいいよと言われて、風俗を選ぶ人がいるはずないじゃないですか。なのに「物分かりのいい女がいるから、そっちに行ってください」というようなことを言ったあの橋下さんも岡村さんも、いまだにテレビに出続けているというのは、大衆がそれを許しているから。人の不倫はあんなに責めるのに、女性差別については追及が甘いのが情けない。

香山 本当ですよね。自分たちがそういう社会を作って女性たちを追い込んでいるのに、「好きでやってる」と思い込もうとしている。

――橋下徹発言で思い出すのは、終戦直後に日本政府が占領軍に対する“性の防波堤”として設置した「特殊慰安施設協会」ですね。占領軍兵士による一般女性への強姦を防ぐため、55千人の娼婦を募集したという。のちに総理になる池田勇人が当時大蔵官僚だったんですが、この協会の資金調達をしたそうです。

三上 終戦直後の満州でも、岐阜県の黒川村の人々が匪賊の襲撃から守ってもらうために、ソ連兵に「性的な接待」をして村人の保護を約束してもらうということもありました。その論理の中でも理解できないのが「兵隊さんとして戦争に行っている人の奥さんは守らなきゃいけない」と言って、まだ結婚する前の十代の女の人たちに、ソ連兵の接待をお願いしたんですよ。
 「守られるべき操を持った女性」という大多数のグループがいて、その対価として、「そうじゃない人たち」を差し出す、みたいなことがあちこちで行われた。「ある一定の人が諦めれば、この大きなグループの操、母であり、妻であり、妹や娘である大切な人たちが守られるんだ」という本当にとんでもない考え方を肯定している日本男性が、今この瞬間にもいっぱいいるんですよ。だから、岡村さんのあの発言も許されるんだと思う時に、煮え湯を飲まされた女性たちの歴史を考えてしまって、本当にはらわたが煮えくり返る思いで。

香山 今コロナ問題でテレビに毎日出ている西村康稔大臣も2012年にベトナムで買春をしたと週刊文春に報じられてますね。つまり「その人たちだってお金が欲しくてやっているんだから、別にどっちも傷ついてないんだから、いいじゃないか」みたいな考えを持ってるわけですよね。

三上 戦争中の従軍慰安婦についても、「あの人たちは高給取りだから選んできたんであって、軍隊の命令で連れていった、とか無理強いしたなんてことは一切ない」と言う元軍人に何人もお逢いしています。「いや、無理やり連れてこられたと言っている人たちは1人や2人じゃないから、そういうことだってあったんじゃないんですか」と言っても「いや、日本軍は規律が厳しかったからそんなことないと思う」と譲らない。

――どこの国の人も「私の国の軍隊は規律が厳しく品行方正だ」と言うんですよね。僕はこれを日本の30代の女性からも聞いたし、ロシアでもイスラエルでも一般の人から聞きましたけど。結局「自分の国の軍隊は悪いことはしない」と肯定したがる。

三上
 それは陸軍中野学校出身のМさんという人も言っていました。「従軍慰安婦というのは捏造で、これは情報戦だ。韓国、北朝鮮、あの半島の人たちの諜報戦に日本が負けたということなんだ。これを全く信じてしまっている日本の人たちがいるが、中野学校式の諜報戦というものがちゃんと機能していたら、こんなふうになっていない」と、100%捏造という立場で。

――産経新聞が中心になって、数年前からそういう「歴史戦」というキャンペーンをやっていますからね。戦史研究家の山崎雅弘さんが『歴史戦と思想戦 歴史問題の読み解き方』という集英社新書の中で書いていますが、その産経などの「歴史戦キャンペーン」では、「中国や韓国が捏造して、そういう情報戦をやっている、日本はその情報戦に勝たなければならない」と。

三上 うん、私もその本、読みました。もう、そういうところまで来ているんですよね。

香山 従軍慰安婦の問題といえば、去年の「あいちトリエンナーレ」での少女像などのことで、高須病院の高須医師が旗を振り、名古屋市の河村市長も応援団長だかになって、愛知県の大村知事をリコールするための運動を始めているじゃないですか。日本の男性たちの慰安婦とされ、心身に深い傷を受けた女性たちを慰めるための少女像で、そこまで彼らがエキサイトする理由がまったくわかりません。そのあいだに名古屋市はコロナの対策が遅れに遅れ、感染者が激増しています
 市長が知事に反旗を翻しているものだから、スムーズに協力を仰げない状態になっているのです。今や市民の生命の危機になっているわけです。

三上 そんなことで機能不全を起こしていたら本末転倒ですね。

香山 本当ですよ。「ここまで執念深いのは何なんだろう?」と恐ろしくなります。今は県知事リコールの理由として「その芸術祭の作品で、昭和天皇の写真を燃やす動画を見せたものがあったから」とか言っていますが、最初は明らかに市長も少女像を問題にしていました。写真などでみなさんご存じと思いますが、あどけない少女がベンチに座っているだけの、何の攻撃的なメッセージも感じさせない像です。それに対していい大人がこぞって反対している理由が、全く分からないです。
 おそらく、彼らの中には日本の男性の歴史の恥部である、この従軍慰安婦というものを絶対に認めたくないんですよね。

三上 一番嫌な「男の連帯感」ですね。

香山 まさに、さっき三上さんがおっしゃったように、女性を完全に2つに区分して、「お金で、喜んでそういう性的なこともする女」と「そうじゃない、自分の母親なり、妻なり、娘なり、潔癖、貞操が守られている女性」みたいな考え方。これがベースになっている。

三上 そう。だから彼らにとっては、「お金で割り切る物分かりのいい女」というグループがいないと駄目なんですよね。全部が妻であり、娘であったら駄目なんですよね。

香山 うん、そう。だから従軍慰安婦が少しでも給金をもらっていたという記録みたいなものを見つけると、鬼の首を取ったように「ほら、こんなに払われてるじゃないか」とか繰り返すわけでしょう。
 それは沖縄に対して、「米軍基地があって、むしろこんなに利潤があるじゃないか。もうかっているじゃないか」みたいな言いぐさとすごく似ている。誰かに犠牲を強いて、それなしでは生活が成り立たないようにしておいてから、「あの人たちだって喜んでやっているんだ」「いい思いしているんだろう」と言う。

三上 まさにそれ!です。でも「沖縄の人たちは得もしているんだから」とよく言う人が居ますが、沖縄県全体で、いわゆる軍用地料を「たくさんもらっている」と言えるぐらいの人は数十人しかいないようです。ほとんどの人たちが50万円から300万円ぐらいまでの間で、すごくリッチな暮らしをしている人なんて、本当に一握りしかいないんです。
 それ以外の沖縄県民は1円ももらってないわけです。その人たち全員が米軍の被害対象ですから。

香山 本当ですよ。今回、米軍でコロナのクラスターが発生して、もしかしたら、それが沖縄全土に蔓延している可能性だってある。それだって米軍による新たな被害です。直接的な暴力や性的なことじゃなくてもね。でも「大変だ、日本を挙げてとにかく沖縄を支援をしよう」という話にはならない。
 昨日も、玉城デニー知事が、「とにかく国で支援してもらわないと大変だ」と言っているのに、菅官房長官をはじめ皆冷淡じゃないですか。「困っているのは皆同じだ」とか、「沖縄だけやるわけにいかない」とこうういときだけ平等論が出てくる。で「自分たちが好きで選んだ道だろう」みたいなことで片づけちゃう。こういう考え方がある限り全然変わらないですよ。

三上 うん、本当ですね。


戦時中の日常を知ることで戦争をリアルに感じる

――今年戦後75年で、護郷隊の生き残りの人たちも、もう90歳とか亡くなっている人も多くて、実際、本当に戦争を体験された方たちがどんどん亡くなっていく中で、香山先生がおっしゃったように、右翼的な言説がどんどん伸びてきていますね。

香山 本当ですよ。この10年で右傾化は急速に進みました。10年前の自分の原稿やテレビでの発言をたまたま見て、「こんなに自由にものを言ってる」と驚かされることもあるほどです。

三上 だから、歴史を検証していく際に、証言者を失うことで不利なのは、私たちの側なんです。普通に、この戦争の実情を聞き取って伝えて、平和につなげていきたいという、戦後当たり前に続けられてきた活動があったわけですけど、この10年ぐらいで、「あったことを、なかったと言う歴史修正主義者」みたいな人たちがネット上の支持者の力を背景にダーッと出てきて。そんなの「取るに足りない、愚かしい行為」と思っていたら、あっという間にこの人たちがすごくリアルに政権や経済界ともつながって歴史戦を挑んできて。証言者を失った時に、ガクッと不利にならないようにもっと記録を大切にしないといけないと改めて思います。

香山 この対談をしている今日(2020年8月6日)はまさに広島の原爆の日ですが、「ああ、こういう方法もあるんだ」とすごく感心した企画がありました。NHK広島放送局が、当時の新聞記者の一郎さんと、妊娠中の主婦やすこさんと、シュン君という中学1年生の男の子の日記をもとに、ツイッターのアカウントを作って、時系列的に、彼らが体験したであろうことを、「当時ツイッターがもしあったなら」という形で投稿し続けているんですよ。

三上 うんうんうん、面白いですね。私も見ました。

香山 シュン君なんかも十数万人もフォロワーがいて、朝8時つまり原爆投下直前に「さあ、これから汽車に乗ろう」みたいなことをツイートすると、皆が「やめて~!!」とか「行かないで、シュン!!」「ダメダメ、行っちゃ!!」とか、とてもリアルにリプライをしていて。「こんなに身近に原爆を感じたのは初めてだ!」とか「すごい企画だ! でも、もうやめてほしい。涙が止まらない」などと真剣に感想を寄せている人もいます。
 どんな人たちがこんなリプライしているのかなと思って、その方たちのタイムラインを見てみたら、本当にごくふつうの主婦や学生、アルバイトの青年などなのです。とくに社会問題に関心があったわけでもなかった人が、たまたまこれを見つけてフォローして、そして「戦争って、原爆って、こんなだったんだ」とまさにリアルに感じている。
 ああいうふうに、むしろネットをうまく利用して、もうその人はもちろん死んでいないけど、その証言をもとにキャラクターを再現してみることもできるな、と思いました。もちろん皆、これはリアルじゃないと分かっている、だけど75年前の今日という設定にするとこうやって過去と対話することもできるんだ、と新鮮でした。

三上 ごっこ、であっても追体験はとても大事です。私たちも、琉球朝日放送で10年前の戦後65年の節目の年に、1月1日から12月31日まで「65年前の今日何があったか」というのを、毎日ローカルニュースの中でやっていったんです。それは私たちにとっても、すごく勉強になって。やっぱりこの温度、この湿度の日に何がったのか、それを取材者が自分に全部叩き込んでおくことが後でものを言うというか。
 「今、米軍が上陸したよね」とか「今、シュガーローフ(日本軍の首里防衛線の西端の丘。日本側呼称は安里五二高地)の辺りで戦闘をやっているんだね」とか「こんな雨が降っている時に南部に逃げていったんだ」ということを追体験するシステムを考えて、自分をそこに置くことって面白いなと思うし。
 ツイッターでは、東京に住んでいる方なんですけど、「棒兵隊」というアカウントの人が、戦争中の今日、何月何日、沖縄で何があったかということを、この数年毎日つぶやいているんです。本当に頭が下がります。護郷隊のこととかスパイ虐殺とかも全部出てくるんです。
 琉球新報も、沖縄タイムスも「沖縄戦新聞」というものを、00年前の今日、もし新聞があったとしたら、こういう記事だったというようなことで号外のようなものを出したり工夫しています。
 だけど今回は、本当にリアルタイムで全国の人がガーッと参加できるSNSというもので、みんなでできる追体験の、物すごく面白い実験になりましたね。

香山 そうですね。だから、これからそういうふうにいろんなツールを使えば、まだまだ新しいこともできるかな、とも思うんですよね。アニメ映画「この世界の片隅に」とも共通する手法ですよね。なにげない日常をずっと描いて、その人そのものに、まず親近感を持たせておいて、そこから戦争を考えてもらう。三上さんの『証言 沖縄スパイ戦史』も、まさにそうじゃないですか。証言者の方たちの個人個人、1人ひとりの生活の様子などが出てきて、ああ、こんな人なんだ、とまず共感を抱く。そこから一気に護郷隊の話になるので、引き込まれます。まさにここに出てくる人たちだって、新しいIT技術とか使うことで、亡くなった後でもその語りをよりリアルに残していくこともできるのではないでしょうか。

三上 そうですね。だから、この少年兵たちが、それぞれどんなことをやっている時に召集令状が来たかというのを書きました。召集されて嫌だった人も喜んだ人もいたし、親が反対した人も喜んだ人もいていろいろだけど、一応、志願という形でないと駄目だったから、自分から戦争に行ったと。「あれは志願じゃなかったよ」と言う人もいるけど、「志願して行きました」と言う人もいて。
 最終的に、今の世の中から見たら、「志願させられている」と言って間違いはないんだけど、自分から参戦したつもりの少年は、罪の意識も持ちやすい。日本軍が住民を苦しめているような場所の一角に護郷隊がいた場合は、少年兵といえども加害者にもなっちゃうわけですよね。おおむね被害者なんですけど、住民を見捨てたとか、負傷した戦友を置いてきたとか、「自分も加害者では」という部分があるからこそ、戦後、ペラペラしゃべることもできなかった。被害者でもあるけど、加害者にさせられていく怖さ。だからこそ、ずっと語れない、何十年もの苦しみがあった。
 被害者のほうが、苦しくてもまだ同情もしてもらえる分、語れるけど、加害の部分があるために、その他の被害の部分をしゃべる資格がないと思って、黙る人もいっぱいいるんです。
 そういうことは、この750ページぐらいの分量で書かないと、誰かの加害経験だけを書くと、「沖縄の人も加害者側だったじゃないか」と、そこだけまた本土の新聞とかにさらっていかれるのが嫌なので、そういう体験を混ぜ込むだけの質量を持って書かなきゃ、と思って書いたんです。

香山 なるほど。これだけのボリュームだと、恣意的にある傾向の人を選んだ、という印象はいっさいありませんものね。


沖縄戦を知ることで戦争を絵空事でないものとして捉えることができる

――日本で地上戦があったのは沖縄だけです。岐阜や北海道とかでも、中野学校卒業生がゲリラ戦を準備していたのはあったようですが……。先ほど香山先生がおっしゃったように、僕も以前「戦争はどこか遠くの戦場でやっているもの」というイメージを持っていたんですが、沖縄だと本当にもうそこでやっている。

香山
 ねえ、生活の場のすぐそこが戦場、ということですものね。
 だから今の私たちって、本当に頭の中で戦争ゲームみたいなイメージしかないから、バトルフィールドがどこか遠くにあって、そこでドンパチやって、戻ってきたら普通の日常がある、みたいなイメージしか持てないじゃないですか。でも、沖縄では全然違ったわけですものね。

三上 ですからそういう意味で、沖縄戦を知るということには、今の時代の日本に生きている私たちが、絵空事の戦争をリアルなものとして捉えなおすためにもってこいの教材になるんです。

香山 その通りです。たいへんな犠牲を強いてしまいましたが、そこから学ぶべきことも膨大にあります。

三上 たとえば、北部の山で避難している人は、山の上には敗走した日本軍がまだまだ潜んでいて「投降するな、投降するな」と民間人に言っているわけですよね。でも、下は全部もうアメリカが制覇している。で、夜になってアメリカ軍が寝たら、山を降りていって芋を掘りに行くわけです。そのときに、米軍が女の人を探しに来て強姦すると、「今だ」と言って皆、芋を掘るわけです。女の人を助けるなんていうことはもうできなくて、強姦されている悲鳴がキャーキャー聞こえている間は、派手に芋を掘っても米兵から捕まることもない、と。そんな証言もこの本にも書きましたけど。で、また山に上がったら日本の兵隊さんを恐れて、山を降りては米兵を恐れてと……。
 日本兵とアメリカ兵の目を盗んでいつも自分の住んでいる集落や、家の床下にある味噌を取りに行く。隣の人の畑にまだ芋が残っているはずだと掘りに行くのも、全部よく知っている地域で起きた出来事で。戦後、今になっても、そこを毎日、見ながら生活するわけですよね。「ここで強姦されていたのは那覇から来ている人だったのかな、俺はあの時助けもしなかったな」という場所を、毎日見ながら生活をする。そういう苦しみがあるから、その話はできない。私は当時北部に避難していたという読谷のおじいからこの話を聞いたけど、その北部の村の人は同じものを見ていても、「ここがそうだったんだよ」とは絶対言えないですよね。
 だから、どこかに行って戦争をするのもつらいけど、自分の地域で戦争をするなんて戦後も含めると何倍もつらい。故郷が戦場になるという非情な体験をこの国の住民がここまでしているわけですから、この事例から本気で学び取ってから、軍隊や武力による国防の議論をスタートさせて欲しいと思います。

香山 目の前の平和な風景が、ふと記憶の中の戦場の風景と重なる。考えられないことですが、それが戦争ということなんですよね。

(了)
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(その1/2へ)

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●《基地を造ることで、沖縄県民の生活を踏みにじってでも安心したいと、一体、誰が思っているんでしょうか。私が闘っている相手》は?

2021年01月30日 00時00分37秒 | Weblog

(2021年01月03日[日])
集英社新書プラスの記事【プラスインタビュー/『証言 沖縄スパイ戦史』第63回JCJ賞日本ジャーナリスト会議)三上智恵氏贈賞式スピーチ/三上智恵】(https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/%e4%b8%89%e4%b8%8a%e6%99%ba%e6%81%b5%e6%b0%8f%e8%b4%88%e8%b3%9e%e5%bc%8f%e3%82%b9%e3%83%94%e3%83%bc%e3%83%81/12549)。

 《沖縄北部で展開された陸軍中野学校の青年将校が仕掛けた秘密戦と国土防衛戦の本質を圧倒的な取材で描き、第7回城山三郎賞、第63回JCJ賞を受賞した三上智恵著『証言 沖縄スパイ戦史』。これを記念して2020年10月10日に行われたJCJ賞贈賞式での三上氏のスピーチを掲載します》。

 三上智恵さんのスピーチ、《なぜこれ以上、軍事要塞の島として、私たち沖縄県民は生きていかなければいけないのかという怒り基地を造ることで、沖縄県民の生活を踏みにじってでも安心したいと、一体、誰が思っているんでしょうか。私が闘っている相手の正体というのは、一体、何なんでしょうか…》。
 《軍隊が自分たちを守ってくれる、どうして自信を持ってそんなことが言えるんですか》 沖縄の過去の経験に何も学ぼうとしない〝本土〟。「軍隊は住民を守らない」…「戦争や軍隊の本質」を学ばない〝本土〟。《狂ったシステムが再起動してしまわないか、私たちは目を光らせていないといけない》。

   『●『沖縄スパイ戦史』(三上智恵・大矢英代共同監督): 
           「「スパイリスト」…歪んだ論理が生み出す殺人」
   『●三上智恵・大矢英代監督映画『沖縄スパイ戦史』…
       「戦争というシステムに巻き込まれていった人たちの姿」

   『●「改めて身に迫るのは、軍隊というものが持つ
      狂気性」(高野孟さん)と、いまも続く沖縄での不条理の連鎖
    《マガジン9連載コラム「沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌」でおなじみの
     三上智恵さんが、大矢英代さんとの共同監督で制作した
     映画『沖縄スパイ戦史』が7月下旬からいよいよ公開…
     「軍隊は住民を守らない」…「戦争や軍隊の本質を伝えたい」》。

   『●『沖縄スパイ戦史』と《記憶の澱》…
     「護郷隊…中高生の年頃の少年たち…スパイと疑われた仲間の処刑…」

    《▼日本軍第32軍の周辺で起きた本島中南部の激戦を「表の沖縄戦」と
     すれば、映画が描くのは北部の少年ゲリラ兵部隊護郷隊」や八重山
     戦争マラリアなどの「裏の沖縄戦」。綿密な取材による証言と資料映像で、
     6月23日以降も続いた遊撃戦の実相をつづる》

   『●自衛隊配備・ミサイル基地建設…『沖縄スパイ戦史』「自衛隊
              …昔と同じく住民を顧みない軍隊の本質」暴露
    「レイバーネット…のコラム【<木下昌明の映画の部屋 243回> 三上智恵
     大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』/住民500人を死に追いやった犯罪】」

   『●沖縄デマによる市民の分断: 『沖縄スパイ戦史』の両監督…
               「反基地運動は中国のスパイ」デマも同根
   『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません…
               私たちが何を学ぶのかが今、問われている」①
   『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません…
               私たちが何を学ぶのかが今、問われている」②
   『●『沖縄スパイ戦史』: 「それまで『先生』と島の人たちに
           慕われていた山下が抜刀した」…「軍隊の本性」
   『●2019年度文化庁映画賞《文化記録映画部門の優秀賞》を受賞
               …三上智恵・大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』
   『●《「遊撃戦遂行の為特に住民の懐柔利用は重要なる一手段にして
     我が手足の如く之を活用する」…住民同士を監視させ…批判している…》
   『●《「慰霊の日」を迎えた。…鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊の悲劇が
      伝わる一方、護郷隊の過酷な運命は長年ほとんど知られていなかった》
   『●「戦争マラリア」…いま再び自衛隊配備で先島諸島住民を分断し、
                 「戦争や軍隊の本質」の記憶を蘇らせる…
   『●《戦争体験の継承はどうして必要》? 大矢英代さん《二度と同じ手段で
      国家に殺されないように、生活を奪われないように、知恵をつけること》
   『●《8月ジャーナリズム》と《沖縄にとって戦争は遠い昔話ではない。
     沖縄は、今も一年中、戦争の延長線上を生きている》(大矢英代さん)

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https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/%e4%b8%89%e4%b8%8a%e6%99%ba%e6%81%b5%e6%b0%8f%e8%b4%88%e8%b3%9e%e5%bc%8f%e3%82%b9%e3%83%94%e3%83%bc%e3%83%81/12549

プラスインタビュー
証言 沖縄スパイ戦史第63回JCJ賞日本ジャーナリスト会議三上智恵氏贈賞式スピーチ
三上智恵(みかみ ちえ)
2020.12.25

なぜ彼らは鬼になってしまったのか?

沖縄北部で展開された陸軍中野学校の青年将校が仕掛けた秘密戦と国土防衛戦の本質を圧倒的な取材で描き、第7回城山三郎賞、第63回JCJ賞を受賞した三上智恵著『証言 沖縄スパイ戦史』。これを記念して2020年10月10日に行われたJCJ賞贈賞式での三上氏のスピーチを掲載します。


どこかを犠牲にしてでも安心したいというような無意識な欲望

 皆さん、こんにちは。今日は、本当にこんな晴れがましい席に立つことができて、皆さんに感謝しています。

 私、2013年にも、「標的の村」というテレビドキュメンタリーで、同じ場所に立たせていただきました。そのときは、琉球朝日放送の三上智恵でしたが、今、フリーになって6年たち、その間に3本、全部で4本の映画を作りました。もうJCJ賞にかかることなんて一生ないと思っていたんですが、映像作品を離れて書いた750ページのこの活字で、まさか再び選んでいただくことがあるとは、夢にも思っていませんでした。

 この本は「沖縄スパイ戦史」という映画を作った後に、別に誰からも頼まれてもいないし、期待もされていなかったんですが、自分の暴走が止まらなくて、なぜか自分一人で書き続けて、集英社さんにどうか出してくださいと、自分から頼むような形でできた本です。私一人で、黙々とやった仕事を見つけていただいて、本当にどうもありがとうございました。

 私は、沖縄に移り住んでもう26年になります。その報道生活全てをかけてでも止めたかったことがあります。それは、まず高江ヘリパッド建設であり、オスプレイが来ることであり、大浦湾が埋め立てられることであり、それから、今、宮古八重山にどんどん造られています新しい自衛隊のミサイル基地です。

 なぜこれ以上、軍事要塞の島として、私たち沖縄県民は生きていかなければいけないのかという怒りの中で、報道以外にも物を書いたり、講演で全国を回ったり、映画を作ったり、あらゆることをやりましたが、何一つ止めることができず敗北感を積み重ねています

 基地を造ることで、沖縄県民の生活を踏みにじってでも安心したいと、一体、誰が思っているんでしょうか。私が闘っている相手の正体というのは、一体、何なんでしょうかということをいつも考えます。

 もちろん、皆さんの頭の中にまず出てくるのは、日米両政府でしょう。対中国戦略、北朝鮮戦略の中で、日本列島全体をアメリカ軍が使おうしている。沖縄だけではないです。日本列島全体を盾にしようとしているアメリカ軍、アメリカ政府がいます。そして、そこにコバンザメのようにしがみつくことでしか国防を語ることのできない日本政府、この日米両政府が確かに沖縄を軍事要塞化していく大きな力なんですが、でも、これらをエンパワーメントしている日本の国民、大衆が「北朝鮮が怖い、中国が怖い、自衛隊に守ってほしい、アメリカ軍にもっと守ってほしい」と考えている大衆の欲望、安心したい、どこかを犠牲にしてでも安心したいというような無意識な欲望が、彼らに力を与えています。

 そこで私が言いたいのは、軍隊が自分たちを守ってくれる、どうして自信を持ってそんなことが言えるんですか?ということです。皆さん、沖縄戦のことを知らな過ぎるのではないですか?ということを、私はいつも、基地を造りたい大きな力、目に見えない力に対して、空に叫んでいたようなところがあります。

 私は、今まで基地建設に苦しんでいる人たちのところに行って、カメラを回すということをやってきたんですが、もうそういうことをしていても追いつかない。これを止めるためには、沖縄戦から直接、苦い薬を抽出して、日本国民の“強い軍隊に守ってもらいたい”というような妄想を解体していく、そういう作業が必要だと思って、「沖縄スパイ戦史」というドキュメンタリーを作りました。その後に、この本を書いたわけです。


被害者の視点だけでは見えてこないもの

 この750ページは分厚くて非常に評判はよくないわけですが、750ページを一遍に書かなければいけない必然がありました。

 最初の三分の一ぐらいは少年兵の証言です。先ほど丁寧に説明がありましたから、護郷隊の説明は省きますが、そのように自分の故郷を守るんだというような名前がつけられて、沖縄の15、6歳の少年たちが、陸軍中野学校の22、3歳のエリート青年将校たちに訓練をつけられて、千人規模のゲリラ兵部隊がいたということは、まず知られていません。

 本土の優秀な大学生、22、3歳が、沖縄の中学校、高校の子供を引き連れて、最後、沖縄が玉砕してからも、沖縄からどんどん本土に爆撃しにいくアメリカ軍を、後方からずっと攪乱し続けろという、物すごい命令を大本営も下したものだとあきれ果てる上に、こうやって子供たちを戦わせたということを日本の歴史の汚点としてちゃんと刻んでほしいと思いますが、その歴史秘話を伝えたかったわけではないんです。この少年兵たちを通して戦った側の視点から沖縄戦を見直していくことが可能になる、その必要があったんです。

 沖縄戦というのは、住民の視点でその被害を語るということを一生懸命やってきた分野なんです。もともとは、防衛省が軍隊側の視点から沖縄戦を記録していくということがまず最初にあって、占領下に生きていた沖縄県民が、住民の視点で沖縄戦を語れるようになるまで長い長い積み重ねがありました。私は、ずっと沖縄戦のことを何十年もテレビ報道の企画やドキュメンタリーでやってきたわけですが、沖縄戦を住民のほうから見るのが当たり前ということでそればかりやってきたので、戦う側の論理は重視して来なかった。でも特に、北部の戦争の場合、戦った日本兵の二、三割は沖縄の人たちです。だから、日本軍は数々の残虐行為を住民にしていますが、それは差別の構図だけでは語れない被害者の視点だけでは見えてこないものがあります。


   (贈賞式での三上氏)


「軍の機密を知ってしまった人は殺してもいいんだ」

 では、何が起こっていたのか。この少年たちは、刀に憧れて、上官たちに、ここにいる村上(治夫)さん、岩波(壽)さん、とても格好いい隊長たちです。人格者でもありました。戦後も生き残って、いろいろな証言も残してくれています。彼らに憧れて、自分たちの故郷を守るんだということで戦いに入っていくわけです。でも、その視点から見ていくと、住民というのは労働力なんです。食料を作って自分たち軍隊に渡してもらう。それから、陣地構築を手伝ってもらう。陣地構築を手伝ってもらうと、どういうことになるか。軍の機密を皆さんが知ってしまうんです。だから、ここが皆さんの村だとすると、護郷隊でも、日本軍でもそうですが、手伝ってもらうと、皆さん、もう知ってはいけないことを知ってしまうわけです。

 だから、ここにアメリカ軍が上陸してくるという段になったら、お互いに監視をさせます。それで、スパイにならないよう、つまり皆さんが知っている知識を、アメリカ軍に捕まったからといって、絶対にしゃべるなといってもほぼ不可能なんですが、この中でスパイになりそうな人たちを順番にリストアップして、上から殺していくということをやりました

 沖縄の北部では、複数の箇所で証言がちゃんと残っているんです。そのスパイリストに載せられて、最後は使われた上に始末される、消されていくというような運命に、どうしても住民はなってしまうわけです。

 三二軍の参謀だった神直道さんは、琉球新報の取材に対して、戦後にはっきり「沖縄戦では住民を守るという任務はなかった。作戦に入っていなかった。住民は足手まといだった」と言っています。軍隊にとって住民は、どのように見えるのか。作戦をつくる側にとって、それから遂行する側にとって。もう敵が来てしまい、住民を守る作戦もない中で、沖縄県民が守ってもらいたいと思って兵隊に寄りかかっていきます。陣地にも入ってきます。もう迷惑でしかないということが、この少年たちの証言を読んでも痛いほど分かります。

 次に私たちが持つかもしれない軍事組織、今の自衛隊が軍事組織であるかどうかということは議論があるかもしれませんが、それが国防軍になっていくといったときに、あの残酷な旧日本軍ではなく、本当に私たち国民を守るための存在として生まれ変わるのかどうかというところは、注視していかなければならない。

 軍の機密を知ってしまった人は殺してもいいんだ、ということの裏づけになったのは軍機保護法です。それと同じ建てつけの法律が特定秘密保護法です。ですから、特定秘密保護法ができたときに、私たち地元の報道機関はものすごい危機感で報道しました。既に、アメリカ軍と日本の軍隊と一緒に生活をしている沖縄県民にとって、特定秘密保護法というのはあの軍機保護法の復活だという危機感を全国の人たちと共有できていないんです。そういう意味でも、この本はぜひ読んでほしいです。

 一つの例ですが、スパイリストに載ってしまった米子さんの話が出てきます。十八歳の中本米子さんは、今帰仁村にある運天港にいた白石隊と呼ばれる魚雷艇部隊で、かいがいしく働いていました。でも、米子さんは、ある日、地下に造られた巨大な弾薬庫を見てしまいます。そのことでスパイリストに載って、18歳の女性が、何も悪いことをしていないのに命を狙われていきます。

 その中で、武下少尉という青年将校が出てきます。この白石部隊の武下少尉は、屋我地島という島に住んでいたヨネちゃんとスミちゃんという十八歳の二人の女の子だけは殺すな、この二人の少女を殺すんだったら、俺がおまえを殺すと言って、ヨネちゃんを守ってくれたというエピソードが映画にも出てきます。

 でも、武下少尉は、ほかに今帰仁の人を殺しています。つまり、住民を粛清する係だったわけです。その後、武下少尉は、アメリカ軍にアジトを暴かれて殺されてしまうので、1945年に亡くなっているんです。


武下少尉は今帰仁で観音様になって祀られている

 この話から、本当にいろいろなことを学ぶことができるんですが、実は私、映画が終わってから知ったんですが、武下少尉は今帰仁で観音様になって祀られているんです。通称、武下観音と言われていますが、南海の塔というところに祭られています。

 彼は、日記を残していて、その日記の中に、オダさんと書いてあるんですが、太田守徳さんを殺害したことをちゃんと自分で書いています。だから、日本軍が沖縄の住民を殺す証拠を唯一、日記に残したのが武下少尉なんです。この人が、なぜ沖縄県民を殺した武下少尉が祀られているのか、最初は意味が分かりませんでした。そこから、また、ずっと今帰仁に通って、いろいろな話を聞いていくわけです。

 確かに、1944年に日本軍が入ってきたときは、もう連戦連勝の輝かしい日本軍だと聞かされているので、沖縄県民はみんな大歓迎しました。どんな協力でもしました。軍と住民の蜜月は確かにあったわけです。ですから、地元の女性たちも、とても軍隊を支えていったんです。でも、その後、やはり裏切られていく。

 では、戦後、何で観音様にまでなったのか。その後、この戦争を引きずっている元兵隊や遺族たちが、ずっと足しげく沖縄に通ってくるわけです。この苦い経験を、どうやって県内、県外の当事者たちが、戦後乗り越えていったのかという第2幕が存在するわけです。


狂ったシステムが再起動してしまわないか、私たちは目を光らせていないといけない

 その虐殺に関わってしまって、名前が知れている人を3人、「虐殺者たちの肖像」という章がありますけれども、私は深追いをしました。もちろん全員亡くなっています。

 結論から言うと、誰も鬼ではなかったんです。沖縄県民に牙をむくつもりで、沖縄戦に参加した日本兵など一人もいません。なのに、なぜ彼らは鬼になってしまったのかどういうシステムが彼らを鬼に変えていったのかということを、私たちは重々知らないといけないんです。そうでないと、本当に善意の、武下少尉なんていう方は、家族がつくった回顧録とかを見ると、とても爽やかで、非の打ちどころのない、学業もできる、文章も上手、優しくて、近くにいたら本当に友達になりたいタイプの方だったと思いますが、なぜ彼らが鬼になったのかその狂ったシステムが再起動してしまわないか、私たちは目を光らせていないといけないんです

 沖縄に住んでいると、この国が戦争に向かって、また加速度的に進んでいくという恐怖をまざまざと感じることができます。沖縄戦の悲鳴が、うめき声が、まだ収まっていない島に住みながら、もう一度ここを戦場にするような世の中には死んでもしてはいけない、ということでこの本を書きました。この本が、本当に日本国民全員に効く、次の戦争を止めるための最高のワクチンとして機能するように、これからも沖縄戦から次の戦争を止めていく、そういう活動を頑張っていきたいと思います。

 どうもありがとうございました。


プロフィール
三上智恵(みかみ ちえ)
ジャーナリスト、映画監督。毎日放送、琉球朝日放送でキャスターを務める傍らドキュメンタリーを制作。初監督映画「標的の村」(2013年)でキネマ旬報ベスト・テン文化映画部門1位他19の賞を受賞。フリーに転身後、映画「沖縄スパイ戦史」(大矢英代との共同監督作品、2018年)は、文化庁映画賞他8つの賞を受賞した。著書に『証言 沖縄スパイ戦史』(集英社新書)など。

本編114分に加え73分に及ぶ特典映像も収録した映画「沖縄スパイ戦史」DVD(紀伊國屋書店)も発売中。
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コメント
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●大矢英代さん《沖縄の状況がいかに理不尽かということも、今回のアメリカ大統領選から日本人は学ぶべきなのではないでしょうか》!

2021年01月20日 00時00分29秒 | Weblog

(2020年12月28日[月])
マガジン9のインタビュー記事【この人に聞きたい 大矢英代さんに聞いた:アメリカ大統領選から見えたこと】(https://maga9.jp/201202-2/)。

 《10年にわたって沖縄・八重山諸島を取材し、映画『沖縄スパイ戦史』を共同監督した大矢英代さんは、2年前、ジャーナリストとしての拠点をアメリカに移しました。11月初めのアメリカ大統領選を取材して見えてきたこと、感じたことは何だったのか。オンラインでお話をうかがいました》。
 《大矢 ただ、日本のマスコミの取材を受けたときにも、「今回の大統領選挙のキーワードは分断ではないか」と言われましたが、こちらではそうした見方はそれほど強くなかったと思います。というのも、アメリカ社会の分断はもうずっと前からあることで、今に始まったことではないと人々は認識しているからです。ただ、トランプがそれを助長させたのは事実だと思います》。

   『●戦争の記憶の継承…《大谷昭宏さんから伺った話。「戦争の記憶が
     風化する中、語り継ぐ一つの手段が見えるのでは」と水を向けられ…》
   『●沖縄イジメ、辺野古は破壊「損」の張本人が元最低の官房長官。
     そして今、さらなるデタラメ・ヒトデナシをやろうとしているオジサン
   『●《自民党右派の議員秘書にトランプの評価を問うと「戦争をしなかった
       大統領」と胸を張った。米国は分断という内戦を戦っていたのだ》
   『●「自衛隊派遣によって治安はかえって悪化する」、政府の政策に
     逆らえば…衆院テロ対策特別委員会委員は国会参考人の発言を打ち切り…
   『●《「真実を後世に伝えることが生き残った自分の義務」と心の傷を
     押して語り部を続け大きな足跡を残した》安里要江さんがお亡くなりに…

 以前も引用させていただいたが、コラム『政界地獄耳』の〆、《自民党右派の議員秘書にトランプの評価を問うと「戦争をしなかった大統領」と胸を張った。米国は分断という内戦を戦っていたのだ》と。一方、《分断という内戦》はニッポンではまだ続いている。7年8カ月にも及ぶアベ様の地獄のような政、それを全て《継承》する陰湿・悪質・強権化した大惨事アベ様政権の違法・違憲オジサン、スカスカオジサン。いつまで《分断という内戦》は続くのか…。利権漁りカースーオジサンの政、3カ月ほどが経過したが、COVID19対策にしろ、第2波高止まりの中、GoToで10月以降感染拡大をもたらし、市民には《自助》を求めるばかり。《勝負の3週間》でも、当然、感染拡大し、12・28まで《勝負》を続ける愚策。第3波のピークは見えず…。故意か、無意識か知らないが、社会の分断を煽っているとしか思えない。大矢さんの最後の御言葉、《「トランプひどい」と言うのなら、日本政府だって同じなのではないかということを自分自身に問い直してほしい。沖縄の状況がいかに理不尽かということも、今回のアメリカ大統領選から日本人は学ぶべきなのではないでしょうか》。

   『●「戦争のためにカメラを回しません。
      戦争のためにペンを持ちません。戦争のために輪転機を回しません」
    「マガジン9…【マガ9備忘録/その145)「沖縄のマスコミは“民”のもの」
     高江で語ったQAB大矢記者の心】」
    《沖縄のマスコミは、皆さん県民のものです。
     たみのものです。
     私たちには武器もありませんし、権力もありません。
     でも、伝え続けることはできます。抗い続けることはできます。
     その一歩一歩が、沖縄の歴史、そして本当の意味で
     この国の、この日本の民主主義を勝ち得る手段と信じて、
     これからも一生懸命、伝え続けていきたいと思っています。》

   『●『沖縄スパイ戦史』(三上智恵・大矢英代共同監督): 
           「「スパイリスト」…歪んだ論理が生み出す殺人」
   『●三上智恵・大矢英代監督映画『沖縄スパイ戦史』…
       「戦争というシステムに巻き込まれていった人たちの姿」

   『●「改めて身に迫るのは、軍隊というものが持つ
      狂気性」(高野孟さん)と、いまも続く沖縄での不条理の連鎖
    《マガジン9連載コラム「沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌」でおなじみの
     三上智恵さんが、大矢英代さんとの共同監督で制作した
     映画『沖縄スパイ戦史』が7月下旬からいよいよ公開…
     「軍隊は住民を守らない」…「戦争や軍隊の本質を伝えたい」》。

   『●『沖縄スパイ戦史』と《記憶の澱》…
     「護郷隊…中高生の年頃の少年たち…スパイと疑われた仲間の処刑…」

   『●自衛隊配備・ミサイル基地建設…『沖縄スパイ戦史』「自衛隊
              …昔と同じく住民を顧みない軍隊の本質」暴露
    「レイバーネット…のコラム【<木下昌明の映画の部屋 243回> 三上智恵
     大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』/住民500人を死に追いやった犯罪】」

   『●沖縄デマによる市民の分断: 『沖縄スパイ戦史』の両監督…
               「反基地運動は中国のスパイ」デマも同根
   『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません…
               私たちが何を学ぶのかが今、問われている」①
   『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません…
               私たちが何を学ぶのかが今、問われている」②
   『●『沖縄スパイ戦史』: 「それまで『先生』と島の人たちに
           慕われていた山下が抜刀した」…「軍隊の本性」
   『●2019年度文化庁映画賞《文化記録映画部門の優秀賞》を受賞
               …三上智恵・大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』
   『●《「遊撃戦遂行の為特に住民の懐柔利用は重要なる一手段にして
     我が手足の如く之を活用する」…住民同士を監視させ…批判している…》
   『●《「慰霊の日」を迎えた。…鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊の悲劇が
     伝わる一方、護郷隊の過酷な運命は長年ほとんど知られていなかった》
   『●「戦争マラリア」…いま再び自衛隊配備で先島諸島住民を分断し、
                 「戦争や軍隊の本質」の記憶を蘇らせる…
   『●《戦争体験の継承はどうして必要》? 大矢英代さん《二度と同じ手段で
      国家に殺されないように、生活を奪われないように、知恵をつけること》
   『●《8月ジャーナリズム》と《沖縄にとって戦争は遠い昔話ではない。
     沖縄は、今も一年中、戦争の延長線上を生きている》(大矢英代さん)

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https://maga9.jp/201202-2/

この人に聞きたい
大矢英代さんに聞いた:アメリカ大統領選から見えたこと
By マガジン9編集部 2020年12月2日

10年にわたって沖縄・八重山諸島を取材し、映画『沖縄スパイ戦史』を共同監督した大矢英代さんは、2年前、ジャーナリストとしての拠点をアメリカに移しました。11月初めのアメリカ大統領選を取材して見えてきたこと、感じたことは何だったのか。オンラインでお話をうかがいました。
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大統領選を取材して

──大矢さんは2018年から、アメリカ・カリフォルニア州北部のバークレーに拠点を置いて活動されていますね。今回のアメリカ大統領選は現地で取材されていたのですか?

大矢 大統領選の直前までは仕事で日本にいたのですが、投票締め切り日の数日前にアメリカに戻り、締め切り日の当日、11月3日はバークレーの投票所で取材していました。バイデンの当選確実が伝えられた7日は、バークレーに隣接するオークランドにいたのですが、あちこちから人々が道路に出てきてあふれ返り、次々に集まってきた車からも歓声が上がって、お祝いムードに満ちていたのが印象的でした。


──もともと、民主党支持者の多い地域なのですか。

大矢 バークレー、オークランド、サンフランシスコを含むカリフォルニア州北部のベイエリアは、アメリカでももっともリベラルといわれる地域ですね。この地域でトランプ支持者を見つけるのはかなり難しいと思います。CNNの報道によれば、トランプ得票率はバークレーとオークランドがあるアラメダ地域で17.7%。サンフランシスコ地域では12.7%。また、AppleやFacebookなどの巨大テック企業が本社を置くシリコンバレーを含むサン・ホセ地域やサン・マテオ地域は、トランプの減税政策の恩恵を受けてきたと指摘されている富裕層が暮らしていますが、この地域でさえもトランプ得票率は20.2%〜25.2%にとどまり、現職大統領は見事な惨敗を喫しました。
 アメリカって政治的にも社会的にも同じ価値観を持つ人同士が小さな「泡」の中に住んでいて、その泡が集まって一つの地域が構成されているという感じがします。テレビのニュースなどで選挙結果を見ていると、カリフォルニア州は青(民主党)一色で、赤(共和党)は存在しないように見えますが、よく見るとそこにも小さな青赤の泡が混在していて、全体を遠くから眺めたら青に見えるだけに過ぎない。実際、ベイエリアから車で1時間半〜2時間ほど内陸に行けば、トランプ得票率が50%〜60%の地域が南北に帯状に並んでいます。中でもネバダ州との州境にあるラッセン地域やモドック地域では、トランプ得票率は70%を超えました。それでも、それぞれの泡の中では皆同じような政治的主張を持っていて、反対意見に出合うことがないので、疑問も生じない。そんな印象を受けます。


──投票所で取材されたときも、トランプに投票したという人には出会いませんでしたか。

大矢 会いませんでしたね。日本では、マスメディアの出口調査は別にして、だれに投票したか聞かれても答えない人が多いですが、こちらでは皆胸を張って「バイデンに入れた」と答えてくれます。


──実はトランプ支持者なんだけれど表だってはそれを言わない、「隠れトランプ」といわれる人たちも一定数いると言われますが……。

大矢 それらしき人が一人だけいました。台湾出身の大学生で、誰に入れたかは答えたくない、と言っていました。でも、トランプ政権の4年間をどう評価するか聞いたら、トランプが移民規制を強化したことに触れて「移民政策は国防問題でもあるので、一般市民があれこれ口を出す問題ではない。トランプは国の責任として、しっかりやっていた」。それを聞いて「隠れトランプ」かな、と思いました。バークレーでは、トランプ支持だとはちょっと口に出せない雰囲気がありますから。


──他に印象的だったことはありますか。

大矢 バイデンに投票した人も、今後のアメリカに希望を抱いているといった明るい印象は感じられませんでした。バイデンが大統領になったからといって、アメリカが抱えている問題は簡単には解決しないだろう、トランプよりはましだけど……という感じの人が目立ちましたね。


──「問題」とは、たとえばどういうことでしょう。

大矢 特に黒人の場合は、警察による暴力を挙げる人が多かったですね。オークランドはもともと黒人コミュニティが多く、1960年代に急進的な黒人解放闘争組織であるブラックパンサー党が立ち上がった街なんですよ。これももともとは貧しい黒人たちのゲットーを警察の暴力から守ろうということで生まれたものでした。いわば、そのころからBLM(Black Lives Matter運動があったわけで、にもかかわらず今でも警察による暴力事件はなくなっていない。私がバークレーでインタビューをした大学生の黒人女性は「オバマ政権下でさえ警察による暴力、殺人事件はなくならなかった。たった一回の選挙で魔法のように社会が改善するなんて、そんなことは絶対にないと思う」と冷静に話していました。大統領が代わったからといって、簡単に解決する問題ではないことを、皆よく知っているのです。同時に、彼らにとっては最も切迫した命の問題なのだということを、あらためて知らされました。


分断を正当化したトランプ

──「トランプよりはましだけど」という言葉が出ましたが、今回の選挙そのものが、トランプ対バイデンというよりトランプ対反トランプの戦いに見えました。「バイデン当確」のお祭り騒ぎも、バイデンが当選してうれしいというよりも、とにかくトランプがやめることになってよかったという印象でしたね。

大矢 その通りです。「バイデン勝った!」より「トランプをやっつけたぞ!」という声のほうが断然大きかった。選挙期間中も「バイデン好き!」よりも、「くそ食らえトランプ!」といった、トランプに対する激しい罵倒表現のほうをもっぱら耳にしました。
 とにかくトランプを政権からおろしたいという「アンチ・トランプ」を理由に人々がつながって、それが大きなうねりになり、バイデンの勝利につながった。いわばトランプに対する怒りや憎しみという負のエネルギーがひとつになって勝ったと言えるでしょう。ですからトランプが政権から降りた後、反トランプという旗印を失った今後はどうなっていくのだろうという懸念もあります。
 バイデンは11月7日の勝利宣言で「分断から融和へ」というメッセージを発しましたが、その中で「アメリカのデモナイゼーション(悪魔化)した時代を終わりにしよう」と述べました。しかし実際、今回の選挙でトランプは7,389万票を取得しています。前回2016年の選挙での自身の得票数よりも1,000万票も増加しているのです。人々はなぜトランプを支持し続けるのか、その根源的な原因を理解することなしに、トランプの時代を「悪魔化の時代」と呼ぶのであれば、結局は新たな分断をつくり出していることにならないかトランプがやってきたことと変わらないのではないかと、ちょっと気になりました。


──アメリカの分断はそれほど深いということでしょうか。

大矢 ただ、日本のマスコミの取材を受けたときにも、「今回の大統領選挙のキーワードは分断ではないか」と言われましたが、こちらではそうした見方はそれほど強くなかったと思います。
 というのも、アメリカ社会の分断はもうずっと前からあることで、今に始まったことではないと人々は認識しているからです。ただ、トランプがそれを助長させたのは事実だと思います。
 「アメリカ社会には根深い分断がある。それはよくないことだからなんとか克服して国民的な融和をめざそうという共通認識を、トランプはひっくり返してしまった社会に勝者と敗者がいるのは当たり前、分断や格差があって当然、それで何が悪いと開き直ってしまった大統領権限を使って分断を正当化したことが、トランプ政権が残した最大の禍根だと思います。


トランプはなぜ支持されるのか

──バイデンが、というか「反トランプ」が勝利した最大の理由は何でしょうか。

大矢 2020年は、アメリカの全国民が当事者にならざるを得ない大きな問題が二つ起きました。一つは新型コロナウイルスの感染拡大、もう一つが警察による暴力に注目が集まったことです。この二つにトランプがうまく対応できなかったという認識が、反トランプに人々が結集する原動力になったのだと思います。逆に言えば、もしトランプがコロナ対策に成功していたら、勝っていたかもしれません。


──日本から見ていると、トランプはツイッターなどで平気でフェイクやデマを飛ばしたり、政敵を罵倒したりと、めちゃくちゃなことをやっているように思えます。そのトランプが、それでも一定の支持を集めるのはどうしてなのでしょう。

大矢 彼は悪の権化みたいに言われることがありますが、それでも一応は民主的選挙で選ばれた大統領です。先ほども触れたように、今回も決してバイデン圧勝でなく、有権者の半分近くがトランプに投票しています。なぜ彼がそこまで支持されるのか、その社会的背景を精査することこそが大事だと痛感しています。
 私は、テクノロジーの発展と共に、人々が自分の欲しい情報だけを見て、判断して行動するのが当たり前の社会になってしまったことが、トランプという政治家を生み出したのではないかと思っています。インターネットが発達して、検索サイトに知りたいキーワードを入れればいくらでも情報が出てくるけれど、それを全部見ることはなく、最初に出てきた記事だけを読んで、それを信じてしまう。これだけじゃわからない、ほかの意見も調べてみようという視点を持たない傾向が加速している気がします。
 そこからさらに進んで、トランプは自分に批判的なメディアをフェイクニュースだと言って、「敵」に認定するということを繰り返してきました。そういった大統領の態度を見て、国民もまた「自分の好きなものだけを見て信じて行動してもいいんだ」と思うようになってしまったのではないでしょうか。
 私たちジャーナリストにとっては、事実に基づいた報道というのが大前提だったのに、この先のアメリカは、嘘でもフェイクでも、事実かどうかなんてどうでもいいという社会になってしまうのではないかと危惧しています。


──同じような傾向は、日本にもあると感じます。

大矢 日本でも、沖縄の基地建設反対運動について中国の手先だ」「お金をもらっている」といったフェイクが飛び交っていますよね。それを言い立てる人にとっては、事実かどうかなんてどうでもいいのだと思いますそのフェイクを信じることで、自分の沖縄に対する無関心を免罪しているとしか思えません
 同時に、そうした沖縄ヘイト」の背景には、いじめられる側には入りたくない、自分は「強い側」にいるという高揚感を持っていたいという、集団いじめのような心理も働いているのではないかという気がします。これも世界中で起きていることだといえるのではないでしょうか。


──また、バイデンの大統領就任が確実になったことで、非白人で女性のカマラ・ハリスが副大統領になるであろうことも注目されています。非常に画期的なことだと思うのですが、大矢さんはどう受け止められていますか。

大矢 おっしゃるとおり、女性であり有色人種であるハリスが副大統領になるのは、新たな歴史の第一歩です。私が取材した人々からも、初めての女性副大統領誕生に期待するという声が、特に白人女性から聞かれました。
 彼女は勝利スピーチで、「私は、最初の女性副大統領かもしれないが、最後ではない」と、少女たちに自らの可能性を追求するよう励ましました。アメリカは可能性に満ちた国で誰でも夢を叶えることができるというメッセージが、アメリカ人の魂に訴える力には計り知れないものがあります。
 その上で私があえて言いたいのは、女性だから、有色人種だからというだけで無条件に応援するのは違うだろうということです。
 たとえば近年、アメリカでは女も軍隊に入って国を支えよう、強い国を作ろうといった、女性ミリタリズムともいうべき新しい潮流も出てきています。昨年新設されたアメリカ宇宙軍は、コマーシャルで若い女性を主人公として「私が歴史をつくる、それが未来へと繋がる」というメッセージを発しており、このコマーシャルはオンライン動画配信サイトなどで頻繁に流れています。女性だからいいというのではなくハリスの政策がどういうものなのかしっかり見極める必要があるでしょう。彼女が、世界中に軍隊を送って戦争することで強い国を目指すというアメリカの伝統的価値観を持った女性ないことをひたすら願っています
 そして日本に対しても、これまでの対米追従の軍事政策を見直してもらいたい少しでも沖縄の負担を減らし、日本が主権国家として独立できるような政策をとって欲しいと願っています


私たちが考えるべきことは

──すべての州で開票が終了した後も、トランプは「不正選挙」を言いつのり、現時点でいまだ「敗北宣言」をしていません。平和的な政権移行ができるのかどうか、危ぶむ声もありますが……。

大矢 万が一、このまま「敗北宣言」が行われないままであれば、トランプ退陣を求める大規模なデモが起こり、そのカウンターとしてトランプを支持する武装勢力が乗り込んでくる……といったことはあり得ると思います。民主的な選挙で決まった結果なのに、スムースに政権移行出来なくて暴動が起きるのではと不安が広がっているなんて、民主主義先進国とは思えませんよね


──「不正選挙だ」という主張に対しては、一般の人々はどう見ているのでしょう? 

大矢 どのメディアを見ているか、どの情報を信じているかによってかなり異なります。バイデン支持者は、何言ってるんだ、いい加減にしろという反応ですし、トランプ支持者は、証拠はなくとも裏に何かある、誰かが操作していると言いつのっています。ただ、いずれトランプが引き下がるとしても、ずっと不正選挙だとかだまされたと言い続けることで、支持者はそれを真実として信じ込んでしまうことになるでしょう。バイデンが大統領になってもその思い込みは消えず、影響は長引くと思います。
 一方、反トランプの側からは、トランプを「国家冒涜罪で逮捕しろ」といった声もあがっています。ただこれは、法的根拠に基づいてというよりは、とにかくトランプが悪い、嫌いだから逮捕しろ、と言っているように聞こえます。
 選挙前、バイデンとトランプのテレビ討論がありましたが、まるで小学生のけんかでしたよね。お互いを罵倒するばかりで、ディスカッションになっていない。本来アメリカには多様な意見を受け入れる土壌があったはずなのに、相手の意見を聞く耳をまったく持たない者同士のののしりあいに終始していました。
 トランプを逮捕しろという声もそれと同じように、単なる「好き嫌い」の世界になっているようで、気にかかっています。


──その他、今後予測されることはありますか。

大矢 トランプ大統領が残された任期の中で、やけくそになってとんでもない大統領令を出すのではないかということも心配です。たとえば中東のどこかを空爆して、「悪党をやっつけてやったぜ」と力を見せつける、それだけのために軍事行動を起こすようなことはあり得るかもしれない、と思います。
 トランプが怖いのは、何をやるかその瞬間まで全く読めないことです。たとえば9・11後のブッシュのイラク攻撃は、そこに至る過程がカウントダウンで読めました。1週間後には戦争が始まるだろうと、誰の目にも明らかだった。けれどトランプは半径2メートルくらいの側近とだけ相談して、いきなりミサイル打ち込むとか、唐突に実行して国民には事後報告、というパターンなんですよ。それが怖い。
 日本人が考えなければいけないのは、万が一そうなった時に日本はこれまでのように無条件にアメリカに付き従うのかということです。自分たちはどうするべきなのか、責任を持って判断しなければならない。トランプの無謀ぶりを語る時には、常に「じゃあ日本はどうする」ということを、主権国家として考えなければならないと思います。


──日本の私たちがアメリカ大統領選を受けて考えるべきは、そこでしょうか。

大矢 もう一つ、トランプの「不正投票」という主張に対し、民主党支持者が「開票結果がすべて」だというプラカードを出しているのを見て、思ったことがあります。
 日本でも、同じように「選挙結果に従え」といってトランプを批判する声がありますよね。でも、そう主張するのであれば沖縄はどうなのだろう、と思ったのです。
 沖縄の人々はこれまで、辺野古に新基地はいらないという意思を、何回も選挙で示してきましたよね選挙結果がすべてというのが民主主義の基本だというのなら、それを無視し続ける日本政府とはいったいなんなのでしょう。「トランプひどい」と言うのなら、日本政府だって同じなのではないかということを自分自身に問い直してほしい。沖縄の状況がいかに理不尽かということも、今回のアメリカ大統領選から日本人は学ぶべきなのではないでしょうか

(構成・写真/マガジン9編集部)



おおや・はなよ 1987年、千葉県出身。琉球朝日放送記者を経て、フリージャーナリスト、映画監督。ドキュメンタリー映画『沖縄スパイ戦史』(2018年・三上智恵との共同監督)で文化庁映画賞優秀賞、第92回キネマ旬報ベスト・テン文化映画部門1位など多数受賞。2020年2月、沖縄・八重山諸島の知られざる沖縄戦「戦争マラリア」を追った10年間の取材記録・ルポ『沖縄「戦争マラリア」-強制疎開死3600人の真相に迫る』(あけび書房)を出版。本作で第7回山本美香記念国際ジャーナリスト賞・奨励賞受賞。2018年フルブライト 奨学金制度で渡米。以降、米国を拠点に軍隊・国家の構造的暴力をテーマに取材を続ける。早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコース修士課程修了(2012年)。現在、カリフォルニア大学バークレー校客員研究員。ツイッター:@oya_hanayo ウェブサイト:https://hanayooya.themedia.jp/
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●《8月ジャーナリズム》と《沖縄にとって戦争は遠い昔話ではない。沖縄は、今も一年中、戦争の延長線上を生きている》(大矢英代さん)

2020年09月14日 00時00分57秒 | Weblog


『論座』の記事【「6・23」で終わらぬ沖縄戦 絶えぬマラリア死、実態追う/大矢英代】(https://webronza.asahi.com/journalism/articles/2020082500003.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter)。

 《「8月ジャーナリズム」と呼ばれるものが存在することなど、私は知らなかったのだ。…そして、被害を受けた土地というだけでなく、戦争のために使われ続ける沖縄の姿がある。これまで沖縄からベトナムイラクアフガン戦場へと米軍が出撃したように。沖縄にとって戦争は遠い昔話ではない沖縄は、今も一年中、戦争の延長線上を生きている》。

   『●斎藤貴男さんの不安…《財界人や自民党の政治家たちが、いつか近場で、
       またああいう戦争を始めてほしい…と願っているのではないか、と》
    《休戦までの3年余で死者300万人を出した戦闘そのものについても、
     すでに憲法9条が施行されていた当時の日本は、占領者としての
     米軍の出撃基地となり、数千人が戦場に出動して、輸送や上陸作戦に
     備えた掃海作業などに従事した》

 『報道特集』(2020年8月29日)にて金平茂紀さんの言葉、「…あとは、沖縄ですよね。歴代の政権の中で沖縄に対して最も冷淡な政権だった」。アベ様や最低の官房長官、その取り巻き連中による沖縄イジメ沖縄差別な7年8カ月。

 さて、『論座』に掲載されていた、映画『沖縄スパイ戦史』(2018年、三上智恵さんとの共同監督)の監督で、「沖縄『戦争マラリア』 強制疎開死3600人の真相に迫る」(あけび書房)の著者・大矢英代さんによる長文の論考。

   『●2019年度文化庁映画賞《文化記録映画部門の優秀賞》を受賞
               …三上智恵・大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』
   『●《「遊撃戦遂行の為特に住民の懐柔利用は重要なる一手段にして
     我が手足の如く之を活用する」…住民同士を監視させ…批判している…》
   『●《「慰霊の日」を迎えた。…鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊の悲劇が
     伝わる一方、護郷隊の過酷な運命は長年ほとんど知られていなかった》
   『●「戦争マラリア」…いま再び自衛隊配備で先島諸島住民を分断し、
                 「戦争や軍隊の本質」の記憶を蘇らせる…
   『●《戦争体験の継承はどうして必要》? 大矢英代さん《二度と同じ手段で
      国家に殺されないように、生活を奪われないように、知恵をつけること》

 「戦争や軍隊の本質」の記憶。沖縄での番犬様の居座りや、嬉々として沖縄を差し出すアベ様や最低の官房長官ら。一方、島嶼部では自衛隊が〝防波堤〟や〝標的〟に。《軍隊は人を守らない大田昌秀さん)》、《軍隊は住民を守らない》《基地を置くから戦争が起こる島袋文子さん)》、《軍隊は同じことをするし、住民も協力するし、軍隊は住民をまた殺すことになる三上智恵さん)》…。
 《戦争体験の継承はどうして必要》なのか? 大矢英代さんは、《二度と同じ手段で国家に殺されないように、生活を奪われないように、知恵をつけること》。《「負の歴史こそが、本物の、騙されない強い未来を引き寄せてくれる力につながるということを、この人たちが私に信じさせてくれた」と著者三上智恵は書いている》。

 この長い論考の結びの言葉《軍隊はなぜ住民を守らなかったのか果たして住民の命を守れる軍隊など存在するのか。何が山下のような軍人を作り出したのか。住民はどのように戦争に巻き込まれ、命令に従ったのか。今こそ、戦争マラリアの歴史から学び、現代社会との共通点をあぶり出さねばならない。それが戦後75年の戦争報道の使命だ。理由はひとつ。二度と同じ手段で騙されないよう知恵をつけるためだ。それこそが本当の意味で、戦争を語り継ぐということだと思う》。

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https://webronza.asahi.com/journalism/articles/2020082500003.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter

「6・23」で終わらぬ沖縄戦
絶えぬマラリア死、実態追う

大矢英代 ジャーナリスト、ドキュメンタリー監督
2020年08月28日
沖縄スパイ戦史|沖縄戦|8月ジャーナリズム


■今も戦争の延長線上に

 「大矢さん、あなたの番組企画案は沖縄戦についてですよね? なんで今回の会議に持ってきたんですか?」

 2015年11月、テレビ朝日で開かれたドキュメンタリー番組会議でのこと。プロデューサーは、意味が分からないという表情で私に問いかけた。当時、沖縄の系列局で報道記者をしていた私は、かねて構想を温めていた番組の全国放送枠を求め、渾身の企画書を抱えて会議に望んでいた。記者4年目の私にとって、初めてとなる番組企画。主人公は沖縄戦に従軍した96歳の元日本兵だ。番組内容を説明した直後、プロデューサーから開口一番に問われたのが冒頭の質問だった。私は質問の趣旨が分からず困惑した。企画案のねらいが不明瞭だったのかもしれない。改めて、体験者の高齢化が叫ばれる今、どうしても証言を伝え残したいと強調した。

 「いや、それは分かるんですけど……」とプロデューサーは言った。

 「今回の会議では冬季の番組ラインナップを決めるんですよ。戦争の番組なら夏ですよね?」

 企画案はあえなくボツになった。内容に懸念があるならまだしも、季節がずれているという理由で不採用になるとは想像もしていなかった。「8月ジャーナリズム」と呼ばれるものが存在することなど、私は知らなかったのだ。

 それは、沖縄メディアと本土メディアの間に横たわる戦争への意識の違いを露骨に表していた。沖縄メディアにとって、戦争は避けることのできない永久のテーマだからだ。

 例えば、米軍基地問題の取材のためには、原点である沖縄戦の歴史を学ばねばならない。沖縄の子どもの貧困率は29.9%(沖縄県・2016年)で、全国平均の約2倍といわれているが、深刻な貧困や社会格差の取材をすれば、県民の生活を破壊し尽くした沖縄戦と米軍統治からの社会保障の遅れの問題に行き着く。戦後70年以上が経って戦争トラウマ(PTSD)を発症し、苦しんでいる戦争体験者たちの取材では、彼らにとって「終戦」など決して訪れないのだということを知った。

 今年4月には那覇空港の滑走路近くで不発弾3発が見つかった。沖縄が日本に復帰した1972年から2018年までに処理された不発弾は、3万8003件(沖縄県・平成30年版消防防災年報)に上り、1年間で平均約800件もの不発弾処理が行われていることになる。そして、被害を受けた土地というだけでなく、戦争のために使われ続ける沖縄の姿がある。これまで沖縄からベトナムイラクアフガン戦場へと米軍が出撃したように。

 沖縄にとって戦争は遠い昔話ではない沖縄は、今も一年中、戦争の延長線上を生きている

 その上で指摘したい。沖縄にも本土の「8月ジャーナリズム」なるものが確かに存在するということだ。6月23日の慰霊の日である。毎年6月が近づくと慰霊の日に向けた特集が組まれ、6月23日には県内メディアは総力をあげて取材にあたる。早朝、糸満市摩文仁の平和祈念公園の朝日から始まり、戦争体験者や遺族たちによる平和行進の取材、式典の中継と、報道は沖縄戦一色になる。

 私は5年間、毎年慰霊の日の取材に全力を投じながらも、心のどこかで一抹の疑問を抱いていた。それは私が記者になる以前の学生時代、「6月23日では終わらなかった沖縄戦」を取材してきたからだろう。「もうひとつの沖縄戦」とも呼ばれる八重山諸島の「戦争マラリア」である。


■地上戦なき島々で、なぜ

 その朝、私は手に取った新聞に聞きなれない言葉を見つけた。「戦争マラリア」。初めて聞く言葉だった。

 今から11年前の09年8月。終戦記念日の翌朝、私は石垣島の地元新聞社・八重山毎日新聞社の編集部にいた。将来のジャーナリストを目指して早稲田大学ジャーナリズム大学院で学んでいた私は、夏休みの間、新聞記者のインターンシップをしていた。

 千葉県で生まれ育った私にとって、終戦記念日は広島・長崎など戦争の犠牲者を追悼する日であり、当然、地元メディアも同様のニュースを伝えるものだと思っていた。ところが、実際に伝えていたのは、戦争マラリア犠牲者の慰霊祭だった。

 戦争マラリアは、沖縄戦最中の八重山諸島(波照間島、石垣島、黒島などの離島からなる日本最南端の地域)で起きた。当時、八重山諸島に駐留していた日本軍は、「米軍上陸」を口実に、軍命により一般住民たちを山間部のジャングル地帯へ強制的に移住させた。熱病・マラリアの有病地として、昔から住民たちに恐れられてきた場所だった。粗末な丸太小屋をたてて2~5カ月間の移住生活を続けた住民たちだったが、医療も食糧も乏しい中で、次々とマラリア蚊の犠牲になり、3600人以上が死亡した。

 戦争マラリアを初めて知った当時の私は衝撃を受けた。米軍の上陸も地上戦もなかった島々で、大勢の一般住民が犠牲になったこと。なによりも、相手国の軍隊ではなく、自国軍によって犠牲がもたらされたこと。そして、これほど重大な歴史を22歳になるまで知らなかった自分自身の無知を恥じた。体験者から直接、真実を聞きたいと思った。彼らの肉声を伝え残せるのは、今が最後の機会だ。私は証言をドキュメンタリー映像として記録することに決め、ビデオカメラを抱えて石垣島で取材をはじめた。無論、家族が犠牲になったつらい体験を、突然やってきた若僧に気軽に話してくれる体験者などいなかった。口を開いてくれた体験者たちも「本当は言いたくないんだけど……」と苦しみながら、ときに涙しながら、強制移住の記憶を語ってくれた。取材は体験者たちの傷口を開くことなのだと知ったとき、本土と八重山を短期間で行き来する「パラシュート取材」を続けてきた自分を反省した。本腰を入れて取材をしようと決意し、大学院に休学届を出した。向かったのは日本最南端の島・波照間。戦争マラリアで人口の3分の1(552人)が死亡し、最も大きな被害を受けた島だ

 ここで私は8カ月間を過ごした。自宅に受け入れてくれたのは、サトウキビ農家の浦仲浩さん、孝子さん夫妻だった。孝子さんは13歳で戦争マラリアを体験し、家族11人のうち9人を失った。唯一、共に生き残った妹(当時9歳)と2人で力を合わせて戦後を生きてきた。体験者と共同生活をしながら、一緒にサトウキビ畑で働き、少しずつ心を開いてくれる姿をカメラに記録した。

 「戦争体験者」「証言者」と呼んでいた人たちを、やがて「おじい、おばあ」と呼ぶようになり、さらに島の言葉「ベスマムニ」で「ブヤー(おじい)」「パー(おばあ)」と呼ぶようになった頃、「ウランゲーヌアマンタマ(浦仲家の女の子)」と、私は島の人たちから呼ばれるようになった。


■「慰霊の日」報道に疑問

 11年6月、波照間にきて半年が過ぎた頃、慰霊の日がやってきた。私は朝からビデオカメラを回した。孝子おばあは、いつも通り朝6時過ぎに起きて、庭の草むしりをしていた。昼には好物の氷ぜんざいを頬張る。いつもと何も変わらない淡々とした日常があった。

 孝子おばあは、慰霊祭に一度しか参列したことがないという。考えてみれば、当然のことである。戦時中の6月23日、住民たちはまだ強制移住先のジャングルの中にいた。猛威をふるうマラリアで次々と絶命し、終戦後の9月になっても死者は後を絶たなかった。沖縄本島で牛島満司令官らが自決しても、それは住民たちにはなんら関係のないことだった。

 戦争マラリアの取材で私が見つめたのは、6月23日で終止符が打たれた沖縄戦とは全く異なる戦争の実態だった。沖縄戦=沖縄本島での地上戦という一般的なイメージからこぼれ落ちてきた戦争マラリアの歴史は、「もうひとつの」「第二の」などと呼ばれることで、沖縄戦と区別されてきた。単なる戦病死と勘違いされることも多かった。多くの体験者たちが「自分たちはつらかったけど、それでも沖縄本島の人たちよりは、まだよかったんだ。つらいなんて言っちゃいけない」と心に鍵をかけ、苦しみを語れずに戦後を生きてきた。そんな体験者たちに出会うたびに、学生時代の私は、慰霊の日を戦争・平和報道のピークとする沖縄の報道のあり方に疑問を抱いた。地上戦がなかった島々で、自国軍によって甚大な被害を受けた一般住民の存在こそ、沖縄戦の最暗部の歴史だからだ

 17年、私はフリーランスに転身し、翌年7月、ドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」(三上智恵氏との共同監督)を公開した。テーマは沖縄戦の「裏の戦争」だ。地上戦の背後で活動していた日本軍のスパイ・陸軍中野学校卒業生たちによる作戦の実態を描いた。陸軍中野学校とは、ゲリラ戦や情報戦を専門とする特殊教育をおこなっていた極秘機関である。

 彼らによって訓練され、銃を持って米軍と戦わせられた少年兵・護郷隊。「米軍のスパイではないか」と疑心暗鬼になり、互いを監視し、傷つけあった住民たち。そして日本軍に故郷を追われてマラリアで絶命した八重山の人々日本軍がどのように住民たちを作戦に利用し、時に武器を持って戦わせ、そして住民たちが軍にとって「不都合な存在」となった時、一体何が起きたのか。戦後これまで語られてこなかった沖縄戦の最も深い闇を「スパイ」というキーワードで描いた。

 なぜ今、私は沖縄戦を取材するのか。それは他でもない、現代社会を読み解くための鍵が埋もれているからである。私にとって、それはある男の姿を追うことで明確になっていった。波照間の強制移住を指揮した山下虎雄である。


■優しい顔で死を強いた

 「とっても優しい人だったよ。子どもたちはみんな『先生! 先生!』と呼んで親しんでいた。おもちゃの飛行機も作ってくれたよ。教えるのも上手だったさ」

 「非常にユーモアのある人でね、フラダンスとかいって、僕らが見たこともないような面白い踊りをして笑わせてくれたよ」

 波照間島の体験者の多くは、幼い頃に山下虎雄と過ごした楽しい日々を今もはっきりと覚えている。

     (映画「沖縄スパイ戦史」から ©2018「沖縄スパイ戦史」製作委員会)

 山下が青年学校指導員として島にやってきたのは、沖縄戦が始まる約3カ月前だった。教員になりたての若者で、身長180センチほどのがっしりとした体格。色白の顔。住民たちは、遠路遥々やってきた「ヤマトゥーピトゥー(大和人=日本人)」の青年を盛大な歓迎会を開いてもてなし、手厚く世話をした。

 山下先生の来島から2カ月後、沖縄本島で地上戦が始まった頃、山下先生が豹変する。住民たちに「西表島へ移住せよ」と迫ったのだ。波照間と海を隔てた対岸約20キロにある西表島は、全土がマラリアの有病地だった。移住を拒む住民たちに対し、山下先生は軍刀を振りかざし、「これは天皇陛下の命令だ。聞かない奴はぶった切る」と脅した。故郷を追い出された住民たちはマラリアに斃れ、仮埋葬地となった砂浜は足の踏み場もないほど遺体であふれ返った。

 青年学校指導員・山下虎雄の正体は、陸軍中野学校の卒業生だった。

 「殺してやりたいくらい憎い。あの人のせいで、みんな死んでしまったのに……」

 波照間の戦争体験者たちは、戦後75年となる今も、山下への怒りを抱えていた。家族を失った当事者ならば当然のことだろう。

 戦争マラリア取材を始めた頃の私は23歳。波照間に潜伏していた頃の山下と皮肉にも同じ年頃だった。果たして、彼は狂気の軍人だったのだろうか。彼を強制移住に駆り立てたのは、何だったのか。


■なぜ残虐行為ができるのか

 私たちは幼少期から「人を傷つけてはいけない」と倫理観を教わり育つ。にもかかわらず、なぜ軍人になると残虐行為ができるようになるのか。軍隊は人間をどう変えるのか

 疑問を抱えて、米国ドレクセル大学のエリック・ジルマー教授を取材した。軍隊における人間心理を研究するジルマー教授は、「人間を殺人や破壊行為ができる『マシーン』に作り替えるためのキーワード」として三つの指摘をした。

 ①命令の存在。「たとえどんなに残虐な行為だとしても、命令があればできてしまう」とジルマー教授は言う。

 ②残虐行為を集団で行うこと。初年兵訓練では「私=I」という主語が禁止されているという。個を奪い、命令にだけ従うロボットに変えることで、一人前の兵士が出来上がる。

 ③行為を細分化すること。例えば殺人という目的を果たすために、兵士Aは弾を用意し、兵士Bは弾を銃に詰め、兵士Cは引き金を引く。残虐行為を細分化することで個々人の倫理は薄れる。

 山下の行為は、これらにぴたりと当てはまる。

 まず命令の存在について、強制移住は山下の単独行動ではなく、日本軍の作戦計画に基づくものだった。

 沖縄戦開戦の4カ月前、1944年11月、陸軍省と海軍省は、全国の沿岸警備の方針を定めた「沿岸警備計画設定上ノ基準」を沖縄をはじめ全国の軍司令官らに通達した。その中で八重山地域は「主要警備ノ島嶼」と位置づけられ、「在住民の総力を結集して直接戦力化し、軍と一体となり国土防衛にあたるべき組織態勢を確立強化する」とされた。これに基づき、軍事作戦の円滑化のための官民の協力体制づくりと、非常事態における住民の移住を含めた住民対策が計画された。最前線に住民がいては戦闘の邪魔である。ましてや住民が敵の捕虜となれば日本軍の配置や軍施設の情報などが敵に漏洩してしまう。そう懸念した日本軍は、基地建設や食糧生産、戦闘に住民を利用すると同時に、情報漏洩を恐れて住民を監視下におくという矛盾に陥っていく

 45年1月1日付で作成された日本軍の作戦計画書「南西諸島守備大綱」では、住民の移住についてこう取り決められた。

 「直接的戦闘に参加できない老人や子どもなどは、事前に近くの島、もしくは島内の適切な場所に移住させること。これは日本軍の作戦を容易に遂行するため、また混乱を防止し、被害を少なくするためである」

 住民の移住先は「日本軍が配備されている島に限る」とされた。波照間から最も近い島は、マラリア有病地の西表島だった。


■山下が担った秘密作戦

 ジルマー教授が指摘した集団と細分化についても、山下の行動に当てはまる。実は、沖縄戦に送り込まれた陸軍中野学校卒業生は、山下だけではない。総勢42人にも上っていた。彼らの任務は遊撃戦(ゲリラ戦)の展開。沖縄の正規軍である第32軍が壊滅したあと、山間部にこもり、「皇土防衛のために、一日でも長く沖縄で米軍を足止めせよ」という大本営の「沖縄捨て石作戦」を遂行することだった。

 45年6月23日は、牛島司令官らの自決日であり、沖縄戦の組織的終結日とされている。しかし、正規軍壊滅後の作戦遂行を任務とする中野学校卒業生たちにとって、この日は本来の任務開始日に過ぎず、最後の一兵に至るまで戦い抜くという終わりなき沖縄戦の幕開けだった。そのために地元の少年たちでゲリラ部隊「護郷隊」を組織し、米軍との戦闘や、米軍戦車に爆弾を背負って体当たりする自爆作戦を取らせるなど、子どもたちを酷い作戦へと巻き込んでいった。

 その中で「離島残置諜者」と呼ばれていた山下の任務は、「民間人の立場で情報を収集し、万が一、米軍が上陸してきた場合、それまで訓練していた住民を戦闘員と仕立て上げ、遊撃戦を行うことだった。第32軍は、そのために県知事島田叡と交渉し、彼らに正式な国民学校指導員と青年学校指導員の辞令書を出させ、偽名を使い、各島々へ潜伏させたのである」(『陸軍中野学校と沖縄戦』川満彰著、吉川弘文館、2018年)

 山下が優しい先生を演じて、住民の信頼を得たのは、作戦遂行のために住民を懐柔する必要があったからである。

 山下は、波照間の子どもたちで「挺身隊」を組織し、手榴弾の使い方を指導した。しかし、それは「米軍との戦闘のためだけではなかった」と、元挺身隊員の銘苅進さん(取材当時87歳)は語った。

 「自決。手榴弾で死ねなかった時のために、『喉元刺しなさい』と山下から短刀を持たされていた。住民が米軍に捕まったらスパイになるからですよ。山下は結局、日本軍のことを米軍に聞き取りされると思ったんじゃないか」

 取材を進めるごとに見えてきたのは、徹底的に軍の作戦と命令に従い、与えられた任務を着実に遂行したエリート軍人の姿だった。

 しかし、疑問は残る。人間は本当にロボットになりきれるのだろうか。一抹の罪悪感も疑問も抱かなかったのだろうか。


■嘘で固められた正義

 私は2018年秋から取材拠点を米国に移した。プロジェクトのひとつとして元米兵たちの取材を続けている。

 「突然『イラクへ行け』と命令が下った。なぜイラクに攻め込むのか、分からなかった」

 そう語ったのは、元海兵隊員のカイル・ロジャースさん(36)だ。04年、沖縄のキャンプ・ハンセンからイラク・ファルージャに出撃した。

 「世界地図で米軍の配置図を見ると、中東には米軍基地がほとんどない。米軍が行かなければ、どこかの国が基地を造ってしまう。ならば世界一優秀な僕らが行くべきだ。そんな理由づけを自分なりに考えて、納得しようとした」

     (イラク・ファルージャで、米軍の発砲で14人が死亡した事件に
      抗議する市民を監視する米兵=2003年4月)

 出撃前、沖縄ではマシンガンやハンヴィー(軍用車両)などの準備に追われた。「生きては帰れない」「どうせ死ぬんだから」と浴びるように酒を飲んだ。イラクでは、米軍司令部から受信した情報や命令をチームに伝えるラジオ・オペレーターとしての任務についた。

 「ハンヴィーで街中を巡回中、僕らを狙って砲撃が始まったら、敵が逃げ込んだ民家に乗り込んで殺した。怪しい人物は拘束して尋問部隊に引き渡す。でも大抵は容赦なく殺した。僕らはまるで『リトル・ブルドッグ』だった。暴れまくって、たくさんの犯罪をやった。たばこがなくなったら、近くの商店を襲撃した。米軍ヘリは、民間地上空を低空飛行しながらヘビーメタルを大音量で流していた。なんのためって? ただ、イラク人を怖がらせるためさ」

 退役後、PTSDを発症し、退役軍人病院に1年間入院した。今も銃撃事件のニュースが流れるたびに、「次は自分がやってしまうのではないか」という恐怖に苛まれるという。

 カイルさんをはじめ、これまで30人ほどの元兵士たちを取材した。気がついたのは、全ての米兵たちが米国の正義を信じて戦場に向かった訳ではなかったということだ。むしろ多くの兵士たちが、対テロ戦争に疑問を持っていたにもかかわらず、様々な理由づけを考えて、なんとか自分を納得させようとしていた。そして自分が信じた正義が嘘で塗り固められたものだったと気がついたとき、彼らは心を病み、PTSDを発症していく。ジルマー教授が指摘した「命令」「集団」「細分化」がそろってもなお、兵士たちには捨て去ることのできない人間性が残されているように私には思えた。


■民衆の弱さを問う

 「戦争になると、国家は『国』というものを大事にして『民』を犠牲にする。でも『国』は『民』があって初めて成り立つものでしょう? 戦争になるとね、そんなことも国民は忘れてしまうんですよ

 12歳で強制移住を経験した石垣島の潮平正道さんは、私に何度もこう語り、民衆の弱さを問い掛けた。

 「八重山の人たちも、『お国のため』『天皇のため』と言って、マラリアで死ぬと分かっていながら軍の命令に従ったんだから」

 また、波照間島の強制移住について、当時の島のリーダーであり元村議会議員の仲本信幸さんは、戦後のインタビュー取材でこう回想した。

 「慶良間に米軍が上陸し、島人がスパイになったから、沖縄本島が上陸された。だから、波照間でも同様のことが起こりかねないから、日本全体のため、八重山全体のために、波照間島民は犠牲になっても構わないと(山下が言っていた)。(私は)それなら仕方がないということで……」

 強制移住を「仕方がない」と言った仲本さん。国家のために命を捨てることが正しいとする価値観と、軍命に逆らうことなどできない環境の中で、住民は死を覚悟で軍命に従った。それは75年前の昔話なのだろうか。日本軍からの「命令」であれ、現在の国会が次々と生み出す「法律」であれ、行政や警察、自衛隊から求められる「協力」であれ、権力は様々なかたちを変えて私たちを取り巻いている。もしも、それに従うことが私たちの命を危険にさらすことになるとしても、絶対的な権力を振りかざされた時、私たち―あなた、私―は、果たして、どこまで抗うことができるのか

 私たちは、いつでも次の犠牲者にも、次の「山下」にもなり得る。無意識のうちに、あるいは「正義」の名の下に率先して、残虐行為の片棒を担ぎかねない。私たちの中にある普遍的な弱さを、今、ひとりひとりが問わねばならない。


■「尊い犠牲」からの脱却

 「戦争体験者の高齢化による戦争の風化」。日本のテレビや新聞がこう叫びはじめて何年が経つだろうか。体験者がいなくなれば、証言を直接聞く機会が失われ、戦争体験の継承が不可能になるという。しかし、本当にそうだろうか

 対テロ戦争が20年目に突入した米国では、毎年、若い戦争体験者が増え続けている。もし、戦争体験者が増えることで、戦争の恐ろしさが市民に伝わり、平和な社会が実現するならば、米国はとっくに戦争のない国になっているはずである

 〝Thank you for your service.(従軍に感謝します)〟。米国では、軍関係者に感謝の言葉をかける文化がある。serviceをsacrificeに言い換えて、「犠牲を払ってくれて感謝します」という人も多い。今年5月には、毎年恒例の「米軍感謝月間」と戦没将兵記念日「メモリアルデー」が祝われた。戦争と軍隊を賛美する価値観が、文化の根底にある。「米国の自由と民主主義を守ったヒーロー」の名声と共に一生を過ごす元兵士たちが大多数だが、私が取材をした元兵士たちの多くは、「感謝されるのが一番つらい」と胸の内を明かした。「自分が戦場で何をしてきたのか、何も知らないくせに……」と。

 元兵士たちの声を聞く中で気づかされたのは、戦争体験の継承において、体験者の減少は本質的な問題ではないということだ。問題は、戦争体験をどう評価するのかである。米国市民が、元兵士や戦没者を「尊い犠牲」と見なす価値観から脱却することなしに米国政府がいう「正義の戦争」の殻を破ることは不可能だ

 これは日本も他人事ではない。私自身、子どもの頃から受けてきた平和教育では、「戦没者たちの尊い犠牲の上に、今の平和な日本がある」と繰り返し教えられてきた。しかし、戦争の歴史をひもとけば、自国軍の存在ゆえに死亡した3600人以上の八重山の住民たちがいる。彼らを「尊い犠牲」と呼ぶことで、放免されるのは国家と軍隊の責任であり、命令や集団に従う人間の普遍的弱さは学ばれないまま、個人の命を切り捨てることによって国体を守ろうとした歴史は忘却されていく

 軍隊はなぜ住民を守らなかったのか果たして住民の命を守れる軍隊など存在するのか。何が山下のような軍人を作り出したのか。住民はどのように戦争に巻き込まれ、命令に従ったのか。今こそ、戦争マラリアの歴史から学び、現代社会との共通点をあぶり出さねばならない。それが戦後75年の戦争報道の使命だ。理由はひとつ。二度と同じ手段で騙されないよう知恵をつけるためだ。それこそが本当の意味で、戦争を語り継ぐということだと思う。


※本論考は朝日新聞の専門誌『Journalism』8月号から収録しています。同号の特集は「8月ジャーナリズム」です。
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●《戦争体験の継承はどうして必要》? 大矢英代さん《二度と同じ手段で国家に殺されないように、生活を奪われないように、知恵をつけること》

2020年08月14日 00時00分48秒 | Weblog


永田健記者による、西日本新聞のコラム【時代ななめ読み/「戦争体験」というバトン】(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/625471/)。
志真秀弘氏による、レイバーネットの書評【〔週刊 本の発見〕三上智恵『証言 沖縄スパイ戦史』/過ちの記録こそ次の過ちを防ぐ地図になる】(http://www.labornetjp.org/news/2020/hon165

 《ジャーナリストの大矢英代(はなよ)さんが今年2月「沖縄『戦争マラリア』 強制疎開死3600人の真相に迫る」(あけび書房)を出版した。悲劇の裏に隠された軍隊の非人間性に切り込んだ労作で、優れた国際報道を顕彰する賞も受賞した。千葉県出身、1987年生まれの大矢さんはなぜ、この問題に取り組んだのか》。
 《映画『沖縄スパイ戦史』(2018年、三上智恵大矢英代共同監督)は埋もれていたこのもう一つの沖縄戦を証言によって描き、大きな衝撃をあたえた。本書は、これに新たな少年兵の証言、軍が全国に遊撃隊を展開しようとしていたことを明かす証言、さらにその後判明した住民虐殺の真相なども加わり、読むものの魂を揺さぶる》。

   『●「戦争マラリア」…いま再び自衛隊配備で先島諸島住民を分断し、
                「戦争や軍隊の本質」の記憶を蘇らせる…

 「戦争や軍隊の本質」の記憶。沖縄での番犬様の居座りや、嬉々として沖縄を差し出すアベ様や最低の官房長官ら。一方、島嶼部では自衛隊が〝防波堤〟や〝標的〟に。《軍隊は人を守らない大田昌秀さん)》、《軍隊は住民を守らない》《基地を置くから戦争が起こる島袋文子さん)》、《軍隊は同じことをするし、住民も協力するし、軍隊は住民をまた殺すことになる三上智恵さん)》…。
 《戦争体験の継承はどうして必要》なのか? 大矢英代さんは、《二度と同じ手段で国家に殺されないように、生活を奪われないように、知恵をつけること》。《「負の歴史こそが、本物の、騙されない強い未来を引き寄せてくれる力につながるということを、この人たちが私に信じさせてくれた」と著者三上智恵は書いている》。

   『●『沖縄スパイ戦史』(三上智恵・大矢英代共同監督): 
           「「スパイリスト」…歪んだ論理が生み出す殺人」
   『●三上智恵・大矢英代監督映画『沖縄スパイ戦史』…
       「戦争というシステムに巻き込まれていった人たちの姿」

   『●「改めて身に迫るのは、軍隊というものが持つ
      狂気性」(高野孟さん)と、いまも続く沖縄での不条理の連鎖
    《マガジン9連載コラム「沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌」でおなじみの
     三上智恵さんが、大矢英代さんとの共同監督で制作した
     映画『沖縄スパイ戦史』が7月下旬からいよいよ公開…
     「軍隊は住民を守らない」…「戦争や軍隊の本質を伝えたい」》。

   『●『沖縄スパイ戦史』と《記憶の澱》…
     「護郷隊…中高生の年頃の少年たち…スパイと疑われた仲間の処刑…」

    《▼日本軍第32軍の周辺で起きた本島中南部の激戦を「表の沖縄戦」と
     すれば、映画が描くのは北部の少年ゲリラ兵部隊護郷隊」や八重山
     戦争マラリアなどの「裏の沖縄戦」。綿密な取材による証言と資料映像で、
     6月23日以降も続いた遊撃戦の実相をつづる》

   『●自衛隊配備・ミサイル基地建設…『沖縄スパイ戦史』「自衛隊
              …昔と同じく住民を顧みない軍隊の本質」暴露
    「レイバーネット…のコラム【<木下昌明の映画の部屋 243回> 三上智恵
     大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』/住民500人を死に追いやった犯罪】」

   『●沖縄デマによる市民の分断: 『沖縄スパイ戦史』の両監督…
               「反基地運動は中国のスパイ」デマも同根
   『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません…
               私たちが何を学ぶのかが今、問われている」①
   『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません…
               私たちが何を学ぶのかが今、問われている」②
   『●『沖縄スパイ戦史』: 「それまで『先生』と島の人たちに
           慕われていた山下が抜刀した」…「軍隊の本性」
   『●2019年度文化庁映画賞《文化記録映画部門の優秀賞》を受賞
               …三上智恵・大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』
   『●《「遊撃戦遂行の為特に住民の懐柔利用は重要なる一手段にして
     我が手足の如く之を活用する」…住民同士を監視させ…批判している…》
   『●《「慰霊の日」を迎えた。…鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊の悲劇が
     伝わる一方、護郷隊の過酷な運命は長年ほとんど知られていなかった》

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https://www.nishinippon.co.jp/item/n/625471/

時代ななめ読み
「戦争体験」というバトン
2020/7/12 11:00
西日本新聞 オピニオン面 永田健


 「戦争マラリア」という言葉をご存じだろうか。

 先の大戦で沖縄戦中、八重山諸島波照間島石垣島などの住民が日本軍の命令でマラリアの蔓延(まんえん)する地域に移動させられ、感染して死亡した惨事のことだ。米軍上陸のなかった八重山諸島で、どれほど必要性があったかも不明な強制疎開により、人口の1割強に当たる3千人超がマラリアで亡くなったとされる。

 現在コロナ禍に見舞われている私たちなら「感染症で10人に1人が死ぬ」という状況のすさまじさが少しは想像できるだろうか。例えるなら東京で100万人が死ぬようなものなのだ。

 ジャーナリストの大矢英代(はなよ)さんが今年2月「沖縄『戦争マラリア』 強制疎開死3600人の真相に迫る」(あけび書房)を出版した。悲劇の裏に隠された軍隊の非人間性に切り込んだ労作で、優れた国際報道を顕彰する賞も受賞した。千葉県出身、1987年生まれの大矢さんはなぜ、この問題に取り組んだのか。

   ◇    ◇

 大矢さんは2009年、大学のインターンシップ(就業体験)で八重山の新聞社に行き、初めてこの問題の存在を知った。波照間島に移住して住民の家に下宿し、8カ月間農作業を手伝いながら戦争マラリアの体験談を集めた。その後も沖縄のテレビ局に就職するなどして、断続的にほぼ10年にわたり取材を続けた。

 現在、米カリフォルニア州を拠点に活動する大矢さんにメールで話を聞いた。

 -なぜこの問題を?

 「こんな重大な歴史をどうして22歳になるまで知らなかったのか、自分の無知を恥じました。学校で誰も教えてくれなかったのなら自分で調べたい。それがスタートでした」

 「実際に取材してみると、簡単に証言してくれる人はいませんでした。思い出したくもない体験なので、当たり前ですよね。家の前でチャイムが押せず30分ぐらいうろうろしたり…」

 「『自分が生きているこの時間は、体験者にとって最後の時かも知れない』という危機感がありました。今聞いて映像に残しておかないと遅れになってしまう。そんな思いでした」

   ◇    ◇

 私も記者として戦争体験者に話を聞くことがある。長年自問自答していることを大矢さんにも聞いた。

 -そもそも、戦争体験の継承はどうして必要なのでしょうか?

 「二度と同じ手段でだまされないように。これ以外にないと思います」

 「戦争の歴史は、国家と住民の関係性、軍隊の構造的暴力性、そして命令や集団に従う住民の弱さといった、いつの時代にも当てはまる普遍的問題を伝えています。負の歴史を学ぶことは、二度と同じ手段で国家に殺されないように、生活を奪われないように、知恵をつけることです

 「取材するたび、バトンを受け取る気持ちがします。相手から受け取ったバトンを持って、一生懸命走って書いて)、ゴール社会に伝える。私の記事や作品を見た人がまた誰かにバトンを渡す。そのリレーが続いていくことが継承なのかなと思っています」

 大矢さんが取材した住民のうち、すでに3人が亡くなり、3人が証言するのが困難になったという。

 日本の夏は、バトンの重みを感じる季節である。

 (特別論説委員・永田健
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http://www.labornetjp.org/news/2020/hon165

赤白抜き〔週刊 本の発見〕三上智恵『証言 沖縄スパイ戦史』

毎木曜掲載・第165回(2020/7/16)
過ちの記録こそ次の過ちを防ぐ地図になる
証言 沖縄スパイ戦史』(三上智恵、集英社新書、2020年2月刊、1700円)評者:志真秀弘

 1945年3月26日、米軍は慶良間諸島に、さらに4月1日沖縄本島に上陸し、陸軍第32軍との間で凄惨な地上戦が繰り返される。その結果民間人を含む20万人余りが亡くなり、6月23日牛島満司令官の自決によって沖縄を「本土決戦の捨て石」とする作戦は実際上終わる。が、本島北部にはすでに前年9月、スパイ養成を目的とする陸軍中野学校出身者が大本営より配属されていた。第32軍壊滅後も米軍を撹乱するために、徴兵前の15歳から17歳の地元の少年たちを主力に遊撃隊を組織する任務がかれらに与えられた。第一護郷隊(正式名称は第三遊撃隊、村上治夫隊長)は今帰仁村、名護町などの出身者610名、第二護郷隊(第四遊撃隊、岩波壽隊長)は国頭村、大宜味村などの出身者388名からなった。

 映画『沖縄スパイ戦史』(2018年、三上智恵大矢英代共同監督)は埋もれていたこのもう一つの沖縄戦を証言によって描き、大きな衝撃をあたえた。

 本書は、これに新たな少年兵の証言、軍が全国に遊撃隊を展開しようとしていたことを明かす証言、さらにその後判明した住民虐殺の真相なども加わり、読むものの魂を揺さぶる。

 本書は「少年ゲリラ兵たち」の証言から始まる。

 彼ら21人の証言のどれからも戦場となった村の空気、そこで生活する人たちの呼吸、そして一人ひとりの戦後の人生が伝わってくる。

     (*映画『沖縄スパイ戦史』より)

 たとえば1929年生まれの「リョーコー二等兵」こと端慶山良光(ずけやま・よしみつ)さんの証言。戦場で頬に手榴弾の破片を受け傷病兵になる。同じ傷病兵の友人は足手纏いになるからと軍医が射殺する。彼も逃げる途中殺して置いていくと仲間に言われるが、半死半生で生まれた村にたどり着く。が、村に帰ったあと戦争PTSDを発症。村内で暴れ回るために座敷牢に閉じ込められるなど「兵隊幽霊」と呼ばれ苦しむ。が、五十歳を超えてキリスト教の洗礼を受け、信仰に助けられPTSDを克服する。いま彼は一人で暮らす。「沖縄戦のこと忘れたら、また地獄がきますよって。僕は…桜の木を七十歳から植えはじめたんですよ。緋寒桜七十本あまり、…英霊ですね、沖縄戦でなくなった若い人たちの。…これを見てみんなに沖縄戦思い出してもらって。」が、かれに国による補償は何もない。護郷隊は秘密組織だから兵歴とみなさないという「理屈」のようだ。

 当時22、3歳だった村上、そして岩波二人の隊長への敬愛の念を隊員たちは異口同音に語っている。二人とも隊員には暴力を振るわず、生き延びることを指示した。それがゲリラ部隊の基本とも言えるが、それは二人がマニュアル通りに努めたというのとは違う。隊員の誰にとってもかれらは優しく、そして人格者であった。が、同時に戦闘のプロつまり敵を殺すプロだった。その両面が彼らにはあった。

 戦後、村上は沖縄へ家族共々慰霊のために毎年のように足を運んだ。そして最後は車椅子に乗って参列し、「もうわんわん、子供のようにね、顔を崩して」人前も構わず泣きじゃくったという。かれが抱えた戦場の闇はそれほど深かったのだろうと著者は書いている。村上は勇猛なゲリラ隊長であって、91人もの部下を死なせた末に生き延びた。その罪を抱えてかれも戦後を生きなければならなかった。そこに浮かび上がるのは沖縄戦の、ひいては戦争そのものの罪深さだ。

 後半の「スパイ虐殺の証言」「虐殺者たちの肖像」の二つの章が、複雑極まりない過程を丹念に捉えて明らかにしているのも、沖縄の地上戦が強いた戦場犯罪の構造と言える。だからこそこれらのことは、不問に付していいことでは決してない。

 「負の歴史こそが、本物の、騙されない強い未来を引き寄せてくれる力につながるということを、この人たちが私に信じさせてくれた」と著者三上智恵は書いている。

 著者の執念がこの本の力を産んだ。本書こそ2020年ベストワンと言い切っておきたい。一人でも多くの人がぜひとも本書を手にとってほしい。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・根岸恵子、ほかです。
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●辺野古は単なる破壊「損」…《普天間飛行場の危険性を除くためだとしても、同じ県内に基地を移しては負担軽減にならないにもかかわらず》

2020年07月27日 00時00分07秒 | Weblog

[※ 辺野古は破壊「損」米軍飛行場の移設先として工事が進む沖縄県名護市の海岸】(東京新聞 2020年4月3日)↑]



東京新聞の社説【本土復帰から48年 「沖縄の心」届く日は】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2020051402000144.html)。
週刊朝日のコラム【室井佑月「絶対に必要だった?」】(https://dot.asahi.com/wa/2020070800014.html)。

 《沖縄県が日本に復帰してから四十八年がたちますが、県内には在日米軍専用施設の約70%が残り新しい基地すら造られようとしています。「基地なき島」を切望する県民の心は、いつになったら日本政府に届くのでしょうか。…政府の枢要を占める政治家や官僚にはぜひ、かつて岸氏のような官僚がいたことを思い起こしてほしい。本土に住む私たちも同様に、沖縄の現実から目を背けてはならないのは当然です》。
 《(てか、戦争になったら、イージス・アショアが配備されている地域が真っ先に敵のミサイルに狙われるだろうしな)…もうこうなったら、「絶対に必要だ」と言い張った人たちの今の意見が知りたいよ。…軟弱地盤の改良で、いくらかかるかわからない辺野古の新基地も、怪しい》。

   『●大田昌秀さん「軍隊は人を守らない」と、
     従軍記者ボールドウィン氏「沖縄戦は、戦争の醜さの極致だ」
    「『マガジン9』に鈴木耕さん…【風塵だより 鈴木耕/番外編:
     大田昌秀さんへの、さびしい最終便】…《1999年、21世紀を
     目前にして、ぼくは集英社新書の創刊準備に大忙しだった。その中で、
     ぼくがどうしても作りたかった本の1冊が『沖縄、基地なき島への道標
     だった。沖縄の新書、それは絶対に大田昌秀著でなければならないと、
     ぼくは思い定めていた。……沖縄は、大田さんの思い描くような
     進み行きとは、まったくほど遠い現状だ。「基地なき島への道標」を
     あれほどしっかりと示してくれたのに、
     それを無視して基地を押しつける日本政府。》」

   『●「敗戦後」も戦争は続き、「唯一の地上戦があった沖縄は
                  いわば「捨て石」同然だった」
    《風塵だより 鈴木耕 沖縄熱風篇:大田さんへ、花を捧げに……
     7月23日~27日、ぼくは沖縄へ行ってきた。26日の
     「大田昌秀元沖縄県知事県民葬」に参列したいと思ったからだ。
     …新書『沖縄、基地なき島への道標』(集英社新書=これはいま
     読んでもとても示唆に富んだ名著だと思う)の編集担当としてから
     だから、もう18年ほどのおつき合いになる》

   『●中山きくさん「戦争は体験してからでは遅い」、
      城山三郎さん「平和の有難さは失ってみないとわからない」
    「琉球新報の【<社説>「沖縄のこころ」 基地なき島の実現誓おう】
     …によると、《戦後73年の沖縄全戦没者追悼式の平和宣言で、
     翁長雄志知事は昨年に続いて「沖縄のこころ」という言葉を口にした。
     それは悲惨な戦争の体験から戦争の愚かさ、命の大切さという教訓を
     学び、平和を希求する県民の思いのことだ》。
     大田昌秀さんは、「軍隊は人を守らない」と。
     そして、島袋文子さんも「基地を置くから戦争が起こる」と。」

   『●《沖縄が切り捨てられた日であり、名護市出身の女性が米軍属の男に
     殺害された日でもある。いまも沖縄にとって「屈辱の日」は続いている》
   『●《「慰霊の日」を迎えた。…鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊の悲劇が
     伝わる一方、護郷隊の過酷な運命は長年ほとんど知られていなかった》

 沖縄で切望されている《基地なき島》とは程遠く…《差別的な構造は…今なお続く》。

   『●与那国島や石垣島、《沖縄は名護市辺野古だけでなく、
         宮古島もまた国防のために政府に翻弄されている》
   『●沖縄イジメ…《この74年間、沖縄戦以来、陸兵が軍服を
          着て宮古島を闊歩する姿など誰も見たことはない》
   『●直ぐに辺野古破壊の中止を! 《最悪の場合、埋め立てた盛り土が
          崩れ、護岸が崩壊する恐れ…安全な施工は保証できない》
   『●防衛省と「技術検討会」による《ずさん》な《「結論ありき」の
     出来レース》…《軟弱地盤調査せず…何のための「検討会」か》?
   『●地上イージス計画停止、遅すぎる《当然の帰結》…辺野古の工事は
     中止してください! 海を殺すな! 辺野古も白紙にして原状回復を!
   『●どうしたらいいんですかね? 沖縄で、アベ様や最低の官房長官らが
     やることなすことがデタラメばかり…選挙が終われば、辺野古破壊再開
   『●N値がゼロ、工期と費用は「∞」…今日もドブガネし、
        ジャブジャブと大量の土砂を美ら海にぶちまけている
   『●「敵基地攻撃能力」保有、《安倍首相はアショア断念を「反転攻勢と
          したい。打撃力保有にシフトするしかない」》…狂った発想
   『●COVID19人災でさらけ出され、ここでも《政治家や官僚が国防を
     語れば語るほど、自らの無為無策がさらけ出される》(吉川毅記者)

 #辺野古の工事は中止してください! #海を殺すな! #辺野古も白紙にして原状回復を#辺野古は破壊損! 《にもかかわらず、日本政府は新しい米軍基地を名護市辺野古沿岸部に建設中です。貴重なジュゴンやサンゴ礁が生息しようとも、海底地盤が軟弱でどんなに工期や税金がかかろうとも、お構いなしで土砂を投じます。米軍普天間飛行場の危険性を除くためだとしても、同じ県内に基地を移しては負担軽減にならないにもかかわらず、です》…普天間は返還されることはありません。辺野古は、単なる破壊「損」なんです

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2020051402000144.html

【社説】
本土復帰から48年 「沖縄の心」届く日は
2020年5月14日

 沖縄県が日本に復帰してから四十八年がたちますが、県内には在日米軍専用施設の約70%が残り新しい基地すら造られようとしています。「基地なき島を切望する県民の心は、いつになったら日本政府に届くのでしょうか。

    ×    ×

 昨年十二月二十五日、外務省が公開した外交文書の中に、一九六九年十一月二十二日、当時、米軍施政下にあった沖縄から愛知揆一外相に宛てた公電がありました。発信者は日本政府沖縄事務所長の岸昌(きしさかえ)氏。旧自治省から初代所長として派遣され、復帰準備に当たっていました。


対話と理解求める公電

 公電発信は、佐藤栄作首相とニクソン米大統領がワシントンでの日米首脳会談で、七二年に沖縄を「核抜き・本土並み」で返還することに合意し、共同声明を発表した直後。現地沖縄の反応を政府に報告するためのものでした。

 岸氏は公電で「沖縄百万の県民は予想通り『共同声明』を平静裡(り)に受け止めた」としつつ、県民の心には「二十四年間にわたる米国の統治から、いよいよ解放される解放感」や「復帰後も現実に米軍基地が残ることから来る不安」などが「雑然と混在し、平静さの底に複雑な陰影を作り出している」と指摘しています。

 その上で、「政府としてはこのような『沖縄の心』にきめ細かな配慮」をしつつ、(1)本土と沖縄との間の「対話」を広げ理解を深めること(2)祖国復帰を「第二の琉球処分」視されてはならないこと(3)沖縄を政治的、財政的な「重荷」と受け取らず、沖縄の復帰を全国的視野から積極的に活用すること-の三本柱を中心に具体的政策の決定を急ぐよう進言しています。

 当時、政府内には沖縄への特別の措置は不要との意見がありましたが、岸氏は「束(つか)の間の特例措置を惜しんで、復帰を琉球処分の再現と思わせるのは、当を得たこととは思えない」と退けます。


変わらぬ基地への不安

 岸氏は自著に「大学を出ていらい特権に擁護されて、立身出世のエリート・コースを走ってきている日本の官僚に真の沖縄の心がわかるだろうか。困窮と挫折と不安のなかから祖国を呼びつづけてきた沖縄の心が――」と記します。

 岸氏が、当初拒んでいた沖縄赴任を決心したのは、太平洋戦争末期、戦艦大和の沖縄特攻に参加できなかった負い目、そして心の支えとなったのが戦局が悪化した沖縄県に最後の官選知事として赴任し、戦火に倒れた内務官僚の大先輩、島田叡(あきら)氏の存在でした。

 岸氏は沖縄事務所長の後、旧自治省の官房長や大阪府副知事を経て、大阪府知事を三期十二年務めます。この間、府の財政赤字解消や関西国際空港を手掛ける一方、「憲法否定の発言をしたり、太平洋戦争を『聖戦』と呼んだり」(岡田一郎「革新自治体」)して批判もされます

 それでも岸氏の言動から読み取れるのは、戦争で県民に多大な犠牲を強いたことへの贖罪(しょくざい)意識と、県民の苦悩を理解しようとする公僕としての良心です。琉球処分が沖縄県民の傷となって残っていることにも思いを寄せています。

 今、日本政府の官僚や政治家に岸氏が沖縄に対して抱いたほどの心情があるのでしょうか

 確かに、四十八年前のあす施政権が返還された沖縄県は日本に復帰し、苛烈な米軍統治は終わりました。しかし、沖縄には今なお在日米軍専用施設の約70%が残り、米軍による訓練や運用中の事故や騒音、米兵らの事故や事件も後を絶ちません。県民は変わらず重い基地負担を強いられています。

 にもかかわらず、日本政府は新しい米軍基地を名護市辺野古沿岸部に建設中です。貴重なジュゴンやサンゴ礁が生息しようとも、海底地盤が軟弱でどんなに工期や税金がかかろうとも、お構いなしで土砂を投じます

 米軍普天間飛行場の危険性を除くためだとしても、同じ県内に基地を移しては負担軽減にならないにもかかわらず、です。

 県民が選挙で新基地建設反対の民意を繰り返し示しても耳を傾けようとしません。県知事が異議を申し立てても、政府は法の趣旨をねじ曲げてでも退けます。


第二の琉球処分を懸念

 県民の抵抗を排し、新基地建設を強行する姿勢は、岸氏が懸念したように「第二の琉球処分」を想起させます。故翁長雄志知事は、軍政下の沖縄を強権的に統治し、「沖縄の自治は神話」と言い放った米陸軍軍人、キャラウェイ高等弁務官に例えたこともあります。

 「沖縄の心」はいつになったら本土に届き、理解されるのでしょうか。政府の枢要を占める政治家や官僚にはぜひ、かつて岸氏のような官僚がいたことを思い起こしてほしい。本土に住む私たちも同様に、沖縄の現実から目を背けてはならないのは当然です。
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https://dot.asahi.com/wa/2020070800014.html

室井佑月絶対に必要だった?
連載「しがみつく女」
室井佑月 2020.7.9 07:00 週刊朝日 #室井佑月

室井佑月(むろい・ゆづき)/作家。1970年、青森県生まれ。「小説新潮」誌の「読者による性の小説」に入選し作家デビュー。テレビ・コメンテーターとしても活躍。「しがみつく女」をまとめた「この国は、変われないの?」(新日本出版社)が発売中


 作家・室井佑月氏は、イージス・アショア配備計画の停止を受けて、導入当時のことを振り返る。

この記事のイラストはこちら
イラスト/小田原ドラゴン

*  *  *

 河野太郎防衛相が陸上配備型迎撃ミサイルシステム、イージス・アショアの配備計画を停止すると発表した。山口県と秋田県の反発と、費用の高騰からそうなったといっていた。

 そりゃあ、反発するよね。ミサイル発射後に切り離されるブースターが、落ちてくる可能性が否めないんじゃ(てか、戦争になったら、イージス・アショアが配備されている地域が真っ先に敵のミサイルに狙われるだろうしな)。

 忘れられない出来事がある。2017年12月にイージス・アショアを導入すると安倍政権は閣議決定するんだけど、それに前後して、安倍首相やその応援団がテレビなどに出まくって、「イージス・アショアは絶対に必要なもの」といいまくっていた

 そのとき、テレビに出ていたあたしは、「破片が落ちたりしないのか?」と質問し、共演していた専門家に鼻で笑われ、その後、ネットやユーチューブで、「あんな無知な女を出すな」とか、さんざんいわれたのだ。

 結局、時間を置いたら、あたしの質問はまっとうだったわけである。

 もうこうなったら、絶対に必要だと言い張った人たちの今の意見が知りたいよ

 ちなみに、6月23日の日刊ゲンダイDIGITAL、「イージス・アショア計画中断 肝心のレーダーにも問題あり」という記事によれば、

「1基800億円から始まった取得費は、2基で2474億円と膨らみ、30年間の維持・運営費を含めて4459億円。それに(略)実験費、造成費や建屋、1発30億円のミサイル取得費……。さらに2000億円もの改修費となれば1兆円を超えるのは確実で、導入時、『約800億円で最新鋭イージス艦より安いという訴えが、まるでウソだったことになる」という。

 けど、1兆かかろうがいくらかかろうが、この国に絶対に必要ならば、絶対に必要なのだろう。しかし、そうではなかったということではないの?

 安倍応援団の声の大きさや、メディアの報道のされ方によって、多くの人がだまされるのが怖い。

 2017年にテレビのワイドショーは北朝鮮の脅威という報道が過熱し、毎日のように北朝鮮がミサイルをぶっ放すXデーとやらを予測。

 Jアラートを鳴らし、地域によっては道の隅っこに頭を抱えてうずくまる避難訓練もされた。

 ミサイルが飛んできたとき、道の隅っこで頭を抱えるって、誰が考えたのだか斬新すぎる防護方法だが、そんなことをいえないような空気が作られていった。

 

 そして、その年の秋に、安倍首相は臨時国会の冒頭で「国難突破解散」。北朝鮮の脅威をうたって。

 これらすべてに正しかったことってあるのか? 安倍政権は自分たちを守りたいだけでしょ。

 軟弱地盤の改良で、いくらかかるかわからない辺野古の新基地も、怪しい

※週刊朝日  2020年7月17日号
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●《「慰霊の日」を迎えた。…鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊の悲劇が伝わる一方、護郷隊の過酷な運命は長年ほとんど知られていなかった》

2020年07月01日 00時00分23秒 | Weblog


東京新聞の社説【沖縄戦終結75年 少年兵の体験伝えねば】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/37280?rct=editorial)。

 《「やあ、よく来ましたな」−。沖縄本島北部、大宜味村のやんばるの森に暮らす瑞慶山良光(ずけやまよしみつ)さん(91)は、優しげな目にパナマ帽が似合う快活なおじい。おしゃれをして取材に応じてくれた。笑うと右ほほの「えくぼ」がへこみ、より愛らしい。が、実はこれ「(米軍の)手りゅう弾でやられた痕」という。十六歳の時のこと−。 ◆ゲリラ部隊「護郷隊」 …沖縄在住の映画監督三上智恵さん(55)は、二〇一八年公開のドキュメンタリー「沖縄スパイ戦史」で護郷隊の実態を掘り起こし、反響を呼んだ》。

 

   『●『沖縄スパイ戦史』(三上智恵・大矢英代共同監督): 
           「「スパイリスト」…歪んだ論理が生み出す殺人」
   『●三上智恵・大矢英代監督映画『沖縄スパイ戦史』…
       「戦争というシステムに巻き込まれていった人たちの姿」

   『●「改めて身に迫るのは、軍隊というものが持つ
      狂気性」(高野孟さん)と、いまも続く沖縄での不条理の連鎖
    《マガジン9連載コラム「沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌」でおなじみの
     三上智恵さんが、大矢英代さんとの共同監督で制作した
     映画『沖縄スパイ戦史』が7月下旬からいよいよ公開…
     「軍隊は住民を守らない」…「戦争や軍隊の本質を伝えたい」》。

   『●『沖縄スパイ戦史』と《記憶の澱》…
     「護郷隊…中高生の年頃の少年たち…スパイと疑われた仲間の処刑…」

    《▼日本軍第32軍の周辺で起きた本島中南部の激戦を「表の沖縄戦」と
     すれば、映画が描くのは北部の少年ゲリラ兵部隊護郷隊」や八重山
     戦争マラリアなどの「裏の沖縄戦」。綿密な取材による証言と資料映像で、
     6月23日以降も続いた遊撃戦の実相をつづる》

   『●自衛隊配備・ミサイル基地建設…『沖縄スパイ戦史』「自衛隊
              …昔と同じく住民を顧みない軍隊の本質」暴露
    「レイバーネット…のコラム【<木下昌明の映画の部屋 243回> 三上智恵
     大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』/住民500人を死に追いやった犯罪】」

   『●沖縄デマによる市民の分断: 『沖縄スパイ戦史』の両監督…
               「反基地運動は中国のスパイ」デマも同根
   『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません…
               私たちが何を学ぶのかが今、問われている」①
   『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません…
               私たちが何を学ぶのかが今、問われている」②
   『●『沖縄スパイ戦史』: 「それまで『先生』と島の人たちに
           慕われていた山下が抜刀した」…「軍隊の本性」
   『●2019年度文化庁映画賞《文化記録映画部門の優秀賞》を受賞
               …三上智恵・大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』
   『●《「遊撃戦遂行の為特に住民の懐柔利用は重要なる一手段にして
     我が手足の如く之を活用する」…住民同士を監視させ…批判している…》

 《十五〜十八歳の少年を中心とするゲリラ部隊護郷隊(ごきょうたい)」に加わり米軍と対峙(たいじ)した。同じ少年少女で組織された鉄血勤皇隊ひめゆり学徒隊の悲劇が伝わる一方、護郷隊の過酷な運命は長年ほとんど知られていなかった。だがこれも、記憶されなくてはならない沖縄戦の実相》。
 《映画は過去を告発するだけではない。中国の海洋進出をにらみ、与那国島宮古島など、沖縄の先島諸島には陸上自衛隊の配備が進む。防衛情報を集め住民を監視する情報保全隊も配置される。作品は「戦争は軍隊が駐留した時点で始まる」(三上さん)との視点から、現代でも自衛隊は本当に住民を守るのか−と鋭く問い掛ける》。
 辺野古破壊も《「合理的ではない」と気付い》て下さい、辺野古は破壊「損」です。#辺野古の工事は中止してください! #海を殺すな! #辺野古も白紙にして原状回復を そして、石垣島宮古島など島嶼での対中国のための、番犬様をお守りするための〝防波堤〟・《標的の島》にすることにも反対します。 

   『●地上イージス計画停止、遅すぎる《当然の帰結》…辺野古の工事は
     中止してください! 海を殺すな! 辺野古も白紙にして原状回復を!
   『●どうしたらいいんですかね? 沖縄で、アベ様や最低の官房長官らが
     やることなすことがデタラメばかり…選挙が終われば、辺野古破壊再開

 目取真俊さんのブログ【海鳴りの島から 沖縄・ヤンバルより…目取真俊/沖縄戦体験者が新型コロナ下で、ゲート前に行かざるを得ない状況を作っているのは誰か?それを黙って見ていていいのか。】(https://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/ee54b090402faa5bd61764fc9eba773f)によると、《辺野古の島袋文子さんが連日、ゲート前の座り込みに参加し、先頭で抗議を続けている。90歳を超える沖縄戦体験者が、今もこうやって新基地建設反対の行動をとらないといけないのが沖縄の現実だ。この現実を作り出しているのは誰か? それを黙って見ていていいのか。傍観者であっていいのか。明日は沖縄戦の慰霊の日だが、辺野古のゲート前や破壊されている海の現状を見れば、沖縄戦の犠牲者も浮かばれないだろう。75年にわたり占拠を続ける米軍基地と、48年にわたり占拠を続ける自衛隊基地。日本「本土」の防衛と安全のために、沖縄を犠牲にする構図は、1879年の日本による琉球侵略以来、何も変わっていない》。

 マガジン9の鈴木耕さんのコラム【言葉の海へ 第124回:沖縄辺野古と、秋田山口のイージス(鈴木耕)】(https://maga9.jp/200624-3/)によると、《ならば、辺野古も同じではないか。いや、辺野古のほうがもっとひどい。工費も工期もイージス・アショアどころじゃない。当初3500億円程度と見込んでいた工費はいつの間にか9300億円にまで膨らんでいる。しかもそれは政府試算であり、沖縄県の試算では2兆円を軽く超えるという。工期も当初の5年が8年に延び、今では12年かかるとも言われる。それも政府の言い分で、県側ではとてもそれでは完成しないという。10年以上先、国際情勢がどうなっているか見当もつかない。それでも辺野古は諦めないというのが安倍内閣だ。こうなると、やはり「沖縄差別」という言葉が出て来てしまう。秋田と山口は本土であり、沖縄は沖縄だから米軍基地は押しつけておけ。それを「沖縄差別」と言わずして何といえばいいのか。この沖縄の基地問題に関しては、『〈沖縄〉基地問題を知る事典』(前田哲男林博史我部政明・編/吉川弘文館)が参考書としては最適だ。これもぜひ、手許においてほしい一冊である。今年は沖縄戦終結から75年。そして60年安保闘争から60年。もう、アメリカへの貢物外交に終止符を打ってもよさそうな時期じゃないか》。

 沖縄タイムスの【社説[慰霊の日に]知ることから始めよう】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/589353)によると、《こういう時期だからこそ、沖縄戦の実相をより深く学び、戦争の記憶を引き継ぐ意味を心に刻みたい。きょう沖縄は「慰霊の日」を迎える。県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦から75年の節目となるが、今年の「6・23」は新型コロナウイルスの影響で慰霊祭の中止や規模縮小を余儀なくされている》。
 大門雅子記者による、沖縄タイムスのコラム【[大弦小弦]戦後75年の慰霊の日】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/589433)によると、《▼本紙と朝日新聞が行ったアンケートで、体験者の62%が「沖縄戦が次世代に伝わっていない」と答えた。風化への危機感が浮き彫りになった ▼身を削る思いで体験者が紡いできた言葉を記録し、伝えるのは戦後世代の責任だ。今なお、言葉にできない体験があることも胸に留めたい。きょうは慰霊の日。(大門雅子)》。
 琉球新報の【<社説>沖縄戦75年 体験継承し平和の構築を】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1143131.html)によると、《県民の貴い生命を奪い、祖先が築いてきた独自の文化を破壊した沖縄戦から75年の年月が流れた。「慰霊の日」を迎え、私たちは沖縄戦体験者の証言や戦争遺跡が発するメッセージを胸に刻みながら沖縄戦体験を継承し、平和創造の礎を築くことを誓いたい。小学生のころ沖縄戦を体験した県民は80代となった。防衛隊や鉄血勤皇隊、女子学徒隊として戦場に動員された県民の大半は90代である。体験者から直接証言を聞くことができる機会は限られている。残された時間の中で体験者の証言と向き合う努力を重ねつつ、沖縄戦研究の蓄積を踏まえ、新たな体験継承の方策を探りたい》
 琉球新報のコラム【<金口木舌>平和のいしずえ】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1143139.html)によると、《▼戦後50年の節目に沖縄県が最重要事業として建立したのが平和の礎(いしじ)だった。25年前の6月23日の除幕式典で県は「悲惨な体験をいしずえとして私たちは世界の人びとへ訴える」と非核・平和を宣言した ▼礎は戦争体験を風化させず、教訓を伝える継承の場である。平和の尊さを学ぶ場でもある。建立によって、恒久平和を永遠に世界に訴える沖縄の役割を確認した ▼図らずも「場」の意味が問われたことしの慰霊の日である。全戦没者追悼式の会場を国立沖縄戦没者墓苑とした県は批判を受け、例年通りに平和祈念公園の式典広場に戻した。戦争を肯定せず、美化せず、後世に語り継ぐ意義を思い起こしたい》。

   『●「まん延する差別」な、「御持て成し」どころでない
        「うらあり」だったニッポン…「病んだ空気」が蔓延
    《▼差別や偏見は人を傷つける。日本が誇る「おもてなし」を台無しにし、
     観光にも大きなダメージを与えかねないチムグクル(思いやりの心)と
     歓待の文化を磨き、沖縄から見本を示したい

   『●「戦争屋のアベ様」やアノ木原稔氏のココロには
       響かない女性の訴え…「基地を造ったら沖縄が戦場になる」
   『●目を逸らす本土…「米国側からみた心温まる
      ヒューマン・ストーリーだけではなく、そこに暮らす人々」に…
   『●「空疎で虚飾に満ち」た弔辞を代読する
      最低の官房長官に怒声…「翁長氏の遺志に応える唯一の道」とは?
   『●《玉城知事が対話を求めた直後にこれを拒否…》アベ様には
       《(他者の痛みに寄り添う)沖縄のチムグクル》は届かず

 COVID19の影響で、《(他者の痛みに寄り添う)沖縄のチムグクル》が届かないアベ様に《やじ》もできず…。
 沖縄タイムスの【社説 [全戦没者追悼式] 「平和の文化」次世代へ】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/589893)によると、《安倍晋三首相らのあいさつはビデオメッセージとして大型スクリーンに流され、やじもなく静かな式典となった。玉城デニー知事は平和宣言で、昨年同様、平和を希求する「沖縄のこころ・チムグクル」を世界に発信し、共有することを呼びかけた》。
 吉田央記者による、沖縄タイムスのコラム【[大弦小弦] 沖縄戦と安保 二つの「6・23」】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/589946)によると、《▼その首相は、参加しない代わりにビデオメッセージを寄せた。基地負担の軽減に向け」「できることは全て行う」。どの年も内容がほぼ代わり映えしない ▼ロープ越しに聞いた…さん(55)=埼玉県=は「基地建設を止めないから説得力がないのでは」。首相に沖縄の現場を見てほしい気持ちと、慰霊の場にいるのがふさわしくない気持ちが、半々だと漏らした ▼6月23日は、改定日米安保条約の発効日。米国が日本を守る義務を負う安保条約は、沖縄の犠牲の上に成り立っている日本という国家が自省すべき日でもある。式典の間だけ我慢していたのだろうか。雨は終了後、再び激しく降り出した。(吉田央)》

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/37280?rct=editorial

社説
沖縄戦終結75年 少年兵の体験伝えねば
2020年6月23日 07時48分

 「やあ、よく来ましたな」−。

 沖縄本島北部、大宜味村のやんばるの森に暮らす瑞慶山良光(ずけやまよしみつ)さん(91)は、優しげな目にパナマ帽が似合う快活なおじい。おしゃれをして取材に応じてくれた。笑うと右ほほの「えくぼ」がへこみ、より愛らしい。が、実はこれ「(米軍の)手りゅう弾でやられた痕」という。十六歳の時のこと−。


◆ゲリラ部隊「護郷隊

 沖縄は二十三日、「慰霊の日」を迎えた。七十五年前のこの日、太平洋戦争末期の沖縄戦で日本軍の組織的戦闘が終わった。その戦争で、瑞慶山さんは当時十五〜十八歳の少年を中心とするゲリラ部隊護郷隊(ごきょうたい)」に加わり米軍と対峙(たいじ)した。同じ少年少女で組織された鉄血勤皇隊ひめゆり学徒隊の悲劇が伝わる一方、護郷隊の過酷な運命は長年ほとんど知られていなかった。だがこれも、記憶されなくてはならない沖縄戦の実相だ。

 瑞慶山さんが護郷隊に入ったのは一九四五年三月。米軍の本島上陸の一カ月前だ。「赤紙(召集令状)なんて来なかった」。当時の法では召集は十七歳以上だが、戦況悪化で陸軍は十四歳から志願で召集できる規則を作った。瑞慶山さんらは志願していないにもかかわらず、役場から呼び出された

 護郷隊を編成したのは、スパイ養成機関・陸軍中野学校出身の青年将校たち。仮に沖縄守備軍の第三二軍が壊滅しても、ゲリラ戦により敵を長期間かく乱させる任務を負っていた。戦いを想定する本島北部の地理に明るく兵士不足も補えると、地元の少年たちを選んだとみられる。

 軍隊への憧れもあった少年たちだが、長時間の正座や仲間内の制裁などつらい訓練が待っていた。

 そして米軍上陸から間もない四月十二日、瑞慶山さんは実戦として上官らと金武町の米軍陣地の夜襲に向かった。しかし直前、隊は野生のイノシシと遭遇して物音を立て、手りゅう弾攻撃に遭う。


◆口を閉ざした元隊員ら

 斜面に左向きに伏せた瞬間、瑞慶山さんの右顔面を破片が直撃。「あごが吹き飛んだと思った」。口中からは折れた歯と破片が出てきた。他の体験談も生々しい。

 「一人で偵察中、黒人米兵の小隊と遭った時には手りゅう弾をくわえ水たまりに隠れた。見つかったら即、自爆するつもりだった」

 「三人一組で爆薬十キロ入りの木箱を戦車に仕掛ける訓練をした。導火線は一秒で一センチ燃える。二十秒ぐらいでこっちも吹っ飛ぶ。あっという間だから生まれてなかったと思えば、それでいいかと」

 十六歳の少年に、何度も死を納得させた状況に慄然(りつぜん)とする。

 結果的に非力な奇襲はあまり成功しなかったが、千人近い護郷隊員中約百六十人が命を落とした。病気やけがで足手まといになり隊内で殺された例もあった。部隊は四五年七月に解散され、瑞慶山さんは故郷に戻った。ただ何年も、突然暴れるなど心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんだ。

 幼なじみ同士が罰し合ったり、命じられて地元集落を焼き払ったりした心の傷は深く、元隊員らは身近な人にも体験を語ろうとはしなかった。当時の給料やけがへの補償もなく、少年兵の辛苦は国から無視されたままでもある。

 沖縄在住の映画監督三上智恵さん(55)は、二〇一八年公開のドキュメンタリー「沖縄スパイ戦史」で護郷隊の実態を掘り起こし、反響を呼んだ。三上さんは言う。

 「有事に軍は住民を守らない逆に、戦闘や諜報(ちょうほう)に利用して見捨てることを描きたかった」。映画には、スパイ容疑をかけられた住民が軍により虐殺されるのを住民が手助けした、軍の陣地構築に協力した少女が秘密を知ったと殺されかけた、などの証言も登場する。共同監督の大矢英代(はなよ)さん(33)は、同作品で波照間島に潜入した中野学校出身者が島民を西表島(いりおもてじま)マラリア地帯に疎開させ約五百人が死んだ史実を描いた。

 三上さんによれば、当時の軍部は本土の各地にも中野学校出身者を送り秘密戦の準備をしていた。終戦が遅れたなら沖縄の惨劇が本土で繰り返された可能性がある。


◆亡き戦友を弔う寒緋桜

 映画は過去を告発するだけではない。中国の海洋進出をにらみ、与那国島宮古島など、沖縄の先島諸島には陸上自衛隊の配備が進む。防衛情報を集め住民を監視する情報保全隊も配置される。作品は「戦争は軍隊が駐留した時点で始まる」(三上さん)との視点から、現代でも自衛隊は本当に住民を守るのか−と鋭く問い掛ける。

 沖縄戦から七十五年の夏。瑞慶山さん宅の裏山では、日本一早く咲く琉球寒緋桜(かんひざくら)が濃い緑の葉を茂らせている。瑞慶山さんが約二十年前から死んだ戦友の数だけ植樹してきた。今ではこの桜守(さくらもり)のため長生きしていると感じるという。

 「桜を見てみんなに沖縄戦を思い出してもらおうと。戦のこと忘れたらまた地獄が来ますよって」
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●大田昌秀さん「軍隊は人を守らない」と、従軍記者ボールドウィン氏「沖縄戦は、戦争の醜さの極致だ」

2017年06月24日 00時00分11秒 | Weblog

三上智恵監督『標的の島 風かたか』公式ページ(http://hyotekinoshima.com)より↑]



東京新聞の社説【沖縄 あす慰霊の日 大田元知事を偲んで】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017062202000138.html)。

 《沖縄県の大田昌秀元知事が亡くなりました。鉄血勤皇隊として激烈な沖縄戦を体験し、戦後は一貫して平和を希求した生涯でした。沖縄はあす慰霊の日》。

   『●『DAYS JAPAN』(2014,JUL,Vol.11,No.7)の
                               最新号についてのつぶやき

     ■④『DAYS JAPAN』(2014,JUL,Vol.11,No.7) /
      大田昌秀元沖縄県知事【1.沖縄の戦争 
      軍隊は人を守らないという沖縄の教訓】、「鉄血勤皇隊の任務と
      壕での惨劇……食料の強奪と日本兵による暴力……非武装の
      王国への侵略者……その意味では、本土の日本人も米軍に
      加担しているのではないでしょうか?」

   『●「積極的平和主義」という愚:
      『軍隊は人を守らない』『戦争で得たものは憲法だけ』

 先日亡くなった大田昌秀元沖縄県知事の言葉で印象に残っているのは、《「軍隊は人を守らない」という沖縄の教訓》。

 社説によると、《「沖縄戦は、戦争の醜さの極致だ」。大田さんが自著の中で繰り返し引用する、米紙ニューヨーク・タイムズの従軍記者ハンソン・ボールドウィンの言葉です》とあります。さらに、《「いくつもの地獄を同時に一個所に集めたかのような、悲惨極まる沖縄戦」で「無数の学友たちが人生の蕾(つぼみ)のままあたら尊い命を無残に戦野で奪い去られてしまう姿を目撃した」》とも…。

 《醜》い「本土」の仕打ちは今も続く。それは《醜さの極致な戦争》を再び引き起こす。《そこにあるのは、沖縄県民の苦悩をくみとろうとしない政権と、それを選挙で支える私たち有権者の姿です。大田さんはそれを「醜い日本人と断じました》。

 『マガジン9』に鈴木耕さんの「風塵だより」番外編が出ていました。【風塵だより 鈴木耕/番外編:大田昌秀さんへの、さびしい最終便】(http://maga9.jp/fujin170614/)。《1999年、21世紀を目前にして、ぼくは集英社新書の創刊準備に大忙しだった。その中で、ぼくがどうしても作りたかった本の1冊が『沖縄、基地なき島への道標』だった。沖縄の新書、それは絶対に大田昌秀著でなければならないと、ぼくは思い定めていた。……
 沖縄は、大田さんの思い描くような進み行きとは、まったくほど遠い現状だ。「基地なき島への道標」をあれほどしっかりと示してくれたのに、それを無視して基地を押しつける日本政府
 でも、沖縄の闘いは決して挫けてはいない。大田さんの遺志を継ぐ人たちは、後から後から湧き出てくる。
 ぼくも、また沖縄へ行く。
 大田さんのお墓に花を捧げて来よう。
 さようなら、大田昌秀さん。…ぼくの好きな先生…。》

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017062202000138.html

【社説】
沖縄 あす慰霊の日 大田元知事を偲んで
2017年6月22日

 沖縄県の大田昌秀元知事が亡くなりました。鉄血勤皇隊として激烈な沖縄戦を体験し、戦後は一貫して平和を希求した生涯でした。沖縄はあす慰霊の日

 人懐っこい笑顔の中に、不屈の闘志を感じさせる生涯でした。

 今月十二日、九十二歳の誕生日当日に亡くなった大田さん。琉球大学教授を経て一九九〇年から沖縄県知事を八年間、二〇〇一年から参院議員を六年間務めました。

 ジャーナリズム研究の学者として沖縄戦の実相究明に取り組み、知事時代には「絶対に二度と同じ悲劇を繰り返させてはならない」との決意から、平和行政を県政運営の柱に位置付けます。


◆「平和の使徒」として

 敵味方や国籍を問わず戦没者の名前を刻んだ平和の礎(いしじ)を建立し、沖縄県に集中する在日米軍基地の撤去も訴えました。

 「全ての人々に、戦争の愚かさや平和の尊さを認識させるために生涯を送った『平和の使徒』だった」。長年親交のあった比嘉幹郎元県副知事は告別式の弔辞で、大田さんの生涯を振り返りました。

 大田さんはなぜ、学者として、そして政治家として一貫して平和の大切さを訴えたのでしょうか。

 その原点は、大田さんが「鉄血勤皇隊」として、凄惨(せいさん)な沖縄戦を体験したことにあります。

 太平洋戦争末期、沖縄県は日本国内で唯一、住民を巻き込んだ大規模な地上戦の舞台と化します。当時、四十万県民の三分の一が亡くなったとされる激烈な戦闘でした。

 鉄血勤皇隊は、兵力不足を補うために沖縄県内の師範学校や中学校から駆り出された男子学徒らで編成された学徒隊です。

 旧日本軍部隊に学校ごとに配属され、通信、情報伝達などの業務のほか、戦闘も命じられました。女子学徒も看護要員として動員され、学校別に「ひめゆり学徒隊」などと呼ばれます。


醜さの極致の戦場

 沖縄県の資料によると、生徒と教師の男女合わせて千九百八十七人が動員され、千十八人が亡くなりました。動員された半数以上が犠牲を強いられたのです。

 沖縄師範学校二年に在学していた大田さんも鉄血勤皇隊の一員として動員され、沖縄守備軍の情報宣伝部隊に配属されました。大本営発表や戦況を地下壕(ごう)に潜む兵士や住民に知らせる役割です。

 当初は首里が拠点でしたが、後に「鉄の暴風」と呼ばれる米軍の激しい空襲や艦砲射撃による戦況の悪化とともに本島南部へと追い詰められます。そこで見たのは凄惨な戦場の光景でした。

 最後の編著となった「鉄血勤皇隊」(高文研)にこう記します。

 「いくつもの地獄を同時に一個所に集めたかのような、悲惨極まる沖縄戦」で「無数の学友たちが人生の蕾(つぼみ)のままあたら尊い命を無残に戦野で奪い去られてしまう姿を目撃した」と。

 多くの住民が戦場をさまよい、追い詰められ、命を落とす。味方であるべき日本兵が、住民を壕から追い出し、食料を奪う。

 「沖縄戦は、戦争の醜さの極致だ」。大田さんが自著の中で繰り返し引用する、米紙ニューヨーク・タイムズの従軍記者ハンソン・ボールドウィンの言葉です。

 その沖縄戦は七十二年前のあす二十三日、日本軍による組織的な戦闘の終結で終わります。大田さんも米軍の捕虜となりました。

 戦後、大学教授から県知事となった大田さんが強く訴えたのが沖縄からの米軍基地撤去です。

 背景には軍隊は住民を守らないという沖縄戦からの教訓に加え、なぜ沖縄だけが過重な基地負担を強いられているのか、という問い掛けがあります。

 沖縄県には今もなお、在日米軍専用施設の約70%が集中しています。事故や騒音、米兵による事件や事故は後を絶ちません。基地周辺の住民にとっては、平穏な暮らしを脅かす存在です。

 七二年の本土復帰後を見ても、本土の米軍施設は60%縮小されましたが、沖縄では35%。日米安全保障条約体制による恩恵を受けながら、その負担は沖縄県民により多く押し付ける構図です。


◆進まぬ米軍基地縮小

 九五年の少女暴行事件を契機に合意された米軍普天間飛行場の返還でも、県外移設を求める県民の声は安倍政権によって封殺され、県内移設が強行されています。

 そこにあるのは、沖縄県民の苦悩をくみとろうとしない政権と、それを選挙で支える私たち有権者の姿です。大田さんはそれを「醜い日本人と断じました

 耳の痛い話ですが、沖縄からの異議申し立てに私たちは誠実に答えているでしょうか

 慰霊の日に当たり、大田さんを偲(しの)ぶとともに、その問い掛けへの答えを、私たち全員で探さねばならないと思うのです。
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●無断合祀

2010年10月28日 05時03分32秒 | Weblog

asahi.comの記事です。軍国主義の象徴」かどうかや国の責任はさておくとして、祭ってくれるな、合祀してくれるな、と言っているのに、合祀するとはどういうことなのでしょう? 「遺族の承諾なしの合祀」の問題というよりも、遺族が、合祀してくれるな、取り消してくれ、と言っているのですから、それでも靖国神社が止めない理由、裁判所がそれを認めない理由が私にはわかりません。
 「氏名抹消は神聖な祭神への非礼」という理由が分かりません。合祀を望まなかったであろう戦争被害者やその遺族には「非礼」ではないのでしょうか? 「軍国主義の象徴」であると仮定するなら、戦中・戦後侵略された人々に随分と「非礼」・「無礼」どころではないことをしてきたのではないでしょうか?

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【http://www.asahi.com/national/update/1026/SEB201010260010.html】
 
靖国合祀の取り消し認めず 那覇地裁が遺族の訴え棄却   2010年10月26日13時44分

 
沖縄戦などで死亡した肉親が靖国神社に無断で合祀(ごうし)され、「追悼の自由」が侵されたとして、沖縄県内の遺族が靖国神社と国に合祀取りやめと慰謝料を求めた訴訟で、那覇地裁は26日、遺族の請求を退ける判決を言い渡した。平田直人裁判長は「法的救済を求めることができる権利が侵害されたと認めることはできない」とした。
 原告はいずれも70代の男性5人。肉親計10人の合祀について2008年に提訴した。沖縄戦で、ひめゆり学徒隊に動員された17歳の女生徒や、国に「戦闘参加者」とみなされた2歳の幼児を含む一般住民6人が含まれる。
 原告は戦争の犠牲になった肉親が、軍国主義の象徴だった靖国神社に無断で合祀され、「家族の結びつきに基づく追悼の自由を侵された」と主張。神社が管理する「祭神簿(さいじんぼ)」などから氏名を消すように求めた。
 国は多くの一般住民が戦闘に巻き込まれた沖縄戦の経緯をふまえ、「戦闘参加者」とみなした一般住民の遺族に対して給付金などを払っている。遺族は、「戦闘参加者」の情報を国が神社に伝え合祀に協力したと指摘。「天皇制護持の捨て石となった肉親への冒涜(ぼうとく)だ」として国も訴えの対象にした。
 靖国神社は「宗教の自由」を根拠に「遺族の承諾なしの合祀に問題はない。祭神簿からの氏名抹消は神聖な祭神への非礼だ」と訴えの却下を主張。国は「神社には戦没者氏名等の一般的な調査回答をしただけで、合祀は神社の判断だ」と棄却を求めていた。
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