私って。
自分、運痴だし、スポーツなんて
するのも見るのも、好きじゃないから
(‥ヤツらも、しっかりDNAを受け継いでる気がする)
オリンピックっていったって、ほとんど興味ないんだけど
メダルだ何だ、ってニュースを聞きながら、
私たちが今、走っている、
『人生』という名のマラソン大会(!?)について、
つくづく考えてみたり‥しました
大会の主催者である、神さまは、
出場者に<同じ条件>を与えてはくれませんでした。
軽快に走る能力と走りやすいシューズを与えられた者から
中には、歩く力すら与えられず、
這って全コースを進むように、との
使命を与えられた者まで、
多種多様、いろいろな状況が与えられています。
コースも、走りやすいレース向きのコースもあれば、
山あり谷あり、ぬかるみあり、曲がり道ありのコースもあり。
それぞれの選手によって、きっと様々あるんでしょう。
コースの途中、ある選手たちは、
自分のシューズやウエアの性能やスタイルなどを
周りの選手たちと比較したり、
自分がいかに良いタイムを出すか‥?に夢中。
自分のコース上に、スムーズな走行を邪魔する
ちょっとした段差や障害物などがあれば、悪態をつく‥。
しかし、別の選手たちは、
周りの選手の不調や故障を手助けしようとしたり、
また、這って移動する選手たちに励ましの声をかけ、
目を配り、コース上の地面を少しでも均そうと
地均しの作業をする‥。
きっと。
そんなことをしながら、各自に与えられたコースを、
それぞれに与えられた条件のもとで完走したとき、
この大会の主催者は、その『速さ』だとかスタイルなんかは、
まったく評価しないのだと、思います。
見ておられるのは『どれだけがんばったか。』のみ。
最初から最後まで、
周りには目もくれず(見ることもできず)
自分のコースをただひたすら、精一杯力を振り絞り
自らの腕と腹を使って歩み続けた者は、
惜しみない賞賛と、そして、数限りなくある金メダルのうちの1つを
もらえるのだと思います。
でも。
自分自身のことにだけ目を配り、楽々とゴールへ行き着いた者は、
「道中、何をしていたのか?」ということを厳しく問われるのだと‥
私は、思っています。
だから。
日々の一歩を進めるのにも多大な苦労をしている選手たちに、
「可哀想に」なんて言葉をかけるのは、
大変傲慢なことだと、私は思っています。
最終的に、どっちが「可哀想」なのか?
それがわかる日は、この世にいる間には、きっと来ない。
主催者が、この大会を開催する意図は、
皆がお互いに助け合い、励ましあい『共に歩む喜び』を、
選手一人一人が感じる、というところに‥
きっとあるんでしょう。
自分はどんな条件を与えられた選手なのか?を
考えると。
どちらかと言うと、かなり良い条件を
与えられている選手なのではないか?と、思うのです。
このまま、ラクラクと走り続けて行ったら、ゴールした時、
「周りの選手たちのために、一体何をしてきたのか?」を
厳しく問われるような気が、しています。
日々、自分には何ができるかを探しつつ、
出来る限りの努力を続けていかなければ‥と??
この、おしゃもじ戦士は思っているのです。
先日、ある青年が亡くなりました。
見てもしょうがないんだけど、
彼の事故のニュースを、何回も何回も読み直しました。
でも、間違いなく、彼の名前でした。
Eくんの歩みを長きにわたって見てきたわけではないけれど、
彼の小学生の時の5年間を、身近なところで見ていました。
‥彼は、様々な障害を抱え、毎日の一歩を進めるのに、
私たちよりも、随分苦労していたと思います。
さらに悪いことに。
Eくんのコースは、仲間たちのコースからは
遠く離れていたところにあったようにも、思います。
Eくんの葬儀の際、お父さんは、
その、健常者には想像もできない『苦労』のこと、
さらに。
「こんな子で生まれてきてごめんな」と謝ろうとするEくんに
「何を言う。お前は、パパの自慢の息子や」と答えた、ということを、
声を震わせながら、話しておられました。
そして。
「どうか、最後に、『おまえは、よくがんばった。』と
声をかけてやって下さい。きっと、喜ぶと、思います。」と
さらに声を震わせながら、話を結ばれました。
『人生』という名のマラソン大会の後には、
やはり『どれだけがんばったか』しか残らないんよね、Eくん。
もちろん、4年に一度しか開催されないオリンピックで
金メダルを獲得するには、
尋常じゃない努力が必要なのだろうから、
それはそれで、大変素晴らしい。
けど。
そういう、この世で目に見えるカタチのあるものは何もなくても、
Eくんの頑張りは、いつまでも残るんだから。
自らのコースを完走し、その魂は、表彰台へと昇っていった‥
Eくんのお顔は、とても、とても‥きれいな顔でしたよ。
今頃、大会の主催者から、
「よくがんばってきたね、お疲れさま」と
金メダルをもらえているはず。
ご両親にとっては、残りのこれからの道のりをを歩むにあたって、
今、その肩にさらに加えられた荷物は、かなり重たいんだろうな‥
とも思うのですが。
Eくんのご冥福と、ご両親の心の回復を、
心から、祈りたいと思います。
自分、運痴だし、スポーツなんて
するのも見るのも、好きじゃないから
(‥ヤツらも、しっかりDNAを受け継いでる気がする)
オリンピックっていったって、ほとんど興味ないんだけど
メダルだ何だ、ってニュースを聞きながら、
私たちが今、走っている、
『人生』という名のマラソン大会(!?)について、
つくづく考えてみたり‥しました
大会の主催者である、神さまは、
出場者に<同じ条件>を与えてはくれませんでした。
軽快に走る能力と走りやすいシューズを与えられた者から
中には、歩く力すら与えられず、
這って全コースを進むように、との
使命を与えられた者まで、
多種多様、いろいろな状況が与えられています。
コースも、走りやすいレース向きのコースもあれば、
山あり谷あり、ぬかるみあり、曲がり道ありのコースもあり。
それぞれの選手によって、きっと様々あるんでしょう。
コースの途中、ある選手たちは、
自分のシューズやウエアの性能やスタイルなどを
周りの選手たちと比較したり、
自分がいかに良いタイムを出すか‥?に夢中。
自分のコース上に、スムーズな走行を邪魔する
ちょっとした段差や障害物などがあれば、悪態をつく‥。
しかし、別の選手たちは、
周りの選手の不調や故障を手助けしようとしたり、
また、這って移動する選手たちに励ましの声をかけ、
目を配り、コース上の地面を少しでも均そうと
地均しの作業をする‥。
きっと。
そんなことをしながら、各自に与えられたコースを、
それぞれに与えられた条件のもとで完走したとき、
この大会の主催者は、その『速さ』だとかスタイルなんかは、
まったく評価しないのだと、思います。
見ておられるのは『どれだけがんばったか。』のみ。
最初から最後まで、
周りには目もくれず(見ることもできず)
自分のコースをただひたすら、精一杯力を振り絞り
自らの腕と腹を使って歩み続けた者は、
惜しみない賞賛と、そして、数限りなくある金メダルのうちの1つを
もらえるのだと思います。
でも。
自分自身のことにだけ目を配り、楽々とゴールへ行き着いた者は、
「道中、何をしていたのか?」ということを厳しく問われるのだと‥
私は、思っています。
だから。
日々の一歩を進めるのにも多大な苦労をしている選手たちに、
「可哀想に」なんて言葉をかけるのは、
大変傲慢なことだと、私は思っています。
最終的に、どっちが「可哀想」なのか?
それがわかる日は、この世にいる間には、きっと来ない。
主催者が、この大会を開催する意図は、
皆がお互いに助け合い、励ましあい『共に歩む喜び』を、
選手一人一人が感じる、というところに‥
きっとあるんでしょう。
自分はどんな条件を与えられた選手なのか?を
考えると。
どちらかと言うと、かなり良い条件を
与えられている選手なのではないか?と、思うのです。
このまま、ラクラクと走り続けて行ったら、ゴールした時、
「周りの選手たちのために、一体何をしてきたのか?」を
厳しく問われるような気が、しています。
日々、自分には何ができるかを探しつつ、
出来る限りの努力を続けていかなければ‥と??
この、おしゃもじ戦士は思っているのです。
先日、ある青年が亡くなりました。
見てもしょうがないんだけど、
彼の事故のニュースを、何回も何回も読み直しました。
でも、間違いなく、彼の名前でした。
Eくんの歩みを長きにわたって見てきたわけではないけれど、
彼の小学生の時の5年間を、身近なところで見ていました。
‥彼は、様々な障害を抱え、毎日の一歩を進めるのに、
私たちよりも、随分苦労していたと思います。
さらに悪いことに。
Eくんのコースは、仲間たちのコースからは
遠く離れていたところにあったようにも、思います。
Eくんの葬儀の際、お父さんは、
その、健常者には想像もできない『苦労』のこと、
さらに。
「こんな子で生まれてきてごめんな」と謝ろうとするEくんに
「何を言う。お前は、パパの自慢の息子や」と答えた、ということを、
声を震わせながら、話しておられました。
そして。
「どうか、最後に、『おまえは、よくがんばった。』と
声をかけてやって下さい。きっと、喜ぶと、思います。」と
さらに声を震わせながら、話を結ばれました。
『人生』という名のマラソン大会の後には、
やはり『どれだけがんばったか』しか残らないんよね、Eくん。
もちろん、4年に一度しか開催されないオリンピックで
金メダルを獲得するには、
尋常じゃない努力が必要なのだろうから、
それはそれで、大変素晴らしい。
けど。
そういう、この世で目に見えるカタチのあるものは何もなくても、
Eくんの頑張りは、いつまでも残るんだから。
自らのコースを完走し、その魂は、表彰台へと昇っていった‥
Eくんのお顔は、とても、とても‥きれいな顔でしたよ。
今頃、大会の主催者から、
「よくがんばってきたね、お疲れさま」と
金メダルをもらえているはず。
ご両親にとっては、残りのこれからの道のりをを歩むにあたって、
今、その肩にさらに加えられた荷物は、かなり重たいんだろうな‥
とも思うのですが。
Eくんのご冥福と、ご両親の心の回復を、
心から、祈りたいと思います。
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