まいにちはなたば

キレイな花、枯れた花、トゲだらけの花。
毎日いろんなことがあるけど、遠くから見れば、やっぱりきれいな花束だと思うよ?

世界に一つだけの花

2009-12-10 16:10:54 | 想い
先日から、なんどもタちゃんのことを書いてきましたので。

先日、当たり前?の記事中で、チラッと書いた、
それぞれに、それぞれの「弱点」や「障害」などを持っている、
Tくんとか、Cちゃんとか、Sちゃんとか、Mちゃんとか‥と、
先日、盛り上がった話題について、
ちょっと書いてみたいと思います

実は9月に『宴会』と称して
小規模な同窓会をしたんです
そこで盛り上がってた話なんですけどね

そのような集まりがあると、集まってくるのは、
だいたい「いつものメンバー」

その晩の参加者は、Tくん兄弟(そして、Tくんのヘルパーさん)、
Cちゃん、Mちゃん‥あとは、もと教職員だったんですけど


私たち、職員の間では、
(どこの職場でも同じだとは思いますが
「ホンマ、常識疑うわっ!!」
「全く。話ってもんが全然通じひんのやからっ!!」と、
腹立たしい思いをいっぱいさせてくれる職員ってのが、居てはりまして

私ら、しょっちゅう愚痴言うてた訳なんですけどね
(そういう先生は、往々にして、子どもたちからも敬遠されがち


今、あの現場から遠ざかってみて思うのは、
『イロイロあったけど。それでもやっぱり、みんなエエひとやったわぁ
ってこと

養護学校というちょっと特殊な社会から、
世間一般という広すぎる社会にそれぞれが出てみると‥。
ホンマ、世の中には、
イロイロな意味で、いろんな人がいすぎ
一体、ナニが違ったんやろうなぁ
‥っという話をしていたんですけどね


思うに
職員も、保護者も、そして子どもたち自身も。
『ひとと比べることがいかに無意味か』ということが、
よぉくよぉくわかってるんですよね

だから。
『それぞれが、それぞれの持てる力を発揮して頑張ること』
だけが大切なことなのであって、
『ナニをがんばったか?』は全然重要じゃない訳です

だって。
タちゃんと同じことをMちゃんには絶対に要求できないし、
Mちゃんができることは、タちゃんには出来なかったりするわけです
それが『当たり前』

しかし
本来、誰にでも当てはまるべきである
「『それぞれが、それぞれの持てる力を発揮して頑張ること』
 それが一番大切なことある」ということが、
悲しいかな、いわゆる世間一般では、
机上の空論みたいになってるじゃないですか

個人個人の持っている力は多種多様で、
ある一面からの見た目だけで比べたり判断したりするのは、
全然意味のないことなのに


生まれて間もない頃は、身長や体重など細かく計られ、
動き出せるようになると、標準的な時期までに首がすわるか、
歩き出せるか、言葉が出てくるか‥などを気にされ。
集団生活に入っていく頃には、
「大多数」と一緒に行動できるかどうかが問題にされ、
学校へ行けば、テストの点を気にされる‥

その中のどこかで「標準」の枠を外れると、
それは「異常」であるかのように、捉えられがち
‥じゃないですか??


違うのに~~!!


♪みんなちがって、みんないい♪

♪ナンバーワンになれなくてもいい もともと特別なオンリーワン
 
 そうさ僕らは 世界に一つだけの花 ひとり一人違う種をもつ
 その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい♪

大事なことは、皆ちゃんと知っているはずなのに
普段の生活の中では、どうしてあんなに

 ひとが見たらどう思う
 こんなん、ヘンじゃない
 これって、アタシだけ!?  と

どうでもいいことを気にしがちなんでしょう

もっともっと、
それぞれがそれぞれのありのままの自分に自信を持ち、
自分がそうであるのと同じように、
大切な存在である周りにいる人たちのことも大切にする‥

それが養護学校では『当たり前』だったように、
世間一般でも『当たり前』になっていくと‥いいのになぁ

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