安倍晋三氏を支持し支える会

安倍晋三氏を支持、応援し、時にはダメ出しを行い、より良い日本となるように考えて書きます。

石平のChina Watch 中国共産党の強権的言論統制の終焉かーそれとも言論統制強化か

2013-01-31 19:41:38 | 意見発表

石平のChina Watch 中国共産党の強権的言論統制の終焉

2013.1.17 11:07 MSN産経ニュース
中国広東省の週刊紙「南方週末」の10日付紙面(河崎真澄撮影)

中国広東省の週刊紙「南方週末」の10日付紙面(河崎真澄撮影)

 今月初旬に中国紙・南方週末の紙面が地元の広東省共産党宣伝部の指示によって改竄(かいざん)された事件で、当事者の編集者や記者たちが当局の横暴に対して果敢な戦いを挑んだことが多くの報道によって知られた。本欄が「反旗を翻した中国メディア」と題して、中国の国内メディアが政府の言論統制に反抗し始めたことを報じたのは2011年8月のことだったが、それから1年数カ月がたった今、反乱はより本格的になってきている。

 事件が展開している中で、筆者の私が興味深く注目しているのはむしろ、反対の政権側の動き方である。紙面の改竄を主導したのは間違いなく広東省共産党宣伝部であったが、実は、改竄の対象となる文章の担当編集者や記者が休暇中という隙を利用して実行されたという。休暇が終わって職場に戻った編集者たちが異変に気がついて直ちに抗議行動を始めたのが事件の始まりである。

 共産党の絶対権力をバックにしてメディアに君臨しているはずの党宣伝部が、いつの間にか「コソ泥」のような風情で本来の職務である言論統制をこそこそと遂行している光景は滑稽にも見えるが、彼らはどうやら、自分たちの力と仕事の正当性に対して自信を失っているようである。

 さらに面白いことに、事件が発生して全国のネット世論が改竄行為を厳しく批判している中で、当事者の広東省党宣伝部の責任者が公の場に出て自分たちのやったことの正当性を主張することは一度もなかった。広東省党宣伝部の上位機関である共産党中央宣伝部にしても、全国で広がっている批判に対して反論したりすることは一度もない。

 中央宣伝部の行った最大の反撃はすなわち、環球時報という御用新聞紙が掲載した政権擁護の社説を、全国の新聞に転載を強いたことだ。

だが、政権側に立ったこの環球時報の社説には、「紙面の改竄は正しい」と正面から宣伝部を擁護するような文句は1行も書かれていない。社説が政権のために行った唯一の弁明はすなわち、「広東省の党宣伝部は実は、紙面差し替えに関与していない」ということである。

 つまり、中央宣伝部にしても御用新聞の環球時報にしてももはや、共産党による言論統制を「正しいこと」として堂々と主張できなくなっている。彼らはむしろ、全国からの批判にさらされている中で「自分たちはやっていない」と逃げ腰の弁明に躍起になっているありさまである。

 そこにはもはや、絶大な権威と権力を持って言論を完全に圧殺できた往時の党宣伝部の姿はない。彼らは依然、絶大な権力を持っているものの、人々から認められるところのイデオロギー的正当性や権威のかけらもない。今まで抑圧されてきたジャーナリストや一般民衆が声を上げて堂々と抗議活動を展開している中で、共産党の権力者たちはむしろ身を縮めて民衆からの批判をかわすのに精いっぱいという情けない立場に追い込まれている。

 ここまで来ると、共産党宣伝部による言論の統制はすでに破綻寸前の末期状態であるといえよう。やっている本人たちが「それが正しい」と主張できなくなるような仕事が、どうやって長続きするのだろうか。おそらく党宣伝部のみならず党の最高指導部も、このままでの言論統制はもはや無理であることを悟っているはずだ。そういう意味で南方週末改竄事件は、共産党政権による強権的言論統制が終焉(しゅうえん)を迎えようとしていることを告げた歴史的な事件であるかもしれない。言論の自由と民主化の流れはもはや誰も止められないのだ。

                ◇

【プロフィル】石平

 せき・へい 1962年中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得。

関連ニュース

2013年1月25日(金) NEW

南方週末・中国社会への波紋

 

新年早々、中国を揺るがした大論争。

「報道の自由を守れ!」

「新聞検閲反対!
南方週末を支持する!」

中国の新聞「南方週末」の記事が当局による検閲で書き換えられたとして、記者らが反発。
インターネットを通じ、ストライキを呼びかけるなど、抗議の声を上げたのです。
立ち上がった記者らを、多くの市民も支持し、言論の自由を求める声が広がりました。

デモ参加者
「多様な意見が許される平等な社会になって欲しい。」

ところが、問題の発覚から3週間。
南方週末の記者たちは、口をつぐんでいます。

南方週末 記者
「今はまだ表だって話せません。
皆、大きな圧力を感じています。」

言論のありかたをめぐり揺れる中国。
現場で何が起きているのか?
「南方週末」内部への独自取材から、今後のゆくえを読み解きます。

傍田
「習近平体制が発足した中国。
はびこる汚職や貧富の格差に加えて、言論の自由をめぐる問題にどう対応するかが新指導部にとっての重要な課題となっています。
『南方週末』の一件は、中国の言論をめぐる状況に大きな影響を与える可能性があるだけにその行方が引き続き関心を集めています。」

鎌倉
「中国の言論のありかたはどこまで変わりうるのか。
『南方週末』内部への独自取材を通じて読み解きます。
まずは、今回の問題の経緯について黒木さんからです。」

黒木
「問題の発端となったのは、1月3日付けの『南方週末』です。
こちらが掲載されるはずだったと言われている記事からの抜粋です。

『中国の夢 立憲政治の夢』と題された記事。
『中国ではまだ自由、民主、豊かで強い立憲政治が実現していない』などと訴えています。
これに対しまして、共産党宣伝部が、編集長などに書き換えを指示したとされています。
実際に掲載されたのはこちらです。

題名は、『我々はいつの時代よりも夢に近づいている。』
『中華民族の偉大な復興を実現することが、近代以来の最大の夢である』という習近平総書記の言葉を引用しています。
『民主』や『自由』という言葉はありません。
インターネットで書き換えを知った若者たちは、『南方週末』の本社前に集まり、4日間にわたって抗議しました。
一部の参加者が拘束されましたが、支援の動きは、他の新聞社や著名人にも広がりました。
これに対し当局は、このように『政府に公然と刃向かえば必ず敗者となる』とする社説を掲載するよう新聞各社に指示。
中国国内で、抗議の声が上がりました。」

鎌倉
「『南方週末』は、その後も毎週、発行されていますが、検閲制度に対する記者たちや市民の不満は、くすぶり続けています。
今、現場で何が起きているのか。
『南方週末』内部の関係者はどのような思いを抱いているのか。
取材しました。」

「南方週末」問題 関係者が語る内幕

報道が共産党によって、統制されている中国。
その中にあって、官僚の汚職や社会の不正などの独自取材で定評のある「南方週末」は、都市の若者を中心に人気を集め、毎週170万部以上を発行しています。
2009年に、オバマ大統領が中国を訪れた際には、アメリカ側が数ある新聞の中から、唯一、南方週末を選び、単独インタビューに応じました。
今回、なぜ、南方週末の記者たちは声を上げたのか。
私たちは、内部事情を良く知る人物に取材することができました。
「南方週末」の元デスク、鄢烈山さんです。
今でも編集部に出入りしているという鄢さんは去年(2012年)、広東省に新しい共産党の宣伝部長が来てから、編集部の様子が変わったと言います。

『南方週末元デスク 鄢烈山さん
「毎回のように取材内容を宣伝部に報告し、して良いこと、いけないことを指導され原稿も検閲を受けなければならなくなりました。
私が編集部に行くとこっそり不満を述べる人ばかりでしたよ。」

「報道の自由を守れ!」

「検閲反対!
南方週末を支持する!」

「南方週末」の本社前で連日行われた抗議活動。
ネットで事態を知った若者などが、言論のありかたや中国の政治体制について、公然と議論するようになりました。
24歳の李恵周さんもその一人です。

『南方週末記者らを支持する 李恵周さん
「共産党の1党支配をあなたがたは絶対だと言うんですか?」

李さんは、南方週末の本社がある広州から車で2時間離れた農村の出身です。
大学時代から欧米の民主主義に関心を持ってきた李さんは、インターネットで海外メディアの情報にも頻繁に接しています。
中国のメディアに変わって欲しいと思い、生まれて初めて抗議活動に参加しました。

『南方週末記者らを支持する 李恵周さん
「自由に意見を言い合うのは誰かを打倒するためではありません。
多様な意見が許される平等な社会になって欲しいのです。」

その後、当局は、騒動の拡大を避けるため、記事の事前の検閲をやめることで幕引きをはかったと言われています。
旧正月を控えた今月18日、「南方週末」の記者たちが集まり、この1年の仕事を振り返る、忘年会が開かれました。
この1年で、当局の圧力などによって掲載できなくなった記事は1034本。
この日、その中から優秀な記事が選ばれ、表彰されましたが、書き換え問題についての説明はありませんでした。
記者たちは、インターネットの書き込みを禁じられたり、事情を口外しないよう指示されるなど、厳しい統制を受けています。

「南方週末の記者ですよね。」

「みんな大きな圧力を感じています。
間もなく一段落しそうですが今は話せません。」

多くの人が口をつぐむ中、「南方週末」の記者が、名前を出さないことを条件に、私達の取材に応じました。

『南方週末記者の証言
「多くの記者たちは今回の結果に満足していません。
読者や支持者に何も説明できていませんから、我々は今回のことで何をすべきか、どう対処すべきかを学びました。
しかし中国メディアで働いている以上、不自由な環境はある程度受け入れなければなりません。
『言論活動は自由であるべきだ、政府の統制を受けるべきでない』
そう考えている人は中国のメディアで仕事を続けられません。
これが現実です。」

南方週末の元デスクの鄢さん。
記者たちの不満がくすぶりつづけているため、今後も当局との腹の探り合いが続くといいます。

『南方週末元デスク 鄢烈山さん
「当局から(記者への)報復はなく、執筆前の検閲はなくなりました。
しかし発行後の審査と処罰がなくなったわけではありません。
言論をめぐる状況の改革を焦らず一歩一歩進めるしかありません。」

中国 検閲めぐる問題 浮き彫りになったもの

傍田
「では、取材にあたった石部記者に聞きます。
関係者の本音に少しでも肉薄しようという取材だったと思いますけれども、今回の『南方週末』の問題で、中国メディアを取り巻くどのような問題が新たに見えてきたというふうに感じていますか。」

石部記者
「今回の問題が浮き彫りにしたのは、共産党の報道統制に対する記者たちの鬱積した不満が一般の人たちにも共有され、言論の自由を求める世論が少しずつ高まっているという現実です。
中国で当局とメディアとのせめぎ合いが明るみに出ること自体はこれまでもありました。
たとえば7年前には『氷点週刊』という新聞が、共産党が推し進める歴史教育を客観的に見つめる必要があると主張する論文を掲載したことで一時、発行停止の処分となり、編集長が解任されました。
4年前には北京の雑誌の記者らが編集部門に過剰な干渉があったとして、集団で辞職したこともあります。
これに対して今回の『南方週末』では北京から広東省に共産党の宣伝部長が送り込まれて以来、それまでなかった記事の執筆前の検閲まで始まり新指導部が発足した後も、報道統制が少しも緩和されない現状に記者たちが怒りを爆発させ、これに市民が共感を示した形です。
今回の問題は一応、鎮静化しましたが、記者だけでなく一般市民も中国当局の統制をかいくぐってインターネットなどで、自由に外国の情報にアクセスしています。
それだけに、同じような問題が他の場所の別のメディアでも起こる可能性は高いと思います。」

中国 厳しい言論状況 今後の行方は

鎌倉
「『南方週末』をめぐる問題では、執筆前の検閲がなくなるなど、当局側が譲歩したようにも見えますけれども、今回の問題は、中国の言論をめぐる厳しい状況に今後、どのような影響を及ぼすと見ていますか?」

石部記者
関係者によりますと、記事の執筆前の検閲はすでになくなり、記者たちも処分されないことになりました。
今後、問題を大きくした『南方週末』の編集長や党の宣伝部長を交代させるという情報も出ています。
しかし情報化が進み、多様化している中国社会では、従来の官製メディアでは真実は伝えられず、飽きたという意見があることも事実です。
日本や欧米のような報道の自由を掲げるメディアを求める声はますます強まっています。
習近平指導部のもとでも当局とメディアのせめぎ合いは続き、当局によるメディアに対する監視と統制が一段と厳しくなることも予想されます。」


新国立競技場はオリンピックメインスタジオになるーそれは日本人の設計によるべきだ

2013-01-31 19:29:34 | 意見発表

SANAA世界で活躍 日本人建築家の挑戦!

NHK総合2013年1月19日放送

2012.12.4ルーブル・ランス

フランスの大統領が新しい美術館の完成を祝福して「美術館は作品を展示するだけでなく建築そのものが創造的でなくてはならない。ルーブル・ランスの建築家を祝福する。」と建築家をほめた。

大統領がほめたたえた建築家は日本人の二人組SANAA妹島和世と西沢立衛

SANAAが設計したルーブル・ランス、世界が注目すルーブル美術館の新館である。パリから北へ200キロ、地方都市ランスに姿を現した。アルミとガラスの美しさが目を引く。パリのルーブルとは対照的な斬新な現代建築である。

ルーブル・ランスのメインギャラリー「時の回廊」6000年に及ぶ人類の遺産、ルーブルのコレクションから選び抜かれた205の作品が時空を超えて最先端の建築と巡り合った。

日本より海外で知名度が高いSANAA、数々の国際コンペをものにし独創的な建築を作り出した。日本における代表作は金沢21世紀美術館、どこからでもアプローチできる円形の建物、カーブしたガラスに緑が写り込み、街の風景と溶け合う。解放感にあふれ建物の向こう側まで見渡せる。四つの中庭が設けられ、建物の内部にも緑と光があふれる。これまでの建築の常識を打ち破り、すべての人に開かれた空間を実現した。

2004年ベネチアビエンナーレ国際建築展、金獅子賞。

アメリカ建築史家ビクトリア・ニューハウス「SANAAは建築界に革命を起こそうとしています。新しい作品が生まれるたびに新鮮な驚きがあります。」

ルーブル美術館館長アンリ・ロワレット:「SANAAの建築を見た瞬間胸がドキドキしました。まるで恋に落ちたみたいに、」

世界で最も尊敬される日本人の仲間入りをした二人、だが建築の仕事を始めた1990年ころにバブルが崩壊、どん底で明日をも知れぬ毎日を送っていた。二人は如何にして逆境を乗り越え世界に飛躍したのか、日本人建築家SANAA軌跡をたどり建築が開く未来を見つめる。

Ⅰ.SANAA―建築の冒険

第二次大戦で戦場となり、深く傷ついたフランスの街、ランス。この街がSANAAにとっての戦いの場となった。2004年ルーブル美術館はランス新館のために大規模な設計コンペを計画、敷地はかっての炭鉱の跡地、20万平方メートル、SANAAをはじめ世界中の建築家がコンペに参加125を超える野心的なプランが集まった。SANAAの設計案、シンプルで抑制されたデザイン。土地の傾斜に沿って流れるように建物を配置した。ガラスとアルミを巧みに使い、周囲の県境と溶け合う空間が提案された。

SANAAにとって最大の強敵は世界建築界の女王と言われるザハ・ハディド

9年前建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞受賞を女性で初めて受賞した。

ザハ・ハディドの設計案、ザハの壮大なデザインは審査員を圧倒した。そびえたつ巨大な建物、その造形は炭鉱を取り巻く山岳をイメージした。

炭鉱の衰退とともにさびれる街ランス、地元の政治家はザハのプランに期待していた。インパクトの強い建築で観光客を呼び込みたい。ランス市議「ルーブル・ランスは単なる文化政策ではありません。何よりもそれは私たちの生き残りをかけた経済政策なのです。」

しかし、ザハのプランに真っ向から異論を唱える人物がいた。ルーブル美術館に君臨するロワレット館長、「ザハは確かに天才的な建築家です。しかし、この敷地にはふさわしくないと思いました。ザハの設計案はバロック建築のような膨大なイメージですが、私たちが求めていたのは、もっと控えめで、落ち着いた建築でした。

当時フランスでは無名だったSANAA、環境への配慮が認められ有力候補に浮上した。

2005.9.25最終審査が行われた。経済優先かそれとも環境との調和か?

美術館の未来をめぐる激しい議論の応酬、最後は決戦投票に持ち込まれた。

ザハ22票、SANAA22票、決着は審査委員長にゆだねられた。

「今晩はトップニュースです。ガラスとアルミでできた未来のルーブル・ランス、炭鉱跡地に最先端の建築が出現します。コンペで勝ったのは日本の建築家でした。」

この時から7年、ルーブル・ランスは2012年に完成。人々はSANAA建築の美しさに目を奪われた。ギャラリーに張り巡らされたアルミの輝き

「作品がぼんやり映り込むのがおもしろい」「神秘的だね」「すごく開放的な空間だと思う、光が」あふれていて」きれい、すてきですね」

何故、ヨーロッパで高く評価されるのか。欧米の知識人は日本の伝統に通じる美しさを指摘する。

ロワレット館長「簡潔で抑制されたSANAAの建築には日本的感性を感じます。思い浮かぶのは貴族の邸宅です。シンプルな平面構造、隣り合う空間に続くオープンスペース、その透明感はまさしくルーブル・ランスと共通しています。日本人にとっては普通の感覚かもしれませんが、我々ヨーロッパ人には魅力的で衝撃的なんです。」

現代建築の世界で欧米とは異なる美意識を表現したSANAA、二人の感性は如何にして育まれたのか。

ー略(生い立ち、思想を持つようになった原点、きっかけ、思想・経歴など)ー

解散直前になってある設計コンペに参加するチャンスが与えられた。

若い女子社員80人が共に暮らす社員寮の設計、これが建築家としての最後の仕事になるかも知れない。大学院を出たばかりの西沢も駆り出された。妹島が目指したのは「みんなの家」驚くほど巨大なリビングルームを導入、若い社員の交流を促す大胆な石灰だった。

人生の一大転機が訪れた。再春館製薬女子寮(熊本市)

 建築家としての崖っぷちを乗り越えた力作、軽やかな素材を持ち開放的な光あふれる空間を実現、妹島和世の出発点となった。

日本建築家協会新人賞1992年

Ⅱ.ニューヨーク 

幸運なことに妹島の建築を紹介した日本の雑誌がアメリカの大物キュレーターの目にとまった。ニュヨークで行われた建築の展覧会ライトコンストラクション展に招待されたのである。カタログの表紙を飾ったのは無名に等しい妹島の作品だった。ライト・コンストラクションとは「光にあふれた軽やかな建築」

当時ニューヨーク近代美術館で展示された、妹島建築の模型、妹島の設計は90年代の新しい潮流を先取りしていた。

建築家・キュレーター テレンス・ライリー「非常に複雑な設計です。建築の内部構造が天を目指して登って行くようです。まるで、水の中にいるような感じですべてが浮かんでいるように見えます。軽やかなのです。透明感、軽やかさ、昔から近代建築ではおなじみのイメージです。しかし、若い世代の建築家はそれらを驚くべき感覚で組み合わせて、全く新しい思想を表現したのです。

海の向こうからコンペの招待状が届くようになった。1995年妹島と西沢は共同設計チームSANAAを結成(AJIMA ND ISIZAWAND ssociates)

日本ではバブル崩壊後の不況が深刻化していた。二人は背水の陣を敷き海外のコンペに挑んだ。

スタッド・シアター(オランダ)

だが、SANAAは立て続けに海外のコンペをものにしヨーロッパで極めて高い評価を獲得した。

フォルツェライン・(ドイツ)、ROLEXラーニングセンター(スイス)

2003年にはニュヨークへ進出、新しい現代美術館の国際コンペで勝利を勝ち取った

コンペを勝ち抜くSANAAの秘密はどこにあるのか。

マンハッタンバワリー街、

バワリーの街に溶け込むニューミュージアム、7階建て、箱をずらしながら積み上げた形が目を引く、設計・SANAA。建物全体が柔らかな光につつまれている。近づくとアルミメッシュに覆われていることが分かる。細部にこだわり、軽やかな素材を巧みに用いるSANAA、鮮やかな職人芸が発揮された。

アルミに反射する光が変化すると美術館は様々な表情をみせる。美術館と歩道を隔てるのはガラス1枚。建物の外からカフェやギャラリーが見える。

ロビーは周りの風景と滑らかにつながっている。

10年前、妹島と西沢が訪れたころ、バワリーは荒れ果てた街だった。住民は美術館の建設で街が変わってほしいと願っていた。

コンペに参加したSANAAにとって最大の難問は、ニューヨークの厳しい建築規制だった。当時SANAAの一因としてこのプロジェクトを担当した大木理寛(建築家)さん「ニューヨークでは住民に日照権を確保するために、厳しい規制を設けています。建物の高さが85フィート、およそ26メートルを超えた場合、通りから約5m後退させなくてはならないのです。」

高層ビルを野放しにすれば暗がりが増え、犯罪を誘発する。そのため厳しい規制が行われるようになった。

だが、規制を守れば建物はどれも同じ形になってしまう。

コンペの最終審査で検討された設計案が残っていた。どれも建物の形が似ており、周囲との環境バランスがよくない。SANAAの設計案だけが他とは違っていた

大木「妹島さんと西沢さんの信念は建築家は規制に合わせて設計すべきではないと言うこと規制を守りつつも、独創的なデザインを実現しなければならない。そんな二人のこだわりから、この形が生まれたのです。」

妹島と西沢は建物の規模を小さくすれば周囲の建物とのバランスが良くなることに気が付いた。また、フロワーをずらすことで建物に縁側が生まれそこから降り注ぐ自然の光が、ギャラリーを柔らかく包み込む。この縁側はテラスにもなる。ニューヨークの新しい名所となったテラスからマンハッタンの絶景が見渡せる。

ニューミュージアム館長リサ・フィリップス「SANAAの設計案を見た瞬間、これこそ私したちが求めていた建築だと感じました。SANAAは建物のスケールを小さくすることで、一つの彫刻を作り上げたのです。大金を投じて巨大な空間ばかりを欲しがるこの街では誰も思いつかないアイデアでした。」

ニューミュージアムの周辺には、60を超えるギャラリーが新しくオープン。

バワリーは最先端のアートを発信する街へ生まれ変わった。

休日には多くの市民で賑わう。SANAAの設計によってニューヨークに新しい風景が生まれた

バブル崩壊後の逆境から出発したSANAA、2010年ニューヨーク、ブリツカー賞受賞、建築界のノーベル賞と言われる最高の栄誉をつかんだ

2人の名声は日本より先に海外で頂点に達した。

Ⅲ日本へ

日本では大都市の巨大プロジェクトは大手設計事務所やゼネコンが一手に引き受けている。

世界のSANAAも日本で手掛けた設計の多くは小さな住宅や地方の公共建築(大倉山の集合住宅、豊田市生涯学習センター、逢妻交流館、ディオール表参道、犬島「家プロジェクト」)、だが、二人の建築家には独創的な発想があふれている。

東京の下町に建てられた賃貸の集合住宅「森山邸」(東京・蒲田)家主の森山さん、目が覚めるとまず部屋を開ける、洗面所もお風呂も外にある。

普通の賃貸アパートがばらばら分解された。部屋が独立していて部屋と部屋の間は庭となる。設計を担当したのは西沢立衛、森山邸のために900を超えるプランを作って徹底的に研究した。その結果、緑と光にあふれる、長屋のような空間が生まれた。森山さんの住まいの一つ地下室を含めて4階建、併せて4っつの建物に暮らす。中略

妹島と西沢は日本の風景と溶け合う新しい風景を創り出そうと試みてきた。

棚田にうずもれるように設計された美術館。豊島美術館(香川県)展示されている作品はただ一つ「作品「母型」(内藤礼 2010年)」大地からわく小さな水滴が交わり合い、生き物のように動いてやがて一つになる。木々のざわめき、虫の声、鳥のさえずりが聞こえる。手島は古くから清らかな湧き水に恵まれた。人々は豊かな自然の恵みを大切にして暮らしてきた。だが、バブル全盛のころ島は深い傷を負った。大都市から運ばれた産業のごみ、12年間にわたって93万8000トンが不法投棄され、有害物質が海や土壌を汚染した。

中略

西沢:「産業廃棄物の不法投棄と言う問題があったけれど、その歴史をひっくり返すんだと言うことを確か言われて、・・・どうやるんだ見たいな」

西沢と福武さんが目指したのはアートと建築、そして、故郷の風景が一体となった全く新しい空間だった。

西沢の心の中に浮かんだイメージは水滴のような自由な曲線、図面には水滴を思わせる建築空間が描かれた。故郷再生への祈りを込めた建築、訪れる人々の心に大きな共感を呼び起こした。(日本建築学会賞2012年)

日本社会への鋭いまなざしを、建築と言う形で表現してきたSANAA、そのまなざしがいま日本の首都東京に注がれている

2012年夏から秋にかけSANAA事務所は新たな国際コンペに取り組んだ。

東京を舞台とした壮大なプロジェクトである。

SANAAのスタッフがアイデアを片っぱなしから模型にしてゆく、総工費1300億円8万人収容の新国立競技場建設計画、敷地は11万3000㎡。

現在の国立競技場を建て替えオリンピックのメインスタジアムを目指す

設計コンペを目指して毎晩のように会議が続いた。海外のコンペで華々しい実績を持つSANAA、だが、地元東京では代表作と呼べる建築が無い。次々と提案される大量の設計案、妹島、西沢がスタッフと共にあらゆる角度から検討を加えて行く。

この日、一番注目を集めた設計案、観客席、

これまでのような閉じられたドームで無く、周囲に開かれた新しいデザイン、・・・だが妹島はこれでは観客が協議に集中できないのではと心配した。

妹島「競技場って、相当集中して真ん中見るから、それを一番特化させていこうと思ったら、やっぱり形も敷地に合わせてこっちが大きいとかこっちが低いとかと言うことではなくて、真ん中へ向いてどこからも見られると言う形が競技場としてはパーフェクトで・・」

西沢「でも、仲が集中して外が全然関係なく開くというのがどうなのかと思う」

開かれた建築によって、東京に新しい風景を創りたい。だが、スタジオの本来の機能もおろそかににはできない。およそ2カ月をかけて大量の設計案が検討され、ようやく最終案が出来上がった。中略

SANAAの発想は人と建築の関係を問い直すことから生まれる。設計案は「公園のようなスタジアム」神宮の森に開かれ、訪れる人々の交流を促す。

2012年11月7日最終選考会が開かれた。

審査委員長は日本を代表する建築家安藤忠雄。

予備審査で最も高い得点を獲得したのはイギリスの建築家、ザハ・ハディドの設計案だった

工学博士安岡正人「これだけ外見的に強烈な印象を与える作品は他にはございません。」

建築史家鈴木博之「圧倒的な造形の迫力」

建築家内藤博「技術的には可能だろう。ただコストは知りません、という、コストはかかるかもしれない

ランスのコンペでわずか1票差でSANAAに敗れたザハ・ハディド、世界の巨匠が再びSANAAと競い合う。

ザハは流線型の壮大な外観で審査員を圧倒した。イベントでは屋根がスクリーンとなってお祭り気分を盛り上げる、屋根から延びる長い架け橋はスタジアムへの魅力的なアプローチとなる。

予備審査でザハについで高い得点を獲得したSANAAの設計案、周りの環境に溶け込む設計が高く評価される一方で開放的な空間の在り方に疑問を持つ審査員もいた。

内藤「日j等に魅力的な案で、よく考えられているのですが・・・」

作曲家都倉俊一「あそこの隙間というのは開いているのですか?」

安藤「あそこは空いている」

都倉「空いているんですね。客席と屋根の間は開いているのですよね。ちょっと不安と言うか・・・」

安藤委員長は環境との調和を重視するSANAAのプランに惹かれていた。しかし、スタジアム本来の機能がどこまで発揮されるか疑問を感じてもいた。

安藤「メインスタジアムですから、ここが重要ではないかと思いますのは、例えば選手に気持ちが集中できるかどうか、最後は戦っている選手たちに気持ちが行くかどうかとなると中心にあった方が方がいい、そう言う面では34番SANAAの屋根がひらひらしていると集中が無くならないのかという気持ちもありまして、・・・」

周囲の環境に溶け込もうとするSANAAのプラン、圧倒的な外観で存在感を示すザハ:ハリドのプラン。ルーブル・ランスでの対決が東京で再現された。

11月15日

コンペに勝ったのはどちらか。

当選者が発表された。

安藤「まず、絵を見ていただいたらわかりますが、大変スポーツにとって一番重要な躍動感がある、流線型の形が構造と内部空間とがマッチしている、・・・」

コンペに勝ったのはザハ・ハリド。

SANAAの挑戦は実らなかった。

建築家にとってコンペとは?

妹島「やっぱり、どんなに自分たちがうまい調子で行けたと思っても、コンペを主催した側の人の、求めているものが、違うっていうのがありますよね。」

西沢「僕らが、建築をつくるっていうことですごくいろいろと矛盾した気持ちがあるんですけど、社会にその時代につながったものを作りたいと言うのがあって、もう一個はその時代を超えるものをつくりたいと言う両方あって、矛盾しているんですよね」

世界を舞台に建築の最前線を疾走してきたSANAA、今ふと立ち止まり原点を見つめなおす時が来た。

Ⅳ.未来へ

2011年3月11日東日本大震災、建築家に計り知れない衝撃を与えた。

西沢「自然とか自然と生きるということがこれほどのことなのかというのは、多分、震災の前は、やはり想像力が無かったと思います。」

妹島「自然と関係を持ってと言うことを言ったりもしてましたが、今もそう思いますが、そんなに、うまく行かないこともいっぱいあるし・・・」

西沢「自然との調和とかランドスケープというのは震災の前から言っていたことなんですが、相当抽象的に言っていたなー、というのはありましたよねー。

自然は建築と連なって人の心を解き放つ、だが時に、人間の想像をはるかに超える猛威を振るう、多くの建築家がこれまでの建築の在り方に疑問を抱いた。だが、震災後、建築家に期待する声はほとんど聞こえてこなかった。

このまま、では住民が置き去りにされたまま個性のない街づくりが、すすむ恐れがある。5人の建築家が被災地支援するグループを結成、妹島も参加した。

妹島「何にもやれることは無いと言うか、声をかけてやってくれとも言われない・・でもいろんな方がみんな自分自分でできることはじめられましたよね。

それと同じだと思うんですけど何か→tれることからやって行こうと」

宮城県東松島市宮戸、三つの漁村が壊滅した、130世帯の被災者が住み慣れた浜を離れた。

だが、仮設住宅には隣人と話をする場所もない。

人々の絆をつなぎとめる空間が必要だ。

SANAAはボランティアで設計に取り組んだ。これまで海外で格闘しながら建築の可能性を追求しきたSANAA、被災者を過ごしながら、ともに建築を作る喜びを味わった。

2012年10月13日、震災から1年7か月宮戸に「みんなの家」が完成した

アルミの丸い屋根が広い軒下を作り出す・・以下略

2012年夏、総工費1300億円、8万人収容の新国立競技場建設計画のコンペが行われた。敷地は11万3000㎡。現在の国立競技場を建て替えオリンピックのメインスタジアムを目指す国際コンペで、日本の建築集団SANAAも応募した。

しかし、日本での審査員達はイギリスのザハ・ハディドの設計を採用した。

それは、正しかっただろうか。

 

ザハ・ハディドとSANAAは強敵関係にある。

2112年12月フランスのルーブル美術館の新館のルーブル・ランスが完成し、その設計を担当した設計集団である日本のSANAAをフランス大統領は讃えた。

その、コンペの審査状況は、東京の新国立競技場建設計コンペ同様最初はザハ・ハデイドが優勢であったが、協議して行くうちに次第にSANAAが追い上げて最終審査では同票となり、ルーブル美術館館長アンリ・ロワレット館長の決定にゆだねられ、館長はSANAAに決定した。

東京の新国立競技場建設計のコンペはルーブル・ランス同様ザハとSANAAの争いになったが、日本の審査員の選択眼の無さか、外観のすごさのザハに目を奪われたのか、自然との調和をコンセプトにしたSANAAは選ばれなかった。日本の審査員達はフランスのルーブル・ランスの決定と逆の決定をしたのである。

SANAAは上記(NHKの書き起こし)に書いてあるように世界で活躍し賞を受賞し実績を上げている。2004年ベネチアビエンナーレ国際建築展、金獅子賞、2010年は建築界のノーベル賞といえる「プリツカー賞」も受賞し、日本の誇りと言える建築集団である。(私はこの番組を見るまで知りませんでしたが)

日本は、オリンピック招致を目指して頑張っている。そのオリンピックのメインスタジアムになる新国立競技場はできるだけ純日本製であることに意義がある。

ザハとSANAAの設計の質に大差があるのならいざ知らず、ここで日本が誇るSANAAの設計でメインスタジアムを建設してこそ再生日本、自然を大切にする日本、日本の美の表現のスタジアム・・・といろいろな意義があると私は考える。

オリンピック招致の口実・売り文句にもなり、日本のオリンピック会場を世界に示す、日本宣伝の好材料となると考えるが、日本人審査員は考慮の浅さから、意識の低さから、SANAAは採用しなかった。

建築家安藤忠雄とルーブル美術館館長アンリ・ロワレットとの芸術的視点の違いと言うべきでしょう。

NHKで放送されたSANAAの特集。NHKもオリンピックのメインスタジアムはSANAAと決まったら最高の番組になっていたことでしょう。

残念なことにルーブル・ランスとは逆の事態になった。しかし、番組は素晴らしいものだったと思います。だが、見ている者にとって何故、SANAAでなかったのか・・・という残念さが強く残った番組となりました。いつか日本の選考委員たちは自分たちの誤りを気づいて欲しい。そういう思いを込めて文字起こしをしました。

―見えしとこ、皆打つは 下手そかりー(碁の十訓の一つで、表面に見えたとこで打ってはいけないと言う教え)―

ベネチアビエンナーレ国際建築展、金獅子賞の「ビエンナーレ」で私が思い出すのが棟方 志功です。

1956年(昭和31年)、ヴェネツィア・ビエンナーレに『湧然する女者達々』などを出品し、日本人として版画部門で初の国際版画大賞を受賞」(ウィキペディア)

と言うように、ベネチアビエンナーレで賞をもらってあの棟方 志功さんが日本で有名になったと思っています。

つまり、外国で評価され日本での評価が遅れた、浮世絵だって、日本の芸術だって、日本は日本の良さを外国から教えられないと気づかないのです。

これを日本の浮世絵現象と言うことにします。

敢えて言います。新国際競技場はSANAAにすべきだった。

―岡倉天心は西洋一辺倒の時代に日本の伝統技術を守り通した。―日本は岡倉天心の精神を活かすべきだった。フランス人は日本の伝統美を採用したが日本の審査員は日本の良さを知らなかった・・・としかいえない


海保に600人体制の尖閣専従チーム 「那覇海上保安部」新設も一安心の尖閣諸島対策ー

2013-01-31 16:40:21 | 意見発表

海保に600人体制の尖閣専従チーム 「那覇海上保安部」新設も

2013.01.30zakzak


尖閣諸島を守るため、海上保安庁に「尖閣専従チーム」が発足する

 安倍晋三首相が2013年度予算案で、わが国の領土・領海・領空を断固として守り抜く覚悟を示した。

中国が、沖縄県・尖閣諸島の強奪に向けた理不尽な挑発を繰り返すなか、防衛関係費を11年ぶりに増額し、海上保安庁の予算も増やした。装備と人員を強化・拡充することで、東アジアの平和を脅かす中国を牽制する方針だ

 「尖閣諸島は、先人が苦難の末に開拓した日本固有の領土であり、われわれは、そうした歴史を決して忘れない。日本の実効支配を崩そうとする、中国の行動は絶対に認められない」

 安倍首相は昨年末、夕刊フジの取材にこう明言した。13年度予算案には、まさに、その決意があらわれていた。

 防衛関係費は、12年度当初比で400億円増の4兆7538億円を計上した。自衛官は8年ぶりの増員が認められ、陸海空各自衛隊で計287人増やす。現在の実員は約22万8000人で、200人以上の大幅増員は20年ぶり。増員分は尖閣周辺を含む南西地域に重点的に配置する。航空機の能力向上や、艦艇の整備も拡充するという

 海上保安庁の体制強化にも、12年度比37・6%増の364億円が盛り込まれた。尖閣近海の守りを固めるため、海保は15年度までに巡視船12隻約600人体制の尖閣専従チームを発足させることも正式に決まった。

 予算案では、専従チームに割り当てる1000トン級巡視船など20隻や航空機13機の整備費を確保尖閣の警備を担当する第11管区海上保安本部(那覇)の負担軽減のため、職員30人の「那覇海上保安部」を新設、沖縄本島のパトロールなどの業務を移管するという

 防衛関係費は、02年度の4兆9560億円をピークに減少してきた。同盟国である米国も財政難から10年間で4500億ドル(約40兆8300億円)の国防費を削減するとしており、こうした「力の均衡」の変化を見越して、中国は南シナ海や東シナ海での覇権を広げようとしていた

 小野寺五典防衛相は28日、防衛省内の会議で「わが国周辺の安全保障環境にしっかりと対応できる予算を確保できた」と意義を強調した。

1.中国は尖閣諸島奪取のシナリオの最終段階に入ってきている。

2.「【正論】前防衛相・森本敏 中国の不条理、粘り強くはね返せ 「尖閣奪取」は本気だ

2013.01.28ZAKZAK」

「尖閣危機」中国の挑発に踊らされるなー国際世論を味方に、先に手を出さず、備えは怠らずと言う意見もある。

3. 中国は増長しアメリカも恐れず、攻撃的発言をしている。日中問題にアメリカは口出しするなとくぎを刺されている感じだ。

4.森本氏の言うように中国の挑発に乗らないとして、中国は武器を使わずに強硬上陸してきた場合には前防衛相はどうするつもりだったのでしょうか。安倍首相は早速対策を打ち出してきた。大いなる支持をしたい。

5.ただし、中国は台風の避難とか漁民が病気だとか、その漁民を救助するために公船が入ってきて実効支配を始めるとかと言う手段を取ってきた場合どうするのかの対策を考えておくべきです。

6.暴力団体策として「福岡県警:警官100人増員 全国最多 暴力団対策など

毎日新聞 2013年01月29日 」という、手をうった。これもいいことです。国内問題は国内ででき、国内の中国(ヤクザ、暴力団)は根絶させるべきだ。

国民の命を守る予算の使い方には賛成します。