物件は供給過多、時代遅れの建築基準法を見直せ 発想の根源にある「住宅が増えた方がいい」 (1/2ページ)榊淳司 マンション業界の秘密
- <iframe frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"></iframe>曲がり角に立つマンション業界。どんどん造る時代ではなくなった
私はさまざまなメディアや自分のブログで、マンションデベロッパーに対して厳しい見解を示す機会が少なくない。そのせいか、自分たちの運動に何らかのサポートになるのではないかと考え、私に接触を求めてくる方は少なくない。
そういう方の話を聞くと、納得することが多い。彼らが反対するマンションの建設は、できることならない方がいい。あるいは計画内容を変更すべきであろうと思うことばかりなのだ。
しかし、現実には彼らの願いが実現するケースはまれである。
マンションを建てる場合、建築基準法という法律の枠内である必要がある。しかし、この法律はデベロッパー側に都合よくできている。
その昔、日本がまだ住宅不足にあえいでいる頃にこの法律の骨格ができた。だから、基本は「住宅が増えた方がいい」という発想が根源にある。周辺住民は少々の不利益は受忍すべきだというのがベースにあるのだろう。
しかし、時代は大きく変わった。すでに住宅の総数は世帯数をかなり上回り、全国的に空き家の存在が目立つ。住宅政策を上手に行えば、新たなマンションなど建設する必要がないレベルに達している。
それでも、日々建設され、分譲される。そのような中には、明らかに「ここまでして造る必要はないだろう」と思われる計画も少なからずある。
今こそ、建築基準法を変えるべきであろう。これからは「本当に必要な住宅のみを造るべし」というスタンスに改めるのだ。
東京の郊外では、かつて「質より量」を重視していた時代に大量供給された鉄筋コンクリート造のマンションが朽ちかけている。賃貸型なら建て直せばいいが、分譲型の出口は見いだせない。
所有者が売却するにしても数百万円の評価にしかならないのも珍しくない。そういうマンションは、現在の各法規では建て替えすら困難である。
デベロッパーというのは、基本的に売り逃げ型のビジネスモデルだ。全戸完売して区分所有者たちの所有になれば、その物件が未来にどうなろうと責任がない。だから儲かる案件があれば事業化してしまう。
そろそろ、日本は住宅の供給政策を見直した方がいい。でないと、われわれの子孫は「マンション問題」で頭を痛めることになる。
■榊淳司(さかき・あつし) 住宅ジャーナリスト。同志社大法学部および慶応大文学部卒。不動産の広告・販売戦略立案・評論の現場に30年以上携わる(www.sakakiatsushi.com)。著書に「マンションは日本人を幸せにするか」(集英社新書)など多数。