【台湾に学べ】日台友好へ生涯を捧げた蔡焜燦氏、日本人へのメッセージ 「日本人よ、誇りを持って自国を愛し胸を張れ」
- <iframe frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"></iframe>李登輝氏は、戦後の日本を励まし続けてくれた
台北の観光名所である龍山寺に足を運べば、懐かしい日本語に出合えるかもしれない。龍山寺前の公園では、かつて大道芸人が戦前の日本の軍歌や唱歌などを演奏して、喝采を浴びていた。
つい最近までは、大東亜戦争に参加した思い出を喜々として語ってくれる年配者も多かった。大東亜戦争時、多くの台湾人青年は競って日本軍に志願したのだった。
事実、昭和17(1942)年、陸軍特別志願兵制度が施行されるや、最終採用者1020人に対し、40万人もの台湾人が応募した。競争率は約400倍だった。翌18(43)年、競争率は600倍に達し、血書嘆願する者も多かった。
同20(45)年1月、岐阜陸軍航空整備学校奈良教育隊に志願入隊した“愛日家”の蔡焜燦氏は、内地に向けて出発する前夜、中学時代の親友と神社の境内で語り合ったとき、親友にこう言い遺して出征した。
「俺は日本という国が好きだ。天皇陛下が好きだから、俺、立派に戦ってくる!」
台湾人志願兵の中でも、高砂族(=当時の台湾原住民の総称)出身者の活躍は目覚ましかった。当時、高砂義勇隊と呼ばれた兵士たちは南方戦線で勇敢に戦い、その武勇を誇ったのだった。
台湾原住民・アミ族出身の盧阿信氏は、インドネシアやフィリピンの各戦線で戦った英雄だ。
「私たちは日本軍とともにあの戦争を一生懸命戦い抜きました。残念ながら戦争には負けましたが、私たちはいまでも“大和魂”を持っているんですよ!」(盧阿信氏)
かつて多くの台湾人青年が日本軍とともに戦ってくれた。そして、散華した約2万8000余柱の台湾人英霊が靖國神社に祀られていることを忘れてはならない。
その中の1人が、フィリピンで戦死された李登欽氏-李登輝元総統の実兄である。そんなこともあって、李登輝氏は平成19(2007)年の来日時に、靖國神社を参拝されたのだった。
李登輝氏は戦後の日本人に向けて、こんな思いを綴っている。
「私にいわせれば、日本人はあまりにも自信喪失して、こうした世界でもまれな条件を生かせなくなっている。もう少し、冷静に回りを見回して、そして自分たちを見直すべきだろう。アジアの国々もそのことを望んでいるし、世界もまた同じ思いなのである」(『台湾の主張』PHP)
そして、日台友好のために生涯を捧げた前出の蔡焜燦氏は生前、こう語っていた。
「日本人の皆さん、どうか自国の歴史に誇りを持ってください。そして自分の国を愛してください。自分の国を愛せない人が、他の国や世界の国々を愛せるわけがありません。(中略)日本の若者よ、胸を張って自分の国を愛し、立派な先人たちに負けないように頑張ってください。日本人よ胸を張りなさい! これは、“元日本人”から今の日本人へのメッセージです!」
現代に生きる日本人は、いまこそ台湾に学ぶべきであろう。
■井上和彦(いのうえ・かずひこ) ジャーナリスト。1963年、滋賀県生まれ。法政大学卒業。専門は、軍事安全保障・外交問題・近現代史。「軍事漫談家」の異名も持つ。産経新聞「正論」欄執筆メンバー、国家基本問題研究所企画委員などを務める。第17回「正論新風賞」受賞。主な著書・共著に『日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争』(産経NF文庫)、『自衛隊さんありがとう~知られざる災害派遣活動の真実』(双葉社)、『親日を巡る旅』(小学館)など多数。