先週の衆院予算委員会で、安倍首相は、あらためて憲法改正の議論を進めることに強い意欲を示した。
この夏に行われる参院選でも主な争点となる可能性は高く、このタイミングで有権者一人一人が憲法改正についての意見形成をすることは、今回の選挙での投票先を考える上で非常に重要である。今月の予算委員会にて、首相は憲法について「占領時代に作られ、時代にそぐわないものもある」と発言していたが、実際の成立過程を知る人は少ないのではないだろうか。
そこで、本記事では、日本国憲法成立までの過程をまずは簡単に振り返ることで、憲法改正について考える際の一助となることを目指す。
憲法成立の経過は、大きく2つの時期に分けられる。まず最初の時期は、日本独自の研究が行われていた時期であり、次の時期は、いわゆるマッカーサー草案の提示を受けてから、その草案をベースに憲法が形作られていった時期である。
以下ではそれらの2つの時期のおおまかな流れをおさえた上で、成立過程のポイントを整理する。なお、成立後から今日まで行われてきた議論(特に、昨年以降話題になっている9条についての議論は記憶に新しいだろう)についても、後日公開の記事にて整理したい。また、本記事は憲法改正の必要性を主張する目的はないことをあらかじめ断っておく。
日本側独自の改正案は不採用に
終戦を迎えた1945年の10月11日、当時の幣原首相は連合国軍最高司令官だったマッカーサー元帥から、憲法改正の指示を受けた。(私のコメント:何故マッカーサーが憲法改正に指示をしたのかも重要、それはソ連が日本占領に加わってくる可能デイが出てきてそうなると日本の赤化、共産主義化が進むと考えたGHQはソ連が来る前に日本の形を決めようと考え、急いで案を提出するようにしたのです。)
これを機に、同年の10月中旬、憲法問題調査委員会が設置された。
憲法問題調査委員会は、憲法改正案を作るというよりも、将来改正の必要が生じた際の準備を整えることを当面の目標として設置されたが、次第にその審議は改正案の作成の方向に向かっていった。調査委員会の主任を務めた松本国務大臣は、調査委員会で出された意見を参考にしつつ、自らも起案した。しかし、1946年2月1日に毎日新聞にスクープされた松本委員会案は「第1条 日本国は君主国とす」など、明治憲法の字句上の修正に止まるものであった。
一方で、1945年12月末には高野岩三郎氏を中心とする憲法研究会の草案要綱、これに続いて共産党の要綱が発表された。共産党の憲法草案の特徴は、天皇制を廃止して共和制を採用していること、自由権・生活権等が社会主義の原則に基づいて保障されていることである。
自由党は、同党の憲法改正特別調査会の浅井清慶大教授と金森徳次郎が中心となり、「憲法改正要綱」を作成し、1946年1月21日の総会で決定した。また進歩党は、2月14日の総務会で「憲法改正要綱」を決定した。両党の案は、天皇大権の廃止、制限や人権の拡張に関する条項があるものの、共和制を否定して、天皇の位置付けを統治権の「総攬者」もしくは統治権を「行ふ」ものとしており、総じて明治憲法の枠組みを堅持した保守的なものであった。
一方社会党は、民間の憲法研究会案の作成にも加わった高野岩三郎、森戸辰男等が起草委員となり、党内左右両派の妥協の産物という色合いが強い「憲法改正要綱」を、2月23日に発表した。同要綱は、「主権は国家」にあるとし、統治権を分割、その大半を議会に、一部を天皇に帰属させることで、天皇制を存続するとともに、議会の権限を増大し、国民の生存権の保障や死刑制度の廃止等を打ち出した点に特色がある。
しかし結果的には、調査委員会の立案に対してはさほど影響を及ぼしていない。結局、調査委員会は松本案を司令部民政局に提出したが、戦争のできない国にしたかったGHQは日本政府による新憲法案の作成を断念、自ら作成を始める。
マッカーサー草案を元に憲法成立
司令部からは、代わりに司令部案(いわゆるマッカーサー草案)が1946年2月13日に提示された。内容としては、占領政策を円滑に進めるために天皇の戦争責任を問うことなく天皇の権威を利用すること、その代わり天皇は象徴の地位に止めること、また軍国主義の体質を除去するため戦争は放棄することなどを骨子とするものであった。
これに対し、天皇制が護持できるか否かを最も重視していた幣原内閣は国体護持のためにはやむなしとしてこの草案を受け入れた。このマッカーサー草案に基づき、2月26日に日本案の起草が始められ、3月6日には憲法改正草案要綱として内閣から公表された。その後、数回にわたって修正が加えられ、憲法改正草案が4月17日に公表される。4月22日に枢密院での審議が開始され、若干の修正が加えられた上で、6月7日に可決された。6月20日、改正案は帝国憲法改正案として第90回帝国議会に提出された。8月24日に衆議院の本会議で修正可決され、ただちに貴族院に送付された。貴族院では、10月6日の本会議で衆議院送付案を修正可決し、衆議院に回付した。この後、再び衆議院、枢密院での審議を経て、日本国憲法は11月3日に公布されることとなった。
国民的な議論を経ずに成立した現憲法
以上が憲法成立過程のあらましである。我々が今後憲法改正を議論する上で着目すべきポイントは、国のあるべき姿についての国民的な議論を経ずに成立した点だと考える。欧米諸国の憲法を参考にして作られたマッカーサー草案を突然提示され、修正を加えながら急ピッチで憲法制定までこぎつけたわけだが、どのような国を作っていくのかというビジョンについて、ゼロベースでの議論は特になされていない。枢密院や帝国議会において、複数回審議の場が設けられたが、そこでは議論のほとんどが憲法の解釈に関する議論に終始しており、行われたのは修正・加筆にとどまった。
こうした背景から、「押し付け」憲法論も唱えられている(一方、マッカーサー草案が憲法研究会の草案要綱の影響を受けていることから、逆の主張もある)。1954年、「自主的憲法」の制定を提起する自由党の憲法調査会(岸信介会長)における松本烝治氏の「押し付けられた」という発言を端緒とするものである。だが、そもそもこの調査会は自衛隊を合憲化するために憲法改正する目的で設置されたもので、憲法を改正する口実を探していた場での発言であったため客観的な見方とは言い切れず、さらに自分たちの草案を拒否されたことに対する嫌悪感が混じっていたのは否定できないだろう。
しかし、十分に検討がなされ、国民の支持を得て憲法が成立したわけではない。冒頭でも述べたが、本記事では、この議論を踏まえた上で憲法改正の必要性を訴えたいわけではない。ただ、今回扱った憲法の成立過程を踏まえると、無批判的に既存の憲法を支持することは無責任な態度であると言えると思う。もちろん、熟慮の末に憲法改正の必要無しという結論に至ることも大いにあり得ると思うが、この記事をきっかけに、今一度国のあるべき姿はどのようなものか、それを達成するためにはいかなる憲法が必要かという議論につながることを期待したい。また、次回以降は憲法成立後の議論についても整理する予定である。そちらも是非参考にした上で、考えを深めていただきたい。
参考記事:
各政党の憲法改正諸案
寺田 洋介(てらだ・ようすけ)
Platnews編集部。京都大学経済学部3年生。春より、株式会社Platn(プラトン)にてインターン予定。
「集団的自衛権とは? 憲法との関係は? わかりやすく簡単に解説
国際, 憲法, 政治
■集団的自衛権とはなんなのか?
集団的自衛権とはどのようなものなのかを詳しく見ていく前に、まず「前提」のお話をしたいと思います。
なによりもはじめに確認しておかなければならない点は、国連加盟国のすべてには、国連憲章により「自衛権」というものが認められているという点です。
国連憲章には次のように書かれています。
国連憲章第51条
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。
これをわかりやすく言い換えると次のようになります。
国連加盟国がどこかの国から武力攻撃を受けたときは、国連が国連軍を派遣するなどの措置を講じるまでの間は、自国で反撃すること、または同盟国と団結して反撃することを、国連は妨げない。
以上のようになります。
ここで注目していただきたいのは、末尾の「妨げない(害するものではない)」という部分です。
これは何を意味しているのかと言うと、国家というものはそもそもどこかの国から攻撃された際に自ら反撃すること、および同盟国と団結して反撃することは、国連が認める以前から有している基礎的な権利(自然権)であるという大前提が存在していることを意味しています。
例えば、私たちが自然に行っている「呼吸」は、誰かから呼吸を吸う権利を与えられて行っているものではなく、呼吸を吸う権利は誰にでも認められているため、誰かに断る必要のないものです。これを自然に備わっている権利という意味で「自然権」といいます。
つまり、日本は、国家として存在している限り、直接的な武力攻撃に対して反撃し、または攻撃に曝されている同盟国を助けるために戦う権利を無条件に有しており、国連は、国連が救援に向かうまでの間、その権利の行使を妨げない、と言っているわけです。
さて、日本以外の国々では、上記の「自国で反撃すること、または同盟国と団結して反撃すること」を1つの「自衛権」として認識していますが、日本だけが憲法9条との兼ね合いから、この「自衛権」を「個別的自衛権」と「集団的自衛権」とに分けて考え、そのうち「同盟国と団結して反撃すること=集団的自衛権」は行使できないものと解釈してきました。
要するに、憲法9条は、我々日本国民から「自然権」の一部を奪ってきたというわけです。
第二章 戦争の抛棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
2014年7月の安倍内閣による閣議決定で、この「集団的自衛権」の部分も、限定的にではありますが、行使が可能になりました。
つまり、これによって日本は、どこかの国連加盟国が武力攻撃を受けた際には、その被害国の要請により、その国を支援したり自衛隊を派遣して救援したりすることが可能になり、またそれによって今後、周辺国との関係がこれまで以上に密接なものになる可能性がでてきたのです。
■なぜ今「集団的自衛権」を容認するのか?
それでは、安倍内閣は、これまで容認してこなかった「集団的自衛権」をなぜここで容認することにしたのでしょうか。
これは、「集団的自衛権を容認しない」こととした憲法発布時から、国際情勢や安全保障環境が激変したことが大きな原因としてあげられます。
現在の国際社会では、世界各国が様々な利害関係で結ばれており、その国だけで経済活動を営んでいる国はほぼ皆無となっています。
つまり、ひとたびどこかの国どうしの関係が悪化して、いざ戦争という騒ぎになったときには、1対1の争いでは済まない状況が、現在の世界にはあるのです。
そのため、「集団的自衛権」を放棄するなどということは、そんな国際社会のなかにあっては、自ら「孤立」を宣言しているようなものであり、また、友好的な周辺国から見れば、非常に無責任な状態なのです。
終戦直後の復興段階にあった日本であればそのような状況も致し方なかったかもしれませんが、第二次大戦の敗戦が遠い過去に遠ざかった現在、そのような身勝手が許される状況ではないということなのです。
つまり、そのような古い体制を改めようというのが、集団的自衛権の行使容認問題だということです。
■集団的自衛権「行使容認」で、どうなる?
それでは、「集団的自衛権を行使する場合」とはどういう場合をいうのか、具体的に見て行きましょう。
日本が集団的自衛権を行使するには、次のような手順を踏んで行われることになります。
1)国連加盟国が武力による不法な攻撃を受ける
2)被害国が不法な攻撃を受けた旨を宣言し、日本に支援を要請する
3)支援の要請を受けて、国会で審議し、行使に過半数以上の賛成が得られる
4)集団的自衛権を行使し、何らかの行動を起こす
この「集団的自衛権」について、勘違いしてはいけない点は、それがあくまでも「権利」であり、「義務」ではない点です。
つまり、「集団的自衛権が行使できる」と政府が判断した今後は、他国が軍事的な攻撃にさらされたときに「支援できる」ようになるのであって、「支援しなければならない」ようになるわけではないということです。
ですので、もちろん、実際に集団的自衛権の行使を要請されても、上記3)により国会の支持が得られなければ、「行使しない」ことになります。
行使「する」か「しない」かは、そのときの国会の判断ということです。
よく、「集団的自衛権行使を容認してしまうと、アメリカの無謀な戦争に付き合わされることになる」という意見を耳にします。たしかにその可能性はあります。
ただし、仮に自民党政権が、「どう考えても無謀な戦争だ」という意見に国内世論が傾いているにもかかわらず、その世論に耳を貸さず、国会の議席にものを言わせるかたちで集団的自衛権の行使を断行したとしたら、おそらくその自民党政権の支持率は急落し、その後の国政選挙によって与党の座から引きずり降ろされ、下手をすると二度と政権の座には戻れないということにもなるでしょう。
そのぐらい重い判断であることは間違いありません。
そして、その判断を支えているのが国内世論であることもまた間違いないといえます。
つまり、我々国民がマスコミの偏向報道などに左右されず、事実を直視して正しく判断することが求められるようになるとも言えるのではないでしょうか。
■憲法との関係は?
最後に、集団的自衛権と憲法との兼ね合いについて少し触れておきましょう。
上記のとおり、これまで集団的自衛権という自然権の行使を妨げてきた障害は、憲法(憲法九条)でした。
ご存知のとおり、日本国憲法は、第二次世界大戦終結直後にアメリカによって作られた憲法です。
そして、集団的自衛権を容認することで生じるデメリットが、アメリカの戦争に強制的に同調させられる可能性があることだとも述べました。
つまり、日本の集団的自衛権の行使容認のキーポイントは「アメリカの存在」であると言えます。
憲法九条は、アメリカが戦後の日本を都合よく制御するための要でした。
なぜなら、憲法九条の存在が日本の集団的自衛権の行使を妨害するなど、安全保障上の自由を制限し、日本が他国と軍事的な同盟関係を構築することができない状態をつくりだすことで、唯一の同盟国で安全保障条約を結ぶアメリカの存在が、日本にとっては有事の際の唯一の味方ということになるからです。
要するに、日本は、自国の安全保障をこれまでずっとアメリカに依存しなければならず、それによって日本は、外交上、絶対的にアメリカに頭が上がらない関係を続けてきたというわけです。
そして、そのような安全保障上のアメリカ依存の状況が、「集団的自衛権を容認することでアメリカの要求を断れず、無謀な戦争に付き合わされるかもしれない」という集団的自衛権容認のデメリットに繋がっているのです。
つまり、これはどういうことなのかというと、日本がアメリカの戦争に付き合わされることだけでなく、あらゆる面でアメリカの圧力に屈しないようにならなければならない状況に、すでになってきているということです。
以上のように、集団的自衛権と憲法の関係は、常に日本を支配下に置き、言いなりの関係を続けてきたアメリカの存在を抜きには語れないものなのです。
ちなみに、これはマスコミが一切国民に伝えない事実ですが、日本はすでに、イラク戦争でアメリカの戦争に加担させられています。
サマワへの自衛隊派遣は、集団的自衛権を行使できないにもかかわらずアメリカの要請により実現してしまっています。
この要請を拒否できなかったのも、アメリカに安全保障を依存しているためであることは言うまでもなく、突き詰めれば「憲法9条の存在」のせいだということになります。
つまり、集団的自衛権を完全に容認し、また、憲法を改正して9条を撤廃することにより、東南アジア諸国などと軍事同盟を模索することを可能とし、日本が安全保障上のアメリカ依存を少しでも緩和することで、アメリカの身勝手な自衛隊派遣要請も断れる可能性が生じるということになります。
また、それ以外にこれまでのようなアメリカ依存を解消する方法がないというのが現状でもあるのです。」インターネットから転記