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中国から米国へ逃亡の郭文貴氏 習氏のスキャンダルを握っているーそれをあばけ

2015-06-25 06:18:45 | 意見発表

習近平氏は不正防止と言って中国の大物政治家を糾弾しているが、習氏自身は不正が無いのでしょうか。

中国で不正に荒稼ぎした人たちはその財産を持って海外に逃避していると言うことであるが、その数は10,000人近くいるという。

その中に、習近平氏のスキャンダルを知っている人もいるらしい。4月、米紙や香港紙などで習氏関連のスキャンダルが伝わった。

背景に、共産党関係者は米国に逃亡中とされる中国人富豪、郭文貴氏の存在を指摘する。

中国で習近平国家主席の右腕として反腐敗運動を指揮する共産党の王岐山・書記が今年夏にも米国を訪問する見通しだ。訪米の真の狙いは、米国逃亡中の郭氏の身柄の引き渡しを米国に求め、郭氏が握る習氏らのスキャンダルをもみ消すことだ、ともささやかれている。

米国はこの郭氏の身柄の引き渡すでしょうか、折角の秘密源です。米国に帰化させて人権保護の立場から、引き渡しを拒否し、郭氏を調べ上げ、習氏の弱点を握るべきでしょう。

中国人共産党員は何らかの不正に関与していることは間違いありません。警察官でさえ賄賂を請求に来るのです。

米国に行く王岐山・中央規律検査委員会書記も調べてみたらほこりが出てくるはずです。

 

 

習氏の醜聞もみ消し目的? 側近・王氏訪米で臆測
中国総局 島田学

2015/5/21 12:00情報元 日本経済新聞 電子版

 

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中国で習近平国家主席の右腕として反腐敗運動を指揮する共産党の王岐山・中央規律検査委員会書記が今年夏にも米国を訪問する見通しだ。本来、極めて国内的な問題の担当者がなぜわざわざ外遊するのか――。その思惑を巡って様々な臆測が飛び交っている。

習氏の右腕として反腐敗運動を指揮する王岐山・中国共産党中央規律検査委員会書記

■海外逃亡した官僚の写真公開

 「猟狐(キツネ狩り)2015」。4月22日、王氏の指示の下、中国公安省はウェブサイトに海外逃亡した主な腐敗官僚100人の名前と顔写真を掲載した。国内での反腐敗運動を軌道に乗せた習政権の次のターゲットは、海外に逃亡した経済犯罪や汚職の容疑者らだ。「キツネ狩り」と称して、外国政府に対し、1万人近くいるとされる容疑者の中国への引き渡しを要請している。

 王氏が訪米を計画する表向きの理由は、米国にこの「キツネ狩り」への協力を求めることだ。公安省のリストで挙げた100人だけをみても、逃亡先は米国が40人と最も多い。しかし、それだけでわざわざ王氏が訪米するとは考えにくい。そこで様々な臆測が浮上する。

 「習氏一族の資産は20億元(約390億円)に上る」「習氏の姉の投資会社が09年に2860万ドル(約35億円)分の株式を保有していた」――。王氏が「キツネ狩り」の強化を指示した直後の4月末、米紙や香港紙などで習氏関連のスキャンダルが伝わった。「キツネ狩り」を強化する習指導部に反発するようなこうした動きの背景に、共産党関係者は米国に逃亡中とされる中国人富豪、郭文貴氏の存在を指摘する。

 郭氏は山東省出身の政商で、胡錦濤前国家主席の元側近で失脚した令計画氏の親族に近い。反腐敗運動で習氏との摩擦が伝えられる江沢民元国家主席や曽慶紅元国家副主席ともつながっており、習氏や王氏に関するスキャンダルを握っているとされる。今回の習氏に関する報道も、実は米国逃亡中の郭氏が仕掛けたものではないか、と党関係者はにらむ。

 

「キツネ狩り」の対象者として、海外逃亡した腐敗官僚ら100人の名前と顔写真を掲載した中国公安省のウェブサイト

 大物の郭氏は公安省が公表した100人のリストには含まれていない。だが王氏訪米の真の狙いは、米国逃亡中の郭氏の身柄の引き渡しを米国に求め、郭氏が握る習氏らのスキャンダルをもみ消すことだ、ともささやかれている。

 安全保障面で中国と対立する米国にとっては、またとない交渉カードとなる。もっとも米国も中国と経済的な相互依存関係を深めており、中国が指導者のスキャンダルで政治的に不安定になり中国経済まで揺らぐのは、今の米国経済にとってもプラスにならない。中国側も、基本的には米国は郭氏引き渡しに協力するとにらんでいるようだ。中国外務省関係筋は「指導部からは『習氏が9月に訪米するまでは米国との摩擦を増やさないように』と指示されている」と明かす。

■王氏首相昇格の布石か

 一方、王氏訪米について、習氏が王氏を17年の次期党大会で李克強首相に代わり首相に昇格させるための布石だとみる向きもある。李氏は首相就任後まだ訪米していない。王氏は胡前政権時に経済担当副首相を務めて経済分野に明るく、経済分野での米国との人脈は李氏よりも深いとされる。米国側は、李氏や並みいる中国の経済閣僚などを差し置き、習氏の右腕である王氏と実質的な経済交渉をしたがっている、との見方もある。

 もっとも王氏は17年秋にも開く党大会のころには、すでに党指導部の引退年齢である68歳を超えており、今季限りで引退するというのが通説だ。だが習政権になって、こうした年齢制限の例外は増えている。閣僚の引退年齢である65歳を過ぎて続投した中国人民銀行の周小川総裁はその典型だ。反腐敗運動はまだ道半ばだとの理由で、王氏を再任、もしくは首相に抜てきする可能性は残されている

 こうした噂を警戒するのが、李氏の出身母体である党青年組織、共産主義青年団(共青団)の出身者だ。李氏が王氏に追われるように首相の座を退けば、党老幹部の子弟ら「太子党」と党内勢力を二分する共青団の影響力は一気に落ちる。

 「政策は政局」。政策の裏には必ず政局的な意味合いが含まれていることは、洋の東西を問わない。新しい政策が示される度にそれが暗示するものを巡って噂が流れ、外遊が発表される度にその真の狙いを探る様々な見方が流れる。中国国内のあらゆる関心は、すでに17年の党大会で決まる次期指導部人事に向いている。

「チャイナViews」は原則毎週木曜日に掲載します。

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中国人は腹黒でインチキをする、中でも習近平主席は首席級

2015-06-03 19:32:23 | 意見発表

 中国人は腹黒でインチキをする、中でも習近平主席は首席級

「江沢民を鎮める」 主席の旅に隠された呪文  編集委員 中沢克二

 
2015/6/3 3:30
 

 「習近平主席が昨年末、江蘇省の鎮江を視察した旅には重大な意味があった。皆、その前の南京での大行事に目を奪われていたが……」

 中国の政情に精通するその男は、久々に北京に現れ、謎の言葉を残した。

 上海から西北西に約250キロメートル。悠然と流れる長江に沿って人口300万を擁する江蘇省鎮江市がある。香醋(こうず)の産地で知られる古都だ。隋の煬帝が完成させた南北の運河と長江が交差する交通の要衝のため、アヘン戦争では英軍がここに攻め込んだ。小説「大地」で有名なノーベル賞作家、パール・バックはこの地で育った。2日、長江で沈没した約460人が乗る客船は江蘇省から出発した。

  14年12月13日午後、習はこの鎮江を訪れた。先に中国政府はこの日を「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」に指定していた。習は江蘇省の省都、南京で国が初めて主催する大々的な式典で演説した後、足早に鎮江に向かった。

■江への遠慮が生んだタブー

 中国では指導者の地方視察の場所選びにさえ政治的に重要な意味が隠れている。習の鎮江入りは、地域医療の様子を見て、農村を訪れて庶民と交わる極めて一般的な視察に見えた。だが、そこには元国家主席、江沢民の「院政」を徹底的につぶす呪文が隠されていた。

 江を鎮める――。

 鎮江という古都の名前自体が江沢民封じに通じる。しかも鎮江は江沢民の故郷、揚州と長江を挟んで隣接している。揚州の南を鎮江が塞ぐ形だ。これまで長老の江に遠慮する中国の要人らは鎮江入りを避け、鎮江と名が付く橋さえ架けなかった。それほど江が怖かったのだ。

 特に長江にかかる「潤揚大橋」の命名はいわく付きだ。南の鎮江と、北の揚州をつなぐ橋は2000年に着工し05年に完成した。高架部分を含め長さ35キロメートル。総工費53億元の大工事だ。橋の命名では川の南の都市名だけを使うか、前に南の都市、後ろに北の都市名を取るのが慣例である。その場合、「鎮江大橋」か「鎮揚大橋」になるはずだ。

 だが「鎮江」は江を鎮めるの意であり、仮に「鎮揚」としても江の故郷、揚州の鎮圧に通じる。「江はまだ計画段階だった『鎮江大橋』という仮称を聞きつけ顔をしかめた」。当時、そんな噂が地元に広く伝わっていた。

 「このままではまずい。俺たちの首が皆、飛ぶ」

 地元関係者らは頭を抱えた。しかも故郷の大橋の起工式に江自身が参加するという。橋の名前ひとつでも、街の命運を左右する政治的な重大問題だった。

 

江蘇省の鎮江と揚州を結ぶ潤揚大橋。橋の北側には、江沢民元国家主席が揮毫した看板が鎮座する
 

江蘇省の鎮江と揚州を結ぶ潤揚大橋。橋の北側には、江沢民元国家主席が揮毫した看板が鎮座する

 「鎮江の街は大昔、潤州という名だった。隋の時代だ。この『潤』の文字を無理やり引っ張り出して使おう」

 歴史ある街だけに有職故実(ゆうそくこじつ)に通じる識者がなんとか案をひねり出した。

 「助かった。江を潤すならトップも万々歳だろう」

 関係者らも胸をなで下ろす。

 江がこの命名に満足したのは間違いない。なぜなら橋の北側には、彼が揮毫(きごう)した看板が鎮座する。江特有の筆づかいによる「潤揚大橋」という文字だ。それは「江蘇省の地を仕切るのは江沢民だ」という縄張り宣言にも見える。

 「江を鎮める」という不吉な名前を嫌って潤揚大橋となったエピソードは、習近平の反腐敗に絡み再び注目を集める。習が江の縄張りを切り崩しに動いたのだ。

 現トップ、習はいきなり鎮江を訪れた。過去の指導者らと違い、江への遠慮など全くなかった。まさに「敵地入り」だ。

 江蘇省は、習が摘発した前最高指導部メンバー、周永康の故郷でもある。周が生まれ育った同省の無錫は、江沢民の街である揚州、そして鎮江からも近い。同郷のよしみも手伝い、周は、上海閥ともいわれた江グループの重鎮となった。

 習がこの日を選んだのには訳があった。約1週間前の14年12月5日、政治局会議で周の党籍剥奪をようやく決めた。間髪入れず、江と周の拠点に入って存在感を誇示し、抵抗できないよう手を打つ必要があったのだ。

■「4つの全面」も鎮江で

 そしてもう一つ。習は、自らの時代の新スローガン、新しい指導原理と位置づける「4つの全面」をこの鎮江で発表したのだ。江が苦労を重ねて共産党規約に盛り込んだのが「3つの代表」である。「3つ」より1つ多い「4つ」と銘打った指導原理を、あえて江の故郷、江蘇省で世に出したのは、「江による院政」の終わりを宣告する意味もあった。

 敵陣深く攻め入った習は、もう一つワナを仕込んだ。それは2週間後に発覚する。年末、鎮江で新たな大橋が着工されたのだ。潤揚大橋の下流に当たる市東部が建設現場だ。

 その時点まで大橋の名前は、付近の山の名前をとって「五峰山公鉄大橋」とされていた。いかにも不自然な命名だ。江への恐れと遠慮はなお生きていた。

 事態は年明けに急変する。15年1月初旬、周の事件に絡み、江蘇省の中心地、南京市トップだった楊衛沢が中央規律検査委員会の担当官により突然、北京に連れ去られた。市の会議中に呼び出された。楊は江沢民にも近い。習の「鎮圧」の成果だった。

 

 「情勢は逆転した。過去の人である江に遠慮していれば自分たちが危うい」。残された地元幹部らは1月中旬、大挙して北京を詣で、建設主体の中国鉄道総公司を訪ねた。そして橋の名を「鎮江(長江)大橋」に改称するよう強く要請した。

 鉄道総公司側も当然、同意した。旧鉄道部はとりわけ江グループの影響力が強かった。だが、かつての鉄道部長、劉志軍の汚職問題などをきっかけに事実上、解体され、中国鉄道総公司に再編された。その後ろめたさがある。「江に肩入れするな」。そんな無言の強い圧力があった。交通運輸省によると、鎮江大橋の全面的な工事開始は今年6月以降という。

 「江を鎮めたい習が、ついにタブーを破って『鎮江大橋』の命名を認めた。時代は変わった」。地元で噂が駆け巡る。習の鎮江入りは、江と周の鎮圧を宣言し、『4つの全面』まで世に出した極めて特別な意味を持つ旅だった。(敬称略)