南シナ海に手を伸ばす中国 古い座礁船が火種
- 2014/4/4 7:00 日本経済新聞
- 3月第3週、シンガポールで行われた東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国と中国との作業部会は、ある意味「絶妙」な時期に実施されたと言える。南シナ海の領有権を巡る緊張が危険なほどに高まっている中、衝突のリスクを軽減するため、かねての懸案である「行動規範」の合意を改めて目指した。
そのわずか9日前、中国の沿岸警備隊は、フィリピンが駐屯地とする座礁船に物資を届けるために派遣した船舶を妨害した。フィリピンは数ある紛争地帯の一つに乗り上げた古い戦艦を監視用の拠点として利用している。また、フィリピン政府は「南シナ海に関する中国の主張は国際法の下では無効」として3月30日までに国連の仲裁裁判所に提訴する構えだ。
だが上記の座礁船の件、そしてフィリピンの提訴に対する中国の態度から、行動規範の合意に達するのに今は最悪のタイミングであることがうかがえる。いずれの件に関しても、中国に妥協する意思はなさそうだ。南シナ海は今後も数年間にわたってこの地域の不安の種、そして中国と米国との勢力争いの種になることだろう。
■中国が物資輸送船を妨害
シエラ・マドレ号という名のこの座礁船は、もともとは第2次世界大戦中に米国が建造したものだ。そして1999年にセカンド・トーマス礁(フィリピン名は「アユンギン」、中国名は「仁愛礁」)に意図的に沈められた。今ではさびによる腐食も激しい。フィリピンはこの船に少人数の海兵隊を常駐させ、辺り一帯がフィリピンの排他的経済水域(EEZ)――国連海洋法条約(UNCLOS)に基づいてフィリピンが主張している――であることを表明している。
一方、中国もこの海域で権利を主張する。過去にフィリピンと衝突した際(1996年にミスチーフ礁、2年前にスカボロー礁を巡り)と同様、単に支配権を主張することが目的のようだ。
中国がフィリピンの物資輸送船を阻止したのは今回が初めてのことである。中国はフィリピンの輸送船が建築材を積んでいたと指摘。座礁船の修繕は現状の変更につながり、2002年にASEANと中国が行動規範の策定に向けて発表した「行動宣言」に違反すると主張した。だがシエラ・マドレ号は2002年には既に現在の位置にあったため、これを多少修繕することは許容範囲内と思われる。輸送船が妨害を受けた後、フィリピン政府は海兵隊への食料と水を空輸した。現在、フィリピンは海路を使った物資提供の再開を検討している。
中国がいつにも増して攻撃的なのには、人口わずか1億余りの新興国フィリピンがUNCLOSを根拠に自分に盾突こうとしていることに対する報復の意味合いもある。中国は、UNCLOSは主権に関する判決を下すための条約ではないと主張する。また、国連の裁判所がこの提訴を受け入れてフィリピン側に有利な判断をした場合、中国はそれに従わないと宣言している。
■フィリピンは仲裁裁判所に提訴
だが優れた国際弁護士チームを起用したフィリピンの主張にはそれなりの筋がある。中国はUNCLOSの調印国であるが、南シナ海における主張の根拠を1940年代に中華民国が設定し、その後、中華人民共和国が引き継いだ「九段線」に置いている。UNCLOSは、領海とEEZは各国が主権を行使する陸地に基づいて設定できると規定する。一方、九段線(中国はこれについて明確に説明したことは一度もない)は、9つの点で囲まれた海域(南シナ海のほぼ全域)およびそれに付随するすべてが中国の主権下にあることを示唆している。つまりUNCLOSの既定とは反対の原則を示している。
フィリピンの目には、最近の事案が中国からの嫌がらせと映る。スカボロー礁付近にいたフィリピンの漁民に向け中国が放水したこともそうだ。中国は南シナ海の豊かな漁場や自分の(と中国は主張している)炭化水素資源にフィリピンが近づかないよう威嚇的な態度をとっている。これに対してフィリピン側は憤りを強めている。
だが中国による軍備拡張に対し、フィリピンは無力感と不安を募らせる。フィリピン海軍が持つ最新の軍艦は、米国沿岸警備隊から払い下げられたカッター(軍艦に付属する小艇)2隻と、英国海軍がかつて香港海域で使っていた巡視船3隻。空軍にはジェット戦闘機も爆撃機もない。フィリピン人は自国の空軍について「空はあっても軍がない」と自嘲する。
■不信感募らすベトナムとインドネシア
外交においては、中国はフィリピンを孤立させることを狙っている。これまで中国はフィリピン以外のASEAN加盟国9カ国に対してはいい顔を見せてきた(ちなみにマレーシアとベトナムも南シナ海で中国との領有権争いをしている。また、中国が主張する九段線はブルネイとインドネシアのEEZを侵害しているのだが)。他方でフィリピンのベニグノ・アキノ大統領をのけ者にし、中傷の対象としてきた。
南シナ海に手を伸ばす中国 古い座礁船が火種
だがこの戦略が裏目に出ている可能性もある。中国の態度に対して他のASEAN諸国はうろたえ気味だ。中国との領有権争いがさらに広範にわたるベトナムは、今年になって中国海南省が導入した新規定に悩んでいる。これは付近で漁業を行う外国船に対し、中国の許可を得るよう要請するものだ。
中国は最近、西沙諸島付近にいたベトナム船を攻撃したとも報じられており、ベトナムは不安を募らせている。中国は1974年に当時の南ベトナム軍を排除して以来、西沙諸島を実効支配している。
また、インドネシアも、中国の九段線理論がもたらす紛争の当事国であることを認めている。インドネシアはこれまで、南シナ海において中国との対立がなく、将来の仲介役として意気込んでいた。奇妙なことにマレーシアは、中国の以下の主張を否定している――中国の戦艦3隻が今年1月に、九段線の南端の防衛境界線(マレーシアが権利を主張する海域付近)を巡察。だが、消息を絶ったマレーシア航空370便事故の対応について中国が攻撃を強めていることで、いずれにしても両国の関係は悪化した。
■米軍の再駐留を望む
中国の行動が招くもう1つの結末は、米国によるアジアピボット、とりわけ軍事的プレゼンスの拡大が域内で歓迎されることだ。それはフィリピンでさえ、いや、米国と条約を結ぶ同盟国であるフィリピンこそ歓迎するものだ。フィリピンでは、かつて国民の反米感情が高まり、米軍基地を1992年に撤退させた経緯がある。基地の存在は、米国統治時代の最後の痕跡だった。フィリピン政府は現在、米軍が「ローテーション」で国内に駐留することについて交渉を進めている。これに対して国民が抵抗する気配はない。
また中国は、米国が現在、別の大国による欧州での大規模な「地域の掌握」に携わっていることも意識すべきだ。米国は最近、中国の九段線を明示的に非難しており、UNCLOSにおける法廷闘争においてフィリピンを支持している。だが中国は、シエラ・マドレ号を巡る紛争において米国がフィリピンの行動を制止することはあっても過激な行為にあおり立てることはないことを知っている。
(2014年3月22日付 英エコノミスト誌)
英エコノミスト誌の記事は、日本経済新聞がライセンス契約に基づき掲載したものです。(翻訳協力 日経ビジネス)
カッターとは沿岸警備隊の
巡視船の呼称です
つまり能力的には
巡視船を譲渡
一部レーダーなどを外して