安倍晋三氏を支持し支える会

安倍晋三氏を支持、応援し、時にはダメ出しを行い、より良い日本となるように考えて書きます。

安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会の焦点は、集団的自衛権の行使を可能ならしめることである

2013-09-24 20:32:17 | 意見発表

2013年9月23日読売新聞

地球を読む「安全保障議論」北岡伸一

 北岡伸一氏 1948年生まれ。2012年10月から現職(兼務)。04年から06年、

国連大使。12年3月まで東大教授、同4月から政策研究大学院大学教授。専門は日本政

治外交史。

 

私は安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会の座長代理を務めている。その焦点は、集団的自衛権の行使を可能ならしめることである。それは、日本の自衛のためのカードを一枚増やすということである。

 ところが、自衛力強化の議論をしているのに、すぐ「いつか来た道」と言い、戦争につながると批判する人がいる。それは彼らが、戦争がなぜ起きたかを真剣に考えていないからではないだろうか。昭和の戦前期、日本を戦争への道に進ませた諸条件を考えれば、今の日本にはあてはまらないことは自明だからである。

 私がとくに重要と考えている5条件をもとに、考えてみたい。

 第一は、「地理的膨張が国家の安全と繁栄を保証する」という観念である。 戦前期の日本は、ロシア革命の混乱から軍事大国として復活しつつあるソ連に対し、満州を確保しておかねばならないとの観念があり、満州事変以後は、満州国の安定のために華北まで押さえるという発想が広く存在した。日本は資源を持たず、市場も小さいので、外に求めねばならないと考える人も多く、日本の人口は過剰だから、海外にはけ口が必要だとの固定観念も根強かった。更に、地理的膨張を国家の栄光とみなす考えも強かった。これらは軍のみならず国民に広く共有された考え方だった。

無論、そう考えない人もいた。例えば、戦後に首相を務める石橋湛山が1920年代初期から唱えた、いわゆる小日本主義は、植民地は不経済で無用とし、植民地を抱え込むより、世界から資源を求め、世界に市場を求めよと主張した。大きな摩擦を起こして移民を送り出すより、輸出産業を育成すべしと説いた。卓見だが、十分な影響力を持たなかった。1929年の大恐慌以後、世界のブロック化の中で強まった地理的膨張を求める声が、満州、華北、さらに東南アジアヘの膨張を支えた。

 これに対し、現在の日本で、地理的膨張を求める声は聞いたことがない。歴史的に日本に対する脅威は朝鮮半島から来ることが多いが、そこにある米韓同盟が日本の安全を保障する中、海を越えた膨張が安全につながることなど、ありえない。戦後の自由貿易体制の

受益者で、良質で安価な資源を輸入し、世界に製品を輪出して発展した日本にとって、地理的膨張は繁栄につながり得ない。軍事的膨張を国家の栄光と考える人も、まずいない。

 第二の条件は「相手は弱い」という認識である。 昭和戦前期の中国の軍閥の軍隊は基本的に傭兵から成り立っており、戦意は低かった。中華民国の軍隊も、中枢の少数以外は弱体だった。だから、日本は中国を「弱い」とみたのだ。  

現在の日本で、「中国は弱い」と考える人は、私の知る限り、いない。 

 

 第三の条件は「国際社会は無力で、制裁する力はない」という判断である。 満州事変の当時は、米国が大恐慌の打撃の後遺症の中にあり、中国国民党は中国共産党との戦いを重視して日本と本格的に戦う気はなく、ソ連も慎重だった。

結果として、日本は国際社会からそれほど強い制裁を受けず、悪い意味でうまくいってしまった。 現在の国連の下での国際社会の制裁は、国際連盟の当時より、強烈になってい

る。なぜなら、経済制裁は未発達な経済社会より、高度に発展した経済社会に強い影響を与えるからだ。つまり、制裁を受けた際のダメージは、北朝鮮のような国よりも、現在の日本のような国の方が大きい。

 第四の条件は「政治の軍に対する統制の弱さ」である。戦前期は、関東軍の独走に始まり、軍が日増しに膨張し発言力を増すのを、政治は止められなかった。しかし、現在の日本では、自衛隊に対する統制は十二分に効いている。

第五の条件は「言論の自由の欠如」である。満州事変の頃までは、満州事変に対する吉野作造の批判や、国際連盟脱退に対する清沢きよしの批判のようなすばらしい論説が『中央

公論』に掲載されたが、日中戦争の初期には多くの自由主義言論人がブラックリストに載り、執筆できなくなった。1937年秋になって日中戦争の犠牲者の多さに批判が強まり、兵士の家族が連隊長の家に押しかける事件も起きるなどし、当局は一層、言論統制を強化した。言論統制なしに戦争の遂行は困難だったのだ。

 現在は、日本では言論の自由がしっかりと確保されている。要するに、軍事的膨張を促した5条件は、今日の日本には全くあてはまらない。日本が平和国家であるのは、憲法9条ゆえではなく、より根本的な、現代日本の繁栄を支えている基礎条件によるのである。

 ところが、この5条件を現在の中国で見てみると、かなりあてはまるのだ。

 第一に、中国は世界中で資源獲得の活動を繰り広げている。海洋での活動の膨張の背景には安全確保という観念があり、国威発揚的発想も顕著である。

第二に、中国は東アジアにおける軍事的優位にかなりの自信を持っている。第三に、国際社会からの制裁を恐れる様子はなく。しばしば国際法を無視した行動をする。

実際、国連安全保障理事会常任理事国に対する制裁は、なかなか難しい。また、中国はその巨大な経済力で、反対する国を沈黙させてもいる。

 第四に、中国の近年の動きから、政府の軍に対する統制が弱まりつつあるという懸念が強まっている。

第五に、中国においては、政府に対する批判的言論がかなり難しい。

 私は、中国が周辺国を侵略する可能性が高いとは思わない。だが、日本が戦争を仕掛ける可能性が皆無であるのと比べれば、中国には相当の誘因があるということだ。「いつか来た道」と言う人には、日本がなぜ、いかにして、戦争への道をたどる可能性があるのか具

体的に説明してほしい。

  「平和のためには平和的手段しか用いるべきではない」という主張をするとい

う意味での「平和主義者」の中に、「全ての戦争は悪だ」と主張する人がいることも、併せて論じたい。これは、侵略した側とされた側を等価に置いた主張だといえる。日本が中国を侵略したとき、それに抵抗した中華民国の自衛の戦いも悪い戦争だったのだろうか。

日本のなすがまま降伏し、圧政を受け入れるべだったと言うのだろうか。

 戦争の歴史を振り返るとき、日本がかつての愚を繰り返さないようにするというのは当然だが、もはや、そんな心配の必要がないことは、5条件をめる現状を見れば明らかだ。今、考えるべきことは、日本に侵略された中華民国の側に逆に身を置き、不当な侵略をどう防ぐか、より効果的な自衛のためにどうすればよいかということである。