阿部ブログ

日々思うこと

英GCHQ長官、MI6長官、豪ASIO長官、トップ交代

2014年08月16日 | 雑感

スノーデン事件以降、NSA長官/副長官ともに交代しているが、いよいよ英GCHQ長官とMI6長官、そしてオーストラリアのASIO長官が退任し、新体制に移行する。

かねてから懸案だった英政府通信本部(GCHQ)のイアン・ロバン(Iain Lobban)長官が、2014年中に退任することが決定。GCHQ長官の退任はスノーデン問題とは無関係としているが、それは嘘。ロバン長官は、2008年7月からGCHQ長官として通信諜報活動を指揮してきた。NSAのキース・アレクサンダー(Keith B. Alexander)は、今年3月に退任している。これでNSA&GCHQ両長官が揃って交代する。
ロバン長官の後任は、ロバート・ハニガン(Robert Hannigan)氏に決定している。ハニガン氏は、ロバン長官より4歳下の49歳で、合同情報委員会(JIC)の国家安全保障戦略を策定する委員会の座長などを務めるなど安全保障・諜報分野に長年携わってきた人物。

GCHQ長官交代と期を同じくして秘密情報部(MI6)のジョン・サワーズ(John Sawers)長官も今年11月に退任する。サワーズ長官は、2009年11月にMI6長官に就任しているが、彼はMI6史上初めての外部からの登用された長官であり、内部からの反発も多かったが、開かれた諜報機関を標榜した彼の戦略は功を奏したと評価されている。彼以前の長官が議会で証言するなど考えられない事だったが、諜報活動は、国家安全保障の秘めたる最前線(secret frontline for national security)であり、国家自営の為に必要な活動である。また諜報活動という言葉は、隠蔽と同じ意味でもない。リスクを冒して情報を提供してくれるエージェントを守るためのものだと説明した彼の発言は、諜報機関に対する不振を募らせる市民を納得させるものだった。またサワーズ長官は、エドワード・スノーデン(Edward J. Snowden)氏のリークは、諜報活動に甚大なダメージを与えたとも発言している。

GCHQとMI6とくれば、次はオーストラリア保安情報部(ASIO)だ。ASIOデービッド・アーバイン(David Irvine)長官も9月に退任する。
アーバイン長官は、GCHQ長官とMI6長官同様、外務官僚としてキャリアを重ねてきた人物で、諜報分野に関わる様になったのは、2003年オーストラリア秘密情報部(ASIS)長官に就任してから。ASIO長官には、2009年3月に就任。今日に至る。

諜報機関の長官が交代したからと言って英米豪の諜報活動に変化があるとは思えないが、意外とスノーデン事件は、諜報機関に深い影響を与えている事が覗える。

※過去ブログ:「NSA長官とGCHQ長官交代

ロスネフチ と エクソンモービルが 北極海で ボーリング開始

2014年08月12日 | 雑感
ロシアの「ロスネフチ」と「エクソンモービル」(以下、エクソン)は、ロシア最北の北極海・カラ海にある石油プラットフォーム「ウェストアルファ/ウニベルシチェツカヤ-1」における掘削開始を記念するセレモニーをモスクワで開催した。これはプーチン大統領の石油採掘のための北極ボーリング開始命令に基づくもの。この大統領命令を受け、エクソンモービル・ノルウェーがリースした深海掘削リグ「Seadrill」が試掘作業を開始した。
このセレモニーには、ロスネフチのイーゴリ・セチン社長とエクソンモービル・ロシアのグレン・ワーラー社長が出席。ウクライナ問題でギクシャクする米露関係だが、図らずもプーチン大統領が、首相当時から明言していた、ロシア政府としてエクソンとロスネフチの提携をあらゆる面から支援するとの意思表明を確認する形となっている。

このセレモニーの背景にあるのは、21011年8月30日に締結されたロスネフチとエクソン両社による北極海大陸棚などでの油田探査・開発に関する業務提携だ。ロスネフチは、当初BPと契約締結に向け交渉していたが、BPのロシア合弁会社TNK-BPのロシア側株主がこれを阻止するため訴訟を起こし、提携は白紙となった。諦めないロスネフチは、新たな提携先を探し現れたのがエクソンと言う訳だ。
ロスネフチは、エクソンから海底石油掘削技術の提供を受け、北極海や黒海での深海油田開発にを本格的に着手する。ロスネフチは、サンクトペテルブルクに海底石油掘削を研究する技術センターを設立し、深海油田の開発技術のみならず、海洋環境の保護など様々なノウハウをエクソンから提供受ける。今回の業務提携の一部には、エクソンが開発を進めるメキシコ湾海底油田プロジェクトや、テキサス州のシェールガス田開発などの一部権益をロフネフチが取得する権利付与されている。これはエクソンが北極海アクセスする権利と引き換えで得たもの。

ロスネフチとエクソンによる共同開発の対象地域は、北極海と黒海。北極海の対象地区は東プリノボゼメルスクの3鉱区で12万6000平方km、推定原油埋蔵量は5,0000万トン、水深は50~150m。黒海の対象地区はトゥアプセ鉱区、1万1200平方kmで、埋蔵量は何と90億バレルと推定されており、2015年からボーリングが開始される予定。コストの大半はエクソンが負担するという。これは北極海と異なり、水深が1000~2000mと深海であり、リスクが伴うからだ。
この共同開発に投じられる資金総額は32億ドル。出資比率(持分)は、ロスネフチ66.7%、エクソンモービル33.3%。当然ながら米国政府は音なしの構えだが、ウクライナ問題で表面上関係悪化とはいえ、資源&エネルギーなどビジネスは別問題で、着々と金儲けに邁進する。これは当然だ。

今回のロスネフチとエクソンの共同開発がスタートした報を受けて思い出したのは、太平洋戦争中もスタンダードオイルが、ベーリング海沖で三菱商事チャーターのタンカーに石油を供給していた事。既に米軍の反攻がニューギニア方面で本格化している時期だが、ビジネスには関係ないと言う訳だ。燃料不足で連合艦隊が動かなくなっては、戦争にならないからだ。それでは投資が回収できない。

イスラエル軍のガザ侵攻~プロテクティブ・エッジ(Operation Protective Edge)」作戦の結果~

2014年08月10日 | 雑感
イスラエル国防軍がパレスチナ自治区ガザ地区で実施した「プロテクティブ・エッジ(Operation Protective Edge)」作戦の結果。

パレスチナパ保健省の発表によると死者は、1869名、負傷9570名としている。国連は死者の68%は民間人と推測しているが、イスラエル国防軍は、パレスチナ人の死者1768名と発表。ハマスなどパレスチナ戦闘員の死者は、ハマス253名、イスラム聖戦147名、その他65名、所属不明603名が死亡している。合計1068名。負傷者は不明。
パレスチナ保健省は、戦闘員/非戦闘員を問わない死者を地区別に発表している。
・Khan Yunis  501名
・Gaza City   421名
・Beit Lahia  290名
・Rafah     264名
・Deir al-Balah 241名

プロテクティブ・エッジ(Operation Protective Edge)作戦に従軍して死亡したイスラエル軍人は64名、負傷者463名。民間人は3名死亡、負傷は83名。
ガザ地区の損害は、破壊された家屋は、10690、学校141が破壊され、5つの病院も機能喪失状態で閉鎖されている。電力網は発電&変電設備が破壊され稼働率は20%程度で、電力網に依存しないディーゼル発電機などからの電力供給がメインとなっている。水道施設も破壊されており、これはジュネーブ条約違反だ。避難民は、48万5000人に達し、被害総額は、40~60億ドルと推定されているが、時間が経過すると被害総額は増えるだろう。まだ空爆も続いている。

イスラエル国防軍は、プロテクティブ・エッジ(Operation Protective Edge)作戦においては、4762箇所を攻撃。
内訳は、
・ハマスのロケット発射場1678箇所
・ハマスなどの指揮統制センター977箇所
・イスラエル軍も阻止する監視施設933箇所
・侵攻するイスラエル軍に脅威となる施設548箇所
・パレスチナ自治政府関連施設237箇所
・ハマスの武器工場や部品工場など191箇所
・パレスチナ自治地区の重要インフラ144箇所
・イスラエル軍の作戦作戦遂行のため96箇所

これに対し、ハマスなどパレスチナ側は、イスラエルへロケット弾を3356発射し対抗。
・2532発のロケットは、イスラエル領内の空き地に落下し、無害
・578発のロケットは、アイアンドームによって撃破され無害
・119発のロケットは、発射失敗や推力不足でイスラエル領に達する事無くガザに墜落
・最終的に116のロケットは、イスラエルに着弾。民間人3名、83名の負傷。

ハマスは、イスラエル侵攻前、約1万発のロケットを持っているとされていたが、3356発を発射したものの、残りの3000発はイスラエル軍が破壊している予測されており、ハマス保有のロケット弾は3000発程度とみられる。

イスラエル国防軍は、プロテクティブ・エッジ作戦の主要目的だったハマスのトンネル32を破壊し、作戦目的を達成したとして地上軍はガザから撤退している。召集された予備役8万2201名は逐次任務終了につき、帰宅しつつある。応援にかけつけた北部軍のゴラニ旅団(一部)と第7機甲旅団も衛戍地へ移動。作戦終了でガザ旅団と第80旅団、第366機甲旅団など南部軍主力による警備警戒に移行。

北プロテクティブ・エッジ作戦における空爆期間は28日、地上戦は19日。但し、前述の通り空爆は続いている。イスラエル国防軍は、作戦中1856台のトラックで40550トンの水・食料など物資をガザ地区に搬入したとしている。しかし、今回のガザ地区での作戦は、第二次世界大戦のワルシャワ蜂起を想起させる。まともな軍事力を持たない市民軍を一方的に攻撃して大量殺戮している。ワルシャワは戦時下だったが、平時にあってハマスがテロリストなのか、イスラエル国防軍がテロリストなのか、判然としないが、結局、ユダヤとアラブと名前は違えども、結局同じ民族で殺し合っている。

マツダDEMIOプロトタイプ先行展示 by JR名古屋駅

2014年08月08日 | 雑感
新幹線を降りて、JR名古屋駅を名鉄名古屋駅に向かって歩いていると、マツダのDEMIOプロトタイプ先行展示会場に遭遇、激写!
          

何でも仕様には2種類あり、ディーゼル車とガソリン車がある。
1.3リッターのガソリンは、最高出力68kW(92PS)/6000rpm、最大トルク121Nm(12.3kgm)/4000rpm。
1.5リッターディーゼルSKYACTIV-D 1.5を搭載するDEMIOは、は、最高出力77kW(105PS)/4000rpm、最大トルク250Nm(25.5kgm)/1500-2500rpm(AT仕様、MT仕様は220Nm[22.4kgm]/1400-3200rpm)を発揮すると言う。

名古屋タカシマ屋で東海道新幹線、開業50周年イベント開催

2014年08月04日 | 雑感
東海道新幹線は、東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年10月1日に、東京~新大阪間にて開業し、今年で50周年を迎える。前間孝則氏も『新幹線を航空機に変えた男たち 超高速化50年の奇跡』に著しているように 東海道新幹線は、今まで55億人を無事故で高速移動させた圧倒的な実績を有している。世界一の地震国においての実績だ。素晴らしい。
是非、8月6日から名古屋タカシマ屋で開催される『東海道新幹線 開業50年イベント』に行って欲しいと思う~
        

海浜幕張の野郎ラーメン

2014年08月03日 | 雑感
幕張メッセで開催されている「宇宙博」へ突入する前に腹ごしらえ、と言う事で、何度か前は通ったものの入った事がない野郎ラーメンに一番乗り。若い頃、北海道にいたのでラーメンと言えばやっぱり「味噌ラーメン」~今回は卵付だ。

                                   

いやー、喰った喰った~ご馳走様でした。
  

味噌ラーメンは、やっぱり田町の「札幌本舗」だな。週末に行って見ようかね。
 

祇園祭

2014年08月03日 | 雑感
祇園祭を解説するポスターが京都駅にあったので激写。
                      
祇園祭グッズ
                  
オマケ~平安神宮にて
  

海軍経理学校 ~築地と靖国~

2014年08月02日 | 雑感
海軍経理学校の碑が築地にある。明治7年、海軍会計学舎として発足。明治21年に築地に経理学校が移された。築地一帯は、海軍発祥の地とも言われる土地で、江戸時代は松平家の浴恩園であった。現在の東京中央卸市場である。

                     

『明治七年海軍会計舎が芝山内天神谷に設けられたが,のち幾変遷を経て明治四十年にそれが海軍経理学校となった。その間明治二十一年校舎は築地に移されたが、その敷地は松平定信邸の浴恩園の跡に当たった。
明治時代その付近には海軍の施設が多くその一帯は海軍発祥の地とも称せられている。校舎はさらに幾度か移築を経て、昭和七年この西側築地の一角に移築されたが、太平洋戦争中就学人員急増のため品川ほか地方三ヶ所に校舎を増設した。戦後の海軍解体に伴い昭和二十年九月同校は約七十年の歴史を閉じた。その間の出身者は万余をかぞえ輝かしい功績を残したが、戦後もわが国復興の中核となって活躍した。
戦後三十年を機にここにその栄誉と同校の跡を記念してこの碑を建てる。』

海軍経理学校の碑の裏には校歌が刻字されている。

『海軍経理学校 校歌   作詞 片岡 覚太郎
ゆるぎなき 御代のすがた うつすてふ東京湾頭
波よする築地の岸に 聳えたつわれ等が母校
星うつり 人はかはれど 古し庭昔をかたり
五十年光栄ある歴史 とこしへにわれ等をてらす 
ああなつかしきわれ等が母校
母校の光栄はわれ等が誇り この誇りすてず進みゆくこそ
われ等が担う永遠の使命ぞ』

築地にある海軍経理学校の碑は、題字、山本伍之助。施工は、株式会社青木建設である。

靖国神社を参拝し、境内を散策していると、海軍経理学校正門の敷石が一角を占めていた。
          

陸軍にも経理学校はあった。